何処をどう行って帰ってきたのか。
部屋に辿り着いて入って、ぺたりと床に座り込んだときは、解らなかった。
時は夕刻を示していて。
酷く時間が過ぎるのが早かった。
「…………」
撮影所に着いたのは昼近くで、けれど、比較的早い時間だった。
いつもなら待ち時間に悩まされて、持て余すほど長いのに。
自分の中のタイムテーブルが、狂ってるようだ。
「……何、やってんだろ」
呟いて雨竜は立ち上がる。
取りあえず、上着はハンガーに掛け、手洗い、うがいをする。
そのとき鏡に映る自分の顔は、なんだか情けない。
「…しっかりしろ」
振り回されてはいけない。
役にもだけど、自分の、感情にも。
「……あれは、ただの…」
友達に対する慰めで、誰にでも、することだから。
「…僕だけが、おかしいんだから」
気づいて、しまったから。
ただ、ただ、あの時間に浸っていたかった自分がいたのは確かで。
同時に消してしまいたい自分も、いる。
「…バカだなぁ…」
あんな冗談に感化されちゃったのかな。
水音に消えるように囁いても、心の声は消えない。
あの鼓動と温度と、感触は、消えない。
「おかしいな、ホント……」
どうかしてる。
もう一度、雨竜は呟いた。
心も身体も、あの存在に、掴まれてる、なんて。
Black Joke
〜イマサラ イエヤシナイ キケヤシナイ〜
“僕、用事思い出したんだ。先に帰ってもいい?”
そういって去っていった姿は、まるで逃げるみたいで。
それがショックと感じた自分がいる。
ショック、何でだ?
泣かれたことは正直、なんともない。
感じることがあれば、溢れてしまうだろう。
自分もじわりと来て、ルキアにからわかれたこともある。
けれど、それとこれとは、同じようでいて、何か違う。
いや、泣いたことは同じだと思う。
でも、その後の、あれは………
「…あー、ちくしょー…」
「何が畜生なんだ、一護」
「うぇっ!?」
「…お言葉だな、黒崎の甥」
「え!? あ、あぁ……」
そういえば。
あの後、一心、竜弦、一護の面子で夕飯を食べに出たのだった。
ちびたちは親が来てたし、じーさんは他所があって、母ちゃんこと真咲も、飲みに行くといってた。
じーさんに関しては、あの冗談の落とし前をつけてもらおうとも思ったが、振られたのか? と今度こそ冗談で大笑いして言われ、一発殴って終わった。
そんなこんなで、ほどほどになーと、お互いに分かれて、むさくるしい男三人で居酒屋だ。
いつもならここに雨竜も入るのに……
ぽっかり空いた隣の席に、一護は溜息をつく。
「おいおい、男前二人を前にして溜息たぁ、えらい根性だな、一護!」
「……うっせぇーよ」
ジョッキ片手に言う一心に、一護は頬杖をついて返す。
頼んだ鯖の味噌煮が、いつもならおいしいのに、今日はおいしくないから余計だ。
「自分で『男前』と言っては、元も子もないんじゃないか?」
「ホントのこと言ってるだけだろぉ? んないちいち突っ込むなよ、竜ぅっ」
「…だーから、名前で呼ぶなと…」
「ハイハイ。つーか、一護、ぜんぜん食ってねーな?
お前の好きなモン、注文したのに」
一心に、ほれほれと皿を押されるも、ああ…と、一護は生返事をするだけだ。
箸は一向に、鯖から動かない。
“…誰彼かまわず、こんなふうな慰め方、しちゃ駄目だよ、黒崎”
“勘違いされるから”
笑いながらも、掠れた声。
それから、離れようと、離そうと、突っ張る腕。
スローモーションで、何度も脳裏で繰り返したシーン。
繰り返し、繰り返し……あの泣き顔が、浮かぶ。
「……………」
「なぁ、いったいどうしたんだ、一護」
「……別に」
「何だ、何だ? 父さんにも言えないことなのか、いーっちぐぉッ!」
「……うっせーよ」
返す言葉と手のひらで、一護は一心の口を塞ぐ。
ただでさえ大きい声をあげて、一護一護と連呼されれば、目立ちたくなくても目立ってしまう。
オレンジ頭ってだけで目立つのに…と、溜息をつく。
「…竜弦さん」
「んー?」
隣の騒音も意に介さず、刺身で一杯やっている竜弦に、一護は脱力を覚える。
「…よく、こんなのと付き合ってられますね」
我が叔父ながら、暑苦しいと思うんですが…と、手をはずして一護はお絞りで拭く。
「……質問の趣旨はなんだが…まぁ、腐れ縁だしな」
あしらい方が解れば、何のことはない…と猪口を片手に、もう片手で、
おとなしくしたらどうだとばかりに、一心の肩を叩く。
「俺は猛獣か」
叩かれた一心が竜弦に返すと「…時々な」と、含みを持った言葉を竜弦は一心に返した。
「そ、それは……」
「とにかく、ここは公共の場だ。マナーを守れ、一(はじめ)」
「へ……あ、あぁ…」
竜弦に諭されたように、一心はおとなしくなった。
「…………」
この二人の付き合いの長さは知っている。
相変わらず、と言うべきか、長年の阿吽と言うべきか。
余りにもいつもどおりなので、バカらしくもなる。
傍から見れば……だ。
“一護、石田君のこと、すごく、気になってるよね”
笑って、けれど鋭く突いてくる水色の言葉は、こういうのを見て言ってるのだろう。
まぁ、半年近くは一緒にいるのだから、仲良くはなる。
気兼ねない、友達、そして、戦友で、ライバル。
原作でもアニメでもそうなのだから、考えることなんてない。
どちらかといえば、どう意思を通じさせて、仲間になっていくかが問題で、プライベートは関係ない。
でも……でも。
「おー、一護。『一護』になってるぞ?」
「あぁ?」
一心に眉間を指され、一護はめんどくさそうに顔を上げた。
「なんて言葉使いだ一護。親に向かって…」
「今はプライベートだろッ!」
劇中、私事、共に関係があると、こういうところが面倒だ。
それを知っているからこそ…こういう具合にかまってくるのだろうが。
「機嫌悪りぃなぁ、オイ」
「お前の関わりかたがうざいからだろ」
一杯口に含む竜弦に、うざいって何よぉーと、オネエ言葉で、一心が返した。
……今更、うねうねぐだぐだと考えてもしょうがない。
溜息をついて、前のやり取りを見ながら、一護は再び鯖の味噌煮を口にする。
(……………)
口にした鯖の味に、思い出す姿は。
ふと、テーブルに置いてある携帯の時計を見る。
時刻は……PM19:30。
24時間で見ているわけではないが、職業柄、時間はよく気にする。
その時計が示した時刻は、この店に入ってまだ30分しか経っていないことを、気づかせた。
いつもなら、あっという間に時間は過ぎるのに。
「…………」
目の前のおっさんに対する突っ込みも、いつもならスラスラとくだらないほど出てくるのに、どうしたことか。
(…もう、用事終わってねぇかな………)
用があると雨竜が撮影所を後にしたのは、16時過ぎ。
その後自分たちが出たのは一時間後で、今はもう二時間も過ぎているのだから。
(………何にも、云わなかったじゃねーか……)
箸を箸置きに置いて、一護はまた、頬杖を付いた。
「…………」
こっちが付き合わせるんだから、何かあったら前もって云えよ、と伝えたのに。
向かう電車の中ででも、聞いたのに。
「……ちくしょー―――…」
自分も他のメンバーに対してドタキャンをしたことがあったから、強いことは云えない。
だからこそ、気をつけていたのに。
(……それとも)
俺には云い辛い、コトだったのか?
「……………」
硬派だろうが軟派だろうが、比較的オープンなメンバーは、そこまで聞いてねぇよ! ってことまで話すことがある。
啓吾なんてそれの典型だ。
“ワリィ、今日、彼女んとこ行くから”
これからご飯でも食べに行こうかと皆で集まって相談していたときに、
時計を見て云った。
“えー、いつも音頭取るあんたが抜けるなんて珍しいわね”
千鶴が返すと、んじゃ今日は、茶渡君のお勧めの店にする〜? と、鈴辺りが返した。
“ホント、ワリーな。さっき携帯見たらメール入ってて。
駄目だったらいいんだけどって、あったけど、何となく”
気になって……と、苦笑いを浮かべる。
“オレが、気になっただけだから。だから、ホント、悪い”
あいつんとこ、行く。
けれどそれはマジな付き合いらしく、本当に悪い! と土下座しそうな勢いに、こっちが面食らった。
そんな様子に、水色は慣れたように“判ったから、早く行ったげなよ”と、鞄を啓吾に渡す。
そして
“今度連れて来てよ”
それで帳消し、と笑った。
“…サンキュ”
そういって、脱兎のごとく、啓吾はその場を後にした。
一同が呆気に取られたときに小さな、けれど、はっきりした声が響く。
“いいなぁ、あんなに思われて”
本当に、浅野君、彼女のこと大事なんだね。
しみじみとした言葉が、放たれる。
“羨ましいな”
そういって笑う井上に、誰もが頷いた。
だから、秘密なんてなくて。
いや、それぞれあって口に出来なくても、それでもいい関係だった。
なのに。
「………」
それとも自分が、タイミングを読めなかったのか。
「………」
けれど最初の、それこそ、勉強を教えてもらうときなんて、かなり云ってきたのに。
“取りあえず、この日とこの日は本番前だから遠慮してほしい。
この日以降は、開演時間が夜だから難しいと思う。
かといって、昼が良いってワケじゃないし……”
スケジュール帳を繰りながらの応答に、面食らった。
“うげぇ…ぜんッぜん合わねーじゃん”
ドラマに入るってーのに、何で舞台のスケジュール入ってんだよと返せば、
二週間で終わるから、行けると思ったんだよと、さらりと雨竜は返してきた。
“それに、いきなり頼んでくるから時間が調節できなくて…
でも、この二週間だけだから、後は何とかなるよ”
“何とかなる…って、こっちの練習はどーすんだよ”
アクションの練習やんねーと、まずいんだろと、後ろの様子を見ると、
“それは、みっちり君が覚えてきて、僕に教えてくれたらいい。
その間、きちんと授業も受けるんだよ?”
“受けてるって!!”
がなるように一護が返せば
“そ? なら、大丈夫じゃないか”
後はほんの少しの努力をするだけだね。
そういって、笑ったんだ。
「………………」
そんなだし、と、結局は元に戻る。
やっぱり、本当に用が合ったのか、それとも。
「……あ」
もしかして。
思い出した所業に、一護は頭を抱えた。
(そーだよ、それから……様子がおかしくなったんだよ)
雨竜が泣いていたのを抱きしめて宥めたのから……何かが、狂った。
「……やっぱ…あれのせいかよ……」
あれから、逃げるように姿をくらましたから。
「……だよなぁ……」
同い年や年上、身内にされるならまだしも、他人で、しかも年下の。
頼りないガキんちょでは。
「……怒るよなぁ……」
笑って、勘違いされるからやめろって云ったけど、実は。
「……駄目だな、俺……」
自分の常識で、行動するから。
自分で自分の言葉に、思考に、ショックを覚えた。
「何が駄目なんだ、一護」
「…は?」
突然降ってきた声に、一護は我に返る。
「頬杖付いて、鯖の味噌煮見て、一人でぶつぶつ言い出して、百面相して。
しまいには『駄目だな、俺』ってオチだ。ホントにどーしたよ、オイ」
ししゃもを齧りながら問うて来る一心に、あぁ、ここは…と、改めて一護は場所を確認した。
周りの喧騒に消されているからいいけれど、これはちょっとおかしな行動だな…と、一護はウーロン茶を一口、口にした。
ちらりと見た、店の壁時計が指す時刻は、19:45。
もっと時間が経っていると感じたのに、まだほんの十五分程度だ。
限界だ。
何が、とはわからないが、一護はそう感じた。
「……悪い……ちょっと、用事思い出したから……帰るわ」
「は!?」
何ぃ!! と叫びそうな一心のそばで、そそくさと一護は帰り支度を始める。
「ホント悪い、親父。
でも……急に、思い立った用事なんだ」
「思い立った?」
なんじゃそりゃ…と、呆れる一心の前に、ご馳走様と自分が注文した分の勘定を置くと、一護は靴を履き始める。
「俺も、よくわかんねーよ。
でも………今、行かなきゃ駄目な気がすんだ」
うまく云えねーんだけど…と、言いよどむ一護に、一心は劇中さながらにわかったわかったと、手をシッシと振る。
「ホント、悪ィ」
竜弦さんもすみませんと一護が頭を下げると、かまわんさ…と、一心と同じように手を振った。
「ごちそうさまでした」
もう一度一護は二人に云い、早足で店の出口を目指した。
「振られたなぁ…」
「んー…?」
一心が呟くのへ、竜弦が相槌を打つように返事をした。
「……なんか、あったのかぁ…?」
「……さぁな」
まぁ飲め、と、竜弦は、一心の手にある猪口に酒を注ぐ。
「……気に、なんねぇの? 竜は」
「……俺に、どうこうできるわけじゃない」
「……それは、俺も同じこった」
そう返して、一心はくいと、猪口の酒を飲み下した。
「無自覚、無意識ほど、怖いモンは、ねぇってか……」
何かを思い出すような一心の声に、竜弦が箸を止める。
「……自覚したら余計、深くなる……」
何もかも。
「……今更……だ」
「……あぁ」
今更だ。
「………気づいちまったのが、まずかったのか…」
「………誰のせいでも、ない」
どうしようもないことだ。
「どうしようも、ねぇってか……」
「……冷たいかもしれんが、そうだ」
囁くように、竜弦が返す。
「…そんなこと言ってたら……ホントに竜弦みたいだな、お前」
「…あんなふうに関わるところも、一心みたいだぞ」
互いに見合って……密やかに、笑いあう。
「…俺らも出るか」
「……勝手にしろ」
一心の言葉に、竜弦はそっぽを向いて答えた。
今更か、と言われれば、今更かもしれない。
気づかなければ、そのままでずっと、過ごしていた。
何も知らず、何も思わず。
「…………」
好き、だなんて、気づかなければ。
「……そういうのって、ほとんど、縁がなかったのにな…」
浴室に声が響く。
夕食をちゃんと取る気も起こらなくて、簡単にパンを食べるだけで終わった。
「…また、怒られるのかな」
彼に。
自分の呟きに、苦く笑う。
まったく、何処まで、依存していることだろう。
「…あがろ」
このままだと逆上せちゃいそうだ…と、ユニットバスから、雨竜は上がる。
買い置きしてある甘いカクテル飲んで、その酔いに浮かれたまま、眠ってしまえ。
明日から、また、普通の友人として、彼の前に立てるように。
「…決めた」
身体を拭いて、部屋着に着替える。
半袖はまだ寒いので、長袖に、ジャージ。
頭は、後でちゃんと乾かすとして。
そう考えて、もそもそと着替えていると、インターフォンの音が、響いた。
「…誰だろ」
宅急便かな。
取るものも取りあえず、きちんと服を着て、タオルを首に引っ掛けたまま、雨竜は、脱衣所を出た。
(………帰ってっかな……)
一か八かで、電話もメールもせずに、来てしまった。
インターフォンを押す指が、変に緊張していて、震える。
(…おかしいよな)
何度か来たこともあって、一時期はバカみたいに入り浸ってたってーのに。
(………怖いのか、俺)
嫌いだ、と、言われる、ことが……?
(…バカじゃねーの)
好きも嫌いも何も、自分が、雨竜を嫌うことは、ない。
バカみたいに、確信している。
ただ自分が。
どう、思われているか、で。
「…今更、か…」
自分の声が酷く掠れていて…変だ。
干上がっていくような、感覚。
「……わかんねーよ……」
何で用事があったって云わなかったとか、あんなことして悪かったとか、いろいろ、思えど。
本音は。
今更過ぎて、笑えやしないんだ。
わかんねぇのに。