映画の感想 戦争作品編
日本編)


永遠の0
(2013日本、山崎貴監督)

百田尚樹氏の同名小説の映画化作品。
小説の方は過去に読んでいて、設定が『壬生義士伝』の換骨奪胎という指摘も多かったけど(主人公の「宮部久蔵」というのも、池田屋事件で自刃した肥後藩士・宮部鼎蔵のもじり?)、なかなか面白く読んだので映画の方も楽しみだった。

ストーリーの方は、原作を端折りながら上手くまとめたという感じで、無難に仕上がっていると思う。BGM効果でいかにも「泣け!」という演出はちょっとあざとい気もしないではないけど、まあそれはそれとして。
自分が最も印象に残ったのは特撮CG場面。
はっきり言ってこれは全く期待していなかったのだけど、邦画でよくあるいかにも「CGで作りました」という感じのチャチなものとは違って、かなり作り込まれていたので意外だった。
影浦機との模擬空戦で、宮部機が左捻り込みを駆使して背後を取る場面――自分は原作小説で一番気に入っている箇所だけど、このシーンもちゃんと再現されていている。
その辺りは流石『ALWAYS 三丁目の夕日』の山崎監督といったところか。

少し気になったのが、「普段の宮部は空戦中に戦闘へ参加せず、上空退避してい た」という描写が散見された事。原作で伝聞ではなく「事実」としてそんな描写はあったかな?
そもそも、当時の零戦は1小隊3機編成が基本なのだから、小隊長の宮部が列機を無視して自分だけ退避するなどという事はあり得ないはず。

あと、強いて言うなら原作でも最大の謎であった、「なぜあれだけ生還を第一に考えていた宮部が最終的に特攻へ志願したのか」という箇所をもう少し掘り下げて欲しかった気がする。(平成25年12月31日鑑賞)

「聯合艦隊司令長官 山本五十六 ―太平洋戦争70年目の真実―
(2011日本、成島出監督)


管理人が通勤途中車内でいつも聴いている浜村淳のラジオ番組で「いい映画だった。特に阿部寛さんの演じる本田多聞提督が良かった(註・正しくは山口多聞)と浜村氏が何度か言っていたのを聞いた事もあって、遅ればせながらDVDレンタルで視聴したのであるが。

「70年目の真実」と銘打ってはいるけれど、内容的には従来主に海軍関係者や海軍出身作家達によって語られてきた「山本五十六像」をそのままなぞっただけで、特に真新しい物はなかった。
強 いて挙げるとすれば、新聞記者を副主人公として登場させ当時のマスコミの実態を描いている事位であろうか。開戦前は散々戦争を煽りたてながら、終戦後には 一転「これからは民主主義だ」と連呼する香川照之の演じる上司の姿は、時流に乗って無責任な事を言いたてる「昔陸軍、今総評」の日本のマスコミの醜さを体 現している。

特撮場面はCGは平凡であるが、これは元々期待していなかったから良いとして・・・。
山本と妻子との交流を描き、愛人の存在を無視するのはまあ許せる範囲だとしても、肝心の戦争描写はかなり酷く、特にミッドウェーの敗戦を「永野軍令部総長に入れ知恵された南雲の兵装転換」に矮小化している箇所は開いた口が塞がらなかった。
兵装転換云々はあくまで瑣末な問題であって、本質的な問題である「アリューシャン方面への戦力分派」「機動部隊を先行させて危険に晒し、本隊が後から付いて行った」事等は明らかに山本の作戦ミスであるのに。

生出寿氏の著作に『凡将・山本五十六』というのがあるが、この映画も言うなれば「凡作」であったというのが偽らざる感想である(平成25年6月30日)


「太平洋の奇跡―フォックスと呼ばれた男―
(2011日本、平山秀幸監督)


1944 年、太平洋戦争末期のサイパン島。圧倒的な戦力を誇るアメリカ軍に対し、日本軍守備隊は最後の突撃を敢行し、玉砕する。しかしその日から、アメリカ軍の恐 怖の日々が始まった。残存兵力を組織した大場栄大尉による抵抗が開始されたのだ。大場は47人の兵士たちと共に、512日もの間敵に立ち向かい、多くの民 間人を守っていく。


サイパン戦に従軍した米軍人によって書かれたノンフィクションを原作とした実話。興業的に成功し、世評も高かった作品である。
自分は原作は未読で、大場栄大尉の存在についてもこの映画を見るまでは知らなかったのであるが、その上で思うところを書いてみたい。

まずこの作品、キャッチコピーが大げさである。
大場大尉の率いる部隊は、「サイパンの要害タッポーチョ山に籠って終戦まで持久した」のであって(勿論それは並大抵な事ではないのだが)、「狐のような狡猾さでサイパン全島の米軍を翻弄して恐怖に陥れた」訳では決してない。

ストーリーは、日本に留学経験のある米軍大尉を一方の主役とし、「人種や敵味方を超えた相互理解」とでもいうべきものをテーマにしている。
構成としては巧く纏まっていて話も綺麗なのであるが、自分に言わせるとあまりにも「綺麗すぎて」リアリティが欠落している。

例 えば、このサイパン戦を始めとする太平洋の島嶼戦において日本軍将兵の戦死率はいずれも100%に近い。これは戦陣訓や軍部の宣伝(降伏すると虐殺される 云々)の影響もあったにせよ、主な原因は米軍が「捕虜を取らない」「投降した者を虐殺する」「敵の重傷者を救護せずに放置・殺害する」等、日本人に対する 徹底的な殺戮を行った為である(*)。
要は、米軍は自らの行為によって日本軍部が宣伝した通りの残虐性を証明し、それが軍民日本人の自決に結びついたのだ。

翻っ て、この映画の中の米軍は、民間人には決して手を掛けず、民間人捕虜収容所の中では米軍看護婦が日本人の赤ん坊をあやし、米軍大尉は日本人捕虜に対しどこ までも紳士的に振る舞う。対する大場大尉と彼の部隊は、皆血色も良くて健康そうで、死と隣り合わせの陰惨さは皆無。まるでサバイバル合宿でもやっているか のようだ。

そんな訳だから、「歩兵の本領」を歌いながら整然と行進して米軍に投降するラストシーンは、本来なら感動の名場面のはずが、自分には完全に浮き上がって見えて仕方がなかった(平成24年8月31日)

* これらの事実の一端については、例えばチャールズ・リンドバーグの従軍記の具体的な記述がよく知られている(『孤高の鷲―リンドバーグ第二次大戦参戦記(上・下)』と改題されて学研M文庫より2002年再販)。


「零戦燃ゆ」
(1984日本、舛田利雄監督)


東宝映画の隠れた名作。
同じく名作として知られる柳田邦男の同名ノンフィクションを原作とし、日本海軍が世界に誇った”零戦”こと零式艦上戦闘機の栄光と悲劇を描いた作品である。

主演は堤大二郎で、特技監督は川北紘一。
主人公・浜田は実在のエース・杉田庄一上飛曹をモデルとしているのだが、ストーリーは完全オリジナルで、早見優をヒロインに据えた日本人好みの奥ゆかしくも切ないものとなっている。
特に、石原裕次郎の主題歌が流れる中でのラストシーンは素晴らしく、管理人は小学生の頃TV放送で見て以来、脳裏に焼き付いているのであった。

ミ ニチュアを使った特撮空戦シーンも川北氏が手掛けただけあって手抜かりなく、開戦初頭の台南空によるフィリピン攻撃から終盤の対B29戦(自分はこの場面 が一番気に入っている)まで、P40、スピットファイア、F4U、P38、F6Fなど、零戦の好敵手達が登場して盛り上げてくれる。
序盤でB17が零戦の一番の難敵であったと描写される場面などは、原作と史実に忠実で高評価。

ただ、あえて無いのもねだりをするなら、左捻り込み〜サッチ・ウィーブといった空戦場面のメカニカルな描写をもう少し入れて欲しかった気がしないでもない。せっかくの「零戦映画」なのだから。(平成24年8月15日〜67回目の終戦記念日に)


「出口のない海」
(2006日本、佐々部清監督)


大東亜戦争末期の人間魚雷・回天と、その搭乗員たちを描いた作品。
自分はかつて仕事の関係で山口県に5年間在住していたのであるが、その間「行こうと思いつつも結局機会を得ずに行けなかった場所」がいくつかあり、その筆頭が徳山市(現・周南市)の大津島にある回天記念館であった。

回天の訓練基地は大津島の他、光・平生と山口県内に多数が設けられ、本作でも光基地が舞台となっている。
ロケも福岡〜山口で行われたそうで、主人公が東京駅で汽車の窓越しに家族・恋人と別れる場面は、小郡駅(現・新山口駅)にて夜を徹して撮影されたらしい (確かにあの駅の在来線側ホームは実にレトロな趣きがあり、SLも走っていて雰囲気的にはぴったりである)。

主人公は甲子園の優勝投手で、明大在学中に予備士官となって回天搭乗員となるという設定。
演じるのは市川海老蔵。私生活では色々と問題の多い人であるが、作中では「真面目な青年」を演じている。
主人公たちの回天を搭載した潜水艦の艦内シーンから始まり、学徒出陣〜訓練時代と遡って、過去と現在を交差させて描く手法は退屈を感じさせず、なかなか上手いと思った。

特撮場面は全くと言って良い程無いし、そういうものは期待するだけ無駄。
一方で肝心の人間ドラマとしては・・・果たしてどうなんだろうか。
例えば、主人公が1度目の出撃(発射)に失敗し、光基地へ戻った際に部下とキャッチボールをしながら「ドイツも降伏したし、もうすぐ戦争は終わる」といっ た厭戦的な台詞を連発する場面はどうも違和感を感じてしまう(8月15日のポツダム宣言受諾というのは様々な要因が重なった末の結果であって、本土決戦が 叫ばれていたこの当時は民族滅亡の瀬戸際だったのだ)。
また、「戦争が終わるのは俺が死んだ後だ」、(では何の為に少尉は死ぬのですか、と問われ)「俺は、この回天という人間を使った兵器が存在した事を後世に伝える為に死んでいくんだ」と答える主人公・・・???
そりゃ、予備士官なのだから多少リベラルな部分はあったのかもしれないが、これはあまりにも現代の価値観に染まった作家なり脚本家なりが考えたリアリティの欠如した台詞なのではないか。
「じゃあ、そもそもなんで回天搭乗員に志願したの?」という根本的な疑問すら感じてしまう。

結末については、おそらく回天の発案者である黒木博司大尉の殉職事故を題材としたのだろう。
作者(元の原作は横山秀夫氏)は、軍事的ヒロイズムの安易な肯定には与しないという事なのだろうが、これはこれでありだと思う。
あえて書いておくなら、史実の黒木大尉は海底に擱坐した回天の内部に閉じ込められ、酸欠状態が続く中で、事故状況の詳細な報告と今後の改善点について冷徹 かつ詳細に記した後、辞世の句とともに天皇陛下万歳と記して殉職したのであった(佐久間艇長を彷彿とさせるその最期は他の隊員達に感銘を与え、大いに士気 を高めたと言われている)。
本作の主人公のように、恋人に「一年が過ぎたら僕のことを忘れて、新しい人と別の幸せを見つけて欲しい」などと歯の浮くような言葉を書き残す事はなかった。(平成24年2月10日)


「ムルデカ 17805
(2001日本、藤由紀夫監督)


杉良太郎の息子の山田純大を主役に据え、終戦後インドネシア独立戦争に参加した日本兵達を描いた映画。
公開当時、「侵略戦争美化」だと一部で批判されていたのであるが、自分の目には全然そんな風には見えなかったな。

例 えば、軍政の手法(温情主義か強圧主義か)を巡る現地軍と大本営との対立や、軍政方式の変転によって大戦途中からインドネシア国旗の掲揚が禁止されるよう になった事実も描かれているし、支配者気取りで現地人に暴力を振るう日本軍将校も登場するし、その辺りの描写はむしろフェアだと感じた。

言うなればこの作品は、「陸軍中央と対立しつつインドネシア義勇軍を編成・訓練し、戦後独立戦争に参加した日本軍人達」の物語であって、別に当時の日本国家・軍の行為を正当化しているわけではないのである。

ただ、内容的には演出・脚本共に平凡だなあ、というのが正直な感想。
例えば、「インドネシアが300年間オランダの植民地支配に苦しんでいた」というのはストーリーの根底となる部分だけに、言葉で説明するだけではなくてそ れを象徴するような場面を挿入する必要があると思うし、津川雅彦の演じる今村均中将は一体何のために出てきたのかよくわからないし、肝心の独立戦争の場面 も、主人公の部隊だけがひたすら戦っているという感じで、インドネシアの国民全体が独立戦争を戦っている実状が伝わってこない(せめてスカルノとハッタく らいは登場させるべきだったのでは?)。
せっかく魅力的な題材をテーマに選び、役者陣の熱演も光っているだけに、ちょっとこれは勿体ないな、と感じた。

・・・と文句ばかり書いたのだが、唯一、ラストシーンは実に素晴らしい。
現在の独立記念日におけるインドネシア国軍のパレードの映像の中に、PETA(日本軍政下で結成された郷土防衛義勇軍)の進軍する映像がオーバーラップす る場面は、バックに流れるインドネシア国歌(これがまた名曲なのである)と相まってなかなか感動的なものがあった。
インドネシア国歌、これをご覧の皆さんも機会があれば是非日本語訳付で聴いてみて欲しい。


激動の昭和史 沖縄決戦」
(1971日本、岡本喜八監督)


沖縄返還の前年に製作された、岡本喜八監督の作品。
小林桂樹・丹波哲郎・仲代達矢がそれぞれ牛島満(32軍司令官)・長勇(同参謀長)・八原博通(同高級参謀)を演じており、いずれもハマり役である。

沖 縄戦の前段階から始まり、島田新知事の沖縄赴任、第9師団の台湾転出(+姫路第84師団の増援中止)、米軍上陸、2度に渡る無意味な総反撃、首里撤退、 32軍司令部の消滅まで、文字通り沖縄戦の主要な出来事を全て描いた作品となっており、TVドラマ等でよく放送されている時代考証など存在しないに等しい 沖縄戦ものとは明らかに一線を画した内容である。

渡 嘉敷島の集団自決、賀谷支隊の遅滞防御、「大和」の沖縄特攻出撃、義烈空挺隊、総攻撃を唱える長参謀長とあくまで戦略持久を貫こうとする八原高級参謀の対 立、5月2日の総攻撃における伊東大隊の奮戦、小禄半島の大田実少将と海軍根拠地隊などなど、沖縄戦を巡る様々なシチュエーションが広く浅くながら詰め込 まれている。
が、何分低予算映画なので、派手な戦闘シーンは期待するだけ無駄というのが悲しいところ。米軍を散々悩ませた第62師団の反斜面陣地の防戦も、嘉数での対 戦車戦も、シュガーローフでの激戦も、そんなものは全く出てこない(一応、『独立愚連隊』風の戦闘シーンは時折挿入されてはいるが)。
その割に九八式臼砲が一場面だけ登場する(長参謀長が「お化け臼砲」と呼ぶ)等、何か変な所にマニアックなこだわりを感じさせる(こ の砲は、「臼砲」とは称しているものの砲身が存在せず、発射座から有翼弾丸を発射するという帝国陸軍のオリジナル兵器であった。同砲を24門・720発装 備した独立臼砲第1連隊は、満ソ国境より沖縄に転用された第5砲兵団麾下の精鋭部隊であり、首里撤退後32軍が最終防衛線とした与座岳〜八重瀬岳の戦闘に おける6月16日の連隊壊滅まで米軍を大いに苦しめた)。

どうでもいいことだが、慶良間諸島に配置された陸軍の四式肉薄攻撃艇(通称”マルレ”)はこの作品のナレーションで語られているような「体当たりを目的とした自爆兵器」ではなく、爆雷を投下後離脱する事を想定した通常兵器である(実際には低速故に攻撃後の戦場離脱は困難で、特攻戦術によって運用された事も多かったらしいが)。


「亡国のイージス」
(2005日本、阪本順治監督)

福井晴敏氏の原作小説を映画化したもの。
ヨンファ役の中井貴一の「よく見ろ日本人、これが戦争だ」というCMが、当時よく流れていたのをご記憶の方もいらっしゃるのではないかと思う。自分も小説版は面白く読んだのでこれは結構期待していた。

仙石役に真田広之、主人公というべき如月行役には聞いたことのない無名の若手俳優。
自分に言わせると、はっきり言ってこの二人は完全にミスキャスト。真田広之はどう見ても「叩き上げのベテラン下士官」には見えず、如月行役の俳優は単なる「普通の青年」で、原作のミステリアスで虚無的な雰囲気が全く無い。う〜ん、これは駄目でしょう。

アクションシーンなどはまあそれなりの出来ではあるのだが、やはり低予算邦画の悲しい宿命なのか、派手な爆発シーンなどはなく、全体的にかなり地味(特に、画面端に小さな火球が上がるだけのハープーンによる僚艦撃沈のシーンは寂しすぎ・・・)。

なお、「この作者、実は軍事音痴なのでは?」と一部で問題となった原作の「F15による対艦攻撃シーン」はF2に変更されている。
ちなみに、自分の周囲の評判として、原作未読の人には話の繋がりが分かりづらかったらしい。
いかにも映像指向の内容だと誰もが思ったものの、実はそうではなかった??


「ローレライ」
(2005日本、樋口真嗣監督)


上の「亡国のイージス」と同じ福井晴敏氏の小説『終戦のローレライ』を、平成ガメラの樋口監督が映画化したもの。
日本では珍しい潜水艦映画。
小説版からは多少変更されている箇所があり、例えば、ローレライ・システムは最初から伊507に搭載されているし、パウラの兄フリッツは登場しない。

・・・ しかし、福井氏の作品というのはどうも軍事マニアの間からはあまり評判がよろしくないみたいだけど、この映画にも米軍駆逐艦が魚雷で潜行中の伊507を攻 撃するシーンとか、「??」な箇所がいくつかあった。また、投下直後の原爆を日本の軍人達が「新型爆弾」ではなく、堂々と「原子爆弾」と呼んでいるのもお かしな話だ。

特撮場面はCGで構成されており、BGMやカメラワーク等は凝っていてそれなりに盛り上げてくれるのだが・・・・・ま、CG自体は贔屓目に見て「ファイナルファンタジー」並といったところだろうか。その辺はいかにも邦画特有の貧乏臭さ全開という感じであった。


「戦国自衛隊 1549」
(2005日本、手塚昌明監督)


「ローレライ」「亡国のイージス」に続く、福井晴敏小説の映画版(自分はこれの小説は未読)。
元々の原作である半村良『戦国自衛隊』は自分も中学時代に面白く読んだことがあるし、角川の映画版も原作とは少々ストーリーが異なっているものの、それなりに面白く観れた記憶がある。

で、 そのリメイクであるこの作品なのだが、やはり角川映画制作らしく、なかなか金が掛かっていることが見て取れ、特撮場面は福井晴敏3作品のなかでもっとも見 ごたえがあった。CGと実写の組み合わせも違和感なく収まっているし、さながら富士総火演の如くAH−1や90式戦車などがこれでもかというくらい出てく るのも良い。
とはいえ、半村版原作の川中島合戦のような大規模な合戦シーンはなく、これはちょっと残念。

ストーリーの根幹になっているのは「歴史の復元力」というやつで、この辺は半村版原作のテイストを上手く取り込んでいて、自分は割と気に入っている。
実はあんまり期待せずに鑑賞した作品だったが、その分だけ(?)まあまあ楽しめたといったところかな。あんまり大風呂敷を広げすぎずにコンパクトにまとめたところが良かったのではないかと思う。
というわけで、自分は、2005年公開の福井晴敏原作3作品の中ではこれが一番面白かった。


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