滋賀報知新聞 平成18年9月25日(月)の記事
         

届け!無言のメッセージ
あなたは命を守るために何ができますか?
=発信する遺族の思い=


 ◆東近江・竜王町◆
 もう一度でいいから、愛する人の笑顔、声、温もりに触れたいー。外には見えない心の傷を抱え、一生癒える傷ではない、また叶わぬ夢だと分かっていても、前を向いて生きていかなければならない遺族がいる。竜王町橋本の田中博司・とし子さん夫妻は、長男・幹弘さん(当時23歳)を交通事故で亡くした。産声を上げたときのような温もりのない冷たくなった夫婦の宝物を、病院から家まで抱いて帰った記憶。一瞬にして希望の光を奪われた夫妻が、今、自らの力を振り絞り「生命のメッセージ展」の開催を企画している。展示に込める思いを取材した。
【櫻井順子】

●家の幹が・・・
 「息子の死を伝えられたとき、夢と現実の境がなくなった」と、二年前を振り返る田中博司さん(56)。昭和五十三年に長女が生まれ、同五十六年には長男が誕生、「家系を継いで田中家の幹になってほしい」との願いを込めて“幹弘”と命名した。

 農作業の手伝いや祖父母の送迎を買ってでる心優しい青年に成長し、二十歳を過ぎたら親子で酒を酌み交わす夢も実現。仕事や趣味を語り合う何気ないひととき、車好きの幹弘さんが新車にカーナビなどを取り付け「明日から乗れる」と喜んでいた矢先だった。

 平成十六年九月四日午後十時頃、親友に買い物へ付き合ってほしいと頼まれ、仕方なく親友の乗用車に同乗。五日午前二時二十三分、旧五個荘町の国道8号線上で、親友が眠気を我慢しきれず居眠り運転し、コンクリート壁に激突。シートベルトを締め助手席に同乗していた幹弘さんだけが脾臓(ひぞう)破裂で、約四時間後に病院で息を引き取った。

 無事故・無違反を徹底し、家族に対しても交通事故には気を付けるよう常に注意していた息子。「なのになぜ」。誰も回答してくれない質問ばかりが頭をよぎる日々。

●無念さを抱えて
 訃報を知り駆けつけた友人の中には、幹弘さんのよき理解者である彼女がいた。初めて出会う彼女なのに息子がそばにいる錯覚を覚えた田中さん夫妻は、宝物をなくした絶望・喪失感よりも、息子の無念さがこみ上げてきたという。

 予期せぬ現実を受け入れられないまま、仕事また入院中の母の看病に明け暮れていたとし子さん(51)。幹弘さんの四十九日を前に「息子の所へ行きたい」と漏らし、うつ病を患っていることが発覚した。ぶつけどころのない怒りと痛みを抱えた遺族は、それでも生きていかなければならない。

 どんなに温かい言葉を掛けられても孤立感は拭えず、同じ境遇の人たちはいないかと、博司さんはインターネットで見つけた「TAV交通死被害者の会」に妻の手を引き参加、気持ちの安らぎを覚えた。

 心の落ち着きを取り戻していったことで、徐々に加害者である親友の更生を願えるまでになった。

 昨年三月、刑事裁判の結審日、田中さん夫妻はTAVの仲間から“生命のメッセージ展”の開催案内を手渡され、導かれるように会場へ向かった。

●一人ひとりと向き合う  この生命のメッセージ展を発案したのは、飲酒運転の暴走車に一人息子の命を奪われた造形作家の鈴木共子さん。「死んでから生きる形があってもいい。犠牲者の数の中に葬りさられる息子の死、その無念さを晴らしてやりたい」という母の思いが始まり。

 同展では、殺人事件や交通犯罪、医療過誤、いじめ自殺、一気飲ませによる死などで命を絶たれた百二十人が、等身大の真っ白なパネルとなって蘇る。遺族が作る人型パネルの足元には必ず靴が置かれ、無言のメッセンジャーとなって全国を旅するのだ。

 初めて同展を見た田中さん夫妻は、大切な人と再会できるような感動を味わい「肉体はなくなっても、幹弘が二十三年間生きた事実、その姿を継続して生かしてやりたい」と、昨年五月から同展に参加した。

 溢れ出る涙をいつもこらえている遺族にとってパネルは現実と向き合う過酷なことだが、これ以上被害者また加害者を増やしてはならないという遺族共通の思いやつながりが、大きな力となって社会に警告を発する。

 鈴木さんは「パネルはアート。来場者の心にストレートに語り掛け、感じるものも人それぞれだが、命を守るためには何ができるのかを考えてほしい」と話し、東京都稲城市で同展を開いた見城宗忠実行委員長も「思いやりは想像力が必要。メッセージ展の主役は見に来ている人だ」と強調する。

 遠い世界から新たな使命を贈ってもらった田中さん夫妻は、来年秋、近江八幡市で同展を開催するため、大きな一歩を踏み出そうとしている。

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記者の目

 「被害者の置かれた状況は他人事ではない」。鈴木さんの言葉に背筋が凍り付いた。我が身に置き換え、もしも自分が事故で死んでしまったら残された親はどうなるのか、逆にもしも自分が交通事故で誰かの命を絶ってしまったらと想像したとき、言い知れぬ恐怖心にさいなまれた。
 今こそ、遺族のメッセージに心と耳を傾け、過信と思いやりの欠如が尊い命を奪い、被害者だけでなく被害者を取り巻くすべての人たちの一生を狂わせてしまうことを、一人ひとりが肝に命じなければならない。


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