映画の感想
怪作・珍作・謎の映画
「赤軍-P.F.L.P
世界戦争宣言」
(1971日本、若松孝二・足立正生監督)
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若松孝二監督と、後に日本赤軍へ合流して国際指名手配・逮捕された足立正生監督が、レバノンで
PFLP(パレスチナ解放人民戦線ー共産主義思想を信条とするPLO内の急進組織)のゲリラ及び当時協力関係にあった日本赤軍メンバーへのインタビューを
行ったプロパガンダ映画(劇場未公開作品)。
この作品が作られたのは1971年。
PLOがいわゆる「黒い9月(ブラックセプテンバー)事件」によりヨルダンを追われ、レバノンに拠点を移したのがちょうどこの前年の事で、また翌年には日
本赤軍の名を(色んな意味で)世界中に知らしめたテルアビブのロッド空港乱射事件が起こる。 |
そういう激動の時代に撮られた作品なのだが・・・・見ているうちにちょっと違和感が。
レバノン(解説文によるとベイルートらしい)のPFLP訓練キャンプにて、共同生活を送り、AKやRPG-7を携帯して訓練するパレスチナゲリラの姿が映
し出されるのであるが、その様子はどことなく牧歌的で、例えて言うなら「村落の自警団」のような印象を受ける。
その映像をバックにして、パレスチナゲリラや日本赤軍の重信房子のインタビューが流れる。こちらは昔懐かしのマルクス主義のアジビラをそのまま音声化したような内容で、「世界同時革命」「帝国主義打倒」等々と勇ましく語っているのだが、
上記の「どことなくのどかな訓練キャンプの風景」とはミスマッチしており、彼ら彼女らの観念的な言葉だけが独り歩きしているように感じてしまう。
日本赤軍の末路やパレスチナ解放運動のその後を知る者が見ると、この作品はもはや「過去の歴史の1コマ」でしかない。
(パレスチナ解放運動の武装闘争路線は、イスラエル軍及び諜報機関の執拗な攻撃と多方面からの非難を受け失敗。80年代の民衆蜂起(インティファーダ)に
よって、世論はパレスチナに同情的となり、イスラエルは散々非難を受けて、やがてその流れがオスロ合意-パレスチナ暫定自治へと繋がっていく)。
また、国を追われたパレスチナゲリラがイスラエルに対し武装闘争を行うのは理解できるが、直接の利害関係が全くない日本赤軍がそれに参加するというのは、
どれだけ御立派な御題目を並べ立てたところで、結局は「自己陶酔の革命ごっこ」としか思えない(実際、重信房子も逮捕後のインタビューで「当時は自分達の
行動に酔いしれていて、それが周囲に迷惑を掛けているという事に気付かなかった」という意味の事を述べている)。
こういう旧世紀の遺物のような作品がDVD化されるのはある意味凄い事だと思うが、果たして需要があったのかどうか人ごとながら心配してしまった(発売元はCCRE株式会社という所で、ネットで検索してみるとこの会社は平成22年に倒産したらしい)。
「靖国 YASUKUNI」
(2007日中合作、李纓監督)
少し前に、上映中止騒動で揉めたドキュメンタリータッチの作品。
感想・・・う〜ん、自分には正直、それ程反日的な色彩が濃いようには見えなかった。
終戦記念日の靖国神社での騒動や軍服姿で参拝する人達を淡々と(けど実際には面白可笑しく)撮影し、それと並行して靖国神社で鋳造される日本刀の刀鍛冶へ
のインタビュー(この場面は監督が中国人ということもあって言葉のキャッチボールがぎこちなく、見ていて退屈)が行われる。
問題視されたのはおそらくラストシーンだろう。
ここで、日本刀での中国人捕虜処刑場面の写真(何度も指摘されている捏造疑惑の濃い写真)と、軍服姿の昭和天皇の映像が(何の脈絡もなく)交互に登場するのである。
要は、「現在の靖国神社は軍国主義へのノスタルジーに満ちている」ということと、日本刀=旧日本軍の殺戮行為の象徴ということを伝えたかったのだろうか?
でもその割には作品全体があまりにも淡々としすぎていて視聴者にメッセージ性が伝わってこないし、ラストのそのシーンはあまりにも唐突で前後の繋がりがなく、完全に浮き上がっている。
靖
国の宮司を相手に「合祀反対」を声高に叫ぶ台湾人活動家とその支援者の日本人達が映し出される場面や、「小泉首相靖国参拝反対」を叫んで慰霊集会から摘ま
みだされてパトカーに連行されていく青年が登場する場面では、むしろ彼ら彼女らのファナティックな印象ばかりが見ている側に伝わってしまうのではなかろう
か?
そもそも何が言いたいのかよく分からない映画だし(ドキュメンタリーの作りという点では例えばNHKスペシャルな
どの方が数段上だろう)、こんなものにいちいち目くじらを立てなくてもいいのではないか、と感じた(もっとも、この映画が独立行政法人・日本芸術文化振興
会から750万円の助成金を受けて製作されたのは由々しき問題だと思うが)。
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