子どもの絵と色彩


 時々、幼稚園の教師やお母さんたちから子どもの描いた絵についての質問や相談を受けます。その中でも特に多いのが「顔を緑で描いたり、口を黒で描いたりするのですが、色が違っていることを指摘するべきですか?」という質問です。
 たとえば、色彩の違いについて無頓着な場合、とりあえず一本を選んで手に取って描き出すのです。また、多様な色がそろったパスの中から一本を選ぶときに今から描く対象が決まっているとは限りません。そして描いて行くうちに、そこに現れた丸い形がリンゴに見えたり、顔に見えたりすることでイメージを持ち描き始めることもあるのです。最初に手に取ったパスが緑であればそのまま顔は緑で描かれて当然なのです。
 その後、認識や表現の能力が育っていくにしたがって、色を変えることで対象の人を違う人として表現してみようとしたり、手に取った色のイメージから描くものが決まったりと多様な試みが行われます。同じ顔がいくつも並んでいるのだけれど、全部色を変えて描いている。そして「これはママだよ、これがパパで、これは赤ちゃん」としっかり説明してくれます。一つ一つの色を変えることで、それぞれ別の人であることを伝えようと自分なりに表現の工夫をしているのです。一つの顔の中でいろんな色を使うことを楽しむ場合もあります。要するに子どもは遊びの中で実験し、発見することを楽しんでいるのです。
 また、形はしっかり描けるようになっているのに顔の色を紫色で塗ってしまったというような場合があります。昔から使用する色彩によって心の病理がわかるというようなことが言われてきました。代表的なものに「紫は病気の色」だとか「紫は欲求不満の色」というのがあります。確かに古い心理学では、統計的にそのような傾向があることを示していますが、日常的な子どもの活動のなかで使用される色彩で素人が判断することは困難です。また、すでにそのような心理診断があまり意味のないものであることも証明されてきています。
 結論的にいえば、あまり気にする必要はないということです。子どもが、材料のおもしろさや行為の楽しさを中心に活動しているときには、色彩のイメージに無頓着になることもあります。心を自由にして遊び心で活動しているからこそ出てくる表現なのですから、幼児が正確な形を描いたり、対象に近い色を使うということなど大して意味のあることではないのです。むしろ、顔は肌色などと言っても、本当の肌の色とは全く違う色ですし、口はパスの赤色では赤すぎます。子どもは、対象を正確にとらえて写し取るためだけに描いているのではないのです。それよりも、その子が今、何を感じ、考え、あるいは思ったり願ったりしているのか、それを一生懸命に伝えようとしてくれているのですから、工夫して見つけた表現の良さを認め受け止めてやることが一番大切なことなのです。

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