「…あれ?」
「コーヒーばっかじゃ飽きんだろ?
胃も悪くするし、紅茶にしてみたんだ」
よいっしょと、年寄りくさいことをいって、目前に座る。
「…カフェイン濃度は、紅茶のほうが高かったような気がするんだけど…」
「いちいち突っかかるなよ…それは…ホレ」
「あ…」
カップにたゆたう色彩は、優しい茶色。
「ミルクティーだとマシだろ? それに、牛乳残ってたし…」
期限ヤバかったからな、と言う言葉に、お気遣いどーもと返せば、別にとそっぽを向く。
元は一護が飲むために買ってきたものだ。残りは…やる、なんていわれたけど。
もちろん、一護の財布からの出費。
なのに、半分しか残っていなかったそれすら、なかなか消化できないでいた。
「冷蔵庫を見ては飲まなきゃって思ってたんだけど…忘れちゃうんだよね…」
「…嘘だろ。オマエ、もしかして、苦手か?」
牛乳。
ズッと一口自分の分を啜って、一護は返す。
「そうじゃないけど…まぁ、好んで飲まないね」
それに、寒くなると身体が冷えるし…と、返せば、女みたいだなとからかわれる。
「って言うか、ガキかな。冷たい牛乳飲んで、お腹痛いって言って、うちに来る子もいるよなぁ…」
そういって、優しく笑う。
「…僕はそんなにやわじゃないよ」
「まぁ、慣れてねーと、そうなりやすいって言うよな」
ホレ、冷めるぞ…と、一護に促され、だから僕は子供じゃない、と雨竜はマグカップに口をつけた。
「…おいしい」
「だろ?」
「珍しい…君、紅茶淹れるの、うまいんだ」
「珍しいは余計だ」
雨竜が感嘆にも似た声をあげると、一護は口を尖らせつつも、得意げに笑った。
ゆっくり味わいながらも、ふと、雨竜は柳眉を上げる。
上げつつも…何かを堪えるように飲み込んで、カップを離す。
「でも、ちょっと茶葉が入ってるから、減点」
「なにぃ? チャイの要領で淹れたから、そりゃちょっとは入ったかもしれねーけど、死にはしねぇだろ?」
「口の中に残ってイガイガするのが嫌なんだ。今度はもう少し丁寧にするんだね」
「ッたく…細けぇ……了解しました」
「チャイの要領で淹れたってことは…鍋は漬けておいてくれたかい?」
「あぁ。あれってなかなかとれねぇんだよな…家でやって、遊子に怒られたことがある」
「ふーん…それはいい傾向だ」
「うるせぇよ」
ついでに持ってきたクッキーを、一護はテーブルに出す。
妹たちが楽しそうに作っていたものからほのかに立ち上る香りは甘く、自然と、微笑んでしまう。
「…お兄ちゃんの顔になってるよ、黒崎」
「へ? いや、別に…」
「そんな顔してると、妹さんたちも嬉しいだろうに」
カップを置いて、珍しく、雨竜はテーブルに頬杖を着く。
その表情は…珍しく、柔らかい。
「…眉間に皺寄せてんなってか?」
「そんなことは言ってないよ」
「へーへー……お、うまいな、これ」
「誰がレシピ教えたと思ってるんだ」
「それを教えてくれと拝み倒させたのは、何処のどいつだ」
一つクッキーを放り込んでから、一護はミルクティーを口にする。
「んー、あんまり甘くしなくて正解だったな」
「そうだね。甘さ加減がいい感じ」
「…どっちが?」
「…とりあえず、両方」
「…そりゃよかった」
「…馬鹿じゃないのか」
「甘いもの苦手な奴にって言ってたからな…俺基準だと、ちょっと甘さが勝つんだよ」
「…妹さんにも言ってるのか、僕のこと」
「言ってんじゃなくて、聞かれんだよ。興味もたれてんだよ、オマエ」
「…大方、君が馬鹿なこと言うからだろ」
「ッたく…黙ってろ」
「うわっ」
一護の無骨な指先が、手にしたクッキーを雨竜の口に放り込んだ。
「………それにしても」
「…ん?」
「…優しい味がするね」
クッキーも紅茶も。
「…そうか?」
ふと、雨竜の視線が翳るのを目の端に捕らえつつも、いつもどおりに一護は返す。
これもまた、今までのことで学習したことだ。
あんまりじっと、それを聞こうと構えると…雨竜は、口を閉ざしてしまう。
だから、聞き流しているぞ…という具合で聞いている姿勢のほうが、こいつにはいいのだと。
真剣に捕らえれば捕らえるほど…引いていく。
だから、少しの距離と、でも、すぐに触れられる位置に、いるようにしようと。
そんなふうに一護は、思っていた。
時に踏み込むこともあるけれど、やっぱり…傷つけたくは、ないから。
“情けねーの”
小さく聞こえないように、溜息をついた。
お茶も終わってまた、読書タイム。
帰りは少し遅くなるから、ご飯は先に食べておいてくれと、伝言はしてある。
行き先は知ってるから…言わずもがな。
なんせ今日は、彼女たちの届け物が、メインだから。
「でも、クッキーはお前のレシピだろ? それを忠実に守って、遊子と夏梨は作ってた。
それだけだぞ」
さらりと、それが普通のように聞こえるように返す。
向こうで本を読む細い身体が、少し揺れた。
「それは…そうだけど」
「あいつらに言ってやってくれ、おいしかったって。喜ぶから」
「…後で電話するよ」
「そうしてくれ」
ぱらりと、また、ページを繰る音。
少しした頃、また、ポツリと…雨竜が口を開いた。
「…ミルクティーも…おいしかったよ」
「…そっか…」
眼は本を見ている。けれど気配はじっと、雨竜を感じている。
「口にしたとき……泣きそうになったよ」
「え……」
身体を起こして、雨竜の前に行きたい気もしたけれど……来るなと言う気配を感じて、情けなくその場にいた。
泣きそうになった…と聞いて、居ても立っても、いられなくなったのに。
「…すごく、すごく…懐かしいものを、思い出したんだ。
もしかしたら…意図して忘れようとしていたのかもしれないし、本当に忘れてたのかもしれないけど」
淡々と聞こえる言葉。
けれど、いつものような聡明さではなく、それは透明な、透明な、言葉では言い難い、染み入るような、声だった。
「…師匠の、淹れてくれたものに。ちょっと……似てた」
ずっと、永遠に雨竜の胸中を占めるであろう、存在。
成り代わりたいような、けれど、成り代わっても、支えられるような存在にはなれないことも承知しているから、とてもそんなことは、言えない。
それは、自分の中にある、母と同じで。
でも、自分は、十分に、支えてもらっている。
けれど、雨竜を、支えるには。
自分はまだまだなのだと、痛感せざるを得ないのだ。
「……そっか」
「……あぁ」
そう呟いた雨竜から、力が抜けるのを感じた。
……それを言うのに、それほどの力が、いったのか。
大切すぎて、見せられないもの。
大事すぎて、見せられないもの。
人から見ればほんの少しのものでも、その人にとっては、基準が違いすぎる。
だから、なんとも、言えない。
受け止めるしか、ない。
「……気を、悪くしたかい?」
少しの沈黙の後、いつもの声色に戻った言葉が、発せられる。
先ほどの、透明な…消え入りそうな色では、なく。
「…なんでだよ。普通は、怒るんじゃねぇ? そっちが」
「え…?」
そういって、正面から見た雨竜の顔は。
涙を伴わない、泣き顔だった。
「…違う、こんなんじゃない、もっともっと、こう…って。
本物求めて、怒んのに」
見てるこっちが、泣きたくなるような、顔。
「…それこそ、愚問だね。自分の味覚は変わっていくのに、思い出の味は変わるなって、我侭だ」
それを求めるほうが、悪いよ…と、笑う。
見えない涙を拭うように、一護は雨竜の頬に手のひらを沿わす。
「…でも、大事なもんだから…しょーがねぇよ…」
「…つくづく、甘いね、君…」
「…お前が甘くねーから、甘くしてやんだよ」
「………甘すぎて、眩暈がするよ」
そう囁いた言葉は、甘く優しく。
口唇は少し、苦く切なかった。
「んじゃ、本読むのも、裁縫すんのも、ほどほどにしろよ」
「…君は何処の親だ」
「お前の甲斐性のない彼氏だ」
「………馬鹿だろ」
玄関先で、悪態を突かれる。
「…そろそろ、時間だよ、黒崎」
「え、おぉっ、んじゃな!」
「…また明日」
「あぁ、明日な」
手を振る。
そして、パタンと、オレンジの影は、前から消えた。
「…ホント、馬鹿だよ」
一言、呟いて。
今、一護が帰りのバスに乗ったことの連絡と礼を返すために、雨竜は電話を手にした。