しとしとと降る雨。
教室から見上げながら、けれど、外に感じる気配。
大きな、小さな、焔。
それはずっと、動かず。
ただ、ただ。
その場所にあった。
It comes Rain
ぶれるような、掴みようのない、大きな気配。
なのに、酷く酷く……痛みを感じさせる。
霊圧に、霊力に、人の感情が映し出されるなんて、初めて知った。
そんな、気配。
あの時はまだ、知る由もなかった。
そんな、雨の日。
灰色の空から零れ落ちてくる水滴は、だんだん勢いを増し徐々に、大きな雫になる。
それはまるで、涙に似た。
違いは、頬を伝う温度くらいか。
雨に打たれる植物たちは、項垂れながらも、なんだか生き生きとしている。
新緑が映え、瑞々しさが増す。
これからまた、新たな恵みを、生み出すのだろう。
雨を見て、感じて。
塞ぐような思いを持つのは、もしかしたら人間だけか。
それとも……流してほしいものでも、あるのか。
ただ雨は平等に、全てを濡らしていく。
何もかも。
降水確率50%と、言われつつもぎりぎりまで持った空は、
支えきれないといったように崩れだし、昼休みが半分過ぎたころには土砂降りになっていた。
「おわー、降ってんなぁー」
「見れば解るよ」
窓を覗いては呟く啓吾に、水色は冷たく返す。
「これじゃぁ帰り、バスに乗るまでに濡れるね、一護。一護?」
「一護?」
そこにはぼんやりと……外を見る姿。
見るからに、心、ここにあらず、である。
「…………」
「…………」
そうなる理由を知るのか、心配するように、たつきと織姫が一護を見つめている。
そして、それを遠巻きに………
「………」
雨竜は、見ていた。
雨特有の湿気に満ちた世界は、何もかもを重くしていくようで。
肌に張り付く風すら、重い。
だいぶ霊力を抑えられるようになったとしても、まだまだ未熟で。
勘のいいものであるなら、気づいてしまいそうな、気配。
何より、短期間であっても『黒崎一護』と言う人間に関わったものならば、きっと、感じてしまいそうなこと。
本人は、いたって無関心なのに、周りが…惹きつけられずにいられない。
意味も解らず。
「………バカじゃないの」
溜息をつき、呟くたつきに、大丈夫だよ、たつきちゃんと、織姫が返すのが聞こえた。
「…………」
幼馴染と聞いた彼女は、いつもの闊達さはなく、眉間を寄せた本人と似たような表情になっている。
そしてそれを心配そうに見つめる織姫。
…大事に思う人がそんな顔をしているのは、さぞ、辛いだろうに。
「………」
そして。
雨の降り始めた辺りから、様子のおかしかった一護を、雨竜は見る。
詳しいことは、知らない。
けれど、母親が虚に殺された、と言うことを合わせてみればおのずと現れる答えに、間違いはないのだろうと感じる。
もしかしたら、それが………
(雨の日、だったんだろうか……)
文庫本を口元に当てて、ふうッと、息をつく。
霊気が濃すぎて、息が詰まりそうだ。
もともと探知には長けているから、大きなチカラを感じることは余計、感覚を塞がれるようで。
それより、なにより。
(………泣きそうだ)
何で僕が。
じわりとこみ上げてきそうなものを、雨竜は何とか堪えたのだった。
朝はまだ、何とか大丈夫だった。
降るのは帰ってからだと変に、思って、傘だって、置いてきた。
もともと、傘なんて持ってなかったし……それに。
傘を持ってきてくれた人は、もう、いないから。
「………」
いい加減、吹っ切れてもよさそうなものの、思い起こされる思い出はまだまだ生々しく、思い出になんてなりそうもない。
だって、俺は。
(………何にも、守れてねぇんだから)
拳を握り締める。
チカラがあるんだから、何でもできると思っていた。
いや、そう思っていたし、感じていたし、実際、力技で越えてきたことなど、山ほどある。
でも、それもこれも……誰かの協力があって。
誰かの導きがあって。
己の力一つで成したことなんて……何にも、ないに等しい。
「…………」
雨は、それを、とても、とても、思い起こさせる。
チカラを持ったとしても、いや、チカラがあるからこその……矛盾に。
あの日の雨は、止められない。
あの日の出来事は、止められない。
知っていて、わかっていて…奥底へやろうとするから、雨が呼び起こさせるのだ。
忘れぬようにと。
絶対、忘れては、いけないと。
(…バックレッかな……)
これ以上いても、精神衛生上と環境上、よくない気がする。
嫌な負の霊気が、自分の中にふつふつと溜まって来ていて、虚化しそうな。
(あー……やべぇ……)
霊圧が変に上がって来たぞ……と、一護が気を逸らそうとしたとき。
スパァァァァァンンッ と、小気味いい音が、教室に響いた。
「……ってぇぇぇ……何しやがんだ、てめぇ!!」
頭を叩かれた挙句、頬杖を付いていた腕を引かれて、顎から落ちて、机でしたたかに打った。
目の前に星が跳びそうなのを何とか振って正気に戻し、一護はドスの聞いた声で、目前の相手に怒鳴った。
「……話がある。顔を貸せ、黒崎一護」
そういって机に突っ伏す形の一護を見下ろすのは……遠く自分の席から様子を伺っていた石田雨竜だった。
「って、話があるって、普通に呼びゃーいーだろーがっ」
「あーそうかい。君の目の前に立って、二三度ほど声を掛けたけれど、君の耳は留守中か、まったく聞こえてなかったようでね。
バカな頭でも叩けば、目を覚ますかなと思ってやったまでのことだよ」
文句あるかい、とブリッジを上げて睨んでくる雨竜に、一護は唖然とした。
「こ、声かけたって、俺……」
「見てたよ、一護。石田君、何度も呼んでたけど、ぜんぜん気づかないんだもん」
いつもなら、バカみたいに石田君のことには聡いくせに…と、余計な一言まで添えて、水色が加勢した。
「あたしも。あんたがぼーーーーーぉっと、バカみたいに呆けてるのを、石田は呼んでたわよ」
水色の意見に賛成するように、たつきが拱手して言葉を返す。
「他に、証言したい人はいる?」
水色の言葉に、意気揚々と手を上げるのは啓吾で、その後ろ、控えめに茶渡と織姫が手を上げた。
「わ、悪い……」
一護の声に、一瞬教室は沈黙を生んだが、結局は喧騒を戻し、当たり前の日常に変わっていった。
「で、とりあえず」
「あぁ?」
「僕についてこい」
そういって、雨竜は一護に背を向けて、歩き出した。
「って、オイ、石田!」
一瞬、出遅れたものの、一護もその背を追って、歩き出した。
「顔を貸せって…石田、一護と喧嘩でもすんのか?」
「まさか。石田君のあんな顔見といて、そんなことは思わないはずだけど?」
「そりゃそうだけど……あいつでも、あんな顔すんだなって、驚いてさ…」
「石田君は優しいよ?」
「井上さん…」
「だから……ああなんだと、思うんだ」
「織姫……」
空っぽの一護の机を囲んだまま、みんなして、しんみりしてしまう。
けれど。
「…でもさ」
「へ…何笑ってんだ、水色」
「一護も石田君も、下手くそだね〜」
「何が?」
啓吾が「ワケ判りません、何なの?」と言う表情を浮かべると、水色は肩をすくめて
「言葉の伝え方とか、態度の示し方とか?」なんて言う。
水色の言葉に同意しつつも、水色が言うあたり、もっと何か別に含みがありそうで怖くておいそれと突っ込めないのであった。
「ちょ、オイ、もうすぐ昼、終わんじゃねーのか?」
さくさく先を歩く雨竜の背に、一護は返す。
先ほどからその背は振り向くことなく、前を見続けていた。
(…サボると、怒るくせによ)
虚の気配に気づいて出て行くときにも苦い顔をして、ふいっとそっぽを向くのに。
(………今日は……)
何にも言わねーんだな。
小さく、一護は溜息をついた。
サボる場所…といっても、外は雨で出られない。
屋上に上がるにも、濡れておしまい。
時々転がり込む被服室も、鍵を貰わないと使えない。
そんな中、雨竜が選んだのは。
「ここなら、大丈夫かな」
比較的奥まった、移動していて使われていない教室だった。
「な、こんなとこ、あんのかよ」
「時々ね。被服室が使えないときは、使わせてもらってる」
「さすが、手芸部部長……」
「御託はいい。入れ」
引き戸の前に止まった一護に、雨竜は中に入れと促す。
からからと軽く開いた音が、雨音と共に響く。
昼休みの喧騒は遠く、静寂が、そこに在った。
「さて、何から吹っかけようか」
引き戸を閉めて、改めて一護を見た雨竜が、宣言するように言った。
「吹っかけるって?」
「言っただろう、顔を貸せと。あれは、喧嘩の上等文句じゃないのかい?」
くすりと口唇を引き上げて笑う雨竜に、一護はカチンと来た。
「あぁ、そうだけどよ。俺、お前に喧嘩売られる覚え、これっぽっちもねぇぞ!?」
別件でもな! とがなるように返せば、そうかい? なんて、逆撫でする声が返ってきた。
「あれだけ嫌になるほど重い霊圧醸しておきながら、喧嘩売られる覚えがないなんて、
どれだけ能天気なんだ、君は」
「醸すって、オイ、なんだよ。俺は、カビか? 菌か?!」
「へー、頭は回るようだね。取りあえず、何かの発生源ではあるね。うっとうしいんだよ!」
ぴしゃりと言われ、一護はプツッとキたが、いつもの言動なので、溜息で流す。
「へーへー、うっとうしいですか。だったら無視して見なきゃいいだろーが!」
ケッと言わんばかりに吐き捨てるも、窓の景色にまた…一護は口を閉じてしまう。
(…また)
そうやって逃げるのか。
口をついて出そうな言葉を、何とか、雨竜は飲み込む。
言いたくないことだとは、感じている。
でも、聞いてみないことには…図りようもないし、知りようもない。
それはきっと、自分の気持ちだけで、相手は違うのかもしれないけれど。
(………違う)
僕が、知りたいだけで。
僕が勝手に、どうにかしたいと、思っただけで。
(これは)
僕の、我侭だ。
外を見る一護を見ながら、雨竜は言い訳をするように胸中に呟いた。
(……あれ?)
いつもなら、ここで「ふーん…」と、とてつもなく低ーい声が返ってくるのに、何も返ってこない。
引き戸を開けて出て行った気配もない。
それに気づいた一護の意識が、雨から離れる。
「石………」
「………無視、するなら、とっくにしている…」
引き絞るような声が、雨音に負けそうなのに、はっきり聞こえる。
「僕一人が感じるだけなら、とっくにそうしていた。けれど、違う。
僕以外にも、茶渡君、井上さん、有沢さん、小島君、浅野君。
彼らが、君のこと、心配して見てたんだ。そんなふうに誰かさんを心配して見てる人を無視して、
一人の世界に引きこもってる君見てたら、喧嘩でも売りたくなるだろう!!」
だんだん感情が高ぶるのが解るが、あくまで声は冷静だ。
そういうところが妙に雨竜らしくて、一護はぼんやり見ていた。
「そんなに鈍感なのか、君は!
いや、鈍感と言うか、無関心と言うか、自分に無関心なのは勝手だからかまわないが、人まで巻き込むな!!」
こんなことが、言いたいわけじゃない、のに。
口から出るのは、要らぬことばかりだ。
「巻き込むって」
「大体そうだ君は! 迷惑を掛けないために何もかも黙って突き放すことを、
それでいいんだ、知らないほうがいいんだって気になって勝手に自己完結して、
勝手に傷ついて、自己憐憫で、うじうじして。ちっとも成長していない!!」
バカのまんまだ……と、息せき切って言う雨竜に、一護は面食らった。
「うじうじして…って、俺が、いつ」
「今の今までだろ!?」
「ちょ、待て、石……」
「あぁ、僕だって無視してやりたかったさ! バカな君に巻き込まれて散々な目にあったんだから。
でも、言いたかないけど、しょうが、ないだろう……」
どうしてそうなるのか、知りたくて。
どうしたら、それを、軽くすることが出来るのか、なんて。
出来もしないことを、したいと、願ってしまう、のに。
「い、し……」
「気になったんだ…だから」
「石田………」
「僕自身はどうでもいいんだ、君のことなんか。大体君の考えは単純すぎて、予測可能だからね。
でも、そんな君を見て、他の人が心を痛めるのを見るのは忍びないんだ」
「!!」
「言わなくても判るなんて、幻想だ。さもなければ単なる甘えだ。
判ってほしいと伝えることもしないのに、判るわけないだろ…」
「………」
雨竜の静かな怒りを帯びた声が、教室に響く。
一護は、ぎゅっと、拳を握る。
「それは……」
「…それに」
一護の声に被せるように、雨竜がまた、口を開く。
「……僕だって、知るわけがない」
「…………」
「聞いたこともないし、知らないんだから」
君がどうしてそうなるのか。
じっと見た雨竜の顔は、泣きそうに、歪んでいた。
まるで…空に向かって弓を引いていた、あのときのように。
「…石…」
「とにかく。僕自身は、君のことなんてどうでもいいんだ。
ただ、他の人が、心配してるから……」
どうなんだと、思っただけで。
続く雨竜の言葉は、一護の胸に消えた。
「…なんて顔、してんだよ…」
「なんて顔? 失礼な話だな。なんて顔、なんてのは、君の顔だよ」
離せよ、と雨竜は、腕を伸ばして一護から離れようとする。
「石田」
「…ッ、こうやって、抱きしめて! 僕がいつでもそれで納得するとでも思うのか、君は!」
「するハズねーだろ、オメーはよ! したら、どんだけ俺だって楽かッ!」
「そーかいそーかい。じゃぁ離したまえ。5限目が始まるから」
「俺だって始まるっつーの! あーもぅー……」
腕の中に雨竜を抱きしめ捕まえたまま、一護は頭を掻く。
「あーもぅって、こっちが言いたいぐらいだ!
いい加減、離せよ! チャイムが鳴る…っ」
別に授業をサボっても、雨竜の頭脳には響かないが、成績と出席日数には響く。
その懸念があるのか、もがくように雨竜は一護の腕の中で暴れる。
「やだね。それに、そっちが売ってきた喧嘩だ。最後まで付き合ってもらうぜ」
「黒崎!!」
雨竜が叫んだその数秒後、攻防も虚しく……遠くでチャイムの音が響いた。
「……最悪だ……」
「大丈夫だろ。あの場には水色もいたし、何とか口裏合わせてくれっだろ」
「…まったく、君は…ッ!!」
キツイんだよ、このバカ力が!! と雨竜は一護の足を、ピンポイントで踏んだ。
「ってぇ……」
「……そんなに、力入れなくていい。…逃げやしないよ」
諦めたのか、溜息をついて放たれた言葉に一護は力を抜いた。
そしてそのまま……今度は、柔らかく、けれど心音が伝わるように引き寄せて、一護は雨竜を抱きしめた。
「……悪かったな」
宥めるように髪を掻きやられ、雨竜はびくりとする。
「……悪いと思ってるなら、僕より他の…」
「わーってる。でも、今は……お前な」
じわりと滲んだ眼鏡の奥の黒耀に、一護は口唇を寄せる。
「さっすがに……グサグサ来たけど、それは…事実だもんな。
でも……こればっかりは……あいつらにもなぁ」
雨の日に、母親が死んだ。
それは、伝えられるだろう。けれど。
『何故』ということには、答えられない。
聞いてこないだろうとは思うが…けれど。
「黒崎…?」
「…なんつーか……あいつら、死神の俺も、見えるようになってっし。
これ以上…なんか、共通点? みたいなもん増やして、巻き込んじまったら…なんてーかなぁ…」
「…それは、ちょっと、ね」
「それのおかげで……狙われるってのも、俺、もう…」
勘弁してほしーし、よ。
小さな呟き。
それで雨竜には、何となく…何となくだが、掴めた気がした。
「チャドや井上も…ある意味、巻き込んだもんだろ? ま、オメーは自業自得だけどな。
いろんなこと含めて『俺が発端となって起こった事』が、すげぇ…」
「…今更ながら『申し訳ない』とか? それは、力を与えたのは君こそすれ、
それを頑張って努力して自分のものにした茶渡君と井上さんには、失礼な言葉だね」
「オメー、話の腰を折るなよな…」
「…折ってほしそうな気がしたんだよ」
一番言わなきゃいけないことを言うための、時間作りにね…と、囁く雨竜に、オメーは何処までお見通しなんだか…と、一護は苦く笑う。
「君は、正直なワリには、とても必要な言葉に関しては、遠回りをするようだから」
「……オメーもだろ、石田」
「僕は、そうでもないよ」
多分。
けろりと言うその口調に、嘘付け…と、一護は声を低くした。
必要な言葉は、ちゃんとくれる。
けれどそれは、すべてことが終わった後が多い。
いわゆる、事後承諾。
不確定なことは言いたくないんだ…というが、その不確定を知りたいと思うのは…我侭か。
確定というか、原因、結果に至るまでの、過程を、知りたいのだ。
けれどそれを『関係ないから』で、切ってしまうのに。
「ほー、そうか。じゃぁ、俺も今度から素直にストレートに言うこと、聞くことにしよう」
「はぁ?」
「キスしていいか?」
「…ッ、今、言うことか…ッ」
「思ったから聞いたんだろ?」
「……そういうところは、変わらないからどうでもいいよ!」
馬鹿馬鹿しい!! 怒って雨竜は、一護の腕を離れて窓際に駆け寄った。
「石田」
「まったく、なに考えてるんだ君は…黒崎…ッ」
「…なんもしねーよ……そのまんまで…聞いててくんね?」
窓辺に立つ雨竜を、一護は腕を伸ばしてガラスに手を当て、囲む。
窓に映るのは…雨竜の顔と、下を向いた一護の姿だ。
「………雨、苦手なんだよ…」
「……みたいだね」
「………小さい頃は…そうでもなかったけどよ……」
「……そ」
「………おふくろが死んだのが……雨の日で」
「……うん」
「……俺を、迎えに行った後で」
「………うん」
一護の手が、震えてるように思えた。
背中越し、雨竜は感じる。
「………俺、そん時から……見えてて」
「ッ………それで」
「たつきに『見えるのか』って聞かれて『見えてねぇ』って笑ったけど、見えてた。
でも……あの頃は、人と幽霊の区別、出来てなくて……」
「……君なら、ありえる話だね」
「……ありえすぎるだろ? 言うと思った……」
小さく笑って、一護は雨竜の髪に、頬を寄せた。
「…家に帰る途中…女の子を、川岸に見つけて。
危ねーって、言おうとして…雨ん中、駆けてったんだ」
「…君らしい」
「はは、お節介やきって、怒らねーの?」
「怒ったって、直らないだろ?」
「だろーな………で、駆けてって……おふくろが『駄目、一護!』って、叫んだのが、最後。
気が付いたら………女の子は、消えていて……あったのは…」
雨に流れる鮮血、かすかに残る、温みと、重み。
自分を庇うように抱きしめる腕。
今でも、覚えている。
あの、光景。
「……俺を、守るようにかぶさった、おふくろの……死体、だった」
「ッ………」
「雨のせいもあって、あっという間に冷たくなって……そっから後は、あんま、覚えてねぇって言うか…覚えてたくねぇってか」
「…………」
「何で、俺、生きてんだろ…って、思ったな。
俺があの時ちゃんと、おふくろの言葉聞いてれば……せめて、区別、できたら」
「黒崎……」
「で、それがまたな……おふくろを殺したのが虚だってんだから、笑えねぇんだよ。
虚っていや、霊的濃度の高い奴を食うって言うだろ?
もともとは……俺を、狙ってたんだろうな、きっと。そのとばっちりで、おふくろは…」
「黒崎!!」
「…それが…雨の日の、やな思い出の一つ」
「っ……」
雨竜が振り返りそうになったのを、一護は止める。
「一つは……その仇を見つけられたけど、最後まで倒せなくて、悔しい思いをして、でも、死に掛けたこと。それが一つ」
「……………」
「この辺りは、見てきてたんなら…判るよな……ルキアが俺を庇ったときも、雨が降ってた。
それに………」
お前も怪我して、いたよな。
その辺りの記憶は、まだ新しい。
遠いことのようにも思えるが、まだほんの……数ヶ月前のことだったのだ。
「あれは……」
「あれすらもオメーは『自業自得だ』なんて言いそうだけど…実際、そうかもしれねーけど……結構、キツかったぞ。
俺がもし間に合わなかったら、どうなってたかと思うと、気が気じゃなかった……」
「引き際はちゃんと見ているさ。好戦的な君と違って、僕は穏健派だからね」
「どの口が、穏健なんていうんだか……」
くすりと、一護が笑う。
掠れた声が、雨竜の耳朶に届いた。
「…今みたいな関係じゃなくても……心配、だったんだぞ」
「それは…あのときに存分に知った。君は懐に入れた相手には、甘いよ」
「オメーが言うなよ………殺したいほど憎んでる死神、懐に入れてるくせに」
「それは……勝手に君が、ずうずうしく、入ってきたんだろ…」
「へーへー……そんなこんなで、俺は、雨の日は苦手で、ブルーになるってこった」
いつの間にか抱き寄せられ、雨竜は一護の体温を感じていた。
「…結構、繊細だったんだ…?」
「結構って言うなよ……まぁ、うじうじしてるって言われた身にとっちゃ、そうなのかもしんねーけど」
「それは悪かった…」
「でも、そうだからしょうがねぇよ……情けねぇけど」
「……妹さんや、おじさんは?」
「……いつもどおりっつーか……親父はどーだかしんねーけど、あいつらは……遊子は、もしかしたら、俺の知らねーとこで泣いてて。
夏梨はそれ見て、慰めて、自分が泣くの我慢して。んで、俺の前では、笑うんだろうな」
「……そ」
「家でそうだから…学校では、ま、いっか…なんて思ってた。
でも……気づかれてたなんてな」
「殆どの人は、いつもと変わらない感じで見てるよ。相変わらずだって。
でも、君に関わった人の目は……誤魔化せないんだよ」
「誰かさんは、喧嘩を吹っかけてくっし?」
「悪かったよ、それは! でも、聞いてしまってからなんだけど……」
「他の奴には言わねー方がいいだろ? 特に啓吾辺りがなんかうるさそうじゃねー?」
面白そうに問うてくる一護に、真面目に考えろと雨竜は眦を上げる。
「とにかく。当たり障りのないことを言って、逃れろ」
「あ、諦めやがった。ま、別にいいけどな……」
「僕の手に負えないだけだ、まったく………黒崎?」
反応がないのに雨竜が振り返ろうとしたのを、一護の腕がまたもや止めた。
「……なぁ」
「……なんだよ」
時計を見ると、もう殆ど終わりに近い。
後で茶渡君にノートを見せてもらおうと雨竜が思ったときに、一護が声を掛ける。
「なぁ」
「…だから、なんだよ」
甘えにも似た一護の呼びかけに、照れて雨竜はぶっきらぼうに返してしまう。
「雨の日…家でも、学校でも、何とか、すッからさ」
オメーんちに、いさせてくんねーか?
冗談にも、懇願にも似た声が、返る。
「…え」
「ずっと、居るわけじゃねーよ。一時間ほどでいい。
俺が落ち着いて…いけたら、それでいいから」
駄目か?
強請るような声に、雨竜は溜息をつく。
「…君って」
「……なんだよ」
「……なんでもない」
変なとこで甘え上手で、変なとこで甘えベタ、なんて。
「言ったらきっと、揚げ足取られる…」
「はぁ?」
「…こっちのこと。それで家での『お兄ちゃん』としての威厳が保てるなら、越したことはないね」
「遊子にも夏梨にもまだ、何とか…当てにされる兄貴でいたいんだよ」
「…正直、君のことはどうでもいいが、妹さんたちのためだ、いいよ」
「……言い方に棘があんだけど…」
「気のせいだ、きっと。あぁ…5限目が終わった…」
は? と、一護が発した後、時間どおりに、終了のチャイムが鳴った。
「とりあえず、喧嘩の用件は以上だ。はーなんだか…疲れたな…」
「そりゃ悪かったな。でも……助かった。サンキュー」
「…別に。たいしたことじゃないって、黒さ………」
返そうとした言葉は、口唇で閉じ込められ。
逃げようとした身体は、腕の中に閉じ込められた。
そんなことがあった日も、こんな雨だった。
結局、あんなふうに言っておきながらも、一護はほとんど…来ることはなかった。
雨の日に。
他の…ことで来たりはするものの、いつもどおりで。
(……体よく、出入りを許可するための口実だったような)
そう思わないでもなかったが、付き合ってる、のだから、当たり前というか、なんと言うか。
(そろそろ…終わるな)
時計を見て、片づけを始める。
(……昇降口……あ…こっち、来るな…)
霊圧を探って、時間を見計らう。
中に入って待っていればいいのに、なぜか、外にいると、矛盾したことを言う。
“オメーのこと、待ってるって思ったら…大丈夫なんだよ”
何処までバカなんだ、と、叩き倒した。
多分、顔は赤くなっていたと思う。
部長、お疲れ様でーす、お先でーすの声に、挨拶を返しながら、てきぱきと整頓する。
と、同時に。
「おーい、石田ー、終わったか?」
大きくはないが、響く声が教室に広がった。
「あ、黒崎君」
「お、井上、お疲れ」
入り口付近に陣取っていた織姫が気づいて、一護のそばにやってきた。
「もうそろそろ、石田君も終わると思うよ?」
「ン、そか。サンキュ」
「……ウンウン」
「井上…?」
ニコニコと頷く織姫に、一護は首をかしげた。
「…前みたいに、雨の日、重くなってないなって、思っただけ」
「へ?」
「さすが、手芸部部長。あ、あたしも早く支度しなくちゃ! たつきちゃんが待ってる」
「え、あ、あぁ……」
「じゃぁ、黒崎君、月曜日ねー!」
「あ、あぁ…」
ばたばたと支度をして、脱兎のごとく前を走っていく織姫に、一護はあっけに取られた。
「何だ、あれ…」
「いつぞやの君を思い出したんじゃないか?」
「…こんな雨だし?」
「かもしれないね」
ほら、帰るよ、出た出たと、一護の背を叩いて、雨竜は教室の引き戸を閉めた。
「家に連絡は?」
「ちゃんとしたぞ。遊子には謝ったし、夏梨には呆れられた」
「呆れられるって、君…」
「『石田も大変だねー』って言われた。『今度ゆっくりうちに来い』は、親父から」
「………考えておきますと、返しておいてくれ」
「おー進歩。コンを直しに来るのにも、困ってやがったのに」
「…誰のせいだ」
「さぁーな」
なんのかんの言いながらも昇降口に着いた。
靴を履き替え、一護は当たり前のように……傘を開いた。
「雨降って今日はなんか肌寒いから…あったけーモンがいいな」
「キャベツとミンチがあったから…ロールキャベツにでもするかな」
「それでもいいけど、前にめんどーだって言って、それ、重ね煮、してなかったか?
簡単なほうでいいんだけどよ」
「でも、それだけじゃ足りないだろ……確か、蓮根もあったから、蓮根の金平でも…」
「後、玉ねぎもちょっとだけ残ってたな。玉ねぎの味噌汁飲みてぇ」
「…甘いから嫌だって言ってたのは、何処のどいつだ…」
「家のは乾物の具が多いから、しょっぱいのに慣れてんだ。だからたまには変わったものでも…」
「たけのこの味噌汁も珍しがってたね、君」
「あぁ、あれはちょっと驚いた…でも、結構うまいな」
「出汁を効かせたからね。たけのこ自体に風味は少ないけど、出汁がよければね」
「今度来たとき、遊子に教えてやってくんねー?」
「……考えとくよ」
「…そ」
「…そうだよっ」
雨音に負けない声が、傘から上がる。
雨にけぶる中を、一護と雨竜は、帰っていった。
誰しものうえに、雨は降る。
けれど、止まない雨はない。
少しずつ、少しずつでも、いいから。
それが小雨になって、霧になって、雲になって。
晴れ間を見せるように、なったら。
そういうこともあったな、と、振り返られるなら。
いいんじゃないかと、思う。
まだ、忘れられなくても。
誰よりも誰よりも、願うから。