胸中に荒れ狂う、それは。
相手も自分も巻き込んで、巻き起こる。

めちゃくちゃに、絡まって。

離れられない。





あらしのよるに




まだ梅雨明けされていない時期。
もう七月も半ばに入っているのに、どんよりとした空が、続くばかりで。
夏の暑さと梅雨の湿気が、自分から体力を奪っていきそうだ。
まぁ簡単にはくたばらないけど、力を温存するに限るのは、尤もで。
けれど、そばにいるだけで、自分の気力を削ぐ相手、というのは少なからずいるものだ。
その相手は、窓を開け、頬杖を付きながら…空を見上げる。

 雨の匂いが、する。

そう一言呟いて、眉間に皺を寄せて。

「そう。そういやニュースで台風が来るって言ってたね」

 今は沖縄、四国辺りだそうだよ。

ニュースを横目で見て、ちらりと相手を流し見る。
鮮やかな髪の色が、くすんで見える。いつもは眩しいほどなのに。

「…大丈夫なのかよ」
ボソリと返された言葉に、何が、と返せば、此処、と指差され。
刺繍を刺す手を止める。
「…何気に失礼だね、君は」
いくらなんでも飛ばされやしないよ、と止めた手を動かせば、心配してんだろーがと、睨まれた。
いや、睨んでるんだけど…その視線は心許なくて。また自分は手を止める羽目に陥る。

「…さっきからなんだい? 全く…全然進まないじゃないか」
これ、頼まれものなんだけど…と視線を手元に戻せば、悪りぃな…と、低い声が帰って来。
そして続く、暑ちぃーな…と呟く声。

…理由は、解ってるつもりだ。そして彼が何故…此処にいるのかも。
自然を何とかすることなんてできはしないのに、回避できないかと、あがいてるんだ。

…あの日で、なくても。
雨は、彼の心を苛むらしい。

恵みである雨を厭うのには、理由があって。
自分はそれを、知っているけれど…どうにかしてやれるとは、甚だ思ってない。
それに…自分にも少し、雨には痛むところがあるから…何もできないでいる。
できるのは…話し相手ぐらい。それすらも上手くないのは知ってるだろうに、なんで、此処に居るのか。
本当に、解らない。

雨の降る日は…整が比較的現れやすい。
霊子や霊気は電流に近く、それらが水を通るので現れやすくなるからだ。
でもこれは整に限ってなので、実際、あまり意味はない。それに虚は、場所も時も関係ない。
奴らは、霊力の高い魂を好むからだ。っていうか、この科学的根拠もあってるのかすら解らない。
ただ、ただ……雨の日に一人でいることに、少し…落ち着かないだけなんだ。

…お互い。

ほんの少し空いた、互いの間が、それを、現している。互いに、窺っている。
その領域に、手を、伸ばしていいのか。

…判らない。

判らないのだ。

出逢ってからもう一年は、過ぎているのに。


近づいていいのか、それとも、離れておくべきか。
相手もなかなかに踏み込ませないところがあるから、難しい。そんなところは…似ている。

馬鹿みたいに近づくことも、あるのに。
馬鹿みたいに…離れがたいことも、あるのに。

(あ、後少しで終わりそうだ)
頼まれごとのメドが経った頃には、空は雲に覆われ…泣き出しそうな形相を醸し出し。
横目で見た彼の顔も、何故だか泣き出しそうな感じだった。

(なんて顔、してんだよ)
見ていたのに気づかれる前に、また、視線を手元に戻す。

(……手を、伸ばしたくなるじゃないか)
胸中に、思った。

彼が雨を厭うのは、護りたいと思ったものが、自分を助けていなくなってしまうときに降っていたからだ。
まるで彼の無力を具現化したかのような雨は、時々、彼を苛むようだ。
一人はその感情を払拭してくれたが…一人は、どうしようもない。
そして、そのどうしようもなさを…僕も知っている。
彼とはまた、違った形で。

幼少時の、力の無さ故とも言えるが、それとは別の、心に思ったことが守れず、
歯噛みするような、絶望するような、何とも言えないものが、自分の中に残るのだ。
 守りたいということを伝えた相手を、守れなかったことは。
自分の存在は、意味があったのかと、思うからだ。

居なくなることも出来ず、かといって享受も出来ない。
いっそのこと、自分が死んでしまえばよかったのだとすら、考える。
でも、生きてたい思いも強かったから…今が、ある。
たとえ復讐に生きていたとしても、それしか、考えなかったとしても。

消化できたと思っても、何処かに微かに、残ってる。
けれど、それを持っているからこそ、生きることが大切なんだと解る。
生きている、ということが。


(…出来た)
きちんと糸を扱き、綺麗に玉結びを作る。
柔らかな感じに映えるように暖色系を使ってみたが…うまく行ったようだ。
(…喜んでくれると、いいな)
少しでも、作られたものを、長く長く、使ってくれたら。
頼んだ相手の顔が浮かび、不思議と、笑みが浮かんだ。

最後まで云った縫い目の、糸を歯で切る。
テーブルに鋏があったが、面倒なのと、音を、立てたくなかったのとでそうなった。
大抵歯で切ってしまうことのほうが、多いが。

(ま、いいか…)
少し解れた感じになったが、修正は出来そうだ。
ただ、口唇に当たった糸が少し痛かったように思う。

が、それが、空の雲を支える最後の力だったように、糸を切った途端、ぽつぽつ…と、雨が降り出した。

まるで、引き金。
世界を断絶させるための、空の引き金。


いつの間に、引いてしまったのか。


終わったので、テーブルの上を片付ける。
その作業をしながらも…自分は、彼の気配を感じている。
先ほどと変わらない姿勢のまま…外を見ていた。

その姿に。

台風が来るって、知ってる筈なのに、何故、此処に居るのか。
台風が来るって、知ってる筈なのに、何故、部屋に入れてしまったのか。

何故訪れたのか…という意味は、解るけれど。
何故…帰そうとしないかの意味は、自分でも解らなかった。

知っているのに。
台風が近づいていることも、バスの時間が、近いことも。
なのに。


…早く、帰さないと。

ぐるぐると脳裏を思考が巡る。
雨が酷くならないうちに、彼を、帰路、へ。
彼を心配するであろう、家族の下へ。

早く。

…早く。

自分の好きなことをやっていて落ち着いていたのに、彼の気配を感じるだけで、うろたえてしまう。
当たり前のように今まであったその状態に…我に返ったかのように、焦って。


「黒崎」
喉が渇いてるように思えたが、すんなり声は出た。
いや、掠れていたかもしれない。それとも、声に、なっていたのかすら。

何が自分をそうさせていたのか、そういう状態にさせていたのかは、わからない。


そう、問うた先、相手の姿はなく。
その代わり。

「…………っ」
じんわりと染みてくる、手の温度。空気中の湿度、温度とは違う、温もり。

白いシャツの感触が、頬に。

一定で空いていた間は、無くなっていて。
代わりにあるのは、呼吸や心臓の鼓動すら、感じる距離。

そして。

「……っ」
呼吸を奪うかのように、合わせられた、口唇。
緩やかに拘束される、腕。

鮮やかなオレンジが、視界を染めて行き。
閉ざされた先。

…同時に耳を塞ぐように雨音は激しくなり。
世界を閉ざしていった。






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