1999年 |
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仙丈ヶ岳(冬合宿)
1998.12.29〜1.1
火〜金
12/29晴 自宅〜京都駅〜
12/30 駒ヶ岳SA〜伊那駅〜戸台〜砂防ダム〜林道出合い〜北沢峠〜テン場
12/31 テン場〜小仙丈〜仙丈岳小仙丈〜テン場
1/1 テン場〜砂防ダム〜さくらホテル温泉〜駒ヶ岳SA〜帰宅
1999.4
土
報告書あり
1999.3.14
日
報告書あり
1999.4.12
月
報告書あり
1999.4.9
金
報告書あり
1999.5.1〜4
金〜日
報告書あり
1999.5.9
日
報告書あり
1999.6.11〜12
金〜土
報告書あり
1999.7.10〜11
土〜日
報告書あり
1999.7.16〜19
金〜日
報告書あり
雪彦・地蔵岳・加古川同窓会ルート
1999.8.7
土
晴
人工ルート
1999.8.11〜16
水〜月
報告書あり
1999.8.29
日
報告書あり
1999.9.3〜5
金〜日
報告書あり
1999.9.26
日
報告書あり
1999.10.8〜11
金〜月
報告書あり
1999.11.20
土
報告書あり
1999.12.12
日
報告書あり
愛宕山
1999.12.19
日
曇
荒ケンさんの送別ハイク
白髭岳
1999.12.23
祭日
前夜発スノーハイク
台杉・鍋谷峠
1999.12.28
日
小雪
おでんハイク
フリークライミング
ホシダ
1999.1・10/16/24/30
1999.2・7/14/21/28
1999.3・7/31
1999.4・11/18/25/29
1999.5・8/15/22/30
1999.6・6/20/26/1999.7・31
1999.8・18
慈眼寺(四国)
1999.3.20〜21
蝙蝠岩
1999.4.4
金比羅
1999.7.4
吉野柏木・新エリア
1999.7.23〜25
千石岩(人工の練習)
1999.8.3
烏帽子・駒形岩
1999.9.12/9.25
白山・油の坂から見たご来光
1.愛宕山
【山行名】 愛宕詣で【期 日】 1999年2月6日(土)
【天 候】 晴れ
【目 的】 孤独と雪と鍛練
【メンバー】 iku
【日程/ルート】
京阪三条バス9:53発→清滝10:50着→登山口(裏参道)11:17→空也の滝11:26→登山口(裏参道)11:40→月輪寺12:25着12:30発→頂上13:13着昼食14:13発→清滝バス停15:20着15:57発→三条16:50
【装備計画】
(個人装備)雨具・タオル・カメラ・地図・磁石・お茶・昼食・コップ・お金・ヘッドランプ・他
【地図・ルート図】
【感想】
久しぶりに愛宕山へ一人で行った。三条からの京都バスは土曜日にしてはすいていた。清滝でバスから下りると、ひんやりと冷たい空気が肌を刺し気持ちがいい。 前に行ったことがある空也の滝にもう一度行ってみたいと常々思っていた。良い機会なので寄り道することにした。前に行ったときは確か秋だった。石の上に落ちた紅葉がとても美しかったのを覚えている。今回は、雪を踏みしめて滑らないように用心して行く。裏参道の上り口から10分弱で新しい石の鳥居(昭和五十八年十一月と日付けが入っていたが、その日付け以降に行ったことがあるのに全く覚えていなかった)と家が立っていて、前の道の雪かきをしている人が三人ほどいた。思っていたよりも裏参道の上り口からは距離があった。すぐに岩の中から一筋の滝が鳥居の向こう側に見えた。
真っ黒な岩の間から勢いよく落ちる滝は、鳥居や横に安置されている仏像などで、より神秘的な雰囲気を醸し出していた。今の季節でも業を行う人がいるのだろうか? 「寒いだろうに」、と俗人の私だからそう思うのだろう。「悟る」と寒さも暑さも喜怒哀楽も超越するのだろう。
地図を見ると、空也の滝から破線が続いていてヒグラシノ滝があり、そこから分岐して左は表参道の水尾との分岐の少し上に出、右は裏参道の月輪寺の少し上に出る。前にもその道を行こうとして、道に迷ってしまい茨のがれ場をよじ登り、ずいぶん時間をかけてやっとのことで登山道に這い出たことがある。そこの右の登山道を行けばかなり近道になるので、行こうと思って道を探したが見つからない。雪かきをしていた人に尋ねてみたが、そんな道は知らない月輪寺からの道を行ったほうがいいというので、しかたなく引き返して月輪寺に向かった。このルートに詳しい人は教えて下さい。
月輪寺では、10人程の人が昼食を取っていたり休んでいたりしていた。私は5分程休んで出発した。そこからは、けっこう雪が積もっていたがアイゼンは付けなかった。すれちがう下りの人はほとんどが付けていた。途中何組か追い越したが、ほとんど老人だった。なぜか中高年でも高年の人の方が多かった。
頂上は人でごったがえしていた。ハイキングツアーの団体が休憩所やベンチを占拠していた。私は隅っこで昼食にした。昼食後愛宕神社に詣で、途中までアイゼンを付け表参道を下山した。1時間ちょっとで清滝のバス停についた。頂上で出会ったツアーの係の人に「お帰りなさい、お疲れさま」と声を掛けてもらい、会釈したものの変な気分だった。
久しぶりの雪の愛宕山を一人で満喫して楽しんだ。交通の便がいいのでつい一人だと足が向きやすい。今でこそ楽に行ける山になったが、最初に登ったときは今よりずっと若かったが息も絶え絶えに登り、また帰りにはかならず膝が痛み駅の階段を上るのも辛かったったのを昨日のことのように思い出す。
もう一つ気になることは清滝が寂れていることだ。いつの間にあんなに寂しい所になってしまったのだろう。冬だからそう感じるのだろうか。春になってもう一度確かめに行こう。そのときは空也の滝からヒグラシノ滝を通り大杉谷を詰めてみよう。
2.金毘羅でのクライミング事始め【山行名】 金毘羅でのクライミング事始め
【期 日】 1999年3月14日(日)
【天 候】 晴れ
【目 的】 マルチピッチの技術習得
【メンバー】 t・iku
【日 程/ルート】
京阪三条バス10:02発→戸寺11:00着→北尾根取りつき11:40→MフェイスからKスラブ12:00〜13:25→昼食13:40〜14:00→北尾根14:15〜15:05→Mフェイス左岩峰15:15〜16:25→下山16:45→戸寺17:20着バス17:34発
【概算費用】 交通費のみ
【装備計画】 【個人装備】雨具・タオル・地図・磁石・お茶・昼食・登攀用具
【地図・ルート図】
【感想】
天気予報では雨だったのに、朝起きたらとてもいい天気なのでじっとしておれず、急遽金毘羅に行くことに決定。こんなときは、二人でやっていて便利だなぁーと思う。気温も暖かく、本格的な岩のシーズン到来と喜んで出かけた。
せっかくだから、マルチピッチのザイルワークに重点をおいて練習しょうということになり、前から、取りつきがわからなくて行けなかった北尾根に行こうということになった。Mさんにルートを聞いたところ、Mフェイスへ行く途中の岩ではないかと前から見当をつけていた所がやはりそうだった。着くと、すでにアイゼントレーニングで取りついていた若いパーティーと、7-8人下で待っている中年と若者のパーティーがいた。その年配の人が「今日はすいていて、Mフェイスはからっぽなのになぜか皆北尾根に集まってくる」と笑っていた。で、私たちは先にMフェイスに行くことにした。
やはり、Mフェイスは誰もいなくて貸し切り状態だ。早速、tさんのリードで登り始めた。次に、私もザックをかついで登り出した。そのルートは前にリード練習したところでもあり、どってことないと思い登り出したが、ザックをしょっているというだけで不安定になりどうも勝手が違う。思ったより、もたついてしまった。次のKスラブは、釣瓶で今度は私がリードで行くことにした。真ん中のルートを行ったところ、途中でスタンスがとれなくなってしまい、右のクラックへ逃げようと思い移動するときテンションがかかってしまった。まだまだ未熟でそういうようなときに冷静になれないのが改めてわかった。そこからは、クラックを少し登りまたもとのコースに戻ってやっと行けた。しかし、ザイルワークが確実なものとなったことと、荷物を担いでのリードは大きな収穫となり、さらにKスラブからの大原の里の眺めは、格別なものとして写った。私はマルチピッチ(わずか2ピッチだが)を初体験した満足感と興奮に高揚しつつ、次の北尾根の取りつきまで降りた。
北尾根はさすがに誰もいなかった。またもや貸し切りだ。まず、tさんから登り出した。ここはザイルはいらないと思うが、練習のために出した。下からすぐに姿が見えなくなり、そのうち声も聞き取りにくくなった。こういう場合ザイルが短くなってくると不安なものだ。「あと、3メートル」と声を掛けたところでザイルが止まった。こんどは、私が登る番なのだが、声を掛けても何と言っているのがよくわからずとまどった。そのうち、ザイルが上がりだしピンと張ったので、合図の2回ザイルを引っぱって登りだした。2ピッチ目は、私がリードして登った。2ピッチ目もYケン尾根と同じように階段状だが、高度感はかなりある。そして北尾根はYケンにつながっている。Yケンよりは、少し急だが足場はしっかりとある。北尾根の終了点は、Kスラブの終了点の横にある。
そのあと、もう一度Mフェイスに降りて左岩峰に挑戦しようということになった。tさんは難無く2回リードした。私は、トップロープでいけた。前はぜんぜん歯がたたなかったのだが、少しは進歩していたようだ。
今回の金毘羅は、充実した練習ができた。ザイルの扱いがだいぶスムーズに出来るようになってきた。「何かにつけて練習あるのみ」と痛感した。
1999.3.17/iku
3.吉野山お花見ハイク【山行名】 吉野山お花見ハイク
【期 日】 1999年4月12日(月)
【天 候】 晴れのち曇り
【目 的】 桜を愛でて心なごます
【メンバー】 iku/友人
【日 程/ルート】
上千本までの散策
【概算費用】 一人5000円
【食料計画】
レトルトのおでん・ビール・おむすび・おつまみ・紅茶など
【装備計画】
【個人装備】雨具・タオル・カメラ・地図・磁石・お茶・昼食・コップ・お金・ヘッドランプ・コッヘル・カートリッジ・ヘッド他
【概念図】
【感想】
今までの私の経験から、桜を愛でるならやっぱり吉野山以外にはない。しかし最初に行ったときの感動は年々薄れていく。酸性雨の影響で、少しずつ枯れていっていることもあるらしいが、そればかりとも言い難い。今年は、昨年の台風のせいか木々が倒れていて、そこを伐採して裸になっているところが目立ち、なお痛々しい。まるで脱毛症を見ているような気持ちになり目をそらしたくなる。
新聞では、下千本・中千本満開、上千本八分咲きと書いてあり期待に胸膨らませて吉野駅に降りた。ところが下千本はもうだいぶ散っていた。しかしまだまだ上にあると期待して登り始めた。吉野山は観光地化していて、月曜日だというのにすごい人だ。これだと日曜日はどんなだったろうと思うとゾォーっとする。この前の、閑散としていた武奈ヶ岳とは対照的だ。特に土産物屋や旅館の並んでいるあたりは、着飾った人びとで進めないくらいだ。そして、またまた中高年の女性ばかり。「みんなが働いているときに遊ぶって気分がいいねぇー」と前を行く女性のグループから聞こえてくる。私は、貧乏症なのかその言葉を聞いたとたん後ろめたくなった。
期待しながら上千本まで登ったが、やはりだいぶ散っていた。土曜日に降った雨のせいだろう。しかし上から眺めると、やはりきれいだ。パステルカラーの色調で染まった山はそうないだろう。まるでおとぎの国のような錯覚を起こす。
中千本まで下りて、いよいよ花見の宴の始まりだ。途中で買ったビールとレトルトのおでんで始まった。中年女二人のとりとめのない会話は、時間を忘れて続いた。誰にも遠慮することもなく、アルコールの酔いも手伝って目一杯の解放感を味わった。これこそ、花見の真髄なんだろう。
1999.4.16/iku
4.武奈ヶ岳の春の息吹を確かめる【山行名】武奈ヶ岳の春の息吹を確かめる
【日程】1998年4月9日(金)
【メンバー】 iku・mizu
【日程】
自宅6:40→樟葉6:58→京都駅7:40待ち合わせ(JR7:57)→比良8:48→イン谷口9:00→大山口9:20→青ガレ9:53(9:58)→金糞峠10:27(10:43)→中峠11:30(11:46)→ワサビ峠12:12→武奈ヶ岳12:45昼食(13:43)→イブルギのコバの分岐14:25→ヤクモヶ原14:38→北比良峠→大山口16:11→イン谷口16:30(バス17:05)→京都18:20
【概算費用】一人1880円(京都駅から)
【集合場所】京都駅
【個人装備】雨具・タオル・カメラ・地図・磁石・お茶・昼食・コップ・お金・ヘッドランプ・他
【感想】
娘と山に行くことなど今まで全くなかった。高校生ぐらいの時にいやがるのを、愛宕山にむりやり連れて行ったのが最後だったと思う。今回比良に誘ってみたところ、すんなり行きたいと言ったので驚いた。「弁当は「ローソン弁当」だ」と言ったところ、「私は毎日昼食はバイト先で「ローソン弁当」だ」と言うので、早起きして特製弁当を作った。
京都駅で待ち合わせた。久しぶりなので電車の中でつい話し込み、もう少しで比良駅を乗り越すところだった。バスの乗り継ぎは良く、乗客のほとんどが中高年の女性だった。どこへいっても元気なおばさんばかりが目につく昨今だが……。イン谷口にはあっという間についたのに、バス代320円はその割には高いと思う。電車から見えた桜は満開だったのにイン谷口を下りたところの桜は2-3分しか咲いていない。少し行った所の公園の桜はまだつぼみだった。残念。少し歩くと汗ばむくらい暑い。
このコースは7-8年前に通ったきりだ。青ガレの岩と滝、そして金糞峠から見た琵琶湖の展望、西南稜からの眺めが印象に残っていた。今日は、登山者とは西南稜に出るまでに一人しか出会わなかった。それも、高齢の男性だった。青ガレあたりからは急な登りになり、金糞峠について一息つき、琵琶湖の眺めを満喫しながら休憩した。もう、さわやかな風が気持ちよく感じる季節だった。
以外にも金糞峠から先は雪が結構残っていて、沢は雪解け水で増水していた。残雪のおかげで雪合戦をしたり、木に当てっこの競争をしたりなどして童心に返り楽しんだ。また沢を何度も飛び越えるなど、娘は結構変化にとんだこのコースを気にいったようではしゃいでいた。中峠からワサビ峠までの、特にワサビ峠への登りはどろどろになっていて、運動靴で来た娘は滑って登りにくいようだった。何よりも真っ白の靴がどろんこになるのが本人にはショックだったようだが……。
やはり、西南稜に出ると気持ちがいい。写真を撮りながら進む。もっとなだらかだと思っていたが何度かアップダウンがあり、娘はダミーの武奈ヶ岳にがっくり。それでも思ったより早く着いたので、頂上では素晴しい展望を楽しみながら特製弁当の昼食をとった。娘は「お母さんの弁当は高校生の時以来だ」と感激していた。頂上はすいていて、やはり中高年が何組かいただけだ。
1時間ほどのんびりおしゃべりで過ごしてヤクモヶ原に向かった。イブルギのコバの分岐まではけっこう雪が残っていた。雪のなかの斜面をトラバースするところがあり、また下りなので滑りやすいので用心して降りた。ヤクモヶ原も閑散としていた。風景はまだ春の気配も漂わせていないが、気温だけは高く「暑い暑い」を連発した。山上駅からイン谷口まで一気に降りる。イン谷口にも誰もいない。
この日の山行は私たち親子の貸し切り状態だった。遠慮なく大声でしゃべり、歌い、遊び、思いっきり楽しんだ。時間はあっという間に過ぎ、疲れも全く感じなかった。今年に入ってからは、燃える闘魂クライマーのtさんと毎週クライミングずくめだったのだが、久しぶりの緊張感のない「楽しい山歩き」だった。
京都駅で夕食をとり、楽しかったという娘と「また山へ一緒に行こう」と約束してそこで別れ、私は総会に出席するためバスに乗った。
【反省】
地上は春爛漫で、武奈辺りならそう変わらないだろうと軽装備(ハイキングのつもり)で行ったら、かなりの雪が残っていてびっくりした。たとえ低山でも、この季節は軽アイゼンとストックとスパッツぐらいは持っていった方がよいと思った。靴も水が入らないものがいい。
1999.4.16/iku
5.二子山クライミングツアー【山行名】 二子山クライミングツアー(中央稜)
【期 日】 11999年5月1日E〜4日B
【天 候】 2日 晴れ /3日 晴れ /4日 雨
【目 的】 マルチピッチの技術習得
【メンバー】 ko・OY・IY・IM・mura・iku
【日 程/ルート】
1日出発(出町柳)13:30/2日クライミング(中央稜)/3日クライミング(中央稜)/4日夜帰宅
【概算費用】 一人 14,000 円
【食料計画】
6/13 朝・昼(各自行動食)・夜(すし太郎、味噌汁、漬物)
6/14 朝(各自行動食)・昼(蕎麦屋で粟100%の天ぷら蕎麦)
【装備計画】
【個人装備】登攀具・寝具・食器
【感想】
今回の二子山は、tさんがトレーニングと称して29日に星田に行き、人さし指を怪我をしたため、最後まであきらめきれなかったようだが、参加を断念した。私は後ろ髪を引かれつつもここで断念するのも心残りがすると思い参加した。12時の待ち合わせ時間に出町柳に着くと、暫くしてNさんが自転車でやってきた。Nさんも風邪で不参加だと言うことだ。これで6人になってしまった。今西さんの車にはmuraさんが乗ってやってきた。待ち合わせ時間をかなり過ぎてからkoさんの車に久しぶりのOYさんが乗ってやってきた。koさんの駐車場で荷物を積み込み、私たちは午後1時30分ごろ荷物に埋もれてko号で出発した。
夕食は途中でとり、塒を探し求めて車を走らせていると二子山の近くに恐竜のアスレチックがある公園が見つかった。そこは、テーブルがありトイレも付いていて快適な恰好のキャンプ地となった。クライミングが終わるとそこに帰ると言う生活になった。結局3日とも夜はここで過ごし、とうとう最後の日はこの恐竜と別れるのに一抹の寂しさを感じてしまったほどだ。
パートナーのtさんが不参加のお陰で、muraさんという若きパートナーを得、2日間のクライミングをおおいに楽しんだ。
初日の2日は、中央稜近くのタジヤン(5.9)をトップロープで1回登り、muraさんに誘われるまま中央稜のマルチピッチを二人で登った。最初トップは、muraさんに行ってもらった。ここは簡単だった。次にルート図では2ピッチ目になっているがこの日は、ここを2ピッチに分けて登った。最初をmuraさんがトップで、次のクラックを私が登った。後で分かったのだかここがこのルートの核心だったらしく、知らない私はなんとか必死で登った。途中でボルトが少ないのに気が付き、一瞬逡巡したが「ここまでくれば登るしかない!」と覚悟を決め、次のボルトまで落ちないように慎重に足を進めた。このピッチの終了点は広々としたテラスだった。辿り着いたときはホッとした。やっと眺めを楽しむゆとりができた。空は青空が広がり、山々は新緑のパステルカラーが広がっている。絵の具の色ではとても出し切れないだろうと思われる程の豊かな緑に感動し、下の方で小さく見える村と横に広がる大きな切り立った岩壁の壮大さをも、何ひとつさえぎるものもなく、みんな私一人の視界に入ってくる。こんな贅沢を味わえるのは何と幸せなことなんだろう。しばらく眺めに酔いしれていた。
次からは、muraさんに先頭に行ってもらった。次はルート図では3ピッチ目になっていたがここも2ピッチに切って登った。前のピッチから見れば後は楽に登れた。最後のルート図の4ピッチ目は私たちは6ピッチ目になっていた。
終了点に着いたときは、達成感でいっぱいだった。私は金毘羅で少しtさんとマルチピッチの練習をしただけで、今回こんなに高度感のある長いルートは初めてのことである。こんなにたよりない私とパートナーになって下さったmuraさんの寛大さに感謝した。お陰で、とてもいい経験と練習になった。終了点は二子山への登山道につながっていて、そのまま登山道を下っておりてきた。
次の日の3日もまた中央稜を登り、またmuraさんがパートナーになってくださり、今度は「つるべ」で登った。自分が先頭で行くと、簡単だと思っていたところもかなりの緊張感がある。2日に比べてお天気も晴れてはいるがもやがかかったようになっていて、前日ほどの爽快感はなかった。しかし、余裕も出てきて違った意味でまた楽しめた。この日のピッチは、長めに取って5ピッチだったがザイルを長く出すと引き上げるのに重かった。
二子山のフリールートは、全体に私には結構難しかった。せめて5.10のノーマル位まで登れるようになりたい。そうすれば、行けるところももう少し幅が広がり楽しめると思う。今年に入って毎週と言う程星田で練習して、実感として練習すれば少しずつでも進歩することが分かった。まずはリードを恐がらずどんどん登ることだ。でも、リードは恐い。この葛藤は永遠に続くことでしょう。
最後になったが、恐竜公園の星空の下で食べたクライミングあとの焼肉とビールは美味しかった。
帰ってから「良かった! 楽しかった!」は禁句だとみんなに止められていたが、口から出るのはこの言葉ばかりだった。本当にtさんには悪かったが、二子山は良かった。
1999.5.11/iku
6.遭難の捜索隊に加わって1999年5月9日
二子山から帰ってきて、まだ余韻もさめないのに、koさんから奈良山岳会のメンバーが28日に鉄山にハイキングに出かけ行方不明。その後も捜査活動をしているがまだ不明のため9日の救助活動の依頼がメールできた。8日夜京都駅21時出発。メンバーはko、a、pin、t、t、iku。弥山小屋に9日午前7時に集結。弥山小屋から一列になって倒木の道なきなかを進む。樹木は倒れ苔むし荒れ果てている。しばらくそんななかを進むと「見つかったー」という声でそちらに向かう。発見者はpinさん。不幸にも仰向けに眠ったような格好でなくなられていた。ザックをしょったままほんとに知らなければちょっと一休み、というような感じに見えた。
捜査の依頼のあったとき、私はあまり深く考えず、一人でも多くの人が協力した方がいいのではと思い、また今後自分たちにも降りかかってくることかもしれないし、その時のことを考えたらお互いさまだという思いもあり、早速参加すると返事をした。しかし、後で良く考えると私のようなものが行って足でまといになるのでは、とも思ったりして迷ってしまった。こんな時は一人でも多い方がいいのではと、迷いを打ち消して参加することにした。
初めての体験だったがとても貴重な経験となった。遭難者は体力もありその山域には熟知していた人だと言うことだ。それが、なんで弥山小屋から15分位のところで遭難をしてしまったのだろう、と最初私には訳がわからなかった。しかし、いろいろ情報を得るにつれてこういう時こそ遭難するのだなぁー、と納得せざるをえないことが出てきた。それは、熟練者ゆえに山を軽く見ているとしか思えない装備だった。その日は雪がちらつく程の寒さなのに薄着でしかもザックの中身はツェルトも雨具もヘッドランプもなかったらしい。
私も日帰りハイキングだと言えば、また今日はお天気だと思えば弁当とお茶を持っただけで出かけていることが結構ある。照らし合わせて考えてみるといつ自分が遭難してもおかしくないのでは、と考えこんでしまった。反省すること頻りである。
もうひとつ、単独であったのとルートが荒れていたのと天候が急変してこの季節にしては珍しく寒かったということも要因としては考えられる。しかし、それにも対応した装備が要ったのだろう。
目の前でリアルに焼きつけられた遭難者の姿を教訓にして、たとえハイキングでも自分の足と判断でしっかり行動しなければいけないと思う。
そして、たとえハイキングでも最低限レスキューセット、ヘッドランプ、雨具、地図コンパス(ちゃんと正確に使えるようにして)、ツエルト、予備食は持たなければならないと思った。
参加したお陰で、多くのことを学んだ。
1999.5.11/iku
7.御在所岳前尾根
【山行名】 御在所岳前尾根
【期 日】 1999年6月11日E〜12日F
【天 候】 11日 晴れ/12日 晴れ
【目 的】 マルチピッチの技術習得
【メンバー】 pin・mura・t・iku
【日 程/ルート】
11日出発(京都駅)(22:00)
12日到着(1:30)/起床(6:00)前尾根クライミング/駐車場へ出発(7:00)/駐車場着(7:20)/駐車場出発(7:30)/藤内小屋(8:03)(8:13)/兔の耳(8:30)/取り付き(8:45)(9:30)/ヤグラのコル(12:50)/ヤグラ(13:50)(14:10)/駐車場(16:15)/希望荘で風呂/食事/京都駅
【個人装備】登攀具・寝具・行動食・着替え
【感想】
京都駅には2分程遅れて着いたが、すでにpin・muraさんが来ていた。すぐにmuraさんの車で出発。登り口から30分程手前の公園でテントを張り、ビールを飲みながら少しのあいだ歓談し、登攀のことを考えて早々に切り上げて就寝した。目が覚めると、すがすがしい朝だった。そこはトイレもありきれいな公園だった。12日は天気もよく、絶好のクライミング日和となった。朝食を済ませ登り口近くの駐車場に移動した。駐車場はすでに7-8台止まっていたがまだすいていた。しかし下山時にはいっぱいになっていて、路上にもあふれて駐車していた。
裏道登山道をたどると、日向小屋をへて30分程で籐内小屋に着いた。結構暑く汗びっしょりになる。藤内小屋で10分程休み、そこから15分程で「兔の耳」(右手に兔の耳のような形をした岩)が見え、そのあたりはテン場にもなっている。登山道を左の方にそれると、一画が遭難者の墓場のようで岩に張り付けてあるレリーフがたくさんある場所に出る。御在所で遭難した人がこんなにもたくさんいるのかと驚いてしまったが、レリーフを良く見ると他の場所で遭難した人のがほとんどだったようだ。そしてしばらく歩くと登山道と岩場の分岐に出る。左に取り藤沢谷をツメるとすぐに右側に前尾根の取り付きだ。左にも切り立った岩壁が見える。後でルート図を見ると中尾根だった。ここにも取り付いているパーティーがあった。
そこにはすでに先行パーティーがあり準備を始めていた。私たちも準備にかかると後からも2組みほど続いて来ていた。新品の9ミリザイル2本とキャメロットも出す。ここで到着してから45分程順番を待つ。私はこれで金毘羅での練習と二子山の中央稜(2回)に続いて4回目のマルチピッチである。でもダブルでザイルを出すのは初めてだ。
mura、pinさんがパートナーを組み先に行く。私はtと組み、最初はtがリードして右端のルートを登り出した。ビレー解除していよいよ私も最初のピッチを登り出す。緊張するがトップではないので気が楽だ。しかし終了点近くの丸い大きな岩のホールドが分かりにくくもたもたしてしまった。
次の2ピッチ目はそのまま私がリードした。やはりリードは気合いが入る。ホールドを探すのにも時間がかかる。ここで私たちの次に待っていた二人組みに抜かれてしまった。
次はザイルは出さないで行く。3ピッチ目は本来の取り付きの少し上にある右の木のところに確保支点をとり今度はtがリード。このピッチは北谷側のガリーをいったがかなり簡単だった。その時は知らなかったが、帰ってからトポを見ると「藤内沢側のルートは滑らかなスラブとクラックで前尾根でもむつかしいピッチだ」と書いてあり、今度はこちらを登ってみたい。せっかく持っていったのでtはここでもキャメロットを練習に使った。次のピッチもまたザイルを出さないで登り、5ピッチ目はまた私がリードした。6ピッチ目のやぐらのコルまではtがリードして、後から私が登っていってひょいと顔を出したところに、pin・mura・tさんがいた。ああこれで終わりなんだ、と思った。時間は1時近くになっていた。
最初はここで終わりの予定だったのだが、目の前に聳えるやぐらを見て、また人が取り付いているの見て登ろうということに話がついていた。最初はmuraさんとpinさんが登った。tもリードでなんなくこなし、次に私の番だが登り口でちょっと迷って登りにくかった。しかし登り出すと見た目よりも簡単だった。
帰ってからルート図を見てみると、一つのピッチに何本ものルートがあるので、どちらのルートを登ったのか曖昧な記憶しか残っていない。二子山の時は2回登ったので割りと憶えている。それだけ余裕もなかったのだろうが…。もう一度いって、今度はルート図で確認しながら登ろうと思う。中尾根にも是非挑戦したい。今の私にはちょうどいい練習になると思う。
帰りは10分ほど先にいったところの希望荘という会館で温泉に入り(タオル・バスタオル付きで、消費税込み525円)疲れを取り帰京。楽しい山行だった。
1999.6.22/iku
8.雪彦地蔵岳東稜【山行名】 雪彦地蔵岳東稜
【期 日】 1999年7月10日F〜11日@
【天 候】 10日 晴れ /11日 晴れ
【目 的】 マルチピッチの技術習得
【メンバー】 t・iku
【日 程/ルート】
10日@ 自宅出発8:40→中国道吹田JCT10:42→福崎IC→雪彦キャンプ場11:20着→林道に入ってしまう11:48〜雪彦キャンプ場11:16→東屋(665M)12:30→地蔵岳の登山道よりクライミングを見学10:30→虹の滝13:45→出合15:40→東屋16:45→ビールを買に行き夕食→就寝19:30
11日@ 起床5:30→出発6:45→出合→地蔵岳東稜の取り付き8:00→出発8:30→終了11:30地蔵岳頂上850M昼食12:30→東屋13:00/13:20→雪彦温泉13:45/14:37→帰宅
【概念図】
【概算費用】 一人 約4700円(高速片道2350円)
【食料計画】
夕食/肉じゃが・焼き鳥・カレーライス・ビール
朝食/カップ麺・バナナ
行動食/パン・バナナ・ジュース
【装備計画】
登攀具・寝具・行動食・着替え・食料・テント・コッヘル・ガスヘッド/ボンベ・お風呂セット・ヘッドランプ他
【感想】
梅雨前線が停滞していて、雪彦の計画を立ててから3週間雨のため延びてしまった。いささか気落ちしたのも手伝ってか、当日の10日は寝坊してしまった。それでも、私たち二人だけの初めての岩ということで多少の緊張感はあった。
tさんの運転と私のナビで自宅を出発。吹田から中国道に乗り、蝙蝠のときに降りた三田を通り越し福崎で降りると、「雪彦山」という案内が出ていて分かりやすい道だった。8時40分に家を出て、雪彦キャンプ場に着いたのは11時20分だった。2時間40分かかったことになる。
登山道の入り口近くに駐車場と少し入ったところにシャワー付きのキャンプ場があった。そこは、駐車代500円テント1張り600円そして1人600円で合計2300円いるという。私たちはあまりに高いので無料テン場を求めて、右脇の林道に入っていった。結構上の方まで行ったのだがここはというところが無く、また降りてきた。もっとちゃんと知っている人の情報を集めれば良かったと後悔したが先に立たず、元のキャンプ場に戻って二人でここにしようかどうしようか、と思案していたところ、軽トラに乗ったおばちゃんがテン場に入ってきたので「クライミングをする人はどこから入るのか」と聞いてみた。この人はキャンプ場の管理人らしく、無愛想で不親切だったが、「クライミングの人はここのキャンプ場には泊まらず、林道を登って行ったところの東屋でテントを張り、その脇から山にはいっている。ゴミだらけにするし、水は汚い道路にある水道の水を飲むし、またトイレはそのへんでするは、ティッシュだらけにするからクライマーは嫌いだ。」と怒っていた。自分のところのキャンプ場が流行らないのはクライマーのせいだ、と言わんばかりであった。
これだけ聞くとたいがいの人は、日和ってキャンプ場に落ち着くのだろうが、いいこと聞いたと、私たちは後ろめたさを感じつつも先程の林道をまた引き返した。前に引き返したところを通り過ぎてもう少し行くと結構立派な賀野神社がありそこもテン場になるなぁーなどと話ながらもう少し行くと東屋があった。道路脇には水道もちゃんとついていた。すでに車は6台止まっていたが、まだスペースはあった。探し求めてウロウロしただけに見つけた時は感激した。その時はまだまだ乗り越え無ければならない試練があるなど考えもしなかった。そこからは雄大な地蔵岳の切り立った岩がすぐそこに見えた。
取り敢えず、昼食にして今日は取り付きを偵察に行こうということになった。本のコピーの説明は登山道からになっていて、私たちはかなり林道を登って来ていたので反対側から降りる形になったため役に立たなくなった。取り敢えずサブザックに水と食料を入れ、取り付きを探しに出発した。
すぐそばの遊歩道から入った。そこを下るとすぐに右手に鉾立山への登山道がある。そこを右に行くと、地蔵岳と鉾立山方面となる。もう少し下った所からも行け、私たちはそこから行った。30分ほどで地蔵岳への登山道との分岐に出る。そこを地蔵岳に取ると、虹ノ滝に出る。もう少し行ったところで、地蔵岳の正面壁がすぐそばに見える。そこでしばらくクライミングを見学した。加古川ルートに2パーティーと紅菱会ルートに1パーティー取り付いていた。アブミを使っているようだ。しばらく見ていたが、見ていても仕方が無いので明日のために地蔵岳東稜ルートの取り付きを捜しに行くことにし、元の道を戻り正規の登山道を下った。
概念図と説明では途中の出合から入る、となっていたが少し手前で入ってしまい、途中からtさんが一人で斥候に出て正面壁の取り付きに出てしまった。そこでクライミングをしている人に聞き、出合から入るということを聞き出し、元の登山道にまた戻った。そして少し下ると「出合」という道標があった。しかし出合というのに谷筋はひとつしかわからない。またウロウロと捜すはめになった。そのうち、谷筋を少し登ると左から枯れた谷が入ってきているのが見つかった。これこそ、捜し求めた不行沢だと納得した。これでこの谷筋を詰めれば取り付きに行けることが分った。時間も遅くなりヘッドランプも持っていなかったので、今日はこれまでということにして東屋に戻ることにした。
東屋に帰るとホッとした。帰るとビールが飲みたくなり林道を降りた。30分ほど降りたところに小さな酒屋があった。また東屋に戻り夕食の支度をする。といってもレトルトの焼き鳥と肉じゃがにカレーというメニューで温めるだけの簡単なものだ。果敢にもまだ壁に取り付いているクライマーの声が微かに聞こえる正面壁を眺めながらの夕餉となった。東屋はこの時は貸し切り状態だった。ほろ酔いで良い気分で暮れていく空をベンチに寝転がって眺めていると、空に怪しい飛行物体が現れた。音も無く現れそのまま上空を通り過ぎ消えていく。あれはUFOだと騒いでいると一機が消えた頃また現れた。合計5機通り過ぎた頃、近くに飛行場があるのだろう、ということで納得した。
薄暗くなりかけた時、1パーティーが帰ってきてそのまま帰っていった。私たちは明日があるので少し早いが7時30分頃には眠りに着いた。深い眠りに入った頃、車が一台入ってきてテントを張った。そのテントに人を残し車は姫路駅に後で来る人を迎えに行ったようだ。そのあとは今までの静寂が破られ、話し声が耳について寝られない。とうとうtさんが「疲れているので少し静かに話してくれませんか」と言いにいった。少し声は小さくなったが、話す声はけっこうはっきり聞こえ寝つかれなかった。そうこうしていても睡魔には勝てず、また夜中には静かになったこともあって、深い眠りに落ち入って朝までぐっすりと眠った。
5時半起床。朝食を簡単に済ませて用意をして、昨日目星をつけておいた地蔵岳東稜の取り付きめざして出かけた。不行沢と平行したテープ付きの踏み後を登ったのだが、沢を詰めた方が大きなチョックストーンにぶち当たり、そこを右に巻き込んだ方がわかりやすかったようだ。けっきょくはどちらからも行けるのだった。もたもたしているうちに、後から来たパーティーに先を越されてしまった。このパーティーはテン場の東屋で後から来た人たち5人組だった。
まず80mのスラブだがここを2ピッチに切って、1ピッチ目のスラブはtさんがリードした。2ピッチ目も同じようなスラブである。細かいホールドを捜しながらバランスを取って登る。ここを終了すると大テラスになっている。3ピッチ目はtさんという具合につるべで登る。ここでビレーしながら次の3ピッチ目を見ていると先行パーティーは、右の方にトラバースして切り立ったフランケをフリーで取り付いていた。そのパーティーの1ピッチや2ピッチの登り方を見てまた昨晩テントから聞くともなく聞こえてきたクラックス(大阪のクライミングジム)での練習の話しなどから察しても、私たちも登れそうに思えたが、トポを見るとA2になっているので、無理をしない雪稜流で、つまりオクビョウ風を吹かせて私は左のチムニーのルートを取った。ここも最初の登り始めが、チムニーに入り込んでしまったらハングを越えることになってしまい登りにくかった。外から回った所うまく登れた。5ピッチ目はコンテで行く。6ピッチ目馬の背はtさんが行く。ここは2ピッチに切って次は私が行ったが、特に問題はない。右に遭難碑があった。次は頂上フェースだがここもtさんが右に取ろうとしたが、そこはあまりホールドがなく難しそうなのでまた左の凹角を登った。ここで私たちは7ピッチ目となった。終了点が頂上である。奥深い山容の眺めが素晴らしい。下の方にテン場にした東屋と愛車が小さく見える。約3時間かかった。この東稜はルートがいろいろと取れるので、ルートによってはかなり難しくなるのではないかと感じた。今回は初めてなので、確実に登れそうなルートを選んで登ってみた。トポでは難しくなるとアブミ使用になっているが、フリーでレベルアップすれば登れるようにも思える。いつかは4ピッチ目の先行パーティーのように自信を持って登れるようになれればいいなぁーと思った。今回私たちが取ったルートは楽に登れた。前回の二子山中央稜・御在所前尾根に続き3回目のトライで、かなりザイルワークも慣れてきた。
天気も良く、気持ちのよい微風が疲れた体をなごませ、頂上で取った昼食は格段と美味しかった。雪彦はまだルートが残っている。正面壁にもいつか挑戦したい。
頂上でしばらくのんびり過ごしていると、団体の中高年が二十人ぐらいガヤガヤと登ってきた。私たちは急かれるようにして降りた。30分程で東屋についた。来る途中に見つけておいた「雪彦温泉」でひと風呂浴びて帰路についた。
夕方には帰れ、ゆとりのある山行となった。
1999.7.21/iku
9.夏の暑さをふっとばせ!平ヶ岳(恋ノ岐沢)1999【山行名】夏の暑さをふっとばせ!平ヶ岳(恋ノ岐沢)1999
【日 程】1999年7月16E夜〜7月19日A
【天候】 17日曇/18日雨/19日晴れ
【目 的】 昨年出来なかった恋ノ岐沢を詰めて平ヶ岳の頂上をめざす
【メンバー】 L.ko・S.L.naritama・kawa・IY・IM・iku・kami・kaku・O
【日程、ルート】
16日 t宅出発20:50
17日 恋ノ岐橋着4:45/出発6:30/滝休憩(昨年と同じ所)8:40/三角沢(昼食)11:30〜12:30/テン場(オホコ沢の分岐)17:20/夕食19:00/就寝20:00
18日 起床5:00/出発7:00/休憩9:43/姫の池16:30/夕食19:00/就寝20:00
19日 起床5:00/出発7:00/平ヶ岳頂上7:28/たまご岩経由姫の池9:19/白沢清水10:12/台倉清水11:22/鷹の巣尾根12:25/平ヶ岳登山口14:30/温泉
16:50〜18:00/食事19:10〜19:50/出発20:00
20日 t宅着2:30
【概念図】
【装備】
【個人装備】下着・上着・ズボン・着替え一式・軍手・防寒着・渓流シューズ・ヘルメット・ザック・シュラフ・シュラフカバー・マット・雨具・ヘッドランプ・洗面用具・マッチ・ライター・タオル・ナイフ・ローペ・食器・新聞・地図・コンパス・行動食・非常食・常備薬
【共同装備】ツエツルト(2)・ロープなど登攀道具・医薬品・ガスヘッド(3)・ガスカートリッジ・コッヘル・カメラ・食料
【食料】
17日朝/行動食
17日昼/ソウメン(ソウメン・ねぎ・ショウガ・つゆ)
17日夜/山菜おこわ・青椒肉絲・おつゆ(おこわの素・素/肉/ピーマン/たけのこ・わかめスープ)
18日朝/パン・ウインナー入りスープ(パン・はちみつ・ピーナツバター・スープの素/ベーコン/たまねぎ/にんじん野菜の残り)塩/胡椒/粉パセリ
18日昼/行動食
18日夜/たらこ/ミートすぱ・海草サラダ(スパ/レトルト/サラダ/たまねぎ/キユウリ/ドレッシング)
19日朝/雑炊・味噌汁・みりん干し.漬け物(アルファー米/雑炊の素)
19日昼/行動食
【感想】
昨年の同じ時期に、恋ノ岐沢から平ヶ岳に行った時の感想に、「また、行きたい。今度は最後まで恋ノ岐沢を詰めて平ヶ岳にも登りたい。もう1日ゆとりがあれば良かった」と結んでいた。今回は、昨年の反省を満たしてくれる山行となった。昨年も一緒だった、naritamaさん・Oさんとの久しぶりの再会も楽しみにしていた。
今回私は食料当番ということもあって、荷物が多いので今西号をt宅経由にしてもらった。8時50分出発。途中で偶然ko号に出合いそこからは一緒にいった。私はどうも車中ではよく寝ていたようで気がついたら着いていた、という感じだった。
恋ノ岐橋には4時45分着。朝食をとったり共同装備や食料を分担して、6時30分に出発した。登山道をしばらく歩き沢に入った。恋ノ岐沢は、昨年の印象とはかなり違っていた。それは増水していて流れが少し早くなっているのと、空が曇っていたからだと思う。沢に足を入れるとけっこう水圧を感じる。それでも気持ちはいい。
三角沢で昼食のソウメン大会を行う。食料係りとしては分量が気になっていて、2束1人分で12人分用意していたので充分だと思っていたのだが、あっという間になくなってしまった。まだ物足りなさそうだった。ここで角ちゃんが、イワナを釣り上げた。25センチある大物だ。みんなの期待が集まる。この瞬間この分だと今夜の夕食には、イワナの塩焼きがひとり1尾ずつつくのでは、と誰もが期待していただろう。しかし、残念ながら角ちゃんの健闘空しく、貴重な1尾となった。
ここからは、ko・naritama・kaku組みが先に行ってテント設営などしておいてくれることになった。ここから1時間も行けば、昨年の泊地だった10畳程の砂地のスペースがあるはずなのだが行けども行けども見当たらない。やはり水量が多くて沈下していたようだ。様子も昨年とは大分違った感じだが、kawaさんの「本流に間違いはない」という言葉に励まされ進んだ。でもところどころ見覚えのある風景もあるので間違いはないだろうと思うのだが、昨年だともう着いている時間だと思うと少し不安にもなった。倒木も多くその上を渡ることも頻繁になってきた。そのうちにkoさんが迎えにきてくれたのでひと安心したが、まだ1時間以上あると聞いてがっくり。kakuちゃん・naritamaさんも迎えにきてくれた。だんだん滝も増えてますます時間がかかる。やっと辿り着いた時は、ホッとし疲れ果てていた。5時20分だった。先発隊は3時に着いたらしい。疲れた体にむち打って食事の用意にとりかかる。貴重なイワナは塩焼きになってみんなの胃袋におさまった。naritamaさんの持ってきてくれたお酒もあり美味しく豪華な食事になった。11時間にも及ぶ行動時間の疲れも癒され、暖かいたき火に当たりながらホッコリした。
夜、雨が降り出した。朝には小降りになっていた。いよいよ昨年時間切れのため断念した最後の沢の詰めである。ここからもけっこう滝が連続していて変化にとんでいた。40メートルの滝は壮大だ。登るのも緊張する。油断して足を滑らせてしまったが、木を掴んでいたので大事には至らなかったが、一瞬ひやりとした。支流のオホコ沢を越えてから上流はスリルがあってけっこうおもしろかった。そこを過ぎるとどんどん沢は細くなり、そしていつのまにか地面に吸われるように消えてしまい、最後は高さ2メートル程の笹薮に出た。薮を漕ぎながら進む。前を進むkawaさんを見失わないように後に続くのが大変だ。しばらく行くと、koさんの「着いた」という声がきこえた。見覚えのある登山道の登りに出てホッとした。みんな揃うのを待って、平ヶ岳へと向かった。雨でぬかるんだ道はよく滑る。
30分ほどで姫ノ池に着いた。下の方に水場とテン場があるということなので、降りたのだが、あいにく適当なところが空いていなくて、また引き返して姫ノ池でテントを張った。小降りだがまだ雨が降ったりやんだりしている。体も冷えきって、テントに入り着替えてやっと暖かくなった。そのまま、テント内で食事をし早々に寝てしまった。疲れていたのか、私は熟睡した。 目覚めると前日のガスも晴れ、平ヶ岳が昨年と同じように目の前にあった。やはりなだらかなスープ皿を伏せたような形をしている。頂上を目ざして出発。木道が途中まであったが、その後は前日の雨のせいで登山道は川状態だ。天気がよかったので乾いたスニーカーに履き替えていたのだが、これだったら沢用の靴をはいてくれば良かったと後悔した。30分弱で緑が美しく牧草地のように広々とひろがっているところについた。そこは木道がまた延々と続いている。空も晴れてきて、展望も良く駒ヶ岳、火燧、巻機山などがみえた。三角点は低い木立に囲まれていて、4畳半ぐらいのスペースで視界はさえぎられている。ここで記念写真をとった。
時間もせまっていたので心を残しながら下山した。途中は高山植物も美しく咲き乱れていてた。せっかくだから「たまご岩」を見にいこうということになった。「たまご岩」まで、また木道が続いている。ここからの眺めも、下に池塘が空を写す鏡のように緑に映え美しい。前の大きな岩の上で、しばらくたわい無いお喋りでひととき過ごした。いつものことだが、もう帰るのがいやになっていた。がそうも言ってはおれないので、姫ノ池に向かった。
姫ノ池でIMさんが待っていた。後ろ髪を引かれる思いで出発。下りはぬかるんでいて滑りやすい。気を引き締めて足を出す。昨年もかなりぬかるんでいたがもっとひどい。私はおニューのスニーカーなので、最初は気をつけてぬかるみをさけていたが、途中でとうとう無駄な抵抗となってしまった。足首までズッポリとはいってしまい、やっとあきらめがついた。昨年はなかったが、途中からまた申し訳のように木道がついていたが屁の突っ張り(失礼)にもならない。
台倉清水でオホコ沢の美味しい水を補給し、そこからの長い尾根道にうんざりしながらもまた歩き出した。姫ノ池を出発して既に2時間が経過していたが、ここからまだ3時間もの暑い中での尾根歩きがまっている。しかし、この尾根からの眺めも雄大だ。下りるにつれて谷筋から水の音が聞こえてきて、もうすぐだろうと励まされる。下りきると下台倉沢に出合い、ここで見るも無惨な新品のスニーカーを足ごと洗った。冷たい水が気持ちいい。
時間も押していたので、すぐに恋ノ岐沢に向かう。そこでOさんとは別れ我々は温泉に向かった。時間のゆとりが今回は結構あるはず、だったのに昨年の明け方よりは少しましだが、家に着いたのは、2時半を過ぎていた。昨年より多かった一日は、何処へ消えたのか……。
とは言っても最初に書いたが、今年は平ヶ岳の素晴らしい頂上を踏むことが出来たし、恋ノ岐沢も詰められた。オホコ沢より先の、恋ノ岐沢は40mの滝や他にも大小の滝が待ち受けていて思っていたよりも素晴らしかった。何よりも、源泉まで行ったことが充実感が味わえた。生憎天気には恵まれたとは言えないが、たいした雨にもならず、平ヶ岳では青空も見え本当によかった。これで昨年の怨念は晴れスッキリした。
でも、やっぱり遠かった。お疲れさま。
iku
10.涸沢夏山合宿【山行名】 涸沢夏山合宿(先発隊)
【期 日】 1999年8月11D夜〜7月16日A
【天 候】 12日/晴れのち曇りのち雨・13日/雨・14日/雨・15日/雨・16日/雨
【目 的】 本格的なアルパインクライミング経験
【メンバー】 L.matuけ・S.L.hasi・masu・t・gata・iku・kami・turu・mura・nita・nkh・nakayu
【日 程/ルート】
11日/t自宅20:20出発→turu20:50→hasi22:00出発→
12日/沢渡4:00着・仮眠→上高地6:30着6:45出発→明神7:15着7:40発→徳沢園8:20着8:40発→横尾9:15着9:55発→本谷橋10:55着11:10発→休憩11:40着11:50発→12:45涸沢着・夕食16:30・就寝19:30
13日/起床5:15・朝食6:00・7:00北穗に向かって出発→8:30に2700m付近より下山→涸沢BC9:00着・後発隊14:30着・夕食19:00・就寝21:00
14日/起床2:00・4:00出発→北穗と奥穂の分岐6:20→ドーム中央稜下降路の途中で雨のため待機7:00〜9:30(あきらめてツェルト撤収)9:45発→北穂小屋10:40着10:45発→12:20涸沢着・12:30masuさん着・夕食18:00・就寝23:30
15日/起床4:00・朝食5:00・ikuは奥穂に出発7:10→奥穂小屋8:45着診療所に昨年のお礼に立ち寄る→奥穂9:30着9:40発→奥穂小屋10:14着→パノラマコースから涸沢11:35着・夕食19:00・就寝22:00
屏風組みは9:30に出発するため装備の振り分け準備をし、仮眠をとっていたが、8時前から雨が振り出し9時半になっても止まず、12時まで待つが上がらないので出発は諦める。iku戻る。BCで雑談したり仮眠したりして過ごす。昨日、今日と大キレットで遭難者が出た。東稜組みの帰りが遅いので心配する。
16日/起床5:00・朝食7:00・9:20涸沢発→横尾10:55着11:35発→徳沢園12:30着12:44発→明神13:30着13:40発→上高地14:30着→沢渡15:30着・風呂・17:00発masu号は北陸道、カリブ号は中央道を行き別れる→新島々17:30→駒ヶ根サービスエリア19:00着(食事)20:00発→hasi23:00→turu11:30→t自宅0:30
【概算費用】 一人 約 15000 円(先発隊)
【食料】
12日朝/行動食・12日昼/行動食・12日夜/中華丼、ワカメサラダ、スープ
13日朝/ラーメン・13日昼/行動食・13日夜/豆カレー、ポテトサラダ、フルーチェ
14日朝/雑炊、漬け物・14日昼/行動食・14日夜/コンソメスープ、春雨サラダ、コーヒー寒天
15日朝/ラーメン・15日昼/行動食・15日夜/マ−ボ春雨、ひじき、スープ
16日朝/アルファ米、みりん干し、豆の煮物、味噌汁
【感想】
合宿に向けての計画は、8月1日と5日の打ち合わせ、それに10日の共同装備の振り分けと着実に進んだ。そして、個人的にはこの半年、蝙蝠でのフリークライミングや星田での人工壁、金毘羅や二子山、御在所、雪彦でのマルチピッチの練習、またアブミの練習も加え、準備万端整えてきたつもりだった。私たち(t、iku、turu、hasi)は岩への逸る気持ちを、少なくとも私は多少抱きつつ、先発隊として皆より1日早く出発した。この時は、まさかこんなにも雨雨……で終わるとは、考えてもいなかった。
また、私の登攀予定は13日の滝谷クラック尾根、14日の滝谷ドーム中央稜、15日の滝谷第4尾根、16日の前穂北尾根であったが、すべてに登れるなどとは微塵も考えてもいなかった。が、せめて滝谷1本と前穂北尾根には登りたいと内心思っていた。
11日夜8時20分、turuさん宅に向かい、次にhasiさんを拾い10時に沢渡に向けて出発した。私は後部座席で、ほとんどうつらうつらと眠っていた。4時に沢渡について仮眠しようとテントの張る場所を捜していたら、おばさんに駐車場内は張ってはだめだと閉め出されたため、道路脇に張ってやっと眠りに入りかけたところ、また駐車場の人が「日帰り以外の人は、下の村営駐車場に移動してほしい」と言ってきた。しかたなく、またテントをたたみ車を村営駐車場に移動した。そんなことをしているうちに、空が白み始めてきた。これじゃぁー、もう出発した方がいいのではないかということになり、いそいで朝食をとり出発の準備をし、タクシーに乗り込んだ。hasi、turuさんは徹夜状態である。タクシーの運転手さんが言った「焼岳に雲がかかっていないので、天気になる」という言葉をその時は信じて疑わなかった。
上高地は、例年に比べると空いているように感じた。朝の清々しい空気の中、涸沢に向けて出発。明神、徳沢園、横尾で休憩し、いよいよ登りである。本谷橋までは皆一緒に登り、ここでhasi、turuさんが先に出発した。待ち合わせの場所は、テン場の申込所の前で、ということだった。途中までtさんと私は一緒だったが、いつのまにか離れてしまった。一人で黙々と歩いていると、荷物がよけいに重く腰にきて辛い。前方にhasi、turuさんが見える。できるだけ離れないようにと頑張った。最後にヒュッテと小屋の分岐に出て、小屋の方が直接テン場に着くのを思い出し、そちらの方へ行った。雨がポツポツ降り出した。何とか涸沢のテン場まで雨はもったが、着いたとたん本格的に降り出した。待ち合わせの場所を見たが二人の姿が見えず、しかたなく捜査隊の小屋に避難して、そこでレインウエアを来て荷物を置かせてもらい、ヒュッテに捜しに行ったが見つからず、もうテントを張っているのかなと思いテン場にも捜しに行った。そんなに時間差があったとは思えないので、二人が何処に消えたのか不思議だった。狐につままれた気分だった。
途方にくれていると、tさんがやってきた。今度はtさんがヒュッテやテン場を「hasiさぁあ〜ん」と叫びながら捜し回ったが、聞こえてくる「はぁ〜い」という返事はテントの中から我々をからかう声だった。雨もきつくなり寒くなってきたので、しばらく捜査隊の小屋の前に避難させてもらい待つことにした。私が着いて小一時間ぐらいたったと思うが、ようやく捜しに来たhasiさんに出会えた。なんと、二人はヒュッテの中にいたのだった。ヒュッテの外は捜したがまさか中に入っているとは、私もtさんも考えもしなかった。とにかく気を取り直して、ジャンボテントの設営にかかった。
雨は止みそうにない、それでもテントの中に入り落ち着くとホッとした。ガスをつけ冷えたからだを暖めると、気持ちもゆったりしてきた。しばらくのんびりして、することもないので早めの夕食になり、明日に備えて早めに寝ることにした。
13日、昨日の疲れが残っていたのか、目が覚めた時はすでに5時を回っていた。天気はおもわしくないが、雨は降っていない。7時ごろ北穂に向かうが、途中2700m付近で雲行きが怪しいのと出足が遅かったのとで引き返すことになった。明日への体力温存ということもあった。9時ごろテントに戻りゴロゴロと過ごす。昼ごろ、ヒュッテにおでんとビールを飲みにいった。1缶のビールでいい気持ちのところへ、後発隊のmatuさんがきた。テント設営の準備をしていると、続々ときた。エスパースを張る段になって、エスパースが3張りもってあがっていることに気が着いた。なんでこういう結果になったのか???? これは、装備係りのtさんが会に3張りエスパースがあるという認識に欠けていたのと、真際まで先発隊と後発隊の荷物の振り分けに不備があり、移動していたためである。毎回、装備係りがこんな苦労をしていたとは、そばで見るまでわからなかった。テントの設営、振り分けがやっと終ったころ、雨が降り出してきた。すると冬用のエスパースに水が漏ると言う騒ぎが起こった。余分のエスパースのフライをかぶせて事なきをえた。これで、余分のエスパースも無駄にはならなかったことになる。ジャンボに11人集まり食事の準備にかかる。賑やかだ。
食料当番の凝った豆カレーとポテトサラダがメニューとである。デザートのフルーチェもついている豪華版だ。食事に関しては、今までにない工夫がなされていて学ぶ点も多々あった。中でも乾燥野菜を電子レンジで作ると言うことは今まで考えなかった点だ。これで、軽くなり、市販の乾燥野菜より安価になる。どんな野菜ができるのか、またどのくらい日持ちするのか、作るのにどのくらいの加熱が必要なのか……、まだまだ研究の余地があると思った。毎回の食事はとてもおいしかった。当番の三人娘は、買い物も人数が多くて大変だったでしょうが、初めてのことなのによく頑張ったと思う。私たち登攀組みは2日目の天気に期待して、2時起き4時出発ということで眠りに着いた。
14日、昨日決めた予定どおり2時に目覚める。テントから首を出して空を見上げると星空だ。「ヤッタァ−」と思わず叫んだ、がこれがぬか喜びとなったがその時は知る由もない。夜明けと言うよりは、夜中と言う感覚の時間帯だ。しかし、いそいで前日分けてもらった雑炊をつくる。少し塩あじが足らなかったが美味しかった。4時真っ暗な中、ヘッドランプの明かりで登り始める。途中で明るくなってきた。滝谷ドーム中央稜の登攀予定だ。迷いながら奥穂への縦走路を30分ほど行くと踏み後がありそこをおりる。雨がすでに降り出してきた。とりあえず、取り付きまでいってみて様子をみようということになり、ツェルトを張って雨が止むのを待つことにした。そこで、2時間半程お喋りをしたりして雨があがるのを待つことになった。しかし期待空しく止む気配もなく、それどころか雨脚はますます強くなる一方だ。撤退をやむなくされた。
せっかく登って来たから、次の日晴れた時には滝谷第4尾根の登攀があるので、またここまで来るのは大変なので、mura、turuさんと私は残ろうということになっていて一応ツェルトと食料は持ってきていた。この時の雨の様子で、私は残るにしても北穂の小屋に泊まろうと決めていた。とりあえず北穂小屋で天気を聞いた所、明日も全く回復の見込がないということなので、全員降りることにした。10時45分だった。雨の中12時ごろ涸沢に着いた。12時半ごろmasuさんがやってきた。masuさんは体調がよかったようで元気だった。テントで差し入れのお酒を飲みながら、おしゃべりで過ごしていたところ奥穂に登っていたみんなが帰ってきた。これで、今日はメンバー全員揃ったことになる。ジャンボに12人ひしめき合い、ワインとビールを加えて夕食が始まり楽しい一時をじ時間を忘れて過ごした。気が付いたら、10時を回っていて驚いた。次の日の予定は、北穂東稜組みと屏風雲稜組みに別れ、私は一人で奥穂を目ざすことにした。雲稜組みの登攀の準備に時間がかかり、11時半ごろ眠りに付いた。 15日、4時起床。7時過ぎ奥穂に向かった。すぐに小雨が降り出す。この雨で東稜組はどうしたかなと心をかすめる。一人のよさはマイペースで登れることで、高山植物など立ち止まって見とれながら登る。雨なのにわりと人が多いので驚いた。奥穂小屋につくと、昨年怪我をした時にお世話になった岐阜大学医学部の診療所に寄った。そのとき治療して下さったお医者さんがうまい具合におられて、「ikuさんでしたね。昨年もちょうどこの時期のこんな天気でしたね」と憶えていて下さり、改めて感謝の気持ちを伝えて別れを告げ奥穂に向かった。奥穂には3〜4組のパーティーがいたが雨であまりに寒いので、明日のt、mura組の雲稜登攀の無事を祈願してお賽銭をはずみ早々に下りてきた。
雨脚は弱くならないので、奥穂小屋に入りコーヒーを飲む。ここは人でごった返していて落ち着かない。早く帰ってテントに着いたら、誰も居ないテントでおでんにビール、そして昼寝を、と楽しみにしてすぐに下山した。帰りは、リンドウや珍車、キリンソウ、ハクサンフウロなどの写真をとりながら、テン場に直接続くパノラマコースを取った。この道は初めて通ったのだが、きれいに整備されていて歩きやすく。お花畑が美しい。
テントに近づくと、誰もいないと思っていたテントから声が聞こえる。空耳かとおもい、ソ−ッと覗いてみると、誰もいないと思っていたのに、mura、tさんがいるではないか。びっくりしたなァ−。
屏風に向かって出ようとしたら雨が降ってきたため、また明日も回復の見込がないので中止したとのことだった。そのうちに、外ではヘリコプターの音が長い間聞こえる。東稜組みが遅いので気になり、tさんが様子を聞きにいった。キレットで昨日に続き、滑落があったらしい。昨日の若い女性は、亡くなったということだが、今日の人は意識があるということだ。それからは、ヒュッテに水を汲みに行っておでんとビールを飲み、またテントに戻った。あまりに、帰りが遅いので本気で捜索隊を、と言っていた所へ5時頃帰ってきてホッとした。さっそく、ジャンボで夕食の用意に取り掛かる。マ−ボ春雨とひじきとスープと豪華版だ。食事のあと明日はどうしようかと言う話になり、私たち登攀組は天気がいいと前穂北尾根を登りたい。雨だと下山する、と決めた。一縷の望みを明日の天気に託して、深い眠りに着いた。
16日、最後の願いも空しく消えてしまい、当初からの下山予定だったnita、masuさん、それにgataさんを加えて登攀組みはあきらめて下山。天気が悪いのだから仕方が無いとは言え、不完全燃焼の下山となった。誰もがみな、全部雨というこんなことは滅多にあるもんではないし仕方が無い、と踏ん切りををつけて涸沢を後にした。
帰りは、登りと違い非常に楽だ。本谷を過ぎてから列が乱れ何だか前の人が急ぎ出した。つられて、急ぎ足にして追い付くと前を行くhasi、gata、tさんが疾走している。これは張り合っているな、と思いながらも私もついつられて駆け足になってしまった。走り出すと、前に三人が疾走していったので、人が皆退いてくれる。気持ちよく、走れた。横尾では、息を弾ませた三人がいた。いい汗をかいた。
そこからは、また皆揃っておしゃべりをしながら上高地まで歩き出した。話ながら歩くと時間がたつのが早く感じる。沢渡温泉が出来ていると帰りのタクシーの運転手に聞いたので入ったが、ここは失敗だった。お湯はぬるいしあまり出ない。おまけに、小さい。
ここで、masu、gata、muraさんと別れを告げ、私たちはnitaさんを新島々まで送り帰路に着いた。
天気がこれでは仕方が無いと納得はしていてはいても、重いギアをザックに詰め、期待と不安に胸膨らませ挑んだ合宿だったが、見事に空振りに終わり、一生涯忘れることの出来ない印象深い合宿となった。
帰ってからしばらくは、張り詰めていた糸が切れてしまったのか力が出なかった。しかし、次の谷川岳の登攀に向けてもう一度気力をやしなわなくては……。今度こそ、天気には恵まれますように。
1999.8.23/ iku
11.御在所中尾根【山行名】 御在所中尾根
【期 日】 1999年8月29日@
【天 候】 晴れ
【目 的】 本チャンに向けての準備【マルチピッチ技術習得】
【メンバー】 t・iku・turu
【日 程/ルート】
8/29F早朝出発(静原荘)4:00起床→御在所駐車場6:30着仮眠8:10発→藤内小屋8:35着8:50発→取り付き10:45→11:20→オニギリ岩終了点3:45→下山5:30→籐内小屋7:00→駐車場7:50→帰宅11:10
【集合場所】 現地7時集合
【装備計画】
【個人装備】【個人装備】登攀具一式・非常食・ツェルト・ヘッドランプ他必要な物
【感想】
前日の28日は雪稜恒例の懇親会だった。turuさんと私は懇親会に参加して、静原荘から29日早朝4時に御在所中尾根に向かって出発した。駐車場にはわりと早く着いた。少し仮眠して7時ごろ目が覚めると、見覚えのある車が止まっているのに気がついた。tさんは、ドアを開けたまま眠っていた。起こすと「もう少し寝させて」と言うものだから「せっかく早く来たのに」と思いつつ、そのまま私たちももう少し寝ることにした。
7時半ごろ起きて8時10分に出発。前に登った前尾根の取り付きに入る所にあるテスト岩の前までくると、5-6人の人がボルダリングを楽しんでいた。テスト岩はわりとフリクションがきくようだ、と思いながら横目で見ながら通り過ぎ、藤内沢に沿って中尾根の取り付きにむかった。
左岸を行くと藤内滝の前に出、そこを右岸に取り登ると沢に沿って踏み後がついている。取り付きが分らないまま登っていくと、右手に明らかに前尾根とわかる尾根が見えた。ヤグラのコルも近くに見える。これは行き過ぎだなぁ−と思っていた所、先に行っていた鶴さんが「オニギリ岩」が見えると行ったので、行き過ぎていたのがはっきりした。もう一度引き返していろいろ捜したがあきらかな取り付きだと分る所がなく、途中にあった残置ザイルの垂れ下がっていたところが取り付きに入る道だろうと言うことになり戻った。やはりそうだった。残置ザイルの上が1ピッチ目の取り付きだった。いつもながら見つかってしまえばどうということはないところにあるのだが、捜すのに一苦労する。
1ピッチ目はチムニ−になっている。tさんがリードで行ったがザックが邪魔になっているようで降りてきた。代わりに鶴さんがリードした。細身の鶴さんはすんなりチムニ−をぬけた。2番目に私、次はtさん。2ピッチ目はtさんがリード3ピッチ目は鶴さんそして4ピッチ目はtさんと言う具合で、今回は私の出番はなかった。少し物足りない気持ちがする反面、安心して登れるので充分周りの景色など楽しんだ。特に前尾根は以前登った時あんなに面白い形をしている岩だとは思っていなかったので、自然の造形に思わず見とれてしまった。見ていると、いろんな形に見えてくる。巨大な石仏の顔のようだったり、人が立っているように見えたりする。4ピッチ目のオニギリ岩は本当におにぎりにみえ、「亀裂が海苔のようだね」、と鶴さんが言うので見ると本当にそう見えてくる。「上に行くとたくあんがあったりして!」なんて冗談まで鶴さんから出た。そうとうお腹がすいていたのか……。
3ピッチ目は簡単だったが、全体には前尾根より難しい。この3ピッチ目は右の方に垂壁があり新しいボルトが沢山打ってあった。アブミのルートか? トポにはなく左のルートしかのっていない。2ピッチ目からツルムのコルへは懸垂で降りた。
私たちは時間がなかったのと、「ここは登らない人が多い」ということなので、オニギリ岩を終了点にして降りてきたが、あと1ピッチあった。
今度は降りるところを迷ってしまう。東の方に踏み後があるので鶴さんが先に偵察に行ったところ、懸垂で降りられそうだということなので続いて行ったところ、そこはバットレスの終了点のようだ。概念図で見ると上に登山道があるはずだということと、そこにまた残置ザイルが張られていたのとでtさんが偵察にいった。しかし道らしい踏み後は見つからないと言うことで、オニギリ岩の西の方から懸垂で降りることになった。時間はすでに5時半を過ぎていて気持ちはあせった。奥又ルンゼから2ルンゼに4回の懸垂で降りると見なれた取り付きに出てやっとホッとした。後はできるだけ明るい内に降りたいと急いだ。籐内沢に出たところでヘッドランプをだした。懸垂で降りた頃から夜景が見え始め美しい。道路に出る頃には真っ暗やみに浮かび上がり、心地よい疲労に登攀の充実感も手伝い満足感でいっぱいだった。
駐車場に着くと我々の車2台しか残っていない。急いでかたずけ帰路についた。
1999.9.7/iku
12.谷川岳一ノ倉沢クライミング
【山行名】 谷川岳一ノ倉沢クライミング(烏帽子沢南稜・烏帽子沢奥壁中央カンテ)
【期 日】 1999年9月3日E〜5日@
【天 候】 3日 雨のち曇 /4日 曇のち晴れ
【目 的】 「山想」主催の集中登山への参加と本チャン体験1
【メンバー】 C.L.aki・naritama・turu・t・iku
【日 程/ルート】
9/3E t自宅12:10→turu12:30→駒ヶ根SA15:00→東部湯の丸17:53→赤城高原SA夕食19:00→JR水上駅20:30→a・naritama21:30→コンビニで買い物→土合駅22:10→一ノ倉岩前最終駐車場10:20→就寝12:30
9/4F 起床4:00ガスと小雨のため寝直す→食事6:30→烏帽子沢南稜に向け出発10:00→南稜テラス12:40→1ピッチのみ登攀14:00出発14:30→BC17:30→就寝21:30
9/5F 起床5:30→撤収6:45→マチガ沢出合7:20→出発9:10→谷川岳肩の小屋11:06→頂上(トマの耳)12:10(オキの耳)出発12:30→着14:30→土合「山想の集中登山本部」14:45着15:25発→a11:30→turu00:40→17:05)→t自宅1:10
【概算費用】 約一人約15000円
【感想】
過去800人近くの命を飲み込んだ谷川岳。駐車場からの一の倉の岩場を目の前にした時でも、正直言って暢気な私はまだその厳しさを現実のものとして感じていなかった。ましてや、計画の段階では、合宿の滝谷も雨のため流れ、やっと初めての本チャンらしい本チャンにいけるんだ、という浮かれた気分ぐらいなものだった。雪彦や御在所でも経験を積み、少なくとも少しは自信らしいものも芽生え始めてきていた。本チャンは大変だろうとは思ってはいたが、実感としてはなかったというのが正直なところだった。
当初の計画では、烏帽子沢南稜と烏帽子沢奥壁中央カンテを登攀する予定だった。しかし結果としては、天気が悪かったことも手伝って、計画通りの登攀はできなかった。初日の4日は烏帽子沢南稜1ピッチまで、5日は巖剛新道から西黒尾根をへて谷川岳の頂上(トマの耳・オキの耳)へのピークハントという結果に終わった。このことに関しては、私は結論としては充分満足している。というのは、他の人は知らないが、私は谷川岳の魅力を初日の烏帽子沢南稜までのアプローチと1ピッチの登攀で、一ノ倉沢から聳える凛とした烏帽子沢や衝立岩に近付くにつれて張り詰めた緊張感がひしひしと伝わってきて、思いもよらなかったことだが、それで充分満喫できたことによると思う。一ノ倉沢の確固たるプライドを見せつけられ、簡単に私を素通りさせてくれそうにないようにも思えた。
いつもの山行は前夜発と言うのが多く、あまり寝られないということもあって今回は昼に出発して、現地集合のnaritamaさんと出張で先発隊となっているaさんと、その日の夜9時半に水上駅で落ち合った。私たちは予定より1時間程早くついたらしいが、私は後部座席でずっと熟睡していて水上駅で目覚め、寝ぼけ眼で車から降りたらすでにnaritamaさんとaさんが立っていた、という状態だった。
さっそく人も荷物もギュウギュウに詰め込み谷川岳に向かった。ここからはaさんには通い慣れた道らしく、細にわたって説明をしてもらうことになった。途中でコンビニに寄るとおむすびが半額になっていて、食いしん坊のnaritamaさんは大喜びで仕入れていた。その後30分ほど山道を走るとJRの土合駅だ。ずいぶん大きな駅だが無人らしい。中を覗くと待ち合い室で数人の登山客が宴会をしていたり、ベンチで仮眠していたりと風情がある。ここのトイレの前の水道で水を汲んだ。更に進むと、ロープウエイの乗り場があり更に奥に進むとマチガ沢の出合い、そこから車で10分程で一ノ倉沢の駐車場に入った。一ノ倉沢の出合である。
すると何と明かりに照らされて狐がこちらをジッと見つめているではないか。車が進んでも微動だにしない。tさんが、残酷にもクラクションを鳴らしたものだからびっくりして逃げた。あとで、仕返しに化かされはしないかと心配になるが、稲荷神社にいる狐は人相が悪く人を化かしそうだが、その時の狐は子犬のように可愛かった。
車はここまでしか入ることが出来ない、車止めの前にテントを2張り張りコンビニで買ってきたビールを飲んで、明朝は4時起床を約束して12時半眠りについた。
次の日は、4時に起きた。小雨が降っている。少しでも降っていたら岩が濡れて危険なので中止すると前日からaさんに言われていたので、素直に寝直した。
6時半ごろ朝食を済ませ、ゴロゴロしていた。naritamaさんは又眠りだした。一ノ倉沢は、まだガスで覆われている。絶望的な気分でおしゃべりに花を咲かせていた。そして、ときどきは、一ノ倉沢の方を恨めし気に眺めていた。すると、気持ちが通じたのか、ガスの切れ間から衝立岩が恥ずかしそうに顔を覗かせた。雨も上がり鋪装道路も乾いてきた。ラジオの天気予報では明日の天気は今日よりも悪いらしいので、明日に望みは持てないと言うことになった。それならせめて烏帽子沢南稜の取り付きまででも行ってみようということになった。
「そうと決まれば善は急げ」早速用意をして出発した。一ノ倉沢の「一般の人はこれより立入禁止」という看板を横目で見ながら沢からはいる。しばらく流れを跨ぎながら沢沿いに行き、右岸の巻き道に入るとガレ場になっていて、残置ザイルが張ってある。樹林帯の巻き道を登るのにも雨のせいでぬかるんでいて滑りやすい。かなり登り詰めたところから今度は沢に懸垂で降りる。50m近く下の方に本谷の谷が見え、まだ残っている雪や岩が崩れ落ちている。スノービレッジも残っている。高度感がある。時々岩かスノービレッジがくずれるのか、どこからか無気味な音が聞こえる。途中からはクライムダウンする。それがホールドも少なく、おまけに濡れていてとても恐かった。
谷筋には崩れたあとが生々しくあり本谷を渡るのにも勇気がいる。本谷を渡ると左岸がガレ場で、そこにはまた残置ザイルが張ってある。衝立スラブを登るとテールリッジである。テールリッジは固定ザイルを張ってもらった。そこから、少し登ると中央稜の取り付きである。何かにつけaさんが説明してくれてよく判る。やはり熟知している人と一緒だといろいろ学べる。そのあと、ひやりとするトラバースがあり、ここはやはり水が流れ出ていたりして、滑ると本谷までまっ逆さまだと思うと身の毛がよだつ思いだった。この頃にはガスも晴れてきて、ときどきは青空も見えたりしてきた。一ノ倉沢を見下ろした眺めは素晴らしい。ここの岩は、白っぽく象の皮膚のようで細かい皺がよっているように見える。tさん曰く「死に神のようだ」そうだ。トラバースを過ぎてしばらくして南稜テラスに到着した。やっと緊張感がほぐれた。
もう、昼は過ぎているのでやはり登攀は無理だった。aさんの配慮でせめて1ピッチだけでも登りたい人は登ったらということになり、turuさんと私はリードで登った。tさんはセカンドに甘んじて私に譲ってくれた。1ピッチ目は「級のスラブで、上部はチムニーになっている。やはり、チムニーは濡れてびしょびしょだ。僅か1ピッチ目のテラスではあるが、そこからの眺めを見て、私は充分満足した。時間もないので、早速懸垂でa、naritamaさんの待つ南稜テラスに降りた。
余韻も覚めやらぬうちに帰り支度をした。今来たところを降りることを考えると、また緊張感が戻ってきた。帰りは懸垂の繰り返しである。ザイルワークで結構時間はかかった。着いた時は5時半になっていて、ギアをかたずけていたらもう暗くなっていた。さっそく、食事の用意に取り掛かった。t、aさんは一走りビールを買にいった。明日の天気予報ではもう登攀は望めないという思いが皆にはあったと思う。でも誰もがこの時点では、せめて南稜テラスまで行けたことで、大満足だったことと思う。また、誰もが明日の天気は悪いだろうと信じきっていただろう。
ところが、5時半どろ目が覚めたところ天気だった。これは予想外だった。もう一度、南稜を登るか、それが問題だった。私は、昨日のアプローチを考え、また疲れも残っていたのと腰の調子もよくなかったので、一番乗りに岩は降りた。一人で谷川岳の登山道からでも頂上を目指そうと起きた時から考えていた。朝食を取りながら話し合ったが、出足も遅いので巖剛新道から西黒尾根をへて谷川岳の頂上を目指すということを、リーダーが決定した。今回「グループ山想」主催の集中登山に参加していて、参加者は頂上に1時に集結することになっていた。そうと決まれば時間もたっぷりある。マチガ沢の出合いまで、車で戻り巖剛新道から登り始めた。私は暑さと昨日の疲れでしんどかった。西黒尾根の稜線に出ると、風が出てきて気持ちもよくなってきたが、すっかり晴天になってしまった日ざしが容赦なく照り付ける。aさんは、何度も長い休憩を取ってくれてその間もいろいろ谷川岳の話などユーモアを交えて話してくれる。(aさんが面白いおじさんだということが解ったのは、今回の山行の収穫だ。しかし誤解を招かないためにも書いておくが、ただの面白いおじさんだけではない。山に関しては、かなり熟知したベテランであり信頼のおける人物である。)
肩の小屋の少し前に、懺悔岩というのがあって、皆さんそれぞれ御利用されていたようだ。肩の小屋は人でいっぱいだった。昼時なのでどこからともなくいいにおいがしてきた。すぐに頂上に向かった。はやり谷川岳頂上「オキの耳」、観光地さながらの人手だ。ここで、「グループ山想」の人たちと出会い、日本酒を振る舞って下さり歓迎してもらった。ついでなので「トマの耳」にも足をのばした。
深田久弥の「日本百名山」によれば、古来谷川岳は「耳ふたつ」と呼ばれていたそうだ。その「耳ふたつ」の北峰オキノ耳を谷川富士、南峰トマノ耳を薬師岳と呼ばれていたそうだ。そして谷川岳は別のとことにあったらしいが、のちに「耳ふたつ」を谷川岳と呼ぶようになったそうだ。「耳ふたつ」の由来は遠くから見ると猫の耳がするどく二つ並んでいるように見えるというところからきているらしい。
しばらく、頂上でのんびり写真など撮ったりして過ごし下山した。
帰りは、土合に「グループ山想」の本部があり、そこで記念品を戴きビールをごちそうになりしばらく歓談して過ごした。私は谷川岳について何の知識もなく谷川岳にいったが、今回行ったことによって、谷川岳登攀の歴史にも興味を持った。そして、命を賭けてまでも何がそんなにも大勢の人を引き付けて止まないのか、ということも少しは解るような気がした。今回お会いできる予定だった、松本竜雄氏は真際になって谷川一ノ倉で滑落されて怪我をされ会えなかったが、帰ってから著書「初登攀行」を拾い読みして、改めて谷川岳の凄さと谷川岳にかけた執念を垣間見たようで、新たな感動に浸った。そのあと、naritamaさんとは水上駅で別れ我々も帰路についた。
家に着いたのは、いつもながら深夜になっていた。
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谷川岳・一の倉沢と南稜1pリード
1999.9.21/iku
13.芦生稜線歩き【山行名】 芦生稜線歩き
【期 日】 1999年9月26日(日)
【目 的】 冬合宿に向けて、冬山登攀技術、生活術を身につける
【メンバー】 C.L.matu、ara、t、iku、koya、kuma、ao、nakayu
【日程/ルート】
出町(8:15)発→長治谷(10:35)→三国峠(11:35)(11:50)→780m近くで(12:35)行き過ぎに気付き戻る→登山道に戻る→道に迷う→谷筋に沿って下る→枕谷に出る(三国峠への登りの登山道)→出発点に戻る(13:57)野田畑峠めざす→野田畑峠(15:05)(15:17)→長治谷(4:10)(5:15)→駐車場所(6:00)→出町(8:00)
【感想】
前日は、烏帽子へのクライミングに行き、疲れが残っていたのか少々面倒だなという気もしていたのだが、行ってしまえば久しぶりのハイキングということもあり新鮮で、またいろいろハプニングもあって楽しかった。出発してすぐに、野田畑峠での再会を約束してkoya、kumaさんと別れ、私たちは三国峠を目指した。芦生は茸のシーズンを迎えたらしく、色とりどりの茸があちらこちらにあった。茸に詳しければ、我が家の食卓を彩り経済的にも助かるのに、といつも思うのだが一向に学ぼうともしないで毎年茸の季節は過ぎ去っていく。途中で、茸を研究しているという年輩の男性が珍しい茸を見つけらしく写真を撮っていた。そして熱心に説明してくれたが、やはり頭には入ってこない。
一時間程で三国峠についた。これでニ回めだが、一回目は確か3年前の懇親会のときだったと思うが、雨で峠からの視界は全くなかった。今回は天気も良く見晴しがよかった。野外活動で来ていた子どもたちがいっぱいで賑わっていた。しばらくここでのんびりと過ごし、約束の野田畑峠に向かった。
しばらく行って、我々は道に迷ってしまった。登山道をそれてしまったようだ。このときは、もどって事なきを得たかのようだったが、また途中で大きな勘違いをしたようだ、ベテランリーダーとしては珍しい見当違いだった。谷筋らしいところを降りたら野田畑峠の登山道に出るだろうということで降りたところが、三国峠への登山道の途中の枕谷に出てしまった。koya、kumaさんが待っているので、取り敢えず野田畑峠を目指そうということで、もう一度出発点にもどって、二人の後を追いかけることになった。時間はすでに2時近くになっていたが、待っているものと思っていたので、行動食もそこそこに急いだ。
杉尾峠の分岐からは、道はだんだん荒れてきて怪しくなってきた。私は内心不安を抱きながらも口には出さず、リーダーを信じ、ひたすら道無き道の草木をかき分けかき分け、谷を何度か飛び越え進んだ。しかし今度はリーダーの鋭い勘も冴えてきたようだ。ぴったりリーダーの示した地図上に野田畑峠が現れた。そこには人陰もなくもう誰も足を踏み入れていないかのように、暗くじめじめとして鬱蒼としたところだった。苔むした野田畑峠と書いた蒲鉾板のようなプレートの苔をtさんは手で擦り落とし、記念写真をとった。リーダーですら前に来た時はこんなにじめじめしたところではなかったと言っていたが、もう三、四十年も前の話なので、記憶も定かではないことも手伝ってはいるだろう。
koya、kumaさんの二人はこんな状態なので、来なかったのでは……。ということで、早々にひきあげた。長治谷のキャンプ場につくと、芝生に二人座っているのか見えホッとした。やはり、野田畑峠には行かず杉尾峠に行ってきたそうだ。行き違いにならず再会できてよかった。そこで善哉をたらふく頂き、帰路についた。
今回のハイキングはのんびり楽しんで……とはほど遠い、ひたすら歩いたというような結果となった。しかし、どんな形であってもそれはそれで面白い。教訓としては「猿も木から落ちる」「上手の手から水が漏れる」、いくらベテランでも完璧はない。だから私は、もっと地図が読めるようにしておかなければ、と思った山行だった。今度の芦生での読図講習会には是非参加しなくては……。
1999.10.7/iku
14.白山に憩いを求めて【山行名】 白山に憩いを求めて
【期 日】 1999年10月8日E〜11日@
【天 候】 9日10日11日すべて晴れ
【目 的】 目的を特に持たない気晴らし山行
【メンバー】 t・iku
【日 程/ルート】 10/8E t自宅21:00出発
10/9F 米原→福井インター→途中仮眠(1:40〜3:10)→大野→勝山→白峰白山温泉/一ノ瀬4:45着・仮眠・7:30起床・バス8:00発→別当出合8:25着8:40発→中飯場9:15(5分休憩)→1800m休憩(少し色づく)10:00〜10:20→甚之助避難小屋10:47着11:00発→南竜道出合11:00→南竜ヶ馬場12:00(泊)テント設営・昼寝などしてのんびり過ごす。16:30aさん御夫妻と出逢う。夕食後テントに招待され酒盛り。就寝20:00
10/10@ 起床5:00・南竜ヶ馬場6:00発・展望歩道→アルプス展望台7:10着7:20発→室堂8:00着8:15発→御前峰(2702m)8:40着9:10発→剣ヶ峰(2677m)を見ながらお池コースめぐりコース→大汝峰登り口(2555m)9:50→大汝峰(2684m)10:00着10:10発→御手水鉢・七倉の辻(2500m)11:10着七倉山頂上(2557m)を目指して色々試みるが行けなかった。七倉の辻11:40発→またもや直情で七倉山を目指した。→大汝峰登り口13:00→室堂13:40着14:10発→南竜ヶ馬場15:10・0aさん御夫妻と豪華夕食→就寝18:30
10/11A 起床4:00・南竜ヶ馬場撤収6:10→油坂の頭(雲海が美しい)aさん御夫妻と合流。6:45着6:55発→池のほとり休憩10分→御舎利山8:15着8:30発→別山(2399.4m)8:35着8:45発→御舎利山9:10発チブリ尾根→千振尾根避難小屋10:00着10:15発→休憩11:35〜12:10→一ノ瀬13:00着・白山温泉(永井旅館)で風呂14:25発→勝山「中村」蕎麦3:00〜4:00→帰宅9:30
15.霊仙山ハイキング!【山行名】 霊仙山ハイキング!
【期 日】 1999年11月20日(土)
【天 候】 晴れ
【目 的】 プレ冬山のお流れ代用山行とtさんのリハビリ山行
【メンバー】 t・kuma・ara・kami・nakayu・iku
【日 程/ルート】
自宅7:15→京都駅8:05→11:00醒ヶ井養鱒場11:10→11:30登山口11:40→12:00汗ふき峠12:10→12:45五合目見晴し台で昼食13:20→お虎ヶ池13:50→出合14:10→14:35頂上1084m15:20→お虎ヶ池15:45→五合目16:10→駐車場16:50→醒ヶ井養鱒場17:20→帰宅21:00
【概算費用】
約3100円(京都駅からの交通費)
【個人装備】ハイキングの用意
【感想】
プレ冬山が中止になり、急遽霊仙山にハイキングということになった。私は、鈴鹿の方面の山はほとんど行っていない。それはJRで行く日帰りのハイキングにしては遠いので、今までさけてきた。今回は車での出発だった。名神の甲良を越えたところで、早朝トラックがガードレールを越えて転落したという事故の影響で40分ほど渋滞に巻き込まれたのでずいぶん時間がかかったが、本来なら京都駅から2時間半程で行けるところだと思う。今までに思っていたほど遠くの山に感じなくなった。免許と車を、手に入れたことも近くに感じる要因の一つになっているのだろう。
午前8時京都駅集合だったが少し遅れた。連休に入ったためか一号線は混んでいた。京都駅にはもうみんなきていた。kamiさんの車にnakayu・kumaさん、私たちの車にaraさんと3人ずつ乗り、醒ヶ井養鱒場で待ち合わせることにして出発。醒ヶ井養鱒場はひんやりとしていた。10分ほどでkamiさんの車がやってきた。そこから車で3-4H奥に入れ、駐車することができると言うことをtさんが聞いてきた。鋪装されていない道を入っていくと、登山口近くにはすでに車が7-8台止まっていた。そこに車を止めた。もう昼前になっていたので、事故の遅れを取り戻すべく最初の予定を変更してピストンすることになり、急いで出発した。
歩き始めてすぐに小屋があり、ストーブの煙りがモクモクと煙突から吹き出していて何となく人の温もりを感じていた。下りに気が付いたのだが、この当たりまでの道は両脇石が積まれていて区画されている。住居跡かなと思っていたのだが、家に帰ってから地図を見ると廃村と書いてあった。あんな鬱蒼としたところで、何時頃からここでどんな生活があったのだろう、と思いを馳せた。今は草木に侵略され苔むし、かつての生活を想像にがたない雰囲気である。
汗もかかないうちに汗ふき峠に着いた。地図を見るともう少し行ったところに広いところがあるというaraさんの言葉で、上着を一枚ぬぎもう少し行くことにした。みんな地図を片手に何ら彼らといいながら歩いていた。先日行われた地図読み講習会の成果が出ていたようだ。
30分ほどいくと、五合目の見晴し台というところに出た。ここで食事タイムとなった。紅茶を入れ、美しい眺めを楽しみながらおしゃべりに花を咲かせた。kuma植物博士から、その辺いたるところに群生している、小さな赤い実がたわわになっている木の名前を「真弓」と教わった。この木はその後もたくさんあった。かなり大きな木もある。遠くから見るとほんのり赤く染まって見えるので、最初は何かの木の紅葉かと思っていたのだが、正体はこの「真弓」という木の実の赤だった。近くで見ると、群生しているところはまるで果樹園のようだ。
他にも博士には「カンボク」や「ニシキギ」など教わったが、とりわけ「真弓」の印象が強かった。そして、あらためてkumaさんの学識に感心した。寄る年毎にますます記憶力の衰えて行く私は、この日は「真弓」に一点集中して心に留めた。これで、今日の収穫は充分あったと思う。ここからしばらくは急な登りが続き、道はぬかるんでいて滑りやすい。登りきると素晴らしい眺めが迎えてくれた。広々とした笹薮が続き、その下に米原辺りと琵琶湖が見え、向こうに伊吹山が雄大な姿を見せる。天気はとてもいいのだが少し霞がかかっているようだ。しかしそれもまたパステル画の趣きがあり美しい。
この笹薮をぐるりと回った右手の方が霊仙山だ。豆粒よりも小さい人がいる。まだだいぶありそうだが、道は平坦で見晴しもいいので救われる。途中に、お虎が池という名前の池があり前に鳥居と賽銭箱が置いてある。みんな、柏手を打っていると、なんと鳥居のむこうにtさんがニコニコ立っている。みんな合わせかけた手を途中で止めてしまっていた。この池の名前は何で「お虎」なんだろう。tさんの友達の奥さんもなぜか「お虎」と呼ばれている。この共通点は何なのだ? と考えたが結論はまだでていない。
頂上に付いたときは、もう2時半になっていた。ひんやりした風が気持ちいい。三百六十度の大パノラマを眺めながらティータイム。そしておしゃべり。残念ながら、誰もカメラを持ってきていなくて、この美しさが見せられないのがくやしい、と誰かが言っていた。頂上の記念写真は、ゆきずりの岐阜から来たという若者二人づれが撮ってくれて、郵送してくれると言う約束をした。
日が暮れるのが随分早くなった。3時半ごろ急いで下山する。下り始めて森林地帯に入ると沈む夕日が真っ赤で木漏れ日となりキラキラtき美しい。また、笹薮に反射した光も、笹が揺れるたびに海の漣のようにtいている。下山につれて変化する夕暮れも、また一段と趣きがある。最後まで、自然を堪能した一日だった。
醒ヶ井養鱒場に着いた頃は、もうすっかり暗くなっていた。ここでkami号とは別れ帰路に着いた。
1999.11.25/iku
16.藤原岳【山行名】 藤原岳(1120m)
【期 日】 1999年12月12日@(小雨決行)
【天 候】 晴れ
【目 的】 寒さに負けない元気な体づくり
【メンバー】 ara・iku・kami・kuma・matut・koya・masu
【日 程/ルート】
京都駅7:10⇔関ヶ原IC8:40⇔9:10西藤原駅に駐車9:35⇒登山口(大貝戸道)⇒七号目11:30⇒八合目⇒12:50藤原山荘13:30⇒13:50藤原岳展望丘1⇒14:10藤原山荘14:20⇒六合目15:10⇒聖宝寺16:10⇒16:20西藤原駅17:30⇒帰宅
【概算費用】 一人2080円(交通費・ぜんざい)
【個人装備】 防寒具・手袋・行動食・非常食・お茶・ヘッドランプ・雨具・レスキューセット・コップ・カメラ他必要な物
【共同装備】 ツエルト・お茶セット・ガスヘッド・ボンベ・コッヘル
【報告】
急に藤原岳山行が決まった事の始まりは、araさんが何処でもいいから山に行きたがっているというのを小耳に挟み、ちょうどtさんは出張で、何処かに行きたかった私は即座に電話してみたところ「任せます」と言われて、この間の霊仙がよかったので鈴鹿方面(藤原岳など)がいいなぁと思ったり、あまり行っていないところで大峰山系でもいいなぁ、と地図を眺めていた。しかし、京都もあと少しでお別れのaraさんにまだ行っていないという愛宕山・北山あたりでも近場でいいのではと思い(運転のことも考えて)、それなら「最近ハイキングの企画が少ない」と文句を言っていたmatutさんをお誘いしようと電話した。すると、「北山・愛宕はもう行っている」とつれないお言葉。
もう一度練り直そうと思っていたところ、araさんから「藤原岳だったら、kumaちゃんとkamiさんが乗ると言っている。koyaさんもその日は暇らしい」と電話があった。と言う訳で藤原岳に決定した。最初の計画では、鞍掛トンネルの方から考えていたが、雪の情報を聞こうと藤原町役場に問い合わせしたところ、鞍掛トンネルは冬期閉鎖されているとのこと。急遽西藤原からのコースに変更。
参加者はそのとき六名の予定だった。この人数だと、車が二台になるなあーとぼんやり思っていたら、masuさんが浮かんできた(すみません、masuさんに付いてくる車でした)。早速聞いてみるとオッケーだという。masuさんはここんとこお忙しいらしく、山行は夏合宿以来だとおっしゃっていたが、偶然予定が空いていてラッキーだった。これで準備万端ととのい、当日を迎えることができた。
待ち合わせの朝7時だというのに、京都駅のパン屋「志津屋」があいていた。みんな駆け込み、朝食用のパンを買い込んで、慌ただしく車に乗り込み出発した。名神を快調に飛ばし、1時間半ほどで関ヶ原インターを出る。そこから藤原町までは、道路も広くのんびりした風景がつづく。30分ほど走ると藤原町に入り、山々が最後の秋の残り香を漂わせるかのようにまだ色付いていた。その中で、ひときわ大きく見える山が現れた。それはいち早く冬化粧を施し、他の山とは対比して立ちはだかっている。一目で藤原岳だとわかり、気持ちが引き締まる。
三岐鉄道の終点の西藤原町駅に電車がついたばかりなのか、駅に近い大貝戸道の入り口では何組かのパーティーが藤原岳に向かって登り始めていた。駅のそばの駐車場に車を入れた。ローカルな駅で町との調和がとれている。周りには商店もなくいい雰囲気だ。車から出るとひんやりする。目の前で見上げると上の方は白く、急斜面で登りはけっこうきつそうだ。早速、用意をしてゆっくりと登り始める。登山道は整備されていて、何合目という道標がまめに立ててある。八号目付近からは雪が舞い、うっすら雪化粧になってきた。小屋に着くまでにはかなり積もってきた。三人娘は雪合戦をしながら登り、子犬のようにはしゃいでいた。登山道はどろどろにぬかるんでいた。
小屋は賑わっていたらしいが、焼肉の香りだけを残し団体が下山した後だったので助かった。紅茶を入れ一息つき、簡単に昼食を済ませkoyaさんを残して展望丘に向かう。樹氷(?)が美しい。 頭の高さほどのクマ笹の間を歩くと上から容赦なく雪が落ちてくる。冷たい。頂上は全く視界がないが、今年初めての雪景色にみんな感激していた。往復40分程だった。 ここでぜんざいを作り、天狗岩まで往復する予定だったがどちらも時間の都合で中止になった。個人的には、ぜんざいだけは山上で食べたかったのだが……。しかし、下山して駐車場で食べたぜんざいは空腹と疲れた体にしみわたる美味しさだった。
展望丘から小屋に戻るとkoyaさんが一足さきに下山するところだった。私たちも急いで下山準備をして小屋を後にした。下りはやはりズルズルとよくすべる。先に行ったkoyaさんと合流。八合目の分岐で聖宝寺に下る予定だったが、koyaさんが私たちを待っているあいだ小屋に置いてあったノートを見ていて、その道がかなり悪い状態であるとの情報を得ていた。それで、八合目からはkoya・kami・kumaさんのグループは登ってきた道を下ることにして、われわれ年輩組は聖宝寺への道をとった。やはり、この道は状態が悪かった。途中は道らしい道ではなくおまけにすべる。六合目辺りからやっと歩きやすくなった。途中の小さな滝で泥んこの靴を洗い、聖宝寺まで下る。
聖宝寺は「もみじ」がちょうど見ごろの美しさだった。色は他でよく見る紅ではなく、あざやかな朱色だった。一本の木の上の方は真っ黄色で、下の朱色から上の黄色までグラデーションになっている。まさに絵の具の朱色と黄色の原色だ。今まで見たことのない「もみじ」だと思った。手入れされていない庭園によく似合っていた。寺からは、長い長い(疲れていたからそう感じたのか)石段だ。その石段の間隔の間が取りにくい。歩きにくい石段で、みんなで「ブーブー」文句を言いながら降りていると、tさんが猛スピード下っていった。聞けば階段は得意だという。意外な一面を見た。
駐車場には、我々の方が早く着いた。30分程して静寂を破り辺りに響き渡る声が聞こえてきた。「声はすれども姿は見えぬ」などと思っていると、三人賑やかに現れた。全員そろって、ぜんざいに舌鼓をうっている間にもう暗くなってきた。その間にも静まり返っていて、人はほとんど見ない。帰ってから思い出そうとしても、地元の人とは会わなかったと思う。
私はこれで思い残すこともなく、満足して帰路についた。
【感想】
◎雪の情報を得ようと思って、藤原町役場に電話して、最初の予定の鞍掛トンネルが不通になっているということが偶然分かってよかったと思った。下調べは必要だと実感した。
◎スパッツを持っていくの忘れてしまったが必要。登山道は雪が解けて泥んこだった。
◎今年は暖かいということなのに、藤原岳(1120M)にこんなに雪が降っていたとは思わなかった。周りの低い山は秋の色でコントラストが美しく、お陰で良い山行になった。
◎自分のたてた計画で、行ったことのないところに会のみんなと行くのははじめてで、いつもより入念に下調べをしたり、手配をしたりしていい経験をした。会の山行に乗っかっているととても楽だが、その分印象も薄れるような気がした。
◎あくる日、凄い筋肉痛。若い(すぐに筋肉痛になるのは若いと言う定説があるらしい)と喜んではいるが……。?
1999.12.17/iku