呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム) 訪問記
平成19年秋
(広島県呉市)
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平成17年にオープンした呉市海事歴史科学館=通称「大和ミュージアム」に当時の職場旅行で訪れる機会がありました。 これはその際にデジカメで色々と写してきたものです。 ←大和ミュージアムの代表展示物である、1/10サイズの戦艦「大和」の模型 |
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大和型の特徴の一つである、バルバスバウ(球状に突起した艦底)が入るように撮影。 正面がガラス張りとなっている位置関係上、この角度で艦首より撮影すると、どうしても逆光となってしまうのがちと残念。 |
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2階より撮影。 「大和」の主砲である、46cm3連装砲。 2番砲塔の後方に位置するのが副砲である15cm3連装砲。 元々は最上型巡洋艦の主砲として搭載されていた(20cm連装砲に換装した際撤去)ものを転用したものです。比べてみると、46cm砲の巨大さがよく分かりますね。 この副砲については、「大和型の最大の弱点」であるとよく指摘されることがあります。 実際には敵艦隊との砲撃戦は起こり得なかったので、その真偽の程については藪の中なのですが、架空戦記などでよく取り上げられるネタではありますね(例えば佐藤大輔氏の『征途』(徳間ノベルス)での「武蔵」は、沖縄沖での米戦艦部隊と砲撃戦において、この副砲直撃・誘爆によって撃沈されている)。 |
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この「大和」は、菊水一号作戦(沖縄出撃)時を再現していますので、舷側には増設された対空火器がハリネズミのように並んでおり、なかなか壮観です。 |
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どの角度から眺めても本当に流麗なラインが印象的でした。 これぞまさに日本的機能美という感じです。 |
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もし「大和」が、菊水一号作戦における悲劇的な最期とは違った運命を辿っていたならば。 例えば、昭和19年のレイテ海戦の際、栗田艦隊が「謎の反転」を行わず、旗艦としてレイテ湾に突入し、戦果と引き換えにフィリピンの海に沈んでいたならば。 果たして今日においてこれだけの人気と知名度を得て、この巨大模型がここに置かれていたのだろうか? |
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艦尾より見下ろして写した1枚。 艦首方向よりの写真と比べると、だいぶ印象が異なりますね。 |
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零戦62型。 この機体は元々京都の嵐山美術館に展示されていたのですが、閉館によって和歌山県白浜町の「零パーク」へ移転、その後「零パーク」も閉鎖となり、最終的に呉市が買い取ってこの大和ミュージアムに展示されることとなったそうです。 大戦末期の62型は250s爆弾を搭載可能な戦闘爆撃機型として改良されましたが、生産機数も少なく、貴重な実機であるといえましょう(琵琶湖の湖底より引き上げられて復元されたものです)。 零戦の機銃といえば20mmと7.7mmの組み合わせが有名ですが、この62型は7.7mmに換えて13mmを装備しています。主翼外側が13mm機銃、内側が20mm機銃です。 |
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零戦62型の中島製「栄」21型発動機。 零戦21型に搭載された代表的な「栄」12型発動機(940馬力)を、1.100馬力に出力強化した後期型です。 傑作エンジンといわれた「栄」ですが、この頃には2.000馬力級のエンジンに趨勢が移っており、力不足は否めませんでした。 |
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こちらは大和ミュージアムのすぐ近くにある、海上自衛隊呉史料館(通称「てつのくじら館」)。ご覧のように退役した海上自衛隊の潜水艦「あきしお」が博物館の一部として利用されています。 展示内容も非常に興味深かったのですが、内部の写真が残っておらず、お伝えできないのが残念。大和ミュージアムと併せて、機会があればまた行ってみたいです。 この「あきしお」は、冷戦下における海上自衛隊の涙滴(ティアドロップ)型通常動力潜水艦として10隻が建造された、ゆうしお型の1隻。 |
なにぶん遡ること5年以上前の訪問記ということで、残存している写真が少なく、館内展示物の全てをお伝えできないのが残念ではありますが、”海軍の街”呉に相応しい素晴らしい施設でした。 自身、再び訪れる日を楽しみにしています(平成24年11月6日)。 |