コブサラダ:1930年前後、ハリウッドのレストランオーナーのボブ・コブ氏が常連さんのために、
ありあわせの素材で作った「まかないサラダ」が原点。
コブサラダ:雨竜は知っている篇
「…あ」
冷蔵庫の中、何にもねぇなぁ…。
引き出し部分を開けても、いろんな野菜のはじっぽが転がっているだけだ。
小学生にしてはやりくり上手な遊子だが、まだまだ野菜の使い方は苦手なようで。
うまく使えなかった分が、チョコチョコと残っていて、干からびかけているのもある。
食べられないこともないが、うまく使えないというのが本当のところだろう。
(にしてもなー……)
俺もそんな言うほど、うまく作れるわけじゃねーし…と、冷蔵庫を閉めて溜息をつくと、どうかしたのかい? と、リビングから声がした。
「え、いや……なんでも」
「そうかい?」
どよーんとした霊圧を感じたんだけど…と、立ち上がり、静かに雨竜がこちらにやってきた。
世間はゴールデンウィークで、取りあえず、医院も休みということになった。
めったに急病人も来ないだろうが、取りあえず留守番は必要で。
“なんなら、総合にとっととまわせ。電話回しといてやる”
なんて言った親父の言葉を受けて、一護は留守を任された。
(結局はてめーが遊びたかっただけだろーが)
言い出しかけたが、一家を支えるだけに、気の抜く暇もなかったのだろうと思う。
で、こちらも……死神代行なんて、言えない秘密を持ってるので、家に留まっていられるのは渡りに船だ。
気ままに静かな日々が、少しは過ごせる…と、楽観していた。
が。
(学校帰りの遊子と夏梨を拾ってすぐに出発しやがったから…買い物も出来てねーンだよな)
空っぽの冷蔵庫の中身に、一護は溜息をつくしかなかった。
取りあえず、米を図って、洗って、セットして、米を炊くことは出来る。炊飯器が炊いてくれる。
洗濯や掃除だって、道具があるから、何とかなる。
けれど、料理は。
(俺、炒め物しかねーんだよなぁ…レパートリー)
切って、炒めるだけでできる料理は、まさに男の料理で。
強火で鍋を振るう中華や、大皿料理などは手伝って何とかできるが…一からなんて、覚えていない。
(あー…どうすっかなぁ…)
そんなところに……雨竜から電話が掛かってきたものだから。
これまた、渡りに船、とばかりに、来るか? なんて、言ってしまったのだ。
元々の用は、遊子の手提げ鞄の修復で、出来たから取りに来るかい? だった。
それを、バス代を出すから来てほしい、と、駄々を捏ねたのは…自分だ。
うん、あれは…駄々に、似ていた。
最初こそ呆れていたが…しょうがないなと、溜息のあと、何時に乗ればいいと聞かれ、
バスの停留所で待って、そのまま……連れてきた。
別に、何もなくて、ただ、来ればいいんじゃね? と、思っただけだが……
よくよく考えてみれば、誰もいないわけで。
…警戒されても、文句は言えないわけで。
二人してついたとたん、改めて…思い知ったわけで。
コンは、遊子に持っていかれたしと、本当に、誰も、いないわけで。
へー…と、冷たい視線と声を貰って、慌てて返しても、無しのつぶてで。
取りあえず、これと、これ…で、渡されたものは、遊子の修復された手提げ鞄と……タッパーに入った、筍の煮物。
人んちに筍の煮物なんて持ってくるのは、こいつくらいしかいねーな、なんて思いつつも、おかずが一品できたことに、喜んだ。
それを冷蔵庫に直したとしても、何かが増えるわけでもなく。
開けても開けても、空に見える冷蔵庫に、一護は溜息をつくしかなかった。
「そんなに冷蔵庫を開け閉めしていたら、電気代が掛かるよ」
「うぁう」
「…リビンクからこっちに来たわけだから、近くに来ると思うけど…」
「オメ、猫みたいに気配消してくんなよ!」
「君が鈍いだけだよ。何、冷蔵庫見て」
「え、いや…腹、減ったなぁ…って」
「何、食べてないのかい?」
「食べてねぇワケじゃねーけど……なーんもねーなーって」
「ふーン」
そういって、雨竜は、一護の身体をどけて、おもむろに冷蔵庫を開けた。
「石田?」
「…何にも、ないわけじゃないな…これと、これと、これ…あ、これもある…作れるじゃないか」
「へ?」
一護は腑抜けた声をあげて、雨竜を見る。
雨竜は、何? って顔をして、返す。
「つ、作れる…か…?」
「え、作れる…けど……え?」
「……今度昼飯、奢る…悪い」
飯、作ってくれ。
拝むように両手を合わせて、一護は雨竜に言った。
「まったく…最初に言えばよかったのに」
「でも、んなの、言ったらさ……」
「下心読まれてまずいって?」
「そうじゃねーよ」
「…ずうずうしいくらい、うちでご飯食べて、泊まってくのにねぇ…」
「…だから、余計だろ」
口唇を尖らせて、一護は人参の皮を、ピーラーで剥く。
死神の霊絡のように紅い(でも人参はどっちかってーとオレンジだよな)人参が、網の中に積もっていく。
冷蔵庫の中を確認して、雨竜はさくさくとメニューを組み立てていった。
それは一護にとってはまるで魔法のように見えて、すげーな、お前…と、感嘆の声をあげた。
「一人暮らしだから、自分で何もかもしなきゃいけないし、切り詰めていかないといけないからね。
これくらいあたりまえだよ」
「だからたいしたことじゃない、か…オメーはそうかもしんねーけど、俺にはたいしたこった」
徐々に細くなっていく人参に、そろそろいいよと、渡せと雨竜が手を伸ばしてくる。
「ピーラーは楽なんだけど、君みたいに力任せにすると、指の先を切るからね」
「力任せってなんだよ」
「あんなふうに勢いよくやってたら、危ないってことだよ」
はい、次はそれね、と、渡され、再び一護はピーラーと格闘する。
雨竜は、細くなった人参を千切りにし、牛蒡と一緒に酢水につけておいた。
冷凍庫を除いてみると、何切れかの鮭、何切れかの豚肉、その他などストックが詰まっており、うまくやるなぁと、雨竜が感心する冷蔵庫だった。
小学生にしては、きちんとしているなぁと誉めてやりたいくらいだ。
(今度、これのうまい冷凍の仕方、教えてあげよう)
微笑ましくなってしまうのも、道理だった。
「おーい、これも出来たけど?」
「うん、ありがとう。じゃぁ、これの水切って、水洗いして、炒め始めてくれるかい?」
「りょーかい」
そういって黙々と二人して台所に立ち…夕飯の支度をした。
「頂きますっ」
「はい、どうぞ」
よほどお腹が空いていたのか、がっつくように味噌汁に手をやる一護に、雨竜は小さく笑った。
メニューは、玉ねぎの味噌汁、きんぴらごぼう、鮭の塩焼き。
他、この辺りがしおれてやばかったという理由で、和食にはちょっとそぐわなさそうなサラダ、そして雨竜が持ってきた筍の煮物だ。
本当は作ることがわかってたら、もっと凝ったものを作ったんだけど…の言葉に、ンなことねー! と、
一護はまた、声をあげた。
冷蔵庫を見ては、なにもないといった自分に比べれば、まったくもって、と、一護は返す。
「合挽きとレンコンがあったから、はさみ揚げか、はさみ焼きにしても美味しいだろうね」
「ふーン…後は、何が作れそうだ?」
「材料にも寄るけど…後ちょっとあれば、もっと凝ったものが作れるかな」
「んじゃ、明日買い物に付き合うから、明日作れよ」
「作れよって、君ねぇ…」
「バス代、出すし」
「ッ………」
「……面倒なら」
泊まって、ここに、居てもいいし。
「……ホント、下心、読めちゃったよ…」
「下心っつーよりは、本心だけどな」
「…バカだろ、君」
互いに頬を紅く染めつつも、食事に没頭し始めた。
ゆっくり食べる雨竜とは対照的に、一護はさくさくと箸を進める。
その中でも筍の煮物とサラダは気に入ったようで、取る量が半端ない。
「このサラダ、うめーな。なんてーんだ」
きちんと飲み込んでから、けれど、もう目は次のものに言っている一護に、食べるの早いなぁーと雨竜は改めて思いながら、コブサラダっていうんだよと、ゆっくり口にご飯を持っていく。
「コブサラダ?」
「そ、コブサラダ」
ふーン・・・と、再び食べて、けれど、首をかしげる一護に、どうかしたのかい? と雨竜が返せば、んーと、咀嚼して飲み込んで、一護は唸る。
「いや、な」
「ン?」
「オメーが作ってたの、見てたけどよ……こんなかには、昆布、入ってねーじゃねーか」
「…は?」
「コブサラダッつーんだから、昆布が入ってるサラダなんだろ? でも、昆布の陰も形もねーし、味もねーし、おかしいーッつーか、何つーか…」
「ッ……」
一護が呟くのを聞いて、雨竜は箸を置いて、顔を隠すように横を向いた。
黒髪も、覆い隠すように揺れる。
「…何がおかしーんだよ」
おい、テメー、と一護がドスの聞いた声で聞いてくるのに、あ、あぁ…と、お茶を飲んで落ち着こうと、雨竜は湯飲みを手にした。
「いや、違うんだって」
「あぁ?」
「コブサラダのコブは、昆布じゃないんだ」
「…そうなのか?」
怒りを露にしたせいか、一護の眉間の皺は深いが、雨竜の言葉にふと、揺らぐ。
「アメリカのコブさんて人がね、レストランのまかないで作ったサラダなんだ。
どんな人にも食べやすく、細かく切った野菜や余りものの食材で作るもので、これといって昆布が入ってるってワケじゃないんだよ」
たまたま作った人の名前がついてるだけで、実際はどんなものでもいいんだ、と雨竜が言うのに、へーそうなのかーと、納得するような、しないような顔を、一護はする。
「何だ、その顔は。納得いかないかい?」
むっとした顔で見てくる雨竜に、いや…と、一護はまた、食事を再開する。
「納得、はした」
そういって味噌汁をすする一護に、そんな顔してないじゃないかと、雨竜は箸を持つ。
「僕が今言ったことがはしょったように聞こえたなら、詳しく話そうか? あれは1930年前後…」
「判ったって」
一護の箸を置いた手が、雨竜の口唇を止める。
「黒さ…」
「せっかくの飯が、冷めちまうだろ? それに」
今日はずっと一緒だから、後で嫌でも聞いてやるよ。
宥めるような、けれど、誘うような声に、雨竜は眼鏡の奥の瞳を見開いた。
「…絵本を読んでとせがむ、お子様か、君は…」
「…かもな。でも」
お前だけだけど。
口唇だけの動きでわかった雨竜は、小さく、バカだ…と呟いて。
甘いと感じていた玉ねぎの味噌汁が余計甘くなったのを、感じた。