取り合えず、気が進まないけど、行ってみるよ。
そう電話をくれたのは、今朝のことだ。
目を擦りながら見た携帯に、映し出された番号は珍しくて。
そういやメモリーに入れてなかったなぁと、終わった後、登録した。
いろいろ関わったとはいえ、そういうことすらしなかった、から。
酷く、大事なもののように、思えた。
ベッドから見上げる空は酷く青く、冬に突入とはいえ、温かい天気だった。
「無事に、終わったかよ…?」
自分のことのように、呟いてしまう。
“…馬鹿じゃないのか?”
余計なお世話だ、と、言い返されるのが、目に見えているけれど。
取りあえずは終わったよと、律儀に返事をくれそうな気は、した。
それこそ、よく解らない、予感。
「…ま、何はともあれ、平和な日常が一番だよな」
起き上がり、一護は伸びをする。
時間を見れば三時前。今から行って帰ってきても、夕飯の支度には間に合うだろうと
んじゃ行ってくるわ、と、頼まれた買い物をしに、一護は家を出た。
その合間、携帯には連絡もなく。
まぁ、当然だが、今朝掛けてきた相手からの電話もなく。
いつもの穏やかな時間が、過ぎた。
花は桜、君は美し
「…あれ…?」
遠くにある物体を端に見て、一護は眉を顰めた。
買い物の帰り道に見えたそれに、一気にテンションが下がる。
「…ひき逃げかよ」
近づいてみると、ぐったりとしたように倒れている黒猫。
自宅付近は十字路に近く、たまにこういうことが合ったりする。
それに…まぁ、自分が感じる何か、もあったりするのだが。
「…お、生きてる…」
近くによると、浅く腹部が上下しているので、生きていると解った。
あたりを見ると、血痕や怪我などがないようなのでひき逃げではないのだが、
倒れたままの黒猫は、近づいてもなんの反応も見せなかった。
「…黒猫だからって、夜一さんじゃ、ねぇーよなぁ」
隠密機動の人間が、こんなとこでのたれてるワケねぇしと、辺りを見回してみるが、何の反応もない。
「じゃぁ、普通の黒猫か?」
普通のって言い方もあれだけどな…と、しゃがみこんでじっと、一護は黒猫を見た。
「にしても、道端で転がってるっつーのも、怖えぇよな」
ひょいと、一護はその黒猫を抱き上げる。
「おーい?」
ちょいちょいと頭を撫でてやっても、反応なし。
ごろごろ言わすであろう顎を撫でても、何の反応もなし。
それにも気づかず、黒猫は一護の腕の中に納まった。
「……腹へっての、生き倒れか?」
この辺りにも野良猫はいるが、あいつらの行動範囲はスーパー付近だ。
そうじゃないと、えさが貰えないから。
「…それとも、お前……迷子か?」
小さく呟いても、黒猫は何の反応もなく。
「…うち、病院だから、駄目ッちゃー駄目なんだけどよ」
溜息を一つ、つきつつも。
「ま、いっか…」と、一護はその黒猫を、連れ帰った。
腕の中にある黒猫の艶のある黒い毛皮は、誰かの黒い、艶やかな髪を、思わせる。
それは一護の頭の、心の片隅に残る相手の、持っている色、だった。
とんだ誤算だ。
胸中に舌打ちする。
とんだ災難だ。
もう一度、今度は本当に舌打ちをした。
この状況に、雨竜は、苛立ちを隠せずにいた。
とりあえず虚圏から帰った…という旨を、伝えに、自宅へ戻った。
そう、あの父親の許に。
あのくだらない誓約はとっくに敗れているというのに、律儀にも報告に行った自分が、あほらしい。
けれど……一応は、力を取り戻してくれた相手だから、と、道中ぶつくさ言っていたら、彼が、笑った。
“馬鹿言ってんじゃねーよ。とりあえず、今は帰っておくべきじゃねーのか?”
僕が誓約を破るきっかけを作った相手が、呆れたように言った。
その答えにも呆れたが、自分の口から、自分の心情が出ていたことにも驚いた。
“…帰ったって、どうしようもないんだけど?”
そんなに関わりのある親子じゃないし…と、眼鏡のブリッジを上げれば、
だから余計だよと、今度は少し、怒ったように返された。
それに少し…驚いて。
それを隠すために…下を向いた。
ああ見えて…とても身内を大事にする彼だから、それを…ふとした折、知ったから。
“じゃぁ君も、さっさと家に帰るんだね。人のことなんて構わずにさ。
…妹さんたち、寂しがってるんじゃないか?”
いくら改造魂魄の彼が君に化けたとしても、こんな長い間居なかったら…バレているんじゃないのかと返せば、
いや、夏梨にはバレてるかもしれねぇ…と、遠い目をした。
“死神って、何…って……聞かれたから。どう、応えりゃいいんだろな”
俺が身体から抜けたのも、見ちまったから…と、そのときを思い出したのか、口唇を噛み締めた。
井上さんを助けるため、いろんな誓約を振り切って向かった世界は、余りにも荒唐無稽で。
今更ながらよく、生きて帰ってこれたな、僕たちは…と、尸魂界のときとは違った思いで、現世の土を踏んだ。
全てを思い出にすりかえるにはまだ月日は浅すぎて、ふとしたときに生々しく思い出す。
治されたはずの胃の辺りを押さえてしまうのは、仕方がない。
“…とにかく、だ”
“…なんだ、改まって”
井上さんは、虚圏の霊気に当てられたか、疲労困憊の所為か、まだ少し尸魂界にて治療を受けるらしかった。
茶渡君は、寄りたいところがある…と、現世に降り立って早々に立ち去った。
今は、僕と黒崎だけで…この分岐点辺りまで来ている。
空須川付近。上に、北川瀬、下に南川瀬。
そこからは、帰る場所が違う。
“…ありがとな、石田”
そういって、ぽんと肩を叩かれ。
“え…”
何するんだ……と言ったときには、もう瞬歩で空高く舞い上がっていて。
僕は、その後姿と、月光に映える橙色を見つめるしか、なかった。
ありがとうとか、そんなの、言い合う同士じゃ、なかったのに。
相変わらず、なのに。
“…馬鹿じゃないのか”
それが酷く、染みて。
一息ついた後、僕も岐路に向かった。
ほっと一息ついて……かろうじて引けた布団に、倒れこむ。
眼鏡も、外して。
重い身体を引きずって、何とか風呂と着替えを済ます。
学校まで日があってよかった…と、金曜日の夜に思う。
明日の昼からにでも行けば、日曜日はもう少し休めるだろう、と。
余り気乗りはしなかったが、とりあえずは…姿は見せたほうがいいだろうと結論付ける。
(いつもどおりといえば、いつもどおりなんだけど…)
とろとろと眠りに落ちていく中、雨竜の脳裏に浮かぶのは。
暗闇に溶け込む闇色の死覇装と。
月光に映える、鮮やかな、橙色だった。
「……ただいま、戻りました」
「…フン」
生き恥を晒しに来たか…とでもいうような態度にカチン…と来つつも、
これ、お返しします、と、ゼーレシュナイダーを院長室の机に置く。
自分が持っていったときよりも少し、汚れてしまった、滅却師の武器。
これに何度……助けられたことか。
「そんな古いもの…まだ使えたのか」
「使えましたよ……まだ」
鼻先で笑う声にも、ぎろっと返せば、呆れたような顔。
「ただの骨董品にしか見えんな、私には……無用の長物だ」
勝手に持って行け、と、ぽいっと束ごと投げられた。
「なッ…」
「私には興味がない、お前には才能がない。
…せいぜい修行して、もっとうまく使えるようにするんだな」
「………」
それを受け止めながら、何も言えなかった。悔しいけれど、返せなかった。
もし、この男があれと対決したなら……また違った戦いになっていたんじゃないかと、考えるほどには。
もっと…早くに、終わっていたのでは、ないかと。
考えてしまうことは癪だったので、すぐに切り替えるように、その思考を切り捨てた。
これが済めば、もう、この場所には用はない。
帰って…滞ってしまった学校の課題を復習しなければと、気を逸らしていたのが、敗因だった。
ドアに向かっていた自分の背中に近づく気配にも気づかず、起こったことすら、わからなかった。
「雨竜」
「はい?」
呼ばれて振り返ったとき、冷たい水を浴びせられて。
しまった…と思ったころにはもう。
僕の姿は、なくなってしまっていた。
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