パソコンとの出会い

    私とパソコンの出会いは20年ほど前になります。途中、長いプランクがあるので、実際の経験年数はたいしたことはありません。その頃の私はパソコンには興味はなく、趣味はオーデオと山野草を集めて写真に撮ることでした。

    ある日、妻がワープロ検定の資格を取ると言い、日曜日ごとにワープロ教室に通いはじめました。

    たまたま、その講習を見る機会があり、覗いてみたところ、マンションの一室に3台ほどのパソコンが置かれ(機種は8ピットのPC−8801通称ハチハチ、当時NECの主力機種)女性講師が講義していました。
     漢字変換方法は単漢字変換で作業能率は悪く、とてもワープロ専用機に太刀打ちできるようには思えません。

    やめるよう説得しようと思いながら隣の部屋を見ると、そこではディスクベーシックの講習が行われていました。ベーシック言語を使ったプログラミング講座で、見ていると、画面上の好きな位置に好きな色で文字や図形を配置していました。まだ、ほんの初歩の段階なのですが、とても興味をそそったことは確かです

    次週から二人して教室に通うようになったのは言うまでもありません。ミイラとりがミイラになりました。

    パソコン教室に通うようになりましたが、キーボードに触れたことのない私には、画面を見るよりキーボードを見ている時間のほうが長く、2時間の講習はすぐに終わってしまいます。しかし、素質があったのか、すぐにブラインドタッチできるようになり、短期間でベーシック言語をマスターする事ができました。

    こうなると、週2時間では物足りなくなり、妻を説得しパソコンを購入することとなりました。時代は8ピットから16ピットに移行しており、機種選定は当然PC−9801通称キュウハチ。一式をローンで購入しました。

    毎日パソコンに向かいプログラミングしていましたが、とにかく楽しい。時間があっという間に過ぎていきます。ベーシックはDOS版ベーシックへ移行し速度アップ。コンパイラをかけさらに速度アップ。作成した株価分析プログラムで十数種類のチャートが同時にあっという間に表示され感動したものでした。市販のソフトにも遜色ないと今でも自負しています。

    この時期、パソコンなら何でも出来るという妄想が私の頭の中にあったと思います。しかし、個人で使用するパソコンに何を期待するのでしょう。お決まりの住所録、日記、めったに使うことのないワープロ、データの整理等パソコンより電子手帳のほうが便利な事が多いような気がしたのです。結局、殆どの人はゲーム専用機となっていたのではないでしょうか。

    私の場合も、趣味の山野草のデータも画像が無ければ意味がありません。音楽のデータも音が無ければノートに記すだけで良いのではと思うようになり、徐々にパソコンに向かう時間も少なくなり、結局ロータスを使用するだけの1−2−3専用機になってしまいました。

    パソコンは進化しているとはいっても、8色から16色、音は音声ボードを取付けても音が出るというだけのもの。プリンターはドットインパクト単色から8色熱転写へ変わろうとも、まともに見れるようなカラー印刷にはほど遠い代物。マックやタウンズのマルチメディアも記録媒体や処理速度の関係で使い物にはならぬと感じ、急速に熱がさめていきました。

    パソコンショップに行くことも無くなり、周辺機器の飛躍的な進歩もわからぬまま、時を過ごしてしまったようです。マイクロソフトのウィンドーズ発表の折りも、単にマックやタウンズのモノマネと冷ややかにみていました。

    インターネット

    ところがです、長い月日が過ぎた時、妻が突然インターネットするからノートパソコンを買うと言い出したのです。止めといたほうが良いと言ったのですが、聞かず、01年1月WindowsーME搭載のノートパソコンを買ってしまいました。
    肝心のインターネットは02年1月になってからでした。

    使い方もわからず、終わる時はいちいちパソコンにお伺いをたてなければ電源も切れず、度々ハングアップするし、使い勝手が悪すぎる。妻はその度に私にどうにかするように迫るが、私も今のパソコンなどわかる訳が無く、右往左往する始末、いらぬ心配が増え困った事でした。

    インターネット接続の折も皆目わからず、サーバに連絡をとること再三、結局いろいろ適当にさわっていたら接続できるようになった次第で、相変わらずマニュアルなど役に立たないと痛感しました。

    しかし、そうこうしている内に十数年来溜まっていたモヤモヤが吹っ切れたようです。基本メモリが640Kバイトから64Mバイト、ハードディスクが10Mバイトから20Gバイト、記録媒体は大容量のCDRやMOさらに大容量のメモリーカード、CPUの高性能化、あの時の状況から一変していたのです。まさにマルチメディア時代が到来していたのです

    インターネットは生活環境すら変えていたのです。無駄に年をとった分、取り返えさねばなりません。パソコンに向かう時間が増え、意欲が沸いて来るのをヒシヒシと感じられました。またまた、ミイラとりがミイラになってしまいました。歴史は繰り返される。

    しかしです、突然に妻からパソコン使用禁止令が発令されたのです。どういう事かというと、私はパソコンを使いながらコーヒー等を飲むことが多いのですが(その方がはかどる)パソコンが汚れると言うのです。それならとキーボードカバーを取りつけたのですが,それでも禁止令は撤回されず、仕方なく、専用に購入することに決めました。

    ショップで一番安いディスクトップパソコン(安いはず、新機種発売後1年で機種消滅)を選びましたが、FDDは搭載されておらず、増設も出来ない仕様でしたが、ネットの使用さえ出来れば良いと割り切りました。

     

家庭内LAN

妻のノートパソコンに入っている私のデータを移動したいのですが、FDDが搭載されていないので、LANを構築しておけば後々も何かと便利だと思い、その準備にとりかかりました。

価格の点から有線で接続することとし、1階から2階までケーブルを引張りました。LANアダブターを接続しデバイス登録したまでは良かったのですが,MEのネットワークウィザードがうまくいかない。マニュアルどうりにやっても接続しない。ほんにマニュアルとは役に立たぬものと思いながら手動で行うこととし、インターネット接続の時と同じよう適当にいじっていました。

LAN名、パソコン名、プロトコルにIPアドレス、共有設定など適当にやっていたら適当に接続しました。正式に手順を経て接続できた訳ではないので、次回はどうなることやら。しかし、とにかく妻のパソコンから私のパソコンへデータが移動できたので、良しとしょう。

 

ホームページ

インターネットを使っていると、自分のホームページを持ちたいと思うのは当然のことでしょう。
6月から準備をし、年内立ち上げを目標に勉強を始めたのですが、いちからでは年内には無理と感じ、作成ソフトを使用することとしました。

ホームページビルダーを買うつもりが、店頭価格で安いホームページクリエータを買ってしまった。それが、つまづきの始まりで、ようとして進まない。
例によってマニュアルはわけの解らぬことばかり、ビルダーなら市販の解説書が多く出ているのにと嘆きながら「こんなモン役に立つかー」とマニュアルを放り投げ、ふてくされて終了する事たびたび。
しかし、10分もすれば又、パソコンに向かっている。性分とはいえ自分でも恐ろしい気がする。

こうして苦労して,悩んで少しずつではあるが出来あがっていくマイサイトがとても大切なものに思えて、愛おしささえ感じられてきます。クリエータにしてよかったー

ところが、どうも見栄えが悪い、デザインや配置など、もう少し何とかならないか。ここはひとつイメージソフトを利用することにし、フォトショップを買うつもりが価格の安いフォトインパクトを購入、例によって「こんなもん役にたっかー」となり、マニュアルをほうり投げている。

12月に入り一部が出来あがってきたので(フォトインパクトさんありがとう)そろそろ立ち上げの準備にかかりました。
 個人の領域から公の領域に入るので、今までのように適当にとはいかず、かなり慎重に2週間の時間をかけました。

12月中旬、インターネットから見た我がホームページに感激、感涙、もう、いつ死んでもよい(単純)と思ったことでした。

年が明けると徐々にビーノの調子が悪くなり、たびたびフリーズするようになる。システムの復元や再セットアップなど行うも今ひとつ。

WindowsMEは具合が悪いと他の人からも良く聞きます。しかし、義父から頂いたWindows98パソコンを主力にし、2台でなんとかページの充実を図っています。

リカバリー

2004年に入ると98パソコンがおかしくなってきた。どうも使い過ぎの感もあったが、義父の頂きもので会計用に特化してあり、リカバリーディスクもなく素人には如何ともし難い。万事休す。
方々の販売店でそれとなく聞くが店員はほとんど知識は無い。売るだけなのだろう。
昔から私がやってきた電化製品の復旧法は丸洗いし乾燥するか(絶対にマネをしない様)ショックを与えるかで、結構これで良くなったこともある。(かなり昔のやり方で今では無理のようだ)
 その経験からショック法を採用する。はじめは手で叩くが効き目なし、何度か試みるが効果が出ないのにイライラし最後にハンマーを用いる。私は気が短いのだ。
どうも完全に潰れてしまったようだ

こうなると調子の悪いMEにすがるほかない。こちらの方はリカバリーしたあと3日も使えば動きが悪くなり安心して使えたものではないがS社のこの一体型の液晶は綺麗だし今でも十分通用する。さすが液晶のトップメーカーだけのことはある、褒めてつかわす。
捨てるにはもったいないが修理に出せば法外な料金を請求されるし、それで直るかどうかもわからない。 内緒で妻のノートを時々拝借する。

 

ウイルス感染

妻のノートパソコンがウイルスに感染したので、専門家に駆除してもらう、このウイルスはウインドーズアップデートをしていれば防げていたものだが64エアーではしんどいのでついつい見送っていたのがアダとなってしまったようだ。ついでにセキュリティソフトを入れてもらったが動作が極端に遅くなっている。私のビーノもひょっとしたらウイルスに感染しているのではないかと見てもらうが、なんともないらしい。持ち帰って異常を点検してもらう(もちろん無料で)
数日後「わからないからメーカ修理に出しましょうか?」と尋ねるので、それには及ばずと答えておく。  

光ファイバー

ダイアルアップのあまりの遅さにADSLに切り替えを目論んだが、中継点が離れているのであまり早くならないらしい。そこで光ファイバーを導入することとなる。価格的には高めになるが, EOホームファイバーを契約する。マンション用なら使用料は殆どEO64と変わらないが、イオネットの戦略だろう。
半月ほどで引き込み工事等が終わり、接続設定となる。接続のプロが来宅し妻のノートパソコンの設定をするが、ついでに私のビーノもサービスでしてもらうことにしたが、どうにも設定がうまくいかないらしい。プロが首をかしげるのだから、やはりこのパソコンには異常事態が起っているいるのだろう。

パソコン攻撃

1年ほど前にあるサイトに集中的にアクセスしたことがある。(別に怪しげなサイトではなく、国際的にも重要なサイトである) 時間的余裕がないのとダイアルアップ接続の遅さがあいまって、毎日何度もアクセスしたことがあり、それが不調の原因かも知れないと今でも思っている。会社で詳しい者に聞くとそんなことはありえないと言われるが、私はそのサイトから何らかの攻撃があったものと推測している。警告らしいものが表示されていたようにも思えるが、英語で警告されても私にはその意味がわかりませ〜ん
国家的機関が個人のパソコンに誰にもわからないように勝手にいじっているとしたら、恐ろしいことではありませんか。ウイルスより性質が悪いとおもいますが。
しかし、工場出荷時にリカバリーしてしまえばたとえパソコンをいじられたとしても問題はない筈です。
ところがよくよく考えると、真の工場出荷時にはしていなかったようです。データが消えるのが嫌で、Cドライブのみリカバリーしていたのです。そこでDドライブをも含めて完全リカバリーを行うと共にインターネット接続設定し、そのスピードを堪能しています。ウインドーズアップデートも快適に終え、ネット環境は様変わりしました。 3週間を経ていますが、パソコンに異常は起っていません。捨てずにエガッター 修理に出さずにエガッター。惜しむらくは98パソコンをハンマーで叩いてしまったこと。
考えるにDドライブのわからない所に攻撃用プログラムを無断で置き、そいつがネット接続と同時に我がパソコンを攻撃していたのだろう。素人の私にははっきりとは断言できないが、たぶんそうだろうと思う

MEは出来の悪いOSと世間では言われているようだが、それほどでもないようだ。ビーノも調子が良くなったし、妻のノートパソコンのMEも問題は生じていない。

 

2003年3月2日
2004年7月1日