ソナタ K.V.576 - モーツァルト

K.332にしようかK.V.576にするべきか‥ 数ヶ月前モーツァルトのソナタを習うことになって最後まで決められませんでした。 結局K.332にしたのは「ソナタアルバム1」に組まれているから。「最初にやりなさい」というメッセージかなぁと判断して。 でもずーっと気になっていました、もう1つの方。
わ〜い、こんなに早く習えるなんて。ぅわ〜いっ。

音の宝石箱 「海賊の宝箱」ってあるでしょ。蓋が丸い古びたトランクから宝石が溢れ出している図。私、あの絵が大好きなのです。
そして、モーツァルトのソナタの中には、この絵を連想させる音がたっくさん入っているように聞こえるのです。「音の宝石箱☆」。  たとえば長調で登っていって短調で降りてくる‥のようなところかしら、音が不安定になった瞬間が、 まるで手に握っていたダイヤやパールが ポロポロとこぼれ落ちていくように感じています。

第1楽章 Allegro

「最初に言っておくね、この曲はちょっと弾きにくいのよ。」 あちゃ〜、弾きにくいのかぁ。。。
先生のおっしゃる「弾きにくい」の意味が私が感じるものと同じかどうかはわかりませんが、「いつまでも慣れない‥」が 私の印象。「毎回新鮮な気持ちで弾ける」という言い方もできるかもしれません。ちっとも飽きない。 「フランス組曲5番・ジーグ」も同じように感じました。あと1回、あと1回‥って何度でも弾きたくなる曲です。

「少々お待ちくださいませ。ただいま旦那様をお呼びしてまいります。」
100年、いや、もっとでしょうか。古い大きなお屋敷の応接間へ通されました。 外の日差しが嘘のように空気がひんやり感ぜられます。 歴代の主(あるじ)でしょうか。壁には数枚の肖像画がかけられ、こちらの銅像はきっと右から2番目の方?
でも、このお部屋の守り神はこっちかしら、大きすぎるとも思えるシャンデリアが外からこぼれる陽の光を受け輝き、 それは大理石のテーブルに反射し、空気のゆらぎを感じたユリの花が時に強く香ります。
あゝ、この空間では何年も何十年も同じことが繰り返されて、それでも何年も何十年も同じように輝き続けているのね。

「たいへんお待たせしました。」
きしんだ音とともにドアが開き、私はソファから立ち上がり頭を下げました。上質のスーツが目に入ります。
あ、あれ? この方、肖像画の? まさか。え?でも‥

バッハのような旋律と「バロックではないよ」と主張するかのような深いレガートや音の濁らせ方が混在するから でしょうか。 1楽章には「時空の広がり」を感じます。その言葉のように音も表現できることを目指しつつ。。。

第2楽章 Adagio

リズム感がないのは今に始まったことではないのですが、4分音符〜64分音符というバリエーションに混乱するのか、 小節ごとに3拍子・4拍子・5拍子という結果になってしまい、大混乱!からスタートしました。 メトロノームを1小節32拍に設定してみたら‥余計にわからない。うーむ。

この曲は少し前に習った「マズルカ11番(ホ短調)」(ショパン)とイメージがダブりました。
悲哀の音ですが、ストレートに悲哀っぽく?弾いてしまうと、安いドラマのようにいやらしくなってしまう。 「できるだけ淡々と進むように」vs「速くて指がもつれる」の戦いでした。
さて、その勝敗はいかに?

第3楽章 Allegretto

落語とか狂言とか、サーカスのピエロとか、「人を笑わせる仕事の裏側とは想像を絶するほど過酷です」。。。 とでも伝えるかの曲です。

一般的に、西洋の感情表現はストレート(陽)で、東洋、ことに日本のそれは逆(陰)であると言われます。
「悲しみ」を例にとると、バレエ・オペラ・ミュージカル‥どれをとっても、声をあげて大粒の涙を流し泣き叫ぶ姿が前面に 押し出されることが多いように思います。 一方、人形浄瑠璃ではどうでしょう。人形ですから表情そのものは変わらず、視線を下げて肩をこわばらせてじっと我慢する‥  ことで悲しみを表現します。同情する相手を気遣って微笑みすら返すかもしれません。
私が日本人の遺伝子を持っているからか、西洋のバレエをしてきたことへの反発なのか、はわかりませんが、私がより 惹かれるのは、心を動かされるのは、後者なのです。

第3楽章のメロディーは、声をあげて笑ってしまいそうな明るさと滑稽さにあふれています。 ただ、そのメロディーと同居しているのは、とっても過酷な!(すごい運動量だよ、これ)流れで、どっちが真実?と 聞きたくなるほど。 その過酷さが前面に出てきたと思いきや、あっさりと終わってしまい、新しいテーマに移る。う〜ん、あなたの本心は?

この「二面性」からか、どことなくドビュッシーの曲と重なるところを感じました。 ドビュッシーの滑稽な響き、例えば「ダンス」は舞台で繰り広げられる踊りのビデオを音を消して映像だけ見たものから 創造した音のような気がします。「小組曲・バレエ」は舞台の上の美しさではなく、 バタバタと走り回る舞台袖や舞台裏のダンサーを描いたもののように思います。 「アラベスク2」にも「ゴリウォークのケークウォーク」にも、そんなアイロニーが秘められているような。

ところで、第3楽章に慣れてきたころから、無性に「悲愴・第3楽章」(ベートーヴェン)が弾きたくなりました。 どうもこの2曲、似ているようです。音はまるで違いますが、弾き方(奏法?)が。
以前、散々な結果になった「悲愴・第3楽章」の復活戦が近々あるかもしれません。。。