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2007/12/31「2007年最後の日」  
とうとう大晦日になってしまった。毎年年末年始は城山でクライミングを楽しんできたが、今年は少し日程をずらした。城山で年末年始を過ごすようになって5年目になるのだが…。

それは実家の一人暮らしの母が、お正月の用意が大変になって来て私を頼っているのが分るからだ。母を見ていると、ときどき不思議な気がする。毎年、同じことをして年末年始を過ごす。年末には大量の買い物をして、お節料理を作る。自分一人なのに、そんなに作っても食べる人がいないというのに…。今年はその買い物に付き合わされたり、掃除をしたりと母の出来なくなった分を補わなくてはならなかった。

何もそこまで杓子定規にしなくても良いものだろうに、と負担が大きい私は思ってしまう。しかし、母がやりたいのなら仕方がないとも思い付き合った。それに、いつまで出来るかも分らないのだからとも…。

やっと、忙しさから解放された。リビングからは、紅白が聞こえて来る。ドレスを着たいつもと違う和田アキ子が歌っているが、何だか変だと思うのは私だけだろうか。最近のテレビはつまらない。

この年末は特に忙しかったが、この一年はやはり走り続けていたような気がする。全力疾走すると早く目的地に着くように、あっという間に一年が過ぎてしまったようだ。

クライミングと山を合わせて、148日。それにもう一つのライフワークの朗読にもかなり時間を取ってる。何事もやってる割には成果はあまりないのだが、充実していたのも事実だろう。

クライミングは、不動岩の小熊物語と蝙蝠谷の復活に明け暮れたがどちらも登れていない。それは実力だから仕方がない。歳をとるにつれて、ますます私に取って高難度のルートは登れなくなって行くことだろう。でも楽しく登れたと思えるのは、決して負け惜しみではない。

春から秋に掛けては山にもけっこう行けた。梅雨どきの八ヶ岳で水滴に包まれたツクモグサを見られ、白馬の高山植物や、紅葉の涸沢と大山と美しさを堪能できた山行きができた。

山岳会を離れて2年。自分なりの山行形態が出来てきて、新たな同世代の山仲間もできた。特に女性で一緒に行ける人がいるのは幸せだと思う。

除夜の鐘が、テレビから聞こえて来た。来年はどんな年になることだろう。


2007/12/25「不動はやはり冬の岩場だなぁ〜」  クライミング
連休は備中に予定していたが、雨マークなので急遽変更した。

22日の土曜日は雨の中ホシダに向かったが、雨脚は激しくなるばかりなのでナカガイジムに変更した。本当に久しぶりで、3月から一度も来ていない。ナカガイジムは、ますます難しく感じた。この日はラッキーなことにホッシーのボルダー教室に遭遇。一度、受けてみたいと前から思ったがなかなかチャンスがなかった。

10本課題があったのだが、行けたのは一本のみ。自己嫌悪に陥る程の下手さ加減。どうも、ボルダーは苦手だ。

ますます、行きたくなくなってしまう。

23日はどうにか雨もやんだので、ホシダに行った。白赤10cの新しいルートが出来ていたので登ってみるが、最後のハングがどうにもならない。

24日はお天気も回復したので、蝙蝠谷に向かったが寒そうなので途中で不動に転進した。やはり不動は暖かい。久しぶりの小熊に再会。何だか懐かしく、わくわくしてくる。RPが出来る訳はないのだが、早く登りたくて仕方がない。「小熊が大グマになっているでぇ〜」といつもの仲間のSさん、Kさんと大騒ぎ。やっぱり、久しぶりだと「怖いものがある」(これは、kさんの口癖)が、それ以上に再会が嬉しい。取り付いてみると意外なことに、怖さはなかった。今回はムーブの、確認をする気持ちで取り付いたが、すんなりと小熊は私を受け入れてくれた気がした。もっと手こずるかと思っていたがそれ程でもなかった。とはいっても、RPに近づいているという訳でもないのだが…。やはりクライミングが好きだということを確認した不動だった。

不動には、私の前の所属山岳会の若い人たちが来ていた。若い人は、ほんとうに上達が早い。


2007/12/20「やっとひとつ終わる」  朗読
やっと、テープ雑誌が終わった。新年号なので読者に届くのは2008年1月15日。そうか、もう10日ほどで今年は終わりか…。本当に一年が早い。

このテープ雑誌に取り掛かってからは、気持ち的にはクライミングや山からは遠ざかっていた。何をやっても、完成すると嬉しい。RPしたときと同じような達成感を味わう。

次は、本を読んで録音している。山本周五郎の『シャーロック・ホームズ異聞』 という中に収録されている「シャーロック・ホームズ」という探偵小説だ。山本周五郎が探偵小説を若い頃にたくさん書いていたことは私も知らなかったし、ほとんどの人が知らないだろう。

私が朗読して録音しているのはシャーロックホームズが日本に来て活躍し、それが国際的な事件に展開して行き、解決して行くというストーリーである。今は時代小説で知られている山本周五郎が、少年雑誌に探偵ものを戦前に沢山書いていたようで驚きだ。

内容はいろいろ疑問と矛盾がある。何で、シャーロック・ホームズは日本語でしゃべるのかが大いなる疑問だ。まだ三分の一位のところまで進んだところだが、なぜか私はとても面白い。いったいどういう展開になるのだろうと気にもなる。また登場人物の台詞中心なので、朗読も声優のように声を換えたりして楽しんだりもしている。暇さえあれば、マイクに向かっているという毎日。

主婦にとっては忙しい年末を、こんなことをしていて良いのかしら、とふと思ったりもするが…。止まらないのである。

 


2007/12/12「平日クライミング」  クライミング
今日は、ホシダへ。水曜日は平日のうちでも比較的多いのだが、今日は12名と多かった。朝は晴れていたが、もやが掛った感じだった。珍しく暖かい。3時頃から雨が降って来た。

やっと、黒赤11aがこの日2便目にRP出来た。ホシダで久しぶりのイレブンだったので、嬉しかった。

正面に青白10cと緑10bc新しいルートが2本で来ていた。この2本登ってみたが、オンサイト失敗。私の感じだと青白の方が簡単だった。緑はホールドがカチ系が多く私は苦手なルートだ。

ホシダの紅葉もすっかり脱色して来ていて、もう秋は終わりといった感じだ。ハヤブサはまた何事もなかったようにつがいで空を舞っている。新婚さんなのか、それとも前の雄が再婚したのか分らないが。そしてハヤブサを写しているカメラマンがまた増えて来た。毎年繰り返されるホシダの日常だが、人はほとんどが入れ替わってしまってる。昔来ていた人は今はどうしているのだろうと、帰りの車でTさんがおっしゃっていたが…。何事も続けるのは、大変なことなんだとつくづく思った。

私も、ときどき不調のときなどいやにはなるが、こんな嬉しい日もたまにはあるから続いて来たのだろう。これからもまたホシダでも、イレブン台の目標をもってやって行こうと思う。


2007/12/11「蝙蝠谷は木枯らし」  クライミング
土曜日はホシダで登って来た。左の壁の赤黒11aがワンテンとなった。ホシダの久しぶりのイレブン台のワンテン状態だ。ホシダのイレブンは左右のハングの壁に多いので、どうしても力つきてしまう。持久力が付いて来ない。左の壁のサンド10dを登ってから、もうかなりの年数がたってしまっている。私にとって左右の壁は、最初の頃は憧れの壁でとても登れる日が来るとは思っていなかっただけに、このサンドが登れたときはとても嬉しかった。

あの頃は星田でのクライミング自体新鮮で夢中になっていたと思う。岩場に行くよりも、ホシダに通っていた方が多かった。

最近は、ホシダはトレーニング感覚になってしまい、RPしようという意欲が薄れていただけに、このワンテンは私に取っては価値がある。またホシダに通いたいと思う意欲が湧いて来ているし、行く楽しみにもなってきている。

日曜日は、久しぶりの蝙蝠谷だったが、もう蝙蝠谷は木枯らしが舞っていた。お昼で10度だということだが、影になっているのと、谷筋なので風も強いせいか、かなり寒く感じた。

復活もちょうど核心のあたりから、手が冷たくて感覚が無くなり痛い程だった。チョークバッグにカイロを入れていたが、温めるまでの余裕もない。やっぱり、私には核心トラバースは辛い物がある。他のところは、だいぶ力も大分抜けて楽になって来たのに…。

もう今年の蝙蝠は、終わりだなぁー。根性なしだから、寒いのはいやだ。また来年、頑張ろう。復活にものんびりとお付き合い願うことにする。

やはり、寒い時期はホシダがいい。


2007/12/6「風邪はやっと退散してくれたかな?」  クライミング
今度の風邪は10日程とずいぶん長引いてしまった。少し喉の痛みと咳があったが、特にこれといった症状はなく熱もなかった。何となくだるい感じの風邪だった。お陰でしばらく蝙蝠谷は遠のいてしまい、星田通いとなってしまった。張りつめていた糸がぷっつんと切れて、復活へのモチベーションも一気に低下してしまった。

こんなときの星田はお手軽で良い。水曜日は久しぶりに「ほしだシルバー隊」が揃っていた。Kさんも退院して来ていたが、クライミングに復帰するにはまだ時間は掛りそうだ。紅葉の中で和気藹々と過ごせて、星田はホッとする。ぬるま湯の風呂のようで気持ちがいい…。

 

平日の星田にて(Kさん撮影)


2007/12/1「星田園地散策」  ハイキング
風邪をひいてから一週間近くになるが、まだすっきりしない。熱もなく咳が時々出る程度だが、何となく体がだるい。しかし大分前からの約束なので、友人と紅葉の星田園地を歩いて来た。

駅で待ち合わせたときの友人の第一声が、「何や、コンビニ強盗みたいやなー」だった。「それはないやろ」と私。マスクと野球帽はコンビニ強盗の定番らしい。それで、とりあえずマスクを取ると、今度は「おばちゃんではなくて、まるでおっちゃんやなぁー」と口が悪い。

「その帽子どうしたん」「コーナンで買うてん、クライミングで一緒の人が赤くて可愛い帽子を被っていたから、「高かったやろ」と聞いたらコーナンで買ったから安いよというので、この間これ買うたんや、残念ながら赤はなくてこの色(灰色)になったけど」と説明をつける。「鏡、見て来た?」と聞かれてしまった。

友人二人は綺麗に化粧をして、これぞハイキングファッションという出で立ちをしている。最近、クライミング仲間とばかり付き合っているせいか、汚い(?)格好のままどこでも平気で行ってしまっていることを改めて考えさせられた。

今年の紅葉はあまり良くないなどと話しながら、クライミングウォール近くまできたところ、管理人に出会い「昨日あたりからとても綺麗ですよ。とくにタカノツメの黄色が綺麗ですよ」と言われ歩き出した。ウオールは4人予約があるそうだが、このときはまだ誰も登っていなかった。

この日は天気も良く、展望スポットからの紅葉の眺めは最高だった。ポンポン山や愛宕山も、男山もよく見えた。遠くは太陽の塔までが見えた。(ほんとうは解らなかったが、展望スポットにいた人に教えてもらった)

 

コンビニ強盗???(上)と友人(下)


2007/11/29「テープ雑誌」  朗読
私たち朗読のグループが発行しているテープ雑誌を、ほとんど一般の人は知らないだろうなぁ。分担して、季刊で作っているのだが、これがけっこう面白い。中身が面白いというのではなくて、作る過程が面白いと私は思ってる。読者は視覚障害者の人がほとんどだが、この雑誌はほとんど作り手の趣味といった感じがしないではない。

私が参加している朗読のグループは、情報発信というよりは文芸誌のような系統のテープ雑誌を発行している。今回は私が編集長なので、楽しく遊ばせてもらっている。

今回は、サスペンスものを取り上げた。TVで言うと「◯◯サスペンス劇場」というような類いと同じだ。登場人物の独白のようなかたちで、だんだん事件の真相が解っていくという構成だ。それぞれの朗読者の演技力も必要となって来る。なかなか役者のようにはいかず、かなりのダイコンだ。しかし、素人役者でもそれなりに役に嵌って来て、録音するころにはだんだんそれらしくなって来る。

今日は、一日録音で終わる。帰ってからは、そのテープを繋ぎ合わせて一つの小説として完成させた。そして、インタビューとエッセイなど組み合わせて、音楽など入れたりして90分のテープにまとめる。

けっこう労力を使うので、年に私は一回位しか参加していない。こんなことを、もう十数年やっている。不思議と飽きない。

そういえば、朗読を始めて何年かしたころに、アニメの声優のオーディションを受けたことがある。一次審査は通過したが、次の段階で辞めてしまった。それはその時の朗読の先生に相談したら、そういう類いはたいがい制作費の資金集めを兼ねていると聞いたからだ。要するに次々と進む段階にお金がいるということだ。それも、金額が増えて来るという。いわゆる、自分に投資すという訳だ。だがそうしたからといって、最終的に残るという訳ではない。

どんな世界も、プロになるには才能とお金が必要なのか。適当に趣味の範囲で楽しんでいるのが、中途半端かも知れないが、結果としてはこの程度が一番お気楽だと思う。お陰で、いろいろ楽しく過ごすことが出来るのだろうと思う。

まぁ、趣味は自己満足の世界。それでも、このテープも楽しみにしてくれている人もいる。それで良いのではないかとこのごろ思えるようになって来た。


2007/11/28「風邪をひいたようだ」  生活
週末の蝙蝠で疲れたのか、風邪をひいたようで喉がヒリヒリする。やっぱり、連日のクライミングは自分ではあまり自覚はないのだが疲れるのだろうか。

最近は、クライミングの次の日はとても快調だが、三日目辺りに疲れがどっと出て来る。それって、歳のせいらしい。今日は、平日クライミングで蝙蝠へ参加を表明していたが、急遽断りのメールを入れた。

最近は、朗読の方も力を入れている。充実しているのだが、年内に仕上げなくてはならないことも多く、落ちつかない。主婦業も年末は何かと忙しい。そんなこんなで、風邪で寝込んでいる場合でもない。

幸い、今日は家にいることになったのだが、録音テープの編集作業で一日が潰れてしまった。そのため、なかなか、ゆっくりと休養というわけにはいかないのがつらいところだ。

今年も、あと一ヶ月しか残っていない。気ぜわしく感じるのは、忙しすぎるからなのだろうか…。


2007/11/21「京都はやはりいいなぁ〜でした」  ハイキング
昨日、クライミングを最近一緒に楽しいでいるKさんと、京都の紅葉ハイキングに行って来た。嵐山で待ち合わせ、タクシーで観光客の人と相乗りして高雄まで行く。高山寺、西明寺、神護寺と高雄には三寺院がある。まずはここでお寺巡りをしてから高雄・清滝間の錦雲渓と清滝・保津峡間の金鈴峡を清滝川沿いに歩き、保津川下りとトロッコ列車を見ながら、保津川の右岸を通って嵐山まで歩くというコースだった。

嵐山と高雄は平日なのに人が多く、さすが紅葉時期の観光地だと思った。高雄の紅葉は、今ひとつだった。紅葉は紅葉する前に枯れてしまっているようで、以前に見た鮮やかな印象からはかけ離れていた。

おまけに、最初に入山料400円を払って高山寺に入ったが、中で拝観料が600円いるという。全部で1000円という計算になる。これは、ぼったくりではないか。この調子で残りのお寺を巡ったら…、と考えるともう私たちは西明寺も神護寺も何の魅力も未練もなくなり、そのまま素通りして清滝へ向かった。

清滝への道は、清滝川に沿ってとても良いハイキングコースだ。高雄の喧噪から逃れホッとした。東海道自然道になっていて、昔行ったときよりも歩きやすくなっているように思う。紅葉にはやはり早いが、所々で色付いていて楽しませてくれる。

愛宕山の裏参道への道の途中に出るので、空也の滝に寄り道する。北山杉のコンクリート道は、あまりいい感じではない。しかし、空也の滝は昔のまま厳かな空間としてそこにあった。

30分程歩いて清滝に引き返す。清滝は紅葉が見頃で、高雄程ではないが人が多かった。昔のケーブルの軌道(2002年に行ったときの記録にリンク)は入口が通行止めになっていたのに通れるようになっていた。この軌道は荒れ放題だったが、整備されたのだろうか? 

昔ケーブルの駅があったところは広場になっていて、紅葉が奇麗だった。ここで昼食をとる。

清滝は戦前までは、嵐山から電車が通り、愛宕山までケーブルで登れ、山頂付近に遊園地やスキー場もあり栄えていたそうだ。戦争でケーブルの線路は供出され、その後は愛宕山は静かな山に戻った。私は2002年に、この山の歴史を初めて知りケーブルの軌道を歩き、終点の廃虚と化した駅舎を見た。そのときには愕然としてしまった。それかrらも、その駅舎を何回か確認にしに訪れた。今もまだそこにあることだろう。近いうちに行ってみたい。

清滝から金鈴峡を保津峡に向かう。落合で保津川と清滝川が合流する。ここから、嵐山までの保津川の右岸沿いの道が「エアリアマップ京都西山」に破線で載ってる。約3時間の道のりを、嵐山まで歩くのが今回の計画だが、私は初めてのところで少し不安もあった。落合橋について地図を確認する。川の視界が無く、どうも分りにくいので橋を渡りトンネルを抜ける。すると保津川と清滝川の合流点がよく見える地点にきた。歩く予定の保津川の右岸は、川の上は岩壁になっていて歩けそうには見えない。多分巻き道なってるのだろうが、取り敢えずは保津川の右岸に渡らなければどうにもならない。どこかに渡れるところがあるはずだと思い、保津峡駅の方向に車道を歩いていくと橋が見え、橋の終点の対岸にトロッコ電車の駅が見えた。橋を渡ると人がいて、弁当を食べていた。話しかけると、この辺りに詳しいカメラマンだと言う。

地図を開けて、嵐山への破線の道は歩けるのか聞いたら歩けるという答えが返って来た。計画通り嵐山に保津川沿いに行けると思うと嬉しくなり、わくわくして来た。

しかしその道は早速道とはとても思えない幅30センチ程のコンクリートの上を歩かされた。高さも2メートル程あり高所恐怖症の後遺症がまだ残ってるのかとても怖い。そこを抜けたところの岩壁の波打ち際は、やはり巻き道があるので安心した。また川沿いに出て岩の上を歩いたりヘつったりと変化にとんだ面白い道だった。道標もなく、バリエーションルートを行くようなものだ。

保津川下りも満員の人を乗せて何艘も通り過ぎる。手を振ると、手を振り返して来る。秋色に装飾したカラフルなトロッコ電車も通る。河原でのどかな、そんな風景を眺めながらのコーヒータイムは気分がいい。

この道は踏みあとも分りにくく、もうほとんど歩く人はいないように思える。その分、ルートファインデイングの楽しみもある。JRの山陰線の鉄橋を過ぎてもまだそんな道をしばらくいく。すると先の方に人工的に石が積んである道らしいところが見えて鉄の階段が付いている。しかし登ってみると、そこは道ではなかった。やはり、コンクリートの併の上部のようになっていた。これじゃ、川沿いに歩けば良かったと後悔するがもう下りられない。

そうこうするうちに、家が見えて来て裏側を歩くようになりやっと大悲閣というお寺の登り口に付く。そこは旅館の入口にもなっていて、どうもこの旅館の裏側を歩いてきたようだ。

ここからは、観光客に混じって歩くと渡月橋が遠くに見える。手漕ぎのボートがたくさん浮かんでいるのが懐かしい。「アベックばっかりやなぁ〜」「アベックというと娘に古いなぁ、カップルと言うんや、と言われた」とか「二人で何を話してるんやろか?」「愛があるから話しなんか何でも良いんや」とおばさん二人の会話も静寂を破る。俗世界に舞い戻ってしまった。漬け物をお土産に買うというので、渡月橋を渡るが人がいっぱいで進めない。渡りきったところで、びっくりしたことに P会のSさんにバッタリ出会う。岩場以外で会うとは、すごい確率だと驚いてしまう。

観光客に混じってお土産の漬け物を買い、京風の定食で夕食をとって嵐山を後にした。

まだ紅葉の時季には早かったが、盛りだくさんの京都を味わえたとてもいいハイキングだった。京都は今観光ブームらしい。最近の私は観光地はめったに行かない。しかし、こうして久しぶりに歩いてみると嵐山、高雄、清滝、保津峡、どこも綺麗で、やっぱり京都は風情があると思えた。

 


2007/11/20「ホシダへ」  クライミング
月曜日は、Mの代休に付き合ってホシダに行って来た。着いたときには、もう一時だった。2組4人のみで閑散としていた。

紅葉目当てか、ハイカーはとても多かった。しかし、紅葉はまだまだといった感じだ。今年はピトン小屋の前のもみじも赤くなる前に枯れ始めたということだ。ホシダが秋色に変身するのは、12月前後になるかも知れない。

もう冬時間になっているので4時には駐車場も閉まるので、3時過ぎには終わった。その割には4本も登れて充実していた。やはり、簡単なところだと本数は稼げる。

これで3日連続のクライミングとなった。先日、クライマーや山をやってる人の職業は何が多いかという話題になった時、専業主婦もその一つに入っていたがその通かもしれない。

私の回りの主婦も、活き活きといろんな活動をしている。私も時間が足らない、年内に仕上げなければならないことがある。ほんと、忙しいのに、今日は同じ主婦クライマーのKさんと京都の紅葉ハイキングに行って来る。

さあ、出かけなくては…。


2007/11/19「蝙蝠谷にどっぷり」  クライミング
この土日は、また蝙蝠谷へ行って来た。

また竹乃湯で入浴して「道の駅みき」に宿泊。ちょっとした、旅行気分だ。この道の駅はとても大きい。

和風レストランもメニューが豊富で、わりと美味しい。夕食はかつ煮込み定食と生ビールと食欲に負けてしまった。ちっとも、ダイエットの意味はない。食べることに幸せを感じるのは、私だけではないだろう。Tはヘレかつ定食と生ビール二杯も食したのに、次の日活断層12aをあっさり一便目にRPしてしまった。クライマーが登るために日常生活もいろいろと摂生しているのは良く聞く。しかし、登れるときがくれば登れるんや、と居直ってしまう。

私はと言えば、まだ復活に手こずってる。何しろ、実力以上のルートなので仕方がないのだが少しずつ楽しくなって来た。それは、未だに登るたびに新しい発見があるからだろう。

土曜日2回と日曜日3回の計5回登った。日曜日の復活は独占出来たので、欲が出てつい3回目のトライをした。連日なのでかなり疲れているから、途中で降りて来るかなと思っていたが、トップアウトできた。少し力も抜けて来たようで、楽に思えるようになって来たのは気のせいだろうか?

まだまだ蝙蝠通いは続きそうだが、蝙蝠谷の季節はもう終わりかけている。日曜日は全国的に寒かったようだが、蝙蝠谷も風が冷たかった。

復活も、また来年に引きずりそうだがまあいいだろう。楽しく登れるルートがあるのは、クライミング継続への意欲がまだ続くということだから。


2007/11/15「蝙蝠谷クライミング」  クライミング
水曜日、やはり蝙蝠谷に行って来た。途中の街路樹の紅葉も赤くなり,山肌もだいぶ紅葉が進んで来ているように思う。すっかり秋も深まり,クライミングには適した季節だ。12月に入ったら、もうだいぶ寒くなって来るだろう。この日は、私たち7人の貸し切りで静かだった。

私はもういいでしょうでアップ後、やはり復活を2回登った。まだまだではあるが、自分なりには少しずつましにはなっているのが嬉しい。横の活断層で登っていたIさんに、いままで全く触っていなかったガバを教えてもらった。ハング下で手順がどうしても合わなかったのがこれで解決した。

もう一つ、トラバースの当たりで私は力つきてしまうのだが、その下のレストの仕方も教えてもらった。これも次回には試してみよう。

自分でも,少しはましな登りが出来るようになって来ていると思えると自己満足ながら嬉しいし楽しくなって来る。落ち込んだり、やる気になったり、クライミングは何という単純なんだろう。ただひたすら壁に向かって、悩んだり苦しんだり喜んだりしている。個人的でちっぽけなことなのに、時間を忘れて夢中になれるのが不思議だ。

またかなり落ち込んでもまた復活するしたたかさは、やはり好きなんだろう。そんな人ばかりが、昨日も蝙蝠谷に集まってきて、それぞれの課題に「あーでもない、こーでもない」とぶつぶつ独り言を言いながらチャレンジしてる。

ちまたの喧噪や日常から抜け出た、平日のこんな日を持てるのは幸せだと思った。

結果を焦らずに、こんな日を楽しもう。


2007/11/13「週末いろいろ」  生活
土曜日に,相変わらすの蝙蝠谷に行き、相変わらずの登りしか出来ず、こんなのでいつになったらRP出来るのかと少し気弱になり帰って来た。いつも,同じようなことを書かねばならないのが悲しい。

次の日曜日は,京都山の子会の例会で宇治の天ケ瀬森林公園までの往復だった。この森林公園は,ピークが槇尾山という山になっていて,入口は天ケ瀬ダムの右岸から長い階段を上って入る。この階段は,200段あったらしい。

宇治と言えば、我が家の子どもが小さい頃に住んでいた京都伏見に近く,昔何度も行ったところだった。それに、宇治の志津川の岩場は、このダムの少し下の橋を渡って行く。見慣れた風景である。

ダムも森林公園も人工そのもので、歩くには少しお粗末なルートではないかと思う。ダムももっと大きかったという印象があったが、黒部ダムに比べるとかなり可愛い。湖が鳳凰湖という名前だというのをこの日初めて知った。

視覚障害者の山の会ということで、どうしても安全面重視になることは拭えない。それに、いつも30名以上の参加者があるのと、そのメンバーの実力にもバラツキがあるとは思うので、場所の設定はかなり難しいと感じる。

山道の厳しいところや岩場は、目が見えないと危ないという考えもあるとは思う。しかし、天ケ瀬ダムまでの車道を歩いていて、車の脇を歩いている方がよっぽど危ないのではないかと思った。

 

槇尾山展望台からの眺め。あいにく天気が悪かったが、私の住んでいる町まで見えた


2007/11/8「平日クライミング」  クライミング

ここのところ,平日も何かと忙しくてクライミングはなかなか行けなかったが,水曜日がやっと余裕ができて来た。ホシダでも行こうかなと思っていたら、S労山のKさんたちが蝙蝠谷に出陣と聞いて、ここでまた中断しては元の木阿弥だと思い,急遽蝙蝠谷に混ぜてもらうことにした。

以前から、蝙蝠に行くときには声を掛けてと言われていたホシダのTさんと宝塚で待ち合わせて、総勢8名の貸し切りとなった。

蝙蝠谷は、夕方に吹く風は大分冷たく感じるようになって来ている。秋はあっという間に通り過ぎて、冬もそこまで来ているようだ。

コーナーでアップ後、復活を2回登った。先週の土曜日よりは少しはましになって来たようだ。一回目は、核心のトラバースまでテンションを掛けずに行けた。復帰後初めてのことで嬉しかった。2回とも終了まで行けて,何とかムーブも繋がったようだ。あとは持久力を付けて行くのと、レストを工夫するのが課題だ。まだまだ、時間は掛るだろう。来年の春当たりを目標にしたいと思うのだが、そうなると越冬しなくてならず、また一からの出直しになるかも知れなない。道は長い。

 

いつもは母を病院に送って行ってすぐに帰るのだが,今日はしんどいというので帰るまで付き添った。8時半に受け付けをして,薬を貰ったのは12時前。半日が潰れてしまった。健康な私がこんなに疲れるのに、診察にこんなに時間がかかっては,病人はさぞかし辛いだろうと思った。どこの病院も同じようなものだろうが、何とかならないのだろうか。


2007/11/4「Kさん、復活RP」  クライミング
土曜日は、蝙蝠谷に行って来た。何かと最近一緒に遊んで頂いているKさんが、この日復活を綺麗なムーブでRPされた。夏の暑いときも頑張って来られた成果だと思う。私と同い年のKさんや他のメンバーの頑張りは怠けがちな私には励みになり、また刺激を与えてくれる。

今年の夏は、今までになく連日30度を超してしまっていた。そうでなくても、私は夏はいつもクライミングは意欲喪失してしまう。本当は,夏の暑いときこそ登れなくてもやり続けておくことが大切なのはよくよくわかっているのが…。

確か,復活を触り始めた頃は同じ頃だったと思うが,三ヶ月ぶりに蝙蝠谷に行ってみたらKさんはワンテン

状態だった。

ブランク後の復活は、以前にも増して厳しかった。また一からの出直となった。何でもそうだが、やり遂げるまでは努力あるのみだということを痛感した。

ついつい、夏は暑いから、冬は寒いから、蝙蝠谷は遠いから、などと言い訳をいつもしてしまっている。夏場は,山も楽しいので気持ち的には山に逃げてしまっていた。

そういう私なので、なかなか成果も出ないのだろう。フリークライミングは,特に打ち込まないとなかなか成果は出ない。

しかし、それも自分流なので仕方がないことだろう(これも言い訳かな?)。クライミングは一緒にやっている人がRPすると、自分の無能さに落ち込んだりもするが、人と比べると続けられないのも事実だ。

今は,クライミングには絶好のコンディションだ。山の紅葉も,十分楽しんだので落ちついてクライミングに専念してみようかな。

今日のホシダでも、確かホシダカップの決勝のルート13bをkameさんがRPされた。このルートをRPした人は,私の知ってる限りでは初めてだと思う。

ホシダも,行くたびに新しいルートが出来ているが,私の登れるルートはごく僅かだ。まだまだ、登れていないルートばかりだから、飽きずに行けるのかも知れない。

土曜日の蝙蝠谷で、「鈍臭いひと程クライミングは長続きしている」と某クライミングジムでインストラクターをされている人が言っていたが、私もその鈍臭い人に当たるようだ。


2007/11/2「大山と蒜山の紅葉山行」  登山
28日月曜日に出発。下山キャンプ場へ近づくとガスで視界が無い。雨がパラパラと降り出す。キャンプ場の駐車場は車が一台駐車しているだけ。人っ子一人いない。次の日の蒜山高原の塩釜キャンプ場も、女三人での貸し切りだった。これが一人だともっと寂しいことだろう。この時期のキャンプ場は、どこもこんなものだろうか?

30日は夏道登山道から大山(弥山)へ登り、下山後蒜山高原の休暇村蒜山高原で入浴後塩釜キャンプ場へ。ここは中蒜山への登山口にある。31日は中蒜山から上蒜山に登り、ジャージランドで乳製品のお土産を買って帰路についた。

私は,大山と蒜山のどちらも行ったことがないので楽しみにしていた。おまけに最高の紅葉も見られてとてもよかった。日頃クライミングを一緒に楽しんでいるKさんとSさんも一緒で、より楽しい山旅となった。

2週間程前に登った穂高は、もうすっかり雪景色だろう。秋色はどんどん下界に下りて来る。秋は赤や黄色と派手な色彩を放っているのに,なぜか寂しく感じる。そして、その秋色も無彩色になり、一年の幕が落ちる。

最近は、ますます一年が早く感じる。


2007/10/26「「水からの伝言」に????」  生活

「水からの伝言」初めて聞いた言葉だ。これが、ブームとなっていたというのだ。

この説は、水の研究に取り組み「I.H.M.研究所」所長を務めるという江本勝氏が提唱しているものです。ガラスのびん二本に水を入れ、片方には「ありがとう」と書かれた紙を貼付け、もう一方には「ばかやろう」と書かれた紙を貼付け、それぞれの言葉を水に見せます。そのうえで、それぞれの水を少量ずつシャーレに分けて凍らせると、ありがとうの言葉を見せられた方は雪のような美しい結晶ができ、ばかやろうは結晶がばらばらに砕け散ったというのです。(「メディア・バイアスーあやしい健康情報とニセ科学者ー」松永和紀著・光文社新書)

ここまで読んで、「そんな、あほなぁ?」とつい口から出てしまった。(帰ってからネット検索したら、やはり「「水からの伝言」を信じないでください」というサイトもあった。
次に読み進めると、今度は三つのびんにご飯を入れて「ありがとう」と「ばかやろう」と何も書かなかった紙を貼って観察したら、最初に腐ったのは何も張らなかったご飯で、次はばかやろうで、ありがとうという紙を貼ったご飯はやや黄色くなったが大きな変化はなかったというのだ。
「これがほんとうなら、私は家中の食品などにありがとうと書いて貼るわ。冷蔵庫なんかで保存する必要なんかないやん!」と対面読書で読みながら思わず、毒づいてしまった。
さらに、読み進めるとこの話しがどれだけインチキ臭いかという説明だった。そんなのわざわざ書かなくても当たり前だろうと思う。
この「メディア・バイアス」という本は、マスコミが増長させて来たあやしい健康食品や世間に反乱するトンデモ科学報道に対して批判し暴いている。
いかにマスコミやTVに惑わされて来たかは、納豆ダイエット捏造騒動が暴かれ広く知れ渡ったと思う。実は、私はかなりいろんな物に惑わされて来たが、最近は素直に何でも信じなくなって来ている。特に、この本を読むようになってからはビックリすることが多い。
今、私がめげずに信じて続けているのは「黒酢」である。黒酢は、スポーツドリンクに入れたのを飲んでいるのと黒酢化粧水をもう15年ほど使っている。それと山に行くときや疲れたときのサプリメントのアミノバイタル。玄米ご飯に黒米や雑穀米を入れたのを食べたりしている。
最近、蝙蝠谷で復活を登れないのを嘆いていたらある人から、痩せる術を伝授された。これは、ナチュラルハイジーンと言って、取り敢えずは朝食は果物だけにして一週間続けるように言われ、三日程続けている。今まで、ダイエットはいっぱい試しているがほとんど効果がなく、このナチュラルハイジーンも半信半疑である。しかし、ちゃんと体重を測って継続中である。一週間はやってみるつもりだ。これは、苦痛が伴わないのでいい。
この世の中、いったい何を信じていいのか情報が氾濫し過ぎである。情報も正しい判断をして、種々選択をしなくてはならないので大変な時代だと思う。
図書館からの対面読書の依頼を受けるようになって、また情報量が増えている。自分の意志では絶対読まないだろうなぁと思う本も、必然的に読まなくてはならなくなる。それが自分の知らない世界であったりして、また興味を持ったりすることがある。
また情報が氾濫しているからこそ種々選択が出来、自分の考えも持てるのも確かだ。自分の興味以外のことにも目を向けさせてくれる朗読や対面読書は、私にも役に立っていると思った。


2007/10/25「蝙蝠谷で平日クライミング」  クライミング

昨日は、久しぶりにS労山の平日クライミングに入れて頂き、頑張って蝙蝠谷へ行って来た。我が家から、高速を使って2時間弱。下道を使って2時間半強。渋滞に巻き込まれると3時間以上になることもある。
私一人の運転だと、行くだけでかなりしんどい。RPが掛っていたりするともう少し根性が出るのだが、最近のへなちょこな私ではかなりの決意がいる。
そういう訳で重い腰をあげて行って来たが、行けば楽しい。それは平日なのに10名も人が集まり、和気藹々とそれぞれのルートを楽しんでいるS労山の人たちの人柄に寄るところも大きいだろう。それに私と同世代の女性が集まるのも魅力だ。平日にこんなに集まって、フリークライミングしている山岳会は少ないと思う。
この日は、もう何回か登っているコーナーをアップに登ったが、ヌンチャクを掛けながら登ったのは今回が初めてだった。自分でヌンチャクを掛けるにはもう一段上がらなくてはならず、いつもよりは気合いがいる。
岩には最初からヌンチャクが掛ってはいないので、クライミングはマスターが当たり前なので、それに慣れなくてはならないのだが、ついつい日頃甘えてしまっている自分に気付く。
そしてお目当ての復活であるが、やっぱりしんどいルートである。ちょっと、今回は良かったと思えるのは、トラバースのムーブが出来て来たこと。やっぱり、触っていると少しずつはましになって来るのかな?
最後に、アバガード10aを登る。このルートは蝙蝠谷に最初に来たころに確かTRで登って、10aにしてはずいぶん難しいなぁ、と思っていた。それ以来登っていなかったが、Kさんがヌンチャクを残しておいて下さったので登ってみた。一カ所、核心でテンションが掛った。しかし思っていた程、難しいとは感じなかった。次回もう一度登ってみたい。
この日、蝙蝠谷の静寂をやぶる出来事が起った。いつもみんなが集まって憩う上部のテラスの真ん中に、穴があいた。中が空洞になっていたようで、崩れたのだった。食事中の私の目の前での出来事で、慌てて避難した。一応みんなで、あたりに落ちていた石で穴は塞がれたが危険である。
よく考えたら、上部のハングだっていつ崩れて落ちるかも知れないのだ。そう思うと、少し怖くなってしまった。


2007/10/22「慌ただしい日々」  生活

一週間、慌ただしく過ぎてしまう。一週間に一回のペースでしかつぶやきが書けていない。涸沢の紅葉からもう一週間か…。早いなぁー。今日、涸沢ヒュッテのHPを見てみたら、もう真っ白だった。
土日で行った蝙蝠谷も、もう大分寒くなってしまっていた。ダウンを持って行って、笑われてしまったが、とても重宝した。
今回は、「道の駅みき」という三木市にある道の駅で一夜を明かした。ここは蝙蝠からやはり30分程のところにあり、とても大きくて綺麗で設備も充実していた。夕食も、ちゃんとしたレストランでとれる。お風呂があれば申し分ないのだが、風呂は近くの竹乃湯温泉に入った。ここは、最近改築されたようでとても綺麗。入浴料金が340円というのは嬉しい。そのかわり、石けんやシャンプーは備えていない。
結局、帰るのが面倒なので車中泊にしたが、やっぱり蝙蝠はルートが厳しいせいか蓮ちゃんは疲れる。さっぱり、調子は良くなかった。テンションだらけの各駅停車ながら、2日目に復活のハングを越えられ終了のカラビナにザイルが掛けられたのが、唯一のお慰みでささやかな喜び。こんな状態なのに、遠くまで足を運ぶにはかなり気力も必要だ。

今日は、近くの山田池公園で昼の一時、朗読の仲間と視覚障害者の友人とで鍋を囲んでのんびり過ごす。公園は日差しがあれば暑いくらいだが、吹く風は心地よく気持ちが良かった。広い公園内は、平日ということもあって人は少ない。
こんな体に優しい日も必要だと思った。
明日は、ほったらかしの母の顔を見に行こう。


2007/10/15「涸沢/穂高/紅葉の山旅」  登山
山での生活はシンプル。歩いて、食べて、寝る。それだけ。涸沢では、夕方帰ると食事をしてそれで暗くなると寝るだけの生活だった。
きのうは、山の片付けもそこそこに宇治の志津川にクライミングに行って来た。さすがに疲れて帰って食事をしたとたんに、ばったんキュー。山での生活の延長のままだ。
ところが、真夜中に「もう寝てたん?」「うん!」と寝ぼけた私。「ごめん」「……?! 誰に掛けてるのん?」「……??? すみません!」間違い電話に起こされてしまう。時計を見たら午前1時前。なんたる非常識。
あまりに早く寝すぎたせいか、もう寝られない。仕方がないので、PCの電源を入れてブログを書き出した。

涸沢にはもう何度行ったか数えきれない。そのほとんどが夏で、5月の連休に1回と紅葉の季節に1回行っている。しかしいつでも自然は同じ顔を見せてくれる訳ではない。以前行った1998年の涸沢の紅葉は、行った日が悪かったせいかも知れないが、ひどい物だった。
しかし涸沢の紅葉は雑誌などの写真で見ると、そんな物ではない。とにかく、日本一の紅葉だという。一度は見てみたなぁ、と思っていた。それも、最極上の紅葉が見たいものだと常々思っていた。
夏の暑い日が長く続いて急に冷えると、その年の紅葉は綺麗だという説が何かに書いてあった。今年の夏は、30度を越える猛暑続きだった。もしかしたら…、と思い9月の上旬ごろから涸沢ヒュッテのHPの紅葉情報を毎日見ていた。案の定、猛暑の影響で紅葉が遅れていた。
雨は嫌なので、いつ行くかは賭けである。「紅葉まっさかり」という文字が9日のHPの表紙に突然ネオンサインのように点滅した。そして11日は雨の予報だったのが晴れマークに変わっていた。というわけで、10日の夜の出発を急遽決意した。
最近は小屋泊まりばかりだったが、隙間程のスペースで寝る小屋には魅力はない。混雑を予測してのテント泊にした。久しぶりのことで、少し自信はなかったがこれも心配には至らなかった。
横尾から見上げた屏風岩も少し色付いていたが、本谷橋を過ぎて徐々に期待も膨らんで来た。黄色や赤やオレンジのアーチの中を登っていると、行き交う人に思わず「綺麗ですね?」を連発していた。こんなときに「綺麗」という言葉しか出て来ないのが不思議だ。いつの間にかザックの重さを忘れてしまっていた。
登るにつれてますます綺麗になっていく。この秋色のグラデーションは、何ともいえない。子ども頃から、春の色より好きだった。暖色系には心和ます効果があるように思う。涸沢カールが遠くに見えたときには、人々の感嘆の声があちらこちらから聞こえて来た。私もその中の一人だった。
そこからは、いつもはうんざりとする長い登りが待ち受けているのに今回は苦にもならず、却って気持ちはウキウキするばかりだった。
やはり今回は期待を裏切らなかった。穂高を配したこの涸沢カールの景色は、まさに日本一ではないかと私は思った。この色彩の中にいられるのは、なんという贅沢なことだろう。どんな素晴らしい絵画にも勝っているように思うのは私だけだろうか。
予想通り小屋の混雑は悲惨だったようだが、テン場は割に空いていた。今回ばかりは、小屋のテラスのたくさんの人もそれほど気にはならなかった。
今回は2泊できたので、1日はザイテングラードから登り北穂高岳まで稜線を歩いて来た。夏に比べると稜線上まで登る人は少なく、上から見るとカールの喧噪は嘘のように静かだった。
秋満腹の山旅だった。

  

2007/10/8「3ヶ月ぶりの蝙蝠谷」  クライミング
いつものことだが、夏の間はクライミングへの意欲が喪失し、未だに積極的な気持ちにはなれず、蝙蝠谷の厳しさを思うと気後れのしっぱなしだった。我が家からは遠いということもあり、それも気後れの一因にもなっていた。
しかしとうとう重い腰を上げ、蝙蝠谷に行って来た。記録を見ると7月2日以来で、3ヶ月ぶりだった。6日は出発時からぐずぐずしていたのもあるが、連休のためか渋滞もしていて岩場に着いたのは12時半頃だった。連休とは思えぬ程蝙蝠谷は静かで、2日とも私たちも含めて4パーティー8名だった。
もういいでしょうでアップ後、気持ちが乗って来ないTがパインルーフ11aに取り付いたので、トップロープで2回程登ってこの日は終わった。このルートは初めてだが、11aにしては難しいしパワーもいる。
気後れの後遺症のせいか、この日は復活には触らずに終わってしまった。やる気のなさが表れている。しかし、物足りなさは拭えず、次の日もまた来たくなっていた。
最初は日帰りのつもりだったが、来るときの渋滞を思うと帰って再び来る気力がないので、道の駅を探して車で寝ようということになった。駐車場に向かう途中で、ちょうど散歩をしていた女性に出会い道の駅を尋ねると三木と淡河にあるという。
近そうなので淡河道の駅に向かった。20分程で着いた。ここは、何故か臭う。道の駅にあった案内板に地図があって、近くに牛舎があるというのがわかり納得した。ここは田舎で田んぼが広がり、彼岸花がまだ咲いていて、のどかな風景だった。道の駅には、十割蕎麦という看板があったが、5時半過ぎだというのにもう閉店していた。
しかたなく、近くのコンビニで弁当とビールを買い込み、ベンチで夕食をとっていたら猫が近寄って来た。この道の駅をネグラにしているホームレス猫のようだ。それにしては、お上品で可愛いい猫だった。
次の日、衝原の駐車場が開く時間の9時にはまだ大分あったので、近くの「淡河八幡神社」に行ってみた。ちょうどこの日は秋祭りだったようで、準備のために大勢の人が忙しく立ち働いていた。
それから衝原に向かったがまだ時間あったので、三木の方面に車を走らせた。途中でダムの展望広場があった。朝早くから、車やオートバイがたくさん停まってる。とくにオートバイが目立った。新しい型のオートバイが多い中で、ハーレーの中古車と、アメリカから逆輸入のホンダ車が凄い。ホンダはキンキラキンに装飾され、一段と目立っていた。
岩場に向かうと、こんなに早いのに一人すでに来ていた。少し蒸し暑い気がするが、快適だ。もういいでしょうでアップ後、昨日の続きのパインルーフに取り付くが、カチを持つ指先が痛い。ハング下で下りて来て、なさけない気持ちになる。あとから来た男性二人が、復活に取り付いていた。
そこで登らなくては来た甲斐がないではないかと気持ちを奮い立たせて、次に登ることをした。心臓がパクパク鳴る。こんなことは、久しくなかったことだ。3ヶ月のブランクはかなり気持ちも後退させていた。
しかし、登り出すと手順は意外とよみがえって来た。4ピン目を取りに行くときに大落ちしてしまい、それで踏ん切りが着いたようだ。後は手順を復習しながら、テンションを掛けながらも終了点まで行けた。真ん中位で下りて来るのではと思っていただけに、予想外にうまく行ったように思う。かなり、怖じ気づいていたので、ホッとした。これでまた、頑張ろうという気持ちが「復活」したようだ。
近頃、RPという成果はなかなか望めなくなって来たが、こうしてまたモチベーションがでて来たのは嬉しいことだ。
蝙蝠谷に行って良かった。
連休3日目の今日は朝から雨模様。起きたときには、かなりの疲労感が残っていた。体がギーコギーコ悲鳴を上げている。こんなことは久しぶりのことだ。


2007/9/30「あぁ〜、雨なのにホシダ」  クライミング
早朝、雨なのにホシダへのお誘い電話がSさんからあった。まだ行くかどうか分らないと夫が応えている。私は朝から、もう意欲は喪失気味でブログをせっせと書いていた。

お昼頃、「ホシダに行かないか?」という声に「ウン」といつもの生返事。結局ホシダに向かってしまった。まだ雨がやまない。途中、携帯からピトン小屋に電話を入れると「20人位来たはります」という。「ヘェ〜、物好きやなぁ〜!」と思う。

午後から止むかと期待していたが、夕方まで降っていた。10名程来ていた高校生が帰ったので意外と空いていたが、それでも10名以上いた。Oさんが、「こんな天気で来ているメンバーは、いつも一緒やなぁ〜」という。「行くところがないから、ホシダに来る連中」という意味だという。 真意の程は分らないが、常連達はどの程度の雨なら登れるかという事は十分知ってる。

やはり、少し滑り感はあるものの登れた。この日はいきなり左壁の黒赤11aに取り付く。このルートは、ムーブ的には難しくないが、終了まで行くにはかなりのパワーがいるのでいい筋トレになると思う。テンションだらけだが、大分楽になって来たようだ。

漠然と登っていないで、すこし目標を定めてこのルートに取り付いてみようかなと思った


2007/9/30「京都金比羅山にて」  クライミング
先週、小川山へ行くときにもう少しというところで、車に石が絡んだような「ガラガラ」という音がした。見たが、何も変わった事がなく変だなぁ、とそのときは思っただけだった。しかし、帰りに車のクーラーが効かない。少し涼しくなって来たとはいえ、まったく無しでは暑苦しい。

帰ってから、いつもの京都の修理工場に持って行った。コンプレッサーが折れていたので取り替えとの事で,11万5千円かかった。痛い! 車の維持費は、けっこうなものだ。

昨日、修理が出来上がったので、取りに行くついでに京都の金比羅に行って来た。こんなときぐらいしか、金比羅に行く機会は無くなってしまっている。

どんよりとした、いつ降り出してもおかしくないような空模様だった。お陰で、駐車場である馬場には車は数台停まっているのみで、昼過ぎにも関わらずまだ余裕はあった。

相変わらず金比羅は鬱蒼としているが以前程でもなく、最近手入れされ、登山道やYケンの取り付きなどもすっきりしているので分りやすくなっている。

まず、ゲートロックで3本登る。日本100岩場のルート図を見ても、登ったのがどれに当たるのかがよくわからない。こういうところが、金比羅らしいというか…。ゲートロックでは、中高年のカップルがアルパインの練習をしていた。この日クライミングをしていたのは、この二人だけの静かな金比羅だった。

そのあと、最近開拓されたというTのお目当ての新しい岩場を探しに行くことになった。まだほとんどの人が知らないらしく名前がまだない。星田のIさんの情報だけがたよりの何とも頼りない事で、私はあまり関心がないのだがくっついて行った。

その途中にあるというゲタとう岩場は、クライミングの洗礼を受けたところである。十年程前に山岳会に入って、岩登り講習会に参加して、Yケン尾根を登り、そのままゲタに行って初めてのフリークライミングだった。1996年の5月の事である。(以下に当時の事を書いた文書を引用しておく)そのときには一番簡単なルートが、全く手も足も出なかったということは一生忘れないことだろう。

そんな折り金比羅で初級の岩登り講習会があるというので、ちょこっと好奇心が芽生えた。しかしまだ私のような「おばさん」(自分では決して本気でおばさんだとは認識していないが)が行くところではないと思いこんでいた。入会した折角の特典を放棄すべきでないと、行ってみることにした。何も道具は持っていない。ただ行っただけである。Yケンの取り付きでハーネスを渡される。「えー、私に出来るんですか」なんて白々しくもいいながら言われるまま付けてみた。その時はYケンの頭まで登った。そこで懸垂の練習などを少しして、ザイルにプルージックをして運動靴で何度か登り、次ぎにゲタというフリーの岩場でトップロープで登った。そこも靴は確か最初は運動靴だったような…。全く歯が立たない。今から思えば中央ルートか右ルートで3-4級のところである。これは靴のせいだと思いこみ、誰かのフラットソールを借りたように思う。しかし同じだ。その日はそれでも何が何だか分からないまま帰宅した。1996年の5月のことである。山岳会に入会間もないときである。

それ以来、私はゲタには行っていない。Yケンの頭から頂上までの間の左に入る道がよくわからず、金比羅山の頂上まで行ってしまった。そこから下る道もあるように100岩場には書いてあるが、それも見当たらないので引き返し、むりやり踏みあとらしきところを入ったところ、正規の踏みあとにたどり着き、やっとゲタに着いた。

このゲタは、回りの木が伐採されていたせいか、以前の鬱蒼とした印象は薄れ明るい岩場となっている。十年ぶりの再会に、しばし感激。十年前に私が初めて運動靴で取り付いたルートは、いったいどれだったのだろうかと目で追ってみるが、記憶はぼんやりしていてよみがえらない。それもそうだ、登り出して1メートル程で敗退したのだから仕方がないだろう。

ふと、ここで登ってみたいと思ったが、この日の目的が新しい岩場にあるのを思い出した。そこからまだ進んだところにあるというニューエリアに、あるのかないのか分らない踏みあとを少し下り気味で辿り、トラバース気味に進んで行った。

かなり進んで尾根筋に出てもう少し進んだが、結局はその岩場は見つからなかった。もう日は暮れかけているので、踏みあとが見えなくなると困るので引き返す事にした。

元来た道を戻っているつもりが戻れていなかったようで、鞍馬方面に下りる登山道の途中に出てしまった。

大分、下りすぎていたようだ。その登山道を登ると、金比羅の登山道の分岐に出た。Yケンの頭で少し休憩して、谷筋を下った。暮れかけた時間なのに、途中でボルダーマットを担いだ男性と出会う。他に、誰とも出会わなかっただけに驚いた。仕事帰りに出向いて、課題に取りくむのだろうと納得はしたが…。

山岳会に入ってしばらくは通っていたが、金比羅は普通のフリー岩場にはない独特の雰囲気を醸し出している。

それにしても、ゲタは気になるなぁ〜。

やっぱり、もう一度行かんと…。

 


2007/9/25「中秋の名月」

雑感-今日は「中秋の名月」というのをTVニュースでやっていたので、先ほどベランダに出てみたら、まんまるお月様が出ていたので思わず写真を撮った。中秋の名月とは旧暦8月15日のことで、今年は9月25日がそれにあたるということだ。私が子どもの頃は、縁側にススキと祖母が作ってくれたお団子を供えて眺めたものだ。ほんとうに,兎がいると信じていた頃があった。何もかもが、オットリとしていたような…。



2007/9/25「連休にまた小川山」クライミング  
また連休に小川山へ、8月に続いて行ってしまった。8月はがら空きだったが、この連休は駐車場も超満員だった。まるで,お盆のような混雑ぶり。今回は、めずらしく夫と二人だけだったが,テン場や岩場では知り合いにたくさん出会った。ほんとうにクライミングの世界は狭いと思う。京都岳連の懐かしい人たちも講習で来られていた。23日は、私たちが前から何度も足を運んでいるリバーサイドへ。下部の「アウトオブバランス」5.9でアップ後、上部に移動。この上部は11台が3本あり、とてもいいルートだと思う。何年か前からかなりの回数「ランデブー」11aに取り付いているのだが、まだ登れていない。最近の気後れ傾向がここでも出て、ランデブーに自分でヌンチャクを掛けに行く勇気も出ず、「ブンブン」11bをトップロープで取り付く。2ピン目当たりの核心がどうにもならなかった。あとは何回かトライすれば登れそうな気もしないではない。これではいくらなんでも物足りないので、隣の「ドクフ」11aにヌンチャクを掛けに行った。2ピン目の上の核心が恐くて勇気が出ず、チョンボ棒を上げてもらい掛けてからムーブを探ってみた。右のカチと左のカチをそれぞれ両手で持ち体を上げて、足を横に走っているクラックまで上げられれば終わりなのだが,何度やっても出来ない。そのあとはガバの連続で、少し最後の終了点が細かくまた嫌らしいが、核心程ではない。も一度、ドクフにトライしたが核心ではやはり全くお手上げ状態。何度もカチを持っては落ちるということを繰り返すうちに、指先が痛くなり下りてしまった。根性なしである。しかし、ここの3本のルートは今の私には難しいが、いつかは登りたいルートでもある。次の日の23日はあれこれ迷ったあげくに、Tが以前二峰のセレクション終了後に谷筋を下るとき、三峰でとても長くていいルートがあったという。「メルトダウン」11aだという。かなり期待してそこに行ってみると、スラブではないか。スラブのイレブンなど、とても私の実力では無理。トポにはヌンチャク19本と書かれていたが、見た目にはそんなにない。とりあえず行けるところまで行ってみようと言うことでTがリードした。スラブが苦手なTは、途中のランナウトしているところで下りて来たので私が交代して登った。グレード的にはそれほど難しくはないのだろうが、やはりこのランナウトの恐さはただものではない。少し上がったものの,恐怖に負けて下りてしまった。その後しばらく気持的に萎えてしまい、途中で寄ったソラマメスラブでも登る気力が湧かず、けっこう混雑していたこともありビレーに徹した。次にソラマメから近いので、二峰の下部に移動することにした。セレクションの取り付き当たりは、かなりの混雑だった。それを横目に右にまくと、めざす11aの「DDT」がある。ここは下部が核心で、ドクフの核心と同じようにカチを持って体を上げて上の少し大きめのカチを掴めばいいのだが、それがまた出来ない。回収と2回登ったが、やはり先が痛くなってしまった。この核心を抜ければ、あとは問題なく登れるだけに残念だ。言い訳になるが、背の高い人だと下から足を上げなくても、上の大カチに届くと思う。そうだとすれば、この核心は簡単なのだろう。雨がポツリポツリと降り出して来たので終わりにして歩き出したら、本降りになって来た。テントに戻り食事を済ませ、7時過ぎには眠ってしまった。そのあとも、時々目覚めるとテントに当たる雨音がしていたが、明け方からは止んでいたようだ。しかし、空はどんよりとしていた。この分だと岩は濡れているだろうということで、撤収して9時頃に廻り目平を出発して帰路についた。結局は、どこもRP出来なくて何となく物足りなさは残ったが、この夏の岩場離れからすれば当然の結果だろう。小川山も13回目で何回も通っているうちに、あちらこちらにお手つきルートをたくさん残して来るだけとなってしまっている。岩に触れているだけでも楽しいのだが、次から次へとこれらのお手つきルートを片付けて行ければもっと嬉しいことだろう。まぁ?、こんなものでしょう。
駐車場は車の海
マツムシソウ
テン場風景

2007/9/19「しばらくのお別れ」  クライミング

今日は、午前中は朗読関係で図書館へ。午後からホシダに向かった。常連のKさんが、脱臼の手術で入院のために今日が最後となった。
この前、目の前で外れて病院に付き添った。途中の消防署に寄って救急車で運ばれたのだが、回りの心配をよそに、本人はケロリとしていてそれからも星田に毎日来ていた(さすがに、もう登ってはいなかったが)。しかし、このことがきっかけで手術をする決心がついたようだ。
ほぼ毎日来ていたKさんにお願いして、平日は相棒がいなくても一人でも気ままに行けるので助かっていた。これからしばらくは、不便だなぁ?と思う。しかし留守の間は,他の常連たちで連携してほぼ毎日誰かが、HCC(Hoshida Climbing Club ホシダ クライミング クラブ)という名前で申し込みをしていることになっている。
今日の星田は2時頃について、約2時間程の間に3便出すが、思うように登れなかった。さすがに連休の疲れが出ていたようだ。
今日はTVでサスケをやっていた。この日のために日々トレーニングに励んでいるのは、鍛えられた体を見ればわかる。これだけ頑張ったから,これだけの成果が…。というような当たり前のような結果は期待出来るとは限らない。しかしそれでも、やり続ける。そのエネルギーは、凄いものだと思った。思わず、ハラハラしながら声援を送ってしまっていた。


2007/9/18「三連休」  ハイキング

この、三連休は小川山に行くつもりだった。しかし、天気予報は冴えない。遠いので雨だと落胆も大きいので中止となった。それで、三連休の15日と17日はホシダへ。16日は久しぶりに、京都山の会の例会に参加することにした。それはそれで、充実した三連休となった。ホシダでは、やっと新しいルートも登ってみようかな、という意欲が湧き出して来た。意外なのは、まだ暑いのにハイカーも多いこと。特に昨日は蒸し暑く、ただ立っているだけなのに汗が滴る。久しぶりに砂ルートを登ったが、日が当たっているせいか、クラクラしてきた。こんなに汗(水分)が出たのに体重は増えている。何かが変だと思う。そして、日曜日はお陰で「京都山の子会」の例会に参加出来た。今回は芦生だった。貸し切りバスで佐々里峠まで行き、そこから大杉の群生を見に行くという企画だった。私は昨年の6月以来の例会参加だった。間際に申し込んだにも拘らず、温かく迎えて下さりホッとした。佐々里峠は初めて行った。石室にお地蔵さんが奉られている。ちょっとした、駐車場になっていてたくさん車が止まり、ハイキングの案内板も出ていた。標高800メートルにある峠からのアプローチは、とても楽そうに思えるのだが、けっこうアップダウンがある。この点に付いては、あとで皆さんのブーイングが多数あった。大杉は、たくさんあった。雷にやられて中が空洞化した杉や蔦が絡んで苔むしているものもある。一番大きな木は、5人半で一周だった。この木は下が細くて上の方が太くなっている。太くなっているあたりまで雪が積もるのでこんな形になったのだという話しだ。今回は、ミヤマウズラという花を教えてもらった。私のデジカメが今修理中なので写真が携帯でしか撮れなかったのが残念だった。また天気が悪いのでヒルが出るだろうと、「キンチョール」を出発前に足元に掛けてもらった。そのお陰かヒルには全く遭遇しなかった。ヒルにキンチョールが効くのは知らなかった。それと、かなり蜂が多く、ずっと付いてきたが、これも知らん顔をしていたら刺さないという忠告を行くときのバスで受けていたために、だれも刺されなかった。大騒ぎをすると攻撃されるそうだ。山の子会では、いろいろ教えてもらうことが多い。わいわい、がやがや、50名近い賑やかな楽しいハイキングだった。また、参加したい。
2007/9/13「秋の夜長に思う」  クライミング

ここのところ,平日クライミングをさぼっていたが、昨日はたまたま予定が空いていたところにFさんからのホシダへのお誘いメール。
特にホシダのハングは、か弱い私に取ってはたえず登っておかないと、前に登れていたところも登れなくなってしまう。
それでも、いつものホシダでの仲間は久しぶりでも、気持ちよく受け入れてくれる。
もっと、壁が気分よく受け入れてくれれば嬉しいのだが、さぼっている分冷たい仕打ちをされるのが悲しい。
クライミングとはなんとシビアなものなんだろう。
だが登れなくても、私が楽しいのだからそれでいいのではないか、ということで結論が出る。
「いくら頑張っても、たかがしれてるやんか。そんなら,楽しいのが一番。チャンチャン!」である。
また、いつもの居直り。
しょせん、クライミングは自己満足の世界なのだ。

昨日の夜、「もうそろそろ山は秋やなぁ?、紅葉のええ山はないかいなぁ?」と、ゴソゴソと『岳人』の秋の山の特集をしている本を本箱から引っ張り出してみていたら、2003年9月号の表紙に大きな字で、「第1特集 クライミングを楽しむ」とあるのが目に留まりついページをめくってみる。
そこに、「クライミングの価値が、グレードだけで語られるのはさびしい。「登れた?」から「楽しめた?」へ。もっとおおらかに、もっと無心に、岩を攀じることそのものを楽しもうではないか。」と書かれている。
菊池敏之さんの「「大人のクライマー宣言!」もっとおおらかにクライミングを楽しもう」と渋谷正利さんの「「グレード」より「ルート」を登ろう」は、クライミングについて考えさせられた記事だった。この特集は、私の居直りを「そうや! そうや!」と肯定してくれたようで、むさぼり読んでしまった。
モチベーションが高いときには、果敢に自分の最高グレードを追うのもそれはそれで楽しいクライミングでもあるが、グレード至上主義でクライミングに取り組むのは、私には辛い。まるで営業マンが、早くノルマを達成しなくてはならないというような悲壮感を感じてしまう。
人に迷惑をかけるようなことや危険なことはしてはいけないが、自分流のクライミングを楽しんだり、またその人流のクライミングも認めなくてはいけないと思う。狭いクライミング観を人に押し付けるようなことは、やはりいけないという気がして来た。
たとえば分りやすい例は,トップロープで楽しむ人を否定してはいけないとは思うが、トップロープでルートを占拠してしまって、他の人が登れないような状況はいけないというようなことだ。
青空と紅葉。そんななかで楽しく岩と戯れてみたくなった。
そういえば、昨年の大台の中の滝は、楽しかったなぁ~


2007/9/11「伏見散策」  雑感

京都の伏見と言えば、京都市の南の端っこ。京都市内の人から見れば、伏見から南は田舎っぺ。昔からの交通機関は京阪電車(京都-大阪)と近鉄(京都-奈良)。その両方の路線の交差しているのが丹波橋駅で、もう一駅南に伏見桃山駅(京阪)と桃山御陵前(近鉄)があり、ここは、昔から大手筋と納屋町と呼ばれる広域の中心的商店街として栄えていた。
私は、この大手筋に小さい頃から縁があった。地元商店街になかったときには、この伏見の大手筋へ行く。しかし、デパートとかは無いために、何となく田舎臭くいいものが無い。しかたなく次の段階では、京都市内へ足を延ばすのである。たいがいは、このパターンだった。
京阪電車で通学するようになってからは、急行が停まらないためもあってか、伏見はただ車窓から眺めるだけで、ますます縁遠くなっていた。そのころは制服姿で、もっぱら四条河原町周辺をウロウロしていた。
だが子どもが小さい頃の10年間程、この伏見のニュータウンに住んでいた。生活圏がまた大手筋や納屋町になった。その頃の友人のグループが、楓会(昨年、穂高に登ったメンバー)といい、未だに続いている。今年はそれぞれ事情があり、夏山に一緒に行けなかったので、食事でもしようではないかということになり、この伏見桃山駅に集合した。
久しぶりのこの界隈は懐かしい。昔の面影を探しながらキョロキョロしていると、全体にはとても綺麗になり、以前にも増して活気があるように感じた。最近は地方の商店街が寂れる一方なのに、優秀だなぁと思った。
昼食後、懐かしくてもう少し歩いてみた。御香宮神社に行き、月桂冠が移転して昔の本社が夢百衆という喫茶店になってるというので、そこでお茶でも飲もうかということになり行ってみた。歩きながら、ほんとうに道路も整備されていて綺麗になったと感じた。
その月桂冠の以前の本社はそのままの建物で、夢百衆というレトロな感じの喫茶店と伏見の清酒を置いた土産物店になっていた。喫茶店に入ると着物にエプロン姿のお嬢さんがウェイトレスで、タイムマシンで大正時代に行ったようだった。私の注文したパフェも、あんこと白玉、抹茶アイスなどで盛りつけられ、ウエハスの代わりに八つ橋が添えられていたのは京都らしい。これは、パフェというよりは善哉アイスが相応しいのでは…。日本酒も飲ませるようで、ホットケーキやアイスなどに日本酒の入ったメニューもあった。
出るときに、ずらりと並んだ伏見の清酒の中に、昔夫が愛飲していた銘柄の「振り袖」を見つけた。「いい奥さんしてるやん!」と友人に冷やかされながらも、懐かしくてお土産に純米吟醸を買う。もう20年以上前だが、ここの純米酒は美味しくて安いと、お気に入りだった。
そこから、運河沿いを宇治川に通じる水門まで歩いて来た(三栖閘門資料館HP)。運河沿いも綺麗になり、水もきれいで観光用の十石舟や三十石舟が浮かんでいる様子は、柳と酒蔵とよく調和し美しく風情がある。この舟は、千円で乗れるらしい。
そしてずっと昔、車窓からいつも眺めていた水門にも歴史があるのを改めて知った。寂れていると思っていた伏見が、観光の町としてよみがえってるのを見てとても嬉しかった。もう一度、ゆっくりと歩いてみたいものだ。
伏見は、第二の故郷である。



2007/9/10「久しぶりの宇治/志津川」  クライミング

土曜日はホシダで登って来た。この日はわりと混んでいた。磐船神社に車を停めて、往復歩いた。まだ暑くて汗が滴り落ちる。夕方から大雨で、あがるまでハングの軒下で雨宿り。雨が上がった頃にはもう五時で,帰る時間になっていた。
日曜日のホシダは、講習会の日で使用出来ない。朝からぐずぐずしていて、漸く昼前に重い腰をあげて、宇治の志津川の岩場に行って来た。この岩場は家から近いのだが、なかなか行く気がしない。一年ぶりだった。どうして魅力が無いのだろうか? 
この日は前日の雨のせいか,ホールドが滑っている。そうでなくても、けっこう掛りが悪いと思うのは私だけだろうか。全体に、難しいと思う。
5.7のカラスの行水と5.9のノーマルルート、そして5.10aの志津のクラックを登った。ちゃんと登れたのはからすの行水だけ。最後に志津のクラックにもう一度登ろうとしたら,雨がまた降り出して来た。ヌンチャクを回収に行くが、もう濡れていて気色が悪い。ゴボウで体を持ち上げてやっと回収した。
結局は、気持ちも中途半端なせいもあってか,クライミングも半端だった。

2007/9/5「蔦はクライマーか!?」  生活

実家の塀代わりに植えていた垣根に蔓が巻き付き、ひどい状態だぅた。その蔓は、電信柱を足がかりに天を目指していた。上へ上へと登りたがるのはクライマーの習性と同じ。どんなに細いものでも、それにあたかもプロテクションを取っているかのように巻き付き、絡み付いている。引きずり下ろそうにも、しがみついていて私の馬鹿力で引っ張っても落ちて来ない。
昨日一日,暑い中で格闘してみた。伸びた蔓はザイルの中身の細い部分が絡まったようになっているので強度を増しているようだ。引っ張っても仕方が無いので、いたる所でぶつぶつ切っていった。それでやっと、手の届くところは取れたが、電柱の上まで伸びたのは取ることが出来なかった。栄養源は断ち切られたので、ほっておくと自然と枯れて落ちて来るだろう。帰る頃にはもう,下の方からしんなりとして来ていた。
そして、あちこちの方角に伸び放題だった垣根の枝は、切り落とし形よく整えてみた。たまに通る近所の人が「綺麗になったね」とか「何も、こんな暑いときにせんでも…」と声を掛けてくれる。
帰りには、親指にはさみの当たるところが摩擦でこすれて傷が出来て,今でも痛い。手は爪まで真っ黒。服から出ている部分は、虫か何かにかぶれたのか湿疹だらけ。悲惨な状態だった。今度は、それなりの重装備でしなくてはと反省。
しかし意外だったのは、こんなにも暑いのに時間を忘れるほど熱中していたことだ。感想は「これもなかなか,面白いやん!」と虎刈りながらも綺麗にまとまった垣根を見て思った。出来るだけやりたくないと、今まで避けていた。しかし電線に絡んだら困ると思い,見るに見かねて仕方なく手を出したが、帰ってからはやり残していることが気になって、もう次にやることが頭をよぎる。それに、栄養源を断たれた電信柱の蔓の様子も気になっている。
一生懸命上へ上へと伸びていたのを思うとかわいそうだなぁ?という気持ちもしないではないが、仕方が無いだろう。
しかし本音は蔓のように、青空目指して気持ちよく登りたいものだ。何だか忙しくて、クライミングが遠のくばかりだ。

電柱に絡んだ蔦


伸び放題


2007/9/1「秋の気配は?」  クライミング

今年ほど、秋を待ちわびたことはない。連日の猛暑に苦しめられた夏だった。ここのところ雨が続いていたお陰か、今日は久しぶりに気温も下がるという予報なので期待していた。
やっと9月に入った。やはり少し空気が違ってるように思える。ホシダには早めに着いたのだが、Kさん達2名だけだった。土曜日だというのに、全員で11名だった。
やはり日中はまだ暑い。それでも救われるのは、時折吹く風はひんやりと心地よいことだ。アップに茶色を登る。
右の壁に赤色テープのこの壁で一番簡単なルートがあり大分前に登った。だがホシダカップのルート作成で無くなってしまい、その後黄黒になり再生して下さった。グレードは11aから10dと格下げになった。しかし私の体感グレードでは、グレードアップしたように思える。前より、ずっと難しいと思えて仕方が無い。
それは,前も苦手だった核心のハング越えが左トラバースになってしまい、その左を保持してプロテクションを取るか、もう一つ上に上がって取るかになったがこれが左腕の弱い私には苦手な作業となってしまった。もう一カ所は、最後も遠くなったことも辛い。
しかし、この前は途中で降りて来たが、最後まで行けたことは私には収穫だった。
もう一本、左の黒赤10cも何回目かのトライだったが、ムーブは繋がった。あとはレストがうまく行けば登れるだろう。
最近の私はグレードはアップしなくなっていて、下落の一途ったが、この2本は諦めないで取り付いて行きたいものだ。
夏の間、かなり意欲喪失していたが、さぼっている間に痛めていた指や肩がすっかり気にならなくなっていた。
もう無理は禁物だよ、と言うことか…。
まぁ、のんびり楽しくやっていこう。

秋の風 登りたいとの 意欲かな


2007/8/27「夏休み終了」  生活

昨日のホシダでのクライミングを最後に、長〜い夏休みは終わったという感じだ。今日からまた日常がスタート。遊びほうけていた間に、山やクライミング以外のたまった予定が、カレンダーには連日書き込まれている。忙しい。
取り敢えずは、朝から家事をフル回転で片付け、今日は午後からは図書館へ。朗読関係の用事が、次から次へと待ち受けている。これも手が抜けない。
変わらないのは連日の猛暑だ。自分の中では夏は終わったという感じだが、こう暑いとなかなかそんな気分にはなれないなぁ〜。
今日は車のメーターの表示も出かけるときに、外気温が40度を越えていた。午後1時に図書館の駐車場に駐車して、用事が終わって車に乗ったときには43度を示していた。いい加減にしてほしいものだ。
涼しくなったらクライミングを頑張ろうと、毎年このころから思うのだがなかなかエンジンがかからない。夏の間はクライミングはさぼってしまっていたが、6月の八ヶ岳、7月の白馬岳、8月の御嶽山と山歩きは出来た。お陰で、夏バテも無く元気で快調に過ごせた。
しかし、明日から前線が南下するようで天気が崩れるようだ。この前線は、秋雨前線なのだろうか。それなら少しは期待出来るだろう。早く、涼しくなってほしいものだ。

2007/8/25「小川山でリゾートクライミング」  クライミング

小川山で涼しく過ごして来たあとだけに、帰ってからの猛暑が応える。21日から24日の小川山は、やはり寂しい程閑散としていた。それでも日曜から来ていたNさんによると、テントが張れないほど混雑していたと言っていたのでやはり平日だということでこんなにも空いていたのだろう。
今回の小川山は、この暑さから脱出することが第一目的でもあったので、クライミングはまだ行っていないエリアに行こうということになり、初日の弟岩と次の日のストリームサイドエリアで10台中心に登って来た。
ストリームサイドエリアはROCK&SNOWの36号にルートが紹介されていて、Mが行きたいというので22日はそこにした。ここで登った☆☆☆の5.10aのLove or Nothinは、クラックとフレークのガバを使いながら18メートルの垂壁を直上する、今回で一番印象に残った良いルートだった。
この日の夜は、日曜日から来られていたNさんとAさんをご招待してバーベキュー。今回は家族だけで,少し寂しかったがお陰さまで楽しいひとときを過ごせた。肉が焼き上がり出した頃に、雨が降って来た。タープを張り直して雨の中でも快適だった。廻り目平キャンプ場は、こんな過ごし方が出来るのも嬉しい。
今回はリゾートクライミングと名付けたが,クライミング意欲を喪失してる私は正にリゾート感覚だった。モチベーションが低下している私にとっては、今回はもう一度意欲を取り戻す手がかりにはなったと思う。
しかし、登れそうなところばかりをこうも選んで登っていると、やはり充実感は欠ける。「ヤッター!」という達成感を味わえないクライミングは、「ワサビの抜けた寿司」のようで物足りない感も拭えない。
23日は朝から雨だったので、のんびりと過ごしていた。12時過ぎ雨が上がったとTに起こされ、小川山レイバックに向かう。このルートは私は昨年TRで登っているが、Tはクライミングを始めた10年近く前に、何も分らないまま一度取り付いたきりだったので、今回ぜひ登りたいということだった。
私は、どうもクラックルートの苦手意識が強くまた恐い。レイバックに力が入り、プロテクションを取りながら登るのも「もしも落ちたら抜けてしまうのでは…」という不安とで未だにリードをする勇気が出ない。
しかし、この小川山レイバックは私にとっても思い出深いルートである。山岳会に入会して間もなくの1998年に、やはり初めて小川山にクライミング行っている。この時の初日は、父岩の小川山ストーリー5.9をみんなでTRで登って遊んで,次の日に小川山レイバックを登りに行った。私はTRで取り付いたのだが、一歩も登ることが出来なかった。そのときに居られたガイドの方がそんな私をみていて、手取り足取り教えてくれたが、何度試みても重いお尻は上がらず離陸出来なかった苦い思い出である。それからみたら、TRながらもテンションを入れずに登れるということは、ささやかながらも継続の力が出ているということだろう。
この最初のときから、昨年に続いて今回で3回取り付いたことになる。もともとクラック志向の無い私なのだが、どうしてこんな造形が自然に出来るのだろうかと不思議に思い、また美しいと思った。このときからもう10年、12回目の小川山だった。誰もいない小川山レイバックを改めてつくづく眺めていた。
(1998年のことは、「いくさんのお部屋/山行報告」書いている。)
24日は、Mが調子を崩していたためにクライミングを中止し、テントを撤収して9時半頃帰路についた。帰りには、いつものお店で高原野菜と果物を仕入れ、「スパティオ小淵沢/延命の湯」に入り、となりの道の駅に寄った。
そのあとMが行ってみたいというので、「八ヶ岳リゾートアウトレットモール」に立ち寄った。こんな山のなかに、都会並みのショッピングモールがあるのには驚いた。
最後にNHK大河ドラマの「風林火山館」にも寄って帰って来た。久しぶりに観光してみたが、ここだけわざわざ行くということはこれからも無いだろうが、たまにはこういうところに立ち寄るのも良いものだと思えた。
リゾートクライミングを堪能して、クライミング10年の節目を迎え、また新たにクライミング意欲が湧いてきそうに思えた


 
  
 

22007/8/15「暑い!」  雑感

夜になって少し涼しい風が部屋に入って来ているが、今日はとても暑い一日だった。
先ほどのニュースでは、40度を越えたところがあったそうだ。
何も用事がなかったので、ホシダに行こうと思い、十時過ぎにピトン小屋に電話した。
二十数名の申し込みがあるのに、まだ誰も来ていないという。
ホシダは、昼前は日が当たっているので出足が遅いのだろうという。
私は今車が無いので、行くのなら電車と歩きだが、気持ちはもう萎えていた。
そんな訳で、家で先日の御嶽山の写真の整理をして、HPの更新などしていたが、これも気力が萎えて来てしまった。
すでに気温は体温を超えているようで、体が熱い。
室内にいても、熱中症の症状が出るとニュースでいっていたが、頭がぼーっとして来て集中力が無くなり、これが熱中症の症状であろうかと思えるような感じだった。
それなら今日は水曜日なので、冷房が効いているので映画でも見に行こうかとも思ったがそれも中止。
結局は、家で一日過ごしてしまった。
まぁ〜、こんなに暑けりゃしょうがないや。


2007/8/14「おしょらいさん」  生活

お盆の休みのときは、かならず山やクライミングに行ってるという生活を長い間やって来た。しかしとうとう、今年のお盆はおとなしく家にいる。
それは、母の高齢化で「おしょらいさん」を迎える準備が出来ないからでもある。おしょらいさんはお精霊さんと書くらしく、死んだ人の霊で、私は子どものころからお盆の期間(8月13日〜16日)は「おしょらいさんが帰ったはるさかいに、お利口にしとかんとあかんえ〜」とお婆さんに言われて育った。今では死んでしまった人が帰る訳ないやんと思っているのだが、子どもの頃は何となく神妙な気分になり、仏壇のある部屋に入るのは気味悪かったことを思い出す。
「早よ行かんと、枯れた花が墓にあるとみっとものない」(みっともない=世間に恥ずかしいということかな?)と、母に急かされ、日曜日の12日は早朝に、おしょらいさんを迎えにお墓まいり。9時半ごろ行ったらどこのお墓も綺麗なお花で飾られている。お墓は家族連れで大賑わいだ。
そして、昨日はお供えの買い出し。お供えは、蓮の葉っぱの上にカボチャ、キュウリ、ナス、トウモロコシ、サツマイモ、ホオズキなど農作物を載せて飾る。それに、桃や梨の果物、蓮の花を型取った菓子など処狭しと並べられる。日頃しまってある仏具も並べられ、今日はお防さんがお参りに来るのでまた実家に行かねばならない。大変だぁ〜。
もっと大変なのは、おしょらいさんの帰っている間は、精進の食事を毎日お供えしなくてはならず、当然家にいなくてはならない。ということは、お盆休みなのに遊びには行けないということだ。
16日におしょらいさんをお墓まで送って行くまでの一連の行事を、私は無関係に過ごし、ずっと山に行っていたのである。
ところが、今年は何かと私が母の代わりにしなくてはならなくなってしまった。私の実家で行われてきた一連の家の行事は、代々女性が守って来た。それを子どもの頃には見ながら育ってる。
しかし、実際自分が関わることになるとは夢にも思ってもみなかった。子どもの頃、毎年繰り返される家の行事を大人になった私は、古い因習と否定的に見ている部分もあった。
この年齢でまた、古い記憶を呼び戻すようにタイムトンネルを逆走してしまうとは…。
最近こんなことが多くなり、身の回りの過去の人たちの生きて来た道を辿ることも増えて来た。
私は、いつも新しいものを追いかけ来たと自分では思っていた。そう、前を向いて突き進む!
ところが一段落して、いろんなきっかけでふと立ち止まると、結局は自分の生い立ちから逃れられないという運命的なものを感じてしまう。
母まで受け継がれて来たものを今は母に頼まれてやってるのだが、また自分の中でも芽を出しかけてきている気がする。10歳代後半から逃げ出すことしか考えていなかった家なのに…。
自分では全く気づいていなかった運命的なものを、何となく感じてしまう。
これも、実家に帰って来たおしょらいさんが私に語りかけているのだろうか。
もしも、本当におしょらいさんが実家に帰って来ているのなら、聞いてみたいことがたくさんある。
お盆とは…? といろいろ考えさせられた、今年のお盆である。

2007/8/13「御嶽山」  登山

昨年の秋に紅葉を見に行った御嶽山。そのときに気になっていた四の池の夏の高山植物が見たくて行って来た。今回は、母(85歳)と母屋の叔母(91歳)を濁河温泉の「旅館御岳」に残置しておいて母屋の嫁Kさんと二人で登って来た。
旅館御岳からは目指す飛騨頂上のピークが遠くに見える。この温泉郷は1800メートルにあり日本で一番高い温泉郷でもある。
初日は五の池小屋で泊まり、下山してもう1泊はこの旅館御岳で泊まった。この旅館は、まだ新しく綺麗で食事もおいしい。温泉もなかなかいい。何といっても50メートル下りたところの渓谷の露天風呂は、なかなか野趣があってよかった。
そして、御嶽山のお花達は綺麗だった。剣ケ峰の当たりはほとんど花は見られなかったが五の池小屋から継子岳、四の池の周遊コースは最高によかった。
とくにコマクサの群生は密度も高く素晴らしい。今年はお花が遅いらしく、ラッキーだった。それから継子岳から2峰の間もチシマギキョウやミヤマダイコンソウ、イワツメグサなどが咲き誇っていた。ここで、純白のチシマギキョウを初めて見た。感動的な出会いだった。2峰の岩場を下ると四の池の緑と小川の風景が待ち受けてくれている。ここのお花も楽しみにしていたが、もう無かった。日当りがいいから、早いらしい。
三の池を見ながらの小屋までの道にはアオノツガザクラがいっぱい咲いていた。これもこんなにたくさん咲いているのは初めて見た。
秋の紅葉も良かったが、お花のこの時期も良かった。剣ケ峰はそれほど魅力的ではないが、五の池のあたりはまた来てみたい。小屋で見せてもらったビデオでは5-6月のころも魅力的だ。
まだ疲れが取れていないのに、山から帰るともうまた行きたくなってる。

2007/8/6「広島原爆の日62年目」  雑感

今朝のNHKTV、記念式典が8時15分に黙とうで始まった。
そうだ、広島原爆の日ではないか。
一緒に黙とうした。
安倍首相の「今後とも、憲法の規定を順守し、国際平和を誠実に希求し、非核三原則を堅持していく」という宣誓が白々しく感じたのは私だけだろうか。
しかし、公募で選ばれたこども代表の、「平和な世界をつくるためには、『憎しみ』や『悲しみ』の連鎖を断ち切る強さと優しさが必要です」との「平和への誓い」を聞いていて、涙が込み上げて来た。
子ども達が、首相より堂々として見えたのが不思議だった。
人は、なぜ憎しみあうのだろうか? 
憎しみの連鎖は、どうして断ち切ることが出来ないのだろうか?
このように問いかける子ども達に、大人は何と答えられるのだろう。
大人は子どものお手本にならなくてはならない。
そして、未来の子ども達に平和な地球を残さねばならない。
いったいどうすれば…。
憎しみや悲しみの連鎖を断ち切る努力を、私はせめて身の回りからしなくてはと思った。
子どもに恥ずかしくないように…。

2007/8/2「ホシダでヘロヘロ」  クライミング

今日はホシダで登って来た。やはり久しぶりのホシダは手強い。暑さも手伝って、ヘロヘロで帰って来た。しかし、やはり午後からは日陰になったのと風が吹いていたのとで少し登りやすくなった。
4本しか登っていないのに掌はひりひりしている。
これからも、頑張って出来るだけ行きたいものだ。
最近は、登れなくなる一方だ。
これからは、せめて維持だけでもして行ければいいなぁ〜。
今日、ピトン小屋でスポーツ報知新聞に6月6日掲載して頂いた記事を保存用にして下さったので下記に掲載します。


2007/8/1「クライミングへの意欲萎え気味」  クライミング

今日は、猛烈に暑かった。朝8時前に母を病院へ送るために車に乗ったら、何と車の外気温の表示が41℃になっているではないか。今日のホシダへのクライミングも、母の送り迎えにかこつけて中止した。ほんとうに、意欲喪失だ。山への意欲は、次々と湧き出して来るのにどういう訳なのだ。最近、やる気が無いなぁ〜。
いよいよ、関東・東北方面も梅雨明したというが、また台風も来ている。週末は雨模様だ。山行きの予定も早々と中止してしまった。
7月の山行日数は6日だった。ここ数年間で最低記録となった。色々あったこともあるが、クライミング意欲が喪失してしまった結果でもある。
一度安き流れると、立て直すことが難しくなって来る。
明日こそは、久しぶりにホシダで登りたいものだ。


2007/7/27「白馬岳花の旅」  登山

関西は梅雨明したというので、もう天気は大丈夫だろうと思い、23日の夜から蓮華温泉〜朝日岳〜雪倉岳〜白馬岳のルートをお花を楽しみに登って来た。初日の朝日小屋までは真夏日の暑い中、少々暑さにウンザリしながらもお花を楽しみながら登ったのだが、残りの雪倉岳・白馬岳は雨と風の中だった。蓮華温泉に帰るまで雨は止まず、靴の中までびしょ濡れの山行きとなった。しかし、けっこうお花は充実していて、おおいに楽しめた。白馬岳への登山道では、ライチョウのパーティーも何組も見た。一度にこんなにたくさんいるのに遭遇したのは初めてのことで嬉しかった。
白馬岳へは雪渓からの渡り鳥のような登山者の写真や、1000人以上も泊まれるという山小屋が2つもあるという規模を想像して、お花には魅力を感じてはいたが、なかなか足が向かなかった。
白馬山荘では、雨と強風にもめげず人、人、人、…。この人出を思って、大雪渓ルートを取らなかったのは正解だった。お陰で今回のルートは白馬山荘まで静かな山旅を満喫出来た。
今回最初は、白馬から朝日岳のつもりでいたが、朝日小屋宿泊の予約電話を入れたら予定日が中学生の団体が入ってるというので、反対から登るルートに急遽変更した。
最初からどちら回りが楽なのかと地図とにらめっこしていたのだが、結果としては大差はないように思う。しかし、蓮華温泉から兵馬の平にいったん140m程下り朝日岳までの1050m程の登りとまた朝日小屋までの268mの下りはけっこう時間が掛り疲れた。
しかし反対の白馬御池からのルートだと一気に1500メートルを登らなくてはならない。いったい、どちらが楽なのだろうか。
この周遊ルートは、車が使えるのが最大のメリットだが、やはりきついルートだと思った。
山はしんどさに比例して、感動もまた与えてくれる。雨の中の歩きで視界は目の前でも無いくらいだったが、雪倉岳から白馬岳の稜線歩きもけっこう楽しかった。沢山あったウルップソウがもうすでに散ってしまっていて、かじったあとのトウモロコシのような姿になっていてがっかりしていたところ、まだ蕾を残したまま咲いてる花を稜線上でひと株見つけたときにはとても嬉しかった。思わず、濡れた地面に這いつくばってカメラを向けた。
雨で憂鬱な気分だったのが、それだけで気分一新「雨もまた楽し」になってしまう。何という単純な人なんだと、我ながらまた呆れてしまった。
花満喫のこのルート、しんどいけれども魅力的なルートだった。晴天の中、もう一度稜線歩きをしてみたいと思う



2007/7/20「ぎっくり腰から4日」  健康
ぎっくり腰から、4日目が過ぎた。今では生活になんの支障も感じない程に回復した。しかし今日はソファーで前屈みでPCを触っていたら、腰にだるさを感じて床に正座して作業を続けたところ大丈夫だった。腰痛は、どうも前屈みがいけないようだ。そういえば、テント生活は苦手だった。テントの中ではすぐにごろりと横になり、いつもお行儀が悪かった。重い荷物も腰に来る。去年あたりから、小屋どまりでしか山に行っていない。だんだん厳しい山行きは、こうして行けなくなっていくのだろうなぁ〜、と思うとちょっぴり寂しい。
しかし山では、身軽なのか嬉しい。重い荷物に振り回されず自然に陶酔出来る。しょせん、トレーニングの場としか思えない山は、私には無意味。自然だけを純粋に味わえる山歩きをしたい。芸術作品に感動するように、自然にも感動しながら歩きたい。絵画鑑賞で美術館に行って、駆け足で通る人はいないでしょう。山もじっくり、ゆっくり鑑賞しながら登るのもいいものだ。
とはいうものの、最近はクライミングから遠ざかる一方なのは悲しい。腰が悪いとますますクライミングをするには不安が伴うので、行く気にはなれない。
明日の土曜日は雨のようだ。こんなときの雨は、ホッとするものだ。
日曜日は、来週の縦走に備えて少し歩いて来ようかな。



2007/7/17「歌舞伎を観る」  芸能
昨日のぎっくり腰は、すぐに行ったカイロでの治療がよく効いたのか、今もまだ痛みは少し残るが、今朝は腰が自由に動き感激した。いいという評判を聞いていたが、私は半信半疑だった。しかし昨日の治療後、それまで悩まされていた頭痛と肩こりもすっかり消えていた。
おもわず、「私は暗示にかかりやすいタイプなんでしょうか? すっかり痛みが無くなりました」と言ったところ笑われてしまった。本当に、大したものだと思った。
今日は、歌舞伎のお誘いを戴いていたので、行けそうにもないかと思っていたのだが大丈夫だった。大阪の「松竹座新築開場十周年記念七月大歌舞伎」である。今何かと話題の海老蔵が出るというので楽しみにしていたが、13日に松竹座の風呂場で怪我をして出場できなかった。残念だった。
はじめて見る歌舞伎は、テレビで見ていた以上に面白かった。登場する女性が男であることは微塵も感じられず、オーバーな程の演技も何故か次第に自然に見え、舞台の風景もけして写実的ではないのになぜかリアリティーがある。ストーリーも単純で分りやすい。台詞が聞き取れなくても、パンフレットのあらすじを読んでおくだけで理解出来る。子どもの頃から仕込まれた技が生きていて、にわかには出来るものではないものだと思った。ずっと、鳴り続けている太鼓と拍子木は、最初はやかましいと思ったが、だんだん気にならなくなって来た。歌、台詞、踊り、物語、音楽の和製ミュージカル。日本の古典芸能がすべて集約されている。すべて生の見応えのある舞台だった。400年の歴史は伊達ではないと思った。
しかし、自分でチケットを購入してまで行くかなぁ〜と考えると、私の場合は行かないだろう。やっぱり、はじめてだったからかなり新鮮だったのか。それにしても、どうしてあんなにチケットは高いのだろう。庶民の演芸ではないなぁ〜。

歌舞伎のお勉強をするには下記アドレスへ
http://contest.thinkquest.gr.jp/tqj2000/30381/0.htm


2007/7/16「10日ぶりのクライミング」  クライミング
台風が通り過ぎ、昨日はなんと10日ぶりのクライミングにホシダに行って来た。こんなに長い間、山やクライミングから離れていたのは最近の記憶ではないことだ。昨日のホシダでは、久しぶりなので頑張りすぎたのかとても疲れた感じがした。今日起きたら、ぎっくり腰をしてしまった。しばらく持病の腰痛もなく過ごしていただけに残念だ。やっぱり、無理をしてはいけないとつくづく思った。
ますます、クライミングへのモチベーションは低下してしまう。
気分一新、早く梅雨明けして綺麗なお花畑でも見たいなぁ〜。
2007/7/14「台風4号に翻弄されて」  雑感
梅雨が明けていないのに台風だ! お陰で九州の水害はひどいものだ。自然に囲まれた中で暮らしていると、ときに自然にしっぺ返しを食らうことになる。
私は暢気にクライミングジムでも行こうかなと考えていたが、付けっぱなしのTVニュースから何度も「大型の強い台風が…」と流れていて気持ちは萎えてしまった。お陰で、久しぶりにのんびりとした休日となった。
もともとの連休は小川山でも行きたいなぁ〜と思っていたが、最近はクライミング意欲も萎えていたので、ちょうどいいタイミングだったのかと諦めもつく。
家にいてもやることはいっぱい。今日はそれを片付けることにしょう。自然の猛威を心配しなくて良いだけでも、幸いなこと。



2007/7/10「思うこと」  雑感
先週末は、義父の見舞いに車で関東に向かったが、家を出て東名を走りはじめてしばらくして訃報が携帯に入った。
明治生まれという人は、私の周りを見回してももうほとんどいなくなってしまってる。義父は明治44年生まれ。私が結婚したときにはすでに義母は亡くなっていて、義父は一人で暮らしていた。世間でも「男やもめにうじがわく」と言うように、男性が家事を自分でこなし、一人で暮らすというのが私には信じられないことだった。それは、私の父が全く何も出来ない(しない)人だったからである。「お〜い、お茶!」ではないけれど、いつでも母を呼びつけてさせていた。義父に初めて会ったときに、凄い人だと思った。子どもにも頼らず、また頼らせない。そんな義父を、自分勝手と見る見方もあるかも知れないが、私はそうは思わない。
家族はお互い助け合わなくては行けないとは思うが、大人になれば基本的には一個の人間として自立しなくてはならないと思う。その点、最近親も子どもも、親離れ子離れが上手く出来ていないと思うことがよくある。
96歳の義父はほとんど最後まで一人暮らしを貫き、誰にも看取られず生涯を閉じた。母がいないと何も出来なかった私の父に比べて、あっぱれな生涯だと思った。義姉の話しでは、最後までまだ生きる希望を持っていたという。
今、私の84歳の実母も一人暮しをしてる。娘の私として少しは心配なところもあるが、出来るだけ手助けはしないようにしている。出来ないことも少しづつ増えてはきているが、まだまだ生きることに積極的だ。手を貸しすぎないということも親孝行かな、と自分勝手な理屈で出来るだけ知らん顔をしている。そして、せっせと山やクライミングに行ってしまう。出来るだけ長生きしてほしいから…。

義父の冥福を祈りながら…。合掌 

注:男やもめにうじがわき女やもめに花が咲く(『故事・ことわざ事典』新星出版社)


2007/7/2「週末クライミング」  クライミング

土曜日は、朝から用事があったので昼過ぎからホシダへ。日曜日は久しぶりに蝙蝠谷に行って来た。両日とも暑い日だった。涼しいはずの蝙蝠谷もとても蒸し暑く、雨も降り出すという最悪のコンディションなのに人出は凄かった。みんな、考えることは同じでどうしても同じところに人が集まってしまう。土曜日のホシダも高校生の団体が来ていたので、混んでいた。こんな時期に頑張れる人を、羨ましいと思う。
ホシダでも暑い中、顔面から吹き出す汗を拭いもせず、何度もチャレンジしてもクリア出来なかったのを悔しがってる女性がいた。やはり、その汗は美しいと思う。目標にいつでも立ち向かっていける。夢中になれる。クライミングは、そういうものだと改めて思った。目標がないとなかなか継続するのは難しい。そして、目標は自分で作るものだとも思う。そして、達成出来ると思うから頑張れるし、継続出来る。諦めた時点で終わりである。
今の私は、目標を失ってるのではと感じる。それはそろそろ自分の限界を感じているから。しかし諦めることも出来ないのでお茶を濁してるのかなとも思う。みんなが同じように頑張れるということもない。自分のペースでやるしかないのだろう。
阪神大震災のときにTVか何かで聞いたと思うのだが、「頑張って下さいね!」という言葉は、励ますことにはならず、かえって出来ないことで落ち込ませることになることになり、禁句だというのを思い出す。
こういうときには、自分にも「のんびり行こうや!」と言ってやろう。亡くなってしまったが植木等じゃないけれど、そのうち何とかなるだろう…。


2007/6/27「蒸し暑かったホシダ」  クライミング
今日はホシダで登って来た。とにかく蒸し暑い。汗が滴り落ちる。そんな中でも昼頃からは日陰になり、天の川から吹き上げる風は、凉を運んで来てしのぎやすくなる。

不思議なのは、このあいだまであんなにいた毛虫が全くいなくなったことだ。ついこの間まで、毛虫も一緒にウォールでクライミングをしていて、ついホールドを握るときに毛虫をつぶしそうになっていたのに…。今年は毛虫が特に多かったようだが、どこに行ってしまったのであろうか。すでに成虫になり、短い生を終えたのだろうか。そういえば、毛虫程気にならなかったが、ウォールの回りを飛んでいた蝶(蛾?)もすっかり見かけない。

緑は一段と深みを増し、紫陽花の色は鮮やかになってる。ハギの花のようなコマツナギの花とヒメジョオンはかなり繁殖している。今日は、もうアザミの花が咲いていた。

もうすぐ、7月に入る。山は夏の花が咲き始めるだろう。目まぐるしい季節の移り変わりに、置いてきぼりになりそうな気がする。

暑い中でもがんばって登って来た。流れる汗が、けっこう気持ちがよかった。今日は、右の壁のカンテよりを限定なしで登った。最後のハングで体が飛び出す。小さなホールドを持ってクリップするのが恐い。落ちたらかなり振られると思うと勇気が出なかった。

しかし、この暑い中今までより良い感触を感じた。この時期は岩場よりは凌ぎやすいかも知れない。


2007/6/22「ツクモグサと野口健・赤座美代子さんに出逢った八ヶ岳」  登山
八ヶ岳では何もかもがうまくいき、とても楽しかった。まずはツクモグサの群生を見られたことが一番よかった。おまけに梅雨時なのに、天気がおおまかには良かったこと。そして、偶然オーレン小屋でテレビの撮影に遭遇したこと。何だかとても得をした気分になったような、盛りだくさんの山行きとなった。

一番の目的は、横岳周辺のツクモグサを見ることだった。この花を知ったのは昨年の「山と渓谷」の6月号に「6月の八ヶ岳花紀行」というのでツクモグサが紹介されていた。冬の八ヶ岳しか知らない私は「へぇ〜、こんな花もあるんだ」と、見てみたいものだと思った。それまで八ヶ岳がお花の宝庫だなんて知らなかった。

しかし昨年は梅雨時には行けなくて、お盆に一人で観音平から北横岳まで歩いた。お花は素晴らしかったが、ツクモグサは影も形もなかった。ウルップソウは花が落ちた残骸だけが、残っていた。当たり前のことだが、とても残念だった。ますます、ツクモグサへの思慕は強まって来ていた。

このときから、心の片隅にいつもツクモグサとウルップソウが住みついてしまい、いつか咲いているのを見てみたいと焦がれていた。そして、梅雨の時期が近づいてくると、天気と開花日が気になり、ネットで情報を収集していた。

報告など見ていると、だいたい6月の初めにツクモグサを見たというのが多い。しかし、硫黄小屋のHPでは今年は開花が2週間程遅れているという。自然は毎年同じように繰り返されているのだが、全く同じということはまずない。一番いい時期に登りたいと思うのだが、当たり外れもある。2週間遅れの開花情報を信じて、計画を立てた。最初天気は晴れマークだったが直前に曇りマークに変わってしまった。それは仕方がないこと。桜平の登山口では、どんよりとした雲を恨めしげに眺めていたが次の日は朝御来光が見られた。ほんとうに、ラッキーだった。今回の山行は、この「ツキ」が最後まで付いていた幸せな山旅だった。

お花に関しては、桜平までの車道では真っ赤なレンゲツツジが満開。横岳周辺のツクモグサは、いっぱい咲いていた。他にもキバナシャクナゲ、ミヤマカタバミ、シロバナエンレイソウ、チョウノスケソウ、オオヤマノエンドウ、ウラシマツツジ、コメバツガザクラ、ミネズオウ、イワヒゲ、イワウメ、ヒメイチゲ…とあげればきりがない。小屋も空いていて登山者も少なく、静かな花紀行だった。桜平からの入山も3時間で硫黄岳に登れるのも魅力的だ。

もう一つのおまけは、下山で通りかかったオーレン小屋での出来事だった。相棒の自称晴れ女のハレさんが、行くときに見ていたお土産用の手彫りの登山靴のキーホルーダーが欲しくて小屋の中に入った(本当は素通りするところだった)。そこにいたおじさん(実はオーレン小屋の社長)が「もうすぐ、テレビの撮影で野口健が来るよ」という。ハレさんが、「見て行こう!」「どうせ下でどっかで泊まるんやから、ここで泊まらへん」とかなりミーハーな意見。同じくミーハーな私も、同意して泊ることにした。

お陰で、夕食は凄い御馳走(馬肉のすき焼き、山菜の天ぷら、鹿肉のソーセージと薫製、酢の物、煮物など)で食べきれなかった。これはいつもの食事だということで撮影用ではないですよと言われ、なおビックリ。山小屋の食事で食べきれないというのは初めてのことだった。

そして、カットされていなければ、食事風景で私たちもテレビ出演をしたと思う。8月18日土曜日の関西は大阪放送の、7時から9時の「土曜スペシャル・達人と行く旅」で放映されるらしい。野口さんはイメージ通りの人で、赤座美代子さんは気さくで、とても若く見えた。さすが女優さんと感心したのは、お話が上手で聞き上手。かなり教養のある方とみえた。次の日の硫黄岳登山は、天気が悪いので延期されたようだ。どんな風になっているのか楽しみだ。

下山した私たちは、霧ケ峰高原に向かった。ビーナスラインからの美しい眺望に満足しながら、八島ケ原湿原に到着。車を置いて散策したが、まだここは花の季節には早かった。スズラン、グンナイフウロウ、クリンソウ、アマドコロなど見られた。霧に霞む八島ケ原湿原は、尾瀬を思わせるような美しいところだった。

 

 

 


2007/6/18「ほしだ園地でササユリめっけ!」  クライミング
土曜日は蝙蝠谷へ。やはりかなり混んでいた。一番の人気は活断層12aかな。私が、今取り付いている復活5.11cも人気だ。隣の仮設住宅やカンテも含めて震災エリアはいつもこのごろは人が一杯で順番待ち。ルートも込み合っているので、よけいに混んでいる感じがする。やはり、他の岩場に比べたら涼しいからだろう。夕方には時々吹く風が、半袖だと肌寒く感じる。

私は、足の指のけがのせいか、どうも立ちこみが悪かった。久しぶりの哲学の道では、大落ちをする。足の痛みがないので大丈夫だろうと思っていたが…。

次の日曜日も蝙蝠の予定だったが、朝からぐずぐずしているうちに行く気がしなくなった。星田に予定変更して申し込みの電話を入れたが、団体で25名入っていて、まだキャンセル待ちが10名いるという。予定を変更して急遽、ほしだ園地を歩くことにした。ハイキングコースをそれた山道を歩くと、ササユリが咲いていて感激した。前からピトン小屋のKさんに聞いていたが、まだ対面したことがなかった。季節的には、もうすこし遅いようだが数本咲いていた。実家に咲き乱れている、色とりどりのユリとは違い、淡いピンクの上品なユリだ。一株に一輪しか咲いていないのも質素だがいい。

足は、歩く分には大丈夫だった。明日からの八ヶ岳の予定に一安心した。

ぐるっと回って出て来た「やまびこ広場」は家族連れやハイカーで賑わっていた。団体のグループから「常念や蝶ヶ岳…、夏山のトレーニング…」などと声が聞こえて来る。「夏のアルプスを楽しみにトレーニングをしてるんだなぁ〜、そういうのが楽しかったときもあったなぁ〜」とここのところはクライミング中心の夫。「いやぁ〜、私はまだまだ山歩きも楽しいでぇ〜」と私。

八ヶ岳の横岳に咲くツクモグサに出会えるのを、わくわくしながら楽しみにしている。

 

ホシダ園地の展望台からの眺め

 

ほしだ園地のササユリ

 


2007/6/14「梅雨入りと花」  
自転車で買い物に行って、駐輪場で出すときにサンダル履きの足にスタンドが引っかかり右足の指三本を裂傷。どこかそそっかしいところがある。歩くのすら痛い。次の日の水曜日はホシダの約束があるので心配していたが、朝起きたら歩くときの痛みは無くなっていたので、ホシダに行って来た。

靴はアルパイン用の大きいのを用意した。最初に垂壁を登って下りると、ふさがっていたと思っていた傷口がぱっくり開いて血がにじんできた。仕方なくバンドエイドの上からテーピングテープで補強した。右のハングに新しい黄色のルートが出来ていたので登った。最後が遠くて、終了にクリップできずに下りて来た。帰り際に、もう一度このルートを登ってみようと思ったが、足を置くと痛みが走るので諦めた。早く治さないと、来週の山歩きが辛いことになる。

ホシダは、梅雨入り最後の晴天で暑い日だった。予報どおり今日は朝から雨がだった。梅雨空に紫陽花が似合うというが、実家の紫陽花もホシダの帰りに寄ってみたら咲いていた。母が毎年植える、母の好きなユリの花も咲いていた。惜しげもなく切ってくれる。お花は、和ませてくれる。

 

  

 

  


2007/6/11「週末クライミング」  クライミング
土曜日は、天気が悪そうなのでホシダへ。そして日曜日は蝙蝠谷へ行って来た。どちらも凄い混みようだった。ホシダも当日の申し込みだったので、すでに定員40名に近くて滑り込みで登ることが出来た。すでに来ていた人たちも、最初私が行き始めた頃から見ると、当時のメンバーがいなくなり、そう入れ替えをした感じがする。

この日は、途中で凄い雨となり壁にも雨が降り掛かりしばらく中断したが、午後からは晴れて濡れていたホールドも乾いた。最近ご無沙汰していたので、前に登れていサンド10dもテンションだらけでしか登れなかったが、昨日久しぶりに登ってみたら楽になっていた。やっぱり、ホシダでは持久力がいるので、続けて行かないと持久力は無くなって来ることが実感できる。

蝙蝠谷もたくさんの人で賑わっていた。ここは昼頃から日陰になり、風が湖から吹いて来て爽やかだつた。復活は、やっぱり持久系のルートなので、とてもしんどい。しかし、ムーブは繋がって来たし、少しはレストポイントも掴めて来た。

いつになったら、レッドポイント出来るかは分らないがしばらく楽しく登れれば良いなぁ〜と思う。夏場登れる岩場が関西は少ないので、混むだろうとは思うがしばらく通いたいものだ。

ホシダも午後から日陰なので、平日に頑張って通いたい。


2007/6/7「久しぶりの駒形岩」  クライミング
昨日の早朝、コンビニへ「スポーツ報知」を買いに行く。スポーツ新聞は買ったことがない。けっこういろんな種類があるものだ。この「スポーツ報知」は、スポーツ新聞では唯一家庭に持ち帰ることが出来る真面目(?)なスポーツ新聞だと夫が言っていた。コンビニで事情を話して、買い占める。といっても、一件にそんなにたくさんは置いていない。さっそく、開いてみるとかなり大きな写真が…。やっぱり、何となく照れくさい。カラーでこんなに大きく新聞に載ることは、これからもまずないだろう。

そういえば昔、東京にいるときに、「ヤングレディ」という女性週刊誌があって、知り合いの編集者に頼まれて載ったことがあったのを思い出した。その時はたしか、東京に地方から出て来て働く女の子の特集だったと思う。

 

今日は久しぶりに駒形へ行く。久しぶりの岩場の平日クライミングに参加させてもらった。駒形は平日とは思えないほどの賑わいだった。各ルートにトップロープが下がっていた。「斜陽」と「ふきのとう」までは良かったが、他は全く登れなかった。登れない理由はたくさん思い当たるが、一番は午後からの壁に容赦なく照りつける、お日様のせいだろう。ほんとうに暑かった。「ぬめる、登れない」という言葉が、毎年のこの時期の山行記録に羅列してある。この時期のフリークライミングは、過酷だと思う。

だからといって登らなかったら、ますます下手になっていくばかり。毎年、この繰り返しだなぁ〜。いつまで、やってるのだろうと時々思う。いや、いつまで出来るのだろうかとも…。

 

帰りに母のところに寄ってみて軽い気持ちで新聞を見せると「いつまで、こんなことやってるんや〜」と言われた。喜ぶと思ったが、反対に不安感を与えてしまったようだ。いつも山に行くときも、口には出さないが心配してるんだろうな、と思った。そうか、母にとっては何の価値もない危ないことをやってるのだと改めて思った。あまり心配かけたら親不孝かな。

 


2007/6/5「散歩」  レジャー
最近、ほんとうに体重が増える一方だ。今までと生活に変化があった訳ではない。前以上に、クライミングや山に行っている。体脂肪は少なくなっているので、筋肉が太くなるタイプなのだろうか? なぜなのかが、全く分らない。このままだと、クライミングはますます登れなくなるだろう。

生活習慣を少し変えてみることにした。車だと効率的に動けるので、日頃車での移動が多かった。その分、歩かなくなってしまってる。

今日、緑色の三段変速の自転車を買った。店の前にずらりと並んだ安いのだと中国製だというので、国産にして少しグレードアップしたのだが、メーカーの名前をネットで検索してみたら大阪堺の零細企業だった。だったら、2万2千円は高いと思う。定価は3万8千だというが本当だろうか?

早速、家の近くの山田池公園へ行ってみた。公園の駐車場の横に、自転車をとめて公園を1時間程歩いてみた。今は菖蒲と蓮の花や紫陽花が咲いていて凄い人出だった。なぜか、猫も多かった。どうも捨て猫が繁殖してるようだ。おばあさんが、餌をやっていた。ノラにしては人懐っこいはずだ。

山田池公園はけっこう広い。一周すると、2.5キロあるらしい。家から自転車で20分程で、ちょうど暇なときに歩くには良いかも知れないと思った。気分が乗れば走ることも出来る。

ちょっと、頑張ってみるか!

 


2007/6/5「騒音でしょうか?」  雑感
山のなかは静かで良い。私もそう思う。しかし、最近の夏山の喧噪は騒音かも知れない。騒音か騒音でないかは、個人で感覚の相違があるので難しい。

昨日は、視覚障害者のSさんがピアノのレッスンで来られた。昨年暮れから1ヶ月に2回程、点字バイエル持参で私に習いに来られている。終わってからはティータイムで、いろんな話しに花が咲く。そのときに話しに出たことだが、最近横断歩道の信号が変わると前は「通りゃんせ」の音楽だったが、最近は鳥の鳴き声の「カッコーカッコー…」「ピヨ、ピヨ…」となったらしい。私は気がついていなかったが…。

その音がうるさいという苦情が、近くの交番にあったそうだ。交番でおまわりさんが、あの音は視覚障害者の人の横断歩道を渡るときの安全のためにいかに必要かと説明されたそうだ。

すると、その苦情を言った人物が、その横断歩道をいったい何人の視覚障害者が一人で渡るのかを調べたらほとんどいなかった、だから必要はないと言ったそうだ。

「何も鳥の声が聞きたいのではない、要は信号が赤なのか青なのかが分れば良いのだ。信号が青になれば白杖(視覚障害者の人が持っている白い杖)に、センサーかなんかでブルブルと震えるようなものつけて、青になったことが私らに分れば良いのや」とSさん。「ほんと、そうやねぇ〜、えぇ〜考えやわ〜」と私は彼女の想像力とアイデアに感心して聞いていた。これなら、出来そうだとも思った。

しかし、このカッコーという音は騒音だろうか? 町の中には不必要な音が沢山あるのは事実だと思う。電車に乗っても「座席をお詰め下さい」「携帯をお切り下さい」など健常者向きの常識と思えることもくどくどとアナウンスされている。もっと、社会のマナーが守られたら、大分いらない騒音は消えるのではないかとも思う。

そういえば、電車が入って来たときに、上りと下りで音楽が違うのでどちらの電車が入って来たのかそれで分るということを、ずっと前に視覚障害者の人の講演で聞いたのを思い出した。今まで何気なく聞き流していた音も、少しは意識的に聞いてみるようにしてみようと思った。


2007/6/2「山野草」  登山
最近、山野草のブームらしい。今日は、その山野草を手作りの鉢で育てている人が近くにいるというので、山野草の好きな友人と見せてもらいに行って来た。ウスユキソウ、イワギキョウ、シャジン、フウロウ、カワラナデシコなど山でよく見る花がもう咲いていた。

高山植物も山で見るのとは全く違っていた。鉢に植えられた花達は窮屈そう。やっぱり、自然の中で見る方が活き活きと見える。生け花を見ているようだった。

昨年の夏、八ヶ岳を縦走してみて高山植物の豊富さに驚いた。それまでの八ヶ岳は、冬の山というイメージしかなかった。やっぱり、私はいろんな色彩に彩られた山が好きだと改めて思った。

今見たいのは八ヶ岳の横岳に6月に咲くツクモグサを見てみたい。うまく行けばウルップソウも見られるかも知れないと思うと、矢も盾もたまらない気持ちになって来る。

山の花は山に、野の花は野原に、バラは花壇に…、それぞれ似合う場所に咲いていて美しいと感動するものだと私は思った。町の花屋さんの花や観葉植物もその場所にあって、華やかに美しい。花束をプレゼントされたりすると感激することも確かだ。しかし私の場合は、一番の感動はやはり山で出会うお花だ。それは、それぞれの花が相応しい風景の中にあるからか…。

高山植物はしんどい思いをしたご褒美の花束だと思う。しかし感動は、お花だけでもない。他にもたくさんのプレゼントを山から貰っている。

 

育てるということに重点を置けば、また違う楽しみになるのだろう。

いろんな、楽しみ方もあるものだと思った。

 

大野月子さんのHP

http://www5e.biglobe.ne.jp/~sukusuku/

(魔法の鉢ですくすく育つ高山植物)


2007/5/30「映画「眉山」」  映画
朝起きたら、もう雨が降っていた。今日はホシダの予定だったが、土砂降りの雨に気落ちして中止をしてしまう。そうしたら、もう昼過ぎには雨はやんでしまった。すこし損をした気分だが、明日の予定(母の病院)を今日にこなし、明日ホシダへ行くことにする。映画館の前を車で走って今日が水曜日なのを思い出した。母を家に送り届けて映画館に入ると、「眉山」の開演時間にちょうど良かったので観て来た。

この映画は、つい先日原作を読んだばかりだったのでストーリーが鮮明に残っていた。いつも映画は原作より良くないのが普通だが、この映画はわりとよかったと思う。

宮本信子の「神田のお龍」が原作よりお上品に感じた。この人、ほんとうに演技上手いなぁ〜、と思った。それと徳島の人形浄瑠璃と阿波踊りはやはり音と映像の世界が迫力があり、良い効果あったようだ。

眉山という山は、山好きな私としてはあまり魅力のある山には見えなかった。恋人の代役としてはお粗末な気がしたが、こんなこと言うと徳島の人に叱られるかな? 大事な観光資源のようだが。

この映画を観て、阿波踊りを一度見てみたいと思った。凄く迫力があった。そういえば、最近夏場の盆踊りもここに引っ越したときには聞こえていたが、最近は聞こえていないようだ。

お祭りや盆踊りは廃れて来ているのだろうか。地域社会の繋がりも薄れて来ているのだから、廃れて当然なのかも知れない。私の子どもの頃とは、全く違ってしまっている。


2007/5/27「恥ずかしぃなぁ〜」  クライミング
昨日はスポーツ報知新聞の取材で、みなさまを巻き込んでのホシダでの撮影が行われた。この記事は6月6日水曜日に掲載してくださるそうだ(多分関西版かも知れないが、興味をお持ちの方はご覧下さい)。以前にも帰り支度をしているところへ、偶然来られたテレビの撮影で「登っているところを撮らせて下さい」と突然言われて、テレビにクライミングをしているところが少しだけ写ったことはあったが、今回のような大掛かりなものは初めてのことだった。

最初ピトン小屋のKさんからお話があったときは、半信半疑で簡単なものだと思い「いいですよ!」と軽く請け負ったが、ほんとうに私で良かったのだろうかと思うほど大事だった。このブログやHPでかなり自分をさらけ出しているので、今更だとも思うのだが…。

だいたいホシダでは、おじさんはたまに歳をとってからやろうという人もいるが、私位の歳のおばさんがやり始めるのは少ないようだ。この新聞記事で、クライミングをやるおばさんが少しは増えるかな…。

平日のホシダで自発的にフリークライミングを始めたのも、50歳になる年だった。そういえば車の免許を取ったのもそのころだった。あと十年、60歳まで車に乗れれば元が取れるだろうと、気持ちを奮い立たせて教習所に行ったのを思い出す。今では、車のない生活は考えられない。歳とともに「疲れた!」を連発しながら、こんなアクティブで過激な生活をするようになるとは、運動とは無縁だった若い頃の私には想像も出来なかったことだ。

 

今日は、蝙蝠谷へ久しぶりに行って来た。今年に入って2回目だった。昨日の蝙蝠谷はかなり混んでいたようだが今日は私たちの他はもう1組だけだった。もちろん、復活にはヌンチャクは掛っていない。復活は目一杯のグレードなので久しぶりに行くと厳しいし恐い。いくら取り付いても、もしかしたらRP出来ないのではと思ってしまう。

昨日の疲れが出ていたのか気持ちはかなり引いていたが、マスターで登ってみようという気持ちになった。ハング下までヌンチャクは掛けられたが、ハングに取り付く勇気は湧かなかった。2回目もハング上のホールドを持って恐怖で体が固まり何度か落ちた。とうとう勇気がわかず下りて来てしまった。ほうんとうにまだまだだなぁ〜。

 

誰かが、「フリークライミングは、諦めないことだ」といっていた。私もそう思う。しかし私は根性が足らないのか、そのルート一筋になかなかなれず、他のことに逃げてしまう。苦しくて、恐くて、辛いの連続に耐えられなくなるときがある。そんなときには、綺麗な風景や可愛いお花に慰めてもらいたくなる。それも、しょうがないかな〜。「高所恐怖症やったのに、ここまでよう頑張ったやん」と、たまには自分で自分を甘やかしても良いだろうと思ったりもする。その自分への甘やかしに、継続への道があるように思う。「そんなことだから、なかなか上達しないんだよ」という陰の声が聞こえるが無視することにする。取り敢えずは、上手くなることよりも継続することに主眼を置くことにしよう。

 

土曜日ホシダでクライミング中の皆様

クライミング中大変ご迷惑をおかけ致しました。また色々お世話をお掛け致しまして申し訳ありませんでした。ありがとうございました。


2007/5/25「京都の町にて」  雑感
京都の友人に無料チケットがあるからと誘われて、京都文化博物館で「絵画と衣装美の名品展」を見てD大学の学食でランチを食べ、D大の寒梅館ハーディホールで「ベルナのしっぽ」という映画と視覚障害者の噺家音福亭MAKAさんの漫談を聞いて、帰りに「茶房いせはん」で「いせはん特製あんみつ」を食べるという一日フルコースを堪能して来た。

こういう過ごし方は何だか長い間していなかった気がする。今回は彼女のご招待なので、たまにはいいものだとも思う。そう、たまにだから良いのかも知れない。

その友人と逢うというのが趣旨であって、映画を見るというのや博物館に行くというのが目的はない。男性の「たまには一杯やるか〜」というお誘いと同じようなもの。まぁ〜、デートの内容は何でも良いようなものだ。しかし、誘われないと自分から行かなかったのも事実でもあるので、日頃の生活に花を添える意味では良かったと思う。

帰り道の賀茂大橋からの風景を友人は美しいと言う。「ちょっと前はもっと綺麗やったんよ!」「そうやね〜、若葉の頃は綺麗やったやろうね」と私。「ううん、菜の花が一面に咲いててん」と彼女。「大自然の美しさは、どんな作られた美より綺麗やで〜」と言いそうになったが言葉を飲み込んだ。感動するものを持てるのが幸せなのかと思った。そして幸せの価値は、人それぞれだなぁ〜、とも。


2007/5/25「ホシダのハヤブサ」  雑感
水曜日はホシダへ行って来た。

ハヤブサが死んでしまったらしい。

 

悲しい出来事。


2007/5/21「鳳来の岩場」  クライミング
先週末は鳳来でクライミングを楽しんで来た。何年か前に穂高へ向かったが天気が悪いので引き返し、鳳来に転進して、一度ガンコ岩に行ったのが最初でそれっきりになっていた。そのときは、10台でも手も足も出なかったのを記憶している。それきり、鳳来ではお呼びでないという思いが強く、なかなか足が向かなかった。しかし、また行ってみたいとおもっていたところ、Fさんたちグループが鳳来だという情報を得て急遽行ってみることにした。鳳来の中でも比較的簡単なルートがある、ミルキータワーとパラダイスロックに的を絞った。

土曜日はミルキータワーを目指す。取り付きへの詳細は、Fさんに前もって教えてもらっていたお陰で、徒渉点は分りやすかったが、そこからの登りが長かった。なのに次の日に行ったパラダイスロックはもっと遠く感じ、最後の急登も汗びっしょりでの取り付きへの到着となった。両日とも取り付きへの急登ではかなり疲れた。

ミルキータワーはサンバ10cのみが10台であとは、11台が4本とルートは少ないが長く、スケールは大きい。杉木立の中にミルキータワーというネーミングがぴったりの、すっくと延びた白い綺麗な壁だ。サンバはガバが続く快適なルートでFLできた。あとはペコちゃん11aに、4便トライしたが登れなかった。ペコちゃんの上部の穴には、蛇の赤ちゃんがはまり込んでいた。少し気持ちが悪い。

次の日のパラダイスロックでもおなじような結果だった。ジャストミート10bをFLしたあと、シャムロック11aは2便出したがハングを越えられなかった。またまた宿題を残してしまった。

しかし、新緑のなか新しい岩場に行けたことは、新鮮な気持ちがした。沢山ある岩場とルートを、どんどん登れたらどんなにか楽しいだろうなぁ〜、とふと思う。


2007/5/17「新緑のホシダで思う」  クライミング
平日木曜日のクライミングはホシダへいった。いろんな人に声を掛けたが相棒が出来ず、一人で行くことになった。ここのところ、ご無沙汰しているので気後れし、出がけにぐずぐずしてしまう。着いたのは11時を過ぎてしまった。

この日はコンペのときとは大違いで、駐車場も2台しか車は止まっていなかった。ウォールにはいつものTKコンビの2人だけだった。この日はあと3人のKさんが時間差で来られた。この日は4人のKさんとTさんと私(ちなみに私もT)の全員で6人でのクライミングだった。

がら空きなのでコンペのルートも何だか寂しい。Tさんがコンペ前のルートにまたテープを貼り直し復活させて下さっている。大変な作業だ。有り難いなぁ〜。

今日は、ビギナー予選のルート2回とミドル予選ルート1回。それとピンクテープ1回の計4本取り付いたがどれも登れなかった。ミドルの予選ルートは途中で降りてしまう。いずれも、10台後半だというがやっぱりホシダの10台後半は難しいものだ。

やっぱり、まだ指に痛みが残っていたり、へんな体勢になったのか肩にも痛みが走った。体も重く感じる。しかし、できるだけ平日に来て登ってみたいと思った。私には登れても登れなくても、ホシダは愛着のある壁だ。古巣に帰ったようで落ちつく。穏やかな一日だった。

そうそう、ハヤブサに子どもが産まれているようだ。ときどき餌を運んで来るときなのか、大きな鳴き声がホシダにこだまする。

人間社会では、育児放棄する親が増えている。「コウノトリのゆりかご」という赤ちゃんポストがとうとう出来てしまったし、相変わらず子どもが殺されたり虐待にあったりと暗いニュースが流れている。

その点、ホシダのハヤブサは偉い。雛の巣立ちまでガンバと親ハヤブサに声を掛けたい。ついでに、人間の親にもガンバ!


2007/5/16「さだまさしと小説」  朗読
歌手のさだまさしの小説「眉山」が映画化されて、私の回りでも話題になっている。だいたい私は芸能人が書いた本は、「ろくでもないもの」という先入観があり、いままで読んだことはなかった。アイドルの本など、本人が書いたということすら疑ったりしていた。

しかし、先日朗読をしてる友人がさだままさしの「精霊流し」の個人的な朗読テープをCDにしてほしいというので、朗読で聞いた(本を見ながらなので、当然読んだことにもなる)。内容はさだまさしの私小説である。主人公がさだましという有名人なので、内容的には少しは興味も持てるが、著者が有名人でなかったら果たして売れていたのだろうかとちょっと思った。しかし、「ヘェ〜、文章も構成も意外と上手いやん!」 という感想ももった。

そんな訳で話題の「眉山」に興味が湧いて来て、早速昨日食料の買い物のついでに本屋に寄って文庫を買って来て読み始めた。そういえば、だいぶ前に観た「解夏」という映画もさだまさしの原作だったのを思い出した。

歌手としてのさだまさしは、あまり好きではなかった。特に「関白宣言」が流行ったときはちょうど双子の子育てで奮闘していた頃だったと思う。何と男は身勝手なんだろうと、歌詞を聞いて思っただけでとても好きにはなれなかった歌だった。

私は最近、歳とともにひねくれて来ているのか、あまりに作られすぎた美談には斜に構えてしまうところがある。これでも昔少女だった頃は、涙、涙、…で本を読んでいたのだが…。

といいながらも「眉山」と一緒に、最近売れていそうな本を数冊衝動買いをしてしまった。ときどき、書店で平積みしてある本のなかで、朗読に向いているのではと思うと衝動買いしてしまう。お陰で、今まで読まなかった本も読むようになった。これでけっこう、楽しんでいるのかも知れない。

ついでに「岳人」と「山と渓谷」も立ち読みして来た。そういえば、最近買わなくなったなぁ〜。


2007/5/13「クライミングに行けていないなぁ〜」  雑感
色々雑用に追われて、城山以来クライミングに行けていない。今日は、ホシダカップで観戦の予定だったがこれも行けたのが3時過ぎになってから。ちょうどマスターの決勝の後半だった。私が出場した1回目から見ると、だいぶ浸透して来たのかかなりの人出で盛況だった。なじみの人も出場していたし、観戦している人も顔見知りの人が多かった。やっぱり、出場者は若い人が多くなって来ている。ホシダは今新緑の真っ盛りで、緑も美しい。ハイカーも多い。

最近岩場が多くてホシダには行けていないが、また暇を見つけて行きたいと思った。ホシダに行き出してから十年近くになる。ホシダでフリーに目覚めたと言ってもいいほど、私に取ってのホシダはクライミングの原点。この十年の間に凄く登れるようになったとはとても言えないが、遅々たるものだが進歩はしてる。

最近、大した進歩がないのですこし意欲が喪失気味だが、ホシダで初心を思い起こすのもいいだろうとも思った。

ホシダカップのアルバムへ

http://homepage.mac.com/iku_tsuku/2007/PhotoAlbum57.html


2007/5/7「GWの城山にて」  クライミング
城山にクライミングに行って来た。GWはいつも小川山というのがここ数年恒例となっているのだが、小川山のこの時期は待ちかねている人が多いせいか超過密状態になる。車を止めるところも、ままならないこともあった。

それで、今まで晩秋か冬にしか行っていない城山に行くことにした。この時期、さすがに南壁は暑いだろうということで、初日はチューブロック、3日目はワイルドボアゴージで登り、夏でも登れると「IZU JOYAMA」に紹介されている北壁ワイルドターキーゴージを初めて訪れ2日目に登った。

今回で城山は9回目だが、この季節は初めてのことである。新緑の衣装をまとった城山は、気品が感じられてまた一段と美しい。

この4月で退職予定だったはずの、修善寺ユースのペアレントのTさんご夫妻が連休明けまでまだ残られているということがわかり、宿泊はいつものユースへ泊ることにした。

往きの高速では二度の事故渋滞に巻き込まれてしまい、本来なら9時前には着いているはずなのに11時を過ぎて着いた。大仁駅で9時半に待ち合わせていた仙台から来たNさんを2時間ほど待たせてしまった。

チューブロックで登り始めたのはもう昼過ぎになっていた。いつもの、イスタンブール5.8と椿の森の中で5.9を登ったあと何年か前にワンテン状態でほっておいていたストーンフリー5.10cに取り付くが、下部でホールドを迷いテンションを掛けてしまう。そのつぎはミウラー5.11aをトップロープで上まで何とかテンション掛けながらも抜けるが、上部では左のオンリーイエスタデー5.10dの方から登ってしまったようだ。ミウラーは上部が核心だという。

最後にもう一度、ストーンフリーにチャレンジしたが、最後の核心で落ちてしまった。根性が足らない。しかし午後からの割には、充実したクライミングが出来た。ここも、ほぼ貸し切り状態だった。

次の日は城山頂上で富士山を眺め、ワイルドターキーゴージへと下る。クッキングワールドの手前を左に急降下する。落ち葉が滑りやすい。ハシゴが取り付けられていてそこを下りるとたどり着く。ここは、左壁と右壁があり見た目にもかなりスケールが大きい魅力的な壁だ。難点は足場が悪いことと、毛虫がやたらと這いずり回っていたことだ。

左壁の正面当たりに陣取って、Nさんがさっそく左壁右の、めぐり逢い5.9をTさんのビレーで登り出した。暢気に用意をしていた私たちは、ラク!という大声とともに岩の落ちる凄まじい音でビックリしてビレーをしているTさんの方を見ると、一抱え程の岩と大小さまざまな岩がバラバラと落ちていった。幸いTさんは茂みの中に逃げていて避けられたが、危機一髪といった感じだった。

Nさんの乗り込んだ岩だったらしいがしばらく、足で抑えつけてくれていたので逃げる時間があったようだ。側で見ていた私たち女性3人は恐ろしくなり、まったく意欲を喪失してしまった。なのに、男性陣はなんて危機意識がないのだろうと思い呆れてしまった。あんなに、恐い目にあった当人はすぐに次のルートを登り出している。

 女性3人は、まだ用意をする気力も湧かずに恐怖の余韻に浸っているというのに…。基本的に男女は違う人種だとしか思えない。だから、無謀にも突っ込んで死に至るのが男性の方が多いのだろう。これは、産む性であるために種の保存と本能(?)と因果関係にあるのかもしれないとふと思ったりもした。

しばらくして、ようやく落ちついて来て私たち女性陣も登り始めたが、私は著しく集中力に欠けてやる気もなくなり、ウォークドントラン5.10bにトップロープで取り付くが、気持ちが引いてしまっていたのか出だしもムーブを手間取り最後は直登するなら非常に難しいと思い、そこから投げてしまい下りてしまった。あとの人の登りを見ていて分ったのだが、このルートの最後は右に巻くようだ。

次に、みんながすでに取り付いていたマミーブル−5.10cにトライしてフラッシング出来た。これで気を良くして、少しは意欲が回復してきたのでディザイア5.12aにザイルが掛っていたので、トップロープで登らせて頂く。出だしから非常に困難。Nさんの「左のガバを取りに行って」というアドバイスも私には何のアドバイスにもならない。ガバというものはガバッと持てるからガバというのであろう。少しも引っかからず、ツルリンと指先が滑ってしまう。「何でこれがガバなんや」と私。「足を上手く使えば、ガバになる」とNさん。トップロープで張られていると進行方向へ進めない、されど緩めてもらうとムーブが起こせないというジレンマに陥り、仕方なく右側の本物のガバを見つけてぐいっと体をあげて次のムーブへインチキ登り。そのあとのムーブは少し続きレストできたが、その上はまた非常に困難。とうとう最後の核心ではお手上げで下りて来た。精も根も尽き果ててぐったりしてしまった。

しかしこれで次の意欲に繋がり、お買い得情報とイレブン入門ルートというトポの添え書きに惑わされて、マイウェイ5.11aに取り付いた。いや取り付いたつもりだった。自分の実力では11aはかなり難しいので、取り敢えずはヌンチャクを掛けに行こうと思っていた。

ところが、1ピン目を掛けたとたんにテンション。まだそのときは疲れているのだろうかと思いながら、2ピン目を掛けにホールドに手を伸ばすが、見かけよりも小さくて持てない。行けば行けそうにもないが、などと思いながらもグランドホールが恐いので愛用のチョンボ棒で掛ける。そのあともますます、ホールドが細かいというより、私の感覚ではホールドがないとしか言いようがない。

「おかしいわ! ホールドがないねん」とビレーをしてもらっているSさんに話しかける。きっと私がホールドを見ていないだけで、Sさんは何とか登れるだろうと思い、最後のピンまで何とかチョンボ棒を駆使して終了点にたどり着いた。しかし、ここの終了点にカラビナが設置されていなくて鎖が二本のみぶら下がっていて、その鎖にヌンチャクをセットしてザイルを通していたら、下から「マイウェイのルートと違うで〜、それはハードラック4.11dや!」とトポを見ながらMの声。「え〜ぇ〜〜〜!! どうりで難しすぎや!」と私。そこで回収のために、ザイルの結び直しを試みたが鎖の穴が小さいので抜けないとこまるので、カラビナを残置しようとしていたら下から「上にマイウェイの終了のカラビナがついてるよ〜」というアドバイスでもう少し登り、マイウェイの終了点を利用して回収できた。ちなみにマイウェイは、私の登ったルートの右二本目だった。この日は、お疲れのうちに消耗してしまい終了となった。

3日目は、今年の冬からの宿題の心の愛5.11bが残っていたのでワイルドボアゴージへとSさんと向かった。城山物語でアップ後に、ヌンチャク掛けに行ったが、ハング下までしか行けなかった。久しぶりのせいか下部のムーブも難しく感じられた。次のトライのために消耗しないように、ハング下で下りてきた。

2回目もやはり、ハングの大ガバに届かない。ムーブが決まらないので、しばらくおさらいをする。3回目は、回収を兼ねて登るが出だしでテンションが掛り、すでにホールドが持てない。「3日目なので疲れがたまっている」などと言いながらも回収に向かう。ハングを越えないと回収が出来ないので、テンションを掛けてから復習しておいたムーブを試してみたら、すっと大ガバに手が届いた。

やっぱり、疲れがでているときはだめだ。私の実力はこんなものだと納得した。次にまた来られるようだったら、フレッシュなうちに再チャレンジしたいと思いながら、帰路の登りを重い足取りで帰っていった。

次の6日は雨の予報なので、早朝に帰ることにしたので、これでGWの城山クライミングは終わったことになった。

   


2007/4/30「黒百合」  雑感
土曜日は不動岩、日曜日は椿岩へと指の痛みと肩の痛みを抱えて不調ながら登って来た。今日のホシダへはさすがに消極的だった。しかし、母の様子を見に行ってからホシダに向かい1本登って来た。

調子が悪いと登れない、不調だなどと言いながらも良く嫌にもならず行くものだとつくづく思う。調子が悪いとほんとうにまともな登りは出来ない。落ちまくる。それでも、ルートを眺めていたら登りたくなって来る。

私の場合は、クライミングは登るの(レッドポイント)だけが目的ではないからなのだろう。登る行為そのものが楽しいのだろう。今日もホシダで、このブログを読んでくれているIさんに「よう、小熊と遊んでるなぁ〜」と声をかけられた。

土曜日には、一緒に登っているMさんもRPできた。一緒に取り付いていた他の人の小熊RPの知らせは私のいないときでも耳に入る。これで私と同時期に取り付いていてRPした人は、知っている人で5人になった。Tからも「しばらく、置いといたら…、実力以上のを取り付き過ぎだよ!」と言われる。

しかし、今の私には不思議と焦りとか失望とかマイナス的な気持ちは湧いてこない。まだもう少し登れるのではないかと言う気がする。それは上手くなってRPするという意味ではなくて、楽しんで登れるという意味でだ。もう、40回は越えた。年の数までは頑張ってみようかな、と思うのはまだ楽しく登れるからだろう。クライミングには、いろんなスタイルがあり人それぞれ。私は楽しく登れるのが一番の長続きの秘訣だと思える。

 

昨年八ヶ岳縦走で、下山した北横岳のロープウェイ乗り場でお土産に売っていた黒百合の球根に目が止まり、育つのだろうかと思いながらもユリの花が好きな母に買って帰った。母はとても喜んでくれて早速植えてくれていた。

一月位前の夜遅く「黒百合の芽が出てきた」と弾んだ声で電話をくれた。今朝の電話で、母の元気がないようなので、ホシダに行く前に実家に寄ってみた。庭に咲いているフリージャーを母に頼まれて切っていたら、黒百合が咲いているのに気がついた。2株のうちの1株に、確かに小さな小さな黒百合の花が下を向いて咲いているではないか。あわてて母を呼びに行く。母は黒百合とは初めてのご対面だ。「白山にはこんなんがいっぱい咲いてんねんよ」と私が言うと「へぇ〜、小さいもんやなぁ〜、かわいらしいなぁ〜」としばらく感動のご対面。ここしばらく元気のない母に、少しは慰めになったようだ。タイミングよく咲いてくれた黒百合に感謝。

 


2007/4/26「映画「東京タワー」」  映画
今日は蝙蝠谷にクライミングに参加の予定だったが、ちょっと用事が出来て行けなくなった。だいぶ岩場からは遠ざかってる。時間の合間を見て、映画「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を観て来た。

これは原作を読んで、テレビドラマで見て、今回の映画なので新鮮味に欠けていた。この本の原作は、もう200万部を越えてしまっているらしい。凄いなぁ〜。今回の映画は、オカンが樹木希林で若いときは娘の内田也哉子がやっていたが、これはさすがに親子だなぁ〜と思う程似ていた。内田也哉子の演技は樹木希林にはまだまだという感じはしたが、個性的で良かったと思う。

やっぱり、映画とテレビの大きな違いはセットにあるようだ。改めて、リアリティーをもって私に迫って来たようだ。それにしても、やっぱり樹木希林は魅力的なオカンだった。というよりは、樹木希林が魅力的なのだろう。

親の子どもに対する愛、子どもの親に対する愛を改めて考えてしまった。子どもは愛情一杯に育てられると、大人になってまた愛情を持てる大人になるということなのだろうか。最近は「愛情=甘やかす」ということと履き違いをしていないだろうかと思うことが良くある。貧しい時代の方が、子どもはちゃんと育っていたように思うのは気のせいか…。

ちなみに、私の隣に座っていたオカンは映画の間中泣いていたようだ。

 

2006/1/21本を読んだときのブログ

「東京タワー」  読書

「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」リリー・フランキー著

この本、ベストセラーらしい。私は全く知らなかった。友人が「読んでみてみ」と手渡してくれた。「この本なに?」「エー、知らんのん?」「外国人の作家みたいやのに、東京タワー? オトン? オカン? どうなってんねんや…」「ごたごたいうてんと、とりあえず読んでみ〜!」と言うような訳で、借りて来て読んでしまった。娘に知っているかと聞いてみたら、涙…涙…の本だということで職場の話題になっていたので読んだという。知らなかったのは私くらいなのか?

これは、作家の私小説で子供の頃から現在までのお話。副題の「オカンとボクと、時々、オトン」通り、両親は別居で母親に育てられて、父親は時々登場するがいわゆるマザコンではと思う程の密接な母との結び付きのなかで成長するが、高校から母親とも別れ別府へ、大学で東京。そして最後に東京へ母を迎えて一緒に暮らし、癌で亡くすまでの話し。1963年生まれの著者リリーさん、私とは一回りは歳が違うのだが、何だか共通の経験をしていて近親感を持ってしまった。

それは地方から東京に出て行って、東京というところの捉え方が「なるほど、そうそう」とうなずきながら読んだ。仕事も同じような仕事をしていたせいか、私が東京にいた1970年代の前半もそうだったなぁ〜、と懐かしく思いながら読んでいた。私は、結局故郷に帰ってしまったのだが…。

私が東京にいた頃には、東京に夢を見て出て来たデザイナーやカメラマン、漫画家志望などで食べられない人がたくさんいた。しかし消費者金融などという物は無く、みんな汚いアパートで共同生活などしながら肉体労働などのアルバイトをしていた。しかし大方の若者は夢破れ疲れて故郷に帰って行った。私の仲の良かった作家志望の友人は、お金がなくなるとコーラーの瓶を酒屋の裏から盗んで来て、違う店に持って行って1本10円で引き換えていたのを思い出した。それらの人たちが、この本の登場人物と時代は違うがオーバーラップしてきた。

最後に、東京タワーから眺めて「東京の風景すべてが巨大な霊園に見えた」「故郷から胸をときめかせてやって来た人々。この街は、そんな人々の夢、希望、悔しさ、悲しみを眠らせる、大きな墓場なのかもしれない」。これには、「うん、うん、」とうなずいてしまった。

オカンもオトンもその辺にいる平凡な庶民的な親だが、深い愛に溢れている。また子どものときにはひどい親だと思って育っても、大人になれば違った見方で見ることも出来る。なんだか、そのへんにいそうな家族でもある。

この辺に、ベストセラーの秘密がありそう。

歳とともに涙は枯れていくのか、ちなみに私は涙が出なかった。


2007/4/21「九州の山旅/速報」  登山
17日に出発して、18日祖母山、19日大崩山、20日由布岳に登って帰って来た。正確には祖母山と大崩山は頂上を踏めず敗退となった。それは、18日の九州地方は雨だったが、山は雪となってしまったからだった。19日に泊まった「大崩の茶屋」の女将さんの話しだと、3月はまだ雪が降ることかあるが、嫁いで来て30年になるが4月に雪が降ったのは初めてのことだと言う。この「大崩の茶屋」の女将さんは、ぜひまた尋ねて行きたいと思ってしまうような、何とも言えない魅力的なお方で私たちとは同世代。

祖母山は雨の中での出発だったが、そのうちに雪に変わり林道に出ると見事な樹氷だった。とりあえず雪の中頂上に向かったが、高度をあげるごとに雪が深くなり1300メートル近くで引き返すことにした。装備が春山の装備だったので、手袋はびしょ濡れで手は冷えて痛い。

次の日の大崩の茶屋に着くと、ご主人が「あれ〜、来たの? この雪じゃ、来ないかと思っていたよ!」というのが最初のご挨拶。ここから見える大崩山は真っ白だったので、当然のご挨拶だったのか…。しかし何しろ、関西から来たのだからそうやすやすと帰れない。取り敢えず、19日も袖ナギからは展望が良いということを女将さんに聞いていたので袖ダキまで雪の中を登って来た。

この二日は全くの冬山のようだった。一緒に行ったKさんは今年初めての雪山だったようで、「もう、私は雪山を引退しようと思っていたのに何という皮肉なことか」と嘆いていらした。「まだまだ引退させないよ」という、山の神様のお導きか…???

春山のお花とピークを踏むことを楽しみにしていたので、結果としたら残念なことだったが、思わぬ体験に何故か不満は起らず、二人ともせっかくの神様の雪のプレゼントをおおいに楽しんで来た。

由布岳は、打って変わって天気には恵まれ雪も頂上近くに少し残ってはいたもののパステルカラーの早春の色彩を楽しみながらやっとピークを踏むことが出来た。

良き相棒と、雪山、春山、お花、ドライブ、美味しい食べ物(ボタン鍋、鹿の刺身、アマゴの唐揚げ、タラの芽の天ぷら、ウドの和え物など数々の山菜料理。そして、湯布院ユースでのレストランでのおいしいお食事)。これで九州の山旅4日間も、「めでたし、めでたし」ということになった。

九州はほんとうに美しいと思う。まだこの時期新緑には早かったが、静かな山だった。とにかく天気も悪かったし、時期も早かったのと平日ということもあって、宿泊も山も貸し切り状態だった。私たちがいた間も、大崩の茶屋には連休の予約の電話が鳴り続けていた。応対出ていた、女将さんがその度にすまなさそうに断っていた。やっぱり、連休は凄い人出となりそうだ。


2007/4/15「しばらくはクライミングは小休止」  登山
今年に入ってから、不動の小熊物語に取り掛かっていたが大した変化もない。というか、登れそうにない。嫌になった訳ではないが、しばらく緊張感から自分を解放してあげることにした。といいながらも、昨日はホシダで楽しく登って来た。クライミングは、最高グレードに挑戦するだけが能ではないと思うからだ。たまには、楽しまなくては緊張の糸がプツンと切れてしまいそう。というよりは登れないのに厳しいだけでは嫌になる。

情けないけれど、何でも人それぞれに限界というものがある。限界に近い程難くなり、進歩もほとんどしない。

来週は九州の山に行く予定だ。というわけで、この計画は私にとってとてもいいタイミングとなった。今回は、100名山祖母山、大崩山、最後に癒しの由布岳という計画だ。連休にはかなり混雑しそうなので、お花には少し早いかもしれないが、静かな山を楽しめそう。クライミングで最近一緒のKさんがお付き合いしてくれるという。同年齢の女性とは、気持ち的には楽なので嬉しい。

由布岳はNHKの朝ドラで美しい山だなぁ〜と思っていた。特に緑に被われた時期は特に綺麗だと思う。一度行ってみたいと思っていた。九州の山は穏やかで美しい。しかし、大崩山は岩山で登攀ルートも開かれているというが、今回は一般登山道を登る。祖母山は曙ツツジが咲いているだろうか。ここしばらくは、九州の山に思いを馳せていた。

美しいものをたくさん見てリフレッシュし、またクライミングも頑張ろう。


2007/4/10「桜満開」  レジャー
いつもこの季節に思うことだが、日本人はどうしてこんなにも桜が好きなんだろう。どこもかしもこも桜が満開だ。昨日は昼から時間があったのでカメラ片手に近場の桜の名所を巡ってみた。まずは家の前の公園から。この公園は普段は遊んでいる子どもは少ないのだが、桜に釣られてか子どもが沢山遊んでいた。小さな子どもとお母さんの姿はとても微笑ましい。足の向くまま歩く。車で通り過ぎていた商店街もまた少し様子が変わっている。つぶれたままの本屋さんやお寿司屋さんは、何となく裏寂しい。

途中の公園にも寄る。やっぱり桜に引き寄せられて人が沢山。最初は山越えで岩清水八幡宮を経て、木津川沿いに250本のソメイヨシノが1.4キロ植えられている背割堤に行く予定にしていたが、八幡市のさくら公園に足が向いてしまった。ここでも花見の人たちで大賑わいだ。ここを通り抜けると、目の前に八角堂が見えた。懐かしい。子どもの頃、いつも学校に行く時に通っていた道だ。久しぶりに昔の八幡の中心で小学校へ歩いたこの道を通って八幡市の駅まで行ってみようと思い立つ。

故郷の郷愁がふつふつと湧き出て来た。長い間、どこかに置き去りにしていた記憶が蘇る。いつも、自転車で電話を掛けにここまでお使いに来ていた。通称「はっかくさん」と言っていた雑貨屋さんはそのままのたたずまいだった。ガラス戸の中をのぞいてみたら、商品なのかゴミなのかが散乱している。ここで、グルグル取っ手をまわして交換手に番号を言って繋いでもらう電話で、プロパンガスの注文などしていたことを思い出す。ここまで家から2キロ以上はあるだろう。ほんとうに、暢気な生活をしていたものだ。その隣は、鍛冶屋だった。同級生の同じ名前の女の子がいた。表札は覚えがあるが、建物は新しくなってる。その子のお父さんが,薄暗い土間で火花を散らして仕事をしていたのを思い出す。

つぶれた畳屋さんの看板がそのままになっていたり、訳の判らない宗教の真っ赤な家がまだあったりする。コロッケや牛肉を買いに来ていた肉屋さんの店内には、その頃お兄さんだった人がおじいさんになって、コロッケを揚げていた。会釈をして通り過ぎる。確かコロッケはそのころ6円だったと思う。何だか不思議。

キョロキョロしながら、小学校へたどり着く。全く様変わりしてしまっている小学校と幼稚園。私が通っていたときはお寺のような門と木造の校舎だった。

駅を通り過ぎて、木津川にかかる御幸橋の上からはもう沈みかかった大きなオレンジのお日様と木津川の風景と背割堤の桜が幻想的で美しい。片道1.4キロの桜のトンネルを往復歩く。もう日が暮れかかっていたので人は少ない。見事なソメイヨシノの大木が続いている。今年の桜はここで十分満腹感を味合わせてくれた。

京阪八幡駅のホームから電車に乗る。

写真

http://homepage.mac.com/iku_tsuku/2007/PhotoAlbum52.html


2007/4/9「不動岩でのある出来事」  クライミング
土曜日は家を出て高速を走り出したら、窓に雨が…。取り敢えずは西宮北までは走ろう、というわけで行ってしまった。こんな日に来ていた人が他にもいる。アップにミュージックフェイスを登り、小熊にヌンチャクを掛けて来る。もう一度、と思ったら降り出して来た。何だかここのところ、こんなことが多いと思う。

日曜日は、「道場周辺の清掃活動」の日。最近はしょっちゅう不動に行っているので、参加しない訳にはいかない。

不動岩を進むと千狩浄水場があり、この日桜祭りが行われていて一般に開放されているということなので、そこまで歩いてついでに桜見物もして来た。こんなところで、ぼ〜っと過ごすのもいいものだろうなぁ〜と思いながらもすぐに引き返し、11時過ぎには集合場所の道場駅に集まった。

清掃終了後、晴れ晴れした気分で不動岩に向かった。疲れていたのか、クライミングはボロボロ。ミート&ポテトもリトルボーイもポトリと落ちてしまう。そんな訳だから、小熊も2回登ったが、各駅停車。情けないなぁ〜。しかし、午後からと時間が短かった割には楽しめた。

確か登って行くときにはあった木が、帰り道正面壁から下って行くと木が切られていた。真新しい直径10センチ位の切り口が痛々しい。右を見ると新緑のでかかった2-3メートルの木が投げ出されていた。その木はいつも登るときに右からでも左からでも巻けて私はいつも手すり代わりに掴んでいた。少し狭いが人は十分にどちらからでも通れるし、今までちゃんと皆が通って来たはずだ。

むやみに切られた木を見て、人間の傲慢さを感じた。最近、クライマーの所業がネット上で話題になってるが、何だか悲しい気持ちがした。それも清掃の日に…。清掃に参加したクライマーなのだろうか。人の山に入り、遊ばせてもらっているのだから、出来るだけ勝手なことは慎むべきだと思う。せっかく、皆で協力して清掃活動をしたあとだけに、後味の悪さを残す出来事だった。もしも、この山の持ち主がクライミングをしない私だったら、山に他人が入ることを許さなかったのではないだろうか。改めて色々考えさせられた出来事だった。


2007/4/5「昨日の不動正面壁」  クライミング
昨日はS労山恒例の平日クライミングに参加させてもらって不動正面へ。天気予報が怪しかったのと、体調が少し悪かったので迷ったが行ってしまった。この日は私たちとP会の2名で十数人と、平日とはとてもとても思えない賑わいだった。正面の壁はザイルが簾状態だった。

何度も補修しては履いていた最近愛用の靴アナサジ・レースアップにまた穴があいてしまい、娘から新品で譲り受けたミウラーを履いてみるのだが、新しいので足になじまず、登っていても足が岩に乗ってるのかどうか不安で気になって仕方がなかった。それでまた、穴のあいたレースアップの方を未練がましく履いたりしていたので、とうとう大事な部分に大きな穴があいてしまった。仕方がないので、もう一足の補修してほっておいた別のミウラーを昨日は履いたら、すこぶる履き心地がいいので嬉しくなった。やっぱり自分の足になじんでいたのだった。同じサイズの靴なのに、新品と履き慣れたのではこんなにも違うのかと驚いてしまった。これで安心して、レースアップはまた補修に出せる。しかし、クライミングシューズは凄い消耗品だと思う。普段履きの靴よりもよく減るように思う。それは下手だから、と陰の声が聞こえそう。

話しはそれてしまったが、きのう私はその履き慣れた補修したミウラーで、ミュージックフェイスでアップ後小熊にヌンチャク掛けにいった。2本登って昼食後、さぁ〜と気合いを入れて小熊に登り始めたらポツポツと降り出した。少し待とうと、ザイルを解いたら本格的な降りになって来た。慌てて荷物に濡れない対策をして雨がやむのを待ったが、空はますます灰色に被われて行く。土曜日にまた来るから、残置しようかなと考えていたら、S労山のIさんがリトルボーイからナチブロでザイルをのばして雨の中回収して下さった。小熊とリトルボーイの回収劇はまるでサーカスを見物しているようなもの。他にも正面のほとんどのルートにヌンチャクが掛っていたが、他の皆様のお陰ですべて回収出来て良かった。このように平日に集まるクライマーの層が厚いS労山のような会は、珍しいと思った。

しかし、自分でも何とか回収出来るようにしなくてはいけないと思ったが…。

道場駅に戻ったときには、また青空がのぞいていた。しかし、もう誰も戻って登ろうとは言わなかった。少し早い帰宅となった。


2007/4/2「思うこと」  雑感
土曜日は不動へ、日曜日は烏帽子へと相変わらずの週末。クライミングは、今年になってからはより熱心だ。その割には成果は出ていない。かえって反比例をしているようにすら思う。どうしてだろう。そろそろ限界かもしれない。しかし、登れないことがまたますますクライミングに向かわせていることも確かなようだ。今度こそはという期待が、毎回裏切られている。こういうのを、スランプというのだろう。いやにならないのが不思議。

今朝、出かけようとして車に乗ろうとしたら真っ白で汚い。昨日は雨で気がつかなかったが、黄砂のようだ。中国から飛んで来た砂に汚れた車はとても不愉快。用事を済ませてから洗車にいく。これで気分もすっきりしたと思ったが、夕方の天気予報でまだ黄砂が飛んで来ているということでがっかりした。洗車代600円の無駄使いになったかな。

公園の桜がだいぶ咲いて来た。いろんな種類があるようで、順番に咲いていて楽しませてくれている。桜の咲く頃に遊びに来ると言っていた旧友に、「桜咲いた」と連絡をしないといけないなぁ〜と思いだす。

明日は、対面朗読の日。久しぶりに娘も帰って来るという。なんだか、落ちつかない。それでも、日常の営みは凡々と目まぐるしく過ぎて行く。

 

不動のお花たち

 


2007/3/31「公園の桜」  雑感
桜が咲いて来た。家の前の公園の桜は二分咲きぐらい。暖冬だったのでもっと早いかと思っていたが、少し早いという程度。これからは、命みなぎる季節を迎える。その最初の兆しが、一斉に咲く桜の花に感じるのだろうか。日本人程桜好きの民族はいないという。私も御多分に漏れず、やっぱりなんだか落ちつく。

私の場合は桜の下で宴会という花見はほとんどしたことがない。静かに桜のアーチをくぐって歩きたいとは思う。誰もいない家の横の公園の桜を、毎日ベランダの窓を開けて、今日はどれほど咲いたか確かめると言った程度の楽しみ。まぁ〜、ささやかな癒しかな。

 


2007/3/26「週末はホシダ」  クライミング
週末は、雨模様。2日ともホシダで過ごす。

土曜日は、午後から小雨だったが登れた。日曜日は昼までに雨はあがったのだが、前夜にかなり降ったようでホールドは濡れていた。ベテランクライマーの「こわ〜い!」という声が聞こえて来て、私は密かにニンマリ。

久しぶりのホシダは楽しかった。ハングをぐいぐい登れるのはホシダはガバだからだろうが、やっぱり楽しい。16メートルの高度も久しぶりに登ると緊張感がある。特にルーフになっているカンテは体がかなり外に飛び出した感じでスリル満点だ。

テーピングをしていたが、手にマメができて痛くなった。久しぶりに出来たホシダマメも、何だか愛おしい。

そして、久しぶりにあったN山岳会の人たちやTさんとKさんコンビも懐かしい。古巣に帰ったようで、何だか温かくてホッとする。

ホシダは、ユキヤナギが満開だった。もうすぐ桜やツツジも咲くだろう。クライミングの季節がやって来たようだ。ハヤブサも、時々大きな鳴き声が聞こえて来る。卵を抱いているらしい。クライミングウォールの横の、もう登られていない岩場に数年前から巣を作っているが、まだ雛の姿は見ていない。昨年は、卵が蛇に食べられてしまったと聞いた。今度は雛が育ってほしいものだ。それも、楽しみの一つだ。


2007/3/23「小熊はやっぱり手強いなぁ〜」  クライミング
水曜日21日は春分の日で祭日。昨日の木曜日は2日続けて不動へ行って小熊にトライして来たが、大した変化はない。水曜日の不動は超満員だった。不動だけではなく烏帽子も満員だったらしい。突然の寒波も去り、すっかり春めいて来た。桜の開花宣言も東京であったようだ。家の前の公園の桜はまだ開花していない。窓を開け放していても、もう寒くなくなって来た。

今年に入ってから取り組んで来た小熊物語であるが、今までの最多記録であろうか30回近くになる。手強いなぁ〜、とつくづく思う。やっぱり、年の数は覚悟かな? 同じルートでも簡単に登る人もいれば、私のように凄い時間がかかる人もいる。実力の違いだろうが、帰るときには落ち込んでしまう。しかし立ち直りも早く、帰ったら色々反省をしたりして、今度こそ登ろうと思う(実際は登れないのだが…)のだからクライミングは不思議だなぁ〜。

昨日は、平日クライミング。前日の祝日とは打って変わって、私たちの貸し切りで静かな不動だった。と言いたいところだが賑やかにおしゃべりに花が咲く不動だった。私は、不動へ来る途中で車のエンジンの制御装置が点滅するというハプニングがあり、集中出来ないクライミングとなった。やっぱり、エンジンの故障だった。今日修理に出した。

明日は、どうも雨模様のようだ。久しぶりにホシダにでも行ってみようかと思う。飽きない、懲りない私である。

 


2007/3/19「一週間」  朗読
「一週間のご無沙汰です」とは、何かの番組の冒頭で司会者がいつも言っていた台詞のような…。一週間が早い。目まぐるしい。少々頭の働きも悪くなって来て、さっき食べたご飯を忘れるという程ではないが、忘れてしまうことが多い。いざ思い出そうとしてもなかなか思い出せない。それって、ヤバイ! そういうときは自分のHPの年度別山行記録など見ると少しずつ色々思い出して来る。私のHPは自分の手帳のようなものだ。

月曜日はピアノのレッスン日、火曜日は対面朗読の日、水曜日は図書館での音訳協力者の集まりの日で夜はNジムへ、木曜日は不動岩でクライミングの日、金曜日は家事の日、土曜日は霊仙山へ、日曜日はホシダでクライミング。やっと一週間を思い出した。書きながら「月曜日にお風呂を焚いて 火曜日はお風呂に入り テュリャ テュリャテュリャ ………」という歌のメロディーが頭の中を流れている。

この一週間は、とても充実していたように思う。特筆すべきは水曜日、「視覚障害者とデイジー」という日本ライトハウス盲人情報センターの館長の講演だ。(この人の他での講演内容がネットにあったのでリンクしました)私は、朗読を通じて視覚障害者の実情に普通の人より通じていると思っていたが、知らないことがほんとうに多い。この日も驚いたことが、視覚障害者のかなりの人がテレビを見ているという現実だった。番組はニュースや報道関係が多いということだったが、健常者以上に情報が入らないので音だけでもテレビから情報を得ようとしてるということだった。NHKが聴覚障害者のために字幕をつけているのはけっこう増えているが、まだまだ視覚障害者のための副音声は少ないということだ。私はだいぶ前から、朝の連続ドラマに副音声がついているのを知った。それは、偶然テレビのリモコンの二重音声のボタンを押していつもの音声意外に低い情景説明の声が聞こえて来て気がついた。副音声があったら良いのは、スポーツ番組だと言うことだ。ただの解説ではどのような場面なのかは視覚障害者の人はただ想像するのみで判らないという。

先日公開されていた「武士の一分」という映画は副音声がついているそうだ。ただし、一般公開では副音声は流されていないので聞くことは出来なかった。一般の人には副音声はただうるさいだけだからだ。一般公開が終われば、副音声付きで上演されるだろうとのことだった。

もう一つ、興味を持ったのは「視覚障害者情報ネットワークシステム(ないーぶネット)」のことだ。これは、ネットの視覚障害者用の図書館のようなものでる。読みたい本がインターネットで検索できダウンロードして音声や点字で自宅にいながら何冊でも読めるシステムだ。これは、凄いことだと思った。

今や、インターネットの普及で情報はいつでも手に入る時代になった。私も、山に行くときなどはガイドブックよりもネットを参考にすることの方が多い。何を調べるにもネットで、朗読の下調べも最近はパソコンの前に座る。国語辞典や漢和辞典もそういえばあまり使わなくなっている。

視覚障害者のSさんは音声の出るパソコンを使ってるが、ネットで調べてほしいときは私に電話がある。まだまだ視覚障害者の人には、HPはフレームやリンクが複雑だとなかなかたどり着けず使いにくいということだ。少しずついろんなことが試みられて来ているのには驚いたが、もっともっとITの恩恵を簡単に受けられるシステムが出来るといいのになぁ、と講演を聴いて思った。

 


2007/3/12「冬に逆戻りかな?」  クライミング
とにかく寒い。京都でも雪が舞っていたらしい。いったい、今年の天気はどうなってるのだろうか? そんななか先週末の土曜日は蝙蝠谷へ行った。冬の間は寒いのでさけていたので3ヶ月ぶりである。

「もういいでしょう」と「哲学の道」のあとに、久しぶりの「復活」の順番が回って来た。下からルートや人の登るのを見ていても、すっかりムーブもホールドも見えてこない。緊張感だけが張りつめて来る。しかし、1ピンづつとるごとにムーブが蘇って来た。久しぶりにしては、自己満足かもしれないがいい感じで登れた気がする。そして、この日2回目に登ったときには、ハング下で力つきて諦めかかっていたが回収の任を得て不思議な力が湧き出て、何度か落ちながらも終了まで行けた。とにかく、初めての回収にも疲れ果てた。

かじかむ指に息を吹きかけながらのクライミングとなったが、復活に再度チャレンジ出来たことはとても嬉しかった。しばらくは、蝙蝠谷にもチャンスがあれば通いたいと思った。久しぶりの復活は筋肉痛を残し、次の日も腕が張っていた。

クライミングは不思議だと思う。自分の限界のルートにチャレンジしていると、とても登れるような気がしないのだがなぜか充実感を感じて楽しい。あの恐怖すら感じる緊張感は、不思議と快感にもなる。

最近は不動の小熊に登っていたので、どちらが簡単なのだろうかと、どうしても比較してしまう。グレードは、11bと11cで復活の方が難しいということになるのだが、見方によっては復活の方が簡単だと思う。いったい、どちらの方が先に微笑んでくれるのかも楽しみだ。いや、簡単には微笑んではくれないかもしれないかも…。

次の日曜日はホシダに向かう。とても寒くて意欲は喪失してしまっている。しかし意欲喪失は、寒さのせいだけではなさそうだ。最近は、岩場の方が楽しいと思う。

 

アルツさんの撮って下さった写真/なかなか自分の写真は撮れないので嬉しい。

 


2007/3/9「京都北山を歩く」  ハイキング
火曜日は、車の点検で京都まで行く。その待ち時間を利用して、夕方まで北山ハイキングに行って来た。最初は大文字山にでも行こうかなと思い、朝出かける前に京都在住の友人に誘いの電話を入れたが「電気の点検の人が来るから、家開けられへんので家に来て」という。こんないい日に家でただおしゃべりはもったいない。という訳で、私は一人で歩くことにした。まともに歩くのは12月の八ヶ岳以来だった。

自動車修理工場は、北野天満宮の近くの大将軍にある。最初は、銀閣寺の近くの大文字にでもと思っていたが地図を片手に西大路通りに出て北向きに歩くと目の前に大の字が書かれた山が見える。そうだ、取り敢えずはこちらの左大文字を登ろうと思い立ち向かう。途中で出会う地元の人に、「この大文字山の登り口はどこですか?」と数人聞いてみたが誰も知らない。地図にはもちろん書いていない。

左大文字山に近づくと、金閣寺のバス停があった。そういえば、高校卒業した春休みに友人と京都巡りをして以来金閣寺には行ってないことを思い出し、ちょっと寄って見ることにした。この日は平日なのに、観光客でいっぱいだった。言葉を聞いていると、韓国の人がとても多い感じだ。世界遺産に認定されていることや昨年のブッシュ大統領の来訪などで、世界的にも有名になったようだ。私は、金箔は成金的趣味的な感じがしてあまり好きではない。実家の仏壇も金箔だが、もう少し地味な方が良いのではと昔から思っていて母にいうと「この金箔が値打ちなんや!」と言い返されたことがある。よく金閣寺と銀閣寺と比較されるが、やっぱり私は銀閣寺の方が趣味に合う。

しかし、改めて金箔が張り替えられた金閣寺を見てみると、素直に美しいと思った。それは回りの庭園を含めて、かなり完成度の高い日本の美が表現されていると思った。しかし、作られた美は自然の美には叶わないとも思う。心から興奮するような感動は、私には味わえなかった。やっぱり、山で出会う一輪の花の方が感動も私には大きいようだ。

金閣寺を出て、大文字山を一周するように住宅街を歩く。とうとう登り口が分からないまま、しょうざんを経て東海自然歩道に入る。東海自然歩道といっても林道でコンクリート道だ。至る所で、ゴミを捨てないでという地元小学生の張り紙がある。悲しいことだと思う。

仏谷には、北山杉の木工など生業にしていると思われる民家が数件ある。さらに林道を進むとやっと山らしい道を右に入る。登りきったところが上ノ水峠で、京見峠への分岐になる。そこから20分程で沢の池に到達。こんなところに、こんなに大きな池があるのは感動的だ。もう何回か来ているのだが、誰もいないのは初めてで、静かで掃くように流れる水面を見ていると、気持ちが和んで来る。雪が舞って来たのかと思ったら霰だった。日曜日とはうってかわって、とても寒い。

沢の池に別れを告げて、先を進むとアセビの花が満開だった。スズランのような花はとても可愛い。少し登ると高雄と福王子との分岐になり、福王子への道を下ると目の前に京都の展望が開けた。「あそこは◯◯やなぁ〜、とするとあれは◯◯や」と変わらぬ京都を確認すように独り言を呟きながらしばらく眺めていた。いつもながら京都の町は端から端まで狭いなぁ〜とも思った。

あとは鳴滝に出るまで下る。久しぶりの下りに、股関節が痛む。コンクリートの林道が悪かったのかなと思う。京福電車の鳴滝駅まで歩き、レトロな電車で北野白梅町駅まで戻る。

車の点検は、まだ出来ていなくて一時間程待たされてしまった。もうすこし、ゆっくりしてくればよかった。

 

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2007/3/5「ポカポカ陽気の不動正面」  クライミング
今日は朝から雨。昨日の不動でのポカポカ陽気は嘘みたい。私は半袖で登っていた。不動の正面は、相変わらずのメンバーで賑わっていた。この日は、金曜日に比べたら調子が戻っていた。ミート&ポテトも続けて登ったリトルボーイも落ちないで行けた。そして、気を良くして小熊にトライしたが、まだハングの一連のムーブは繋がらないし、各駅停車だ。しんどいとすぐに、テンションと叫んでしまうのは気合いが足らないのだろう。

そのあと、「チエちゃんのお尻」5.11aにはじめて取りついたが、核心では恐いのでリトルボーイからヌンチャクを掛けてムーブを探ってみたが、どうにもならなかった。このルートは、ペガサスと同じMさんが作ったといことだ。Mさんといえば、ずっと前にホシダでお会いしていたことがある。チエちゃんのお尻と言うネーミングがなぜか、ルートの形状とMさんとのイメージとがピッタリでなるほどと思ってしまった。

そういえば、昔活躍していた皆さんはどうされているのだろう。昔のホシダのホンワカとした情景を思い出してしまった。あの頃は(フリーを始めたころ)、全く登れなかったけれど、ホシダの常連の人たちは温かだったなぁ〜。


2007/3/3「平日の不動岩にて」  クライミング
S労山に参加させて頂いての昨日は楽しい一日だった。不動岩は花盛りだった。S労山のメンバーに最近入れてもらっているのは何といっても同年齢の頑張る女性が多いから。この日も女性7名男性2名のメンバー構成だった。不動の正面には、いつものP会の4名の13名が集合。

クライミングに夢中の同年齢の女性が、S労山にはたくさんいらっしゃるし回りにもいる。そんな中にいると、気分がいい。それも共通点が多いので、おしゃべりにも花が咲く。皆さんクライミングにも前向きで、素敵で魅力的な人ばかり。それぞれ自分の課題に一生懸命取り付いていらっしゃる。もちろん男性も魅力的なのだが、今の私に居心地がいいのは、やはり女同士ということだということで余計な気を使わなくてすむからだろう。

昨日の私はというと、全くダメだった。何だかこのごろ疲れやすい。一緒だった、N嬢には「やりすぎですよ!」の一言。やっぱり、そうかなぁ〜。私の性格かも知れないが、見境がない。それは何にでもだと思う。抑えるのが苦手だと思う。例えば、美味しいものを目の前にした時や楽しいこを見つけるとすぐに飛びついてしまう。あとで反省することもしばしば。食べることは、特にである。しかし、クライミングはその日の体調で登れたり登れなかったりは日常的なもの。

クライミングのやり過ぎを反省して、今日はたまっている家事に勤しむことにしようと思うのだが、良い天気の土曜日はとくに落ちつかないなぁ〜。


2007/3/1「春一番のお花」  雑感
いつも美しいお花の写真を届けて下さっていた鈴鹿のSさんから、雪解けに春一番に咲くセツブンソウとフクジュソウの写真を送って頂いた。

今年は高山は別にして、山に雪がないという変な年らしい。大台ケ原も例年のような雪が全くない。雪解け水がないために自然体系が狂ってしまうとテレビでやっていた。スキー場も、廃業したところも出ているようだ。

そういえばSさんの送って下さった写真も、フクジュソウにお似合いの雪が写っていなかったなぁ。おまけに例年より2週間も早いという。車もスタッドレスに換えていたものの、雪道を走ることはなかった。

今日も一日、ポカポカ陽気だった。今日から3月だから、あっという間に桜が咲いてしまうのだろう。クライミングばかりの日々が落ちつかない。お花の季節は短いのだから、と内心焦ってしまう。

昨年穂高に行った友人(楓会という古いお付き合いの仲間)と、藤原岳にセツブンソウとフクジュソウを見に行こうと約束していたのに、昨年の秋に行った武奈ヶ岳からの下山が祟って膝が痛むので行けないという。何ということだ。もうすぐ還暦という年齢には急激な運動はいい結果とならなかったようだ。自分の歳を忘れてしまう程夢中になれるものを持つこととはすばらしいとは思うが、やっぱりある程度は自覚も必要なのだろう。恒例になりかけていた楓会の夏の山の計画も、ちょうどお花が美しい頃の7月の末頃にメンバーの一人に孫が産まれるので行けなくなりそうだ。理由は何であれ、気持ちが消極的になって来るのだろう。

白山に一緒に行った(2001年)視覚障害者のTさんもあれから5年が過ぎた。それから「京都山の子会」という視覚障害者と健常者の山の会に入会して楽しいんでおられたが、膝がだいぶ痛むようで最近はもう行かれなくなってしまった。年齢は80歳を過ぎていらっしゃるので、仕方がないのかもしれないが、まわりはリタイヤする人が多くなって来ている。出来ることよりも、出来なくなって行くことが増えて行くということは、とても寂しいことだと思う。人ごとではない。

フクジュソウとセツブンソウ


2007/2/27「久しぶりのピアノコンサート」  音楽
土曜日は、Sさんご夫妻のご招待で、久しぶりにピアノコンサートに行って来た。ほんとうに、生の演奏を長い間聞いていなかったなぁ〜と、つくづく思った。子どもや私がピアノを習っていた頃は、先生の関係でコンサートのチケットを購入する機会も多かったのだが…。

コンサートの曲はモーツアルトの「ソナタK.331」という、第3楽章が「トルコ行進曲」という有名な曲とベートーベン「悲愴」「月光」の三曲がメインだった。モーツアルトのソナタは、かなりたくさんの曲をレッスンで弾いた。もちろん、この曲も半年程かかって仕上げたのを覚えている。私は、モーツアルトは大好きだが、ベートーベンやハイドンはあまり好きではなかった。

バイエルが終わるとソナチネ、ソナタと教則本は進んで行き、いろんな作曲家の作品を集めた曲集でレッスンを受けるのだが、私の場合はソナタ集の中にでて来るハイドン・ベートーベンは1-2曲やったようには覚えているが、好きになれずやる気が出なかった。春秋社版のモーツアルトの楽譜でモーツアルトの曲ばかりレッスンしてもらっていた。大人になってからの習い事なので、我が儘放題だった。

モーツアルトのソナタを弾いていた頃からは、20年ほどが過ぎてしまったが、最近ピアノはほとんどといっていいくらい弾いていない。たまにピアノの蓋を開けても長いブランクの間にすっかり弾ける曲も無くなってしまった。ピアノが非常に難しく感じ、スランプに陥ったそのころに山が楽しくなったり、新しく朗読をやりだしてそちらに気持ちが移行して、徐々にピアノの前から逃げ出していったというわけだ。へたくそな自分のピアノに嫌気がさし、おさらばしてしまった。

しかし、昨年暮れに友人でもある視覚障害者のSさんからピアノをやりたいということで相談された。点字のピアノ教則本をネットで探したり、楽器の購入など手伝っているうちに、焼けボックリに火がつくきっかけとなった。そして、独学でピアノをやり出したSさんのお手伝いをするようになってから、また蓋を開けるようになって来た。だからといって、簡単に弾ける曲はなくただたまには蓋を開けるというだけなのだが…。

土曜日のコンサートでのモーツアルトのソナタを生で聞きながら、リズムに乗って自分で弾いていた時のことをいろいろ走馬灯のように思い出し、興奮してしまった。まず思ったのは、「こんなに速く弾いてええんか???」という疑問だった。

昨日は楽譜を開いてポロリ、ポロリ…、ずっと昔にレッドポイントしたルートを、何年かのブランクののちにまた登るのと同じことで、弾ける訳は無い。一度登ったルートのホールドやムーブがかすかに思い出して、テンションだらけで登るのと良く似ている。

最近ほとんど、聞かなかったCDを探し出し、聞いてもみた。あきらかにコンサートで聞いたのとは違いゆっくり弾いている。時間が経過したことによって、また新たなことに気がついたりもする。この曲をもう一度弾いてみたいと思った。もう一度、レッドポイントだ!


2007/2/24「右の薬指」  クライミング
最近、よくNジムへ出没している。登れないのだが、少し楽しくなって来た。もともとクライミングは苦しいことのほうが多い。やっぱり、登れないということが前向きな気持ちにさせてもくれているようだ。

しかし、木曜日に行ったときに新しく出来たというオレンジ5.c+を登って中程のポケットで薬指を痛めたようだ。このルートはまた難しい。斜めに行くので、恐い。いつになったら登れるのかという感じであるが、しかし面白い。

この、ジムに通い出してからはやっぱり指への負担がけっこう大きいと思う。指先がいつも空気で膨らんだように腫れている。昨日も、オレンジを登ってみたがやっぱり薬指は痛くて保持出来なかった。帰ってからはアイシングをしたり、湿布で様子を見ている。何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」だ。

春らしい陽気になって来た。これからは、やっぱり岩場の季節だろう。先週は生憎の雨でもう10日以上岩には触れていない。明日は不動へ。小熊は2月6日以来だ。3週間近くも空いてしまった。頭の中ではムーブを絶えず反芻していたりするのだが、果たして登れるのだろうかという不安が走る。

まぁ〜、この歳になったらいつまで出来るのかはわからないのだから、欲張っても仕方がないだろう。

ぼちぼちとやったほうがよさそうだ。故障しないためにも…。

関西弁の「ぼちぼち」いい言葉やなぁ〜。


2007/2/17「久しぶりのホシダにて」  クライミング

今日は雨で不動の予定が流れてしまったので、急遽久しぶりにホシダに行って来た。ホシダは、土曜日と思えない程少なかった。11時頃着いて1本グレーを登ったが、久しぶりのホシダのホールドはやけに冷たかった。今度は、右のハングに「何でもありで登ろうかな」と言うと、Iさんに「何でもありは、ルートと違う。ちゃんと限定せいへんから上手くならへんのんや」と甘えた私の言葉に手厳しい。しかし、それは当たり前だと思う。

しかし、久しぶりのホシダは寒さで気合いは入らないが、赤のルートにOさんのヌンチャクが掛ってることをいいことに、お借りして取り付く。下部はわりと簡単だったが、だんだん難しくなり核心と思われるところの下でギブアップして下りて来てしまった。やっぱり、たまに行っても気合いが入らない。そのうち雨が降り出し、ますます寒くなり、もうまったく登る気力は萎えてしまった。やっぱり、こんな日は室内に限る。

こんな雨の日に、ハヤブサにカメラを向けている人が一人。「一日中大変ですねぇ〜」と話しかけたら「仕事だから」とおっしゃる。昨年からずっと、つがいのハヤブサの生態を写真におさめていらっしゃるプロカメラマンらしい。今の時期は、交尾の時期でそれを撮ろうとしているということだ。昨年は、蛇の襲撃にあって卵は孵らなかったらしい。ここ数年、私もハヤブサの存在は知っていたが、私たちがクライミングに興じているすぐ側で、そんな自然界のドラマがあったことはまったく知らなかった。そして、それを気長に追っていた人がまたいるというのも凄いことだと思った。しかし岩壁や人工壁をひたすらよじ登っているのも、人から見たら物好きだとしか映らないのかもしれないなぁとふと思った。


2007/2/16「喜怒哀楽」  クライミング
昨日は、午後ナカガイジムへ一人で行く。まだまだ、凄い下手だな〜と思うばかり。そんな中でも行けばトラバースの5台をまだ諦めずにやってる。青は往復落ちずに行けた。緑もピンクも行けた。次の課題は、深緑のスラッシュだがまだ最後の方が解決しない。足の位置が今ひとつ…。

思うことは、やっぱり足がおろそかになってるから登れないのだと言う当たり前のことに気がついたことだ。トラバースの時でも、先に足を出さなくてはならないのに、手ばかり取りに行こうとしてる。だから、バランスを崩してずっこけになってしまう。「何を今さら」と、自分自身でも苦笑してしまう。基本の基本ではないか。そう、こういう基本的なことが出来ていないことに昨日は気がついた。

いつも、どうして登れんのだろうかとか、どうしてホールドが保持出来ないのだろうかと悩むばかりだったが、自分の欠点はなかなか分からない。しかし、一つでもそうかと思えることがあると、また次に行ったときに欠点を意識して試してみようと前向きな気もちになれる。とにかく、緑の5c+とボルダーの水色6aで試してみよう。凹みそうな気持ちを、また奮い立たせた。

帰る前にN氏と少し話していて、人が羨むようなハイレベルな人でも気持ち的には変わらないということが分かった。いままで、才能のある人や上手い人を羨んだりしたことがあったが、苦悩があるほど前向きになれるのだと思えた。自分は自分なのだから、ありのままの自分を認めてあげなくちゃ〜。


2007/2/13「城山はポカポカ陽気」  クライミング
この三連休は、家族で城山だった。修善寺ユースで宿泊してのクライミングだった。初日と最後の日は、南壁で登り、11日はワイルドボアゴージで心の愛にチャレンジした。11日のワイルドボアゴージは8時半と割に早く着いたのにもう車はいっぱいだった。しかし、ワイルドボアは車の数ほどは混んでいなかった。南壁は土曜日は空いていたが、12日はかなり混んでいた。次から次へと登って来る。

城山は、ほんとうに春のような陽気で、梅の花が満開だった。土曜日の南壁は、とても空いていた。東京S会のメンバー5-6人がとても賑やかだったが、他はもう1パーティーと私たちだけだった。以前掲示板に書き込みをして頂いていた東京S会のKさんにお会いした。最後の日の南壁でも一緒だった。世間は狭いなぁ〜。

南壁での成果はブラウンシュガー5.11aがRP出来たこと。ヌンチャクを掛けに行ったが、最初は恐くてどうにもならず、チョンボ棒のお出ましとなった。そして、TRでムーブを探って2回。この日4回目でリードしてすぐにRPできた。このときには、不思議な程簡単に登れた。ムーブが分かればそれほど難しくないルートのようだ。最初はハングすら越えられるような気がしなかったのが登れてみたら不思議だった。

次の本命、心の愛5.11bは最初からワンテン。何回登ってもそこでテンションが掛ってしまう。もうすでに11回だ。いいかげん嫌になってしまう。城山は遠いので次ぎにいつ来られるかが分からないだけに、登れなかったのは残念だ。

3日目は、再び南壁へ。アップ後、ブラウンシュガーの右横のハートルート5.10dに取り付いたが、ここも最初のハング越えからして、パワーがいる。そして、3ピンを掛けた後の核心がとても登れそうな気がしなかった。最初は保持出来たホールドも、暖かいせいかどんどんぬめって来て持てなくなる。最後の極めつけは、斜めに走ったクラックが遠いのと終了点までがランナウトしていて、おまけに落ちたらかなり振られてしまうことになる。結論は、このルートは封印に値するということだった。

帰りの高速が混むのを予測して12時半頃に下山したが、帰りはやはり渋滞に巻き込まれてしまった。

城山は遠いので、年に1〜2回しか行くことが出来ないので、成果を出すのは難しい。なかなか限界レベルのルートは取り付いてもRP出来ないで帰ることになってしまう。今回は、ブラウンシュガーというイレブン台が1本登れただけでもまだ良かったのかもしれない。

相変わらず下手な私はもう少し近場に通って、ルートを登り込んでレベルアップをしたほうが良いのかもしれないなぁ〜。

ということは、やっぱり不動と蝙蝠でしばらくは頑張ろう。そして、忘れてならないのはナカガイジムだ。最近少し持久力が出て来たように思うが、気のせいかな? 今のところは目に見えた成果はないが、続けてみる価値はありそうだという気がしている。

不動の正面は長いので、新しい60メートルのザイルもネットで注文した。エーデルワイスアクシス10.3×60にした。最近一緒に登ってる、Kさんのザイルが軽くて滑らかなので良いなぁ〜、と思っていた。心機一転、また頑張りたいと思う。


2007/2/8「久しぶりの映画」  映画
家の近くに大型映画館が出来た。前から噂になっていて私も気になっていたが、レディースデーの水曜日がクライミングや他の用事でなかなか行けなかった。

昨日は、やっと時間が出来たので昼から行って映画を2本見て来た。「硫黄島からの手紙」と「武士の一分」で全く対照的な映画だ。

「硫黄島からの手紙」は、かなり深刻な映画だった。日本側から見た硫黄島の激戦をアメリカが描いたという何とも複雑な気持ちがする映画だったが、違和感はなく素直な気持ちで受け止められた。あんなに無益な悲惨で残酷なことが現実に起っていたことや、今もなお繰り返されていることに強い怒りを感じた。そんな状況下で繰り広げられる人間模様は、この映画では憎しみよりも家族を思う「愛」に満ちた人間らしい感情が手紙や登場人物によって表現されていて、残酷な中にもちゃんとしたメッセージが伝わっているいい映画だと思った。

戦争は何も産まない、ただの殺人である。非国民と呼ばれた人の中にこそ、本来の人間の優しさと思いやりを見た。

最初の方のシーンから登場した妻の花子への手紙を出し続けていた現代風の青年西郷に、はじめは「え〜、なんでこの時代に…、らしくないなぁ〜」と違和感を感じたが、だんだん主役の栗林陸軍中将と同等の重要な役割を担っていたことに気がついた。

もう一つの映画「武士の一分」は、今私の界隈で話題の映画で、何かにつけて批評が飛び交っている。さすがにおばさんに人気のキムタクが主人公の映画だなぁ〜、と感心する。しかし、私にはキムタクの人気がいまいち理解出来ない。好きも嫌いもなく、どうと言うことのない存在かな?!。こんなことを書くと世の女性達に嫌われそうだが、おばさまの王子様であるヨン様も私には同じ。テレビであの魅力的な笑顔を見ても、大騒ぎのおばさん達を冷めた目で見てしまっている。

原作者の藤沢周平の本は最近朗読の機会が多いので、あまり好きでなかった時代物にもだんだん違和感が無くなって来ていた。

感想は、奥さん役のかよさんの演技がとても良かったと思う。脇役や監督に助けられた映画という感がする。キムタクは、視覚障害者の目を意識しすぎたのか、頑に目を動かさなかったのが気になる。

「硫黄島からの手紙」の後だけに、何だか気持ちが和らぎ、見て良かったと思った。


2007/2/7「小熊ちゃん少し微笑む」  クライミング
昨日はS労山のKさんとKIさんに仲間に入れて頂き、不動へ行って来た。今キーボドを叩く指先が痛い。ゴミを捨てに外に出たら、「今日ゴミの日と違いまっせ〜」と管理人さん。そうや今日は水曜日やった。「最近、ぼけてますねん!」と軽く交して帰ってきたが、だいぶ疲れが出て来ているようだ。

昨日は、毎回1回しかまともに終了まで行けていなかった小熊が昨日は3回も終了まで行けてしまった。相変わらず、テンションだらけでRPはまだまだ遠いことなのだが、自分でも不思議だった。先週の日曜日も2回目はあえなくハングの下で力尽きてしまっていた。なんだかツキノワグマがやっとコグマになったような感じだ。この調子で登り込んで、今度はぬいぐるみの熊のように感じるようになれば嬉しいのだが、まだまだ「恐い!恐い!」を連発しての登りだった。なのになぜに登りたがるのか? 

昨日の不動は、平日なのに4組11人も正面壁に来ていた。日曜日は私たち5人だけだったのに何だか不思議だった。


2007/2/5「てこずる小熊」  クライミング
今朝は車のフロントガラスが凍てついていたのに、昼頃からポカポカ陽気となった。なんだか変だなぁ〜。

土曜日は、ナカガイジムヘ午後から一人で行った。一人だと何となく気後れがしてしまう。だが、しばらくしたら同年齢の女性のFさんとNさんが来られたのでホッとした。お陰で和気藹々と楽しく登ることが出来た。やっぱり、ひとりで黙々と登っているのはつまらないものだ。二人とも、けっこう上手いので聞いてみたら、前からOCSでボルダーをやっていたということだ。

日曜日は、やっぱり不動だった。意外なことにこの日の不動はガラガラだった。正面壁は私たち5人だけで貸し切り状態だった。隣の東壁でアイトレをしていたP会のKさんが、「昨日の土曜日は凄い人だった」といっていたが、みんなはどこへ行ったのだろうと不思議だった。最初は、イエスタディの限定なしで登り、次にミート&ポテト。これは、あんなに手こずっていたのが嘘のように楽になった。そしてリトルボーイを登ったが、これもワンテンで行けた。ムーブを思い出したら、それほど難しく感じなかった。

この3本をアップ後に小熊物語に取り付いたが、腕が張っていたのかハングが乗っ越せなかった。最近、アップはたくさんした方が良いという説を良く聞くが、私の場合はやっぱりダメだったようだ。その後は、お昼を取りながら2時間半程休憩した。それでやっと回復したのか、次は終了まで行けた。やれやれだ。まだ各駅停車でテンションだらけだ。下りて来たときに「息継ぎがうまくできない」といったら、一緒に行ったHに、「それじゃまるで、水泳みたいですね」といわれた。クライミングで必死に登っている時は、呼吸を止めているのだろうか? そんなはずはないのだが、ハングから上はヌンチャクを掛けると苦しくて「テンション」と叫んでしまう。レストがどうもうまく行っていないようだ。

しかし、どんなルートでもレストがうまく行ったときにRPは出来る。ということは、まだだいぶかかるということなのだろう。もうすでに10回以上登っているのだから、このグレードだったらまだかかっても当たり前だろう。ここの下部のスラブはぬめりそうなので、温かくなる前に登りたいものだ。

最後に、TRのかかっていたリトルボーイを回収がてら登って終わりとした。もう腕は張って落ちそうだった。

不動岩の写真

http://homepage.mac.com/iku_tsuku/2007/PhotoAlbum49.html


2007/2/2「何もしない日」  生活
昨日はNジムへ久しぶりに行って来た。その間は不動へ行っていたから、クライミングをしていなかったという訳ではないのだが…。Nジムでは相変わらず登れない。登れないと、よけいに行きたくなくなる。やっぱり、このジムは敷居が高いのかと思ったり、ボルダーはやはり若者のものかとも思ったりする。クライミングは、登れてなんぼというものだ。やっぱり登れないというのは悲しいし、惨めな気持ちも少しする。不動の小熊物語は目に見えた進歩はなく相変わらずの調子だが、今のところ楽しい。それは、少しずつムーブが繋がっているという実感があるからだと思う。自分がほんの少しでも進歩してるという実感が持てるのは嬉しいこと。しかしNジムは、しばらく遠ざかっただけで、またホールドの保持すら出来なくなっていたりする。Nジムへいくということはトレーニングとして課して行こうと決心したが、これはかなり強い意思を持たないと難しいかなとも思い始めている。

そんな気持ちが反映してるのか、今日は久しぶりに何もしない日だった。たまにはこんな一日もいいものだ。何もしない日も生きているのだから、全く何もしないということはない。実家の近所の、ご亭主を亡くされて最近一人暮らしになった遠縁のおばさんを午後から尋ね、ひとしきり昔話をしたりして過ごした。私と同じ歳だった一人息子を20年程前に剣岳で亡くされてもいる。その直後から私が山に行き出したのも、何か不思議な気もして来る。

取り寄せた老人ホームのパンフレットを見せながら、内にある老いの不安を出さず次の生活にまた夢を託していろいろ話されている姿を見ていると、逞しい人だなぁ〜と改めて思った。


2007/1/30「不動岩にて」  クライミング
目の前に御馳走が並ぶと、自制心のない私は「もったいない」といいながら、きれいに平らげてしまう。日曜日は法事で、昨日は友人との会食だった。ダイエットのことは、頭の片隅に残映として残っているのだが、お付き合いも大事である。こういうときに、強い意思を発揮して食べ残す人を、私は信じられない。少し後ろめたい気持ちはあるが、次の食事を減らせば良いと思ってしまう。要するに意思が弱いという部類に入るのだ。どの程度意思が強いか(弱いか)はそれぞれいろいろだが、大方の人はそんなものだろうと居直ってもいる。そして意思の弱い自分を、少し責め軌道修正する。凡人とはこんなものだろう。

土曜日は、また不動だった。正面壁の正面はイレブン台が中心のロングルートだが、左に簡単なルートが3本並んでいる。日本百岩場を見るとミュージックフェイスという名前が付いていて、正面壁と別れている。いままで、不動はほとんどトポを見ないで登っていたが、今回改めて見てみるといろいろ勘違いをしていたことに気がついた。

そのひとつは、リトルボーイの下部はこのミュージックフェイスのイエスタデイの右横を登っていたが、ほんとうは今登っている小熊物語の下部と同じところになっていた。この下部はイエスタデイの横から登るのに比べたら相当簡単だ。ということはルートとしては上部のみが本来のルートなのだと気がついた。リトルボーイを登っている人を見ていたら、このイエスタデイの下部をちゃんと限定している人をときどき見かけるが、その場合はグレード的には上がるということだろう。

何を今更…ということなのだが、先週の土曜日にこのイエスタデイを初めて限定で登れた。最初に不動に来た頃難しそうに登っている人を見て、これは私には無理だなぁ〜と思ってほっておいたのだった。その後にリトルボーイの下部でこのルートのボルトを使って登っていたが、正式な限定ではまだ登っていなかった。しかし、一緒に行った、SさんとMさんのアップがこのルートだったのでその後に登った。何度も、ここに来ていて初めてのことだった。だいたい不動と言えば正面壁で、このミュージックフェイス辺りは岩も脆く、登っている人は少ないのだが…。

そして次は右端のミート&ポテト10aだが、これもやっとワンテン地獄から抜け出ることが出来てRP出来た。このルートは10aだが、私はとても苦手で嫌いなルートだった。これは言い訳で、実力はこの辺りなのかもしれない。思わず、嬉しくなって「RPです」と終了点にザイルを掛け降りながら言ってしまったところ、皆様の祝福の声。何だか気恥ずかしく、気持ちは複雑だったが嬉しかった。10aにこんなにかかっていて小熊に取り付いているのは、分不相応なことをしているのだろうかという思いが、ふと頭をかすめたのだった。

その気持ちを引きずっていたのか、小熊に取り付いたらまたハングが越せない。何度もチャレンジしても、ますますお尻が下がって行くばかり。諦めて下りて来た。それからは、しばらく休憩して帰る間際にもう一度登ってみた。今度は、ハングを越えられて終了まで何とか行ってこられた。しかし、ハングからが各駅停車だというのは相変わらず変わらない。

回収して下りて来たら、ビレーをして下さっていたKさんが「こんどは女の意地でいくさんも終了まで行けたね」と喜んで下さった。じつはこの日も女性が多くて頑張っているので、「女の意地」という言葉が飛び交っていた。私は飛び入りで仲間に入れてもらっていたのだが、同世代の女性が頑張っているのを見ていると、やっぱり私も励みになり頑張ってしまうところがある。それがあるから、私は無理にお願いして仲間に入れてもらっているのだ。意思の弱い私としては、女性が頑張っていると「私も頑張らんとあかんなぁ〜」と思え発破をかけてもらっているようなものだ。しかしこれは「女の意地」というのとはちょっと違うような気がする。

この言葉の意味は、女同士は意地の張り合いをするという前提のようなものが言葉に含まれていたりして、あまりいい感じはしない。ぼんやりとそんなことを思っていて、帰ってから「意地」という言葉を辞書で引いてみると、やっぱり「一度やろうと思ったことを、無理にでもやりとうそうという気持ち」で「意地が悪い」とか「意地が汚い」「意地悪」と良い意味では使われていないようだ。多分男性陣から嫌み半分込められて「女の意地」とでも使われるのだろうか? あまり誉められた言葉ではないようだ。

柳沢厚生労働相の発言をした「女性は産む機械」が今問題になっている。言葉というのは、なにげなく使っているのだが、含まれる意味で立場によって感じ方が違うというので気をつけなくてはならないと思った。


2007/1/24「連ちゃんクライミング」  クライミング
昨日の火曜日は、ナカガイクライミングジム(Nジム)へ行って来た。一人だった。孤独になれていない私は、一人だと寂しい。

お薦めの黒の6bをNさんのビレーで登ったが、核心で手も足も出なかった。悲しかった。まぁ〜、クライミングとは「登れないから登る」というものなので、へこたれずまた登ってみたい。

やっぱり、一人で行くとリード壁は登れないのでボルダーになるが、これもなかなか難しい。それでお気軽に取り付けるトラバース壁の緑や青やピンクあたり(いずれも5台)で遊ぶ。これも何回かやるともう腕がパンプして来て、ますますダメになる。しょうがないので、最後はいろんなホールドを触りまくって何でもありで登って3時間程で帰った。

Nジムにいって感じるのは、ホールドが面白いということ。このトラバースの壁でも、最初はつるつる滑って持てなかったホールドも、ちょっとした工夫で持てたりすると、ささやかな喜びとなる。今はまだ、ルートを登るというよりは、珍しいホールドに遊んでもらってるといった感じだ。取り敢えずは、こんな調子で無理せず空いている時間に出来るだけ行くようにしたい。

 

そして今日はS労山のトレトレKさん、ガッツさんたちの仲間に入れてもらって、Sさんと不動へ。

最初はミート&ポテトを登った。やはり左足を上げすぎて、ハングが越えられずワンテン。情けない、10aなのに…。下りたら前日の名残か、腕がだるく感じる。

そしてメインの小熊は、前回よりは少しましかなとは思うがまだまだ。ハングから上は各駅停車で抜ける。ホールドがしっくり手になじまず抜けてしまう。ただ下部のスラブは緊張はするがだいぶなじんで来た。

その後遅い昼食をとっていたら、事故の知らせ。シアターへのアプローチで女性が滑落して怪我をしたらしい。救助の依頼をしたというので、私は登山口へ下りていったら、もう救助隊が登って来ていた。ヘリでの救出になるということなので、もうその後は顛末を見ているのみ。1時間半程で救出劇は終わったが、もう私のクライミングへの気持ちは萎えてしまった。5.8のルートでクールダウンをして下山。何となく燃焼しきれなかったが仕方がないだろう。しかし、みなさんのお陰でクライミングは楽しかった。


2007/1/22「ダイエットの難しさ」  生活
先日から、我が家の常備食である納豆が行きつけの生協から全く消えてしまっていた。お正月明けぐらいから出会う友人は、ことごとく「納豆ダイエット」の話題である。今までテレビ他の情報でいろいろ試して来て、ダイエットに失敗してばかりだった私は、納豆ダイエットの話題に相づちを打ちながらも、「納豆位で痩せたら世話ないわ!」と内心否定的だった。この番組の影響は凄いものだと、改めて思っていたところ、昨日の朝刊で一面に捏造報道されていた。「やっぱしなぁ〜」と思う反面、いままでさんざんダイエット情報に踊らされていた自分を反省した。

一番嵌ったの、寒天ダイエットだった。かれこれ一年程食事前に食べていたが、痩せたのは最初だけで、そのうちに嫌になってしまった。あと、春雨ヌードルもあったが、これも味と感触が飽きてしまい、春雨はもう食べたくない。

実はダイエットについてはこれが最後と決めながら、今年に入ってから恥ずかしながら密かにまだ悪あがきをしていた。懲りない人である。

それは年末年始の修善寺ユースでの御馳走で、体重は増加気味だったからだ。それでまた、ネットで気になっていた、「ダイエット食品年間第一位」とか「9日間で4キロ減」「だめなら全額お返しします」というキャッチコピーに踊らされて「豆乳クッキー」をネットで購入して実験開始をしていた。

このダイエットの趣旨は、3食のうち1食をこのクッキーに置き換えることによって一日の摂取カロリーを1200カロリーに抑えるということだった。「なぁ〜んだ、結局食べないということやんか〜」と当たり前のことにがっかりした。しかし、このクッキーは十分な満腹感と美味しさがあるために、夕食に置き換えても飽きないということなので、とりあえず9日間は一日の摂取カロリーを1200カロリー前後になるようにし、食べたものをちゃんと記録して毎日朝と夕食前に体重を測って記録もつけた。

カロリーは気にし出すと、何か食べるたびに「これ何カロリーかなと?」と考えるようになり、私には食べられないことに対してストレスを感じるようになっていった。クッキーの味は最初美味しいのだが、これも最後の方では「なんで、晩ご飯にこんなものや〜」と不満が出て来る。

それで問題の結果だが、9日目には1.5キロ程は数字上減っていたが、次の日まともな夕食を食べたとたんに元に戻ってしまった。昨日の不動の帰りに外食をしたのが2回目のまともな夕食だったが、これでしっかり元の木阿弥となってしまった。

結論は、ダイエットはダイエット食品で痩せるということはあり得ないということだった。カロリーの摂取量を抑え、今以上の有酸素運動をするしかない。それでも、かなり長い時間がかかるということだろう。簡単に出来ることは何事もないことを学んだ。また、いくら食べても太らないという人が羨ましいとつくづく思った。もう、ダイエット食品にはだまされないぞ〜。


007/1/18「悪あがきかな?」  雑感
昨日は、ライフワークのひとつである朗読で図書館へ行ってから、NジムへSさんと行って来た。月会員の申し込みもした。これで、ちょっとした時間の空きに、気軽に行くことが出来る。頑張るぞ〜。しかしほんとうに、上手くなるのだろうか? クライミングを始めたばかりだったら目に見えるように上手くなるかもしれないと期待してしまうだろうが、そんな上手い話しはないことも内心知っている。

ダイエット食品もしかりだと思うし、世の中そんなに簡単に効果があることなどあるはずはない。しかし、「私は◯◯日で◯◯キロ痩せる」とか言うような考えられない数字が羅列してある程、「こんなん、あり得へん」とおもう反面「もしかしたら…」と思ってしまい実験してみたくなることがある。

だが、特別な黄色い財布を購入すれば金持ちになるとか、風水の絵を部屋に掛ければ運が舞い込んで来るというようなたぐいもチラシなど入っていると「嘘ばっかり〜」と思いながらも隅から隅まで読んでいたりする。だがこういう他力本願だけのものは、現実的にはあり得ないと私は思っているので購入するまでには至らない。ダイエット食品も、健康食品なども自分でその根拠がある程度納得出来ないと、もちろん試したりはしない。

子どもの頃、この世にはない世界(あの世とか4次元)を思いめぐらしたり、本を読んでその世界に自分を登場(もちろんヒロインで)させたりして空想の世界で遊ぶ変な癖があったようだ。この現実の私は仮の姿、ほんとうは…、なんてよく考えていたような気がする。

しかし長い間生きて行く(大人になる)につれて、だんだん夢見る乙女は現実おばさんになり「そんなん、あり得ない」と自覚するようになった。それは挫折を味わうごとに己を知ったりして、現実に引き戻されていったようだ。だが、まだ大人になりきれないのか、現実が見えきっていないのか、その辺はよくわからないが悪あがきをしてしまうこともよくある。

その悪あがきが、今年に入ってからは9食分食べれば4キロ痩せるというクッキーだったり、Nジムの月会員だったりする。この成果はまだこれからだ。まぁ〜、世間や自分が分かりかけて来たこの歳になって来ると、凄い成果を期待している訳ではないのだが、まだ諦めきれない自分がいる。そして、そんな自分が、少し恥ずかしいと思ったりもする。

こういう悪あがきをいつまでも出来るのは、自分に取っては幸せなことなのかもしれない。新年そうそう、夢見るおばさんである。


2007/1/15「フリー三昧の年の初め」  クライミング
新年になって約半月が過ぎ、松の内も今日で明けた。この間9日のフリークライミングは、いくら何でもやりすぎだと我ながら思う。これでは上手くなるより疲れ果てるではないか…。まさに「老体に鞭を打ち続け」状態だ。と思いきや、岩場のどこででもお会いするP会のメンバーの元気には負けてしまう。アイゼントレーニングを土日2日も連続で早朝から頑張っていた。土曜日に私たちが正面壁に着いたときには、ひと登りしたSさんたちがアイゼンをガシャガシャ鳴らして下りてこられたので、「何時から来てるんですか?」と聞いてみたら「今日は8時半やった」とおっしゃる。そして、私が帰るときには、正面の壁を今度はフリーでまだ登っていらっしゃった。人数もたくさんで、とても活発な会だと感心するが、特にSさんを私はひそかに「かいぶつ君」と呼んでいる。そうそうもう一人忘れてはいけない、ホシダのTさんも「かいぶつ君」だ。

私はといえば、やっぱり疲れが出て来ているようだ。不動では、小熊にチャレンジしているがやっと3回目にして、ハングを越えられた。しかし、完登は出来なかった。日曜日の最後の4回目はもう疲れ果てていたのかハング越えすら出来ない状態だ。不動は、今まであまり好きではなかった岩場の一つだった。

それは、アプローチが急登だというのと、相棒は正面に行きたがるのだが私には敷居が高かったからだ。何年か前に、相棒たちがたいこを登っていたときに、やっとリトルボーイ10cがRP出来た。それは2003年12月だった。そのあと、「たいこ」をTRで何度も挑戦したが、全く歯が立たなかった。その後は、登れないのがつまらないので、どうしても烏帽子の方に気持ちが傾いてしまっていたようだ。いまだにたいこは触る気がしない。今回は、ちょうど相棒もまだ登れていない「小熊」なので一緒にトライ出来た。登りたいルートが同じ岩場にないと、フリーは楽しくないものだ。それでも、少しずつムーブも出来て来て楽しくなって来た。しかし、ハングでけっこうパワーを使うせいか、何度も登れない。持久力が必要だと思った。それより、疲れ過ぎかも…。


2007/1/12「Nクライミングジム」  クライミング
水、木曜日と連日Nクライミングジムへ行って来た。最初から、なんでこんなに登れないのかと思うばかり。私のへぼさ加減を思い知らされる。しかし、事実なのだから仕方がないのだが…。それでも、「登っていれば上達への道」「知らない間に岩でも登れているようになる」とN氏がおっしゃるが、この言葉は営業用かと半信半疑で聞いている。2日間で唯一登れたのは5台のみ。6aにもチャレンジしたが、ダメだった。いまのところ、5台はトラバースに3本程とリード壁に2本のみ。このフランス式のグレードは私には全く実感がないのだが、グレードは対比してもしかたがないだろう。

今までのホシダとかパンプとはホールドの感触まで違う感じがする。一番の違いはガバが少ないこと。ホシダでは指のつけ根の当たりにマメが出来て痛かったのだが、ここでは、指の第二関節まで、2日目ではヒリヒリしていた。6aを登ってみたら、凄くバランスが悪い。というよりは、バランスが悪くてムーブが起こせない。「なんと、へんなバランスの悪いルートや」と登りながら苦戦していると、N氏から「反対の方を見ていて、反対の方へ動いている」と何度も指摘して下さる。生まれつき、バランス感覚が悪いのは承知しているが、こんなにも長い間やって来ているのにまだ治っていないのかと、少し自己嫌悪に陥った。それでも、時間を忘れて楽しく登ってきた。

次の日の夜も行ってみた。N氏が「新しいルートを作ってあるから」と顔を見たとたんにおっしゃって下さる。トラバースの後、そのルートを登ってみる。途中までで挫折。しかし、何回かのトライで一手づつ延びる。簡単に登ってしまう人を尻目に、少し悲しい気持ちがした。ちなみにグレードは6a。やっぱり、動きが反対だとN氏に指摘された。「言われる意味が、良く理解出来ない」と言ったら、その場で「大サービスや」と言いながら実技講習をして下さった。教わってみて、自分がどんな動きをしているのかが少し分かった気がする。やっぱり、自己流でやっているのは効率が悪かったのだろうか。備中で何年か前にお会いしたときには、近寄りがたい人というイメージを自分で作り上げていたN氏が、こんなにも気さくな方だというのにも驚いている。

長いおつきあいのホシダとしばらく離れるのは寂しいが、「へぼからの脱却へ」もがきにしばらくNクライミングジムに通ってみようかなと思っている。上手くなりたいものだ…。


2007/1/8「週末クライミング事情」  クライミング
日本列島は、この連休寒波に見舞われ、7日の日曜日は朝のうちこちらでも雪が舞った。ホシダに予定していたが、そんな訳でぐずぐずしていたために、昼過ぎになってしまった。それでも、近くの高校のクラブと常連たちで賑わっていた。

ピトン小屋には恒例の年間ベストテンが貼り出されていた。最高の1位は昨年と同じKさん、約250日だそうだ。それでも、昨年より少ないという。週1日と年末年始のホシダの定休に、講習の日やコンペの日など使えないので、天気のいい日はほぼ毎日という程登っていたことになる。定年退職後、クライミングを始めた人なので、なおさら凄いことだと尊敬してしまう。

ちなみに、私は通算55日で7位に入っていた。統計を取るようになってからは、一応ベストテンには入ってる。年末は、肘を痛めていたせいかホシダのハングが辛くて登れなかったが、この日は意外と体が軽く感じて年末よりましだった。大したことはないのだが、少し嬉しい。

そして、今日は一年半振りに不動へ。お祭りのように顔なじみの人たちで賑わっていた。そんななかで、小熊にトライした。しかしハング越えが出来ず、下りて来てしまった。でも、何とかなりそうな気がする。ここは、暖かいので蝙蝠に行けない時は不動にして、また登ってみたいと思った。

帰りは新しく出来た「ナカガイクライミングジム」に寄った。昨年遅れに出来たジムでリード壁もあり、また家から車で30分ほどで行けるので嬉しい。会員登録をしてきた。

ここのコンセプトは「岩場で上達出来るようにルート設定されたジム」ということなので、期待してしまう。 


007/1/6「初詣」  生活
三連休だというのに、雨。今日は京都の石清水八幡宮へ家から歩いて初詣に行って来た。八幡さんは子どもの頃からなじんでいる歴史のある神社である。私は子どもの頃から「はちまんさん」と言っているが、知り合いに「やわたさん」という人が結構多い。それは地名が「八幡市」(やわたし)と言い、京阪電車の駅名も同じであるところから来ているようだ。「やわたさんにお参りして来た」なんて聞くと、「え〜っ、やめて〜」と言いたくなる。

石清水八幡宮のある山は鳩ヶ峰(142.5m)という立派な三角点があり、ずいぶん前にピークを踏んだことがある。そういえばうっかりしていたが、男山という名前もあった。これで同じ山なのに「男山」「鳩ヶ峰」「八幡山」と三つ名前があるという訳だ。なんと、ややこしいこと。

漢字の読み方の違いは他の山にもある。『金峰山」は「きんぷさん」と「きんぽうさん」のどちらが正しいのだろうか。「白馬」の「しろうま」と「はくば」もそうである。「穂高」は「ほだか」なのか「ほたか」なのか…。(どちらでも聞いたことがある)こういうのも調べると沢山あるだろうと思う。

話しはそれてしまったが、家から片道1時間程歩くと裏側から登れて、竹やぶの中を歩く散歩コースになっている。八幡は昔からタケノコは山城タケノコとして有名だったし、エジソンが八幡の竹で作ったフィラメントで電球を発明したことは、小学生の時から耳にタコができるぐらい学校で聞かされていた。何よりも、子どもの時から食べていたタケノコはとても美味しかった。今は竹やぶも住宅地にだいぶ変わってしまった。もちろん、我が家にあった竹やぶはとっくになくなってしまってる。たまに実家の近所から戴くが、今では貴重品となっている。そして、どこのよりも美味しいと思ってしまう。

竹やぶを抜けて、はちまんさんに着くと、土曜日のせいか人が結構いた。神社は今改修中だった。おみくじを引いてみたら「凶」でがっかり。しかし、お賽銭を奮発してしっかりお祈りしておいたから大丈夫だと思う。この凶は、神社の策略かもしれない。意外とみんな凶だったのかもしれないなぁ〜と思ってしまった。

やっと、お正月らしい過ごし方をした一日だった。

  


2007/1/5「新年を迎えて」  雑感
年度別の山行日数を集計してみた。昨年2006年も、気持ち的にはかなり山に行けたしクライミングに向かえたと思う。しかし、数字的には2005年から見たら10日程少ない。2004年をピークに減少傾向にある。126日を多いと見るか少ないと見るかは私には判断出来ないが、日常忙しい割には一年を通じて充実して過ごせたことには違いない。

フリークライミングについては、自分にとっての高グレードに挑戦するようになって来てからは、なかなか登れないというジレンマに陥っている。今までの日数と同じでは、進歩もあまりしないように思う。維持するのが精一杯という感じだ。登り続けるのは、難しいことだ。

しかし、ハイキングや縦走など山を楽しむことは、多少の体力低下はあっても、自分の歩ける速度で歩けばいいので特に問題はない。ここ数年、週末はフリークライミングという習慣が出来てしまっている。今年は、もっと山に行ければいいなぁ〜、と思う。それも、お花の一番美しいときに行きたいものだ。山への欲望は限りがない。今年は、長年の念願である「北海道の山」と「屋久島の山」にぜひ行きたいと思う。まだ山は私を飽きさせない。

クライミングと山を天秤に掛けることは難しいが、山は私の活性剤であることには間違いないようだ。クライミングは岩(46日)と人工壁(58日)と併せて104日なのに、山は21日ととても少ない。岩場は山の中にあるので、まだその分救われる。人工壁もホシダ園地がほとんどなのでこれも自然の中だといえる。

私は、クライミングジムにはほとんど行かない。それはがむしゃらに登ることにだけ集中するのが、私には向いていないからだ。

フリークライミングの上達を思えば、私のようなやり方では難しいと思う。フリーで上手くなっている人は、ただひたすら登ることに集中しているようだ。極論を言えば、グレードを上げるにはフリー一筋になることだ。

しかし、私の意識は山の方に天秤は傾いているようだ。と言いながらも、クライミングも上手くなりたいものだが。何という欲張りなことか!

「二頭を追うものは、一頭をも得ず」ということに、今年もなりそうだ。しかし、そろそろ自分の限界も近いので、出来ることをやりたいように楽しんだ方が良さそうだ。

今年も、大いに楽しもう!!


2007/1/4「新年は城山で」  クライミング
30日から3日まで、恒例の城山で登って来た。連続5日間のクライミングは自分では本数を少なくしたりしてセーブしていたつもりだが、疲れていたのか成果は出なかった。やっぱり、相変わらず下手だなぁ〜、と思った城山だった。しかし、いつもの修善寺のユースではごちそう攻めで、いいお正月を過ごせた。

城山のお正月はこれで4年目だが、今回は一番空いていたようだ。初日の30日はクッキングワールドで貸し切り。あとはずっとワイルドボアゴージだったが、やはり空いていた。どうしてだろう。

果たして、来年も行けるだろうか?