埴輪工場跡地と高山右近残影 〜大阪府高槻市
平成23年10月初旬
この日は車で北摂方面へ出かけ、高槻市を訪れました。 その際、ハニワ工場公園と高槻城跡公園を訪れる機会を得ましたので、デジカメで色々と撮ってきた物を載せたいと思います。 ちなみに、高槻市には平成23年4月より、本格的な古墳公園である「史跡 今城塚古墳(及び今城塚古代歴史館)」が開園したのですが、今回は時間の都合で訪問できず・・。機会があれば是非行ってみたいです。 |
高槻の山手に位置する、閑静な住宅街の一角に、ハニワ公園はあります。 平均所得や教育水準の高さで知られる北摂地域だけあって、周辺にはン千万しそうな「こりゃ自分にはとうてい無理だわ」という感じの高級マンションが立ち並んでいました。 正式名称は、「史跡
今城塚古墳附新池埴輪製作遺跡」。 正面に写っているのは、復元された窯で、実際にハニワを焼いている様子が展示されています。 |
この日は秋の好天に恵まれ、快適な一日でした。 右の写真は、萱と杉皮で再現された工房(作業場)。 |
こんな感じの、公園内の散歩道に沿って埴輪が並ぶ、という展示形式になっています。 | ||
「はに丸王子」と「ひんべえ」を連想させる埴輪もありました(って古いネタですいません・・・)。 |
屋内には、発掘された最大の窯がライトアップされて展示されています。 こちらは、ご覧のようにトンネル状に斜面を掘り抜いた構造となっています。 |
その後、高槻城跡へ。 城の建物は一切残っておらず、今では「城跡公園」となっています。 とはいえ、これらの石垣等は遺構ではなく、レプリカ的に再現されたものです。 |
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(左) 城跡公園内はこんな感じで、なかなか風情がありました。 (右) 園内の池で飼われているアヒル。完全に人間慣れしており、至近距離まで近づいても全く怖がりません。 |
城跡公園内にある、高山右近重友の像。 もっとアップで撮ったはずだったのですが、ズームの加減を間違えてまともに撮影失敗してます・・・・。 自分が高山右近に興味を持ったのは、中学生の頃。 キリシタン大名として、バテレン追放令によって(あくまで信仰を捨てる事を拒んで)領地を失い、最終的にフィリピンへ国外退去させられ、彼の地で生涯を閉じるという数奇な運命を辿った人物です。 |
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こちらは、高槻城跡公園に程近い、高槻カトリック教会の庭先に建てられた右近の像。 右近は戦国武将として、あるいは利休七哲の一人に数えられる茶人としてもひとかどの人物だったのですが、地位も名誉も栄達も捨て、あくまでその信仰と信念を貫いた生き方には心を打たれるものがあります。 こういった、己の信念に殉じる「伯夷・叔斉的な生き方」というのは、そうありたいと願う人は多い半面、実際に自分がその立場に置かれると決して容易に真似できるものではないですよね。 ・・・もっとも、当時主として九州のキリシタン大名領内で公然と行われてたポルトガル商人による日本人奴隷取引や、公式には奴隷貿易に反対しつつも一部微妙な関係にあったイエズス会の問題等、秀吉・家康の禁教令については様々な側面があるのですが、その話は本筋から外れるのでここでは触れないでおきます。 |
駐車場から写した一枚で、城跡公園の傍らにある大阪府立槻の木高校の校舎が写っています。 この方角に、かつて高槻城の本丸があったとの事。 |
この地に駐屯した、工兵第4連隊の赤色の営門と衛所が残っています。 工兵第4連隊(工兵第4大隊改変)は、第4師団(大阪)の麾下部隊として、西南の役〜日露戦争へ出征した由緒ある部隊です。 |
城跡公園のすぐ近くにある、野見神社。 平安時代に建てられた神社で、主祭神は須佐之男命と野見宿禰命とのこと。 物事に陰と陽があるのは世の常な訳で、領内に善政を敷いて領民から慕われた右近ですが、この神社は彼の命令によって破壊されてしまいます。 元和偃武の後に再建され、その後は藩主永井家の庇護下で厚く信仰されました。 |
野見神社の境内には永井神社があります。 高槻は京〜大坂の結節点である山崎に程近い交通の要衝であり、高槻藩主は(内藤家〜土岐家〜と変転の後に)譜代大名である永井氏が充てられ、幕末まで存続します。 永井神社は、寛政5年(1793年)に9代目藩主直進が、藩祖である永井日向守直清を祀って建立したもので、こちらが直清の遺愛碑。 |
城跡公園〜野見神社と散策した後、こちらも目と鼻の先にある「高槻市立しろあと歴史館」へ。 こちらは、館内に展示されていた高槻城の再現模型。 写真では分かりずらいのですが、かなり精密に作り込まれており、在りし日の高槻城の広大さが巧く再現されています。 展示内容がしっかりしており、それでいて入館料無料という、非常に良心的な博物館でした。 |
という訳で、時間の都合で見れなかった今城塚古墳は心残りなれども、今度高槻へ来る際には必ず立ち寄ろうと”I shall return”を誓いつつ帰路に着いたのでした。