菩薩3 (十一面観世音菩薩像(向源寺型)の制作)

 次の課題に十一面観音を選んだ。国宝級の十一面観音は沢山あるが、京都、奈良以外の仏像人気投票で一番の渡岸寺の十一面観世音菩薩像(向源寺所属)を研究することにした。
いつもは製作途中でお寺めぐりをするのだが、今回は制作前に探訪した。
 3月2日思い立ち、新幹線で米原経由北陸本線高月まで久しぶりの遠出であった。功名が辻で話題になっている長浜などを経由して行った。時刻表を調べていなかったせいで、列車の乗り継ぎが旨くいかず、4時間もかかり、高月に着いたのは1時ごろであった。長浜あたりから吹雪になり、遠くにきたのだなあと思った。
 高月は思ったより、田舎町であり、向源寺は民家の間にひっそりと佇んでいた。。来訪者は小生だけであり、案内の人が石油ストーブをつけてくれ、解説をしてくれた。2mほどの十一面観音像はお寺の真ん中に祭られていた。東洋のビーナスといわれるだけあって、素晴らしい均整のとれた仏像である。
暫くの間拝観し、写真集を購入して雪降る中を後にした。
帰路、寺の近くにある高月町立観音の里歴史民族資料館を訪れた。
 もともとインドで観音信仰が出現した当初は一面二臂のいわゆる聖観音であったが、その後、観音の持つ威力を具体的形相に示す異形の観音、すなわち変化観音が出現、これが十一面観音や千手観音、如意輪観音などの観音である。これは6世紀の頃のこととされている。
 十一面観音は正面の本面以外に十の面と化仏の合計十二面をもつ。各面の意味合いは次の通りである。
 本面・・・・・・・菩薩本来の慈悲の相。
 頂上仏面・・・究極の理想としての悟りの相。
 化仏・・・・・・・阿弥陀如来。十一面観音が阿弥陀仏の慈悲の心を実践する菩薩であることを示す。
          頭上最前に位置する。
 菩薩面・・・・・善い衆生を見て慈悲の心をもって楽を施す。二面からなる。頭上正面に位置する。
 瞋怒面・・・・・シンヌメンと読む。悪い衆生を見て怒りをもって仏道に入らせる。三面からなる。
          頭上左側に位置する。
 牙上出面・・・ゲジョウシュツメンと読む。浄らかな行いのものを見て讃嘆して仏道を勧める。
          三面からなり、頭上右側に位置する。
 大笑面・・・・・ダイショウメンと読む。善悪雑穢(ゾウエ)のものを見て悪を改め仏道に導く。
          頭の後ろ側に位置する。

 3月11日材料が送られてきた。十一面観音は頭に沢山の面がつくので多少大きめの公称一尺二寸のサイズとした。これまでの最も大きい作品は一尺であるから初めての大作になる。
 2割大きくなっただけで原材料は片手で持てない位の重さであり吃驚した。考えてみれば容積でこれまでの1.7倍になっているのだ。
 最初の荒落としもこれまでのノコギリでは無理である。ということで大形のノコギリを購入した。
 一次カットが左図であり、台座は背面から切り落とした端材を利用する。
 蓮華座は本体と一体である。

 大形になったので、彫刻刀ではなく本格的なノミと槌での荒削りとなる。
なんとなく彫刻師になったような気持ちになる。


スケッチは荒削りしていくと消える。その都度、基準線から寸法を確認して新たな外形を整えていく。左手は別木で別途制作する予定。

下図は透かしの部分を彫り進めたところである。
だんだん形が見えてきた。

                 (06−3−24記)

更に彫り進める。
 形は意外に難しい。試行錯誤の連続である。
細かいところは図面や写真では分からないので形を想像して彫る以外にない。しかし、ある面を彫っていくと次の面で連続しないことが起こる。このときは彫り直しながら修正していくことになる。
 髪の毛がやたらと肩や胸に垂らされており、難しさが増すが、それが装飾的に華かにしている。
左図は渡岸寺で入手した十一面観世音菩薩の写真と対比している状況である。
 ぼちぼち左手を作る段階になった。

                (06−4−5記)

彫り始めてから一ヶ月ちょっとになる。
 最近は寸法、面など些細なことが気になり、彫り直しの連続である。
 彫刻をやり始めた頃は、無我夢中で形ができたら、もうできたと思って自己満足に陥っていたようで、今思うと何もわかっていなかったようである。
 この課題は、これまで彫った作品の中で、一番難しいと思う。先人の達人は線のそれぞれに思いを込めて制作したことが理解できる。上品でしなやかさを表現するよう努力したい。
この三枚の写真は大体の形ができた荒削りの段階であり、さらに寸法チェックや実物写真との照合を繰り返し、細部を仕上げていくことになる。

                 (06−4−20記)

 遅々として進まず。顔をいじくりまわしたり、あちこちの線が気になったりで大きな変化はないが、少しずつはよくなっているように思う。
 気分なおしに水瓶を作ってみた。
化仏をつくるまで先は遠い。
 この段階で通信教育の松田瑞雲先生の添削指導を受ける。

                    (06−4−28記)

 最近は製作中にバイオリン曲をよく聴く。スーヴェニール(ドルドラ)などはこの観音像に相応しい曲であり、ボリュームを絞ってリピートのBGMにしている。観音様がα波を感じとり、穏やかな姿になればと願っている。
 天衣、裳の模様など細かい仕上げを行った。イヤリングをしている珍しい観音像である。頭上最前列にあるのは化仏(阿弥陀如来)であるが、えらく小さいので彫るのに苦労した。
 本体はほぼ完成。
 約2ヶ月間、飽きもしないで、よくやれるものだと根気の持続性に我ながら感心する。

                   (06−5−6記)



 台座ができ、形が整った。後は頭上に載る十面の仏頭を彫ることになる。
 優しさ、しなやかさ、上品さが表現できたかな?

                (06−5−16記)


 頭上仏がやっと完成した。暇を見つけての彫刻であり、本体完成から2ヶ月もかかった。
3月から計画し、5ヶ月間情熱を持ち続けることは難しいことだと実感した。

                                         (06−8−5記)