「…無様だな、雨竜」
竜弦の声が、酷く大きく聞こえる。
それから…すごく大きく、威圧的に見える。
威圧的に感じるのはいつもだが、それ以上に、なんだか…相手が、大きい。
「気づかないのか?」
言われている意味が、解らない。
ただ、水を掛けられて、冷たい、とは思った。
何度か掛けられて、いい加減にしろ、とも。
ただ、それだけだったはず。
なのに。
「自分を見てみろ、雨竜」
自分を見てみろ? 何馬鹿なこと言ってるんだ。
そう言われて、自分の手を、前にする。
………あれ?
一瞬、何か違うものに見えて、違うだろーと、ぐっぱぐっぱして見たら…自分の思うとおり、動いて。
嘘だろ? と、言ったつもりの自分の声は、言葉は。
「にゃー」と、言葉にならない声にしか、ならなかった。
「にゃーぁぁぁぁぁぁっ?!(なんだぁぁぁぁぁぁっ?!)」
上げたつもりの悲鳴も、猫の声にしか、聞こえない。
握った手からは、爪が出て、触れるはずの眼鏡もなく、ぴんと張った髭が手に当たるだけだ。
周りにうっすら見える白いものは、もしかしたら、着ていたものか!?
「にゃぁ! にゃにゃにゃ、にゃにゃにゃにゃあぁぁぁっ!!」
(竜弦! あんた、いったい僕に何したぁぁぁッ!!)
吠えるように返すと、竜弦は面白そうに僕の前に立ち、僕を見下ろして……とても恐ろしく、笑った。
「……死神と、関わったからだ」
瞳の奥には、剣呑な光。
「…にゃ…?(…え…?)」
バレてないとは言わないけれど、見逃してやるとも、言われてない。
僕に思い当たる死神はただ一人、黒崎一護だけだ。
他は…知ってても、言えない。
「あの馬鹿でかい霊圧が、町に戻ってきただけで、世界が揺れた。
そこに知った霊圧があるのに気づかないほど、私は愚かではない」
(忘れてた…)
忘れていたともまた違うが、相手は滅却師。
霊圧を読むことなんて、お手の物。
しかも相手はあの、霊圧を隠せない黒崎だ。
読んでくださいとばかりに大きい霊圧は、解らないほうがおかしい。
「にゃ…ッ(チ…ッ)」
「さっさと戻ればいいものを、たらたらと夜に二人して歩いているからだ。
お前に死神の痕跡が染み付いても、しょうがない」
「にゃ、にゃにゃ、にゃにゃにゃッ!(な、なんだよ、痕跡って!)」
「お前の肩に、まだ、あの紅い霊絡の欠片がある」
「にゃ…ッ…(何…ッ…)」
視覚化しても、自分の、猫の目には映らない。
そんな気配すら、この男は読めるというのか。
「……気になるのか?」
「………にゃにゃ(………冗談)」
そんなもの、残るなんて、思えない。
それじゃぁ、よほど………自分が、その感触を、惜しんでるようじゃないか。
繰り返し繰り返し、脳裏を巡る、思い出のように。
「とにかく、死神に関わった。これはその罰だ」
「にゃにゃ………(解った………)」
感覚的に、身体全体から、力が抜けるというか、下がるような感じがした。
もしかしたら…犬の尻尾が下がるごとく、そういう風になっているのかもしれない。
負けたくない…そう思っても、今の解らない状況じゃ、どうしようもない。
反抗するのも疲れた、呆れた、そんな僕に、降るように、竜弦の言葉が落ちてくる。
「本当は女にして、花嫁修業でもさせてどこぞに嫁にやろうかと思ったが…それでは面白くない。
ので、娘でなく、猫にした」
それに、娘にしたら、どうにもこうにも面白くない方向に行くのが見えているからな…と、寂しそうにも見える顔で、竜弦は見てくる。
どーいう意味だ?
僕は首をひねった。
女にする? それが面白くないから、猫にした? どういう意味だ。
そのまま見上げた竜弦の手には、柄杓が握られていて。
そのそばには、桶があった。
古びた桶だが…なんだか、禍々しいような気配を伴っていたのは、気のせいだろうか。
「この止水桶(チースイトン)の中にある水は、呪泉郷、猫溺泉(マオニーチュアン)の水だ。
中国の奥地にある、とある呪われた泉の水だが、この泉の水を浴びたものは、その泉で溺れたものの姿になる。
猫溺泉というぐらいだから、わかるな…猫だ。
その水を浴びたお前は、猫になった。それだけだ」
一息に言われ、呆気に取られる。
猫が溺れた泉? 水を浴びたら、その姿になる?
何、その、漫画みたいなこと。
いや、僕だって、漫画だけど…と、思いつつも、にゃッと、竜弦を睨む。
「その姿で凄んでも、呆れるだけだ、雨竜。
ちなみに、止水桶で汲んだ水を浴びれば、水を被って変身した姿が留められる。
そんな呪いらしい。
普通の呪泉郷の水ならば、湯を浴びれば元に戻るが、止水桶に汲まれた水を被ったお前は猫のままだぞ」
「にゃぁぁぁっ?(なんだそれーっ!)」
全身の毛が逆立つ思いだ(いや実際、逆立ってるかもしれない)。
「しかも、止水桶の対である開水壺(カイスイフウ)で沸いた湯を浴びなければ、
その呪いは解けないらしい…いかんせん、どこに開水壺を仕舞ったか、解らないのだ」
「にゃにゃにゃーーーーーッ!!(あんた馬鹿かーーーッ!!)」
はっはっは…と、楽しげに言う竜弦に、僕はもう一度叫んだ。
「怒るな雨竜。これは、お前が、尊敬する、私の父、宗弦が持っていたものだぞ?」
「っ!!」
いちいち言葉を区切って、言い含めるように伝えてくる。
根底には「やはり、お前は馬鹿なのだな」と言う思いが、ありありだ。
何でそんなものコイツに渡したんだ、師匠〜! と思いながらも、
師匠、何で、そんなもの持ってたんだろ? と言う疑問も落ちてくる。
それが顔に出たのか(猫の顔でわかるのか?)応えるように竜弦が口を開いた。
「私も定かでないが…たまたま面白そうだからと、受け取ったらしい」
あの人は妙なところ、珍しい物好きだからな…と、溜息をつく竜弦に、
あんたら、変なとこで親子なんだなと、感心した。
いけないいけない、竜弦ならともかく、師匠にまで悪態をつくなんて。
怒りに我を忘れるな、石田雨竜! と、胸中に呟きながら、雨竜は怒りと鼓動を沈める。
「止水桶がアンテナになって、開水壺の居場所を示すらしいが…」
「にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃーーッ!!(先に探してから使えーッ!!)」
落ち着いたはずの僕の心臓は、また鼓動をあげた。
「とりあえず、ここに、男に戻るための即席男溺泉(そくせきナンニーチュアン)があるが…おい、雨竜」
嬉々としてそれを出す竜弦に、そうやって恩を売るのが目的かー!! と逆毛を立てれば、
かわいくない奴だ…と、ぼそりと言われる。
あんたにかわいいなどといわれたり、思われたらおしまいだ…と、と思いつつも、
すっと伸びてきた指先に、顎を擽られて、にゃぁーと鳴いてしまった自分に、腹が立つ。
「やはり、ここは弱いのか?」
く…屈辱だ。
あんまりに腹が立ったので、僕は思いっきり、竜弦の指に噛み付いた。
痛ッ、と言う声が上がったけれど、ざまを見ろ、と思って、たいしたヒントも得ないまま、僕は部屋を飛び出してしまったのだ。
その過ぎ去った僕の後姿を見て。
「……だからお前は、馬鹿だと言うんだ」
そういって小さく笑った竜弦なんて、知らない。
「…お前もじゃねぇの?」
と、そばにいて返した相手も、知らない。
僕は、僕じゃなくなったことで、頭がいっぱいだったんだ。
「しばらくは、帰ってこねーんじゃねーのか?」
「…たまにも、帰ってこんさ」
「…寂しい親父だなぁ、おい」
「…黙れ」
「…ちゃんと言ってやればいいのによぉ?
ホントは止水桶の水じゃなくて、ただの猫溺泉の水だって」
だから、お湯を被ったら元に戻るって。
そういう相手に、竜弦は、溜息をつく。
たまたま自分の所業が見つかってしまい、付き合わせたのが運のつきだったが、
こうまで言ってくるとは思いもしなかった。
「…罰は、受けるためにある。あいつは甘んじて受けた。だから」
「だーかーら。オメーもホント、不器用だな」
興味がないという具合に返しても、相手はただ、呆れたような、まったくと言ったような顔で、見てくる。
「猫のときにでも抱きしめてやったら、心配してたって、伝わったろうに」
抱きしめてやることも、愛情だってのに。
「…くだらない」
飾りと化した桶を、さっさと片付ける。
中の水は、ただの水だ。
「それに、この罰は、貴様の息子にも一部ある。
せいぜい巻き込んでやるから、何とかしろ」
「へーへー……難しい親父の、愛情表現だな」
冷たく射抜くように見る竜弦に、一心は呆れた声をあげ、ぽんぽんと竜弦の肩を叩く。
「…触るな」
「えー、肩叩いただけだろう? 何カリカリしてんだよ。うちの馬鹿、なんかしたか?」
「…馬鹿も何も…何故いつも雨竜を巻き込むのだ、貴様の息子は」
ほっておいてくれれば、アレも死神なんぞに関わらなくてすむのにと返す竜弦に、さぁなと、一心は腕を組む。
「オレにもよく解らんが…。あれもまぁ、馬鹿だから?」
馬鹿って言うか、鈍感? と分析する一心に、貴様の息子などどうでもいいとばかりに、竜弦は溜息をつく。
「でも、女の子にしたら美人だろうなぁ〜」
今でも美人だけど、の声に、貴様…と、竜弦は目くじらを立てる。
「アレは、女でなくても美人だ」
素とも言いがたい、けれど、当たり前のように竜弦は言う。
「……なんか、お前が本当に親ばかなのが、垣間見えたよ、一瞬」
溜息を付く一心に、竜弦が、何が親ばかだ、私は真実を言ったまでだとふんぞり返る。
「最近の若者にはない、清潔感のある黒髪、涼しげな眼差し。
昨今消えて久しい純和風のアレを美人といわずとして、何を美人とするッ!」
「へーへー……しかも結衣さんそっくりだし」
「……ゆぃぃぃ……」
「…しまった、NGワード…」
やばい…と一心が思ったときには遅く、竜弦は、書棚に隠していた亡き妻の写真を出し、しょげていた。
「とにかく、女の子にしたほうが扱いやすいんじゃないのか?」
息子を守るのはなんだとしても、娘なら…と、自身に娘があることを例に一心は返すが、
竜弦は眉間に皺を寄せ、無理だな…と、溜息をつく。
視線は、妻の写真に当てられたままだ。
「…なんせ、あの結衣の血を引く子供だぞ……」
男だろうが女だろうが、性根はかわらんだろう…と、悟ったかのような言葉に、
いや、それ、お前まんまだから…と、一心は内心溜息をつく。
「なんとも…不器用な親子だなぁ、おい」
「…貴様のところが良好だとは、思えんが」
「あぁ〜? うちは良好だぜぇ? 放任主義だけどな」
肩を掴み、がははと耳そばで笑う一心に、竜弦は睨みを返す。
「…無責任すぎる…だからその所為で、アレが割りを喰うのだ」
だから、あれほど死神とは関わるなと言ったのに…と、肩を掴む一心の手を払って、竜弦は椅子につく。
どうやら落ち着いたらしく、写真は速やかに仕舞われ、いつもの竜弦に戻っていた。
「まぁ、だから、馬鹿だというのだが」
「…馬鹿はお互い様だ」
うちのも、おまえんとこのも。
「…一緒にするな」
「一緒だろ…馬鹿な普通の高校生だよ、あいつらは。
一生懸命生きてる、馬鹿たちだ」
穏やかに笑う一心に、居心地が悪くなったのか、竜弦は立ち上がる。
「……貴様は本当に、馬鹿だ」
そういって、そばを抜けようとする竜弦の肩を、もう一度一心は掴んで。
「…よかったじゃないか、ちゃんと、帰ってきて」
「………反吐が出る」
小さな声は、静かに口唇から零れた。
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