世界が。
世界が、閉じていく。
狭まっていく。

薄く広く広がっていたものが、磁石に吸い寄せられるように集まっていく。
吸い取られていきそうで。

息すら、することが、叶わない。

「………っ」
瞳を開いた先。
長い腕が背を回り、痩躯を抱きしめる。
その力が、笑ってしまうほど緩やかで。
なのに、逃がさない気配を放っている。

いつでも捕まえられるから、か、それとも、断りなくの行動に自分が怒ると思い、
逃げ道を作ったか。

でも、自分としてはどちらでもいい。
どちらでも。

ただ…今、したキスの意味は、教えてほしかった。
気まぐれなのか、それとも…

相手の性格を思えば、遊びではありえない。
けれど明確な何かがないまま…手を伸ばすのは、馬鹿のすることで。
いや、もう、とうに…馬鹿であるけれど。

この状態に、面食らった。

離れる時間は、刻一刻と迫っているのに。


「…なんのつもりだい」
相手に抱きすくめられたままの冷たい言葉。
あぁ、でも……この温度に解かされていく。

ほら、馬鹿になってる。


「なんの…って…なんだろな」
くぐもった声が、自分の首筋辺りにかかる。

 熱い。
不意にそう感じた。

雨音は激しくなっているのに、此処は酷く静かで。

切り取られた空間のようだ。


「石田」
ひくっと、肩が跳ねたのが、自分でも判った。

「石田」
だらりと、伸ばしたままの腕が震える。

「…石田」
口唇が、わなないた。

「石田…」
その掠れた熱い声に、耳から犯され出した。


耳奥から、染み込んでいく。
相手の声が…。

「…だから、なんなんだよ…」
返す自分の声も、掠れている。
きっと…同じように、熱を伴っている。

付く息も、熱い。

「…さぁな…」
呟きが、耳朶をくすぐる。
ぞわりと悪寒が、背を下りる。

「…さぁな…って、言いながら、男に抱きつくのが趣味か、君は」
背筋が凍ったよ、と告げれば、暑いからちょうどいーんじゃね? と、笑う。

…笑うな。
………息が、掛かって。

…なんだか。


「っ……」
「…お前に関しては…そうかもしんねぇ…」
もっともっと、近くで囁く声。
口唇が、触れるか、触れないか。

「冗談…迷惑、被る、ね…」

パチパチする。
霊圧が、せめぎ合う。
けれど、きっと、違うもの。

せめぎ合うどころか……絡み合う、ような。
霊絡を視覚化したら、絡んでるかもしれない。

赤と白が、絡んで。


「は、なせ、黒さ…」
「…なんで?」
いつもなら時間になってキスしたら、じゃぁなと帰るのに、今日はおかしい。
おかしい。

こんなときに…おかしい。

知ってるのに、おかしいのは。
おかしくなるのは。
でも、もっとおかしいのは、自分。

どうして…その手を、離さない?
どうして…その腕から、逃れない?

「バ、スのじか…」
「…無理。こんな状況で帰すなんて、人の悪いこと、優等生の石田君が、
するわけないよなぁ…?」
 
 あ、でもそれをするのが、お前か?

冗談めいた口調、けれど、笑わない、瞳。

追い詰められていく。
外は嵐。
家には、自分を抱きすくめる意地悪な死神代行人。

さっきまでとは違う。

…纏う雰囲気が、違う。


「…台風が起こす、気圧の変化で、頭までおかしくなったのか、君は」

窓から入る風が、彼のシャツの裾を、舞い上げた。
舞い上がった白が、自分の視界を、狂わせた。

バラバラバラ…と、激しい雨が、地を打つ。

「おかしくなんて、なってねーよ…」
柔らかい声が、響く。

甘やかされてるように聞こえるのが、癪に障る。

「…おかしいよ、黒崎」
台風がくるんだよ、雨が降るんだよ、と返せば。

「んー、そういや、そうなんだけどな」

自分より大きな手が、自分の手に触れる。
もう片手が…頬を撫で、髪を撫でる。


「…なんつーか、今、俺は…」

 雨に、狂ってる。

名前に『雨』が入ってる、奴に。


低い、囁き。
落ちてくる、キス。


あぁ、嫌だ。
らしくなくて、妙にらしく感じて、嫌だ。

変なとこ、ロマンティストなんだ、君は。
そんなへんなところが、今日は全開だ…


「…本当に、馬鹿だ……君は」

さっきまで、凹んで見えたのに、あれはポーズだったのか。
泣きそうな顔まで、してたのに。

最後の反抗とばかりに腕を返せば、そう見えたのか? と、きょとんとした顔で見てくる。
そして一息付き。

「まぁ…憂鬱は、憂鬱、だけどな…」

 石田、見てたら。

「なんか、落ち着いたんだよなぁ…」

そういってもう一度キスしてくる。
柔らかな感触。
けれどさっきより…深く、貪られる。

本当に、あほか、君は。
落ち着いたら、欲情するのか。

動物だな、本当に。
本能のまま、動いて…わけ解らない…!

キスで狂わされる中、胸中で叫んだ。

ぐしゃぐしゃと…相手の髪を、掻き混ぜて。


「君は落ち着いても……僕は、落ち着かない」

 心揺らされて、嵐の中に、いるみたいだ。

息を紡ぐように、途切れ途切れで、伝えると。

「…そりゃ、そうだろ……お前『雨の竜』だもんな」

 空に昇っていきたくて、そわそわするんじゃね…?

ゆっくり押し倒されるとき見えた、口元に浮かぶ、笑み。

それにほんの少し、寂しげな色。

馬鹿か君は。
僕のことを『雨の竜』なんて言っといて…雨が降ったら、天女のごとく、
空に昇るとでも思ってるのか?

…そんなこと思って…あんな顔、してたのか。

ほんとに…馬鹿だ。君は。

死神代行なんか辞めて、小説家か、絵本作家にでもなればどうだ?

そんな、ロマンティストな感情……驚く。

改めて。
一年も付き合って、僕のことを見てきているはずなのにまだ、そんな風に、思えるんだ。


「…僕は…空に昇りたいとは、思わないよ。
第一、僕は人間だし、どうやって空に昇るって言うのさ。
昔の雨信仰の生贄じゃあるまいし、死んでから昇るのもごめんだ。
それに」

 昇った先にあるものなんて、タカが知れてる。


言い切ってやると、相手は眉をひそめ…苦笑に変わる。

「文学心のない奴だなぁ…お前、相変わらず数学のほうが好きだっけ…」

現実主義者だしな…

笑って、その優しい指先で、僕の口唇をなぞる。
それから…視界から、眼鏡を奪った。

「国語は…問題として解くことならできるけど、日常に関しては、お手上げだね」
要らない語彙ばかりが、出てくる…

その言葉に相手がまた、笑った。

「要らない語彙っていうか…お前の場合、言い回しがすっげぇ、特徴的なんだよな」
芝居掛かってるっても、言うけどよ…と、僕の髪を撫でる。

「…うるさい」
のしかかってくる相手の腕を抓れば、痛っと、小さく言った。


なんで、こんなことになってるんだろう。
なんで。

背に畳の感触を感じて、のしかかってくる重みを、感じて。
雨の音を、感じて。

眼鏡がないせいで、視界がぼやける。
そんな視界に、相手の口唇が、触れてくる。
指先や、肌で、触れてくる。

なんで、じゃ、なくて。
なんだろう。

解らない。

ただ、こう、したかった…?


「っ……!」

相手の背に腕を回したとき…ビリッと来た。
指先が、その温度に痺れた。

あ、何となく、掴めた。

「………」

それはなんだか、笑ってしまいそうな。

…らしくなくて、笑ってしまいそうな。

“……そういえば”

触れ合ったのは、いつだっけ…?

思い返してみるも…ずいぶん前のことのような、つい最近のことのような、定かでない。
思い出したら居たたまれないような、なんと言うか…その。

また、身体の温度が上がった気がした。
きっと…重なってる相手にも、伝わっているはず。


「…馬鹿なことやってるよ……君も、僕も」

襟を寛げられ、熱がそこから発散されていく。
指先がなぞって…震えが来た。

「発情した動物みたいだ」

色彩でわかる髪に、手を伸ばせば…
馬鹿でいいじゃねーか、と、腕の内側を、柔らかく噛まれた。

ふと見せられた視線に……堕とされていく。

「…ほんと、馬鹿、だ……」

 馬鹿だ。

小さく呟く。

雨に狂わされたのは、相手だけじゃなかったんだ。





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