…と、浸っている場合では、なかった。
いや、浸ってたいのは本音だが(正直すぎだ、俺!)風邪を引く。
それに何より、何より……誰かに、見られでもしたら。
きゃーっ!! お兄ちゃんの変態ーッ!!
って、叫ばれることになるのだろうか。
そんな趣味があったなんて、気持ち悪いッ!!
って、言われたりして…。
全裸の、しかも、女じゃなくて男を腕に抱えていたら…さぞかし。
あったかい風呂に入っていたはずなのに、背中には冷たい汗が流れる。
それだけはカンベン、いや、マジで。
別に、ホモって言われてもいいけど(いや、それもどうだが)変態だけはカンベンしてほしい。
ほら、変態って、あれだろ? マッパでマント着るやつとか、女物の下着つけて喜んでる奴だとか、靴で踏まれてよがってるとか(をい)
そういうやつのことなんだろ? 俺はいたってノーマル…と、浴室で一護はぐるぐると思った。
それは、置いておき。
とにかく、このままでは二人とも風邪を引くという、呆れたことになる。
「……しゃーねーな」
頭を掻いて、一護は、何とか自分を落ち着かせた。
とりあえず、濡れた身体を拭くことが先決だ。
あぁ、先決だ、先決だ、当たり前だ。
そう思い、再び雨竜を抱き上げて、一護は立ち上がる。
最初ちょっとよろめきはしたが、持てない重さではなかった。
それよりも、軽いことに気が付いた。
(…ちゃんと、食ってねえんだな…)
食えてなかったのかもしれない。
いや、もし、猫が雨竜自身だったのなら。
猫の身体としてはちょうどだったが、人に戻ったら、それは違ったのかもしれない。
(なんつーか…勝手するけど、許せよ)
胸中にぼやいてから、一護はバスタオルを手にした。
とりあえず、自分をさっさと拭き、下着とジャージを穿いた。
その後、申し訳程度のバスタオルに寝かせておいた雨竜の身体を拭く。
拭きながらも、目を覚ます気配はまったく感じられないので、これはこれで有難いもんかな…と、苦味を帯びた笑みを、一護は浮かべる。
起きられても困るが……こうも無防備にそんな姿でいられると。
「……だーから、落ち着け、俺……」
これが、若さってやつなのかぁーと、がっくり肩を落としながら、一護は、自分の長めのトレーナーを雨竜に着せた。
気絶している人間と同じ意識のない人間だから、扱うのにはとても気を使う。
病気の人間の介護をしたときに、実感した。
何処かぶつけていないだろうか、打ってないだろうか、自分の爪が引っかいたりしてないだろうか、そんなことを思いながら、ゆっくり、ゆっくり、一護は作業を進める。
袖を通そうと腕を取ったとき…左手の人差し指と中指に、擦ったような、引っかいたような、赤い筋があった。
「…これ」
もしかして。
猫の左手というか、左前足というべきか…人で言う指の部位に、少し擦った痕があった。
毛皮に隠れていて、赤くなっていたように見えたもの。
よく見れば、指先と爪を少し、擦った痕。
白い肌だから余計それは目立って。
赤みを帯びたそれは、こちらにも痛みを感じさせる。
「…やっぱり、お前だったんだな…石田」
痛くなかったのかよ…と、左手を手繰り寄せて、一護は口唇を寄せる。
「…浅い傷で、よかったよ」
早く見つけられて本当によかった…と、一護は心から思った。
何とか自分の身支度も整えて、浴室の外の様子を伺い、一護は、雨竜を抱えたまま、何とか音を立てないようにその場を後にした。
つもりだが、下にいた遊子から「お兄ちゃん、階段静かに上ってー!」と、お叱りを受けたのだった。
身支度を整えたとはいえ、上は何も着ずタオルだけだったから、そこらにあったシャツを羽織る。
タオルでくるんだとはいえ、自分の素肌にあの体温が当たるのは…正直、不味かった。
心臓に近い位置に相手の頭があって…心臓の音で起きやしないかと、情けなくもはらはらした。
髪だけはあの場でうまく拭けなかったから、ベッドに寝かせる前に、髪を拭く。
完璧には拭けないので、ところどころ束にはなるが、ドライヤーをかけるわけにも行かないので、申し訳ないが、そのままになった。
ベッドに背を預けている石田は、一向に目を覚ます気配はなかった。
服を何とか着せたまではいいが…下はどうしようかと思い、考えた。
が、どうにもこうにも駄目な方向へ行きそうなので…やめた。
あぁ、俺、別の意味で変態さんかも…と、自分で突っ込んでへこんだ。
…しかし、トレーナーの裾から伸びるすんなりした白い足も、自分にはとってもマズイものなのは確定したので、
もう、何とか隠れるところまで伸ばしちまえ!! と、よれていたトレーナーを、力の限り引いた。
それでも、何処のアイドルか、グラビアか!
そんな声を出したくなるほどの長さでしか、そいつは隠してくれなくて。
ちきしょー! そうだよ、寝かせて布団かシーツ掛けちまえば見えねーよ!
と、半ば自棄になって、一護は雨竜を再度抱きかかえ、ベッドに横たえた。
そして、白い足、および、色々が目に入る前に、さっとシーツを被せた。
あ、傷の手当…と、手を取ろうとしたが、先ほど自分のした所業を思い出して、手が出せなくなった。
口唇に触れた皮膚の感触を思い出して、あぁぁ…と、一護は項垂れた。
「はー…………」
一仕事終えた…といった感じで、一護は息をつく。
自分の部屋が一番手前なのも幸いだったし、夏梨が帰ってないのもよかったし、何より、うるさい親父がいないのも幸いだった。
夏梨に見つかれば変態の一言で終わるはずはないし、親父に至っては、なんだ、そっちの勉強のため、等身大人形でも買ってきたのか? と、とんでもないことを言いかねない。
…そっちの勉強ってなんだ、そっちの…と思いながらも、思い当たる節があり、どっとへこむ。
自分の父親ながら、思考回路はまったく読めないというか、判り辛いので、何が飛び出るかわからない。
余計なことを言われて、言い返して、こんがらがるのも止めたい。
―――――なんせ、一杯一杯なもんで。
自分の部屋という、とりあえず、落ち着きそうで落ち着かないテリトリーに来られただけでもめっけもんで。
大半のことはやり遂げたように思える。
(ま、後のことは、後でいっか…)
コイツが目を覚ましたら、聞いたらいいし。
さまざまな偶然に感謝しつつも、ようやっと逢いたかった人間に逢えたというのは嬉しくて。
知らず、口元を上げて、一護は笑っていた。
「おう、お探しの猫野郎は見つかったのかよっ! ふん、あの箱入りが、
どの面さらして帰ってき……うきょぁぁぁっぁ?!」
帰ってきたのを見計らって、コンは窓から一護の部屋に戻るものの、そこで見た思わぬ風景に奇声を上げた。
「いっ、いっ、一護っ! おめ、とうとう…」
「だー、うっせぇ! とにかく、窓閉めろ」
あわてて雨竜から離れる一護に、コンは顔を青くした。
騒ぐコンを捕まえて、一護はぴしゃんと窓を閉める。
何とか…声は外に漏れてない…と、思う。
「そうか、そこまで思いつめてたか、一護…石田似のダッ●ワイフまで買ってくるとは」
「ダッ●ワイフじゃねぇ! つーか、何でオメーがんなモン、知ってやがる…」
まさか、俺の身体で、んなモン、見に行ってんじゃねーだろーな…と、一護は捕まえたコンの首を閉める。
「ダッ●ワイフじゃなきゃ、アレか? 義骸か?」
浦原の奴に、なんか言って作ってもらったのか、オイッ! と声をあげるコンの口を、一護は塞ぐ。
「それも違うッ!! つーか、その話から離れろっ!!」
「イヤー、あんなに語ってたのを聞いた後だからよぉ…」
ボク、驚いちゃってもぉ、と器用に一護の手から抜けてコンはおどける。
その言葉に、一護は頭を掻きつつ、ベッドを背に床に座る。
「…語ってたのは認める。でも、んなモン用意する暇も、時間も金も、俺にあると思うのか、オメーは」
「…無理だな」
腕組みをしてのコンのその一言に、一護はがっくりと肩を落とした。
何で俺、こんなこと言われなきゃなんねーんだ、と、涙したくなった。
しかも、ぬいぐるみに。
けれど、まだ、コンだけだからいいほうだ。
連れ込んでも(って言っちゃー、語弊があるが)まだスルーしてくれる。
これが、ルキアもいたら……何がどう言われ、どうなるか。
“一護、き、貴様、血迷ったのかッ!! 気絶した婦女子ならいざ知らず、お、男を連れ込みおって!!”
いや、男でも女でも同じことを言いそうだが、意表をついて
“一護、おぬし、石田をかどわかしてどうしようというのだッ!!”
いや、かどわかしてないし、どうしよう…とは、しないし…したくても…出来ない。
いたら余計こんがらがるだろう事は目に見えていて、一護は目を泳がせた。
ある意味、自分の父親以上に、読めない女傑だから。
こうなったら、尸魂界に戻っていてくれたことが、ありがたく思える。
コンには悪いが。
「つーか、話の腰を折っちゃなんだが、何で石田がここにいるわけだ?」
なにやらおかしなことを言ってくれたが、話は聞いてくれるらしい。
と言うか、何で石田だと判ったと問えば、おめーが嬉しそうな顔してるからだよと、渋顔でコンは返してきた。
「うぇ?」
嬉しそうな顔って、んなばかな…と、騒ぐのは遠慮したいが、今、秘密を共有できるのは、目の前のライオンのぬいぐるみだけだ。
自分にはわからないが、コン曰く、嬉しそうにしている顔を引き締めて、一護はコンに向き合う。
「…実はな」
かくかくしかじか。
とても簡単に、一護はコンに説明をした。
状況説明だけだ。
自分が石田を運ぶことに苦労したことも、欲情したことも、全部すっ飛ばして。
それから貰った答えは。
「…オメー……疲れてんじゃねーのか?」
石田のことで躍起になってッから、そんな幻見んだよ…と、胡坐の膝を叩かれた。
「疲れてなんて、ねーよ…」
そこに石田がいるのに、幻扱いをする。
背に感じる気配は、微かに聞こえる、呼吸は。
自分だって、石田だろ、と言ったくせにだ。
でも、現実、目の前に石田はいて。
お湯を掛ける前は猫で、お湯を被ったら、石田になって。
そこに、いるのだ。
「幻か? これが? こんなにはっきりといるんだぜ、ここに…」
そう呟いて、一護が振り返って、ベッドに眠る雨竜の頬に触れようとしたとき。
雨竜の瞼が、震えた。
景色が、ぼんやりとする。
明るいのは感じるけれど、どうなっているのかはわからない。
(あぁ、眼鏡、ないからだ)
眼鏡、眼鏡…と、腕を持ち上げて、あちこち、探ってみる。
でも。
……感触が違う、と、肌で感じた。
(え?)
今、自分は何処に?
けれど、この感触、いつもと違うけれど、知っている。
ここは。
「石田」
声を掛けられて、急速に、記憶が遡っていく。
“石田”
懐かしさすら覚える、声。
「黒、崎」
ちゃんと開いた瞳の先、鮮やかな橙色が、自分を見下ろしていた。
「はい、クロサキ医院…あぁ、珍しいな、総合の院長が」
掛かってきた電話を取り、一心は進めていたペンを止めた。
<別段用はない…先日、貴様が掛けてきた用件が、気になっただけだ>
冷ややかな声が、向こうから返ってくる。
それを別段気にした風もなく、一心はペンを進め、最後まで書ききった。
「用件? あぁ…うちのバカが拾ってきた黒猫のことか」
だいぶ前の話になるなぁ…と笑う一心には、別に、どうでもいいことだ…と、眼鏡を上げる竜弦の仕草が目に浮かぶようだった。
「案外、気にしてんじゃねーかって思ったから電話したんだけどな?
俺も現場に居合わせたから、責任は感じてんだよ」
<責任? ふん、目撃者なだけだろう。それも、たまたま貴様がその場に居合わせただけのことだ。そんなもの、関係ない>
「冷たいこって。息子の同級生を心配して、何が悪い」
電話を片手に、一心はカルテの整頓を始める。
今日も常連だけで、穏やかにすんだ。
健康が一番だよなーと、しみじみ思いながら、店じまいの支度をしていく。
<ど、同級……たまたまだ。クラスさえ違えば、関わらなかったものを…>
「そうかぁ? 親が知り合いなんだから、いつかは面は割れるだろうて」
竜弦が聞きたいことを察しながらも、向こうが核心を付いてこないので、一心もそれに付き合う。
それに知ったかぶりのように伝えたら、何が帰ってくるかわからない。
<…あれは、自ら私に関わっては来ない。面も割れることはあるまい>
ツーンといった表現が合いそうな声色に、何処までコイツはクールでツンデレで不器用なのだと、一心は内心溜息を付く。
(…結衣さんがいてくれたらなぁ…)
そして、うちに、真咲もいたら。
そんなことを少し感じながら、一心は電話先の相手を思った。
「とにかく、なんだ…多分だが…うちの一護が拾った黒猫。
あれは、雨竜君と見て間違いはないと思う」
<何故貴様に判る>
言葉にとげとげしいものが加わり、そんなに怒るなら、自分でさっさと調べればいいだろぉーと、一心は胸中で嘆息した。
「…とりあえず、霊圧、調べてみたんだよ。一護もちょっと不安定だったからな、ついでといっちゃ、ついでだ」
<…あのときにほっぽり出していたくせに、今更父親面するわけか、貴様は>
「…それは……今は置いといてくれや。その辺りの恨み言はまた後日…」
<誰が、貴様ら死神と、膝を突き合わせて話をせねばならんのだ>
それはまるで、うちの雨竜がこういう目にあったのは、お前たちのせいだ、と言われているようだ。
まぁ、あながち間違いでない辺り、何とも言えないが…大半はうちのバカ息子の所為で、自分の所為ではないのだ…と、言うのも、また、ろくでなしの発言だなと、嘲られるのだが。
「…ともかく、一護が拾ってきた猫の霊圧も、不可思議だったから探ってみたら…雨竜君だったってだけだ」
これでいいのか、と言外に返せば、そうか…と、静かな声が帰ってきた。
<よりにもよって……貴様の家とは>
何処まで貧乏くじを引けばすむのだ、あのバカは…と、嘲りとも憐れみとも言えない声を、竜弦はあげる。
<それで、世話はどうしている?>
「世話ぁ? まぁ、下には降りて来られねーから、一護の部屋に居っぱなし…ってわけだが……竜弦?」
<………軟禁か?>
「おいおい、軟禁も何も、うちは医院だぜ? 基本的に動物は駄目ってことだ。それを一護のやつが、自分の部屋から出さねーようにするからって、承諾させられたのに、それはねぇだろ?!」
<…猫なら、外に出るものだと思わなかったのか?>
「動物、飼わしてやったことねぇからなー、悪いことに。
それに、大人しくて暴れたりもしねーから、そういうもんだと思ったんじゃねーのか?」
<…浅い知識だ>
「悪いね。改造魂魄のほうが、ぬいぐるみでも自由に出る家なんでな」
素直に心配してるって言えねーのかねぇ…と、ぽりぽりと一心は後頭部を掻く。
「……まぁ、なんだ? うちに来て一週間ほど過ぎてるが…何の問題もねぇと思うぞ」
うちのバカは、ちょっとした恩恵を受けてるだろうが、とは、口にせずに。
<それは雨竜が事態を考えて動こうとしないからだ。
そうか、貴様の息子が雨竜を軟禁しているからじゃないのか?>
ほぉーお、と、一心は息を付いた。
(ご愁傷さまだなぁー、一護)
あんだけ心を砕いて接しているって言うのにな…と、遊子や夏梨たちと一緒に世話をしているのを見ている父親としては、かわいそうに思えてくる。
(…許せ、一護)
代りに、父が謝る。
(…竜弦は、筋金入りの、息子ラブな男なんだ)
お前が悪いんじゃない…と、二階に視線をやりながら、一心がぼやいていると…ふとした霊圧の変動に気づいた。
「…おや?」
<…なんだ>
訝しげな声が、受話器から聞こえる。
それを聞きつつも、一心が探知の幅を広げて……おやおや…と、何処かの下駄帽子が言いそうな言葉を、音にせずに口唇だけで表した。
<何があった、黒崎>
数キロ先、総合病院の院長室でも何かを感じたろう竜弦が、声をあげる。
なんだ、おめー、そうやって探れんじゃねーか…と、思いつつも、なぁに、どうってことはない、と一心は返す。
「一護に、黒猫の正体がバレただけだよ」
じゃぁな、と、一心は電話を切ろうと受話器を下ろす。
そこからは、何、なんだと、オイ、黒崎ッ!! と、珍しい竜弦の叫びが響いた。
「さぁ、どうすんだ、一護?」
面白げに、けれど優しい顔をして…一心は、呟いた。