− 魅惑のタビROOM −

卒業旅行懐古主義的旅行記

さて、この度の海外旅行、7年越しの新婚(?)旅行となったわけですが、家内にとっては生まれて初めての、僕にとっては卒業旅行以来9年ぶりの海外ということで行き先には随分悩みましたが、あれこれと検討している時間的余裕も無かったので「卒業旅行のやりなおし」コースで行くことに決定しました。

9年前は親友2人と計3人での野郎旅行。成田空港発−ロサンゼルス空港着−ロス(3泊)−ラスベガス(2泊)−ロス(1泊)−ハワイ(4泊)の10泊12日で、航空券とホテルの予約だけを旅行代理店に依頼して、あとは全て僕達3人で勝手気ままに放浪する自由度この上ない旅でした。ロスではメトロバス(ガイドブック等には危険なので利用しない方がいいと書いている)をフルに活用しましたし、ダウンタウンのヤバそうなところも「わぁーヤベー」なんて言いながら平気で闊歩しました。

今でも笑い話になっているのがユニヴァーサルスタジオへ行くのにハリウッドから徒歩で行こうとした事。その時はイラストチックな略地図しか持っていなくて、それで見る限り歩いてじゅうぶん行ける距離のように思えたんです。さらに地元の人に「どのくらい距離があるの?」と尋ねると「a few mile」との返答。日本の英語教育を8年間受けた僕達が弾き出した和訳は「2〜3マイル」。それなら歩いて行こう!!ということになったのです。無謀でした…。1時間ほど歩いては地元の人に残りの距離を尋ねたのですが、どこでも返ってくるのは「a few mile」。どうやら「a few」=「2〜3」という翻訳は間違いだったようです。終いには道がわからずフリーウェイの路肩も歩くという暴挙に出る始末。テクテクと3〜4時間ぐらい歩いた所でようやく正気に返り「これって…なんかヤバイんじゃない?」という意見で3人とも一致。徒歩を断念してメトロバスに乗車しました。その15分後には到着しましたが、スタジオはもう閉園4時間前。トラムバスでの観覧と3つのアトラクション見物で終わりでした。帰路は全行程メトロバスでしたが、2月ということもあり、乗り換えのバス停に降り立った時はもう真っ暗…しかも周りに明かりの灯ったお店の一軒すら無い。いやぁ〜無知とは恐ろしいもので、今思い返すと結構危険なことを平気でやってましたねぇ。

そしてラスベガス!!当時のラスベガスは、誰の記憶にもある、いわゆる「ギャンブルの街」で、近年のような大エンターテイメント街としての姿は微塵もなかったので、あくまでグランドキャニオン観光の足がかりの為だけの2泊でした。ホテルに常設の窓口で予約を入れ、翌朝5時起床。バスでシーニック観光へ。パンフレットで見たものよりズット簡素な作りの建物と古びたセスナが目に入ったときには「や・ら・れ・た」と思いましたが、僕たち3人だけに現地ガイド(60歳ぐらいの白髪アメリカン)が付きっきりで案内してくれたのは非常に嬉しかったです。そんなこんなでアメリカ人でも憧れるというグランドキャニオンを大いに満喫。そしてアメリカ本土で疲れ切った身体と心を癒すための最後の目的地・ハワイへと向かいます。ハワイを嫌う人が言うように確かに日本人は多過ぎですが「世界のリゾート」と言われるだけのことはある素晴らしい所でした。ここでは基本的に3人別行動だったのですが、僕はといえば、どこへ行くでもなく、買い物をするでもなく、朝10時頃起きて、軽くブランチをとり、ビーチでぼーっと2時間ほど過ごしたあとカラカウア通りのファーストフードで夕食。友人たちと合流して隣接するホテルの中庭で夜毎催されるポリネシアンショーを眺めながらジュースを飲み、部屋で小一時間ほど談笑してから就寝。こんな「ほわほわぁ〜」っとした4日間がたまらなく気持ちよくて最高に幸せで…「ハワイは休むところ」と強烈に印象づけられたものです。

この9年前の卒業旅行をもう少し安全に、そしてもう少し奥深く、ついでに思い出の場所を写真&ビデオに収めたい…というのが今回の新婚旅行の主旨となり、同時にこれは家内にとっても十分満足のできる旅程であると確信した結果、組んだ日程は、関西空港発−サンフランシスコ空港着−ラスベガス(2泊)−ロス(3泊)−ハワイ(6泊)の11泊13日。前回は航空券やホテルの手配を近畿日本ツーリストで依頼したのですが、連絡不行き届きなどのミスがいくつもあったので、今回はさきのフランス・ワールドカップのゴタゴタ時の対応が最も良心的だと報道されていた天下のJTBに依頼(最近不正広告で摘発されていましたが…)。ところがJTBの場合根本的に「完全フリープラン」というような物がなく、どうしても既に企画されたツアーのいずれかを選択して日割り変更や延泊などで自分なりの旅のスタイルに近づけていくというシステム。ですから行くつもりもないサンフランシスコに寄港しなければならなかったりラスベガスとロスの行程が9年前と逆にならざるを得なかったりするんですねぇ。

サンフランシスコは単なる乗継ぎ空港だったのですが、3時間待ちの予定がノースウエスト航空のストライキのせいで各社の国内線が乱れに乱れ、なんと6時間強も出発ロビーで過ごすことに!!おかげでラスベガスの宿泊ホテル・MGMグランドにチェックインできたのは夜の8時。その上、今年に入ってからというもの西海岸は異常気象つづきだということで、その時も雷鳴と砂嵐が激しく、それはそれは酷い天候でした。初日に話題のホテル群の半分は制覇しようと企てていただけに大ショック。結局、時間も条件も最悪のその夜は、ラスベガスヒルトンホテルでその年の夏から開催され始めたばかりの「STAR TREK EXPERIENCE」というスタートレックファンには涙モノのアトラクション(コレ、ほんとに良かったです)だけ行ってホテルに帰着。23時過ぎでした。まぁ、翌日のオプショナルツアーが終わった後で少しは回れるか…という希望をつないで就寝。

ラスベガスで入れたオプショナルツアーというのは勿論グランドキャニオン。9年前と全く同じでは芸が無いので今回は「もうひとつのグランドキャニオン」というテーマのマニアックなコースを選択しました。出発は朝の6時。JTBが用意したリムジンでの移動です。僕たちが宿泊していたホテルから、その「もうひとつのグランドキャニオン」に参加したのは僕たちの他に女の子2人組を加えた計4名。それぞれ千葉と旭川に住む“元・同僚”だそうで、職業不明(のちに判明)の年齢不詳(聞きにくい)。とにかく元気で若く見えるんだけどハキハキしていて礼儀正しく、今時の若者とは明らかに違う雰囲気を持った子たちだったので会話も進みすぐに打ち解けられました。着いたところはナントッ!!シーニック観光!!そうです。奇しくも9年前と同じ観光会社だったのです(別にそれしかないというわけではありません)。しかーし!その建物は見事おしゃれかつ超豪華に改築されており、待合室などは「公民館の玄関」レベルから「一流ホテルのロビー」クラスに変わったぐらいの変貌ぶり。全く9年前の面影は微塵も無くなってしまっていました。ある意味感動。

その後、各ホテルから集まったマニアックな日本人旅行者たちも加わって合計8名に。そして最後に英国からの団体旅行者15人が合流して約25人乗りのプロペラ機に搭乗。グランドキャニオン国立公園までの約1時間の飛行。ガタガタと激しく縦揺れする機体と時折入ってくる強烈なガソリン臭(コレはちょっと怖かったゾ!)が家内には堪えたようで到着した時にはもう飛行機酔い(むしろニオイ酔い)でヘロヘロになっていました。それでも最悪の事態“リバース”をせずに済んだのはひとえに、その日の朝食がホテルの売店で買ったピスタチオとエビアンだけだったからに違いありません(笑)。その後すぐバスに乗り継ぎ、ネイティヴ・アメリカン料理を食べさせてくれる大きなテントのある施設まで30分ほど走ってブランチ。メニューは煮豆、蒸したポテト、ゆでたコーン、ローストチキン等々…。見た目はコッテリしているのですが味は意外にもサッパリしていて食べやすかったです。そして1時間弱の休憩の後にまたバスに乗り、再び飛行場へ。いよいよメインイベントであるヘリコプター遊覧です!6人乗りのスタイリッシュなヘリに4人ずつ搭乗した僕達は、離陸直後いきなり谷底に向けてまっ逆さまに急降下!その後もグランドキャニオン観賞ビデオに出てきそうな絶景の場所をグイングインと滑空。いやもう最高の気分でした。約5分の飛行で谷底の休憩所に到着しましたが終始ギャーギャー叫んでいたので今度は家内も酔う暇すら無かったようです。コロラド川の支流を流れる水の音しか聞こえない谷底の岩だらけの河原で現地の人が用意してくれたペプシを飲みながらしばし歓談。ここで仲良くなったのが名古屋から来た男性2人組。コンピュータエンジニアをしていて今回が初めての海外旅行とのこと。とはいうものの旅程のほとんどをラスベガスとグランドキャニオンに費やしており、前日にもブラックキャニオンの川下りに参加したという好き者…もとい、強者。結局、同行した8人みんな似たり寄ったりの嗜好性、価値観を持っていた為にすっかり仲良くなって互いに住所を教えあったり記念撮影したりしました。全行程を終えてホテルに着いたのが午後3時。グランドキャニオンでは元気復活していた家内でしたが帰りのセスナ機で再び酔い倒してしまい完全にグロッキー。明日のロスに向けての出発時刻が朝5時(信じられない…)という事もあり、結局MGMグランドアドベンチャーもニューヨーク・ニューヨークもミラージュの火山噴火もルクソールのピラミッドも見に行くことなく、ラスベガス最後の夜はおとなしく眠りにつきました(泣)。

ロスに着くと現地係員が出迎えてくれ、その場で初めて出会った4組8名の男女と共に「ツアー込み」の強制市内観光へ。これはコースにフィックスされているイベントで変更のしようがないのですが、サンタモニカからビバリーヒルズ、メルローズ通りやハリウッド、ダウンタウンを経てリトル東京、ドジャースタジアム…と、なかなか気合いの入った王道コースだったので家内は勿論、僕も大満足でした。ただ朝8時からの観光だった為に、当然の事ながら殆どのショップはまだ閉まっており、出来たのは文字どおり本当に純粋な「観光」だけ。ショッピング目的の無い僕たち夫婦にとっては別にどうってことなかったのですがアツアツの新婚旅行組には可哀想なツアーでした。この時の8名ともコミュニケーションをはかるべく努力してみましたが、年齢差も明白(僕たちが明らかに年配)でしたし、若者たちには2人の世界に浸りたい的な空気が充満していたので思うように会話が弾まず、残念ながら仲良く…とまではなれませんでした。世代もそうですが、やっぱり「価値観が近しい」ということは重要であることが再確認できました。結局午後1時まで連れ回されてホテル(リーガル・ビルトモア)にチェックインできたのは14時でした。

ロスで入れたオプションは9年前の苦い思い出、ユニヴァーサルスタジオ。でも今度はJTBオリジナルの「VIPツアー」というのを選択したのでシャトルバスでの送迎は勿論のこと、スタジオ内のアトラクションでも一般のお客さんが列を作る通常口の脇にある「VIP専用入口」から入れて特等席で見られるという超特権付き。ガイド付きのトラムバスツアーと4大アトラクション「BACK TO THE FUTURE」&「バックドラフト」&「ET」&「ジュラシックパーク」は難なくこなし、VIPツアー後のフリータイムは自分たちで「ウォーターワールド」ショーや「ウエスタン」ショーを見て廻っても時間は十分にありました。ここでナント!2日前にラスベガスで別れた女の子2人組と奇跡の再会!!「ジュラシックパーク」の滝に打たれてビショ濡れになった髪や衣服を日光で乾かしながらベンチでポップコーンを頬張っていた時のこと、前方約50mの所で、やはりビショ濡れになった彼女たち2人が互いに写真を撮りっこしているところを家内が発見。なんという奇遇。500kmごしの再会を祝って一緒に昼食をとりました。話の流れで自然に分かったのが彼女たちの職業でした。なんと看護婦さん!!やはり…。どおりでハキハキしていると思った。

実は2日前、ラスベガスで初めて彼女たちと話した直後に、家内は僕に「看護婦さんかもね」と耳打ちしていたのです。いやはや…女の勘は恐ろしい(^-^;)。

彼女たちは1年に1度まとめて9日間取れる休日を毎回海外旅行にあてているとのことで、今年はたまたま西海岸だったということ、去年はカナダ・ナイアガラの滝なんかを観光して感動したということなどを話してくれました。な、なんて羨ましい話なんだ…。正直なところ、数十年後に隠居するまで僕たちの次の海外旅行は無いと確信しているだけに感嘆の溜息ばかり出る話でした。彼女たちはその後アナハイムのホテルに移動してディズニーワールドに入り浸るとのことで、そこでサヨナラしました。

午後6時頃にホテルへ到着した僕達夫婦はJTBの現地係員のお姉さんから教えてもらった「比較的手頃な値段で美味しいシーフード料理が食べられる」という、ホテルから徒歩5分の所にある「SEAFOOD GRIL」という名のお店に入りました。

ト・ン・デ・モ・ナ・イ!!

とんだガセネタでした。いや、単にJTBのお姉さんとの金銭感覚の差か…。コンクリート打ちっぱなしの壁に囲まれた薄暗い階段を地下に降りるとそこは間接照明だけの怪しげなホール。でも既に50名程のお客さんで超満員(人気はあるみたいだ…)。客層は仕事帰りのOLや子供の誕生日にファミリーディナーという様相のテーブルもあり、フォーマル・ウェアもチラホラと見えます。日本人は勿論、有色人種の姿が一切無い…。待合室で10分ほど待たされている間に何度も「帰ろう」と思いましたが、家内の「シーフードが食べたい」という切なる希望を叶える為に、そして「これだけ流行っているんだからキット美味いに違いない!」という気持ちが相俟って、極限の緊張状態を耐え忍びました。ようやくテーブルにつき、手渡されたメニューを開くと$10級のドリンクに$20級の単品料理、$30級のコースがズラーリと並んでおり、ここで初めて「やられた」と思いました。なんたって紅茶を飲みたくて「2カップオブホッティプリーズ」と言ったら、お盆にのった20種類ぐらいの茶葉を持ってきて「どれにする?」なんて尋ねてくるんですから…。普段、リプトンのティーバッグや名糖のレモンティーしか飲んでいない人間に何てこと訊くんだ!!(泣笑)結局訳が解らないまま「ディスワン」と言って咄嗟に指差した茶葉は、僕たちの目の前で茶濾し器(?)によってドリップされ、なんとも表現し難い怪しげな香りを放つハーブティーとなってカップに注がれました。英国人がお茶にうるさいのは知っていましたがアメリカ人が普通に立ち寄るレストランでこれ程までお茶にこだわるなんて…。まぁ、料理の味は確かに美味しかったのですが、結局2人で$65にもなってしまい、Tip込みで$75…。衣食住より趣味を優先してきた僕たち夫婦にとって1万円超の食事なんて初めてでした。翌日からは徒歩10分の所にあるファーストフード店でテイクアウト三昧になったのは言うまでもありません。

ロス3日目は1日フリー。9年前に野郎どもと宿泊したビバリーヒルズのソフィテルホテル、毎日朝食代わりに激甘クッキーを買って食べたビバリーセンター、食料の買い出しに行ったスーパーマーケット「ラッキー」などを映像におさめる為に朝からビバリーヒルズへと向かいました。当時22才の僕たち野郎3人が3日間を過ごしたホテル「ソフィテル」は何一つ変わることなく懐かしい雰囲気をたずさえていました。道路を挟んで真向かいに建っているビバリーセンターは、今や米TVドラマ「ビバリーヒルズ高校生白書」&「ビバリーヒルズ青春白書」で知名度が上がった為か、ツアーバスが停まるようにまでなっていました。スーパーマーケット「ラッキー」はそこから数キロ離れたところにあって、当時はメトロバスを乗り継いで行ったのですが、9年前以上にある種の迫力を増したメトロバスに乗る勇気は持ち合わせておらず、選択肢は「徒歩」か「やめる」か(笑)。ところが家内が突然「リンゴを丸かじりしたい」などとほざき始め、結局歩いて「ラッキー」まで向かうことに。3kmちょっと歩くと9年前当時も目印にしていたCBS-TVの社屋が見えてきます。その隣の隣がスーパー「ラッキー」だったはず…。

あ、あったぁぁぁ!!

ちょうど真向かいに大型市場(FARMER'S MARKETという果物露天商の集合体。観光名所にもなっているようで外国人観光客でごったがえしていた)が出来ていた、という変化はあったものの「ラッキー」自体は殆ど9年前のままだったので、駐車場から店内にかけてぐるりを見回しているうちに記憶も鮮明に蘇ってきました。結局「ラッキー」ではリンゴ2つと翌日の朝食分としてパンとミネラルウォーターを購入。そこから3rd streetを2kmほど歩いて、日本の食品メーカー「ハウス食品」が経営しているレストラン「カレーハウス」にて昼食。オーソドックスな日本的カレーベースに絶妙なスパイス群がふんだんに使われているようで、「ジャワカレー」や「バーモンドカレー」や「ククレカレー」よりもズットズット美味しかったです。ハウス食品自社小売用製品への早期反映を求む。この日のロスは日中35度以上もあった上に雨上がりで異様に蒸し暑く、もう汗でビショビショ。僕も家内も常にミネラルウォーターのボトルを手に持ってグビグビと飲みながら歩いていたので脱水症状にはなりませんでしたが、その日1日ですっかり日焼けしてしまったほどの酷暑でした。昼食を終えた後、宿泊先であるリーガルビルトモアまでは遠かったのでビバリーセンターへ戻ってワーナーブラザーズストアーで一番安そうなシャツを購入し、トイレで即着替え。飲食物以外の買い物らしい買い物は渡米してこれが初めてでした。ホテルに着いたのが15時。道中、危ないところも歩いたので心身ともに疲れはしましたが、ロスでの3日間の中で最も「アメリカにいるんだ!」という感覚を味わえた1日になったので本土での最後の日としては上出来だったように思います。

翌日は朝9時と遅めの集合。9年前なら移動日も自力で空港に向かうしかなかったのが、今回はJTBの用意したバスがダウンタウンの各ホテルを巡回して、「ラスベガスへ行く人」「ハワイへ行く人」「東海岸へ行く人」「日本へ帰る人」をガッツリ乗っけてロサンゼルス空港まで送ってくれるので精神的にスゴク楽でした。約4時間の飛行の後、ホノルルに到着。いやぁー変わりました!!ハワイは9年前と明らかに変わっていたのです。

●9年前、食費節減に大いに役立った「カルビ丼」屋さんが消滅していた。安いし、何より美味しかったからまた食べようと思っていたのにスゴク残念。
●シーズンの関係もあるかもしれないけれど、日本人が激増していた。特に驚いたのが高校生ぐらいの女の子の多さ…時代も変わりました。
●カラカウア通りにキャッチセールスやビラ配り(いずれも片言の日本語を話す)が激増していた。9年前なら夕方近くに歩いているとススッと忍び寄ってきて「マリファナいらない?」と聞かれる程度だったのに、今じゃ20mおきにポルノビデオや怪しいお店のビラを配る人間のいる現状にはゲンナリ。

以上が主だったものです。前回は4日間ボォーっとするだけで十分幸せだったので、今回は6日間ともボォーっとしようと思っていたのですが(笑)、グランドキャニオンで知り合った友人たちの「旅行に賭ける意気込み」に触発され、加えてオアフのショッキングな現状を目の当たりにして「他島にも行ってみよう!」ということに。結局ハワイで入れたオプションは2つ。2日目の「カウアイ島1日観光」と、4日目の「-LEGENDS- in HAWAI」という8年ほど前まではラスベガスでショーを催していたアメリカの有名アーティストそっくりさん集団によるディナーショーです。

初日はホテル(シェラトン・ワイキキ)の構造や周辺の地理を十分に把握したあと、夕食用食料をABCストア(コンビニみたいなところです)で調達してくるだけで終了。翌日のツアー、カウアイ島は自然の名所が実に多く、ミニ・グランドキャニオンと呼ばれるワイメア渓谷の壮大で美しい光景や、ハワイ王朝が栄えていた頃に王族が結婚式を挙げたという「シダの洞窟」の他に、世界一年間降水量が多い山や潮吹岩、見渡す限りのコーヒー農園などなど、見るもの全てが新鮮かつワイルドで、オアフ島で感じられるものとは異質のなんともいえない充足感を得ることが出来ました。ただ1つ難を言うならばシダの洞窟に行き着くまでの熱帯雨林地帯は立ち止まるや否や瞬く間に数十匹のやぶ蚊の餌食になるという恐ろしい場所。無類の蚊嫌いで通っている僕にとっては地獄のエリアでした。オアフ島に戻ったのが18時頃。ホテルには19時に帰着しました。

翌日はいよいよ海水浴!!ABCストアでビーチタオルとビーチサンダル、そして浮き輪(サーフボード状に膨らむタイプ)を調達して備えました。ハワイに来て3日目にしてようやく海に入れるとあって家内はウキウキ気分。僕たちは2人ともうまく焼けずに真っ赤になってしまうタイプの皮膚の持ち主なので、念入りにサンオイルを塗っていざ!ワイキキビーチへ!!思い返せば9年前…僕たち男3人は隣の「ワイキキ・パークホテル」に宿泊しており、ビーチサイドにそびえるシェラトンワイキキをいつも羨望の眼差しで眺め、ビーチに向かう時には必ずこのシェラトンのロビーを通り抜けて行ったものです。夜毎、ジュースを飲みながらポリネシアンショーを見たというのもこのシェラトンの中庭でのこと。9年後の今、あの時3人が憧れていた「あのシェラトン」に泊まっているんだなぁ…なんて、つい感慨深くなってしまいました。ワイキキの浜辺は、僕の知っているどこの海よりも遠浅で、波打ち際から100mぐらい沖に向かって行っても膝ぐらいまでしか水に浸からないところもある程で、サーファー達は200mほど沖にしかいないし、海水浴客は安心して広々と楽しめるというのが特徴です。日本の海水浴場なんてチョット名の知れた海なら確実に砂浜・海共に飽和状態になるのがあたりまえなのに、これが世界のリゾート「ハワイ」と言われる所以なのかもしれませんね。途中、スコールがあったりして急激な寒さに襲われたりしましたが、太陽が雲の合間から顔を出す度にジリジリとした熱射線が肌を射し、なんとも不思議な心地よさに包まれました。泳いだり浮かんだり浮き輪で漂ったり寝転がったりして2時間余りを過ごした後ホテルに戻ってシャワーを浴び、塩と油を落としてから昼食に出かける…。けだるくもハワイを満喫した気持ちになる瞬間です。でも、こういうのが結局日程の3日目と5日目の2回だけしか味わえませんでした。

4日目は、夕方からロイヤル・ハワイアン・ショッピングセンター最上階で「-LEGENDS- in HAWAI」。有名アーティストそっくりさんは20人ほど居るのですが、約2時間の公演を毎日2回もしているのでシフト分けされているらしく、僕たちが観に行った時に誰のそっくりさんが現れるのかは実際に観てみるまでは解りません。結局、僕たちが豪華な食事の後に見ることの出来たそっくりさんはセリーヌ・ディオン、ロイ・オービソン、マリリン・モンロー、マイケル・ジャクソン、エルビス・プレスリーの5人。見られなかった人の中にはマドンナやバディー・ホリー、プリンスにティナ・ターナーといった是非一度はお目にかかりたい人も沢山いたんですが見られた5人でも十分完成度の高いショーでした。何が一番驚いたって、顔そっくりさんなのに声もそっくりさんなところでしょう。口パクは一切無しで熱唱し、パフォーマンスし倒してくれます。特に「病的な」マイケルは1人で5曲ほど連続で激しく踊りながら歌い続けて汗だく。そのうち倒れるんじゃないか、って心配してしまうほどの迫力がありました。が!やはり上には上がいるもので「二枚目過ぎる」プレスリーは10曲以上30分にわたって熱唱。僕たちのテーブルがステージのすぐ傍だったこともあって、公演中、家内はプレスリーと握手をし、僕はステージから降りてきたマリリンに話しかけられ、マイクを突き付けられて国と名前まで言わされるハメに…年甲斐もなく無茶苦茶テレました。想像していた以上の大エンターテイメントに感動し、充実の4日目を終えました。

2つのオプションを終えて、旅も残すところあと2日。これが人生最後の海外旅行になるかも…と考えると、この2日間も当初の予定だった「ボォ〜っとすること」なんて出来るはずもなく、ホノルル動物園やダイアモンドヘッドのクレーター内、アロハタワーのビデオ屋さん(自分は見ていないのですが話題の映画「タイタニック」のビデオが、日本より数ヶ月先行してリリースされていたので親友2人へのお土産にと購入しました)などを比較的のんびりと周って楽しみました。中でも特に印象深かったのがホノルル動物園。環境が良くて、随所に木陰のベンチが用意されており、動物たちを何種類か観てはそこに座ってミネラルウォーターを飲む…すると湿度が低い分スゴク涼しく感じられて、日本の夏の日陰なんかとは比べものにならないほど快適なんです。そんな具合に4時間近くも園内をウロウロしていました。動物園は今までも大阪・天王寺動物園、東京・上野動物園、東京・多摩動物園、福岡・ 福岡動物園、京都・岡崎動物園などなど国内でもそこそこ行きましたが4時間も居て疲れず飽きもこなかったのはホノルル動物園が初めてでした。圧巻は1m級に成長を遂げたアルダブラゾウガメが5頭ほど2500平方メートル位の敷地で放し飼いにされていたリクガメ舎。隣の敷地には甲長20cmほどのベビー個体も数頭見え隠れしていましたからキット繁殖に成功したんでしょう。年中温暖で敷地も広く極めて自然に近い、あるいはそれ以上の管理状態のもとで育てられているホノルル動物園のゾウガメたちは幸せモノなのかもしれません。

ハワイ6日目の夜。とうとう明日は帰国する日。約10日前、旅立つ前の為替レート$1=¥142だったのが$1=¥132にまで下がっており「これじゃ$のうちに何か使わないと勿体無いじゃないか」という考えに行き着き(笑)、この道中、出来る限り食費にはお金をかけないようにしてきた僕達だったので(ロスでの失敗もありましたから倹約してました)最後の夜ぐらいゴージャスに行こう!!というノリになり、シェラトン・ワイキキ内に店舗を構える本格イタリア料理店「Chao!」へと出かけることに。目指すはやっぱりシーフード!特にロブスターを丸々食べるのが希望でした。ロビー内とはいえ、ロビーとは一線を隔して極端に日本人人口が少ない店内で食べた料理は、ロブスターは勿論のこと、スープといい、サラダといい、どれも絶品の味で、おまけにウェイターが100万ドルの笑顔を携えたイタリア系美男子!!その物腰の柔らかさ、1つ1つのテーブルに対するケア、何処をとっても全く文句無しのサービスの徹底ぶり。値段はロスの「SEAFOOD GRIL」とほぼ同じぐらいの額になってしまったのですが「高い」なんて微塵も感じませんでした。満足度は何十倍にもなりましたから。チップもはずんで20%を渡し、意気揚々とした気分で部屋に戻りました。

翌日はまたJTBチャーターのシャトルバスで各ホテルを巡りつつホノルル空港へ。相も変わらずノースウェスト航空の社員たちはプラカードを持ってストライキ中…。権利であるのは解るけど客商売の人間が何をやってんだか…自由と責任は背中合わせだろ、と一瞥。全行程ユナイテッド航空を指定していた僕たちは難なく関空行きの便に乗り、日本時間で翌日の19時(日付変更線を通過するので1日損した気分。まぁ初日に1日得してるので実質損得無しというところなんでしょうけれど、今回はサンフランシスコで6時間を無駄に過ごしたのでやっぱり損した気分です)に関西空港へ到着!!

と、ここで、日本の税関を目の前にして、僕には1つだけ心配事がありました。親友2人のお土産として買ってきた「タイタニック」のビデオです。ひょっとしたらポルノビデオだと誤解されてスーツケースを開けるように言われるんじゃないだろうか??って。まぁ別に開けられても問題はないんですが気分は良くないですからね(実はオアフからカウアイに移動した国内線の手荷物チェックで、何を疑われたのか手荷物を片っぱしから開けられる経験をしたためソレが軽いトラウマになっていました)。しかしそんな心配を他所にバッゲージ・クレームの出口にいる係員さんは僕の差し出したパスポートをパラパラめくりながら「おかえりなさい」「どこへ行かれたんですか?」「楽しかったですか?」「お疲れ様でした」と気持ち良く通過させてくれ、最後の最後の締め括りまで快適な旅行として終えることが出来ました。

文中にも何度か書いているように、これほど時間的にも金銭的にも恵まれた状態での海外旅行は恐らくこれが最後。万が一出来ても数十年後になるのは必至です。その記念すべき旅行で200枚を超す写真と4時間半に及ぶビデオ映像を残せた事は大きな収穫であり、それ以上に、幾つもの新たなる発見があり、新たなる感動があり、そして全く新しい友人たちと巡り逢えたというこの奇跡と経験は、今後の僕達の人生において大きな糧となることでしょう。決して大袈裟な言い回しではなく、心の底からそう感じます。

1998年10月18日





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