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2006/2/27「ちょっとやりすぎ」  クライミング
先週は木曜日ホシダ、土曜日は烏帽子。そして日曜日は雨だとホシダの予定だった。が大雨と風で、さすがのホシダも壁が濡れているということなので、急遽久しぶりのパンプに行って来た。今日は、掌が豆だらけで腕は軽い筋肉痛になっている。土曜日の烏帽子で一緒だった人がまたパンプで数名出会った。みんな好きだなぁ〜と、自分のことは棚に上げて感心した。クライミングをしていて嬉しいのは、人の輪も広がることだ。岩場にしてもジムにしてもクライマーの集まるところは特殊で限られているので、どうしても顔見知りになる。

人と競う気は全くないのだが、同世代の女性の頑張りはまた私の励みにもなる。いつも思うのだが、中高年女性で平日クライミングや山の仲間の輪が広がるといいなぁ〜と、ときどき思う。

私の所属山岳会の若い女性が最近フリーに嵌って来ていて、あっという間にレベルアップ。私がチンタラとやって来て十年近く掛かったグレードを一年や半年でクリアしてしまう。若いというのは、凄いことだと思う。私の若い頃には、仕事に追われ結婚して子供が生まれ育児にも追われ、片手間の趣味を楽しむぐらいで、自分の遊びにだけ打ち込む余裕は気持ち的にも時間的にも無かっなぁ〜。というよりは、山よりは都会派だったのかな。

最近は、経済的にも自立している独身の女性が増えて来ている。そういう女性が今時珍しく、たくさん私の所属山岳会にいる。世間の山岳会からすれば不思議な現象に見えるだろうし、羨ましい限りだろう。私が入会して十年の間に、入れ替わり立ち替わり若い女性や男性が入会して来た。周りは中高年山岳会ばかりなのに、いまどき希少価値のある山岳会だ。そして一時期フリーを一緒にしたり山に行っても、いつの間にか辞めてしまっていたりする。

その点、顔見知りのクライマーはみんな長い間続けている人がほとんどだ。ホシダに行き始めた頃に、もうすでにベテランだった人でまだ続けている人もいる。そういう人は、中高年が多い気がする。土曜日の烏帽子で一緒だったSさんもその一人だ。偶然岩場で出会った、M夫妻もそうだ。久しぶりたが、その頃と全く変わりなくクライミングに興じている。

長い間、クライミングを続けている人を見ていると、マイペースだということに気がついた。自分なりの楽しみ方をしていて、のんびりとやっているようにも見えるゆとりが感じられる。しかし、ただのんびり時間つぶしというのも不満が出てくるだろう。そんななかにも、ちょっぴり秘めたる闘志がもて、切磋琢磨が出来、お互い励まし喜び合える…。茶飲み友達的クライミング仲間のようだが、それだけでは終わらない仲間が欲しいと思う。個人的にはそういう女性の同世代の仲間もいるのだが…。

そういえば、ホシダの平日のシルバー隊(勝手に私が呼んでいる)もそんな雰囲気だなぁ〜。こうして書いているうちに、長い間クライミングをしているといろんな輪が出来ていることに気がついて来た。


2006/2/23「物好きなひとたち」  クライミング
3日間のメンテでホシダは使用出来なかった。今日は終わったので、登りに行って来た。どんよりとした天気で、まだ寒かった。いつもの通りの風景とひとたち。ハイカーはほとんどいなくて静かなホシダだった。ハヤブサに望遠鏡のようなレンズを向けている人たちも相変わらずだった。ハヤブサは今日は派手な動きは無かった。それでもレンズを覗いている人たちに「物好きやねぇ〜、音楽を聞きながらとか、お菓子を食べながらやったらジッとしてられるかもしれないけれど、私には真似出来へんわ〜。」とM女史がいう。『あちらから見たら、一日こんなところ登ったり降りたりも、物好きに見えるかもしれへんねぇ〜」と続けておっしゃる。私は、うなずいた。

もうホシダに通って8年年目に入っている。今日やっとムーブが繋がって次ぐらいには登れるかなと思ったルートは5.10bc。「これでももう少しレベルの高いところを、RP出来たルートもあるんやで〜」と見栄を張って言いたくなるが、言葉を飲み込む。言い訳にしか過ぎない。自分の実力は、と聞かれたらこんなところだ。

今日も、ホシダのルートは難しいという話が出たが、私も登れないとよくそういう風に言ったりする。しかし、どんなところでも久しぶりに行くと登れない。実力以上のところは難しい。ただそれだけのこと。岩場でも、トライ回数を多くして高いグレード(自分にとっては)のRPをしているだけ。集中してそのルートを登り込んでいるので登れるだけ。

ホシダは、壁が長いので持久力が必要なのはその分はちょっと難しいと感じる要因になるかもしれないとは思うが…。

いろいろ、ぐだぐだ思っているとほんとうにこんなに下手で8年もやってるのは、「やっぱり物好きやん!」と思った。

ハヤブサに毎日カメラを向けてじっとしている人も、壁を登っている人も好きで楽しいから物好きになれるのだ。「物好き」になれるのはいいことだ。


2006/2/22「人間は弱くなっているのか?」  生活
最近、殺人事件の報道が多い。気になるのは子どもが標的になってしまうことが多いのは、私にはショックなできごとだ。それは大人同士のトラブルはいささかでも両方に原因があると思える節があるが、子どもはどんな状況でも保護されるべき存在として私の中にはあるからだ。

特に最近起った、京都の宇治の塾での事件と滋賀県長浜での幼稚園児の事件は比較的近くで起った事件ということもあり、私の中にも重苦しく残っている。女の子が犠牲になるのは、性的な欲望が事件を引き起こすことが多く、それも女性の立場では絶対に許しがたいことではある。しかし前者の最近の子供の殺害は、人の心の闇の部分が起こしている。その原因は私には計り知れない部分があるのでこの場では、言及しないでおく。

社会がストレスだらけの時代。とうとう人間も狂いだしたのだろうか。私自身、数年前に自分の心の闇に気づかず、自分をせめてばかりいた時期があった。自分では全く気づいていなかったのだから、医者にも行っていない。ただ、人と会うこともいやで、何も手に付かず人が発する言葉は自分を責めているとしか思えなかったようだ。そして、そういうことになるのは自分の中に何か原因があるのではと自分で自分を責めたりもしていた。頭の中は、そのことがグルグル巡り「何でや! 何でや!」と思いながらも他のことは考えられず、何もかも手に付かず暗いトンネルの闇を抜けられずにいる感じだった。

今まで人に愚痴や悪口を言わないタイプだと自分でも思っていたし、また言ってしまったとしても、そんな自分に自己嫌悪していた。そのときには、信頼出来る友人に電話しては愚痴や悪口を言っていた気がする。考えれば考える程、闇は深く暗くなって行くようで、自分で自分がコントロール出来なくなっていたようだ。このころの私が、果たして病気であったか否かは、診察を受けていない私には判断は出来ない。時期的に見れば、更年期のころだった。私が、そのトンネルを抜け出てから、同世代の有名な歌手がテレビのトーク番組で自分が更年期障害になっていたと話していた内容が、私に比べるとかなり重症だったようだが、私の体験とそっくりである。更年期障害でホルモンのバランスが崩れていたのかともそのときにやっとに思った。

私の場合は、この愚痴をいやがらずに「わかるワ〜、わかるワ〜」と相槌を打ちながら長時間ただ聞いてくれていた人が周りにいて抜け出せたようだ。かなり、迷惑を掛けていたと今では思うし、ありがたくも思っている。

人は複雑な動物だとつくづく思った。人は何でもないことに傷ついたり、喜んだり悲しんだりする。人を攻撃することは、傷つく人もいるということだ。そんな人を、弱い人間と片付けるのは簡単だ。しかし、そんなに簡単に人間を弱い強いの選別で片付けて、いいのだろうか。

ますますこれからも競争社会になっていき、「精神的に強い人だけが生き残れる社会」というのはしかたが無いことなのだろうか。

それにしても、より弱い人間が被害を受けて行くのは、悲しいことだ。

 

NHKの番組から(ネット検索で)

http://www.nhk.or.jp/fukushi/utsu/file/18.html

更年期障害 http://www.nagara.com/women/climact.html


2006/2/20「烏帽子岩」  クライミング
日曜日、烏帽子岩へクライミング。意外と暖かだった。タイムトンネルロング5.10a久しぶりに登った。ここは60メートルザイルが必要だ。最後まで登ると高度感があって楽しい。あと意地悪オヨネ10bに久しぶりに取り付く。このルートは限定がある。そしておじいちゃんのどたどた落ち11aRPして以来、初めて取り付いた。久しぶりなので、ムーブを忘れていて迷い2回テンションをかけてしまったが、ムーブ的には楽になっていた。そして太陽がいっぱい9、タイムトンネルショート10aをもう一度登った。

その間ジャスティスにもトップロープが掛かっていたので何度かトライしたが、まだ核心のムーブが決められない。やっぱりここは封印かな。しかし何度目の封印だろう。もう一本北山=林11cルートも登れない。ここは剥がれると指先が痛い。ここも封印かな?

こんな、ルートがあちこちにある。ルートは苦手と得意系に分かれる。苦手なルートにいつまでもこだわる必要はないように思う。

私のクライミング寿命も、どんどん近づいてくるではないか。いつまでも出来ないところにしがみついていてもしかたが無いことだ。

グレードは一般的なものなので、自分の体感とは違うと思うことが時々ある。このジャスティスは、お買い得ルートとして有名だが、それはパワーがある人という条件が付いている。それに背が高いとクライミングを始めたばかりの人でも登れてしまう。

烏帽子という岩場は、初心者には取っ付きやすいのでよくいくのだが、ワンムーブのルートと限定のルートが多いのが難点だと思う。昨日は、簡単なルートを沢山登った。烏帽子岩は最後にしても良いと思えた。しばらく、烏帽子を離れたいとも思った。まだ登れないルートもあるのだが、とくにそれが登れなくてもいいとも思った。

さて次はどこへ行こうか?


2006/2/20「タローのガイド犬物語」  登山
土曜日、娘のMと皆子山に向かった。

京都市内から雪がちらちらしていた。大原を過ぎたら、雪景色になっていた。市内からほんの少し行っただけで、こんな景色が見られるなんて京都はいいところだなぁ〜、とあらためて思った。平のバス停に車を停めて、用意をして出発した。林道にはトレースがまったく無く、雪が積もるまでに人が歩いた形跡すらない。雪は結構多く、膝の上ぐらいまでズッポリと嵌ってしまい足が抜けないことがしばしばだ。

林道に入りかけたら犬が近寄って来て、嬉しそうにしっぽを振っている。先頭に立って、まるで案内でもするような素振りに見えるのは気のせいか。一緒に歩き出し、帰るまでず〜っと一緒だった。

後ろを犬が付いてくるので「ラッセル泥棒」といったら、それからずっと先頭をラッセルしてくれたとMが笑って話す。しかし、犬のラッセルはちっとも役に立たない。何だか、私が一番深く沈んでいるように思うのは気のせいだろうか? 軽いのが有利なのは、何もクライミングだけでもなさそうだ。

いつの間にかガイド犬はタローと名前がついてしまった。先に行ったり、横道にそれたりしながらも、またくっついて歩いている。離れると待っている。

寺谷の登り口では、そこをタローは通り越し、もう見えなくなっていた。

何年か前に来たときには橋が壊れていてなかったのだが、橋は架けられていた。しかし、その橋には雪がこんもりと積もっている。行こうか行くまいか迷っていた。登り口でコースタイム30分のところ1時間半も掛かっている。天気も悪い。相談の結果、朽木の温泉に行くことで話がまとまり引き返すことにした。

タローはどうしたのだろうかと、話していたら慌てて戻って来た。それからは帰りも一緒に帰る。途中で昼食を取ろうとしたら、タローもそばに来てそれを察知したように喜んでじゃれている。「お行儀よくしていないと、あげないよ。おすわり!」なんていうとちゃんと座っている。昨夜作ったおでんを温めていたら、タローの口からヨダレがタラ〜。「もう汚いなぁ〜!」「お座りして、ちゃんと待ってなさい!」というとわりとちゃんとしている。並の子供よりは躾けられている感じ。とうとう、私たちのおでんとおにぎりはすっかりなくなり、二人と1匹分の胃袋を満たし、タローも満足したようだ。

そして、先に帰ったタローはどこにいったんだろうと思いきや、次なる顧客になりそうに思ったのか、人が乗っている車のドアのところに座って運転手の方をじっと見ている。残念ながら、その車の人は登山者ではないのはタローにはわかっていないようだ。「タロー、バイバイ! ありがとう!」と声を掛けたら、ちらりと私たちの方に目を向けたが、もう営業活動を開始していた。タローの勤勉さには、マイッタ! マイッタ!

私たちは、朽木温泉てんくうへ向かった。


2005/12/28「2005年ももう終わり」  クライミング

一年の早いこと…。加速度が付いてどんどん速くなり、過ぎて行く。今年も、山やクライミングに明け暮れて終わりそうだ。山行日数を集計すると,昨年とは20日少ない136日だった。

とはいうものの、相変わらず飽きずにやってるなー、というのが正直な感想。それも歳とともにいけるところも限られてきて,進歩もたいしたことがない。あと何年、こんな生活が出来るのだろうか、とふと思う。

この年末は母が転んでから調子が悪く、そのあと風邪をひいてしまい,そちらにも手がかかってしまった。こんなことが多くなると、また生活のパターンも変わってくるだろう。

このような事情で、三年目の年末年始の城山クライミングに今年はいけないかなと思っていたが、やっと母も元気になりいけるようになった。

若い頃に山やクライミングをしていてが辞めてしまい、また再会している中高年を時々見かける。家庭をもったり、子供が出来たり,仕事が忙しかったりというような事情で離れて行くようだが、また一段落して再開している。夫の兄もそうだ。若い頃はかなり厳しいアルパインをやっていたようだが,結婚してから辞めてしまっていた。もう60歳半ばだが、最近山歩きに夢中になっている。中高年でまだまだ、クライミングのグレードを上げている人も知ってる。そのエネルギーは、どこからくるのだろうか。

しかし、歳をとってから体力的には、低下する一方だ。年々体力の落ちて行くのは自覚出来る。若い人のように,簡単にはトレーニングでは補えないようになってくる。

私も,自覚症状がかなり出ている。来年も、どのくらい山やクライミングいけるかは分からないが、これからも無理なく楽しんで山に向かって行きたいものだ。


2005/12/26「1ヶ月ぶりの岩クライミング」  クライミング

ここのところ,寒波でクライミングが億劫になっていた。連休なのに家でぐだぐだしていたが,日曜日は少しましになるようなので烏帽子に行って来た。

付近は,まだ雪が残っていたのでこれは寒そうだなぁ〜と思っていたが、意外なことに烏帽子はポカポカ陽気だった。着いたのは昼前だったが、車は2台だけで、すいている。不動に行っている人からのメールだと,不動は凄い込みようだったらしい。やっぱり,不動はアイトレの人が多いのだろう。しかし、さすがに駒形は静かだった。

岩の状態も,フリクションがきいていい感じだった。k中さんも来ていて、久しぶりだった。一緒に最後は北村/林ルート5.11c に取り組む。私はまだ核心も越えられないのだが、脚ののり具合が前よりいいように思う。もしかしたら、ジャスティス11aより登りやすいかもしれないと思った。登れないルートがあると,また来なきゃと思う。

行く前はすこし億劫で面倒だなぁと思っていたが,行ってみたらやはり楽しい。


2005/12/24「今日はクリスマスイブ」  生活
ここのところの寒さには、クライミング意欲もかき消されてしまい、連休だというのにどこにも行っていない。明日は少しはましらしいから、烏帽子にでも行こうかなと思っている。

ホシダで知り合ったイギリス人の日本酒の杜氏のHさんから、今年とれた新酒の純米吟醸を味見にと戴いた。これが凄く美味しかったので、お正月用に今日買いに行って来た。さっそくの美味しいお酒で、夕食も美味しかった。今日はクリスマスイブ。クリスマスは子供が小さかった頃の子供の楽しみではあったが、今は関係がないなぁー、と思う。

しかし,今日はおいしいお酒が、少しはクリスマス気分も盛り上げてくれた。それがイギリス人の杜氏が作った日本酒なんだから、時代が変わったなぁとつくづく思う。このHさんも日本人以上に日本的。河内弁がペラペラで、声だけ聞いていたら,地元のおっちゃん。最初は青い目とのギャップに、私は萎縮してなかなか話せなかったが、今では何の意識もしなくて話せる。

酒が好きで杜氏になったというが、味へのこだわりは本物の職人を感じさせる。もう17年だというが、今日お店の奥から出て来たHさんはすんなり酒蔵にとけ込んでいるように見えた。何かに一生懸命取り組んでいる人は、やっぱり魅力的だ。

今度ホシダで会えるのは、仕事の閑散期の春になりそう。

それまではクライミングどころではないようだ。


2005/12/22「雪」  生活
とうとう朝から雪が、こちらでも降り出した。予報通りである。駅まで夫を車で送って来たが、いつもなら往復20分もかからないのに、1時間以上掛かってしまった。私は,先日タイヤをスタッドレスに交換しておいたのでよかった。

この辺はあまり雪が降らないので、普通のタイヤで走っている車が多く、前を走ってたタクシーも、登りになるとお尻を左右に大きく振っているので恐くなってしまった。外では,救急車のサイレンがしょっちゅう鳴ってる。マンションの管理人さんが,駅からバスが走っていないので歩いて来たと話していた。ちょっとした雪で、町はパニック状態になってしまう。

明日からの連休で山に入る人も多いだろうが、大変だろうなぁ〜。

私も,何かにつけて億劫になって来ている。

私が,子供の頃は雪が降ると何だかウキウキして嬉しかったのを覚えている。

外に飛び出して、雪の中で,遊び回っていた。

最近は,山も雪の中を歩きたいとは思わなくなって来ている。

雪はもういいや〜、と言った感じ。

 写真はベランダから公園を眺めたところ


2005/12/21「山岳会」  クライミング

昨日は最近遠のいてしまってる山岳会の会合に,今年は最後の会合なので行って来た。

私の所属山岳会は,本当に不思議だと思うことが多々ある。

それは,今時珍しく若い人だらけ。

それも,次から次へと入って来たり見学中だったり。

昨日も「浦島太郎みたいやわ〜、歳だけとってしまったって感じ…」と思わず言ってしまったが、間がしばらく空くともう知らない人が結構いる。

今時,若い人が集まらず、老人会みたいだという山岳会の話ばかりちまたでは聞くのに何とも不思議な気持ちがする。

そういえば、もう入会して10年を来年の5月に迎える。

そろそろ節目かな、と思ったりもする。


2005/12/18「大寒波」  クライミング
今日の日曜日は,本当は視覚障害者の山岳会「京都山の子会」の例会でハイキングの予定だったが,大雪の予報で中止となった。それで,寒さにもめげずにホシダに向かった。ホシダは,雪は全くなく昼過ぎまで日が当たってぽかぽか陽気だった。ところが,日が陰ったとたんに寒くなりホールドを持つ手も痺れて感覚が無くなってしまう。

なのに,きょうのホシダは定員一杯の40名の申し込みがあり、賑わいに驚いてしまった。こんな日は,思うようにルートに取り付けない。


2005/12/15「我が家の忘年会」  生活
昨日は、家族そろって京都の老舗「鳥岩楼」にて鶏肉の水炊きで忘年会だった。我が家の高額所得者の娘と夫の招待である。体調が思わしくなかった母も、なんとか来られた。しかし、もうこれが最後かなという予感がする。

娘が予約をしておいてくれたこの「鳥岩楼」140年前の老舗で戦前までは祇園にあったのだと仲居さんの話。建物は純粋に京都らしく何もかも古い。京都の町家に改装を重ねた建物らしい。木のおひつ(ご飯の入れ物)に思わず懐かしいというと,「うちは何でも,古おすねんぇ〜」と仲居さんの京都弁。底でも抜けるのか底に手を添えて持ってらっしゃる。

昼は800円の親子丼がいまや観光スポットになっていて,この秋も列をなしていたそうだ。修学旅行生も並ぶそうで、「うちは、いまや丼屋どす」なんて笑っておっしゃる。久しぶりの本物の京都弁での会話は,つい私もつられて使ってしまい、今更ながら気恥ずかしい気がする程、私の言葉はもう京都弁からかけ離れてしまっている。懐かしさを感じるホンワカしたいい言葉だなぁ〜、としみじみと思った。大阪弁とはまた違う。私は、いろいろ転々としているうちに,関西弁という大きな枠には一応入るが、もう国籍不明なアクセントになってしまっている。

そして、久しぶりに見る着物姿も京女を醸し出し、これもまたいいなぁ〜、と思った。京都でも町でほとんど着物姿は見かけなくなっている。

最近京都を歩くと,町家を利用して一工夫加えたインテリアの喫茶店や用品店が目につく。これも京都を新たな活性化に導いているのかもしれない。古い物が、新しく見える不思議な空間を作っている。見ようによっては、ただ汚らしいとだけとしか見えない気もするが…。

そして、何となく落ち着くのも不思議なことだ。 

http://www.galu-kyoto.com/shop/0335_toriiwa/


2005/12/12「今期初の雪山は…」  登山
前夜発で御岳スキー場で仮眠。日帰りという計画で御嶽山に登ってきた。今期初めてのプラブーツは重かった。結局は8合目あたりで、引き返してしまった。

「木曽のなぁ〜,御嶽山は…」という民謡は知っていたが、何故か今まで登るチャンスはなかった。当初の計画は八ヶ岳だったが、最近天気が冬型で安定していないために急遽御嶽山行きが決まったのだ。私以外のメンバー二人は,何度も冬の御嶽山には登ってるという。三千メートル峰だが、スキー場がありゴンドラで一気に2200メートルまで登れ、そこからピークを目指すというので,日帰りでも可能だというのだ。しかし最近私は前夜発というのが辛くなって来ている。車での仮眠というのも辛い。

私は、ちょうど森林限界を越えたあたりから,急に動悸がして頭痛がしだした。最初は急登なので息が上がってるのだろうぐらいに思っていたが、心臓の鼓動の早さと音が何だか今までに経験したことがないような感じだった。

ここまでの時間も2時間半ほど掛かってる。ここのところの冷え込みで,一気に積もった雪のラッセルで時間も掛かったようだ。相変わらず空もどんよりとして、頂上は灰色に被われ空と一体化している。風も強く、ほっぺに当たる風は刺すように痛い。気分は少し休んでいるうちによくなったが、結局はここから引き返すことになった。下山は登りに比べるとあっという間だった。降りてしまうと何んだかもったいない気持ちもしたがしかたがない。

そのあとは、なぜあんなにしんどくなったのかと不思議に思える程、何ともない。一気にゴンドラで登って来たのと日頃の疲労がたまり、軽い高山病になっていたのかもしれないと思った。

このルートは、「日本雪山登山ルート集」(山と渓谷社)によると途中で一泊にになってる。そうすれば、無理もなく登れたかなと、あとになって思う。いずれにしても、4時の最終のゴンドラに乗るには頂上まで日帰りでというのは,今回の雪の状態と天気では無理だったと思う。ちなみに、前日に入っていたパーティーがあった。そのパーティーも8合目までのトレースだった。

もうそろそろ無理が利かない。ゆとりのある山行をしなくてはいけない。

帰ったときには、もう御嶽山はいいかなと思っていたが、これを書いているうちにリベンジしたくなって来た。

御嶽山は、やはり頂上を踏まないと値打ちがない山だと思う。

山は不思議だ。どんな思いをしてもまた向かいたくなる。

写真はゴンドラの終点からスキー場を見下ろしたところ


2005/12/9「大掃除」  クライミング
今日は、キッチンの掃除で一日が終わった。

このごろゴミを捨てられず、家中ゴミの山にしてしまい、近所の苦情を集めている人が、テレビなどで報道されていたりしてる。いくらなんでもひどいなぁと思っていたが、狭いキッチンなのに、今日のそうじでゴミ袋6個のゴミが出た。

今回は,欠けた食器や使っていない物はエイーヤーと思い切ってだいぶ捨てた。しかし、まだまだ使えるのではと,捨てた物の中からまた救い出した物もかなりある。物を捨てるのは勇気がいる。そう考えれば、ゴミ屋敷にすんでいる人とそう変わらないのかなとも思ってしまう。

人生ももう終盤。そろそろ物を増やさず,減らして整理していこうと思うのだが、増やす方がずっと簡単だとつくづく思った。

もっと,捨てられず増えていくのは山道具だ。ザイルも買い替えるのだが,古いのを捨てられないでいる。こればかりは、お古をもらってもらう訳にも行かず、かといって置いておいてもしかたがないのに…。

あぁ、モデルルームのようにすっきりと暮らしたいものだ。


2005/12/7「驚きのプリンター」  生活
ここのところ寒波襲来で寒い。今日も朝起きて外を窓越しに見ると真っ白。雪かなと思って窓を開けると、冷たい空気が部屋の中に入ってきて、思わず身震いをしてしまう。一面の霧だった。この辺りだと、霧は珍しいことだ。

今日はFさんとホシダでクライミングの約束をしていたので、早速お断りの電話をした。Fさんは奈良の郡山のOCSに行くという。近くにクライミングジムがあってうらやましい。こんな寒い日はジムにかぎる。しかしお金も掛かるだろうなぁ〜。ホシダは何といってもタダというのが魅力。だったら、もっと行けばいいのだが…。寒いだとか何だとか、言い訳を言うときはモチベーションが下がっているからだろう。

私は、意外と出不精でもある。これでも主婦なので、家の中でやることがいっぱいあってすぐに時間も過ぎてしまう。今週は新しいプリンターが来てから年賀状を印刷して、この驚きの機能でつい遊んでしまう。最近のプリンターはここまで進化していたのか、と愕然としてしまった。

カラーコピー機能にも驚くが、もっと凄いと思ったのはCD-Rへ自分がデザインしたのが印刷出来ることだ。出来上がりは買った物と同じぐらいに奇麗。写真もスキャン出来て、使える。山で撮影した写真をCD-Rに保存して、レーベルを印刷してオリジナルなCDやDVDが簡単に出来上がる。出来上がりの素晴らしさに、元グラフィックデザイナーの私はニンマリ。昔何でも、ポスターカラーで描いていたのが嘘みたい。そういえば、ポスターカラーってまだ売っているのかしら?

話は横道にそれてばかりだが、デザイナーの友人が「素人が簡単にデザインやレイアウトが出来るようになって、食い上げや〜」と言っていたのを思い出す。そのときの私は「そんなん、デザインの質で勝負したらええやん」と言っていたが実際ホントかもしれないと思ってしまう。

私はどうも新しい物好きかもしれない。本腰を入れて主婦業に専念しなくてはならない年末に、こんなことばかりしていていいのかなと思ってしまう。


2005/12/3「欲望は限りなく…かな?」  生活
いつの間に、質素倹約という言葉は死語になってしまったのだろうか。まだ使えるのに、買い替えてしまう。こんな生活をしていてもいいのだろうか、と昔人間の私はつい考え込んでしまう。

読んでいる人はいったい何事かと思うでしょう。

実は、iMacG5に続いて、今日プリンター(EPSON/PM-A890)を買ってしまった。前のPM-2000Cがまだ使えるのに…。今私の部屋は2台のプリンターと2台のマックとスキャナなど周辺機器でとても狭くなった。

歳とともに身辺整理をして、物を少なくしていくことが私のモットーだったはずだが…。なのにこの有り様。

先日80歳を過ぎた母が、嬉しそうに指輪を買ってしまったと電話で言うので「えぇ〜、何考えてんねんや。」と思わず叫んでしまったが、価値観が違うだけなのだと今は納得。現代社会では人間生きている限り、欲望はつきないようだ。

このプリンターは、カラーコピーもけっこうきれいに出来る。山に行くときに地図やガイドブックをカラーコピーしたりしていたので、助かるなぁ〜。値段は前のより安いのに機能は凄い。

そろそろ年賀状も作らねば。創作意欲が湧いて来た。


2005/12/2「新田次郎「槍ケ岳開山」を読んで」  読書
かなり前に(半年程)古本屋で買っていた新田次郎の「槍ヶ岳開山」という本をやっと読み終えた。本はすぐに読んでしまうものとなかなか読み進まないもの、また途中で投げ出してしまうものとがある。この本がなぜ読み進まなかったかは、あとになって何となく理解出来た。それは小説独自の脚色が何となくわざとらしいのが気に入らなかったようだ。

新田次郎の作品でいつも気になる点である。短編を読んでいたら、ほとんど人間関係のドロドロしたものが(例えば恋愛などの)遭難などに結び付いていたりしていて、「あぁ、これはジュニア文庫の恋愛ものと同じだなぁー。」と思うことが時々ある。

この「槍ヶ岳開山」も、出だしは播隆上人の槍ヶ岳への初登のクライミング場面から始まり、読んでる私もおもわず引きつけられ力が入った。だが読み進むうちに百姓一揆のときに妻を殺してしまい、逃げて出家するという播隆上人のそれからの伝記じみたところに、「ほんまかいな」というような作為が感じられていた。

そして、笠ケ岳で見た阿弥陀仏の御来迎(ブロッケン現象)を妻のおはまさんとし、その妻のおはまさんに会うために槍ケ岳の開山を目指すというストーリーに、何となく宗教家としてのうさん臭さを感じていた。

小説を史実として読むのは間違いなのだが、どうしても登場人物の人物像を脚色されたイメージ像で捉えてしまう。実在の人物が登場し史実が語られていると、どうしても読み手はフィクションの部分も事実の話として捉えてしまう。小説になると、作者は実在の人物をどうにでも料理出来てしまう。そこに大きな落とし穴があるようだ。

新田次郎の小説がみんなそうだと思えない。フィクションでもノンフィクションでもおもしろくて一気に読んだものもたくさんある。私が読んで面白かったのは、「銀嶺の人(上)(下)」「強力伝・孤島」「八甲田山死の彷徨」「栄光の岩壁(上)(下)」「孤高の人(上)(下)」「劒岳/点の記」など、面白くて一気に読んだ。

これらが事実と同じだとはとても思わないのだが、小説としての脚色により、私にはより面白く感じさせたのだろう。

読後、本物の播隆上人の「人となり」が気になりネットで調べたところ、妻帯もしていなくて殺人の事実もないということだ。このネットで史実に触れ、また新たに播隆上人と槍ケ岳に興味が湧いて来た。

そして、初めての北アルプスで槍沢から槍に向かった時の坊主小屋を思い出した。このルートをまた歩いてみよう。

 かなり前に(半年程)古本屋で買っていた新田次郎の「槍ヶ岳開山」という本をやっと読み終えた。本はすぐに読んでしまうものとなかなか読み進まないもの、また途中で投げ出してしまうものとがある。この本がなぜ読み進まなかったかは、あとになって何となく理解出来た。それは小説独自の脚色が何となくわざとらしいのが気に入らなかったようだ。

新田次郎の作品でいつも気になる点である。短編を読んでいたら、ほとんど人間関係のドロドロしたものが(例えば恋愛などの)遭難などに結び付いていたりしていて、「あぁ、これはジュニア文庫の恋愛ものと同じだなぁー。」と思うことが時々ある。

この「槍ヶ岳開山」も、出だしは播隆上人の槍ヶ岳への初登のクライミング場面から始まり、読んでる私もおもわず引きつけられ力が入った。だが読み進むうちに百姓一揆のときに妻を殺してしまい、逃げて出家するという播隆上人のそれからの伝記じみたところに、「ほんまかいな」というような作為が感じられていた。

そして、笠ケ岳で見た阿弥陀仏の御来迎(ブロッケン現象)を妻のおはまさんとし、その妻のおはまさんに会うために槍ケ岳の開山を目指すというストーリーに、何となく宗教家としてのうさん臭さを感じていた。

小説を史実として読むのは間違いなのだが、どうしても登場人物の人物像を脚色されたイメージ像で捉えてしまう。実在の人物が登場し史実が語られていると、どうしても読み手はフィクションの部分も事実の話として捉えてしまう。小説になると、作者は実在の人物をどうにでも料理出来てしまう。そこに大きな落とし穴があるようだ。

新田次郎の小説がみんなそうだと思えない。フィクションでもノンフィクションでもおもしろくて一気に読んだものもたくさんある。私が読んで面白かったのは、「銀嶺の人(上)(下)」「強力伝・孤島」「八甲田山死の彷徨」「栄光の岩壁(上)(下)」「孤高の人(上)(下)」「劒岳/点の記」など、面白くて一気に読んだ。

これらが事実と同じだとはとても思わないのだが、小説としての脚色により、私にはより面白く感じさせたのだろう。

読後、本物の播隆上人の「人となり」が気になりネットで調べたところ、妻帯もしていなくて殺人の事実もないということだ。このネットで史実に触れ、また新たに播隆上人と槍ケ岳に興味が湧いて来た。

そして、初めての北アルプスで槍沢から槍に向かった時の坊主小屋を思い出した。このルートをまた歩いてみよう。

 下記播隆上人のサイト  http://www.allhida.jp/onko/kamitakara/index.html

 写真は1991年(上高地ー槍沢ー槍ケ岳ー北穂高ー上高地)

 

槍沢から槍を見たところ            坊主小屋の前で

 蟻ンコの行列のような登山者


2005/11/29「クライミングの効用!?」  生活

「富有柿がたわわに実ってるから取りにいらっしゃい」とTさんにいわれ戴きにいった。庭には柿の木が2本とリンゴ、みかん、だいだい、レモンと美味しそうな木々がよく手入れされた庭に実ってる。これを見ただけでウキウキしてくる。

みかんは売ってあるものとそっくり(あたりまえ)。もぎ取ってほおばると、市販のみかんよりも甘くてジューシー。家の干涸びたみかんとはひと味もふた味も違っている。

レモンも緑から黄色にグラデーションになっていて奇麗。これはまだ収穫には早いかなと思いつつも一個戴く。「ワックスをかけたり防腐剤を施した輸入レモンとは違って、皮まで食べられますよ」とTさんがおっしゃる。

さすがにリンゴだけは北国のリンゴと比べると見劣りしてしまう。上の方のリンゴに手がとどかないので穫ってほしいといわれたのでもぎ取ったら、もう先客の鳥が食べていて腐りかけていた。下の方のTさんの手が届くところでは袋を被せていたので無事だったが、それも見た目にもあまり美味しそうに見えなかった。何という品種か聞かなかったが、青リンゴがくすんだような色をしてる。

ずっと昔、私が子供だった頃家が農家で新しいものが好きな父が、リンゴの栽培をこころみたことがあった。そのTさんの家のリンゴを見ていて、父が関西でリンゴを栽培するという画期的な考えを行動に移し、自分の思いつきに興奮して取り組んでいたことを思い出してしまった。私も白い花が一面に咲き出したのを見てリンゴが実るのを楽しみにしていた。しかし、実ったリンゴはとても小さく固くて、売っているものとは大違いだった。この父のアイデアは不発に終わり、リンゴの木はこの年で消えてしまった。甘酸っぱい思い出である。そのときから私は、リンゴは北国のものと思いこんでいる。

私が小学生の中頃なのでもう45年程前のことになる。その頃は、ぶどう園もあり、椎茸の栽培もしていた。私たち家族の食べ物のほとんどが、家で収穫したものでふんだんにあった。もちろん、青果市場への出荷が主なのだが…。その当時は野菜や果物が主の食生活を質素だと思って不満だったが、何よりの自然の恵みを新鮮なうちに食べていたのだから、豊かな食生活をしていたことがこの歳になると理解出来る。今の子供たちの食生活は何でも手に入る豊かさの陰に、本来のものを見失ってしまってることに気がつく。

 話は元に戻るが、富有柿の木はたわわに実り、重そうに枝が垂れている。私は木の上に登り、上の方から順番にもぎ取っていった。クライミングの成果で、木登りも子供の頃より上手くなっているように思う。いやはや、クライミングが初めて実用的なスポーツだと思えた。長い間の苦労はこのときのためにあったのか…?!?!?

あっという間に上から半分ぐらいの実はすっかりなくなってしまった。下の方は手を伸ばせば穫れるので、楽しみも柿の実も他の人にも残しておくことにした。

大きな袋に一杯詰め込んで、戴いて来た。とても美味しい柿だった。感謝。


2005/11/25「人生いろいろ」  生活
自分の好きなことを出来るというのは、何(気持ちも時間も)も拘束されることがないことで、幸せなことだと思う。

この年齢になっても、いろんなことに拘束された状況に置かれた友人がいる。そんな中でも、つかの間の時間をやりくりして、ほんのさやかな楽しみを見つけていたりはする。

一人は事情があって、親戚の小学生の子供を預からなくてはならなくなったとかで、本来は孫がという年齢になって親業に逆戻りだという。学校に行ってる間のつかの間のデート(相手は女性)を昨日は楽しんだ。今頃また子育てだと思うと、私も経験者だけに気の毒に思う。

もう一人は、子供も大人になり、郊外の一戸建ての家を清算して都心のマンションを購入し、これから自由な時間をいろんなことで楽しみたいといって引っ越した友人が、引っ越したとたんに一人暮らしの母親が倒れて入院し、退院後はほっておけないということでそのマンションに引き取った。

先日、その友人を訪問して話しているうちに、ほんとうに大変だなぁ〜と思った。自由を手に入れるつもりで購入した家に拘束された状態になってしまい、どこにも行けなくなってしまっている。今はデイケアーに週2回行ってるので、そのときだけがささやかな自由時間という。

しかしながら、こんなはずではなかったのは、彼女の母親も同じこと。田舎で、自由気ままの一人暮らしを楽しんでいたのが、急に都会のマンション暮らし。新築の素晴らしいマンションに何不自由のない素敵なインテリアの部屋だが、きっと落ち着かないことだろう。まして、デイケアーの話を聞くと、老人の幼稚園と行ったところのようだ。人によったら、なんでこんなことをしなくてはならないのだろうと思う人もいるはず。

事実、同年齢の人がたくさんいるので話相手ができていいだろうと思い、私の実家の母屋のおじいさんを家族がデイケアーに連れて行ったところ、「わしをこんなところに入れやがって…」 と杖を振り回して怒ったというのを前に聞いたことを思いだした。明治生まれの男性にとってそこのカリキュラムは、屈辱的なことだったようだ。

「山あり、谷あり」生きていくことはいろいろある。生きていくということは、いろんなことが起こり、対処していかねばならない。特に家庭にいる女性に、いろんな負担が掛かってくる。先日一緒に山にいった同世代の女性もしみじみと「私はね、山に感謝してるんよ。辛いことも苦しいことも山に行って捨てて来てるねん。山はいろんなことをどれだけ受け止めてくれたか…。」とつぶやかれた。多くを語らなくても、このとき私には彼女の人生の重みを何となく受け止めてしまった。「長いこと生きているといろいろあるねぇー、私たちは山に出合えて、本当に幸せやわー」とぽつり。

大自然はスケールが大きいほど、懐が広い気がするのは私だけだろうか。

しかし、それもままならない友人には今は話を聞くぐらいしか私には出来ない。


2005/11/24「紅葉の星田」  クライミング
昨日もホシダでクライミング。いつもの駐車場は満車で臨時駐車場がオプンするほどの盛況だった。

岩船神社の駐車場に車を置いて山道を歩く。この日は、紅葉の見頃とあって、ほんとうに凄い人でだった。ちょうど家族づれの散策によいお手軽コースとなってる。奇麗なので吊り橋(ほしのブランコ)を経由してクライミングウォールにたどり着く。1時間ほど掛かってしまった。

今週末が一番の見頃らしい。昨年よりは色付きがいいとピトン小屋のペイさんがいう。クライミングウォールも、けっこう人が多かった。あちこちの岩場も今シーズンの終わりを告げる。行けるところも少なくなってくる。モチベーションも下がってくる。そろそろ、もうフリーは辛い季節だなぁ〜。これからの季節は寂しい気がするのは私だけだろうか。

しかし、センチになってはいられない師走がやって来る。ほんとうに一年が、また早く感じる。

 この日の星田園地の写真へ  http://homepage.mac.com/iku_tsuku/PhotoAlbum6.html


2005/11/20「頭打ち」
最近また少しピアノを弾きたくなっている。今見ている楽譜は、昔本を買っておいて投げ出したブルグミュラー18の練習曲だが、ネットで検索していたらMIDIというファイルで録音されているのが公開されていた。他にも、いろんな人がいろんな曲をこのファイルで公開している。このMIDIという名前は初めて聞いた。

私は、今まで練習曲など聞きたい曲は市販のCDを買っていた。このMIDIのファイルはダウンロードが出来る。一番の「ないしょ話」という曲はあるサイトからダウンロード出来、MIDIファイル→GarageBand→iTune→CD録音と今度買ったMacの付属ソフトでうまく取り込めた。しかし、次の曲の2番目を同じようにしたが、不思議なことに聞いたときはちゃんと聞けたのに、MIDIのファイルには右手の音(楽譜でいうと上の段だけ)しか入っていない。他の曲も試してみたが、途中までしか入らなかったりと、上手く行かない。これは怪奇現象か…???。

いろんな曲も手に入ると喜んだのもつかの間のこと、ぬか喜びになりそうだ。やっぱり、著作権とかでこうなるのかもしれないと思ったり、あれやこれやと考えを巡らすが解らない。

パソコンは何でも出来る道具だと私は思っている節がある。ほんとうにそうなんだろうか? これも何でも出来るように使いこなすには、かなりの苦労が必要なようだ。誰か教えて…。

 話はとぶが、土日は連日ホシダにいって白青テープに挑戦して来た。このルート、私にはかなり難しい。ムーブはわかってるのに、連続して出来ない。ホールドも小さくて持つのにパワーがいる。いつになったら、RP出来るのかわからない。

上手くいかないことって、意外と多いなぁ〜。

私の今やってることは、別に出来なくてもたいした問題にもならないのだが…。

まぁ〜、そのうち何とかなるだろう。

(確か植木等の歌にこんな歌詞があったなぁ〜)


2005/11/17「京都・善峯寺からポンポン山へ」  レジャー
今日は朝からいい天気。じっとしているのはもったいない。先月の同窓会が善峯寺であったときに聞いていた、片岡鶴太郎の襖絵が公開されているのを思い出した。善峯寺だけでは、もっともったいないのでついでにポンポン山にも欲張って登ることにした。友人に早朝電話して誘ってみたところつきあってくれた。
さすが観光京都。すごい人である。平日とは思えない。駐車場入り口で待たされる。今一番いい時期なのだろう。紅葉が奇麗だった。やっぱり、お寺に紅葉がよく似合う。
片岡鶴太郎の襖絵「游鯉龍門圖(ゆうりりゅうもんず)」は、錦鯉が緑の水面を泳ぎ回ってる絵だ。いったいどのくらいの鯉が泳いでいたのかわからないが、とにかくいっぱいいた。
お寺の襖絵としては、今までの固定観念から大きくズレている気がするのは私だけの感想か…。山水画や水墨画をイメージすると、ずいぶん大胆な感じがする。錦鯉も近くで見ると愛嬌のある鯉でリアルとは言えない。しかし、遠くから見ると何故かリアルに活き活きと見えるから不思議な感じがした。盤若心経の文字も一緒で、味があると思う。お寺としては「勇気ある決断」ではなかったかという気もするが、古典的な山水画の絵を新作として見るよりは印象的であった。
昼過ぎから、ポンポン山に向かった。ひとしきり山を登ったところに、杉谷という集落があった。3軒ほど家があり、水田や畑が広がっていて懐かしい風景だったが、どうしてこんな山の中にと思うと不思議だった。私は6軒しかない集落で育ったので、一瞬タイムスリップしたのかと思ったほど風景が似ていた。まだ京都の町からそれほど離れていないところに、こんなところがあり、生活があるのだなぁと感心してしまった。そこで昼食をとりながら、子供の頃の生活を懐かしく思い出していた。そして、そういう生活から逃げ出した自分も思い出してしまった。郷愁は感じてももう戻ることはあり得ないことを確認した。


2005/11/17「平日のホシダ」  クライミング
昨日のホシダは、平日の常連で賑わっていた。それぞれ課題を黙々と挑戦されている。そんな中でも和気藹々とした雰囲気があるので、私は好きだ。この季節は紅葉が楽しみでもある。しかし、まだ早い。ホシダの紅葉は毎年11月の後半が奇麗だ。山一面が紅葉する。
しかし、ハイカーは平日なのに多い。最近は子供の遠足も多い。クライミングをしてるとかわいい声援が飛ぶ。ウォールの横のボルーダーはホールドを覆い尽くすほどの子供がぶら下がって、みんな身動きのとれない状態となってしまう。そんなときは、もっと大きければいいのに、と可哀想になる。
子供がすごいと思うのは、ボルダーで自分の身長以上のところから平気でみんな飛び降りてしまうことである。私なんか自慢ではないが1メートルでもクライムダウンする。飛べないおばさんだ。だからボルダーは嫌いなのだ。
蝉の大群のように狭いボードに群がりしがみついている子供を見ていて、「並んで! 並んで! 順番に右から左へ、カニさんみたいに横に行くんやで〜」ついおせっかいおばさんをしてしまった。そんな自分に苦笑!


2005/11/15「もう冬支度」  生活

ついこの間まで、「暑い! 暑い!」と言っていたような気がするのにめっきり寒くなり、もう年末を意識する季節となってしまった。年賀状は買った。暖房器具も出した。そろそろ掃除もしなくては…。と、毎年同じことを思いながらクライミングも週末になったら出かけている。
昨年は暮れから体調を壊してしまった。私は冬に弱いのか、一年の無理の祟りがこの時期から体調に出てくる。
今年は、悪質な新型インフルエンザが世界規模で蔓延するらしい。今までインフルエンザには掛かったことがないのだが、なにしろ無理と油断は禁物。「馬鹿は風邪をひかない」と今も言うのだろうか? よく、子供の頃にそう言ってからかったり、からかわれた記憶がある。
子供の頃で思い出すのは、風邪をひいたら祖母がショウガ湯や卵酒を作って飲ませてくれた。これ、いやだったなぁ〜。あと酒を温めてタオルにしみ込ませた湿布を喉に巻くと喉の痛みや咳にいいというのでこれもよくしてくれた。この酒湿布は小さい頃扁桃腺が弱かった我が家の娘たちによくしたのを思いだした。インフルエンザには、こんな療法は通用しないのだろうが風邪のひき始めにはいいように思う。
インフルエンザの治療薬も副作用が問題になってると最近のニュースで報道していた。薬は何らかの副作用はしかたがないそうだ。
すぐに薬に頼るよりは、こんな民間療法もいいかもしれない。
このごろ祖母の愛情の深さと共に、いろんなことを思い出す。


2005/11/8「クライミングシューズ/いろいろ」  クライミング
いったい、何足のクライミングシューズを履きつぶしてしまったのだろう。最初に買ったのは、何も知らないときに、フィーレのクラシックというのを買った。その頃は、山岳会に入ったばかりでクライミングというのもどういうものかもわかっていなかった。しばらくは、それで京都の金比羅などにいっていた。そのうちに、フリークライミングの靴は全く違うということが分かり、一番安いニンジャを買った。この頃は、靴が登りに左右するという概念は、まったく持ち合わせていない。というよりは当時の私の登りでは、どんな靴でも同じだったとは思うが…。
そして、3足目に買った靴が赤いモカシムだった。この靴を初めて履いたのが、烏帽子岩の「太陽がいっぱい」だった。このときは、初めてクライミングシューズの善し悪しが登りに影響するということが身を以て理解出来た。このモカシムは何度もソールを張り替えてボロボロだがまだ捨てられないでいる。
そしてもう一足お気に入りは、同じファイブテンのアナサジレースアップだ。この靴も何度もソールを張り替えて履いている。最近まで履いていたのも、アナサジ2代目だがとうとう穴があいてしまった。
その間に、いろいろ勧められたり、安売りで衝動買いした靴が小さくて履けず、2足お払い箱になっている。クライミングを始めてから、いったい何足穴をあけてしまったのだろう。張り替えたものも数えたら10足以上になるだろうなぁ〜。
先週、サイレントを登ったときには穴のあいたアナサジで登っていた。昔穴があく場所はつま先の親指の内側の側面がいつもあいた。なのに今回の穴は、側面は全く大丈夫なのに裏がすり減って、下の白い布が見えていた。
サイレントに3回目のトライのときに、最初の出だしが左の足で立ちこまなくてはならないのにつるつる滑る。自分でもなぜだか分からないでいる。「おかしいなぁ〜、疲れたのかなぁ〜、なんでや〜」「この靴穴あいてるからかなぁ〜」などとを連発。とうとう登れないのを靴のせいにする始末(いつも何かのせいにしないと気が済まないのが習性。たちが悪い)。とうとう、いったんおりて夫の靴(ミウラー)を借りることにした(夫は小さめを好むので、サイズがほとんど同じ)。仕切り直して登ると、まさかと思うが滑らずに行けたではないか。いままであちこちで滑っていたのは何だったんだ。やっぱり靴だったんだ!

昨日さっそく、靴を買いにいった。縁起のいいミウラーにした。今、履きながらこれを書いている。
新しい靴は、長い間履いていると痛くなる。底もつま先も固い。足が少し痺れてきた。アナサジのように愛着が湧くようになるまでは少し時間がかかると思う。
穴のあいた、アナサジはソールをまた張り替えようと思ってる。なかなか、愛着を持った靴は捨てられない。

クライミングに、靴は大事だ。いい教訓になった。


2005/11/6「サイレントティアーズ」  クライミング
駒形岩のサイレントティアーズ(5.11a)がやっと登れた。
嬉しい!!
しかしながら、ほんとうにクライミングは苦労するなぁ〜。
何も、クライミングに限ったことではないのだが…。
ただただ、「諦めない」と言うことか…。
そして、登れたからってどうなんや。
答えはいつまでも空回り。
みんな、続けている人はこんなことをグジャグジャいいながらやってる。
嫌になったり、面白くなったり…。
モチベーションが上がったり、下がったり…。
どんなときでも、なぜか足が向いてしまうのはまだ面白いと思える要素が残ってるんだろう。
自分の中のいろんな葛藤が、面白いのもクライミングかもしれない。
なぜなんだろう。
クライミングには、恐怖心や緊張感があるからだろうか?
ちょっと間違えたら、怪我をしたり命に関わるようなリスクを負うことになる。
だから、葛藤も大きいのかもしれない。

その分登れたときには、達成感も喜びもふくれあがる。
また、次の課題を探してしまってる自分に苦笑!!


2005/10/31「烏帽子・駒形岩を思う」  クライミング
これで4週連続で土曜日が雨だということだ。雨でもめげてはいない。どこかに登りにはいってる。大概雨の日はホシダと決めているが、さすがに雨が強いと登れない。やはり先週も朝から雨。昼頃から晴れるということだが、疲れていたのか気分が乗らず、家で夕方までのんびりと過ごす。
夕方久しぶりに、夫と散歩した。そういえば最近は、あまり散歩というのをしなくなった。私は、ただ歩くだけという散歩は苦手だ。特に日頃の生活圏での歩きは退屈になってくる。買い物も必要に迫られれば行くが、車でしか行かなくなった。割と日常的には家のなかで何かをしてる。そういえば、先週一週間はNewMacとのお付き合いで、引きこもり状態だった。何かに夢中になってるときは、外に出るのすら億劫になってしまう。
しかしこんなことばかりをしているとまた外に出たくなるが、町の中には出たいとは思わない。やっぱり、自然の中を歩きたいと思う。紅葉が奇麗だろうなぁ〜、と思うと山にまた行きたくなってくる。
日曜日は天気も回復したので、駒形に登りにいった。烏帽子・駒形は通いなれた岩場だ。最初に行ったのは記録によると1999年だからもう6年が過ぎる。なのに相変わらず私には登れないルートがたくさん残ってる。普通は烏帽子でクライミング入門して、駒形まで行くと卒業して次の岩場へと移動していく。
ところが、私の場合はなかなか卒業出来ないでいる。というよりは、落第生だ。一本登るのに、かなりの時間をかけないと登れない。取り付いているうちに、一緒にやっていた人はとっくに登れて、ルートや岩場を移動してしまう。結局私は宿題を残したままついていくという、状況に陥ってしまう。未練を残して去るのはとても心残りだが、何が何でもという情熱にも欠け、いつも優柔不断に次に行く岩場の登れるところをトライする。その結果、久しぶりに前の岩場を訪れた頃には、ムーブはすっかり忘れてしまい、元の木阿弥となってしまう。
実力がついていないからこんなにも苦労するのだと思うが、クライミングをしていてこんなことを繰り返していると、フリークライミング自体も嫌になってしまう。日頃、継続は力なんて言ってるが、効率よく継続していかないと力もあまりついていかないと思う。まして、年齢や運動神経・バランス・柔軟性などクライミングに必要な身体的な能力では不利なのだから、もう少しやり方があるような気がする。
いったい、何が足らないのだろう。いろいろ考えると、何もかもが足りない気がする。体重を減らす努力。ムーブを組み立て考える。登りだしたら、冷静にかつ集中する…。
そういえば、ピアノをやってるときにも、なぜ上手く弾けないのだろう、としょっちゅう悩んでいたっけ。それも自分にとって高度な曲ほど、悩みは多く解決しない。そしてただひたすら練習するしかなかったのを思い出す。
一緒だなぁ〜。また来週駒形に行って、サイレントに取り付いてみよう。落ちても落ちても、登るしか解決はないようだ。
今週末の天気も気になる。また悪いようだ。

005/10/26「この3日間疲れたぁ〜」  生活

今日は水曜日で、ホシダに行きたかったが新しいマックと古いマックのファイル共有設定がうまく行かず、クライミングどころではなかった。3日も新しいOSをいじっていたら、だいぶ理解も出来てくる。サポートに、電話して聞いても結局は出来なかった。サポートもいろんな人がいて、よくわかっていない人にあたると、こちらも迷惑だ。時間がかかって結局は解決できなかったりすると、寛大な私でも少しカチンときた。
しかし、なんとかバックアップをコピーしたりして、HPの更新も新しいマック君で出来るようになった。OSXは互換性が悪いと思って恐れていたが、意外とうまくいっている。
フォルダーがOS9では知らない間にいっぱい出て、必要なフォルダーがよく迷子になってしまって探しまくらなくては見つからなかったりしていたが、今度はすっきりしていてわかりやすい。速度も速く前のOS9から比べたらだいぶよくなってる。
ネットのブラウザーもメールのソフトも変わってしまったが、自分でも驚くほど順応してしまっている。少しずつ、自分好みのマックに変身していくのも嬉しい。
5年間のマックの変貌は著しい。久しぶりに会った近所の子供が、5年もたてば、かなり大きくなって誰か思い出せなかったりする。当然なのかもしれない。
私は、この5年を思い起こしてみる。少しは、いろんなことが変わってきたが大きな変化はない。クライミングの上達も遅々たるもの。体型も変わらない。環境も変わらない。相変わらず、山に行っているし、進歩しなくてもクライミングはやってる。
このHPも4年が過ぎて来年は5年を迎える。量的には増えていっているが、内容に大きな変化はない。
これからの5年後にも、思いを馳せる。私はまた同じことをしてるのだろうか? マック君はどんな変貌をしてるのだろうか? 私はその新しいマック君に向かって、また設定に苦しんでいるのだろうか? 山やクライミングも同じようにやってるのだろうか?
今度は、何だか私も変わっているような、そんな予感がする。



2005/10/24「iMacG5がやってきた」  生活

この投稿は、新しいマックからしている。名前はiMacG5。OSXv10.4の名前はtigarと言って最新バージョンだ。前のG4の隣に今のところ鎮座している。しかし、ワイヤレスなのでいずれは移動してしまうかもしれない。新しいというのは何でもうれしいものだ。今日は一日設定に苦しめられたが、それも苦にならない。
新しいOSは、G4のOS9から一変してしまった。まだまだ扱いに、苦労させられそうだ。今日は早速、ROCK&SNOWのおまけのDVDがやっと見られた。少しずつ、使いやすくなっていくのだろうが、今のところまだG4の方が使いやすい。
G4はここのところ調子が悪かったのだが、G5に負けたくないのかまた調子を取り戻してしまった。まさか、捨てられたくなくて最後の力を振り絞って頑張っている、なんて言うようなことはないだろうが…。おかしなこともあるものだ。

また、しばらく夢中になれるものが出来た。


2005/10/22「芹谷は今日は雨〜だった♪」  クライミング

今日は芹谷に向かったが、近くになるにつれて雨足がつよくなり、着いた頃には本降りになっていた。さすがに、綺麗に整備された駐車場には一台も車はなかった。毎週天気が悪い。
今日は往復下道で、帰りは国道八号線沿いの竜王にある道の駅「かがみの里」にたち寄ったところ、ここは義経の元服の地だという。観光案内所と書かれた看板が目に付いた。それは小さな物置のようなプレハブで、おばさんが一人でテレビを見ていた。パンフレットをもらって近くの名所を歩いてきた。
町興しのために、とってつけた感じが拭えない観光名所だった。私はあちこちにたわわに実った柿の実の方が現実味があり欲しかった。

この道の駅には、地元で採れた野菜と健康食系の食べ物でかなり変わった物が売られていた。ニンニクやゴーヤ、オクラなどのスナック菓子は私は初めてみた。いろいろ、買い物をしてしまった。

やはり、食欲の秋だなぁ〜と思った。

興味のある方は下記HPをご覧下さい。
http://www.town.ryuoh.shiga.jp/yoshitune/

2005/10/17「酔狂なクライミング」  クライミング  
土曜日は雨の降りしきる星田で、酔狂にもクライミング。散々迷ったが、約束したので行ってみる。駐車場で約束のOさんと出会い、しばらく3人でどうしようかと迷っていたら、もう一人酔狂な人がやって来た。「出来るか見に行くだけ行ってみよう」と言うことになり行ってみたら、意外なことにまだハング下のところの砂利は乾いている。
そして、滋賀の高校生やほかにも酔狂な人がすでに登っていた。 安心して、私たちも仲間に入り登る。雨はずっと降り続けていた。午後からだいぶ雨足が強くなり、とうとう水たまりが出来てきたので退散した。時間は3時を過ぎていたので、悪条件にしては良く登れた。意外と星田は雨には強い。
そして次の日の日曜日は晴天。久しぶりの烏帽子・駒形に行ってみた。凄い人でびっくり。次から次へと烏帽子に集まってくる。相変わらずの人気だ。アップのつもりの、ゴールドフィンガーと熊カンテ(共に5.10a)で不覚にもテンションを掛けてしまいがっくり。なかなかクライミングは難しい。そのあと駒形で6月以来のサイレントティアーズに勇気を出して取り付く。
クライミングは、そのルートに間が空くと取り付くのが恐くなる。簡単なところだといいのだが、自分の限界グレードに近いとますますである。しかし、来た限りは登っておかないと、ますますモチベーションは下がってしまう。しょうがないので、取り付いてみた。やっぱりムーブは忘れてしまっている。、あーでもない、こーでもないと繰り返すうちに忘れていたことがよみがえる。下部核心がやっと行けた。上部もムーブは解決した。後は登り込むしかない。帰るまでにもう一回登ろうとヌンチャクを残したのだが、もう腕がパンプして下の核心のホールドが保持できない。何とかA0でヌンチャクだけ回収に行こうと思って登りだしたが、それもしんどい。ビレーをしていたTが回収に行ってくれるというので降りる。やっぱりこのルートはパワールートだと思う。
また、駒形通いだなぁ〜。ふぅ〜。

2005/10/14「Macの調子が…」 
困ったものだ。7月の始めに、起動をしなくなって初期化してOSを入れ替えたのだが、やっぱり調子がここ一週間おかしい。起動に時間が掛かって、あげくに途中で爆弾マークが出たりする。
このマックの爆弾マークは最初に買った、パフォーマでは良く出ていたが、今のG4では今まで5年近く見かけていなかった。久しぶりに見る爆弾は、恐い。一度はマウスのポインターが、何だか変な形をしてると思って、よ〜く見ると矢印ではなくて爆弾だった。私は信じられなくて、あわてて再起動をしてしまった。
うちのマックは、どうなってるのだろう。起動するのに5分ぐらい掛かったり。途中でフリーズかなと思ったら急に動いたり、なんだか変。挙動不審である。
かと思ったら今は正常に動いているので、思い過ごしだったんだろうかとまた期待してしまう。
今週は、Macに翻弄されっぱなしだった。来週は、上手くバックアップを取って修理に持っていこうと思ってる。
そして、最近の新しいMacも見てこようと思ってる。
長い間調子が良かっただけに、以前買っていた雑誌も本も全く買っていないので新製品がよくわからない。
Mac OS X tigarという厳めしい名前のシステムも、いったいどういう物なのかも想像も出来ない。気になる機種はiMacG5とMacmini。
パソコンって、みんな頻繁に買い換えてるんだろうか?
最近はまた、Macが気になって仕方がない。

2005/10/12「ピアノの調律」  音楽
たまに娘が帰ってきて、ピアノを弾いているとピアノの音っていいなぁ〜、と思う。娘が三歳頃から親子3人で習っていた。ピアノの音は私には思い出と一緒に、心地よく響いてくる。
この間も娘がピアノを弾いていて、「音狂ってるよ、気持ち悪い」という。悲しいことに私には分からない。娘たちは小さい頃からの教育の成果で、絶対音感が身についている。私はといえば、全く絶対音感が無い。ピアノの先生が、子どもと同じように聴音をしてくれようとしたが、すぐに私への教育は諦められた。
原因は、小さい頃の音楽教育にあると私は思っている。小学生の頃音楽が好きでハーモニカとか縦笛に夢中になっていた。学校の帰り道も、縦笛を吹きながら、歩いていたのを今でも思い出す。学校の音楽の教科書は、最初にすべて移動ドでドレミをふって、ハ長調の音階に直して縦笛を吹いていた。その癖が、未だに抜けきれず。聴音をしてもらっても、まずはドを探してそこから音を拾ってしまう。だから調によってドが移動して、私の頭の中では曲よって違うドができあがってしまう。ヘ長調だとファがドで、ト長調だとソがドである。これは、間違いではなく昔はそうして教育されていたのだが、これでは絶対音感が付くわけはない。
絶対音感とは、ドの音は絶対に一つである。ピアノの鍵盤の音は一つずつに一つしか音名はないので、それを記憶したらキーを押すと音名が出てくる。それが絶対音感だ。
それともう一つは、狂った楽器の音で教育されても絶対音感は付かない。自分で絶対音感が無いことを、ピアノを習いながら悲しいことだと思っていたので、ピアノの調律だけはちゃんとやってきている。
昨日は、定期調律の日だった。調律師のNさんとは前の古いピアノから20年以上のおつき合いだ。とても時間を掛けて丁寧に音を合わせてくださる。そして終わると近況に話が及び、私の習っていた先生の近況も聞ける。
帰られた後は、日頃あまり見向きもしていないピアノだが弾いてみたくなる。やっぱり絶対音感はなくても、音が綺麗に響いているのはわかる。最近は弾ける曲も少なくなっている。ひとしきり、ソナチネという教則本で遊ぶ。最近マンションである我が家の階下から、良く聞こえてくる曲でもある。
やっぱり、音楽や山の美は私にとって共通していると感じる。最近よくいわれている「癒し系」なのだと納得した。

写真は45年ほど前の私のピアノである。今のピアノを買うときに下取りされても壊されるだけという運命を悲しく思い、知り合いの人にもらってもらった。もしも今もあるのだったら、会ってみたい…。(17年前の写真)

教訓「三つ子の魂百まで」「鉄は赤いうちに打て」教育は大事だと、つくづく思った。


2005/10/11「高校のクラス会」  
毎年高校2年の時のクラス会が行われている。
私は、数回しか行っていない。
今年も連休の真ん中の日なので欠席のはがきを出していたのだが、天気が悪そうで、クライミングの遠征が中止になったため、クラス会に久しぶりに行ってみた。
今回の幹事の実家である「善峯寺」(よしみねでら)をお借りして行われた。このお寺は、ずっと昔に行ったことがあるが、すっかり忘れてしまっていた。西国第二十番札所でもあり由緒のあるお寺である。
本坊でクラス会が終了後、ぐるりと周遊コースをみんなで歩いてみた。
この日は天気が良くて、京都が端から端まで一望できた。この日の善峯寺は観光客で賑わっていた。
もう少し上の山が、ハイキングコースとしてわりと知られてるポンポン山だ。

久しぶりのクラスメートは、古いアルバムと見比べてやっと誰かが分かってきた。かなり変貌している人もいれば、昔のままの人もいる。
このクラスの時に夏休みに四国へ旅行をした。そのときのメンバーの一人が東京から来た。約40年振りに会って、その時の話に花が咲いた。私が海で綺麗なフォームで泳いでいたという。
これは、あとで彼女が作り上げた幻影。私は昔からカナヅチなので、それはあり得ない。なぜか私はスポーツ万能に記憶されてる。これも全く違ってる。
こんなごちゃ混ぜの記憶を辿っていくことも、こんな機会にしかないだろう。

楽しいひとときだった。

2005/10/9「雨の日のクライミングで思った」  クライミング
朝から雨模様だったが、昨日は星田に向かった。キャンセルがあり、私たちだけだった。2本登った後、また凄い雨。とうとう水が溜まり始めたために、小屋に避難して昼食をとる。
もう、星田での登攀意欲は喪失してしまい、パンプに転進。やっぱり、とても混んでいた。ここでテン台8本登る。この日は計10本頑張った。
パンプはあまり来ることがないので、難しいのを登って登れないよりは簡単目のところを本数稼ぐ方がトレーニングとしてはいいと思い、いつも頑張って本数を登るようにしている。
それでも、自分の実力の確認にはなる。オンサイトの能力は5.10bまで。5.10cはムーブは出来るがテンションがはいる。それ以上は、困難でかなり練習が必要。これが今の私の、実力かなと思う。岩とだいたい符合する。
イレブンは、かなり気合が入っていないと岩でも登ろうという意欲が湧いてこない。テン台で遊んでいると、クライミングも楽しいなぁ〜、と気楽でいられる。しかしこれが続けば飽きても来る。だからといっていつもいつも上を目指してる精神力が私には欠けている。
しょせん、遊び。私の場合はこんなものでしょう。

2005/10/3「素敵な出会いの山旅」  登山
4-5年ほど前に「岳人」に載った池の平から見た平の池とチンネの紅葉の写真が胸に焼き付き、行きたい行きたいと思いながらもいろんな事情でなかなか行けなかった。
今年こそは必ず、と密かに計画を練っていた。最初の計画では室堂から北方稜線を越えて池の平にたどり着くという計画だった。これも数年前から出来上がっていた。
意を決して、相棒を会で募ったが誰も来てくれなくて、単独となった。天気予報は悪いが、これを逃すとまた一年モンモンと過ごすことになりかねない。一日早めて運を天に任せて出発した。
結果は初日だけ晴れ。とはいっても雲の多い日だった。次の日の朝はどんよりとして、厚い雲が劔の上部を覆っていた。稜線を隠した北方稜線を目で追いながら、まだ未練はあったが断念して劔沢を下った。真砂沢ロッジに着いた頃には雨がポツポツ。それからは3日目(10/2)の下山まで雨が降り続けた。自称晴れ女の私としては、これからは自惚れはよした方がよさそうだと反省した。
雨で台無しとなった裏劔の紅葉だったが、時期的に色付きも今年は遅いということもあり、天気は待っても今ひとつ良くならないという予報なので、晴れ待ち停滞組の人を尻目にさっさと下ってしまった。これが、ガスの下に素晴らしい紅葉が隠れているというのなら、もう少し待ったかも知れない。
私は今回のような、単独小屋泊まりという山行形態は今まで全くしていなかったので、とても楽しかった。初日に時間があったために室堂平をうろうろしたり、ぼ〜っと時間を忘れて風景を眺めてたり出来たのは、単独のお陰でだった。
そしていろんなところでいろんな人と出会えたのもいい思い出となった。剣山荘ではやはり単独の64歳の女性と同室で楽しく山の話で盛り上がり。池の平では写真目的で何日もの停滞の人とも出会え、同世代の女性3人のにぎやかなパーティーともいろいろ話せ、中年女性はほんとうに元気だなぁ〜、と感心した。
もっとすごい出会いは、劔御前小屋にもう少しという登りの登山道で、軽やかな足取りで上から下ってきたかなり年輩の女性が目が留まった。見覚えがある。すぐに「Kさんですか?」と聞いてみた。「そうですけど、何で知ってはるのん?」と反対に質問された。「70歳で屏風を登らはったKさんは、有名ではありませんか? 今お幾つですか? 山も歩いたはるんですか?」と私の矢継ぎ早の質問にも、いやがらずに答えてくれる気さくな人だった。
kさんには、以前2回ほど会っている。1回目は大阪パンプで遠目に見ただけだった。私が星田に通い初めてなかなか登れなかったときに愚痴ると、常連のおっちゃんから「大阪に70歳を過ぎてクライミングしている女性がいて、屏風も登ったらしいで…。入れ歯をカタカタ言わして登っているさかいに、カタカタちゃんと呼ばれてるらしい! いくさんもまだまだ若いんやし、負けてたらあかんでぇ〜」といわれ、そんな凄い人がいるんだったら会ってみたいと思っていた。パンプの時は「あぁ〜この人なんやなぁ〜」と気がついたが声は掛けられなかった。
それからだいぶ経って数年前だが、神戸三宮にICI石井スポーツが関西に初めてオープンした。その日バーゲン商品を目指して行ってみた。目的のクライミングシューズを見ていたら、登山靴を履いたお婆さんが私の手にしている靴を見て、「それ底が堅すぎでよ〜ないよ!」と話しかけてきた。その時に初めて私も噂のKさんであることを本人に尋ねて確認した。その時も、店員がKさんが手にしてるクライミングシューズを見て「それ、誰が履かはるんですか?」と訪ね。「私やがな!」と答えていたのを内心、面白がって聞いていたことを思い出す。その時のことを、今回話したが「悪いけど覚えてへんわ」とおっしゃっていた。
二人並んで登山道の脇に座りこみ、一時間近く話し込んでいた。みんなKさんをじろじろ見ていく。中には話しかけてくる人もいる。私が自慢してもしょうがないのだが、つい「この人大阪で有名な人なんですよ」といってしまう。
ロッククライミングはガイドクライミングでだが、山は単独で年中歩いているということだ。ますます感心してしまう。「次の抱負は明星山のフリースピリッツや」と軽くおっしゃっていた。まだまだやる気十分。私は強い刺激を貰い、別れを惜しみながら劔御前に向かった。
今はもう80歳をいくつか過ぎたという。ほんとうに凄い人だと思った。とうてい私には真似は出来そうにもないが、近づけるようにもう少し頑張ろうと気力を貰った。
紅葉と天気は外れだったが、思い出に残る山旅となった。

2005/9/26「あぁ〜、また失敗」  生活
私は、落ち込んでいる。いや、落ち込むような事をまたやってしまった。
先週の3連休は、槍ヶ岳の北鎌に行く予定だったが、あいにくの台風17号で流れてしまい、金曜日の「秋分の日」は星田、土曜日は芹谷、日曜日はまた星田でフリークライミングの3日間だった。
事件は、3日目の星田の帰りに起こった。この日は2日間の疲れで、一本目のアップから掌が痛く、やる気が起こらない。2本目もテープを巻いて簡単なところをトライしたが、それでも掌が痛い。3本目にはとうとうギブアップ。もうクライミングにはうんざりしていた。
早めに切り上げることにして、夫に車を取りに行ってもらい、車が来るまで道路脇の橋の上でストレッチをしていた。しばらく待っていたら、車が横付けされ、私はザックを積んで乗り込み帰路についた。10分ほど走ったときに、いつもの黒いバッグが無いのに気がついた。すぐにザックだけは積んだが、その時便宜上、足下に置いたバッグを置き去りにしてしまったことを思い出した。「あっ、バッグ忘れた」の私の言葉に「良く探したら…」と夫が言うが、置き去りにしたことを思い出したのだから探す必要はない。
悲壮な声で「戻って!」を繰り返す。橋の上に残置されていることを願いながら戻ったが、橋の上は何もない。念のために全速力で坂道を駆け上がり(こんなに早く走れるとは信じられなかった)、帰る前には入ったピトン小屋のトイレに駆け込むが、やっぱり無い。ショックだった。中にはクレジットカードや免許書なども入ってる。
あわてて小屋に駆け込み、届け物はないかと事情を話して聞いたがないという。バッグに私の携帯も入っているので、小屋の電話を借りて掛けてみた。呼び出し音が続いた後、「この電話は電波が…、かけ直すかそのままお待ち下さい」とコメントが流れた、しばらくそのまま待っていたら、男性の声がした。
橋の上で拾って、警察に届けようと探していたところだという。ホッとした。途中のコンビニで待っていてくれるというので、いそいで引き返した。コンビニで「気ぃ〜付けや!」と言われながらバックを受け取った。
家族連れだった。その男性は、弟が同じようにバッグを落としたそうだが、財布の中身を抜き取られて、警察に届けられていたそうだ。
私のバッグはいい人に拾われて、そっくりそのまま帰ってきた。お礼を渡そうとしたが、受け取ってはくれなかった。
つくづく、こんなミスをおかす自分がいやになった。
今日は落ち込んで引きこもっていたら、夕方「松茸ご飯炊いたし取りにおいで」と82歳の母から電話があった。この一人暮らしの母の方がよっぽどしっかりしている。
反省しきりである。

2005/9/21「認知症ではないが…」  健康
最近物を探していることが多いなぁ〜。どこに置いたのか、すっかり忘れてしまっている。小川山では靴下を干していて忘れてきた。買ったばかりだったので、がっかりした。今も、今週末の用意をしていて、ザックカバーを探している。これも新しい物だ。そういえば、夫も最近何でも探しまくっていることが多い。「あんた、○○知らない?」としょっちゅう聞かれるが、大概は自分の部屋から出てくる。
この前の志津川の岩場では、さっきまでビレーに使っていた確保器が、次にビレーをしようと思ったらない。環付きカラビナのみが
ハーネスに残ってる。いつ無くなったのだろうと不思議になってくる。その辺をくまなく探しても見つからない。未だに、消えたとしか思えない。昨日新しいのを購入。列記したのは本当に最近のできごとばかり。
夫婦揃って、「○○どこへ行った? あれ知らない?」を連発していると思うと滑稽でもある。言われた私は「また、ゆうてる!」といやになりながら、自分でも捜し物をしていたりして苦笑してしまう。特に、山に行くときには大騒ぎである。
最近ぼけ症状とか言わなくなって、いつの間にか認知症と呼ばれているが、その兆しかと心配になってくる。しかしネットで物忘れと認知症の違いというのを見つけた。これによると私たち夫婦は「老化(歳のせい)によるもの忘れ」で「痴呆症によるもの忘れ」でないことが判明した。ふ〜っ、安心した! えっ、待てよ! 安心なんかできないやん! 「老化(歳のせい)」ガ〜ン!!! やっぱり、そうだったんか。がっくり!!

きょうは、これから星田へ忘れたクライミングシューズを取りに行く。この前お酒の試飲会に心奪われ気もそぞろであわてて帰ってしまい忘れてきてしまった。その時も帰りに歩き出して、いやにザックが軽いなぁ〜、と思い忘れ物が無いか調べたのに、その夜Tさんからの「クライミングシューズ忘れていたので、ピトン小屋に預けてあります」とメールを貰うまで全く気がついていなかった。
もうすこし、じっくり落ち着いて生活しなくてはと、またまた反省。これは日々忙しすぎるからだと思う。自覚をして、意識しながら生活をしていくことにしよう。

認知症ともの忘れの違いのサイト
http://www.e-65.net/bases01_03.html

2005/9/18「豚カツ」  生活
昨日はお酒の試飲会に帰りに寄るので、久ぶりに電車と歩きで星田に行ってきた。私市駅からは30-40分の道のりだが、ちょっとしたハイキング気分で気持がいい。天の川沿いに歩いていたら、通る風にもうすでに秋の気配がする。萩の花が咲き誇り、あわてん坊の樹木の葉が色付いているのもある。そして、ハイカーも多かった。
着いたのも遅かったが、帰りも早い。試飲会に行くために2本登りまた歩いて駅に向かう。なんだか落ちつかない一日となってしまった。
試飲会の行われた酒造は、交野市河内森の古い酒蔵で建物もかなり古い。この辺りは立派な旧家ばかりだった。試飲会は初めての経験だったが、やっぱり味と値段は比例すると私の味覚でもはっきり分かった。
帰りは、ほろ酔いでいい気分。そして禁を破って豚カツを食す。久しぶりのアルコールと油は体の隅々まで染み通っていった。
たまにはいいではないかと、自分に言い聞かした。


2005/9/14「もう秋」  クライミング
またぶり返した暑さも今日で終わり、秋になるらしい。テレビの天気予報では「明日から秋」と。そういえば開け放した窓からは冷たい風が入ってきている。もう窓は閉めて寝た方がよさそう。
今日は10日ぶりの平日の星田へ。やはり今日の星田ではまだ、夏だった。昼頃から登りやすくなってきて、クライミングシーズンを実感。
右壁の赤白テープはやっと上まで休まずいけた。前に何でもありでRPしていたが、この夏の間は、休まずに行けたためしはない。そして、いつものメンバーと楽しいひとときだった。
また、前向きな気持になれそうな予感を感じた。不思議なことに掌の痛みは消えていた。いつも星田のガバは掌に豆を作り何本か登ると痛くなってしまうのだが。
岩場でも石灰岩などの尖ったホールドを持つと、調子が悪いときに痛くなるらしい。そういえば、登れた時(RPしたとき)には痛みは忘れているようだ。
今日はいい兆しを感じてきた。浮き沈みも激しいなぁ〜。


2005/9/9「バーゲンセール」  生活
大阪のイトキンのバーゲンに行ってきた。本来私はバーゲンに行くのは嫌いだ。いや、買い物そのものが嫌いなのだ。買い物のために町に出るのも苦手。並ぶのも嫌い。なのに、なぜ行って来たかというと、親戚の結婚式に出なくてはならなくなったので着る洋服が必要となったのだ。
子どもの入学式とか、いざというときの洋服はいままでは持っているもので間に合ってきた。しかし今回も着ようと思っていたものは気がついたら、十七年も前に購入したものだ。着る回数も少なかったので、古びた感じは無いのだが今の自分には少し柄が派手なような気がする。
迷った末に、ちょうど案内のはがきが来ていたバーゲンにちょっと行ってみようかなという気になった次第だ。
私にも多少の世間のしがらみがある。しかし、山に深入りすればするほど、世間から遠ざかっていくのがよく分かった。まずは、洋服のブランドが全く分からない(知らない)。いったい、どんなものがいい(欲しい)のかもよく分かっていない。これが、山の服や道具だったらはっきりした意志が働くのに…。このことを、自覚したときにもう私は普通ではないのかと思ってしまった。山に夢中になって行くにつれて、世間からは遠ざかっていってるようだ。
人は常識があるとか無いとかよく言うが、こういう場合の常識とはいったいどういうことをいうのかは、明確な答えはない。何かにつけて、絶対にこうでなければならないというものも存在しない。物事は視点を変えたら、まるで違うように見えたりする。
たとえば、今回の結婚式に出席するときの服装は、結婚式の出席者の服装に合わせておけば無難に過ごせる。そして居心地もいいものになる。それが、常識という線になる。この場合の結婚式というのも世間のいう、常識的な結婚式をいう。そしてこれらの結婚式は無難に終え、常識的な生活が始まる。
たとえば、山好きのカップルが穂高で結婚式をするとしたら、これはもうすでに山に登れる人しか参加できない。親や親戚、山に登らない友人たちは非常識だと非難するかも知れない。しかし、当人たちは一生の思い出としてはより印象的なものとして残ることになるかもしれない。
また、何にもしないという選択もある。これもこうでなくてはならないと言う人からしたら、非常識なこととなる。
私はこれが常識だと主張する人の非常識さを思うときがよくある。本人がそれで納得しているなら、人に迷惑をかけない限りは非難されることはないはずだ。
世間の一般的な多数の人が行うことを常識とし、それに習えば平和に過ごすことが出来る。しかし、その多数からはみ出したからといって、非常識と批判することは間違いだと思う。
人間は、もっと自由であるべきだと思う。
といいながらも、いろんなしがらみから抜けきれないでもいる。
結局バーゲンでは、ふさわしい洋服は見つからなかった。


2005/9/5「週末クライミング」  クライミング
土曜日の椿岩は暑かった。大阪の山岳会4名と私たちの計6名で貸し切りだった。いつも昼頃から日陰になり、風も吹き抜けて涼しくなる。最初アスレチッククラブ5.9でアップということで取り付くがテンションが掛かってしまう。次にモンキー・ジャスティス5.10bここも下部のみ苦戦。椿岩は大概のルートの下部にパワーがいる。女性向きではないのかもしれない。そして、燃えよドラゴン5.10cやはりテンションだらけ。
昨日の日曜日は、雨模様ということで星田へ。頑張って5本登ったが、やっぱり前に比べたら持久力不足だと思う。右の壁がどうしても途中で休まないと上まで行けない状態だ。
この週末も、まだまだフリークライミングの低迷期を抜け出せない結果となった。しかし、「年度別山行記録」を見てみると昨年のこの時期もひどいものだった。結局結論としては、下手だなぁ〜ということに尽きる。あちこちの岩場に食い散らかしたルートを一杯残してきているのみ。
なのに自分では、なんでこうも行くんだろうと思うがやっぱり「登れないから」としか言いようがない。「今度行ったら、少しはましかも…」の連続だ。クライマーに愚痴と言い訳は付き物と前に書いたが、本当に「書くと愚痴になる」というのはおしまいにしたいものだ。

椿岩の燃えよドラゴンやモンキー・ジャスティスはとても楽しく登れるルートだ。結果はともあれ、こうも足が向くというのは登ること自体が楽しいのも事実だ。自分流の楽しみ方で、楽しくやっていくのが一番。涼しくなった頃には、また少しはましになるでしょう!!

日曜日の星田もとても空いていた。9月から「予約の徹底」がされたからなのだろうか。常連の顔を見ないのは寂しい。


2005/9/2「あっという間に一週間」  健康
椿岩から、帰ってからまた一週間が過ぎて、また明日は椿岩の予定。水曜日には星田に行ったが、クライミング以外の日常生活が何だか印象に残っていない。こんな、生活をしていていいのだろうか?
日常では、まだ歯医者に通っている。とうとう今度の治療で終わりになりそうだ。今年の始めから苦しみ続けたあの苦痛からはもうすでに逃れられている。バンザ〜イ!!(まだ、少し早いのだが…)ぞういえば、肩こりと頭痛もほとんどしない。毎日、整体に通っていたのも嘘みたい。
人間の体はもろいものだと思う。歯車が一つ狂うとガタガタとくる。おかげで最近いろいろ、健康に気をつかっている。
その一つに、最近玄米ご飯にしてみた。お米も思い切って「魚沼のコシヒカリ」にした。ちょっぴり贅沢であるが、副食を粗食にすることでカバー。炊き方が難しいかと思っていたが、前から使っている炊飯器で炊いている。最初は、普通のお米と同じように炊いた。少し水を多めに入れたが、パサパサして美味しくなかった。炊飯器のメニューに玄米というのがあるので、炊いてみた。時間が2時間ほど掛かるので、できあがり時間にタイマーを合わせておく。これで炊いたらとても美味しい。白米よりは味があるような気がする。
玄米の、パワーは計り知れないらしい。(玄米の力を参照 http://www.maisen.co.jp/genmai.html)まだ食べはじめたばかりなので、私はそのパワーは実感していない。
いろいろ試してみたくなるのも、健康が大切だと言うことを身をもって実感したからだろう。


2005/8/28「椿岩」  クライミング 

土日は椿岩にクライミングに行って来た。椿岩は家から3時間かかり、日帰りには少し遠いので、土曜日は道の駅で泊まった。この前のつぶやきにヒルに悩まされたと書いたが、やはりヒルは雨のせいだった。2日とも天気が良くて、ヒルは全く顔を出さなかった。

私が、先週「つぶやき」にヒルのことを書いたために、いつもヒルがいると誤解されたようで、クライミングに誘った人から「ヒルは嫌いなので…」と断られた。流す情報には気を付けないといけないと思った。 椿岩は涼しい風が吹いて夏でも比較的登りやすい岩場だと思う。しかし、今回2日も連日登ったせいか、石灰岩の岩質もあつて2日目には指先が痛くなりヒリヒリした。最後には、ホールドを持つこと自体、拒否したくなってしまった。

クライミングの成果自体は、全くダメだった。前に登ったときに最初でワンテン状態だった「燃えろドラゴン」もテンションだらけ。情けないなぁ〜。こんなはずでは…、と思うようなクライミングしか出来ない。

フリーは、調子が悪いと即登れない。土曜日だけ一緒だった、Fさんに燃えろドラゴンの前回も今回もビレーをしてもらった。テンションだらけの私にFさんが「どうしたん?」と言われ、「低迷期やねん」と笑って答えるのだが何とも情けない。

フリーをやっていて、こんな状態がとても多い。たまにRPしたりOSするとグレードに拘わらずとても嬉しく、また前向きの気持になるのだが、そんな時は本当に少ない。ほとんど毎度、今回のように落ち込むことばかりの連続だ。帰る頃には、「もうフリーはいやだなぁ〜」、と思ったりするのだが、しばらく経つと、もう一度登ってみたくなる。

また、椿岩に行かなくてはならない。

しょせんフリーとは、こんなものだと思う。


2005/8/25「屏風岩の山行報告を書いて思うこと」 

屏風岩の、山行報告を一気に書きあげ、取り敢えず公開した。思い出すまま書いていたら、いつも以上に長くなってしまった。いつも読んでもらう人のためには、端的に要所を押さえた文章を書かなくてはと思うのだが、うまく纏まらない。
そして、公開してから読み直すと、けっこう訂正個所が入ってしまう。私は、山行報告を書くこと自体、あまり苦にならない。しかし、一気に書き上げるときは、その山行が私にとって、とても面白いと感じるからだ。その反面、書こうという意欲が湧かなかったり、途中で頓挫してしまうのは自分にとって書きたいという意欲に対する材料となり得なかったと言える。
山へ行きだして最初から書いていたというわけではないのだが、山岳会に入ってからすこしづつ山行報告を残してきている。それがこのHPを立ち上げるきっかけとなった。
ふり返ると、山行報告を書きたくなる気持につれて、私の山への向かい方も自発的になってきていることに気がつく。

今も読み返してみていて、もうすでに忘れかけてるこの屏風の登攀をもういちど、反芻することが出来た。私は根っから楽天的なのか、「辛かった」ことも「苦しかった」ことも、あとで読み返してるときには、「楽しかった」の方へ移行してしまう。
文章に残すと言うことは、こうして何度も楽しめるからだと思う。そして今度行くときにとても役に立つ。

「いくさんのお部屋」は、まさに私のアルバムなのだろう。写真や印刷物の報告はあちこちに散らばって無くなってしまうが、この部屋は直ぐに出てくる。便利な世の中になったものだ(年寄り臭いなぁ〜)。
そう考えたら、こんな個人的なものを公開していていいのだろうかと、ふと思ったりもする。
私がお婆さんになって自分の体の自由が利かなくなったとき(山へは行かれなくなったとき)に、「いくさんのお部屋」が残っていたら嬉しいなぁ〜。だったら、余生をまた楽しく生きられることでしょう。
はて、どうなってることでしょう???


2005/8/23「そういえばセミの声が…」  生活

朝夕がめっきり涼しくなってきたと感じる。
早朝からの蝉の喧騒もそういえばここしばらく聞こえてこない。
もう秋なんだ。
ここのとろ、おながよく空く。
特に、屏風から帰ってから食欲もりもりだ。
ぐっすり朝まで寝られる。
やっぱり、秋なんだ。
台風がふたつ、天気図を見ると太平洋にある。
ひとつは今週末に来そうだ。昨年の上陸台風は異常に多かった。
今年は、さけて行って欲しいものだ。
今週末は天気が悪そう。

2005/8/20「椿岩のヒルはひつこい」  クライミング

今日は三重県の椿岩に行って来た。
これで、3回目である。
最初はかなり昔のお正月に、場所を探しがてら行った。
その後には、平日にFさんと貸し切り状態で登った。

そして今日車で椿に向かって走っていたら「今日どこでクライミング」と携帯メールがFさんから入つた。「椿岩に向かっているところ」と返信した。電話で話したら、椿岩はヒルがいるからとFさんが言う。こんなに暑いからヒルはいないでしょうと私。それでも1時間ほど遅れてFさん夫妻はやってきた。

ナインを2本登りもう一本登っていたら、雨が降り出してきた。そして雷と激しい雨になり、もう撤収しようと言うことになりTがヌンャクをずぶ濡れで回収。小雨になるのを待って駐車場に戻り、着替えていたらヒルが何匹もくっついている。Fさんの言うとおりだった。椿岩のヒルはなんとひつこいヒルだった。もともとヒルは、食いついたら満腹するまではがれてくれないひつこい生き物だが…。最初にヒルを見たときには気絶しそうな(少しオーバー)ほど吃驚したが、頻繁に出会ってるうちにだいぶ免疫は出来てきたが、いまだにキショイ(娘が中学生の頃、盛んに使っていた「気色悪い」という意味の言葉らしいが私は使ったのが初めて)。

話は岩場にもどるが、少し前に柏木に行ったが、ここは下手な人はお呼びじゃないという雰囲気がある。5.10台もかなり難しく感じてしまった。蝙蝠谷も許可制になってからもいろいろあるようだ。岩場にはいろいろな特徴があって、グレードなどが合わなかったりすると、行ってもなかなか馴染めなかったりする。

いままで椿岩は家からは遠く、なかなか足が向かなかった。しかし、簡単なルート5.9からあって、今の私にはちょうどいいのかも知れない。
雨の後、椿は涼しくなった。
そろそろ季節は秋にに向かい、フリーには絶好の季節となる。
今秋は椿あたりに通ってみようかなと、調子はまだ出ていないが少しはやる気が出てきたようだ。
芹谷でもいいなぁ〜。しかしこの両方ヒルがつきまとう岩場でもある。
そういえばFさんが、「秋にはヒルはでないよ」と言っていたっけ。
私もヒルに負けてないで、もう少し岩にしがみつかなくては…、と思った次第だ。

2005/8/17「夏休み」  クライミング

10日の早朝自宅を出発。一週間はあっという間のことだったようでもあるし、またずいぶん前のことだったような気もする。今朝電話して届けてもらったずっしりとした一週間分の新聞に、タイムスリップした時間が集約されて封印してあるようにも思える。私が居なくとも、社会は勝手に動いている。
若い頃、忙しく仕事をしていたときに、私が職場を辞めたらきっと大変なことになるだろう、と自惚れていたことがあった。しかし、自分のやってる仕事をこなす人などすぐに見つかり、それで会社が潰れるなどということはあり得ない。
今の私は一週間、家を空けていても何の問題も起こらない。その間の新聞紙上をにぎわしている小泉首相はそうは行かないだろう。一週間、いや数時間でも失踪なんていうことになったら社会は大混乱に陥ることだろう。私にはお気の毒としか映らない。
ずっと前に「人生を半分降りる」という本を読んだことがあったが、私の場合はまさに徐々に降りて半分以上は降りてしまっている。その代わりに、無いものといえば地位とか名誉とか経済力とかいろんなものが何もない。
しかし、経済力は食べられないと人生も降りられないので最低限働かねばならないのだが、他のものは私には全くいらないものである。名もない人間を自覚したときに、プライドは捨てて蟻ンコのようなただのちっぽけな人間を自覚できるようになると思う。
今回の屏風岩は、大きな石ころをせっせと蟻ンコがよじ登ったようなものだ。蟻ンコがせっせとよじ登っていても、多くの人はそれに意味を感じないだろう。
自分がやりたいという衝動を抑えず行動に移すこと。ただそれだけで、山やクライミングに向かわせているのだろう。自分なりに達成感や満足感、また挫折感を味わうのは、やっぱり「自己満足」の世界だと思う。
今回の屏風は、いろいろ考えるところもあったが、自分なりには達成感と満足感は味わえた。


2005/8/8「どこへいっても暑い」  クライミング

金曜日と日曜日はほしだへ。
やはり、空いている。この暑さだと当然か…。
フェンスに置いてある寒暖計は日陰にも拘わらず39度を指していた。
5.10c-dという新しいルートが出来ていてセッターのTさんが「いくさん、簡単なルートが出来ているから登ってや〜」とおっしゃる。いつもながら、Tさんのおっしゃる簡単はくせ者である。テンの後半は私にはかなり難しい。
しかし、新しいルートが出来たときは上手い人も下手な人もみんなで挑戦して、あれやこれやとおもしろい。自分が行けない核心が、上手い人も行けないと、内心ほくそ笑んでいたりする。
クライミングは、とても地味なスポーツだと思う。全く知らない人には高いところで、華麗にムーブをダンスのように披露して、派手に落ちる人工壁のフリークライミングは華やかでかっこよく映るだろう。
しかしやっているものは一手を汗だくで取った取れないに必死で、そのたびに喜怒哀楽を表し落ち込んだり舞い上がったり。ほんとに個人的で些細で地味なものである。最初に格好良さにあこがれているだけの人は長くは続かないだろう。惨めな情けない自分もちゃんと受け入れなくてはだめだと思う。
私は自分のことを、惨めで情けないと思うことの方が多く、才能のある人や上手い人のことをうらやんだりする事がままある。
昨日はハイキングの男の子が、隣の遊び用のボルダーで夢中で遊んでいたので話しかけた。小学2年生である。「こうするといいよ!」というと素直に聞いて何度も繰り返している。身軽なので何の苦もなくやっているようで見ていて羨ましい。あんな風にクライミングが出来たら楽しいだろうなぁ〜、と思ってしまった。
この日最後の一本を登っていたら、「おばちゃんが登っている。がんばれ〜!!」先ほどの男の子の声援が何度も聞こえる。ぐるっと園地内を歩いて帰ってきたところだった。おばちゃん、おばちゃんと聞こえるのは、いささか抵抗を感じたが、素直なその声援がとても嬉しかった。


2005/8/5「夏生まれ」  生活

私の誕生日は8月3日だった。特に変わったことのない誕生日を迎えられるのは幸せなことなのかもしれない、とつくずく思う年齢になってきた。真夏に生まれた人は夏に強いと聞いたことがあるが、私もご多分に漏れず冬よりは強いようだ。
今年も昨年に引き続いて連日35度を超す勢いの猛襲続きである。まだクーラーは付けていない。私はクーラーを付けた方が調子が狂ってしまう。
しかしながら、この猛暑ではさすがに平日クライミングに行きそびれれてしまう。ホシダにはトレーニングに行っておいた方がいいのは重々自覚しているが、なかなか足が向かない。歯医者通いがまだ続いていたり、母の用事をたのまれたりで、「今日は無理だ」と言う理由は簡単に見つかるのだが、やっぱり意欲がないのだろう。
何かにつけて、「忙しいから…」などとやらない理由を言うときは、必ず意欲減退期だ。夢中になっているときは、何事も寸暇を惜しんでやっている。いま、ヤバイときかも知れない。特に自分のグレードが落ち目(行き詰まり)のときには、この傾向に拍車を掛けてしまう。これも、一つ歳を取ったことと関係はあるのだろうか?
クライミングは特にモチベーションの持続が難しいものだと思うが、ここで踏ん張っておかないと、ますます行かない理由が出来てしまう。
明日は、また用事で行けないのだから、今日こそは行こう。

これを書いていてふと、朗読のレッスンでかなり前に読んだ高村光太郎「牛」という詩を思い出した。

「牛はのろのろと歩く
牛は野でも山でも道でも川でもまっすぐに行く
牛はただでは飛ばない、ただでは躍らない
がちり、がちりと
牛は砂を掘り土を掘り石をはねとばし
やっぱり牛はのろのろ歩く
……………………」

ちなみに、私は丑年でもある。


2005/7/31「リュウゼツラン」  生活

竜舌欄(リュウゼツラン)という、初めて聞いた名前の花を見てきた。
先日、友人のSさんから「竜舌蘭が咲いています」と突然電話。
「いったいそれはなんですか?」と私。
全く知らなかった花だった。

奈良教育大学のHP   http://kaede.nara-edu.ac.jp/agave/index.html

いつも通りネットで調べると、とても咲いているのは珍しい花だという。
100年に一度開花し、そのあとは枯れてしまうらしい。
日本では、30-50年に一度しか咲かないという。
早速、ホシダの帰りに見てきた。場所は枚方市の星ヶ丘年金病院。
この花は、やっぱり見たことがなかった。
数名の人がカメラを向けていた。

 
2005/7/29「お花の名前から思うこと」  人間
いつもいつも、お花の写真を送ってくださるSさん。先日のPCの不調で消えてしまい申し訳ないと思っていたが、今度は伊吹山の花を沢山送ってくださったので、今日やっと更新できた。
いつも感心しているのは、名前をちゃんと付けてくださっていることだ。わたしは知らない花が多く、写真を撮って帰ってから調べても名前が判らないのが多い。これかなと図鑑を眺めながら思っても、すぐに葉っぱの形や顎、花びらの数など違っていたりして打ち消す要因ばかりが見つかってしまう。かなり時間も掛かる。おまけに、記憶力が悪い。やっと調べて知った名前は忘れたくないのにすぐに忘れて、「あれ! あれー! ほら! ほら! あれやぁ〜!」を連発している。我ながら情けない!!
もう少し、時間を掛け図鑑を広げ特徴を観察して写真を撮るという行為まですれば、少しはましかも知れないのだが、「あれ! あれー! ほら! ほら! あれやぁ〜!」を連発しながら、いつも写真をパチパチ撮って帰るだけ。
何をするにも、軽く上滑りに楽しむ人と、一つのことを掘り下げてする人がいると思う。それによって完成度が違ってくる。私の場合はどうも前者のようだ。人生それにすべてを掛けて素晴らしい業績を残し、人間国宝(重要無形文化財保持者)なんて人は尊敬してしまうし、うらやましい。
しかし、超凡人の私には、絶対出来ないことだけはわかる。
でも、超凡人の私でも好奇心だけは旺盛なようだ。「これなに? あれなに?」と子供のように聞いてしまう。それは、お花だけではなくいろんなことに広がっていく。
そして、また忘れてしまう。


2005/7/22「抜歯」  健康

最後にしたいと書いた歯科医院に通院して2ヶ月になる。まだ治療は途中だが、ほんとうに最後の歯科医院になりそうだ。
昨日は、かみ合わせの歯がなくなり、そのために伸び放題になっていた奥歯を一本抜いた。
何歳になっても、歯を抜くのは恐怖である。麻酔のお陰で痛みはなかったが、ガリガリ音を聞いているだけでいやなものだ。
そういえば、最近痛みはすっかり忘れていて、自由にどちらででも噛んで食べている。
まだ完全に治療は終わってはいないが、もう土台の歯茎の治療は終わっている。あとは被せて見た目にも実用にも耐える状態に形成してもらって治療は終了と言うことだ。
痛みの無いときには当たり前のことのようで、もう痛かったことを忘れてしまっている。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ということか。
先日、友人から電話で歯医者について聞かれた。私と同じような状況で、歯だけではなく体調も悪いらしい。
年齢的に免疫力が落ちる時期なのかも知れない。


2005/7/19「立山カルデラ見学と縦走」  登山

新田次郎の「劔岳・点の記」を読んでから、ず〜っと気になっていた立山温泉跡をやっと見てこられた。
最初はザラ峠から下って新湯も見て…、といろいろ考えてはみたが、折立の方に帰るとしたら一日舗装した林道を歩き続けなくてはならないのでうんざりだと思っていた。ネットで調べているうちに、立山カルデラ砂防博物館が夏の間行っている、「立山カルデラ体験学習会」というのがあることを知り、ちょうど一ヶ月前に、健脚コースで申し込んでおいた。
この体験学習会は例年人気があり、特にトロッコでのコースは抽選でなかなか当たらないという人もいるらしい。私は、一番沢山見られる折立からバスで入るコースに最初から決めていた。目的はトロッコにはなかった。
そして、立山温泉跡地を見てこられた。500人もの人が泊まれたという宿泊施設があったとは、とても思えないところだった。タイル張りの浴槽だけがまだ残っていて面影はある。
そして、宿泊者が船遊びをしたという泥鰌池にも行って来た。そこも今は大自然の一部に同化した、緑色の水面が美しい池である。見上げたところが、追分けから登山道が続いていたという松尾峠である。今はかつての登山道もあきらかではなく、立ち入ることを拒むように樹林帯と化している。
現在のカルデラ内は、砂防工事の現場と化してしまっていた。最初に何とか歩いてカルデラに入りたいと思ったが、今回の見学会に参加して、室堂から入ったとしても2泊の行程としては、あまり魅力には欠けてしまっていた。
とても不思議なことだと感じたのは、まるでカルデラ内は観光地のように整備されていたことだ。まずは道標がしっかり付いていて、中に入っても決して迷うことはないだろう。おまけに水洗トイレと休憩所は観光地そのものだった。
これだけ投資していて、一般の人はカルデラに入れないというのはなんだか理不尽なことにも思える。
ここの白岩砂防ダムを最終的には見学してきたのだが、こんなに規模が大きいものは初めてみたが、砂防ダムはどこの山に入っても大なり小なり見かけることが多い。今までは砂防ダムに対しては美観を損なうことはあっても、必要なものだという認識に私は欠けていた。ここの博物館とこの見学会の趣旨は、砂防ダムの必要性を認識させるための存在でもある。
昨年も、河川の氾濫はニュースでも取り上げられてきた。富山平野はこの別名暴れ川と呼ばれる常願寺川の反乱に、人々は苦しめられてきたそうだ。
新田次郎の小説では、明治から砂防工事の関係者が立山温泉に宿泊していてあまり良く書かれていない。
しかしながら、こんな地味な仕事を一世紀もやり続けていたとは、全く私の知らない立山だった。そしてこれからも終わりが無く、カルデラ内での自然との闘いが続いていくことだろう。
決して自然を破壊して人間の利益を生むということなく、上手く共存していってほしいと願う。
立山は、アルペンルートが出来るずっと前から、いろんな人が山にはいって来ていた。それはかつては信仰という形ではあるが、自然に対して人間が求め続けていた共通のものは、今も昔も変わっていないと思う。昔は信仰に結びつけていたからこそ、山に人が入りやすかったのだろう。今はアルペンルートが人を山に導いている。私の山へのきっかけは、アルペンルートでの立山が原点である。
そして、以前別山をピストンして雄山から越中沢岳まで歩いた。今回はやっと大日岳から雄山まで繋がった。
いろいろ、考えさせられる立山だった。



2005/7/11「週末はやはり雨だった」  レジャー
週末の天気予報は雨。
仕方なく、土曜日はホシダに向かう。2本登ったところで雨足が強くなり、一緒だったFさんの案内で、最近出来た奈良の郡山にあるジムOCSへ向かった。思っていたより立派なので驚いた。ボルダーが中心だがリードもある。すぐに、5.9のボルダーや小林由佳さんのルートに取り付くが、これがなかなか難しい。
どこのジムでも初めてのところは、登りにくいものだ。しかし、パンプと比べるとグレードはかなり辛いように思うが、自分が登れないからそう思うのかもしれない。夕方まで遊んで帰宅。

日曜日は、雨という予報だったのでレストするつもりだったが、朝から雨は降らない。昼頃から、久しぶりに宇治の志津川バットレスに行ってみようと言うことになり家族で出かけたが、濡れていて登れそうにない。
仕方なく、宇治周辺をドライブしていて、三室戸寺に入ってみた。昔行ったことがあるが、すっかり忘れてしまっている。今はあじさいの季節だが、もうだいぶ枯れていて時期は終わりだった。花は枯れかけてくると、悲惨な状態になる。本堂の前の蓮の花は今が見頃で綺麗だった。
足腰の祈願で、わら草履のミニチュアの絵馬が500円だった。少し高いと思ったが、「これからも永〜く山に向かえますように!!」と書いて祈願してきた。さて、どれほどの効果があるものか、楽しみである。

2005/7/8「梅雨の晴れ間を見計らって」  登山
水曜日から天気は回復傾向。水曜日はホシダに行き、4本登る。蒸し暑い一日だった。1本登ると汗が滴り落ちる。
帰ってから天気予報を見ると、次の木曜日も晴れそうだ。この日を逃したら、また今年はオオヤマレンゲを見られない。先週末は奥駈道を大普賢岳から前鬼まで抜ける計画だった。それもオオヤマレンゲを人目見たいためにこの時期に計画を立てたが、やっぱり雨だった。当然だろう。
木曜日は予定があったがキャンセルして、急遽4時半に起きて車に乗り込んで向かってしまった。
大正解だった。下山するまで雨は降らなかった。
やっとオオヤマレンゲを見ることが出来た。
そして、おまけのショウキランも見られた。
これで、長年の宿題を一つかたづけた。


2005/7/5「4年目の初期化とシステム入れ替え」  生活
昨日の昼過ぎ、家にやってきた娘が、私のパソコンのスイッチを入れた。それが家のマックくんの逆鱗に触れたように、私が気が付いたときには?マークのアイコンが付いたり消えたりを繰り返している。何度再起動や電源を入れ直しても同じこと。買ってから4年が過ぎても、今度のG4マックくんは快調だったのに…。普通若い娘が触れたのだから、人間のおじ様なら多少は無理をしても頑張ってしまうところなのに、家のマックは…?
冗談はさて置いて、それからはめったに見なかったマニュアルを探し「トラブルの対処法」という項目を見ながら、いろいろ試してみる。できれば、このままの状態でもう一度HDを認識してほしいと必死だった。システムCDで立ち上げて、上書きインストールを試みたができなかった。
この機種の前のマックはパホーマといって、買ったときからこんなことを何回も繰り返していて「マッキントッシュトラブル解決法」という本をいつも見ていた記憶がある。数え切れないほど、初期化とシステムの入れ替えをしたあげく、最後にPCも起動せず?マークの点滅で、息切れしてしまった。
G4マックくんの?マーク点滅を昨日見たときには、そのときのことが脳裏をかすめ、パニック状態に陥ってしまった。とうとうどうにもこうにも何をしても解決できず、マックの「サポートコールセンター」に電話した。
このときには、初期化をすることなど頭にはなく、何とかマックくんを読み込めると思って、藁をもすがる思いで電話を聞いていたが、電話の向こうでは淡々と初期化の手順を教える。おもわず「そんなことをしてしまったら何もかも消えて、買ったときと同じではありませんか?」と言うと、「何とかバックアップが取れないこともないのですが、もう一台パソコンが入りますねぇー」と軽くおっしゃる。「そんなのはありません」と私が言うと、「ジャー仕方がありませんねぇー」とまたまた冷たい口調。この若い女性の淡々とした態度が、よけいに腹がたってくる。「それだったら、自分でもできます」と言って電話を切った。
私とマックくんとのお別れには、もう少し時間がほしかったがしかたがない。デスクトップ上にあったものやネット上のお気に入り、メールのアドレス帳、いろんなものが消えてしまい、まっさらの「ニューマックくん」になる。
ただ、少し助かったのは今年の4月頃に私のHPや作成したものは外付けHDにバックアップしてあった。デジカメの写真は、昨年まではCD-Rに保存していたが、今年のは尾瀬だけが、写真屋さんで紙焼きをしてもらうために、CD-Rに保存できていた。消えてしまったものも、かなりの量になるが、何もかもではなかったのは救われた気持ちになった。
しばらくしたらだいぶ落ち着いてきて、たとえ写真やパンフレット、本など、思い出として残していても、ゴミと化しているものも現実にはたくさんある。人間死ぬときには何も残さないのが一番なんだから、と妙な納得の仕方で平常心に戻る。
それからは、私好みのマックくんにするための作業の繰り返しである。HDのインストールの後は、いろんなソフトのインストール、ネットの設定、HPのアップロードと次から次へと作業が進む。ソフトのCD-Rやマニュアルなど見つからなかったりしてひっくり返して探すものだから、私の部屋の中はぐちゃぐちゃ状態である。昨夜は一時ごろまでかかって、やっと何とか使えるようになった。しかし、ドライバーも見つからないのでネットでダウンロードしたが、スキャナーがどうしても繋がらない。原因は、きょうやっとわかった。接続方法が違うドライバーをダウンロードしてしまっていた。やれやれである。
何で、こんなに苦労してまでまっくくんが必要なのか、これもクライミングと山と同じで答えは出ない。
私には必要だからとしか言いようがない。
他の人もこんなに苦労しているのだろうか?
やっぱり、苦労を人に言わないだけなんだろう。

これでマックくんもだいぶすっきり片づいたので、さぁーこれから少し家の中でもかたづけよう!!


2005/7/3「梅雨時のクライミング」  クライミング
いよいよ、本格的な梅雨に入ったようだ。そんな中、ホシダで登ってきた。岩場に行けないと、ホシダに人が集まる。それも、普段あちこちの岩に分散されていた人が一挙にホシダに集合したといった感じだった。そう、同窓会のよう。みんな、登っていないと落ち着かないのだなぁー。
クライミングに興味のない人は、「なんでこんな日に…」と思うことだろう。しかし、今日来ていた人たちは、こんな日だからこそ登れるところを求めてやってきた人たちだ。気持がよく分かる。それぞれに新しくできた、コンペルートなどにレベルに応じて活き活きと挑戦していた。まさに、水を得た魚(?)。
いろんな人との出会いも、クライミングをしていて嬉しいこと。
梅雨空もまたいいものだ!!


2005/7/1「こんな日には」  生活
昨日も、臨時休日の夫とホシダに行った。私は連日のために掌のマメが痛くて登れない。しばらく間が空いて、また頑張り出すといつもこうだ。手の皮が薄いというよりは、ガバを握りしめすぎだと思う。ハングは特に恐いから思いっきり握りしめて、体重ももろにかけてしまう。もうすこし上手くなれば、掌までマメが出来ることはないだろう。
朝からの雨にもめげず、夫は今日もホシダに向かった。朝ピトン小屋に電話をしていたが、ハイカーも含めて誰一人来ていないということだ。昼過ぎに少し晴れてきたので、常連のKさんに直接連絡して出かけていった。
私は、こんな日は夏の山の計画を練ったりして過ごす。家にはついつい衝動買いしてしまったガイドブックがたまっている。それを引っ張り出して読むのも楽しいものだ。
今日は久しぶりに、ピアノの蓋も開けて弾いてみる。クレィダーマンの子供用の楽譜と四季の日本の抒情名曲コレクションの楽譜を出して弾いて歌って遊んだ。とても簡単な楽譜だけれども、今の私には難しい。
クライミングで言うと、5.9や5.10aといったところか。このグレードも簡単なのに久しぶりに登ると、私はテンションを掛けてしまうことがままある。
ピアノも全く一緒だなぁ〜。詰まりながらの演奏だ。
しかしながら、上手い下手に拘わらず、久しぶりに聞くピアノの音色はいいなぁ〜、と思った。
ピアノは情操教育だというが、習ってるときは無我夢中でただただ練習していたような…。
一生懸命もいいことだと思うが、山も音楽も情操面を大切に楽しんでいってもいい歳頃かもしれない。
ちなみに国語辞典で「情操」を引いてみたら「美しいもの、純粋なもの、崇高なものを見たり聞いたりしてすなおに感動する、豊かな心(の動き)」とあった。


2005/6/29「ホシダで凄い雨」  クライミング
空梅雨と書いたが、今日のホシダは凄い雨だった。雷と共に空は暗くなり、バケツをひっくり返したように空から雨が落ちてくる。その時私はビレー中。あっという間に大きな水たまりが足下に広がっていく。小屋に避難して昼食をとっている間に少し雨は小降りになった。食事後、水たまりはどうなったかと思い見に行ったところ、あっという間に引いていった。
そのあとも、小降りながら雨は降ったり止んだり。しかしさすがに大ハングのホシダだ、その後も登れた。結局雨の前に2本(垂壁5.10aと正面茶5.10a)を登り、昼からコンペビギナー決勝ルート5.11b2回取り付く。少しずつ楽になっていってはいるが、最後のハングがどうにもならず、2回とも左から巻いて終了へ。
雨の間は、涼しい。クーラーのスイッチを入れたようだった。しかしながらも、一本登ると汗が滝のように流れる。今日の汗の量は相当なものだったと思う。
帰りには風呂あがりのように爽やかな気分だった。思いっきり汗を流すと気持がいいものだ。

今週末の天気は、悪そう。週末は2泊三日の大峰奥駈道縦走を計画していたが、難しそうだ。一日だけ歩きに行って、後はホシダになりそう。

やっぱり、雨の日はホシダにかぎる。


2005/6/27「空梅雨?」  生活
今日も暑い一日だった。
天気予報では、午後から雨ということだったが、降らなかった。
梅雨入りしてから降っていない。こんなことでは田圃が干上がってしまっているのではとホシダに行く途中の田圃を見たら、水は少しあった。しかし、これでは蛙も住み心地が悪いだろう。やっぱり田圃には雨が似合う。紫陽花も雨が似合う。実家の紫陽花も干物のようになってしまって、もう枯れてしまっていた。
週末はクライミング日和だが、暑くて気力がなくなる。今週末も晴が続くのかなと思い週間天気予報を見たら、今週末は雨になるようだ。
クライミングや山の予定は狂うが、少しホッとした。私も骨休めが出来るだろう。
この時間になると、涼しい風が網戸を通して入ってくる。そういえば、扇風機をまだ出していなかったのを思い出した。

2005/6/23「ホシダ」  クライミング
久しぶりのホシダ。今月2回目だ。
ホシダカップのルートが残されていて、また新たにルートが出来ている。今日は、5.9垂壁と正面のハングの5.9を登り、久しぶりにサンド 5.10dに取り付いたが、しんどくてテンションだらけ。そして、ビギナーの決勝ルートに初めて取り付く。ビギナーといえども5.11b。ここに取り付いたときにはすでに腕が張っていて真ん中ぐらいまでしか行けなかった。
情けないなぁー。ホシダは(ホシダに限らず、フリークライミング全般に言えることだが)登り続けないと登れなくなる一方だ。悲しい。
その点、山は自分のペースで歩けば何とか頂上に辿り着けるのに…。
ついついやけを起こして投げ出したくなるが、そうすると今までやってきたことは無と化す。
やっぱり、こんな時にも登り続けるしかないのだろう。
今度、新たな意欲を持てるのは涼しくなってきてからだろうか?
それまで、これ以上グレードが落ちないように継続しているしかない。
昨年は、「暑い!暑い!」と報告に書きながらも、たいして登れなくても烏帽子・駒形やホシダに7月8月もせっせと通っていた。今年よりモチベーションはあったようだ。少し反省!
まずはホシダの、ビギナー決勝ルートから頑張ろう。


2005/6/20「御在所」  クライミング
御在所に、また行ってきた。もう何回目かは定かではないほど行っている。今回のメインは中尾根だった。ここも7回目。何回登っても、油断の出来ないルートだと思う。登りながら、初めてここをオールリードしたときのことを思い出す。2001年の8月だった。あの頃は、技術的には未熟だったと思うのだが、気持はかなり前向きだったように思う。恐い恐いと思いながらの登攀だった。今から思えば、良くやったものだ。
今回は、またもやオールセカンドのお気楽だった。刺身で言えばツマのようなもの。女性ばかりの3人だったが、若い二人は安心できるリード振り。やっぱり、フリーをやってるだけのことはあるものだと感心した。頼もしい限りだ。
雨の予報が日曜日に出ていて土曜日日帰りにということになりかけたが、梅雨前線が、南下したまま停滞しているようなので、前日にもう一度小屋の予約をお願いしたところ快く引き受けてもらえ、楽しく2日とも過ごせた。
藤内小屋は、もうやみつきになってしまった。日本一安い山小屋だ。食事がおいしい。特にご飯が美味しい。小屋の後の方で基礎のコンクリートだけだったのが、今回出来上がっていて泊まれた。個室になっていて木の臭いがしている。これも嬉しかった。小屋のお父さんに「何年ぐらい掛かったんですか?」と聞いてみると「四十年ぐらいかな」と笑っておっしゃる。ドアもたたみも何でもかんでも、このお父さんが持ち上げたそうだ。あだ名が「怪物くん」というのも納得。今回も、常連がわが家のようにごろごろしてらした。何とも魅力のある小屋だ。
今日は、いつもになく疲れが残っている感じがする。ブヨの大群に喰われたところも腫れてかゆい。なんで一番歳をとってる私を襲うのだ。ブヨの気が知れない。

2005/6/15「花」  生活
お花を育てるのは下手。
大安売りで衝動買いしたお花の苗が咲き始めた。
とても可憐。
鬱陶しい季節に潤いを与えてくれる。


2005/6/14「週末」  クライミング
尾瀬での小屋泊まりのんびり紀行や何らかやで私の体重はあっという間に増加。人間が単純だと体まで単純に出来ているのかなぁー、と溜め息(昨日のホシダも知らないうちに出てくる溜め息に自分でも気が付いた)。いずれのダイエットも虚しい結果で終わっている。減らそうと思ってもなかなか減らないのに、増えるときにはあっという間だ。
土曜日は不動岩に行き、昨日はFさんに誘われてホシダへ。両日ともやっぱり体が重く感じる。不動では念願の小熊をTRで触ってみた。しかし、ホールドの位置がどこにあるのか確認したのみ。私の実力ではやはり厳しい。やっぱりイレブン台は難行苦行だ。だからといって、テン台は楽かと言えばそうでもない。オンサイトは難しい。
今さらながら、自分のことを下手だなぁーと思う。何とかして登りたいという気持(モチベーション)だけが意欲に繋がっている。あまりに調子が悪いとモチベーションも失せてしまう。調子の善し悪しは、体調の影響が大きい。疲れるなぁー、と思うこともまた多くなってきた。
クライミングは、こういうことの繰り返しだ。いや何でもそうかもしれない。
私の母も、いつも体の調子が悪いことを訴える。しかし、一人暮らしで日常的にはこなして、家庭菜園や花を咲かせて楽しんでいる。私は「そんなに動けたらいいやん」と母の訴えを聞き流してしまう。人が聞くと愚痴にしか聞こえないのだと思う。
昨日「不動で登れず悔しいから、付き合って欲しい」とメールを貰う。頭が下がる。悔しいという気持がバネで前向きな気持が持てるのは素晴らしいこと。
私も愚痴ってないで見習わねば…。


2005/6/11「バイオリズム」  健康
今日は朝から雨。先ほどTVニュースを見ていたら、入梅宣言をしていた。雨の中、夫とホシダに向かった。前日電話でSさんと約束したのでとりあえず行ったが、私はどうもやる気が出て来ないので、夫を下ろして帰ってきてしまった。朝起きたときから体も硬く、腰もだるかった。
こんな気分(やる気が起こらない)の時はバイオリズムはどうなっているのだろうかとネットで調べてみたら、「身体の危険日」になっていた。すべてを信じているわけではないのだが、だいぶ前に私が山で怪我をしたりした日を調べてみたところ、不思議とバイオリズムの危険日になっていたりした。それから、時々何か気になると調べてみたりしている。
こんなものに振り回されるのはしゃくだが、一つのバロメーターとして今日みたいな日に納得するには便利なものだ。これで「こんな日にクライミングをしたらろくなことにはならないだろう」というふうに気持を切り替えることが出来る。身勝手な自分に苦笑!
まぁ〜、占いとはこんなものなんだろう。


2005/6/10「駒形は暑かった」  クライミング
昨日は駒形へ行ったが誰もいなかった。平日でも必ず誰かが来ていたのに貸しきりとは珍しいと思いながら取りついて、理由はすぐに理解できた。
手も足もぬめって、感触が前とは違う。サイレントは1ヶ月ぶりぐらいなので仕方がないと、最初は思っていたが一緒に行ったJ子さんも同じようなので、これは暑さのせいだと結論。こんな日に来るのは、物好きだった。適当に簡単なところを登るにはいいが、限界グレードを登るには酷だ。駒形は昼前頃から日がよく当たり、特にこれからは適さない岩場になるだろう。
たいして上手くならないうちにクライミングシーズンも終わりそうだ。
そんなことを思いながら、閑散とした道場駅前の店に冷たいジュースを買おうと思い寄ってみると、1グループ5-6人が宴会中だった。近づくと女性に囲まれた、顔見知りのSさんだった。不動だったらしい。駒形は暑かったと話すと、「不動は涼しいよ」と美味しそうにビールを飲みながら幸せそうにおっしゃる。羨ましい!!
私は、冷たいジュースで一息ついて、会の会合のために京都に向かった。


2005/6/7「愛・地球博」 レジャー
昨日は愛知万博に視覚障害者のsさんが行きたいということなので行ってきた。私はもともと人混みとお祭り騒ぎがあまり好きではなく、最初は消極的な気持が強かった。
しかし今回は、ガイドと言うこともあってそれなりの自覚と責任も感じていたので、下調べもネットとガイドブックで入念にした。そのうちに、テレビニュースなどで報道されたりするにつれて徐々に興味も湧いてきて、楽しみにするようになってきていた。

一番難しいと思われた人気パビリオンの入場も、ちょうど1ヶ月前にネット予約ができると言うことで、5月6日は朝9時の受付開始前からパソコンの前に座り、Sさん希望のトヨタ館と長久手日本館は予約が取れた。この日9時になったとたんに接続しにくくなり、10分後にはもう×がついて締め切られていた。隙を狙って予約できたのは本当にラッキーだった。

この日は JYAPAN DAY&WEEK の初日で小泉首相と皇太子が来ていたので、平日にも拘わらずこんなに人が多かったのだろうか? まだ夏休みには早いのに子どもが多いのにも驚いた。

入場も視覚障害者用の点字ブロックから入っていくと、みんなの列から外れ待たずに入場できた。
ここで持ち物検査をされ、私は自分の黒酢ドリンクをペットボトルに入れていたために没収された。
手作りの特製ドリンクで、たまたまペットボトルに入れて凍らせて持ってきたのだと説明しても、「規則ですから」の一辺倒で聞く耳がない。弁当は手作りでないと駄目とは聞いていたので弁当は持参した。ペットボトルもコンビニ弁当も、違う容器に移し替えればOKという矛盾したことが起こってしまう。融通がきかない。
何だか割り切れない気持と後味の悪さがの残ってしまった。

やっぱり、人気パビリオンには長い列が出来ていた。予約をしていなかったら、入れなかったところだった。
日本館もトヨタ館も人気があるだけに面白かった。しかしもう一度見たいと言うほどのものではない。
外国館は物産展と販売などが多く、外国の土産物屋さんに行ったか、学校の文化祭のようなものだなぁ〜、と言うのが感想だった。

みんなも、もうこれで次は来たくないと言う感想なので似たり寄ったりだったのだろう。

今日はかなり朝から疲れていた。
人混みは山よりも私にとってはきつい。



2005/6/4 「尾瀬はどこをトリミングしても一幅の画」  登山
5/31早朝京都を出発して6/2まで尾瀬を楽しんできた。夫の伯母(99歳)の訃報が6/1の早朝龍宮小屋に入り、上野でみんなとは別れ昨日の夜遅く帰ってきた。
この年になると、周りは年寄りが多くなりいろんな事情で予定通り行けないことが多くなってくるとは思うが、今回の尾瀬はアクシデントはあったものの計画のコースはちゃんと行けてよかった。

水芭蕉の季節の尾瀬は、やはり美しかった。尾瀬は本当に素晴らしい感動を与えてくれる。「百聞一見に如かず」とは、よく言ったものだ。行く前から、行こうか行くまいか悩みぬいていた友人も大満足で帰ってきた。25年以上のお付き合いで、こんなに感謝されたのは今回が初めてのような気がする。

勝手な人たちだと思う反面、私も嬉しい。今回は山道具を貸したが、自分のものを購入するという。大自然の魔力に取り憑かれたようだ。私の最初と一緒だとつくづく思った。そして私は、今もその魔力に取り憑かれ続けている。

   


2005/5/30「アブミの最上段」  クライミング
土曜日は烏帽子駒形へ。
会のメンバーの女性からメールでアブミの練習に付き合って欲しいと言うことなので、フリーを少しした後、私も初めての駒形岩の左にあるアブミの岩場で練習した。
私はあまり人工登攀が好きではなく、かなり長い間アブミは使用していない。最初に買ったのは、振り分け式のテープアブミ。
本格的な使用でなければ、軽いのでこれを持っていっていたが、風があったら使いにくいのと、長い間乗っていると足が痛いという欠点がある。
それで、何年か前に4段のプレートのアブミを自作していたが、あまり使う機会もなかった。作ってすぐに金比羅で試用してみたら、4段は長すぎたので3段に改造。今回はこれを持って行った。右の方にA1の練習ルートが2本有り、最初長い方のルートに取り付いたが3ピン目がとても遠い。諦めて、右横の短いルートに取り付く。
すると、その長い方のルートに他の人が取り付いて、さっさと登ってしまった。180センチ以上ある男性なので難なく届いたのだろうと思っていた。
しかし、もう一度ヌンチャクが掛けられないかと試していたら、先ほど登った男性が、最上段に立つには踵を裏から入れると真っ直ぐたてると教えてくれた。半信半疑で試してみたら、まっすぐにたてて難なく届いてしまった。おまけにとても安定している。しかしこれはテープアブミだと乗りにくいだろう。この技を知らなかった私は、「目から鱗」だった。
帰ってから「最新クライミング技術」を開いてみると最上段への立ち方という内容はあったがこの技は載っていなかった。
なんでも、気さくに聞いてみる私の性格で、得をした気分になった。
まだまだ、知らないことは多い。


2005/5/27 「この歯科医院で最後にしたい」  健康
とうとう、歯医者を三行半。気持の優しい(?)私としてはかなりの決心がいった。最初の虫歯の痛みから4ヶ月以上は掛かっている。歯ごときに、こんな想いをさせられたことは今までになかった。
O歯科医院→H歯科医院→某国立病院→O歯科医院(ここでこの歯科医院を三行半)とはしご。そして今回のY歯科医院に鞍替えして二日目。また一から治療がスタート。
今日は、新しい歯科医院の2日目。右上の痛かった歯は神経を抜いてスッキリ痛みがなくなった。O歯科医院では、出来るだけ神経を取らない治療をしていたが、最終的には取ることになった。歯の神経って、そんなに大事なのだろうか?
人間は自然と歳を取ると、神経を無くしていって図太くなっていくのに… (これって神経が違っていた)
話はそれたが、神経を取ったとたんに歯の痛みは無くなった。これなら最初から取ってくれれば、今頃せめてこの歯だけでも治療が終わっていたのに…。
O歯科医院の、最初の若い先生は誤診で不信感を持ってしまい、その後何を言われても信用が回復できないでいた。もっと早く、決断すべきだったかもしれない。
奥歯がちゃんと噛めない状態は、クライミングに影響はしていると思う。早くほんとうに歯を食いしばって、クライミングや山に集中したいものだ。


2005/5/23「ほしだカップ2005」  クライミング
昨日小雨のなかで第一回目のほしだカップが開催された。私もミドルで参加した。マスターの参加者は、そうそうたるクライマーが名を連ねていて決勝戦は見応えがあり、楽しませてもらった。
私はというと、予想通りの結果だった。ミドルという定義のなかに入るにはまだまだの実力だった。まして、初コンペ。成績は最下位だった。しかしながら、女子は2名しかいないということで女子2位の賞状をもらった。何だか気恥ずかしい、表彰式だった。
これは、出場しょうという私の勇気に対するご褒美としてすなおに受け取ろう。副賞は、Tシャツを戴いた。
今回のコンペ出場で、自分のオンサイト能力のなさを自覚できたのは、とてもよいことだった。
ホシダでフリーを初めて6年が過ぎた。
自分でも呆れてしまうほど進歩は微々たるもの。
マスターで出ている人から、私のような人まで才能のある無しの差が著しいのもクライミングだ。
しかし、自分で自分を見放すことなく諦めないということは、必ず進歩に繋がると確信が持てる。
それが、本当に目に見えないほどの微々たる進歩でも、自分にとっては喜びである。
来年も、勇気を持って出場したい。
そして、来年は正真正銘のミドルに成長していたいと思う。

Tさんが、写真を送ってくださいました。

2005/5/21「元気の元」  人間

昨日、今度の愛地球博に一緒に行くSさんが、私が買っておいた前売りのバスの代金を散歩がてらご主人と持ってきてくれた。
そして、午後のお茶の時間を楽しくお喋りで過ごした。
お二人とも視覚障害者である。私は最近ではうっかりすると彼女が視覚障害者であるということを忘れてしまっていることがある。
彼女は聞き上手。人は話したがりで人の話をあまり聞かない人が多い。たぶん私もその部類。聞き上手な人と話していると、話題がどんどん膨れあがってくる。彼女は私と似ているところもあって、好奇心が旺盛。ゴシップ的な人のうわさ話には興味を示さないが、自分の知らないことには「それって何?」と聞いてくる。私の山行き話しにも、何気なく言った「クライミング、アイス」などという言葉も聞き漏らさず、質問攻めをしてくる。そう、まるで少女のよう。
私が、ある日「何でも興味があるのね」というと、「見えてる人は見えた時点で何であるか、どういう状態か理解できてるやん、私らは聞かんと、情報がはいらへんのや」という返事。私のいつもの無遠慮な質問にも、明確な答えがいつも返る。
昨日の私の山の話しで「それってどんなん? どうするのん? 見せて。」と言うので、山の道具を並べて、「こういうときにこう使うねん」とひとしきり説明して触って貰う。彼女にとっては、靴一つとってもプラブーツ、沢靴、フラットソール、軽登山靴、短靴…と次から次へと触りまくり履いてみて感動している。フラットソールも、爪先で立って、クライミングの立ち込みのポーズをして、「こうしたら爪先に力が入るわ。今まで手でガリガリ登っている力持ちかと思っていた。そうだったんか…」「私ら、靴は運動靴一つでこと足りるのに…」と感心している。
山の会の人にも、こんな質問攻めにはあったことはなかったので、私自身がビックリ仰天してしまった。
見えると言うことは、本来の好奇心を無くしていると言うことがあるんだなと、彼女を見てつくづく思った。情報過多も然りだと…。

彼女にとって、時間のたつのも忘れて続く私のお喋りは、好奇心を満たす結果となったようだ。私はわたしで、彼女のおおらかな明るさで元気をもらった。彼女とは、周波が合うようだ。だから彼女が視覚障害者であることを忘れてしまい、すぐにほって置いて歩いてしまい、はっと気がつくと言うことになるんだなぁ〜。 

彼女を、愚痴ばかり言っている実家の近くのおばあさんに会わせてあげたい。 
どういう、結果になることやら?                


2005/5/17「歯の治療」  健康
いったいどうなってるんや!というような出来事。
それは、私の歯。そして治療。

2月に右上の虫歯治療を始めて、3月に左右とも噛めないほどの痛みなのに原因不明。歯科医を転々として最終的に辿り着いた某国立大学病院で痛みの原因がわかり、そこで最初の医院の院長宛に逆に診断書を書いて貰い、また振り出しにもどり最初の歯科医院でその後からずっと治療中だった。それは左の歯で未だに治療中。
それとは別の一番最初の右上の治療が最近終わったのに、まだ噛んだら痛い。するとその後は、治療した被せの噛み合わせ部分を削られ「様子を見てください」といわれた。しかしまだ噛むと痛いというと、今度は被せの上から穴を開け直して根っこの治療をし直すという。ガックリしてしまった。
もう3ヶ月以上になるのに、痛みは取れたがまだ治らない。こんなに歯の治療に時間が掛かるのは始めてだ。

また、歯医医院を替えた方がいいのだろうか。
それにしても、いい歯医医院が見つかるのだろうか?
どんな歯医者がいいのかも分からなくなってしまう。
人はいろんな歯科医院を推薦してくれるが、それまで不信感ばかりが募ってくる。

骨折をして手術をしたときにも、こんなに掛からなかったのに…
(手術後、1ヶ月半しないうちにクライミング復帰していた。)
もういい加減にして欲しいと、今日の歯科医院の帰りにはつくづく思ってしまった。

歯もボロボロ! 気持までボロボロ!
明日はホシダで特訓予定。
これじゃ、前向きな気持になれないよぉ〜


2005/5/16「デジカメ」  生活
ネット通販でデジカメを買った。
700万画素5倍ズーム。尾瀬に行く前に欲しかった。PENTAXOptio750Zという昨年秋に発売された機種だ。近くのM電気の表示価格より15000円ほど安い。初めてのネットでの購入に不安はあったが、問題はないようだ。
ベランダで、咲いていたパンジーを撮ってみた。
機能が沢山あって、しばらくは遊べそう。


2005/5/13「立山温泉と新湯」  登山
「劔岳・点の記」新田次郎著(文藝春秋)を読んでから、どうも頭から立山温泉のことが離れない。
手っ取り早く見にいくのは、立山カルデラ見学会に参加することだ。トロッコとバスで説明付で案内してくれる。
しかし、それではおもしろさも半減してしまう。
昭和14年三省堂から発行された「立山・剱岳」小笠原勇八著のガイドブックの地図を見ると、色んなところから立山温泉に行ける道があったようだ。
★立山から常願寺川に沿って
★松尾峠から下る(今は松尾峠に展望台がある)
★ザラ峠から湯川谷へ下る
★室堂から国見岳に登りそこから稜線を松尾谷に沿ってくだる
これらの登山道は最新のエアリアマップからは全て消えている。その代わりに、折立から立派な有峰林道真川線がついている。しかしここは一般車は乗り入れ禁止である。国土交通省から立山カルデラに入ることは、禁止されている。そういわれると、ますます気になるから不思議だ。

ネットでは、今のところ松尾峠から降りて道に迷って辿り着けなかったというのとザラ峠から下ったという報告が見つかった。
それと延々折立から20キロの林道を歩いたというのも見つかったが、私はこれはお断りだ。

たかが温泉。
どうと言うことはないのだが、なぜかますます気になって仕方がない。


2005/5/12「雨のホシダ(ほしだカップ2005)」  クライミング
今日はホシダに行ってきた。
昼から雨の天気予報は外れ、行くときから雨が降り出してきた。嫌な感じだが、少しでも練習しておかねばという気持から向かう。Fさんはどうするのだろうかという気持もあり、2度ほど電話したが繋がらない。
着いたら、本降りになった。常連のKさんふたりが小屋にいてとりあえずビレーヤーは確保できた。そこへFさんが、雨だからすぐ帰るつもりで何も持たずやってきた。ハイキングのつもりで磐船神社の駐車場が少し遠いが無料なのでそこに車をとめてきたようだ。雨でも出来るからと説得したら、道具を取りに行くという。それからも、雨は強くなるばかりなので、Fさんは帰ってしまったようだ。
チョコ5.10a1本登って、右壁に取り付いた。何となくホールドは滑っていて気持ちが悪い。最後のハングのいつも持ちにくい緑色の天狗の鼻のようなホールドを持ったときの感触で、もうこれで終わってもいいと思った。やっぱり、こんな日は厳しいルートはいやなものだ。
家に帰るとコンペのエントリーのハガキが来ていた。カテゴリーは、ミドルになっていた。今日も小屋で昼食を食べながらダブルKさんと話していたが、やっぱり私はビギナーでないと登れないと思った。5.10台の後半からはホシダでオンサイトは無理だ。かなり登り込まないとRPなんてイレブンでは出来ないし、ましてホシダはパワー系なので、私には特に難しいと日頃から感じている。
しかし今さらじたばたしても仕方がないし、見苦しいものだ。こうなれば「枯れ木も山の賑わい」で「チャレンジすることに意義がある」ということにしておこう。私にとっては初コンペ。いずれにしても良い経験にはなるだろう。
2005/5/10「GWも終わって…」  クライミング
日常が昨日からスタート。
今年は昨年に続いて通算8回目の4泊5日の小川山クライミングツアーとなった。昨年に比べたら3日以降の後半はかなり混んでいた。しかし、その割には岩場は空いていたようにも思う。ボルダーが増えているようだ。
10日ほど前から日本一周の自転車旅行をしているHくんと合流。なんだか一段と引き締まっていて真っ黒に日焼けして元気だった。やっぱり、一番いい結果を残したようだ。
私は5.10台2本OSと超お買い得5.11aRP出来たのと、前に登ったルートがかなり楽に感じたのが、自分なりの成果だと自己満足。
ただ、問題は連日の過食が祟って体重はまた元の黙阿弥。減らすときにはかなり苦しい思いをしているのに、増えるときにはあっという間だ。
土曜日はホシダでクライミング。成り行きでほしだカップに出場申込みをしてしまい、登っておかねばという焦りもある。多分右の壁にルートをセッティングされると思うので、右の5.11a/bをトライ。案の定途中までしか行けなかった。こんなのでは先が思いやられるなぁー。
そして日曜日は、駒形へ。次なる課題「サイレントティァーズ」に取り組むが、まだまだという感じ。ムーブは分かってきたが、指先と足が保持出来ない。続けているうちに何とかなってくるだろうことは、毎度のことなので分かる。
今週は雑用も多いが、一度はホシダで登っておきたいものだ。
まだ歯医者通いも続いている。せめてこれだけでも片づけたいものだ。

2005/5/10「達成感」  クライミング

慌ただしい日々をまた送ってしまっている。
ワンテン状態のフィギアヘッドを残したまま連休の小川山に行く気持にはとてもなれず、4/28(木)意を決して駒形へ向かった。Yさんが付き合ってくれた。とにかく暑い日だった。結局、3本続けてテンション。足が乗らず滑ってしまう。最後のトライもかなり遅くなり、諦めてヌンチャクの回収を兼ねて最後のトライ。とても4本目の登りとは思えないほど、ぐっと体の力が抜けて楽になっているのが感じられる。やっぱり行けた。最高グレードを登っているときはいつも体が固く、必要以上に力が入っている。そして登れる頃にやっと力が抜けてくるのは、いつものこと。
しかしながら、時間がかかるものだ。こうなればクライミングは根気勝負だな、と私の場合はとくに思う。これで、大手を振って小川山へ向かえるというものだ。自己最高グレードの初5.11bだということも、達成感の大きさに比例する。あきらめないことだ。

2005/5/6「一歩の前進」  人間
かなり昔ことだが『三百六十五歩のマーチ』という曲が流行った。
調べてみたら、昭和44年の甲子園の入場行進曲に選ばれていたらしい。
「しあわせは歩いてこない だから歩いてゆくんだね 一日一歩 三日で三歩 三歩進んで二歩さがる…」こんな歌詞で始まる水前寺清子という歌手の歌謡曲だ。この歌詞の一日一歩進むということの大変さが、年齢と共にとても難しいことであるというのがよく理解出来る。

この前、昔の友人を尾瀬に誘ったが行く前に二人降りてしまったということを書いたが、またまた紆余曲折の結果全員揃って行くことになった。彼女達にとってはザックを背負って、山小屋に2泊し一日歩き続けるということは「未知なる世界」。
しかし行くとなると、最低限の用意はしなくてはならない。ザックや服装は何とかなったが、靴だけはどうにもならない。スニーカーでも良いとは言っていたが、新しいのを買うというので先日山の道具屋さんに案内して、普段でも履けるようにと短靴の山靴を買った。
こうなると、彼女たちも積極的になり尾瀬のガイドブックを購入して研究しているらしい。
「観光地よりは自然」という私の志向にむりやり合わさせてしまう結果となったが、これで私が背中を押すことによって一歩進むことが出来た。一度は友情までヒビが入りかけたが、またみんなで共通の楽しい一時が持てることになった。
「行ってしまえばこっちのもの」尾瀬の風景を見て怒る人はいないだろう。喜んでくれるであろうことには確信を持っている。

人はみんな、未知なる世界に足を一歩踏み出すには勇気がいるようだ。しかし、この一歩の連続が自分の人生の豊かさに繋がっていくように私は思う。何かのチャンスがあれば、私はやりたいと思う限り足を一歩ずつ前に出していきたいと思ってる。しょせん、大きく踏み出すことも何歩も駆け足で進むことも難しい歳にはなってきたのだから、一歩一歩を確実に歩いていきたい。
ときには私の背中も押して欲しいと思うこともある。

2005/4/27「フィギア・ワンテンの顛末」  クライミング
昨日は駒形へ!!
25日JR福知山線の脱線事故があって、次の日なので行けるかどうか前日から心配していた。駒形烏帽子岩・不動岩の下車駅「道場駅」の沿線で、家から電車で行くなら事故現場は通るところだ。
ニュースで見ていたら、かなりひどい状況らしい。こんな日に行ってもいいのだろうかと朝から躊躇していた。きっと道路も凄く混んでいるだろうと予想していた。
高速は使うのを辞めて、下道でのんびり行ってみようと家を出たのは10時半近くになっていた。全く何もなかったように道路もスムーズに流れた。まるで何も起こってはいないようだった。
帰りに、道場駅にいつものように手を洗いに立ち寄ったが、電車は折り返し運転で走っていて、いつもと変わらない風景。人はまばらで閑散とはしていたが、無人駅で平日と思えば当然とも言える。
12時半頃着いた。いつもの車を止める入り口には3台の車が止まっていた。少し下に車を止めて用意をしていたら、空が真っ黒になり雷が鳴って急に雨が降り出した。あわてて車に戻り、どうしようかと思案していた。こんな日に出てくるから、ろくなことにならないのだと思い、帰るつもりなので空身で様子を見に行くことにした。
烏帽子はひっそりしていて駒形から声が聞こえてくる。駒形に向かうと、S勤労者山岳会のあらみさんたちだった。そこに約束していたjさんたちもいた。二組とも雨で回収作業中だった。
壁はびしょびしょだった。「もう帰ろうかなと思って、取り敢えず見にきてん!」と話していたら雨が止んできた。烏帽子だったら登れるかもしれないと言うことで、烏帽子で昼食をとりながら様子を見ることにした。烏帽子に行くとジャスティスやおじいちゃんは濡れていない。私はザックを取りに行き、取り敢えずここで登ることにした。そうこうしていると岩はあっという間に乾きだした。すぐに登れる状態になり、タイムトンネルを3人とも登り、二人はゴールドフィンガーに取り付いた。私はその間に、駒形に様子を見にいったら、乾いていて登れるようになっていた。
駒形に移動してくれることになった。マスターで登る。自分の限界グレードにヌンチャクを掛けるのは辛い。がいくしかない。やはり2カ所テンションが掛かる。下の核心でも上の核心でもムーブにまだ迷いがある。下部は正体で行く人もいるというので、降りるときにムーブを探ってみるが、いつ通りの私のムーブの方がよさそうだ。上部は足を出来るだけレイバックの時に上げて上の方では引っ掛かる部分を確認した。これで次には、できるだけテンションを掛けないつもりで行こうと決心する。
あれやこれやで時間もかなり遅くなり、回収と兼ねて最後のトライ。2回目である。下部核心の前で十分レストし、さっと行ったらあっけなく行けてしまった。こんな時にはなんで苦労していたのか判らないほど簡単に行けてしまう。不思議だ。右トラバースしてからまた長いレスト。そして問題のない箇所を上へ進む。最後の核心の手前も、長いレスト。このルートは十分レスト出来る。今回もレストのあとがルートの始まりだと思うようにして、集中する。
そして、レイバックで登り右手を伸ばしてホールドに置いたとたん「行けた」という思いが頭をかすめ、そのとたんに落ちていた。 あかんなぁ〜、またワンテン!! 悔しい!!

残念な気持を引きずりながら、会のミーティングのために京都に向かった。


2005/4/24「フィギアヘッド」  クライミング
土曜日は、フィギアヘッドに的を絞って烏帽子駒形へ。
烏帽子は凄い人だった。空いているルートはない。
一本登って、本命の駒形へ。
しかし、フィギアヘッドは空いていない。
やっと取り付いたが下の核心も上の核心もテンションを掛けてしまう。集中力に欠けている。2本ともだめだった。
だんだん自己嫌悪に陥ってくる。
簡単には登らせてくれないなぁー。
昨年の暮れにはもう少し、ましだったのに。
今度こそ、もう少し集中していい登りをしたいものだ。
しばらくは、ここから離れられそうにないなぁ〜。

2005/4/19「はるかな尾瀬」  
人間20年来の友人との積み立て貯金をして旅行をしていて、今年は尾瀬に水芭蕉を見にいく計画を立ててから1ヶ月あまりが過ぎる。

計画は着々と…、といいたいところだが、この間尾瀬行きの話が出てから、紆余曲折があった。結局4人のうち二人で行くことになった。行かないという理由は、尾瀬は歩くので膝が心配だと一人が言い出したためである。
私の計画だとなおさらハードなことになって大変だという先入観も手伝っている。
それでは、どこか他のところへという話も出たが、それでもなかなかまとまらず、しかたなく尾瀬の水芭蕉に執着している私と、とにかく尾瀬に一度行ってみたいと前から思っていたTさんと二人だけで行くことになった。

過ぎ去った年月にはそれぞれいろんなことがあっただろう。
このメンバーで17年ほど前に、立山アルペンルートにそれぞれの子どもたちも一緒に行った。その時には何の問題もなく、行ってきたのに…。
私はこのアルペンルートがきっかけで山の魅力に取り付かれて、以後ずっと山に行き続けている。
今度私と尾瀬に一緒に行くことになったTさんは、何年か前から四国の遍路道を歩いている。

若い頃とは違ってこの年になると、新しいことをするのは特に大変なエネルギーを要するということが今回のことでわかった。それが、たとえ尾瀬のように私から見ればただのハイキングなのにと思っていることでもである。私にも、自分の感動することは人も感動するものだという思い込みもあったようだ。本人がどうしても行きたいとかやりたいとかという、自発的な思いがないと難しいことだ。

山岳会に入会してくる人がいきなり装備を揃えるのは、やりたい(やっていきたい)という意思表示でもあるのだ。たとえ、ザックや靴であっても「次ぎに使うのだろうか?」と思うと躊躇してしまうようだ。このことは当然のことかもしれない。

しかし、単なる旅行だった場合は、新しい服や靴などはまたいくらでも活用する機会はあるだろう。
そう考えると、山の装備は特殊だと思う。そして一般的には、やっていこうと思わない限り、もったいないと思うのは当然のこと。
今まで、こんな簡単なことにも気付かず、計画を進めていた。そしてこの1ヶ月間、友人を惑わせていたようだ。世間は中高年の登山ブームだというのに、今回の出来事でやっぱり山は誰でもが行けるというものでないと言うことを思い知らされた。

山岳会の中でも、いろんな山への向かい方が人それぞれ違っている。目的もやり方も人それぞれ。それを認め合わなければいけないと思う。そして、ちゃんと認めた方が友情も壊れないだろう。
今回は二人だけで行くことになるが、次回はみんなで楽しめる企画をしなくては…
しかし、難しいことだなぁ〜。
会の合宿がなかなか決まらないのも同じことかもしれない。

2005/4/18「週末の岩場」  クライミング
土曜日は烏帽子で、日曜日は不動正面だった。
どちらも意外と空いていた。
日曜日の不動は、GWのトレーニングかフリーよりアルパインの人が多かったようだ。隣からも「ザイルいっぱ〜い」「黄色登りま〜す」とコールが聞こえてくる。
そういえば、私も会に入った頃には京都の金比羅に通って練習をしたものだ。最近は、フリーばかりになってしまっている。

土曜日の烏帽子では、駒形で本命のフィギアヘッドを2回登った。
やっと、2回目で何とかなりそうにまた思えた。
RPするまで、がんばって通いたいと思う。

日曜日の不動は、たいこは非常に難しく、だからといって正面の他のルートにも意欲が湧かない。
しばらくは、駒形のフィギアに集中した方が良さそうだと思った。
ホントに、Yさん曰く2頭を追うものは1頭も得ずだ。

2005/4/15「左親指の突き指」  クライミング

昨日はFさんと待ち合わせホシダで登ってきた。
11時頃に行ったが、昨年のほしだ通い一位のKさんともう一人のKさん二人だけだった。しばらく、私たち4人だったが、K電車のSさんとkayoちゃんたちが久しぶりに来たので賑やかになった。

話題はもっぱら「ほしだカップ」のことに花咲く。常連のK電車の人たちは全員参加らしい。あんまり、活気付いていないのかと思っていたらそうでもないようだ。kayoちゃんの山岳会の会報にも、出場者の名前が出ていて、(kayoちゃんの名前も)「みんなで応援しに行こう」と書いてあったらしい。凄いなぁ〜。

Fさんがいつも登っている正面の白赤テープ5.10c/dを、このルートはあまり好きではないが登ってみた。
やっぱり、かなり手こずっていたが、最後の方で右手が遠いので左の親指で押して躰を伸ばしていたら、親指に全体重が掛かり、左の親指を突き指してしまった。やっぱり、太り過ぎかなぁ〜?
高校生の頃、私はバレーボールをやっていたので突き指は慣れている。そのころは、いつも指を引っ張っていたが、最近は引っ張ったら駄目だというのを小耳に挟んだ。アイシングはいいらしい。
アイシングは、何かにつけて痛みをとるのにはいいように思う。
家では、食品に付いてきた保冷剤は、冷凍室に入れて残してある。ケーキなどについてくるのはかなり小さいのでこういうときには役に立つ。
そうそう、歯が痛いときにも重宝した。ところがまだ歯も治療中。
何かにつけて、面倒の掛かる躰になってきたものだ。

2005/4/13「KUZUHA MALL」 生活
ローカルな話題だが、我が町に樟葉に大型ショッピングモールが出来た。
私が子どものころはこの樟葉駅周辺は沼地だった。祖母はちまきの葉を、この季節ここへ毎年採りにいって、子どの日に合わせて「ちまき」を大量に作ってくれた。そしてそれをカチカチになっても保存して置いて、蒸して毎日砂糖をつけておやつにしていた。ちまきの形は他ではいろいろあるが、私の家で作られていたのは、祇園祭のちまきと同じような細長い形で5本ずつ束ねたのを二つセット10本にしていた。
優しい祖母との懐かしい思い出である。
その何もなかった(とはいえ、自然はいっぱいあったが…)樟葉駅周辺があんなに変わってしまったのを、祖母が見たら腰を抜かせてしまうだろう。
明日がいよいよグランドOPEN!ということだが、買い物好きの82歳の母に付き合って一足先に行ってみた。「樟葉も都会になったなぁー」といいながら母とブラブラ歩く。お昼を食べるのにも人の列。いったいみんなどこからくるのだろう。ちょっと前の閑散としていたモール街とは別世界だ。
若い女の子だときっと歩くだけ楽しいのだろうなぁー、と思うようなお店ばかり。

あんなにあるお店の中に、山道具屋さんがないのが私にはとても残念なこと。どうしてだろう。何年か前に樟葉にコージツがあったがこれも潰れてしまっている。とても便利だったのに。
しかし、ユニクロ+がある。この店舗はユニクロに+というのが付いていて特殊化している。これで2店舗目らしい。ユニクロフアンとしては、これは嬉しい。この+の意味は「進化したユニクロ」といことらしい。さっそく行ってみたが、まだその違いがのみ込めていない。
山も、若者離れして中高年が幅を利かせている。
やっぱり、ユニクロが出来ても山道具屋さんがないのは、若者の街なのだろうか。
私はこの樟葉の街が馴染めず、「山より疲れるわぁー!」「眠い!」を連発。
帰ってからは疲れ果て、一眠りしてしまった。

2005/4/11「ジレンマの話」  クライミング
日曜日、雨だったらホシダということで会のメンバーが参加してくれるというので約束していたが、とうとう雨は降らず天気予報は大ハズレ。こんなこともあるのだなぁー。

山岳会に所属してから、5月で9年が過ぎ10年目にはいる。
46歳での山岳会への所属は、一般的に言えば遅蒔きの組みである。
最初はいやいやながらのクライミングも、とうとう嵌ってしまっている。
いったい、いつまでやっているんだろう、と自分でも思ってしまう。
いつも年齢と身体的なものとで引く気持ちとの葛藤だったなぁー。
なのに、元気がでると絶えず湧き出てくるこの気持ちは一体なんだろう。
自分でもよくわからない。

なのに、この十年の山岳会所属で一緒にフリー続けてきた仲間は会にいない。これは、私にとってはとても寂しいこと。昨日のホシダでは、久しぶりに会メンバー4名が参加してくれた。土曜日の、烏帽子も会のメンバーと行った。私にはとても嬉しいことだ。そして、仲間として続けていってくれるとなお嬉しいこと。

「クライミングが上手くなることよりも、継続してやることの方が難しいことだと思う」と昨日初めてのフリー体験の会のメンバーの一人に話していたが、ほんとうにそう思う。上手くなることは、継続してさえいれば個人差はあるが確実に上達はしていく。少し、間があいただけで登れなくなる。辞める理由(言い訳)はすぐにみつかる。
私もこのジレンマにすぐに陥って、また立ち直るまで相当に言い訳や愚痴を連発してしまう。人から見ても自分でも醜いことだと思うが、昨日の烏帽子でのSさんの慰めのような会話にホッとして、愚痴れる仲間っていいなぁー、と思う。たぶんSさんも私と同じようなジレンマに陥りながらも、クライミングを辞められないのだと察しが付く。こういう愚痴れるおばさん仲間が、他にもいるのは幸せだ。(おじさんは、あまり愚痴るのを由としないように思えるので、おばさんが多い)

この2日で、また前向きな気持が出てきたようだ。
こんなことの繰り返しが続くのが、生きているという証かな? 
少し、大層な話だが…。

2005/4/9「烏帽子岩で」  クライミング

今日烏帽子で登っていたら、どこからか聞き慣れた声がしてきた。
通る声で、テンション! テンション!○△×◇!…なんだか騒いで登っている声でけっこう近くに聞こえる。
平日のクライミング仲間の一人Sさんだ。すぐに、「Sさぁ〜〜ん」と呼ぶと、返事が返ってきた。
さすが傍目を気にしない大阪のおばさん同士。烏帽子と駒形で会話。直ぐに、烏帽子で登っている私たちの方へ、覗きに来てくれた。フィギアとサイレントを登っているという。せっかくのチャンスなのでヌンチャクを置いておいて貰うようにお願いした。マスターではとても勇気が出なかったので有り難かった。

しかし昨年暮れにワンテンまでいっていたとは、誰も信じられないようなお粗末な登りだった。
間が空くとこんなもの。だからクライミングは恐い。
最近は言い訳ばかりHPに書いているとホシダでIさんに窘められた、とSさんに話すと、Sさん曰く、クライマーに言い訳は付き物。Sさんの会の人が、言い訳に診断書を提出したとか、出そうと言ったとか??
しかし、私は言い訳をしたい。

いつまでも登れるところでお茶を濁していないで、そろそろ本気を出さないとますます登れなくなる。

今日の烏帽子はあちこちにツツジが満開で綺麗かった。太陽がいっぱいをピレーしているときも、上の方で青空にピンクが映えていて目を奪われてしまう。帰る車から見える山々にもタムシバが沢山咲いていた。
もちろん、桜もあちらこちらで満開である。

まだ歯の治療は続けてはいるが、体調もとても良くなってきた。
言い訳も、ソロソロおしまいにしなくてはノ。
結果はともかく、帰りは気分爽快だった。

2005/4/5「烏帽子岩」  クライミング

今日は、とても暖かな一日だった。
Fさんと道場で待ち合わせて烏帽子にいった。
太陽がいっぱい、タイムトンネルと登り。そしてタイムトンネルからジャスティスにトップロープを張り、苦手なムーブ研究。少しはムーブが繋がってきたが、リードで上手くいくかは自信がない。このルートは、一手だけが問題だ。やっと掴んだホールドが保持できない。しかし、上の方を持ったら少し持ちやすかったので、次回に期待。
他には烏帽子に一組と駒形に一組でほとんど貸し切り状態だったので、トップロープを張りっぱなしでも、誰も文句は言わないし気兼ねなしだ。
本当は、駒形のフィギアヘッドに登りたかったが、長い間取り付いていなかったせいか、気後れしてしまった。こんどこそ…。

烏帽子のアフターバイトの取り付きあたりと少し上の岩の隙間に可愛いスミレが咲いていた。初めて見た色合いのスミレだったので帰ってから図鑑を見たら、シハイスミレのようだ。漢字では紫背菫と書く。表紙に地面に咲いていたのを載せたので、ここにはけなげにも岩の隙間に生えていたのを紹介する。誰にも、踏まれなければいいのだが…

いじわるおよねの、近くにはタムシバが青空に白い花が映えて綺麗だったので、これも写真を撮った。コブシとよく似ているようだ。私にはわからなかったが、コブシには花の下に葉が付くらしいが、タムシバの花には葉が付かないということなので、タムシバだと思った。
  


2005/4/4「ほしだのハヤブサ」  クライミング

2日続けてのホシダだった。
昨日は、1本アップのあと右の壁の左の方を限定無しで取り付いてみた。
ここは初めて終了まで行けた。右限定無しはRP出来ているが、左は上までも行けていなかったのに行けた。とても嬉しい。一番苦手な最後のハングの緑の角(つの)ホールドが持てた。また2個目のハングの左の小さなハングも利いた。手応えが、前と違うと感じた。前に白赤テープに挑戦していたときにどうしても持てなかったホールドだっただけに、何だか不思議な気がする。
今あるルートも、こんどの5月22日のほしだカップまでには全部なくなり、また新たなルートが出来るらしい。
右の壁を、私は行ったら取り付くようにしている。筋力の衰え対策である。クライミングはちょっと怠けると登れなくなってしまうので、やっと右の壁に取り付けるようになったのだから、かならず登るように自分に課している。しんどいことだ。

話はかわるが、ホシダの人工壁横の岩場にハヤブサが巣作りをしている。写真をピトン小屋のペイさんに戴いたので、披露します。
厳しい精悍な顔つきは、かっこいい。
上手いクライマーも、こんな目をして登っているなぁー、とふと思った。


2005/4/2 「太り気味」  生活

今日はホシダに行ってきた。
体調が戻ってきて歯がよくなってきたら、食べるものがとても美味しく食いしん坊の私は今までの反動か、節制がきかないで太ってしまった。
やっぱり、結果は躰が重く登れない。

けっこう、いろいろダイエットは試みるがなかなかうまくいかない。
今はαリポ酸+CoQ10というサプリメントを飲んでいて1ヶ月たつ。
なのに、太ってしまった。
ガッカリしている。

今日、ホシダで新しいダイエット方法を仕入れてきた。それは寒天ヌードルと春雨ヌードルという食品だ。さっそく帰りに捜したが、寒天ヌードルは売っていなかった。
しかし、生協春雨ヌードル(150カロリー140円)とエースコック春雨スープ(95カロリー100円)はあったのでさっそく購入した。
そして、今日の夕食はこれらの味見と満腹感の実験。
今日は、先に春雨ヌードルを食べた。これはさすが生協、薄味だったが満腹感は味わえた。そしてついでに春雨スープも。春雨スープは量的にも少ないのでこれだけで我慢するのはちょっと辛いものがある。しかし、こちらはしっかり味が付いていて美味しい。
今日は、両方食べたのでこれで大満足。約250カロリーの夕食だ。

ちなみに、躰が柔軟な人は基礎代謝量がが多く、硬い人は少ないと言うこともTVで仕入れた情報だが本当だろうか?
ちなみに私はすごく硬い。
最近、ダイエットという言葉に敏感に反応して信じてしまうが、かなりインチキも多い。
そんなに簡単には痩せないだろうが、しばらく春雨ヌードルと寒天ヌードルは試してみよう〜。

私もつくづく単純だなぁ〜と思う。



2005/4/1「エイプリルフールと京都タワー」        生活 
今日はエイプリルフール。私には、忘れられないだまされ方をした思い出がある。
京都タワーが、京都の美観を損なうという反対運動にもめげずに出来てしまったのは、高校生になったばかりの頃だったか。私は、京都に通学していたのでこのことには多少の問題意識を持っていた。京都駅のビルの上に立つタワーは、京都にふさわしく蝋燭を模しているということらしいが、それ自体当時の私には違和感があった。今でこそ馴染んでしまっているが、出来てからもなんとも奇妙な形をしていると思っていた。
ところが今では北山や大文字などの頂上から、知らずしらずのうちにあの京都タワーを探して位置確認をしたりしている。
確かに、同じ方角に見える「東寺の五重塔」の影は薄い。当時の反対運動の意味を改めて思う。せめてもの慰みは、やっぱり「蝋燭」の形だろうか、と思うようになっている自分に苦笑してしまう?
しかし、京都の町並みもだいぶ変わってきた。今では京都駅も要塞を思わせるような迫力があり、たまに行く私はいつもどこにいるのかわからなくなってしまう。時代の流れかもしれない。
さて、本題にはいるが京都タワーが出来た年のエイプリルフールの日に、幼なじみで母家の一人息子Kさんが、あわてふためいてやってきて「京都タワーが倒れたで〜!!」という。ビックリして京都タワーが京都駅側に倒れている惨事を想像して、私はテレビニュースに釘付け状態。いくらニュースを見てもやらないのは当然のこと。まんまと引っ掛かってしまった。
それ以来、私はこの日は特に慎重に人の話を聞くようになり、そして、嘘とか法螺は言わないように心掛けている。たとえエイプリルフールであっても…。
そのKさんはもういない。私はこの日、このことと一緒に思い出す。

ちなみにネット検索したら、京都タワーのサイトがあり、40周年となっていた。もうそんなに昔のことなのか、と愕然とした。


京都タワーが女性だったとは今まで知らなかった???
http://www.kyoto-tower.co.jp/


たわわちゃん
性別・・・・・・・・・女性
出生地・・・・・・・・JR京都駅前
性格・・・・・・・・・おっとりした性格
チャームポイント・・・色白・スマート
趣味・・・・・・・・・京の町を展望すること
好きな言葉・・・・・・まごころ
好きなタイプ・・・・・背の高い人
あこがれ・・・・・・・舞妓さん
特技・・・・・・・・・琴
好きな唄・・・・・・・丸竹夷


2005/3/31「ぼちぼち外岩クライミングへ」        クライミング 
先週の土曜日は、久しぶりの外岩(最近はこう言うらしい)烏帽子で会の若いメンバー7名で楽しい一時を過ごした。そして昨日は、不動へ。昨年の12月に、駒形へ通っていたのを最後に調子を崩してしまい、お正月の城山でもやる気があまりです。1月に不動へは行ってはいるが、気持はビレーヤーとして…。ここを登りたいという、意欲に欠ける。
昨日も、「出来ない」「登れない」「足が痛い」「保持できない」「ムーブが出来ない」などなど、出てくる言葉は言い訳がましい消極的な言葉ばかり。何とかしてみたいという気持が、全く湧いてこない。
一般的に言う、モチベーションの低下が私にも。何がなんでもここを登りたいという思いは、体調も気力もベストでないと出来ないのがわかった。
しかし、触っておかないとますます登れなくなると困るので、たまに行ったり、ホシダには出来るだけ行こうと自分に課している。だが、ホシダにも行けていない。
こんな時には、自分の最高グレードを登るのではなくて、登れるところに登って、楽しみながらモチベーションの回復を待つしかないだろう。しかし「楽しみながらモチベーションの回復を待つ」というが、こんなことではどんどんやる気力が低下してくるのも事実だ。
クライミングだけではないが、ほんとうにやり続けることは「しんどい」ことなんだと思う。
生きている限り何かにつけてこの繰り返しのようにも思える。
そして、この繰り返しも出来なくなると辞めてしまうことになるのだなぁ〜。辞めてしまったことも多い。どこまで、クライミングや山への気力は続くのだろうか??

2005/3/28「藤原岳」  
藤原岳へ、お花の好きな友人を誘った。
前に行ったときは、3月9日だったので今回は少し遅いかなと思っていたら、今年は雪が多かったせいか、まだだいぶ残っていて、お花も沢山あった。
聖宝寺からの裏道登山道は、五合目の上あたりに福寿草のお花畑があったのを記憶していて楽しみにしていた。
とにかく、凄い人なのでビックリ。
駐車場で用意をしていると次から次へと登っていく。
中高年の十名前後のグループが多い。
さすが、花の百名山だと感心する。
こんなにも多いと、お花畑の保護が必要ではないかと今回はつくずく思った。
私も含めてだがお花畑の中に入って出来るだけアップの写真を撮りたくなるのは人情である。
それでも、けっこう踏ん付けられているのもあるだろうと思うのに、小屋の周辺ではフクジュソウのお花畑の上当たりでお弁当を広げている団体が数組いたのには、とてもビックリした。
これでは、3年前に来たときよりお花が少なく、また小さいように感じたのはまんざら気のせいでもないのかもしれないと思った。
尾瀬は、木道で自然を人間から守っている。
やっぱりあれ位しても良いように思う。
こんなにも沢山の人が山に向かうようになると、人災からの保護が必要になってくるだろう。

2005/3/24「Good Luck グッドラック 」  
歯科医院の帰りに、何気なく駐車させて貰っていた医院の向かいの「古本市場」に入った。あまりに歯が痛むために、気晴らしに何か肩の凝らない本はないかなぁ〜と捜していた。1時間近く、立ち読みして帰ろうとしたら入り口近くに、人気作家の新刊の置いてあるコーナーがある。今日は冷え込むということらしいが、朝起きた感じではお天気も良く暖かそう。最近はクライミングに対してモチベーションも下がりっぱなしだが、ホシダにでも行って来よう。
何気なく、手に取った「グッドラック」(ポプラ社)という本。半額近い値段も気に入り買ってしまった。
奥付を見ると、2004.6.12 第1刷りで、2004.12.4 第48刷になっていることで、この本はベストセラーだと言うことがわかったが、私は知らなかった。帰ってから、読み出したらすぐに読めてしまった。これで500円ぐらいだったらやっぱり高いかな? しかし本の値段は内容による。

大きな文字で読みやい。出版社はポプラ社で子どもの本でお馴染み。これは、子ども向きの本だろうか。ストーリーだけを追うと子どもにも理解できる。この話の言わんとしていることも、小学生の高学年ぐらいだったら理解できるかもしれない。
読んでみたら、なかなか考えるところもある本だった。
内容はカバーに書いているのでそれを引用しょう。

「それは五十四年ぶりの運命の再開だった。公園のベンチで幼なじみのジムと隣り合わせたマックスは、仕事も財産も、全てを失い変わり果てた友人に祖父から聞かされた「魅惑の森」の物語を語った。
奇蹟のラストへ、7日間の旅が始まる。」

事業に失敗し、変わり果てたジムが、成功したマックスに「僕も、君みたいに運さえあったらなぁ……」という、すると「運と幸運とはまったく別のものなんだ。運は確かにそうそう巡って来るものじゃないし、巡ってきてもすぐに離れていってしまう。(中略)でも、幸運は誰でも自分の手で作り出すことができるんだ。そして、手にした人に必ず幸せを運んでくれる。本物の幸せをね。だから幸運と呼ばれているんだよ」という。
そして、次のような話しをジムにする。
二人の男が「幸運をもたらしてくれる魔法の四つ葉のクローバー」を求めて森に入る。一人は、人任せで運を頼りにただ森を彷徨う。もう一人は、クローバーを自分の手で育てるために考え努力をする。その二人の行動や考えの違いが、人生の別れ道になってしまう。これは、ジムとマックスの考え方や辿った人生を、この二人の行動とだぶらせている。
幸運を掴むための教訓をお話しの中に散りばめ、結局はどのように生きると、幸運を掴むことにつながるかということだ。

さぁ〜、幸運を掴みたいあなた、読んでみよう。そして、幸運を掴もう。
私は、もう手遅れかしら? それとも、もう幸運は掴んでいるのかしら?

話が変わるが、この本のカバーの装丁は裏にもう一種類あった。リバーシブルだ。これには驚いた。凝っている。

   表は少女趣味かな?     

   裏の方がいいかも!   


2005/3/24「山岳会の年度末の総括」  
年度末なので所属山岳会に提出したもの。
【いくさんの本年度の総括と来年度に向けて】
☆2004年度の結果( )は総括
◆フリーは自分の一手上を目指したい。「継続は力」でぼちぼちとマイペース…
小川山、二子山、烏帽子、芹谷等、岩場にも積極的に行きたい。(行けた)
ホシダでは平日トレーニングをできるだけしたい。(やった)
◆ハイキングも楽しみたい。
特に大峰山系の春夏秋冬をぶらりと歩きたい。(楽しんだ)
◆アイスクライミング(楽しめたが、力不足を実感)
大峰の地獄谷、ワサビ谷に行ってみたい。(一回行けたが、また行きたい)
◆アルパイン(いい女性の相棒を見つけたい)(なかなか、見つからない)
剣や穂高でクライミング。(行けなかったが、来年度に継続)
小川山やみずがきでのマルチ。(マルチは、錫杖や小川山・城山・大台で楽しんだ)
◆尾瀬の水芭蕉(今年の6月に友人と行く予定?)
◆九州の山と屋久島の山を長期で行っていたい。(地震のため計画倒れ・屋久島は行けなかった)
◆北海道の夏山に長期で行っていたい。(行けてない)
◆剣の北方稜線から紅葉を見ながら…(行けてない・紅葉の時期に行きたいというのは天候が難しい)
◆今年の夏はお花を楽しみたいなぁー(雲平・鳳凰三山で楽しんだ)
◆いい空気、美しい花、緑、雲海、静寂をのんびり楽しみながら感動の山旅を一人でしたい。
(ぼちぼちと…)
◆マッターホルンとモンブランは登りたい。(なかなか、海外へは??)
そしてスイスでトレッキング。
◎これからは、自然の美を思い切り堪能したいなぁ〜!!
「しんどい、辛い」よりは「楽しい、綺麗」という山行形態へ。
(徐々にそうなってきている)

☆2005年度の目標と行きたいところ
◆フリーは自分の一手上を目指したい。「継続こそ力」でぼちぼちとマイペース…
ホシダは、もう少し平日に行きたい。岩場にも積極的に。
(2005年度も継続)
◆アルパイン(いい女性の相棒を見つけたい)
◆アイスは、もっと技術的にレベルアップしなくては。
◆剣や穂高でクライミング。今年は剱のあちこち行きたい。
 砂防トロッコに乗って立山温泉跡に行ってみたい。ざら峠からでもいい…。
 剣の北方稜線から紅葉を見ながら…(ずっと前からの課題・これも9月にした方がよさそう)
◆大峰や鈴鹿、福井の山にも行きたい。
◆九州の山は折角の計画なので、アケボノツツジのころ行きたい。 
◆北海道の夏山に長期で行っていたい。(昨年からの課題)
◆屋久島。宮之浦岳他に登りたい。
◆近郊の山でハイキング(花との出会いが楽しみ)
【つぶやき】
◎今年の夏は、どこか山小屋でアルバイトさせてくれんかなぁ〜
◎これからは、自然の美を思い切り堪能したいなぁ〜!!
「しんどい、辛い」よりは「楽しい、綺麗」という山行形態へ。(昨年から継続)
◎今年は「山旅」という言葉がピッタリするような、そんな気分の良い思い出深い一年にしたい。
◎昨年は年度末から体調不良になったが、今年は健康管理もちゃんとしなくてはなぁ〜
◎だんだん、「行きたいところ」より「行けなくなったところ」が多くならないようにしなくてはなぁ〜〜〜  などとブツブツ…  


2005/3/23「山での事故」 
山に長いあいだ行っていれば、ましてクライミングをしていれば一度や二度は怪我を体験していたり恐い思いをしていると思う。
私も、ご多分に漏れず二度ほど体験している。
会のメーリングリストで今日配信されてきたのは、錫杖での雪崩での事故だった。これからしばらく雪崩の事故が多い時期だ。
ガイド登山だったようだ。この人は怪我だけで済んでまだよかった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050322-00000012-mailo-l21

もう一つはクライミング中での事故で、ザイルがハーネスにちゃんと結ばれていなかったようだ。
これは他の人だが、私もホシダでみている。その人は、私たちと話しながらハーネスにザイルを二重に通してから、結ぶ前にその場に座ってシューズを履きだした。そしてそのまま登ってしまい、途中でザイルが結ばれていないことに気づき、セルフをボルトに取り、そこで結び直した。気が付いたから大事に至らなかったが、そのまま登りテンションがかかったら大事だっただろう。その時にも、ぞ〜っとした。止む終えないこともあるとは思うが、この場合確認してから登る癖を付けておけば防げたと思う。
私ももう一度、緩んだ気持を締めなおそう。
(折り返し、結び目、ビレーセットはちゃんと確認する)
この高校生は残念ながら、亡くなってしまった。
ご冥福をお祈りします。
http://catsforest.air-nifty.com/climbing/2005/03/post_1.html

2005/3/22「地震あれこれ」  

まるで、私の状況を察知したかのように、九州の山への計画は壊れてしまった。
原因は福岡の地震と私の歯痛だが、これもモチベーションの低さの表れか?

まだ余震が続いているという。福岡の人たちは恐いだろうなぁ〜。
阪神大震災の時は、私の家からはだいぶ離れているにもかかわらず、地震の恐怖もさることながら、家族が出払ったあとの余震に一人で怯えていた。
そういえば、2000年8月10日から13日まで穂高に行ったときは入山から下山まで、グラグラと地震に揺らぐ穂高連峰だった。その時も、地震と雷の恐怖に怯えながら、雨の中の白出沢から下山中、転んで怪我をしたなぁ〜。
私は、本当は恐がりなんだ。

若い頃、しばらく東京に住んでいたが、やっぱり独りで住んでいると地震が恐かった。東京は地震が多いところだなぁ〜、と思っていたっけ。
しかし、今回の福岡は絶対地震が起こらないところと言われていたらしい。これからは、「絶対」というのは信じないことにしよう。

今回は中止したが、立てた計画は残っている。
今度はアケボノツツジが見頃の頃に、チャンスが訪れるといいなぁ〜。


2005/3/21「歯痛」  

昨日は、歯痛ながらもハイキングに参加してきが、今日はさすがに家でおとなしくしている。まだ、歯ぐきがズキズキ痛む。
私の病名は「根尖膿瘍(こんせんのうよう)」この名前がわかったのが先週の金曜日18日。京都の大学病院に行ってやっと判明。痛くて噛めないと訴えてから約一ヶ月我慢していた。その間、他の医者にも行った。
ネットで見たら、けっこう一般的に起こる病気らしい。「なのに、なぜ???」と言いたい!!
大学病院でレントゲンを見ながら説明されたことが、ネット検索でも出てきた。「根尖膿瘍とは虫歯が進み、中の神経も死んで根の先に病気が進んだときに急性発作を起こした状態です。この場合も歯ぐきから膿の逃げ道を求めます。」ということだ。
治療が長引くということなので、最初の医院で治療を受けることになった。
今までの経緯を話すと、院長先生自らの診察治療を次の日の土曜日にしてもらえた。そこで、被せてある金属を外して削ったら、膿が上がってきたという説明だった。
しかし、まだ痛む。すでに最初の歯の治療(これは反対の歯)を初めてから2ヶ月経つが、その時よりかなりひどい。
しかし、院長先生の予約は1ヶ月先までいっぱい。その間の治療は前の先生が引き続き、院長先生と二人での治療となった。
こんなことになったのも歳のせいにはしたくはないが、前に治療済みのところがどんどん悪くなっていく。奥歯はガタガタ。まだまだ入れ歯には早いと思っていたが、こんなことでは人ごとでは無くなってしまう。
さすがに奥歯が噛み締めない状態でのクライミングは出来そうもない。
噛み締めたところで、痛いだけ。あ〜ぁ、歯のいい人が羨ましい。
しばらくは、これから良い季節なのでSさんのおっしゃるとおり、お花や新緑に会いに山に行くことにしょう。
でも、ますます登れなくなってしまうだろうなぁ〜〜〜


2005/3/20「春の妖精セツブンソウ」  

昨日、滋賀県近江のSさんから「山で可愛らしい花に出会えるとそれだけで心まで暖かくなります、いくさんも花たちに会いにいかれては?きっと元気が出てきますよ。今日は元気の素に節分草(春の妖精)の写真贈ります。」というメールと一緒に可憐な節分草の写真を送っていただいた。
そういえば、花を贈られると大概の人の顔には笑顔が浮かぶ。私はsさんからの、このプレゼントがとても嬉しかった。
お花は心を癒してくれる。なのに、最近病院で切り花を飾るのを禁止したというようなことが少し前のTVニュースでやっていた。
それは、花瓶の水が腐って感染症などの病原菌が繁殖するということらしい。これは、本当なんだろうか? もしも本当なら寂しいことだ。私は、お見舞いには必ずお花を持っていっていた。やっぱりお花のプレゼントは、気分的にも癒される。

最初に藤原岳で出会った、とっても小さな可憐なセツブンソウを思い出す。それは、写真を撮っている人を見ないと、通り過ぎてしまうほど小さな花だった。枯れ葉のなかから健気に顔を出していた。この時に藤原岳でお会いしたsさんのことも…。人の優しさにも元気付けられる。
今日は、久し振りの京都山の子会のハイキングだった。ここでも優しい思いやりに癒された。
まだ、歯は痛むが、気分は快調になってきた。


   


2005/3/19「劔岳・点の記」  
古本屋で見つけた「劔岳・点の記」新田次郎著(文藝春秋)を興味深く読んだ。
明治40年測量隊が立山周辺の山の測量に入り、剱岳に苦労して長次郎谷から初登を果たす。しかし、頂上では古い錫杖の頭と剱が見つかり、人の入った形跡が洞窟の中にも残されていた。
この時代の立山信仰のことや、歩いたルート、そして当時の山の装備など歴史的事実を踏まえて書かれた小説だけに納得できおもしろかった。また日頃何気なく見ている国土地理院の地図が、こんなにも苦労して作られていたことも改めて知った。
立山や剱はいろいろ思い出深い山だけに、感慨深いものがあった。1997年には、初めての剱の頂上に登り一旦雷鳥沢に戻り、雄山からザラ峠・五色ヶ原まで、縦走。そして越中中沢をピストンして黒部に降りた。
この時は剱沢では、かなりきつい台風を体験して、本来の予定は薬師岳までの縦走だったが、大幅に変更せざる終えなかった。(この時のことは、「山への想い」に書いている)剱という山の厳しさの、初体験だった。
この本を読みながら、それからも何度か行った剱のことが思い出されて来た。
そして、何よりも剱や立山にはまだまだ私の知らないところや面白い話がいっぱいあった。特にザラ峠から常願寺川の方にくだって行くと小説に出ていた立山温泉の廃墟に出会えるという。ここは、かなり好奇心が湧いてきた。ネットで調べたら、かなりの情報があった。
そしてもう一冊、夫が古本屋でずっと前に買って家の本棚に見捨てられていた古くて汚い本が、この「劔岳・点の記」を読み進むにつれて、日の目を見た。
この本は、昭和14年発行された。著者は「小笠原勇八」で、東京都岳連の初代理事長だったという。本の最後の綴じ込みの立山の概念図を見ると、アルペンルートがなかった時代ということもあり、より私の興味をそそった。
明治40年から昭和14年の間に、かなりの登山道や小屋が出来たことになる。それは、「劔岳・点の記」に出てくる、小島鳥水の日本山岳会と剱岳の初登を競い合っているように日本山岳会の貢献が大きい。このころから宗教的な登山から近代登山の幕開けとなっている。これも私には興味深かった。
この二冊の本からは、まだまだ好奇心が湧いてくる。
今年の夏は、「これだ!!」と思った。


    


2005/3/19「歯科のはしご」 
整骨院に行った帰りは、気持がよくなる。
そして歯の痛みも和らぐ、なのに夜になったら痛くて目が覚めるという夜が2日続いた。
とうとう耐えきれず昨日重い腰を上げて、京都の某国立大学の病院に昨日行ってきた。やっと、精神的なものやストレス以外の病巣が見つかった。
これで、治療が安心して始められる。
そして、そこで手紙とレントゲンを預かって、結局家の近くの掛かり付けの歯科医院の院長先生の予約がとれて診察してもらえることになった。
やれやれ、振り出しに戻ってしまった。
早く痛みが取れないと、本当に意欲が無くなる。
特に、クライミングは…。

2005/3/17「山との関わり方はいろいろ」  
右の藤原岳の花の写真を下さったSさんが入っていらっしゃるという「綿向山を愛する会」のHPを教えていただいたので拝見した。
綿向山という地元の山をこよなく愛し、この山の情報を満載。普通の山岳会と違うのは、「「第1回綿向山の日」の開催から、ボランティア活動として参加し、こよなく綿向山を愛する人達が集まり、平成11年6月に会が発足しました。」とプロフィールにあるように、清掃登山や登山道の整備、山小屋の建設やメンテナンス。そして地域ぐるみのイベント「綿向山の日」“ふれあい綿向山Day”と活動内容が奉仕的な要素が強い。
普通の山岳会とは、ちょっと違っているなぁ〜と思った。一般的な山岳会は、山に登ると言うことが目的であり活動である。
しかし、普段登っているどんな山でも、見えないところで登山道や山小屋の整備など誰かがして下さっているはず。
京都北山でも、道標が整備され丸木橋に手すりが付いていたり、登山道の笹が刈られていたりと、歩いていて気が付くことがある。影でそういう動力を惜しまない人がいるお陰で、みんなが安心して山に登れるのだと改めて感謝の念を抱いた。
そして、もっと感心したのは山が地域と結びついていることだ。
綿向山にも、登りたくなった。
http://www.eonet.ne.jp/~wak/

2005/3/16「尾瀬の水芭蕉」  
私は、2003年7月に尾瀬に行った。その時は、ニッコウキスゲがいっぱい咲いていた。そのとき同行したK子さんが、昨年の同時期に行ってきたらしいが、私たちが行ってきたときのようなニッコウキスゲの群落は大江湿原で見られなかったとガッカリしていた。年度によって当たりはずれはある。
しかし「夏が来れば思い出す…」という歌でも知られるとおり、尾瀬といえば水芭蕉。水芭蕉も見たいとそれ以来思っていたが、今年行けそうになった。今日はその打ち合わせにいってきた。
子どもが小さいときからもう20年以上のお付き合いになる4人グループで、旅行の積み立てをしている。
最初は子ども連れだったが、中学生の頃から子どもが付いてこなくなった。最後にいやいやながら子どもが付いてきたのは、雨の立山アルペンルートだった。それから私は山に嵌り出したのだが、子どもたちは親とは一切旅行に行かなくなった。
それからは母親たちだけでの旅行となってしまった。最近私は観光巡りには食指が湧かなくなってきていた。今回は私の希望が叶い、尾瀬に水芭蕉を見に行くということになった。
さぁ〜、これから計画だ。一面の水芭蕉に出会えると思うと、またワクワクしてくる。



2005/3/15「愛知万博」 
視覚障害者の女性に、愛知万博に一緒に行ってほしいといわれた。その時は全く知識もなく、「へぇ〜、また万博やるんや!」と思った。そして、彼女にはまったく情報が入らないので、資料をテープに録音して欲しいと頼まれた。
さっそく本屋さんで分厚いガイドブックを購入。そしてネット検索で公式HPもあった。  http://www.expo2005.or.jp/
ダイジェスト版での録音になる。いざ、この膨大な情報の中から彼女が必要なものを選択するのが難しい。私が自分で必要なものなら拾い読みをすればよいだけのことなのだが…。
今さらながら、人が必要としている情報はみんな違うと言うことに気が付いた。そして、わかりやすい説明も付け加えなくてはならない。簡単にはいきそうもないなぁ〜。

2005/3/14「只今通院中!!」
最近は、歯科医院と整骨院に通院している。
歯科医院は虫歯治療で1月の末から近くに通っていたが痛みが取れず、とうとうこめかみまで激痛か走り、歯医者を替えてしまった。
替えたところですぐに治るというわけではないが、通院2ヶ月たっていた後で激痛が起こり、おまけにかみ合わせたときに、歯茎まで痛くなり噛むと痛いという症状を訴えているにも拘わらず、「様子を見ましょう」というので済まされてしまっていたことが不満だった。
そして、最近のあちこちの不調が気になりだし、整骨院にも行ってみた。
ここは、ネット検索で「便利な○○駅周辺情報」というのに「みんなのおすすめ」の「健康」欄に一番に出ていたところである。まだ3回目なので何とも言えないが、少し元気が出てきたようだ。
ここの院長先生は茶髪の髪の毛が立っていて、とても若そう。
HPの似顔絵はそっくりなので、つい言ってしまったら、「写真を渡して作ってもらったんですが、髪の毛を変えられないので困っているんですよ!」とおっしゃる。
http://www.geocities.jp/matuda_seikotuin/
気になる人は見てみてください。
 
2005/3/13「九州の山」 
3月末に、九州の山に行ってこようと計画中です。
祖母山・大崩山・由布岳・英彦山など日帰りピストンで登りたいと欲張っています。花の季節にはまだ早いのですが、どんな風景に出会えるのでしょうね。楽しみです。何か情報がありましたら、教えて下さい。
 
2005/3/12「みぞれ」 
朝のうちはいい天気だったが、ホシダについたころには雨。そのうちに霙(みぞれ)になってしまった。やっぱり、人は少ない。今日は奈良の高校生と京都向島中学のワンゲル部の生徒が来ていた。最近は、中学でもクライミングをやっているのかとビックリした。京都向島は私がここに引っ越す十七年程前に、十年ほど住んでいたところだ。いろいろ、思い出し懐かしかった。
クライミングはさすがに2本だけ。最近は筋トレだと思って、右の壁を登るようにしている。


22005/3/12「ホシダ」 

今日は冷え込むということらしいが、朝起きた感じではお天気も良く暖かそう。最近はクライミングに対してモチベーションも下がりっぱなしだが、ホシダにでも行って来よう。こういうときに、ひとりでも行ける良さがホシダにはある。誰か来ているだろう。星田園地を歩くのもまた良い。春はもうそこまで来ているようだ!!


2005/3/12 車の定期点検 
今日は、車の定期点検とタイヤ交換。

車のことは、さっぱりわからないのでメーカーに任せ。今回はエンジンオイル交換が追加。6ヶ月毎に結構な費用がかかる。ミッションオイルの交換も勧められたが、どの程度で必要なのかがさっぱりわからない。知らないことだらけ。


2005.3.22/AM9:30/つぶやき引っ越し
「つぶやき」という私のたわごとが、3年半ほど続いた。全く自己中心・個人的な内容に終始していたが、自分でも懐かしく過去の出来事など振り返ることが出来、良い思い出として残っている。もともと、私は日記は三日坊主という人だが、こんなにも長い間続いたということは、ネットで公開するということで、読んでくださる人を意識していたからだと思う。

最近流行りのブログというものを分からないまま取り入れたところ、とても便利。つぶやきが機能的に更新できるということもあり、つぶやきNo.2に移項することにした。


2005.3.12/AM9:30/スッキリとは??
風邪の方は、一週間熱が出て10日ほどぐずついていた。先週の日曜日はホシダで歯痛が激痛になり苦しんだ。この頃何だか変だと思う。2日ほど前から整体に通ってみることにした。少し楽になってきているが、まだ左の噛み合わせが痛む。本当に最近の天気のように、スッキリしないなぁー。

こんな時に、「歳やからやー」とか「疲れてんねんやー」とかで人も自分もかたづけてしまうことが多い。確かにそういわれたら、納得してしまう。しかし「そんなはずはない」という反発心も心の中でフツフツと湧き出てもくる。

今回の風邪で気が付いたのは、本当にしんどいときは気力が全く無くなってしまうということだ。「病は気からは嘘」ということがわかった。医者に行くことすら、気力が無くなってしまう。足を骨折しているときは、まだ頭は気力があって、本を読んだりいろいろ考えたりとしていたが、今回の風邪はただひたすら寝るのみ。躰がいうことをきいてくれるので、いろいろ考えたり、やろうという気力や意欲につながっていくのだということが理解できた。

気力のあるときは、健康なんだ。

まだ、クライミングへのモチベーションは出てきていないが、月末の九州の山や6月の尾瀬で水芭蕉を見るという計画や、愛知万博に行きたいという視覚障害者の女性のためにガイドブックを録音することに頭の中は占領されている。「いろんなことが、とても楽しい」と思えるようになってきたのは、少し気力が出てきたようだ。

専業遊び人の私には、遊びのことが頭を占拠することが健康なんだ、ということに気が付いた次第だ。


2005.2.26/PM2:30/風邪をこじらしたようだ
とうとう、風邪がよくならず3日めに突入。微熱と喉の痛みが続き、とうとう病院に行って来た。今インフルエンザB型が猛威を奮っているらしいが、検査の結果はインフルエンザではなかった。

しかし、よく寝る。いくら寝ても寝られるから不思議だ。お陰で、今日の予定はキャンセル。明日も無理だと思う。こう寝てばかりいると、腰が痛くなってくる。こんな時は何もしたくなくなるものなんだなぁ、とつくづく思った。気力が湧いてこない。不本意ながら、ぐうたらに一日が終わってしまう。最近の私は、本当に弱いなぁ〜。


2005.2.24/PM8:30/風邪をひいてしまった
最近の私は、免疫力が低下しているのかいろいろ起こる。昨日はホシダに行ったが、どうもビレー中も右の肩が張るなぁーと思っていたら、案の定夕方から風邪の症状が出てきた。今日も朝からしんどくて、うつらうつらと寝てばかり。熱はないのだが、元気が出ない。

思い当たるのは、前の夜読み出した本が面白くて、一気に読んでしまい、夜更かしをしてしまったことぐらいかな。若い頃は、いくら夜更かししても次の日にこたえるということはなかったのに…。その本というのは、私と同世代の女性なら知っている人もいるだろうが、今の人は殆ど知らない作家「吉屋信子」の昔の少女小説の復刻版の文庫(文春文庫)「あの道この道」である。偶然入った本屋で見つけて懐かしくて買ってしまった。

裏表紙の紹介文は「女児誕生の喜びに沸く大丸家の別荘。だが母親は出産の疲労から急逝し、赤児は同じ日に娘が生まれた漁師の家に預けられた。数日後、娘を迎えに来る大丸氏。しかしその手に戻されたのは実は漁師の娘だった。取り替えられて富豪の娘となった千鶴子、漁師の娘として育つしのぶ、二人を待ち受ける運命とは?」である。

小学生の頃、吉屋信子の少女小説は大好きでよく読んだ。貧乏な子はけなげで優しく思いやりがあるが、金持ちの子は高慢で意地悪。しかし、身の上はいずれ逆転してしまい、貧乏な心優しい少女は幸運を掴む。こんなストーリーが多かった思う。

懐かしいので「吉屋信子」でネット検索に掛けてみた。すると、かなり復刻本が出ていた。今ではどれも記憶にないのだが、私の少女時代にこれらの本で感性が養われたと思う。今でも読む人がいるのは、とても嬉しいことだった。


2005.2.19/PM8:30/久しぶりのホシダ
今日はあいにくの雨模様だったが、久しぶりの娘のMとホシダに行った。朝のうちは小雨で大丈夫かなと思っていたが、午後からけっこう降ってきた。風もあり、3本で切り上げる。心配していた足も、少しは違和感があるが大丈夫だった。

今日は土曜日なのに、人は少なかった。会のMLに流してみたが参加者はない。もうかれこれ6年以上ホシダに通ってるが、なかなか続けて一緒にしてくれる仲間が山岳会にいないのは寂しいことだ。仕事が忙しくて、前ほど付き合ってはくれないが、むりやり大学生の時にビレイヤーほしさにつれていった娘の一人がいまも続いているのはとても嬉しいこと。今では、よき相棒の一人だ。2ヶ月ぶりのMが、前のように登れないとこぼしていた。

クライミングは継続するということがとても難しいのかなと思う。それはたまに行っても上達がしないからだろう。3級とか4級の岩場では初めていっても直ぐに登れて楽しいが、5.9だととたんに登れない。最初の時に、登れないと面白くはないのだろう。時間がかかっても、そこそこの山は歩けさえすれば登れる。出来ないことをするのは、忍耐がいるし楽しくないということもわかる。自分が出来ないときに、何とか克服していこうと思えないとどんなことでも継続は出来ない。

だから、登れないとますますクライミングがいやになり、山に行きたくなる。私の場合は、山歩きが楽しいから、クライミングでスランプの時のよい逃げ道にもなっている。こんな調子で、ダラダラとクライミングも山もやっていくのだろう。

クライミングがどんどん上手くなっていったら、フリークライミングだけに集中できるだろうし、そうなれば楽しくて楽しくてしかたがないだろうなぁ〜、と思ったりする。

しかし、そんなこともありそうにもない。


2005.2.16/PM10:30/雨・雨・・・そして映画
今日はバイオリズムでは危険日。私の場合はけっこう当たっていることが多い。雨も続き、足の方もまだスッキリしないので、ホシダはお休みした。

それでせっかくの水曜、女性は1000円なので「オペラ座の怪人」を見てきた。ミュージカルは久しぶりだった。音楽も美しく、何もかも豪華絢爛、とてもよかった。気分が晴れた。


2005.2.14/PM10:30/白寿

今年の4月の誕生日に白寿を迎える夫の叔母が病気だということなので、この連休は夫と車で東京に向かった。この叔母は、今も一人暮らしである。部屋に入っていくと、一人でベッドに横になって眠っていた。この年齢で病気になって一人でいられるという気丈さに、尊敬の念を抱く。

「百から上の棒を取ると白という漢字になる。百から一を引くから99歳で白寿というんだよ」と淡々と話す。「それまで、いられるだろうか?」と本人も周りの人も思っている。もう死を迎える、準備は十分にしているように見える。ず〜っと前から、「ばたっと倒れて、そのまま眠るように死にたい」と言っていた。これこそ誰もが願う、極楽往生ということなのだろう。今の私には、実感はない。

そのあと、その叔母の弟である94歳の夫の父を訪ねる。こちらも一人暮らしである。耳は全く遠くなり、補聴器を使わないと聞こえない。この父も京都の紅葉を見にもう一度こちらに来たいという。今年の秋はぜひ来て貰いたいと思う。

次の日湯河原幕岩に向かう。13日クライミングをするが、御在所で打ち身になっている方の足の股関節が痛くて登れない。結局ナインを1本だけ、おぼつかない足で登る。こんなことをしていると、長生きできないなぁ〜、とつくづく思った湯河原幕岩だった。


2005.2.8/PM12:30/御在所での墜落

とうとう、墜落してしまった。御在所でのアイスのマルチ。経験不足であることは拭えない。しかし、誰でも最初はあるし失敗もあるのだが、墜落することが、こんなにも後味が悪いものだとは思わなかった。初めて味わった敗北感だった。それは、このような失敗は命に拘わるからだ。

不幸中の幸いで怪我が無かったのがせめてもの救いである。こんな時は、何を言っても言い訳となる。自分の経験不足・技術不足に過信・うぬぼれ・奢りが付加された結果起こったと思う。たった1ピッチ目での、粉砕だった。

前を行くパーティーのスマートな登りを見ながら、不安はあったが、行けそうな気がした。しかし、前を行ったパーティーは岩場でもかなりのレベルを登っているのも過去の記録も知っていた。それでも、私は不安ながらも何とかなるのではといってしまった。愚かな行為だったとも取れる。その愚かな行為が自分の実力を分からせてくれるということになった。目が覚めた。自分の出来る範囲をもう少し自覚した方がよさそうだ。私のもっとうは、足下からこつこつと、積み上げていくことだったはずだ。

山には果敢ではありたいが、謙虚さも必要だと思った。幸いにも怪我が無かったのは、神さまが私に好意的に与えてくれた試練と受け止めよう。


2005.2.4/PM7:30/大峰アイス

昨年から、大峰方面へ行くことが増えた。それは奈良山岳会のFさんご夫妻とのお付き合いのお陰でもある。たびたび誘っていただき有り難い。年齢的にも同世代なので、気楽でもある。そして、長い間山に行き続けてこられた大先輩でもある。昨日一緒だったTさんも大先輩である。

昨日は大峰のアイスに誘って貰った。昨年の大普賢岳の時にだいたい見当はつけていた。しかし、初めてのところは慣れている人と行った方が心強い。大峰も何回か足を運んでいるうちに慣れてきたのか、そう遠いと感じなくなった。早朝でると、日帰りの楽に出来るエリアである。

今日Fさんに電話をしたら、ホシダだそうだ。ほんとうにすごいバイタリティーだと感心する。結局行けるから(体力があるから)こんなにもやり続けられるんだと、昨日のTさんの言葉。その通りだと思う。

何でも、継続することが難しいと最近思うようになってきた。そして継続してこつこつとやってきている人は、尊敬してしまう。最近私は「継続は力」と言うよりは「継続こそ力」と思うようになった。


2005.2.2/PM3:30/寒波到来

いよいよ、寒くなってきた。朝から窓の外は雪化粧。いまはもうその雪も溶けてしまったが、空はどんよりとしていて外は寒そうだ。外の公園で子供の声がする。見てみると小学生が十人ほど遊んでいる。最近は外で遊ぶ子どもをあまり見なくなった。ましてやこんな寒い日に珍しいことだなぁ〜、と思った。

いよいよ、関西の短いアイスシーズンだ。年度によったら、暖冬で御在所も凍らないときもある。明日は、大峰に初めてアイスをしにいく。とても楽しみだ。こう寒いと、フリーはさすがにやる気が失せる。

平日に山に行けるのは幸せなことだ。そして寒さ知らずで遊べることも…。時間も何もかも忘れさせてくれる山での遊びは、子どもの遊びと何ら変わらないと思う。無心になれる。

そして、子どものように心を解き放とう。


2005.1.25/PM7:30/北の零年を見て

今日は、母を誘って北の零年を見てきた。とても良い映画だと思った。小百合さん本人がこんな凛とした人なのかと思うほどはまり役だった。しかし北海道のスケールをもっともっと大きく美しく描いて欲しいと思ったのは欲張りすぎかな。もっと欲を言えば小百合さんやっぱり年齢的にせめてもう十歳若かったら、というとサユリストに叱られそう。

観客は、平日なのにやっぱり男性がとても多かった。それも年齢的には退職後という感じの人が多い。ファンも一緒に歳を取っているのだなぁー、と思わせる。芝居は歳を取っていても、遠目で見るせいか気にならないが、映画はかなりのアップになるので歳はごまかせない。それ相応の役柄だったら、年輪としての皺は美しくも見えるのだが…

辛口批評になったが、女性としては強くて優しい役柄で、それがとても良く表現できていて魅力的な女優でもあると思う。

豊川悦司もかっこよかった。


2005.1.24/PM9:30/サユリスト?

今日は思い立って「北の零年」という映画を、友人を誘って見に行ったのだが、満席で見ることができなかった。平日で昼間なのに、今時満席になる映画があるとは、とビックリしてしまった。未だに吉永小百合の人気は根強いのだろうか? 昔のサユリストは今も顕在なのだろうか? 

だとしたら今は相当のおじさんになっていることだろう。この満席のお客さんが、昔のサユリストだったらと想像したら、思わず吹き出してしまった。

映画を見るのをあきらめて入ったお洒落な喫茶店も、待ち時間が必要なほどの混雑だった。こちらのお客さんは女性ばかり。

もしかしたら、映画は退職後の男性でいっぱいなのかもしれないと本気で思った。確かめに行かなくては……


2005.1.20/PM6:30/ペースは戻る

先週末は、八ヶ岳・地獄谷へと行った。アイスクライミングというよりは雪の中を歩いたという印象が強く、アイスとしては不完全燃焼だった。アイスはアプローチが遠いとやっぱり私には大変だった。しかし、心配していた足のトラブルもなく済んだのはとても嬉しい。あれはいったい何だったのだろうか?

こうなれば、とことん氷を登れるようなアイスクライミングがしたい。どこか近場はないだろうか??? やっぱり、御在所か大峰か???

昨日はホシダで登ってきた。約1ヶ月半ぶりだった。簡単なところで、慣らす。垂壁5.10aと黒グレーテープ5.10bを登りサンドホールド5.10dに取り付いたが、ムーブ的には易しいのにテンションを何回か掛けないと上まで行けなかった。最後にはクールダウンのつもりのチョコ5.10aまでテンションがかかる。腕がパンプしてしまっていた。

しばらく間が空くとホシダではほんとうに持久力が持たない。次回からは真面目に中途半端で終わっているイレブン台のルートをRPしていきたいと思う。ルート図が出来て自分なりの目標も持ちやすくなった。


2005.1.13/PM10:30/良い休養だった

2日に城山から帰ってきて10日ほど、ほとんど家でのんびり過ごし良い休養になった。今週末のアイスの予定に行けるかどうか、またまた心配なので、昨日は星田園地を歩いてきた。整備されたハイキングコースは快適だった。

平日なので、人も殆どいないのもいい。粉雪が舞っていてひんやりした空気も気持がよい。自然と鼻歌が出てきて、人がいないことを良いことにだんだん大きな声になってゆく。ついこの間までは、カラフルな色合いだった木々も隙間だらけになって寂しげな風情だ。これもまたいい。やっぱり外に出ている方が楽しい。

クライミングウォールでは、いつもの常連の顔。セッターのTさんも変わりなくルートを作っている。前と変わらないホシダ。なんだかずいぶん久しぶりのような懐かしいような気がする。

ピトン小屋では、毎年恒例の年間ベスト10が貼り出されていた。そのうちの5人は来られていた。ちなみに一位のKさんは260回台だったそうだ。私も何年か前にベスト10入りしたことがあるが、もう太刀打ちできないなぁー。昨年は岩にもよく行った。ちょうどホシダと同じくらいの数字だ。

私にとってホシダはフリークライミングの原点であり、ここからスタートしたといっても過言ではない。ホッとした、一日だった。足の方も大丈夫なようだ。

元気が戻ってきたようだ。


2005.1.8/PM4:30/あぁ〜、せっかくの三連休が…
今日から三連休である。私は自宅待機でHPをいじっている。HPを作っていて一番イメージ通りに行かないのが配色だ。私の場合は「濁色パステルカラー」で統一したいのだが、これがなかなか難しく、上手くいかない。

折角の三連休にこんなことをしてる私を、色で気持を表現するなら、「濁色パステルカラー」はピッタリかな??

昼食に昨夜の残り物の大根の煮物を温めていて、パソコンに向かっていた。するとどこからか美味しそうな臭いがしてきた。「今日の昼食だななぁ〜、どこのうちかな? 美味しそうだなぁ〜」(家はマンションなので、いつも階下からかいい匂いがしてくる)なんて思いながらまだパソコンに向かっていた。すると焦げ臭い。この時点で気がつけば良かったが、暢気な私は「あっ、焦がしてるな!!」と思いながらも人ごとだと思い、パソコンに向かっていた。窓を閉めているにも拘わらずである。

気がついたときは、鍋は悲惨な状態だった。実家の母がよく焦げ付かし、いつも私は笑っていたが、自分も同じようにすっかり忘れてしまうとは…気持は全く、グレートーンに変わってしまった。

鍋をないしょで捨ててしまいたい衝動にかられたが、ネット検索で「鍋/ 焦げ」と入力。あった! あった! その中で「お酢を入れて煮る」というのを、試してみる。鍋に水を入れてお酢を入れて火に掛けるだけである。今度は焦がさないように、弱火にしてまたパソコンに向かう。30分ほどして見に行くと、少し剥がれている。嬉しくなって、へらで剥がしてみたらどんどん剥がれるではないか。あっという間に取れてしまい、洗うと何の痕跡も鍋には残らず前よりもピカピカになった。恐るべきお酢の威力!!

私はじつはお酢をいろんなことに使っている。最近は黒酢ブームのようで、スーパーでも黒酢とつく飲み物が沢山出ているが、我が家でも黒酢ドリンクを飲んでいる。昨年の秋に鹿児島の福山町の亀仕込みの黒酢を知り、かなり高価なのだが定期購入している。しかし鍋の焦げ落としにはもったいないので、普通のお酢を使ったのは当然である。

ちなみに、福山町の黒酢を使う前は蜂蜜を入れないと酸っぱくて飲めなかった。福山町の黒酢はスポーツドリンクを500?に30?の黒酢を入れるだけでけっこう美味しく飲める。

もう一つ、1993年の秋から黒酢を化粧水にして使ってる。もう十年以上続いている。これは、この年東京在住の義兄と穂高に行った年なのでよく覚えている。帰ってから兄嫁から電話があり「言いにくんだけれど、だまされたと思って試してみて」といって教えて貰った。義兄が家に帰ったら「いくさん、日に焼けて染みだらけで真っ黒になっていたと」と姉は聞いたらしい。

それ以来、黒酢1・グリセリン2・蒸留水7で作った「黒酢化粧水」愛用している。それ以来、他の化粧水や乳液・クリームは一切買っていない。夏に真っ黒に山で日焼けしても、冬頃になるとまた元に戻ってくる。私は黒酢の大ファンである。

今日は、とても寒い日だった、ようだ(一日家の中なので実感がない)。夫は不動でクライミングだが、こんな日はフリークライミングをしたくないものだ。私の気持ちもだんだんグレーのトーンから、濁色ながらもまた色が戻ってきたようだ。

足ももうほとんど痛みも無くなってきたようだ。


2005.1.4/PM9:30/またまた足が悲鳴を…

やっぱり、かなり疲れがたまってきているのだろうか。昨夜夜中に右足の踝の奥の方に痛みが走って、ちょっと動かしても痛み、何度も目が覚めた。朝からは、びっこを引いてゴミ出しに出たが、階段を降りるのに一苦労する。

湿布を貼り、前の骨折の時に買ったサポーターをして様子を見ることにした。夕方になっても痛みが引かないで、足は腫れているので病院に行って来た。骨には異常はなかった。使いすぎで筋を痛めているのだろうと言うことだった。大したことが無くてホッとした。しかし、今週末は3連休だが、自粛した方がよさそうだ。今年の年末年始は、私の躰は警戒注意報がなりっぱなしだ。

ほんとうに、少し休養した方がいいのかもしれないなぁ〜


2005.1.3/PM2:30/新年を迎えて


年末年始は城山で昨年と同様、クライミングで過ごした。こんな過ごし方は後何年出来ることだろう。ちなみに昨年の山行実働日数を集計してみたら156日(山行回数は139回)と過去最高日数となった。この中には前夜発などした日は含まれていないので、正味クライミングや山に行っていた日数になる。

しかし、その内のクライミングはホシダ65日と岩場のフリー64日が特に占める日数が多い。あとはハイキング10日、アルパイン8日(内アイス2日)、縦走8日、講習会1日という内訳となった。

この日数には自分でも呆れてしまう。今年は一年間病気や怪我とは無縁だったが、年末にとうとう帯状疱疹になった。躰の悲鳴だったのだろうか。

12月は最悪の状態だった。なのに私は突っ走ったままだった。そうして迎えた年末年始の城山ではいい結果が生まれるはずはない。クライミングの結果としては最悪の状態だったが、のんびりと過ごしたお陰で目の奥の方に凝りのように感じていた鈍痛は帰るころにはすっかり無くなっていた。適当に遊んで(運動して)毎日規則正しい生活をしてよく食べていたので、元気に新しい年を迎えることが出来たのだろう。いい休養にはなったようだ。

まだ、おでこに残っている水疱のあとのかさぶたを毎日鏡で見ながら、「今年はゆっくりにしょう!!」とつぶやいてみる。「喉もと過ぎて熱さ忘れる」にならないように、時どきはこの水疱の後を眺めてみなくては…、と反省した新年でした。