研ぎ澄まされた感覚


バイクに乗って仲間内ともいろんな楽しい思い出がありみんなで色々していましたが私は今もそうですが当時スピードが好きでした
確かに「誰かに勝つ」と言う明白的な目的もありましたがそれ以前に当時よく飛ばしていました  ある時気が付いたんです なんで自分がやたら飛ばすかって事を・・・ バイクに乗っていて人それぞれの感覚ですが私は「研ぎ澄まされた感覚」に酔っていました どういう意味かというと法定速度内ではなく○○○Kmと速度は決まってませんがその場の状況や様々な事が関係しますが速度を上げれば集中力が増します あたりまえですが危険が速度と比例してあがって行きます それゆえ通常では出ない異常な程の集中力が高まりある意味全神経が研ぎ澄まされます 頭の中は空っぽです しかし単に何も考えないとかではありません 全神経が研ぎ澄まされるんです 言葉ではなんとも説明しにくいですが本当にそうなります 決して日常では使わないある意味「第六感」に近いような感覚です  当時も今も悲しい事にそこまで集中できる事は普通の人には決してなかったと思います  私は高校生と言う特権にもにた「学生ライフ」を正直してこなかったです アメ村に行って遊んだり 合コンしたり とかはしていなかったです 学校に行きまわりの同級生はそのような会話で盛り上がっています、当然のごとく私はその会話についていけません しかし私は当時の普通の高校生が、いや普通に暮らしていたら決して経験できないような事を経験しました 一体普通に生きている人間で何割が「感性が研ぎ澄まされる」と言うある意味オカルト的、神秘的な事を経験できるでしょうか? バイクに乗っていたら経験できる物でもありません バイク乗りでも運転中にいろんな事を考えたりする人がいるらしいですが私はそれがないんです てかある意味できないんでしょうね どっちがいいとか悪いとかは私にはわかりません しかしアクセルを開ければ開ける程頭がさえて冷静になります 全神経がそっちにいくのです 季節も多少関係あります 冬は神経を研ぎ澄ませるには良い季節です、理由は私なりに考えて恐らく「熱膨張」の理屈と思います 熱は加えれば膨張し冷やせば収縮していく物です 神経も同じと思いました 暑ければダレるし寒ければ凍えるのと同じです 真冬の寒い中国道を全開にしていたら非常に神経が研ぎ澄まされます  公道でするすり抜けも同じです 速度と言う問題ではないのですがリスクが非常に付きまとうので集中します しかし仮にバトルになっても頭の中は非常にクールです  師匠は私に昔言いました 「みんなと走っていると俺は無敵になった感じがする」と 「なんでもできる様な気がする」とも言いました しかし私はそれだけはわかりませんでした 仲間内と一緒とか複数台のバイクと一緒だろうが前方に車がいるのにもかかわらず我々は○○○Kmで駆け抜けます 周りはしりませんがすくなくとも私は非常に頭の中はクールです ある意味飛ばせば飛ばすほど冷静になっていくのです しかしそれは決して「冷めた」と言う意味ではありません あくまでも「研ぎ澄まされる」という意味です
今考えたら仲間内のみんなはどうだったんでしょうか? 飛ばしたがりの私を嫌がっていたのかもしれません しかし私はかっこつける為に飛ばしていたのではなく「研ぎ澄まされた感覚」の魔力に魅了されていました    「スピードは麻薬」という言葉を聞いた事があります 子供のころはまったく意味がわかりませんでしたがこの年になって初めて理解しました  しかし時としてバイクとは本来「この世に必要な物ではないのかもしれない」とも思いました、一部の仕事でバイクを使っている人以外は非常に「趣味」と言う意味が強くしかし恐ろしくハイリスクな乗り物と思います 決して自分はやめれませんが第三者に進める事は私はできません  しかしあの感覚を知ってしまったら二度と辞められなくなってしまいました  みなさんこのような経験をしたことはありますか? 



仲間達との旅行


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