本の感想 人文書・ノンフィクション編
零式艦上戦闘機
清水 政彦著・新潮選書
2009年8月25日初版 定価1.500円+税
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20mm機銃の弾道は曲がっていたか?最初は無敵だったのか?防御軽視は本当か?撃墜王の腕前は重
要か?最期は特攻機用だったのか?初期の栄光から激闘の珊瑚海・ミッドウェイ海戦、南太平洋の消耗戦をへて、マリアナ・レイテ、本土防空戦までの推移を追
いながら、飛行性能だけでなく編隊・戦術などの用兵面を検証し、全く新しい零戦像を提示する (背表紙より)。
巷で色々と評判のようなので、遅ればせながら自分も読んでみた。
著者の清水氏は昭和54年生まれで、職業はなんと弁護士。
おそらく日曜研究家のような事をされているのではないかと推測するが、専門外であるはずの航空力学を踏まえた零戦のハードウェア解説に2章を割いているところなどは、「熱心に調べているなぁ」と感心させられる。
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紹
介文にもある通り、「20o機銃の弾道が曲がっていたというのは目の錯覚から来る誤解」「防御軽視というのはあたらない」「”格闘戦に秀でていた”訳では
必ずしもなく、ロール機動は鈍く、初動が遅れる弱点を持っていた」等々、従来の本にはなかった斬新な零戦論は実に興味深く読めた。
第4章以降の戦史分析に関しても、勝敗を分けたのは性能ではなく運用であった、と述べており、開戦初頭の活躍は米軍機を性能面で圧倒し
ていた訳ではなく「攻勢の優位」によるところが大きかったこと、一方でF6Fに代表される大戦後半の2.000馬力級の米軍機に対しても、優位な高度差等
の運用面のアドバンテージがあれば互角以上の結果を残していることなどが語られている。
勿論、自分はこれらを全て鵜呑みにする訳ではないのだが、問題提起という点では面白いと思う。徒に奇をてらっているわけでもなく、作者の文章には一定の説得力はある。
強いて言えば、詳細な註釈を文中に付けて欲しかったところであるが・・・(平成28年3月9日読了)。
昭和天皇
「理性の君主」の孤独
古川 隆久著・中公新書2105
2011年4月25日初版 定価1.000円+税
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新時代の風を一身に浴び、民主的な立憲君主になろうとした昭和天皇。しかし、時代はそれを許さなかった―。本書は今まであまりふれられることのなかった青
年期に至るまでの教育課程に注目し、政治的にどのような思想信念をもっていたかを実証的に探る。そしてそれは実際の天皇としての振る舞いや政治的判断にい
かなる影響を与えたか、戦争責任についてどう考えていたか、さらに近代国家の君主のあり方をも考察する(紹介文より)。
通
常の新書の倍近い厚さ(400頁以上)という、相当ボリュームのある本である。従来の昭和天皇論といえば、大抵は左右どちらかの立場から書かれた昭和天皇
を称賛・批判するものが大半であったが、本書はそういったイデオロギー色を完全に排し、昭和天皇の青年期〜戦後に至るまで冷徹な視点でその生涯を追ってい
る。 |
巻末には索引や昭和天皇についての研究史一覧も付記されており、コンパクトな学術書と言っても過言のない大著である。
昭和天皇が協調外交を志向した開明君主であった事は、余程捻くれた左翼学者以外は誰もが認める事実だろう。――ではなぜ戦争を止める事が出来なかったのか、という問題に帰結する訳なのだが。
著者はこれについて、「立憲君主であるから政治について深く関与しなかった(できなかった)」という従来の擁護論から離れつつも、満州事変以後の時代の流
れの中で昭和天皇の協調路線は軍部、政治家、さらには国民感情からも浮いた存在となり、戦争に至る流れに抗いつつも最終的には認めざるを得なかった、と述
べる。
副題の「「理性の君主」の孤独」とは上記のコンテクストで名付けられたものである。
従来の戦争責任はあった・なかったの立場から書かれた昭和天皇論ではなく、昭和天皇の苦悩や行動を史料に基づいてありのままに追ったという意味では、本書のアプローチはなかなか斬新であった。
もっとも、個々の部分に関しては踏み込み不足だな、と感じる点も散見される。
例えば、参謀本部が希求した昭和12年の対中和平工作(トラウトマン工作)の上奏を昭和天皇が拒否し、和平の機会を逃したのを、「近衛首相への厚い信任に
よって結果的にその好機を逃してしまった」の一言で片づけてしまうのはどうかと思うし、また昭和16年8月の対日石油全面禁輸から開戦に至るまでの個所に
ついても――ここが本書のクライマックスであるにも関わらず――開戦直前の外交交渉(ハル・ノートやルーズベルトの昭和天皇宛親電)について触れられてい
ない点などは不十分なのではなかろうか。(平成25年9月7日読了)
イラン革命防衛隊
宮田
律著・武田ランダムハウスジャパン
2011年6月13日初版 定価1.900円+税
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革命後のイランには、国軍とは別に「革命防衛隊」なる巨大組織が存在しており、その活発な対外活動などは海外ニュースでよく取り上げられている。保守強硬派として知られる現在のアフマディネジャド大統領も革命防衛隊の出身である。
本書はその実体について書かれたノンフィクションで、著者の宮田氏は静岡県立大学国際関係学部准教授。
「国軍とは別組織の軍」というと、フセイン政権下の隣国イラクの共和国防衛隊や、ナチス・ドイツの武装親衛隊などが連想されるのだが、革命防衛隊は自前の企業を保有して人脈を利用した経済活動を行う等、イラン社会に深く根付いているといった事実は読んでいて驚かされる。 |
特に、親米国であるUAEのドバイ首長国と経済的に深く結びついているというのは意外であった。
どちらかというと戦時の非常事態下でなし崩し的に肥大化していった前述の共和国防衛隊や武装親衛隊と比べ、(平時下のイラン社会の中において)いっそう堅固で多様性を持った組織と言えるのかもしれない。
また、革命防衛隊のいわば”本業”ともいえる反政府活動に対する弾圧や、対外工作を担当する「アル・クッズ部隊」によるレバノン・パレスチナ自治区・イラ
ク・アフガニスタン等での活動についても扱われているのだが、特にこれらの箇所については「〜といわれている」式のソースが不明確な推論的な記述となるの
は致し方のないところか。
いずれにせよ、翻訳ではなく日本人専門家によって書かれたという点でも貴重な一冊だと思う。(平成24年11月27日読了)
坂の上の雲
5つの疑問
ゲームジャーナル編集部・並木書房
2011年12月1日初版 定価1.900円+税
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管理人が定期購読しているシミュレーションゲーム雑誌『ゲームジャーナル』誌の編集部の手になる日露戦争論。
標題にある「5つの疑問」というのは、
@ 旅順要塞戦(第三軍司令部無能論について)
A 日本海海戦(勝因は丁字戦法だったか)
B 秋山兄弟伝(秋山騎兵旅団の活躍について)
C 児玉源太郎(児玉は天才作戦家だったか)
D 奉天大会戦(中央突破だったか)
となっており、執筆者はいずれも30代〜40代の若手の研究者やライターなのであるが、特に戦史研究家の長南政義氏は新史料(第三軍司令部要員の日記)を含めた一次史料に直接あたっており(巻末には膨大な脚注が添えられている)、その精緻な論考は実に読み応えがあった。
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管理人は、司馬作品の大多数は高校生の頃に通学電車の中で夢中になって読んだのであるが、『坂の上の雲』は、『関ヶ原』『翔ぶが如く』『燃えよ剣』などと共に面白さのランクでいうと最上位の作品だった。
『竜馬がゆく』と並ぶ司馬の代表作として世評も高く、司馬作品が好きな人とこの作品について話す機会を得ることも少なくない。
その度に感じるのは、この作品(及び東映映画『203高地』)が世に広めた、乃木+伊地知の第三軍司令部無能論を未だ無批判に信じている人の多い事だ。
要は、「第三軍司令部が何度失敗しても東北正面への正面攻撃を繰り返して死屍累々を築き、そこへやってきた児玉が指揮権を委譲させ、28センチ砲の支援の
元で主攻正面を203高地に転換させると、あっという間に旅順要塞が陥落した」という、漫画的・講談的なストーリーなのだが、勿論史実はそんな単純な物で
はない。
他の章もそれぞれ興味深いのであるが、この本は『坂の上の雲』やいわゆる司馬史観への批判本ではなく、同著が提示した論点について、純軍事的な観点から再検証するという意図で書かれたものである。
なので、例えば戦後のアカデミズムが延々と繰り広げてきた「日露戦争は侵略戦争だったか自衛戦争だったか」などといった不毛な政治的論議の類は一切出てこない。
「ミネルヴァの梟は夕暮れに飛び立つ」というのは、史学でよく引用されるヘーゲルの言葉であるが、100年以上経った今、ようやく本書を始めとして日露戦争を純粋な歴史的興味の対象として語る事ができるようになったのだな、と思うと感慨深いものがあった。(平成24年4月15日読了)
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旅順攻略戦と、ある意味「歴史好きの定説」と化しつつある”第3軍司令部無能説”の問題点に関しては、同じ並木書房から出版されたこの本もお勧めである。 別宮暖朗『「坂の上の雲」では分からない旅順攻防戦』(並木書房)
(2004年3月10日第1刷、定価1.800円+税)
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関ヶ原合戦
家康の戦略と幕藩体制
笠谷
和比古著・講談社学術文庫1858
2008年1月10日初版 定価900円+税
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秀
吉没後、混沌とする天下掌握への道筋。豊臣政権内部で胚胎した諸問題はやがて家康と三成の二大勢力形成へと収斂してゆく。東西に分かれた両軍が衝突する慶
長五年九月一五日。戦いはどのように展開したのか。関ヶ原に未だ到着しない徳川主力の秀忠軍、小早川秀秋の反忠行動、外様大名の奮戦、島津隊の不思議な戦
いなど、天下分け目の合戦を詳述(紹介文より)。 講談社選書メチエより1994年に刊行された物を、講談社学術文庫として再刊した物。
著者の笠谷氏は歴史学者で、国際日本文化研究センター教授。
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本書の独自の視点として特徴的なのは、
「関ヶ原の合戦は(当日の合戦)、秀忠率いる中山道の徳川本隊の遅参により、徳川隊は東軍主力とはなりえず、主力となったのは東軍の豊臣恩顧の大名達であった」
「よって、戦後処理の際、没収された西軍大名の石高632万石のうち、520万石が豊臣系大名に加増として宛がわれている(*)」
この2点を主たる論拠として、著者が展開するのが、
「関ヶ原合戦後に家康が覇権を確立し、豊臣氏が摂河泉65万石の一大名に転落したとの俗説は誤りであり、実際には家康が幕府を開いた後も、徳川・豊臣の二重公儀体制が存続していた(幕府開設後にも諸大名が豊臣秀頼に対し伺候の礼を取り続けていた事が史料に読み取れる)」
という説である。
著者はさらに、慶長8年の千姫入嫁は、徳川将軍家と豊臣関白家の融合一体化による、公儀の頂点形成を構想していたのではないか、と述べ、また慶長16年の
二条城の会見は、従来の説のように秀頼が家康に臣従を強いられたという性格のものではなく、あくまでも両者の融和と友好の確認であったと述べている(「家康は確かにこの時点では、徳川―豊臣の一体的友好を永続しうるという確信を強くしたことであろう」――本書P229)。
ではその3年後の大坂の陣は何故起こったのか?という素朴な疑問を誰しも抱く訳だが、著者はこれについて「政治構造の観点からした場合は、二重公儀体制の
構造的な対立の問題であると理解できるが、人間的な観点からしたとき、家康の豹変はまったく理解不能であると言わねばならない」と述べてい
る。・・・???? 自分にはこの部分が全く腑に落ちず、せっかくの精緻な論証が詰めを失敗しているように見えて真に残念に思えたのであった。
もっとも、著者の指摘するように「この時期の家康の対豊臣政策の態度を子細に検討してみる場合は、一般に言われるような豊臣家に対する抑圧と滅亡を画策するがごとき動きはこれを認めることができない」というのは一理ある。
抑圧はともかくとして、豊臣家の滅亡を企図する動きは確かに二条城の会見以前は認められず、自分も、「何故関ヶ原の戦いの後14年間も、豊臣家をそのまま
にしておいたのか。もし滅亡に追い込むのならもっと早くにすべきであったし、十分にできたのではなかったか」と常々疑問に思っていた。
この点に関しては、著者が述べるように「二条城の会見は成功裏に終わり、その後家康の心中が豹変した」と解釈するよりは、従来の通説通り「二条城の会見を契機として」家康が豊臣家滅亡を目論んだと解釈するのが妥当であると自分には思えるのだが・・・(平成23年11月4日読了)。
* とは言え、例えば黒田長政や藤堂高虎などはこの時点で完全に豊臣氏を見限っていたわけで、「豊臣系」の中に含めるのが妥当かどうかの疑問は残るが・・・。
近現代日本を史料で読む
「大久保利通日記」から「富田メモ」まで
御厨 貴編著・中公新書2107
2011年4月25日初版 定価880円+税
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歴
史は史料に基づき描かれる―。「昭和天皇独白録」や「富田メモ」をはじめ、新たな史料の発掘は、歴史的事実の変更や確定をもたらす。なかでも「原敬日記」
「高松宮日記」「真崎甚三郎日記」「佐藤榮作日記」など政治家、皇族、軍人が残した日記は貴重な史料であり、ここから歴史が創られてきた。本書は、明治維
新期から現代に至る第一級の史料四十数点を取り上げ、紹介・解説し、その意義を説く。日本近現代史の入門書(紹介文より)。 著編者の御厨貴氏は、東京大学先端科学研究センター教授。
稿ごとの解説文は、御厨氏の他に歴史学会の研究者がそれぞれ執筆する構成となっている。
なお、「史料で読む」と題されているが、これはいささか羊頭狗肉というべきで、扱われている史料の大半は「個人の日記」である。
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か
つて話題となった寺崎英成『昭和天皇独白録』、そして昭和天皇が靖国神社へのA級戦犯合祀に不快感を示されたとされる「富田メモ」を始め、史料的価値のあ
る日記やメモ類について、その書かれた動機や「公開を前提に書かれたものであるか否か」等の観点から史料批判を行いつつ紹介されている。
昭和天皇は、昭和50年を最後に靖国神社へは参拝されることはなかった。
「富田メモ」(故・富田朝彦宮内庁長官の日記と手帳)には、昭和53年のA級戦犯合祀(特に昭和天皇が露骨に嫌っておられた松岡洋右について)、昭和天皇が不快感を示され、それ以来参拝していない、とはっきり語られた事が記されている。
もっとも、この「富田メモ」については信頼性を疑問視する向きもあり、また日本経済新聞がこれを大々的に「スクープ」したのは、折しも平成18年7月、小
泉首相靖国神社参拝を巡って国論が割れていた時期であり、その政治的意図には疑問を感じないこともないが。
他
にも、自分も初めて目にするような日記のいくつか紹介されていてなかなか興味深いのであるが、問題はそれらの原本や刊行された日記が国会図書館保存、もし
くは一般刊行された物についても既に絶版となっている物が非常に多く、実際に読もうとしても研究者以外には困難な事であろう。
その点については、将来的に史料の電子データ化が進んでいけば、誰もが目にする事が可能になり、また保管場所の問題も同時に解決できるのでは、と期待した
い。無駄遣いの縮減が叫ばれる昨今であるが、こういう文化事業は国家が責任を持って取り組むべきではなかろうか(平成23年9月6日読了)。
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