中学の修学旅行で四国に渡った時、ひどい船酔いにあい、それ以来   乗り物酔いのため旅行嫌いになってしまいました。どうしても行かなくてはならぬ時は、大量の酔い止め薬を飲み、寝てしまうことにしていました。当然、景色を鑑賞することもなく、ただ辛いだけでした。
  しかし、短時間であればどうということもなく、学生時代からバイクを乗り回しており、車(軽四輪専門)にもチョイ乗り程度に運転していました。
 もちろん、安全運転(悪く言えば迷惑運転)で常に制限速度以内、時速50kmも出せば良い方でしたが、結婚後バイクも車も止めてしまいました。特に理由は無く、ただ車庫スペースが自転車に占領されただけのことです

 

ホンダのライフでトコトコ走っていたのですが、たまにはスポーツタイプもいいかと、スズキのセルボに乗り換えましたが、余りにも車高が低く、地べたを這っているような感じで、とても乗りにくかったことを憶えています

 その当時、休みの日にはたいてい親友の上間行洋君(通称アーチャン)宅に出向いていましたが、その日もセルボで彼の家に行き、ヒマをつぶしていました。

 話の成り行きで、セルボの慣らし運転をすることとなり、新御堂筋から中央環状をクーラを利かしてトロトロ走っていました。話に夢中になる内、いつのまにか中国自動車道に入ってしまいました。

  ここから状況が一変、「スピード上げー」アーチャンが叫ぶ。40−60Km/h、「いけーいけー」アーチャンが叱咤する。

 70K.m/h、同じセルボが追いぬいて行く。「出せー出せい」更にアーチャンの激が飛ぶ。80−90Km/h、未知の領域に突入。

 追いぬかれたセルボを追いぬき返し、視界から消えて行く。しかしクーラをかけたままではさすがにシンドイ。「クーラー切れい」「窓開けい」アーチャン、指示の連発。ついに100Km/h。メガネが飛んでしまいそう、目から涙が出てくる。前方を走る大型トラックに並ぶ。

 地べたから仰ぎ見る大型トラック、まさに怪物。上り坂に入るとスピードが急に落ち、トラックを追い越せず併走する。恐ろしい。まもなくすると下り坂に入り、やっとトラックをかわす。

 しばらく沈黙していたアーチャンの出番がくる。「出せー出せぃ」アーチャンが叫ぶが、勝手にスピードが上がる。ものすごい振動、スピードメータを見る余裕なし、アクセル踏み込んだまま足は硬直。100K.m/hを遥かに越えていたのではないか。 このままあの世に直行するかも知れないと覚悟を決める。

 どこで折り返したのかわからず、気がついたら中国自動車道を抜けていた。満タンだったガソリンも空になり、補充したのち、クーラのスイッチを入れ、トロトロ運転に戻り帰途につく。
 アーチャンの家に着くと、彼のお父さんのバイオリンの演奏により、めでたくセルボの慣らし運転はなんとか無事に終了し、車の調子は悪くなる。
 

鈴鹿サーキット

 しかし、この時の経験により、乗り物酔いを克服できたように思います。 この後、彼とは車や汽車で旅行したのですが、酔うことはありませんでした。

 50を越えてから再びバイクに乗るようになりましたが、若い時の安全運転から一転、いつも制限速度オーバーで自分でも驚くほどです。

時速70Kmで走っていても、頭の奥からアーチャンの「出せー出せーい」の声が聞こえてくるのです。 

2003/05/04