深海






 溺れる。





ゆらゆら、揺れる。
視線の先、見えるのは、鮮やかな、けれど、深い深い。
闇にけぶる橙と、樹木の中で密やかに燃ゆる、琥珀。

それに伸びる腕は白く、発光している。
顔を縁取る闇の黒はしっとりと濡れ、奥まった蒼に近い黒は、潤んで。

紅く濡れた口唇を開き…息を紡ぐ。

閉め切った部屋は、クーラーの意味すら忘れさせる熱さに満ちて。
そんな中、息を潜めて、深海生物のように、絡み合う。

闇の帳に隠れて、ひっそりと。


「は………」

零した吐息すら、息を止めさせる。
逃すまいと、柔らかく熱いそれで、塞がれる。

柔らかく肌を撫でる指先は、時折、意地悪気に引っかく。
紅く線になるだろうという強さでされた後、癒すように舌が撫でる。

「ん……っ」

何度か繰り返されたそれは、だんだんと何処かを焼いていく。
吸い付かれた痕跡も紅く、残っているだろう。

暗闇の中、見えないし、判らないだろうからと施される所業は、
後々の溺れようを思い出させて、眩暈がするのに。

「……ッ…」
肌は汗でぬるついて、掴んだ先から、雫が滴り落ちた。

自分に触れる相手の手は熱すぎて、火傷のように、自分の肌を焼いていく気がする。
君の手は熱い、そんなことを云ったら、解凍してんのかもなと、笑った。
おめーがあんまりにも氷みたいに冷たいから、溶かしてんだ、って。

最初は熱いだろうけど、だんだん馴れて、馴染んできて。
同じぐらいになったら、大丈夫だろ、と。
手のひらで、指先で、口唇で、舌で。
余すところなく触れて云って、熱を伝えるから。

 溶かされて。

だから、こんなに濡れるのだと。
密やかに、笑う。
いろんなもので濡れそぼった痩躯を抱きしめて、囁く。

相手の手は、じんわりと自分の肌に温度を残し、緩やかに侵食していく。
身体で、温度を伝えて。

じんわり焼いて、爛れて、溶かされて。
そうなった自分は、何処へ行くのだろう。

何処に行く気もしない。
ただ、何処かの水底で、たゆたってるのだろう。

温かく優しい、けれど時折激しい、水の中で。




人の身体は、約70%が水分で出来ているという。

突拍子もないことが、頭に浮かんだ。

だから、人の身体から流れるものは液体が多く、そしてそれらは、えてして、塩分を含んでいるものが多い。
そんなことを考えたら、もしかしたら人は、身体に、海を持っているかもしれない、なんて。
満ち潮に揺らされるのも、海を見れば癒されるように感じるのも、還る様に感じるのも。

人が流す何かは、塩気じみている。
汗も、涙も、血液も、精液も。

体液に塩を残して、人は、混じりあって海に還りたいのだろうか。



「ぁ……ッ」

声を上げまいと閉じていても、堪えきれずに零れてしまう。
吐息と共に流れた涙は、相手の舌に舐めとられる。
そんなふうに、相手に自分の水分を奪われて…自分は相手の水分を奪って。
混じりあって、この体内を今、巡っている。


「い…加減……」

何度訴え、叩いたことだろうか。
それとも求めて、引き寄せたのだろうか。

記憶はとうに彼方へ云って、陸に打ち上げられた魚のように、震えるだけで。
身体の感覚なんて、判りはしない。

「何で…?」
「ぐちゃ、ぐちゃで……」

頭も身体も、ぐにゃぐにゃしていて。
まるで、波の上に漂っている気になる。

 力が、入らない。

「……此処みてーに…?」
「やぁ………ッ」
揺すられて、身体が軋んだ。
痛みはなく、ただ、飲み込むようにひくひくと、痙攣しているのが、わかる。

「あ、あぁ……」
身体の感覚は薄れているのに、そこだけがしっかりと主張するように蠢いている。
「…絡み付いてる……」
両手を重ねたまま耳元で囁いて、腰だけで、律動を送り込んでくる。

「あ、あ、ぁ……」
間にある自分自身も雫を零し、触れ合う肌からも、雫が零れていく。
乾くことなく滴り落ちて、タオル地のシーツに染みていく。

「…ぐちゃぐちゃ…な」
ゆるく掻き回されて、そのたび、膝が震える。
「も、ヤ……や…ぁ」
境界が無くなっていくたびに、甘い拒絶があがる。

 自分が自分でなくなっていく。

相手と溶け合うことが出来る、なんて、バカなことを思ってしまう。
ぐちゃぐちゃと揺らされて掻き回されているのが、相手なのか自分なのかわからぬほど。

「く、さき……」

 言葉すら億劫で、このまま本当に、溶けてなくなりそうで。

「…いーンだよ」
低い声で、諭される。

「ぐちゃぐちゃで。俺も、ぐちゃぐちゃ」
「あ………」
「オメーだけじゃねーよ、石田」
「ッ……ぁ」

混じりあう水音は、何とも違い。
ただ、互いの鼓膜と脳髄と身体を、冒していく。

それに混じって、海の底にいる生物の、声も上がった。

水底に響く声は、ただ甘く。

気泡のように、淡く弾けた。