「あー、お帰り、お兄ちゃん」
「おぅ、ただいま。悪かったな」
「ううん、大丈夫だよ」
玄関先で交わされた会話。
窓から逃げた自分を探しに黒崎が出たこと、それを父親に報告することなど、いろいろあったらしい。
「お帰りなさい」
そういって、小さな手が、頭を撫でる。
それが酷く、辛い。
優しくされればされるほど、自己嫌悪に落ちていく。
騙しているのに。
「とにかく、安心した。でも、この子、砂だらけだね」
洗ってあげたほうがいいんじゃないの? と遊子が言うと、そりゃそうだなと一護は返す。
「んじゃ、飯の前に風呂に入るわ。俺も走り回って汗掻いたし。先に飯、食べてていいからな」
そういって一護も、遊子が雨竜にしたように、遊子の頭を、その大きな手のひらで優しく撫でた。
もー砂が落ちるでしょーといわれ、悪い悪いと一護は玄関を後にした。
「まぁ、取りあえず…着替えと…バスタオルは、二枚ぐらいでいっか」
何とかうまいことクローゼットから着替えを出し、一護は風呂場にいた。
「そこでじっとしてろよ? また捕まえに行くなんて嫌だぞ」
ぽんぽんと頭を撫でられて、雨竜は頷くしかなかった。
几帳面に砂を落とし、柄物などを分けて、一護は洗濯機に放り込んだ。
そしてそのまま、爪立てんなよと雨竜に言って抱き上げて、浴室の扉を開いた。
「おー一番風呂かー、久しぶりだな」
そういって、ひとまずは雨竜を浴槽の蓋の上に下ろす。
猫は水が苦手とか聞いたので、取りあえずは避難だ。
けれど、逃げるそぶりもなくおとなしくいるので、一護は先に自分の用事を済ませた。
おわ、ザリザリする…砂付いてたのかよ…と、ぶつぶつ言いながら、
シャンプーと身体を洗うことに一護は専念した。
「おーおとなしくいたな、お前」
反省してるのか? と、濡れて降りた髪を掻き上げて、一護は雨竜を見る。
「じゃぁ、次は、お前洗ってやるな」
そういって、浴槽の蓋から優しく雨竜を抱き上げ、驚かないように自分の肩に寄せて、
その背中から、湯を掛けた。
猫は下から湯を掛けてやって慣らしていけばいいと、立ち読みした本には書いてあった。
まぁ、人間の赤ちゃんでもそうだけどなぁと、昔、父親が妹達を風呂に入れていたときを思い出して
ゆっくりと、湯を掛けていった。
尾っぽから、足、背中…順々に上に掛けていく。
耳に入らないように気をつけて、頭まで。
右手でシャワーヘッドを掴んでいて、左手で慣らすように湯を、掛けていたはずだった。
そう、はずだったのだ。
最初でこそ、黒い毛並みが濡れていくのを見ていた。
けれどそれが……頭までを完璧に濡らし終わった後。
そこに、現れたのは。
自分と同じ質感を持つ、人の肌で。
自分の顔のそばにあるのは、濡れた、黒い髪で。
自分に縋りついて、泣きそうな顔で見てくる、石田雨竜の顔だった。
「…え………」
幻?
馬鹿みたいに逢いたいと思っていた、好きだと自覚した、相手だからか。
一瞬、目の前に誰がいるのかわからなかった。
「なーう」
そう言って、口唇が、動く。
「…石……田……?」
シャワーの音にかき消されそうな声で、一護は呟く。
「え……」
今度は雨竜が、瞳を大きく開く。
一護にしがみつく腕を見、自分の眼前にやる。
「ぼ、く………」
戻ってる。
小さく呟く声は、掠れていて。
けれど、石田の声で。
俺は、胸が締め付けられるようだった。
「い、しだ………」
一護の手から、シャワーヘッドが滑り落ち、湯が螺旋を描いた。
立ち上る湯気で、周囲に靄がかかる。
「お前……」
触れる濡れた肌の感触は、本物だ。
電灯の下、白く発光するような。
(……石田だ……)
濡れた黒髪も、切れ長の瞳も、華奢な肢体も、全て。
自分が憶えている、知った姿だ。
呆然としたまま、雨竜は一護にもたれたままでいる。
(…戻ってる……)
人の、姿に。
(……どうして)
こんなときに。
ぼんやり霞んで、何も見えない。
見えないと言うか、ぼやける。
ただ、妙にはっきり解るのは。
(へー……黒崎って、人肌で触れても、あったかいんだ…)
そう感じ、雨竜は意識を手放した。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
いや、起こるというか、いや、起こったというべきだろう、これは。
自分は確か、猫を連れてきたはずだ。
綺麗な綺麗なって、自分で云うのもなんだが、綺麗な黒猫。
薄汚れて帰ってきたから、ついでにと、風呂に入れようとした。
それが。
湯を掛けたら、人になって?
それが。
石田雨竜になるなんて。
誰が、思う?
「○△□☆※!!」
言葉にならない、けれど、声を出さずに驚いた自分を、誰か誉めてほしい。
いや、誉めてほしくもねーけど、なんてーか、うん。
くったりとした様子で…石田は、自分の腕の中にいる。
しかも…………裸で。
(ウ……)
ドキドキした。
いや、別の意味でも。
何せ……下半身が、あらぬ反応を起こした。
というか、そういう意味でも好きなんだ…と、納得したというか。
そういうわけで、今、自分としては、結構瀬戸際って言うか。
(…とりあえず)
寒くなってきた時季に、裸でこんな風にいるのも風邪を引くしと、
改めて、一護は気を失っているだろう雨竜を、抱きかかえる。
それでも、触れる肌に反応してしまいそうで、気が気じゃない。
(あー……落ち着け、俺。頼むから、落ち着け、俺)
反応して、おっ起ってくれるな…と、下半身に力をこめる。
この状態で石田が目覚めれば、襲っているといっても過言でなくなる。
(つーか)
本人目の前に認識して、欲情するってのが、情けない。
記憶の中にいたのが拒絶する背中ばかりだったせいか、余計。
(でも)
確かに、今、腕の中にいるのは、あの石田だ。
(ちゃんと、いやがんだ……)
口元に手のひらを当てて、息をしていることを確認する。
抱きしめた腕に掛かる重みと温度に、安堵する。
(石田……)
一護は雨竜の濡れた黒髪に、口唇を押し当てた。