「石田」
今度ははっきりと聞こえた。
…幻じゃない。
何もかも薄ぼんやりと見えてはっきりはしないけれど、その声は、一護のものだ。

「黒崎」
改めて呼ぶと、力を抜いたように……高ぶっていた霊圧が、霧散していくのを感じた。
「ぼ…く…」
「オウオウ、お目覚めかぁ、いしだよぉッ!!」
そういって、ぼふっと雨竜の枕元に降り立ったのはコンだ。
「わっ!!」
自分が人の姿であることを認識するのにも多少のラグがあり、枕元にいきなりどアップでこられて、雨竜は声をあげた。
「つーか、脅かせんなッ!!」
雨竜からコンを引き剥がすように、ひっぺ取ったのは、一護だ。
「ってぇえー!! 一護! おめー、も少しオレ様を丁寧に扱ったらどうだ!!」
「これ以上にねぇほど、大事に扱ってやってんじゃねーか」
「はんっ、嘘つけ!! オレがぼろぼろになるまでなーんもしないで放置してたやつがよく言うわッ!!」
「あれは! 尸魂界に行って帰ってきてまた、虚圏行って留守にしてたから、仕方なく…」
「そうそう尸魂界から帰って、石田に直してもらって以来、修繕も洗濯もしてもらってねーけどなッ!」
「ッ、修繕は無理だけど、たまにファブってやってるだろッ!!」
「あぁ、あんまぁーい、フローラルなやつをな!」
「…買ってきてもらったもんに、文句なんか言えっかよ…」
「てめえで買え、この甲斐性なしー!」
…こんな問答は、猫のときにも多少は見てきたはずなのに…目前でされるとこんなにも、こんなにも……
「…うるさいよ、君たち」
ゆっくり起き上がってボソッと言うと、それに凍りついたように、一護とコンが口を閉ざした。

「い、石田?」
恐る恐る見てきたのは……一護だ。
「なんだい、黒崎」
眼鏡がないから、目を細める。
その様子に、あぁ、やっぱ眼鏡ねーと駄目か…なんて言葉が、返ってくる。
「眼鏡なくても、石田は石田じゃねーか」
バカじゃねーのか、とコンが返せば、いちいちおめーはうるさいっと、また、潰されるように握られる。
「んなこた、しょーちしてんだよっ」
「おめーが改めて言うからだろ。ホント、脳みそまで筋肉か、おめー」
「だから、うるさいって言ってるんだけど?!」
「うるさいってよ、おら、黙れ!」
「ケッ、妙なとこ、揃いやがって」
オレ様は付き合ってらんねー! とコンは一護の手から逃れ、ぴょんと窓枠まで飛び、がらりと開けて、また外へ出て行った。
…やってられない感、満載で。

「つーか」
「何?」
じっと見てくる一護に、わけもわからず、雨竜は居心地の悪さを感じる。
…何となく…わかるような気も、するけれど。
「石田、だよな」
ベッドに近づき、目線を合わせて、一護は見てくる。
「風呂場でびっくりしたけど、あの猫、石田、だよな?」
「…そうだ。バレてしまってはしょうがないけど、それ以外、何があるって言うんだい?」
(僕だって、君に僕だってバレるとは思わなかったけど)
動揺を隠して、いつもどおりに雨竜が告げると。
「あぁ……そうだな」
「は?」
「…そうだ」

 石田だな。

気が付いたときには、雨竜は一護の腕の中にいた。


この温度を、知っている。
けれど、知っているもの以上で、眩暈がしそうだ。

「黒、崎っ…」
声が、上ずる。
「あぁ……ホントだ」

 石田だ。

笑って掠れた声が、耳朶に響く。
猫のほうが音を聞く範囲は広くて聞こえやすいのに、人の身で聞く音の、なんと違うことか。
人の身で感じることの……なんて、震える心地だろうか。
猫のときとは違う、身体に感じる温度だとか、腕の力だとか、感触、だとか。
人と殆ど触れ合ったことはないのに、どうして、どうして…
(…今、自分は泣きそうになっているんだろう…)
猫でそばには居れたけれど、やっぱり、違ったのだ。
猫じゃ……彼を、感じることは、できない。
…触れようとしても、手は、届かない。
(…人に戻れたことも、よかったけど)
やっぱり、本来の姿で彼に逢いたかったのだ、と。
そう思うと、自然と…腕が、彼の背に伸びていた。
まるでそれが当たり前なように。
伸ばして、同じように彼の背を抱きたいと思ったとき…左手に走る痛みに、気づいた。

「痛……っ」
「あっ!」
それに気づいたのか、一護が抱きしめる力を緩めて離れた。
「忘れてた…お前、怪我してたんだよな」
指先を守るように手を重ねる雨竜に、一護が悪いと言うふうにぼやく。
その態度に少し、雨竜は気持ちをそがれた。
「…微妙に痛いんだけど」
「手当てしなきゃ…って思ったんだけどよ…なんつーか、一杯一杯で」
座ってぽりぽりと頭を掻く一護に、気が利かないよね、と雨竜は返す。
「何が」
「何がって…こうやって人をハグする前に手当てなり、なんなりする方が先だと思うけど」
違うかい? そう言って、雨竜は少し赤くなった自分の指先を見る。
雨竜の言動と行動に我に帰ったように
「……そうだな」
頭が回ってねーわ…と、座り込んだ一護は立ち上がる。
経過に何かあったとしても、結果、それは抜けているということで。
すんなり納得がいったので、怒ることもなかった。
「絆創膏じゃ心許ねーし、下行って、救急箱取ってくら」
そりゃ正論だよな、と部屋を出ようとする一護に、別にいいよと雨竜は返す。
「はぁ?」
気が利かねーって言ったのはおめーだろ! と一護が振り返れば、君にそこまで求めるのが間違いだって気づいたのさと、雨竜は笑う。
「ッ…なにぃ?!」
「それに、面倒だし……舐めとけば、治るよ」
言って、雨竜は、指先を赤い舌先でなぞった。
「っ!」
「黒崎?」
猫みたいだったかなぁ…と、痛みを確かめるように、雨竜は手をグッパーする。


―――自分の口唇が触れたところに、相手の舌先が触れる。
そんなのにキテしまう自分は、なんだかマニアックな気がする。


「………」
「黒崎?」
何呆けた顔してるんだ、と言う声も、素通り。
眼鏡がないから無防備で、笑うこともなかったから、一瞬、返答が遅れた。
そんでもって、自分が触れたところと同じ場所を、その舌先で触れるから。
―――――なんだか自分の何かが、手に終えなくなってる気がする。

(やベーな、オイ)

 誰にも正体バラしたくねーし、見せたくねーって、どうよ。

胸中にぼやきつつも、白旗は華麗に振られているようだ。
それはそれは、お手上げ状態。



「わーったよ」
「はぁ?」
何が…と問う雨竜が居るベッドに近づいて、言うが早いか、一護は雨竜の掌を取って、その指先を舐めた。
「……っ…!」
「舐めときゃ治るんだろ? だから、舐めた」
見たことか、と雨竜の手を握ってしたり顔をする一護に、一瞬雨竜は呆気に取られた。
「な、なんて不衛生なんだっ! 今すぐ、今すぐ救急箱をもってこい、黒崎一護!!」
「何でだよ、舐めときゃいいっつったのは、おめーだろ?」
だから応急処置で舐めたのに…と、雨竜の手を離して、一護はぼやく。
「そ、それとこれとは別だッ! あ、あんまりにも驚いて、声も出ない」
「出てるだろ」
「うるさいっ」
顔が赤くなっているのが判る、指先もジンジンしてきた。
心臓はバクバク音を立てて、口から出そうだ。
「い、いったい、何考えてるんだ、君はっ。虚圏の霊子濃度の高さに、脳がやられたかっ」
「うわ、なんつー言い草。つーか、コンと似たようなこと言いやがるし。
霊子濃度の高さに調子がいいといってたのは、何処のどいつだよ」
そう言って一護は、猫のときの自分に対するのと似た……それ以上の何かを持って見つめてきているように感じられた。
ベッドに座って、自分と向かい合わせになって。
「霊子を操るものなら当たり前だ。斬魄刀だって霊力の塊、元は霊子じゃないか」
「え、そうなのか?」
「そうだよっ!」
いつもどおりのやりとり。
なのに、酷く染み入るのは、やはり。

「あーその屁理屈の捏ねようといい、回りくどさといい、説明好きのところといい、正真正銘の石田だ…」
「なんだそれ! そんなこと言う君も、正真正銘、バカの黒崎だなっ!」
ほんの少ししか離れていないのに、姿が違うというだけで、こんなにも違うのだ。改めて認識した。

「素直に抱きしめられてっから、なんだ?! って、思ったぜ」
「眼鏡もないし、何より、自分の状態がわからないんだ、しょうがないだろ?!」
対処が遅れても僕の所為じゃないと、雨竜は口を尖らせる。
「お前なら、霊圧かなんかで判ると思ってたぞ?」
「感じることは出来ても、見ることは出来ないからな…」
今のこの距離で、君の顔はぼんやりだ…と、眉を顰める雨竜に、そうなのか? と一護は顔を近づける。
「…これくらいか?」
「…目と鼻と口の位置ぐらいは、わかるかな」
「…あてになんねぇ」
そう言って、また、一護は身体を前のめりにして、顔を近づけてくる。
「…近づきすぎじゃないかい、君」
「そうか?」
見えねぇんだろ? に、そうだけどとしか、返せない。
身体を引くにしても距離感が掴めず、後ろに引きすぎたらベッドヘッドで頭を打つぞといわれたら、それ以上こちらも引けない。
「…まだ、来るのかい?」
「…あぁ」
呆れたように雨竜が返せば、真剣みを帯びた声が、一護から返ってきた。
「怪我のおかげであの猫が石田だっつーのは判ったけど」
「…猫になった経緯は、また、改めて言うよ」
「つーか、お湯被って猫が人間になるって、漫画かよ」
「…信じたくないのはわかるけど、事実だ」
「…ホントか?」
「…ホントどころか、もう、ぶっちゃけるけど、半分は君の所為だからな」
「…そっか」
「…何、ムキになって」
「…別に、なんも」
だんだんはっきりしてくる輪郭に、雨竜は逃げたくなっていた。
(…もしかして)
コンくんとの会話も聴いていたし、今までの所業とかを思い返して…
問い詰められているのだろうか、自分は。
「…何処、まで」
口唇が触れそうな距離まで、追い詰められる。
「何処まで、って」
目前の表情は……酷く、男っぽく感じられた。
「…ゼロ距離」
その声と言葉が合図のように瞼を閉じさせたのは、何とも言いようがない。
「…猫のときは、もっと、近かったろ?」
それから、伸びてくる腕。さっきよりももっと優しい…抱擁。
「改めて、言う――――俺は、石田が好きだ」
瞼を閉じたままの自分に降ってくる言葉は、とても甘く、優しかった。