「だー……」

 暑い。

そんな言葉がぐるぐると、一護の脳裏に巡っていた。
期末テストも一段落、机に向かうこともなければ、暑さのせいか、虚すら出てこない。
このままいっそ、出てこなきゃいーのになと、駄目なことを思いながらも、ベッドの上でごろごろする。

クーラーを入れてもいいが、昨今のエコのため、ひいては家の経済状況のため(冗談な気もするが)付けることは少なかった。
まぁ、もともとクーラー自体好きではないので、窓を網戸にしておくが、風がないため、意味はない。
自分で団扇で扇ぐにしても、来る風は生暖かい。
肌に引っ付くTシャツやジャージが、気持ち悪い。

「…扇風機でも買うか…?」
呟いて、あの、自分の部屋より少し、狭い気がするあの部屋に回っていた年季ものの扇風機を、一護は思い浮かべる。

フローリングと畳、窓の位置、階の違いなどあるけれど、どちらかといえば、窓数の少ない…雨竜の部屋のほうが、暑いだろうに。
あの部屋は、妙に涼しい。

霊がいるとかのそういう寒さでなく、ただ、本当に…涼しい。
雨竜の体温が低いせいもあるし、持つ色というか、空気が…涼しいものだから、そうなるのだろうが。

静かな、静かな、湖面のような相手。
冷たく、ひんやりと、けれど、激しさを秘めた。


「……やっぱ、買うかな…扇風機」
寝られやしねーと、ガシガシ頭を掻くと、ふいに、電話が震えた。






 
涼風流るる 静か静かに 
   
夏の夜の夢 君を見る夢






「はい」
『何だ、起きてたのかい?』
静かな声が、するりと耳奥に滑り込んだ。
「…だったら電話なんてしてくんなよ」
『あぁ…それは、そうかもね』
電話の相手は…さっきまで、思い描いていた相手。
「なんか用か?」
起き上がって窓の外を見ると…暗がりが広がる。
その最中…少し、冷えた風が、舞い降りてきた。

『…別に。試験も無事終わったようだし、よかったじゃないか』
「あー、そうかもな。虚の邪魔も、別の邪魔も入んなかったしな」
『そうだね』
笑う声を耳元で聞いていると…落ち着いた気分になる。
風が入ってきたせいもある、暑さに躍起になっていた頭も冴えてきた。

「なんだよ、試験の出来でも聞いてんのか? 学年主席」
『まさか。気になるんだったら、試験の終わった後に聞いてるよ』
「人目もあんのにか?」
『……君に今更、言われたくないね』
「そーだよな…だいぶ、付き合ってもらったからな」
『それより、何でこんな時間まで起きてるんだい? 虚の気配はないけど』
いぶかしげに問う雨竜に、オメーこそなんだ、珍しいと、一護は笑う。

…電話でなら、まだ、こんな風に話せるのに、と、内心思いながら。

(付き合ってんのに、顔合わせっと、なんか喧嘩腰に近くなるっつーか)

学校での会話が多分にそうなのだが、しょうがないっちゃーしょうがない。

「なんか暑くてよー。寝らんねーんだよ」
『あぁ…そういえば、暑いね』
「あんまり石田は、暑そうには聞こえねーな」
『聞こえなくても、暑いものは暑い。あんまり暑いから……』
「……石田?」

途切れた声に、一護はそっと名前を返す。

『……暑っ苦しい時季に生まれた、誰かさんを思い出したんだよ』
「ッ………」

 それは、もしかして。

「石田、オメー……」
『そういえば前に、暑っ苦しい時季に生まれた誰かさんが、0時になったとたんに、誕生日おめでとうなんて、しゃぁしゃあと言ってきて?
それの仕返しをしようと思ったんだけど、とんだ茶番だったようだねっ』
つんとした言い様に聞こえるが、きっと…顔は赤くなっているだろうと、一護は思う。
そんな想像をしてもいいと、思わせてほしい。

「あーそうだな、0時になったとたんにかけたなぁ、俺。
でも、オメーも起きてたじゃん。何でだ? もしかして…待ってたのか?」
『…ッッ、バカか君はッ! 僕があの時言ったことすら忘れてるのか? 驚いたって言ったろう?! 待ってたら驚かないよ!!』
「あーはいはい。じゃぁ、今年は驚かねーで、待てるよな」
『っ! 言うに事欠いて、君は…っ』
「待ってて、くれるよな?」
『ッ………知るか。電源、落としてやる』
「電話で繋がらなくても、俺が行くぜ。今度はちゃんと、顔見て」

 おめでとうって、言ってやる。

『…なんで、こうなる…』
「オメーが先に結論言わねーからだろ?」
『結論て……どう言っていいか…』
「ッ…オメーなぁ…」

困ったように小さく返された声に、苦しくなった。

おめでとう、の一言に、どれだけの…思いを、込めてくれているのか。

「…別に、今じゃなくてもいいぜ」
『へ?』
「今、言いづらかったら……今日が、終わるぎりぎりでもいい」
『黒崎』
「オメーの言いたい、伝えたい言い方で…伝えてくれりゃ、いいよ。オメーに、そういってもらえるだけでも、幸せだから、俺」
『…そういう言い方されると、今が幸せじゃないってふうに、聞こえるんだけど』
「そうか? 今のこれはこれで俺、すげぇ、幸せだけど」

 オメーと話が出来て、誕生日になった一番に声、聞けて。

「…暑さも、吹っ飛んだ…」
『……バカじゃないのか』
「暑さにやられて?」
『……それを言ったら、僕もじゃないか』

 夜の暑さにやられて、普段口に出来ないことを、口にするなんて。

『…狂ったとしか、言いようがないじゃないか』
「なんでだよ。そうじゃねーだろ?」
『…ッ、とにかく…!』
「言ってくれよ。オメーの、声と、言葉で。俺に、伝えろよ。
俺に、言えよ」
強請るような物言いだったかもしれない。
呆れの沈黙か、照れの沈黙か、電話越しの一護にはわからない。

けれど、その沈黙すら愛おしい、そんな、ふうに感じるのだ。

「…石田」
『…ッ』
「石田雨竜」
『……バカかっ』
「…雨竜」
『…ッッ…なんてタラシだ、君は』
すごく腹立たしいよ、と電話の向こうであげる声に、笑ってしまう。
『そのタラシ具合、クラスのみんなに見せてやりたいね』
「見せてもわかんねーと思うぞ。それに、興味ねーし」
『まったく……あぁっ』
「おいおい、いきなり叫ぶなよ。夜中だぞ?!」
『君が待てるというなら、癪だが、その言葉に甘えよう。
今日、帰りに僕のうちに寄れ。渡すものがある』
「え?!」
『聞こえなかったのかっ、返事はッ!』
「え、いや、だいじょーぶだけど」
『用件はそれだけだ、遅くに失礼した。じゃぁ』
そういってまくし立てて…あっさりと、雨竜は電話を切った。

後に残されるのは、電話を持ったままの一護だ。

「……今日の帰り、寄れ、ってか……」
渡すものが、あると。

じゃぁ、そのときに、あの言葉も、くれるのだろうか。

「…早く、今日が始まんねーかな……」

学校で会えばきっと、いつもの顔を見せるんだろう。
いつもの表情、いつもの声、いつもの態度。
変わらない、けれど、少し甘く感じるそれが、どんなに大事で大切か、知らないのだろうか。

「………ぅ」

小さな声で、囁いて。
一護は瞼を閉じた。

冷たく冷えた風が、頬を撫でていく。
まるで、あいつの掌のようだと、思った。





朝。
昇降口で、靴を履き替える後姿を見つけた。
いつもならもっと早くに来ているはずだが…寝坊でもしたのだろうか。
余裕はあるけれど、いつもより遅い雨竜の登校に、一護は思った。

「…オウ」
「…はよう」
教室で交わす朝の挨拶も、今日は珍しくこんな場所でだ。

 幸先がいい、なんて、誕生日だから、思っちまう。

「おー、いしだぁ、おっはよー!」
「石田君、おはよー」
一護のそばから来る声に、雨竜は、あぁ…という顔になる。
「おはよう、浅野君、小島君」
「珍しいね、こんな時間にここで会うなんて」
水色の言葉に、挨拶だけをして去ろうとした雨竜の足は止められる。
「そ…かな。君たちが早いんじゃないのかな」
「あー、それはあるかな。今日はそんなに混んでなかったしな」
啓吾の言葉に、ふーンと、雨竜は返す。

「それよりも石田君」
「ん? なんだろう、小島君」
雨竜が今度こそと思うたびに、水色に足を止められる。
「大丈夫? ちょっと寝不足なのかなぁ」
目の下にうっすらクマが出来てるよというのに、一護がはっとして雨竜を見た。
「え、いやまぁ…暑かったしね…眠れなくて」
ちょっと本を読んでたら、寝られなくなったんだ…と返す雨竜に、ふーんと、水色が見る。

「珍しいねー、石田君、そんなの大丈夫そうなのに」
「…そうかな」
「なんていうのかな…ひんやりしてそうだし?」
「ッ…」
水色の言葉に、似たようなもの、感じる奴がいたんだ…と、胸中に舌打ちしたくなる。
自分だけが、感じるわけでないと、ちょっとした嫉妬が広がった。
「ひんやりしたように見えてても、実際、暑いものは暑いし…あぁ、早く教室に行かないと」
HR10分前だよと、今度こそ、雨竜は足早にその場を離れた。

「なんていうか、漂わせる風も、ひんやりしてるよね、石田君て」
笑って言う水色の言葉に同意しつつも…眉間に皺が寄っているのが判る。
(あぁ、心狭めーな、俺)
誰かがあいつのこと、わかってくれたらいいと思うのに、でもやっぱり、自分だけがわかってたいという、我侭にも似た。

「一護も珍しいよね」
「あぁ?」
反応が厳しくなるのもしょうがない。
うまく隠せない自分が、なんだか、なんだかである。
「そわそわしてるって言うか……何か、いいことでもあるの?」

 何処まで見抜いていると言うか、見ているのか。

そう聞きたくてたまらなくなることが、水色に対しては多かった。
けれど、彼の世界はまた自分とは違うから、その違いから、見るものの見方も違うのかと、思う。
…多分。
感情表現はうまくないから…ばれてないと、思う、思いたい。

「別に、何でもねーよ」
「ふーん」
あっさりスルーされて、一護は拍子抜けする。
でも、そのほうがいいかもしれない。
そう思いながら、一護の足は教室に向かった。




一日の授業が終わって、下校時刻。
今日は部活もないから…と、鞄を持って立ち上がる姿に、そうか…と、付いていく。
その合間、黒崎くーんと、走ってくる姿。
「お、どした井上」
「はい、これ!」
ばふっと渡されたのは…なにやら奇妙な感触のするもの。
「誕生日おめでとー黒崎くん! たつきちゃんとあたしからのプレゼントです!」
「え、あぁ……サンキュ」
「たつきちゃんからは、タオル。あたしからは、ぬいぐるみでーす」
「ぬ、ぬいぐる…み?」
「うん。あのこも彼女がほしいかなって思って!」
「…あのこ…って、コンか?!」
「そう、あのしゃべるぬいぐるみ君!」
「ア、あぁ……うけっととくわ」
井上のセンスはどうだかわからねーけど、井上からだというだけで、あのバカはうれしがるだろう。
たつきのタオルは…まぁ、想像が付いたが。
「ほんとー? よかったぁ」
安心した顔で見てくる織姫に、一護は笑った。
じゃぁ、また明日ーといって駆けていく姿を見送って、一護は溜息をついた。

「……ふーん」
「…なんだよ、その顔」
「別に」
帰るよ、と足早に歩き出す雨竜に、あ、オイ待てよと、一護も受け取ったものを鞄に詰めて、後を追った。

自分の誕生日を知るものは少ないが、気づけば何か貰っていて、あぁ、そういや誕生日だったなぁと実感する。
チャドには新譜を貰ったし、水色からは…まぁ、なんか貰ったし、啓吾からも、貰った。
物が欲しいわけじゃねーけど、そうやって気にかけてもらえるのは、照れくさいけれど…嬉しいモンで。
今日も帰れば、遊子がいろいろ用意しているんだろうとは、思う。

ただ、本音は。
もっと、違うのだろうけれど。


「おじゃまします」
「はい、どうぞ」
通された部屋はやはり…持ち主と同じ気配を、漂わせていて。
涼しい、柔らかい空気を、醸し出している。

汗で湿った手を洗って、通された場所に座って。
身体中で、気配を感じる。

ひんやり、涼やかで、静かな。

「どうぞ」
「あ、サンキュ…」
そう言って目の前に置かれたのは、白いカルピス。
小さい頃は飲んだっけな…と思うそれがここにあるのは珍しいが、たまたま目に付いたんだ、といわれ、そうなのかと、前に座る雨竜の姿を見る。

「余り甘い飲み物は好きじゃないけど…何となく、ね」
「ふーん、俺はまた、白いから買ったのかと思った」
「…なんでもかんでも白に執着しないよ」
苦笑して、雨竜はストローでカルピスを吸い上げる。
そんな仕草すら、優雅で…涼しい。

「なぁ」
「なに」
「…マジ、寝らんなかったのか?」
「ッ…」
一護の手が雨竜の頬に伸びる。
親指が眼鏡を超え、目の下を優しく探って離れた。
「別に、君には関係ない」
「…悩ませたか?」
「ッ……だからっ」
雨竜が拳をテーブルに叩きつけた後、遅れてカランと、グラスの中の氷が鳴る。
それを横目に、一護はカルピスを口にする。

「…いつでもいいぜ」
「…今日じゃないと、意味ないんじゃないかい?」
「ばーか……言ってくれる奴の、言葉と気持ちに、意味があるんじゃねーか」

 誕生日だということを覚えていてくれたこと。
 なんかしら、行動しようとしてくれたこと。
 今までとちょっと違った、そのことに。

「……ちょっと、悔しいと思ったんだ」
「なにが」
「……他の人は、あっさりと言ってしまえるのに、何で僕は…って」
「…そりゃ、気持ちが違うだろ」
「ッ、それは…」
自然に一護に手を取られ、雨竜はうろたえる。

「…ありがとな」
「…黒崎」
指先に一護の口唇の温度を感じ、雨竜は震える。
「すげぇ、嬉しい」
「……まったく」

 ずうずうしいのか、控えめなのか、わかんないよ。

そういって、雨竜は、顔を寄せて、一護の額に口付けた。


「………」
「…なんだ、その顔は」
「いや……」

 純粋に驚いた。

一護が返すと、雨竜は、君って時々失礼だよねと、あっさり離れた。

「なんてーか、その…」
あぁ、逃げんなよと、腕を伸ばすと、暑いから触るなと、ぴしゃりとやられる。
背を向けた雨竜の耳は…暑さだけでないことで、赤くなっていた。

「暑さに、君も僕もやられているだけだ。暑さ過ぎれば、忘れるよ」
バスの時間までまだあるけど、暑いから早めに行ったほうがいいじゃないか…と、早くも切り上げに掛かるように、雨竜は立ち上がる。
「忘れっかよ! いくら暑さで頭がぼけてても、忘れるかよ!!」
「あーもー、うるさい、黒崎…」
立ち上がった雨竜の腕を引いて、改めて自分の横に座らせて、一護は言う。
「こんな近くで叫ばなくても…」
「叫んでねぇ! つーか……」

 マジ、嬉しかったっつーか。

言いながら、赤くなる一護に、雨竜は頬を綻ばす。

「それはそれは…」
「オメー、面白がってるだろ」
「…そうでもないよ」
「さっきの仕返しか…」
どー考えても、俺の完敗か…と、諦めて一護は、仰向けに倒れた。

「負けかい? 黒崎」
覗き込んでくる雨竜に、あぁ…と、一護は返事を返す。

「それに、わざわざ喧嘩もしたくねぇ……」
そういって、先ほどのお返しとばかりに雨竜を抱き寄せて、一護は額に口付けた。
「それは、そうだね…」
一護が口唇を離すと、小さく雨竜が返す。
「時間も、ないから」
と、雨竜がまた言葉を紡ごうとするのを、一護は口唇で塞いだ。







ちょっと眼鏡が当たって痛かったが、それもまた、重なる思い出になる。
冷たいように感じた雨竜の肌が、腕を回したとき少し、汗で湿っていた感触も、甘いカルピスの味も、
暑さと一緒に、覚えるのだ。

 腫れた口唇の感触と、温度も。


今度はもう少し、うまく読み取れるように。
うまく、伝えられるように。

今度はもっと、一緒に在れる時間を、作って。

 夏の夢を、見れたらいいと思う。








おめでとう、の言葉は、囁くように、腫れた口唇から。

 その声音も、忘れない。