2005年1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月2005.12.26
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12月
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メモ

ホシダ 4(日) 人工壁 雨の中、急遽クライミングシューズの張り替えが出来ているというのでほしだまで受け取りにいったが、手がかじかんで登れない。あまりに寒い。しかし、紅葉は今まで見たことがない程奇麗だった。
御嶽山8合目まで 11(日) 雪山ハイキング

今期初の雪山はラッセルで。8合目にて引き返す。前夜発の日帰りは厳しい。今度は青空の下で登りたい。
ホシダ 15(木) 人工壁 一度は終了まで行けたのに、黄赤途中までしか…
ホシダ 17(土) 人工壁 寒いとなかなか意欲が湧かない。
ホシダ 18(日) 人工壁 寒波の中ホシダへ。世間では大雪騒ぎだが,ホシダは降らなかった。こんな日なのに,40名と大盛況。
烏帽子 25(日) FC 1ヶ月ぶりの岩場。フリクションがきいて,状態はいい。周りは雪が残っていたが、暖かだった。北山/林ルート次に登りたいものだ。
城山 29〜2006.1.2(木〜月) FC 恒例になったお正月城山クライミングツアー。報告は2006年へ

            
11月
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メモ

ホシダ 2(水) 人工壁 久しぶりに、行った。青白5.10dにとりついたがまだまだ。
烏帽子・駒形岩 3(木) FC せっかく行ったが、サイレントはルートが空かず登れなかった。夕方には、激しい雨。上から懸垂でヌンチャクを回収する。
烏帽子・駒形岩 5(土) FC 緑の光線でアップ。3回目回収に向かったが、意外と楽に上部まで行けたが、少しバランスを崩しかけて目の前のヌンチャクに触れてしまった。もう一度ちゃんと登らなくては。
ホシダ 9(水) 人工壁 青白テープ2回登る。ムーブはつながったが…
池小屋山/奥の出合いまで 10(木) ハイキング

紅葉はすばらしかった。時間切れで奥の出合いまでピストン。日帰りは難しい。前夜発でもう一度。
烏帽子・駒形岩 13(日) FC 新しいミウラーで会心の登りを期待して駒形へ。しかし期待はずれ、新しい靴は足になじまず、時間がかかりそう。また実力なさを靴のせいにしてしまった。次回こそは…。
ホシダ 16(水) 人工壁 右壁赤ルート、左壁サンド久しぶりに登るがワンテン、持久力が…。青白テープはムーブはつながる。
京都/善峯寺とポンポン山まの紅葉 17(木) ハイキング

やっぱり、京都もいいなぁ〜。
ホシダ 19(土) 人工壁 寒い。事情があって今週末はホシダへ。相変わらず、青白は難しい。投げ出したくなる。
ホシダ 20(日) 人工壁 午前中は団体予約のために使用出来ず、1時半ごろから。
ホシダ 23(水) 人工壁 またホシダへ。紅葉見物の後、クライミング。
芹谷 26(土) FC 久しぶりの芹谷でルーズハングでアップ後、久しぶりでラバンバに取り付くが、すっかりムーブを忘れていてテンション。小屏風で猿の威嚇に退散。
ホシダ 27(日) 人工壁 紅葉は最高、ぽかぽかクライミング。新しいルートは新鮮。
            
10月
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メモ

ホシダからパンプ 8(土) 人工壁 星田に向かう途中から雨。誰もいないがとりあえず2本登る。雨足が強くなり、水たまりが出来てきたのでパンプに転進。計10本。
芹谷 10(月) FC ハングルーズ5.10a上部でアップ後。舞姫1年振りにTRで登るが、ムーブ忘れていた。またで直し。
ホシダ 13(木) 人工壁 Fさん夫妻が来るというので…。白青5.10dのムーブが繋がった。しかし、難しいルートだなぁ…。私はテンの終わりからかなり苦労する。ぼちぼち、やろう。
ホシダ 15(土) 人工壁 雨。Oさんと約束のため向かう。悩んだ末に登ることにした。3時頃からかなり、強い雨になり終わりにした。少しぬめる。
烏帽子・駒形岩 16(日) FC 6月以来の烏帽子。久しぶりにサイレントティァーズ5.11aに取り付く。マスターでリードしたがテンションだらけ。ムーブ的には繋がった。しかし、パワールートだとつくづく思った。
ホシダ 19(水) 人工壁 一人で行く。右ハングの赤白5.10dやっとマスターでRPできた。あとテン前後正面2本に取り付くがけっこう難しい。
ホシダと星田園地散策 20(木) 人工壁 クライミング初体験の友人二人と。
ホシダ 23(日) 人工壁 土曜日に芹谷に向かうが雨敗退。日曜日は烏帽子に向かうがまた雨。ここのところついていない。ホシダはそういう人で賑わっていた。
烏帽子・駒形岩 30(日) FC 2週間ぶりにサイレントティァーズに取り付く。続けていかないと、ムーブを忘れてしまう。進歩がないのが悲しい。
            
9月
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メモ

椿岩 3(土) FC 先週に続いて行ってみた。燃えよドラゴンやっぱりダメ。
ホシダ 4(日) 人工壁 昼から雨が降ってきた。日曜日なのに空いていた。5本。m、y,
椿岩からko-wallに転進 10(土) 人工壁 椿の駐車場で雨。他は晴天。ko-wallに行く。ボルダーは落ちるのがとくに恐い。クライムダウンで降りるが、これでパンプしてしまう。
志津川バットレス 11(日) FC やる気のない日。疲れかな。それでも午後から志津川へ。こんな日でも常連がたくさん来ていたのには驚く。星田のMTコンビもやはりいた。楽しく登れた。
ホシダ 14(水) 人工壁 いよいよ、クライミングの秋到来。4本登る。白.緑トラルート5.10c.非常に難しい。
ホシダ 17(土) 人工壁 取り敢えず、2本のみ。久しぶりに私市駅から歩く。
志津川バットレス 18(日) FC 昼頃から、また行ってみる。けっこう賑わっていた。
ホシダ 23(金) 人工壁 5本。右赤白5.10c、左砂5.10d、垂壁、チョコ5.10aなど
芹谷 24(土) FC 約一年ぶりの芹谷。ハングルーズ5.10a上部で落ちる。エスニック5.11c/dとマシラ5.12aをTR。これは当分どうにもならない。異次元の世界。
ホシダ 25(日) 人工壁 一本目から掌が痛くて…。こんな日にはやらない方がまし。
室堂から裏劔 30~10/2(金〜日) ハイキング

5年越しに思い続けた裏劔の紅葉はやっと行けたのに、雨で見られなかった。あ〜ぁ、残念。しかしずぶ濡れ山行は思い出に残ることでしょう。
            
8月
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メモ

ホシダ 5(金) 人工壁 日陰でも39度。それでも、頑張る人がいる。ほしだは昼頃から日陰になる。
ホシダ 7(日) 人工壁 午後から行く。日曜日にしてはすくない。この暑さでは当然か。
屏風岩・雲稜 10〜12(水〜金) アルパイン

初めての屏風岩。一度は行っておきたかったがなかなかチャンスがなかった。終了後、雨の中のビバークとなり貴重な経験も併せて体験できた。
小川山 13〜16(土〜火) FC 屏風の疲れを引きずった小川山となり、成果はなし。しかし涼しい小川山はいい避暑にはなった。帰ったとたん暑くて参っている。
椿岩 20(土) FC 途中昼過ぎから雨とヒルの攻撃に合い、退散する。
ホシダ 21(日) 人工壁 やっぱり、午後から雨。
椿岩 27〜28(土〜日) FC 菰野道の駅に泊。2日椿で遊ぶ。椿大神社にも寄る。クライミングはさっぱりダメ。
ホシダ 31(水) 人工壁 昼前頃から行った。しばらくしたら、雨が…。正面のグリーン白5.11aを登らせてもらうが、ホールド遠い。
            
7月
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メモ

ホシダ 3(日) 人工壁 すごい雨なのにすごい人。クライミング中毒患者集合と言ったところかな??
ホシダ 6(水) 人工壁 梅雨の晴れ間。蒸し暑く汗が落ちる。
弥山・八経ヶ岳 7(木) ハイキング

晴れそうなので、いてもたってもいられずオオヤマレンゲに会いに行く。梅雨時の花だけに、なかなかチャンスがない。
ホシダから郡山OCS 9(土) 人工壁 ホシダに行ったがすごい雨でFさんの案内で奈良郡山のOCSへ。ここは手強かった。
立山カルデラ体験学習会 15(金) ハイキング 立山砂防博物館主催の「立山カルデラ体験学習会」へ参加してきた。念願の立山温泉跡を見てこられた。
大日岳から雄山周遊 16〜18(土〜月) 縦走

称名滝から大日岳へ。大日岳から別山、真砂岳、大汝、雄山へ。雷鳥平、天狗平、弥陀ヶ原から称名滝へ。
ホシダ 23(土) 人工壁 暑さにめげずに、ホシダへ。この時期クライミングは辛いが、続けておかないと…
志津川の岩 24(日) FC 少しは前より登れるかも知れないと思っていたが同じだった。進歩しないなぁ〜。辛抱!
柏木の屏風ぐら 30(土) FC 初めての岩場。鳳来と一緒でもうすこしレベルアップしないと敷居が高い。
ホシダ 31(日) 人工壁 とにかく暑いし疲れているしで、さっぱりだった。
            
6月
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尾瀬 1(水)2(木) ハイキング

旧友と尾瀬散策の旅。2日目・龍宮小屋から長蔵小屋(泊)/3日目・長蔵小屋から大清水から上野駅(解散)
烏帽子・駒形岩 8(木) FC ふきのとう、サイレントティァーズに取り付く。暑くてぬめり登れない。こう暑いとだめだ。意欲喪失。
不動岩 12((日)) FC 梅雨の晴れ間で、凄い人。尾瀬太り(小屋泊まりで豪勢な食事とのんびりしたため)で体が重く調子がでない。小熊をTRで取り付きとりあえず終了まで行く。
ホシダ 13(月) 人工壁 不調からの脱出が課題。
御在所 18(土)19(日) アルパイン 雪稜HPにリンク 2日間の御在所。藤内小屋に宿泊。中尾根と一の壁で、中尾根は7回目。
ホシダ 23(木) 人工壁 5本登る。サンド5.10d久しぶりに取り付くがテンションだらけ。ビギナー決勝ルート5.11b途中まで。ここを次の課題に。
ホシダ 25(土) 人工壁 この日はハイカーは多かったが、クライマーは少なかった。課題に取り組むが、だめだった。上までいけない。
不動岩 26(日) FC MCフェイスに初めていく。サーティーストリー5.9のみ。ルンルンサーティ5.10bだということだが、登れず。この岩場好きになれない。
ホシダ 29(水) 人工壁 やっと梅雨らしい天気。途中でバケツをひっくり返したような雨。めげずに4本頑張った!
ホシダ 30(木) 人工壁 やっぱり連日のホシダは辛い!指と掌が痛い。

 

5月
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メモ

小川山 30〜4(水) FC 1日リバーバンクエリア(秋の訪れ5.10a再RP・シートタイム5.11a/RP)からリバーサイド(ランデブー5.11a)。3日リバーサイド(アウトオブバランス5.9再RP・ランデブー5.11a)4日スラブ状岩壁(可愛い女5.8何度目かのRP・Song of Pine5.8再RP・穴があったらでたい5.10a/bTR/水曜日のシンデレラ5.11aTR)                                   
ホシダ 7(土) 人工壁 右の壁の5.11a/に取り付いたが、途中まで。2回目も同じ。回収のために何でもありでとにかく上まで。手強い。
烏帽子・駒形岩 8(日) FC 烏帽子のタイムトンネルでアップの後、サイレントティァーズに取り付く。ムーブがまだ確立できない。
ホシダ 12(木) 人工壁 行く途中から雨が降ってきた。登っていたらホールドが滑る。右壁楽になってきた。
烏帽子・駒形岩 14(土) FC サイレントティァーズ2回。とりあえず上部のムーブは解決。
ホシダ 15(日) 人工壁 チョコでアップ後、右ハング3回登る。限定していても上部は何でもありになってしまう。
ホシダ 18(水) 人工壁 ホシダの壁からルートのテープが消えてスッキリ。堂々と何でもあり。途中で雨が…。
ほしだカップ2005 22(日) コンペ 雨の中参加。予想通りミドル最下位の女子二人だけの二位。恥ずかしいので公開したくないのだが、自分をしっかり見つめて次への課題としたい。ミドルクラスは、私にはまだまだ…。来年参加できそうだったら、今度こそ堂々と恥ずかしくないミドルで参加したいものだ。でも、楽しかった。
ホシダ 23(月) 人工壁 今日はリベンジでホシダへ。ミドル予選ルート少し上まで。ビギナーの予選ルートもテンション掛かる。悲しい!!
烏帽子・駒形岩 28(土) FC あぶみの練習。何年か前に自作したプレートあぶみを使用し、何年かぶりのあぶみだった。感覚的には、すぐに馴染んだ。ボルトが遠くて手こずっていたら、最上段に立ち上がってバランスが崩れない方法を、駒形であぶみを練習していた人に教えてもらった。目から鱗だった。まだまだ知らない技があるものだ。
ホシダ講習会 29(日) 人工壁 3年ごとの登録が5月に切れるので、利用者講習会に行って来た。これで受講証を貰うのは3回目。その割には上手くなっていないなぁ〜。今回感じたのは、リードで登れて落ちることが出きる人が対象(経験者)になっていて、全くの初心者は難しくなっていた。
尾瀬 31(火) ハイキング 旧友と尾瀬散策の旅。1日目・鳩待峠から龍宮小屋(泊)

 

4月
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ホシダ 2(土) 人工壁 昼から雨ということなので、ホシダへ。雨にはならなかった。
ホシダ 3(日) 人工壁 朝から雨、ホシダへ。左の壁の上の緑の角(つの)のホールドを取って保持できた。この日は、ホールドの感触がよかった。
烏帽子岩 5(火) FC 烏帽子でFさんと。ジャティスをTRで。太陽がいっぱいとタイムトンネル。
醍醐寺・上醍醐 7(木) ハイキング 秀吉ゆかりのしだれ桜を初めて見た。素晴らしい。ついでに、上醍醐まで。
烏帽子・駒形岩 9(土) FC ジャティスをTR。フィギア4ヶ月ぶりに登るが、また1から出直し。
ホシダ 10(日) 人工壁 珍しく会のメンバーが来る。雨ということでホシダにしたが、降らなかった。けっこう頑張って、登ってまだ腕が張っている。
ホシダ 14(木) 人工壁 Fさんと。Fさんのトライ中のルート白に赤5.10c/dを私も登っていて親指に自分の体重が乗っかり突き指。このルートかなり難しい。指は未だ痛い。
烏帽子・駒形岩 16(土) FC ジャティスを登ったあと。フィギア2本やっとムーブができ次回に繋がる登りが。
不動岩 17(日) FC たいこどうにもならない。不動では、意欲が湧いてこないなぁ〜。
烏帽子・駒形岩 23(土) FC やっぱりフィギアヘッドに取り付くが烏帽子駒形共に人が多く、なかなか思うように登れない。やっぱり平日は落ちつく。
烏帽子・駒形岩 26(火) FC やっと、ワンテン状態。昨年暮れの状態まで戻る。
烏帽子・駒形岩 28(木) FC この日、4回目のトライでやっとRPできた。一日で4回も登れたのは初めてのこと。そして、初5.11b。うれしぃ〜!!
小川山 30〜(土) FC 心置きなく、小川山へ! ともだち岩のスカイウォーカー5.10b/c・ディスカバリー5.10aOS。

            

3月
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ホシダ 5(土) 人工壁 調子は相変わらず。とても寒い。
ホシダ 6(日) 人工壁 歯痛から頭痛まで。我慢できず、早く帰る。寒い。
ホシダ 9(水) 人工壁 今日は先週とはうってかわって暖かな日。
ホシダ 12(土) 人工壁 どうして週末になると、こう寒くなるのだろう。みぞれ。
ホシダ 13(日) 人工壁 インドアに行こうか迷ったあげくにホシダへ。今日は雪。とても意欲の湧く天気ではない。

万灯呂山

20(日) ハイキング 京都山の子会の例会ハイキング。京都府井手町のJR玉水駅から万灯呂山から山城多賀駅までのコース。「ふるさと」という言葉がピッタリのところ。
烏帽子岩 26(土) FC 久しぶりの岩でのフリークライミング。珍しく会のメンバーと楽しく過ごす。

藤原岳

27(日) ハイキング お花ツアー。フクジュソウ、セツブンソウ、バイカオウレン、セリバオーレン、ミヤマカタバミなど可愛い花と出会った。
不動岩 30(水) FC 貸し切りの不動正面。たいこはお手上げ。
ホシダ 31(木) 人工壁 体重増加と昨日の疲れか全くだめ。Fさんと。
            
2月
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大峰・地獄谷ゲレンデ 3(木) アイス 前日にかなりの雪が降ったようでシェークスピア氷柱群には行けず残念だった。平日で人が入っていないために、ラッセルで時間がかかった。しかしゲレンデで良い練習にはなった。
御在所・1ルンゼ中叉 6(日) アイス 中叉1ピッチ目に取り付いたが、墜落してしまった。中叉は左からが正式だったようだが、右から行ってしまう。氷も悪かったが、自分の未熟さが大きな要因だった。反省。
ホシダ 9(水) 人工壁 春を思わせるような暖かな日。快調とはとてもいいにくい。
湯河原幕岩 13(日) FC ホシダから帰ってから、急に右足の股関節当たりが痛み出し、歩くのにも不自由な状態だった。痛みを堪えてナインを一本登って終わり。不調。
ホシダ 19(土) 人工壁 3本登ったが、雨のために早く帰る。まだ左足には違和感が残っているが、だいぶ気にしないで登れた。そろそろ、本気を…。
不動岩からパンプ 20(日) 人工壁 不動へいったが凄い人。それと寒くて手がかじかんで登れる状態じゃないのでパンプへ転進。受付で懐かしいTに久しぶりに会う。
ホシダ 26(水) 人工壁 4本登ったが、ホシダもやっと新しいルートに挑戦意欲が湧いてきたと思ったら、帰ってから咳が出てきた。風邪をひいたようだ。

            
1 月
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城山

2004.12.29〜2005.1.2(水〜日)

FC

1,2日は快晴だった。ワイルド・ボアゴージで登るが、成果はなかったなぁ〜。

星田園地散策

12(水) ハイキング 足首の調子を確かめに、星田園地を一周。磐船神社〜まつかぜの道〜ほしのブランコ〜クライミングウォール(1本)〜磐船神社。初めてのルートだったがなかなか良いところだった。
八ヶ岳・地獄谷権現沢左俣 15〜16(土〜日) アイスクライミング 新雪のアプローチが厳しかった。前に行ったときには、雪がなくて楽だったが、かなり疲れた。
ホシダ 19(水) 人工壁 久しぶりのホシダへ。4本登るが、持久力が落ちてしまっている。
ホシダ 22(土) 人工壁 3本登る。
不動 23(日) FC 寒い日だった。こんな日はフリーには向かない。たいこをTRで取り付くが、まだまだ早いと言う感じ。
ホシダ 26(水) 人工壁 左側の壁は寒いので誰も取り付かない。しかたなく初めてのルート正面の緑・白(緑トラ)テープ5.11aに取り付く。3分の2までは簡単だったが上部は難しく(ホールドは遠い)繋がらず。パーターンにホールドはあるようだ。
不動 29(土) FC 春を思わせる陽気。相変わらずだが、肉じゃが5.10a恐がっていたが、リードでトラウマ消える。たいこは相変わらず。夜は会の懇親会で京都静原へ。

八ヶ岳・地獄谷権現沢左俣(展望台の滝)

ラッセル下山の苦悩!!

【 題名 】 アイスクライミング講習会
【 期間 】 2005/1/14夜発(金)〜1/16(日)
【 参加 】 9名
【 山域 】 八ヶ岳
【 形態 】 アイスクライミング
【 地図 】 八ヶ岳東面
【 資料 】 アイスクライミング(白山書房)
【 天候 】 1/15(雪)・16(雪)
【 日程 】 1/14(金)京都駅22:00集合
1/15(土)美し森着仮眠〜たかね山荘に駐車〜赤岳沢出合小屋〜権現沢左俣〜展望の滝〜 赤岳沢出合小屋(泊)
1.16 (日)赤岳沢出合小屋〜美し森〜帰宅
【 写真 】 写真にリンク

【感想 】
会の恒例のアイス講習会であった。また参加表明をしてしまった。最近は行こうか行くまいか迷うことが多くなってきている。それは参加者の年齢がとても若いというとと私の最近の体力低下が大いなる要因となってる。アイス自体は、やる気満々なんだが…。今回はその心配をまざまざと感じさせられる結果となった。それは上記の心配の上に天候も付加されたことで余計に辛いものとなった。
2001年12月にもここ地獄谷権現沢の右俣でアイスをした。このとき雪は出合小屋あたりまで少なかったと記憶している。さすが厳冬期の雪はやっぱり違うなぁ〜、というのが感想だ。
今回は美し森の駐車場にも雪が積もっていて、着いたときにも舞っていた。以前は、林道のゲートまで車が入ったが今回は雪で入れないようなので、リーダーの指示で車を「たかね荘」の駐車場に置かせてもらい10時ごろ出発。
3-40分の余分な林道歩きを強いられることとなった。先行1パーティー男女が途中で追い越していったが他に私たち以外はいない。私は最後からマイペースで進む。出合小屋まで約2時間半かかり、雪のせいかかなり長く感じた。
小屋に不要のものを置き、用意をして12時半に出発したが、ここからがまたまた大変だった。私は、3時間近く掛かったように思う。着いたころには、リーダが展望の滝に取り付いていた。写真を撮る。上部まで2段の長い垂直の滝だ。そこに辿り着くまでに何カ所か小滝をフリーで越え、乗ると崩れる雪に足を取られながら、私はへろへろの状態だった。
それでもアイスへの期待は大きく、トップロープながら1回取り付けた。一通り、1回ずつのトライで時間切れになり小屋に向かった、すぐにヘッドランプが必要になったのはいつものことである。5時頃出発して、6時半頃に出合小屋に戻った。小屋を使わせてもらえるのは、ほんとうに有り難い。
テント設営、食事と慌ただしく進む。明日はどうするかということになったとき、私はもうあのしんどいアプローチから逃れることしか考えていなかった。のんびり帰って、温泉に一足早く入っておこうと決めていた。リーダに許可をもらい、お気楽な気分で私の中ではこの山行は、もう終盤を迎えていた。しかしそう簡単には、厳冬期の山は済ませてくれなかった。私の選択は楽したつもりだったのに、現実には辛いものとなってしまった。
次の日4時半起床。6時過ぎにみんなを見送り、私は気楽にシュラフを出して少し潜り込む。いつもの家族を送り出したあとと同じ開放感を、まどろみながら味わっていた。いい気分である。あんまり暢気にしてもいられないので、テントをたたみ、後かたづけをしてパッキング。9時ごろに外に出た。そのまま、水を汲みに行ったあとのトレースを辿ったら、水場からトレースが何もない、「あれれ〜右やったんや!」と思い直しトイレの方に行くもまた道がない。また元に戻る。

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ ……  

という高村光太郎の道程を思い出しながらどうしたのかなとキョロキョロ。前にこんもりとあるのは紛れもない見えない道であろう。「さぁ〜、覚悟をした。私の道を開いて行かねば…」と地図と磁石で改めて確認する。そしてストック(持っていてよかった)を突き刺すと岩に当たる。雪を払い飛び移る。最初の第一歩である。正面に赤テープが見えた。何だか気持はウキウキしてきた反面、大変だろうなと思いはした。がラッセルがこんなにも時間がかかってしまうとはその時には思わなかった。多少は迷っても遅くとも1時頃には着いて温泉に入って…、なんて内心思いながら、最初は真っ白な雪面に自分の足跡を付けていくことを楽しんでいた。
所々、赤テープが見えてラッセルも膝の上当たりで済んでいたが、テープを見落とすと間違って踏み外し、深みに嵌る。ひどいときには胸あたりまではまり込んで、抜け出るのに一苦労となる。3個目の堰堤をとおりこした当たりだろうか、明らかに右に赤い布が見えたので右に行ってしまったところ、ここは吹き溜まりだったようで、スッポリ嵌ってしまった。やっと岩の上の雪を払いその上に立ち対岸を見ると赤のテープがあるではないか。紛らわしい。岩を飛び越えて対岸のテープの方に行くが、またまた赤テープは無くなってしまった。とにかく谷筋を下ればいいんだ。
堰堤は巻くのが左か右かはっきり覚えていないのでその度に悩んでしまった。そこに辿り着くと、思い出す。
木の階段もスッポリ隠れてしまっている。ストックで探ると木の感触が伝わり、払いのける。時々は地図で確認する。3個目の堰堤の先にもまだ堰堤が3個地図に乗っていた。イメージとしては堰堤は3−4個ぐらいかと思っていたので、ビックリした。「あぁ〜、長いやン!!」と独り言。もうこうなったら、長期戦で行こう。と雪の付いていない右岸の岩の影で大休止をして、カチカチの赤飯をほおばりかみ砕く。そして朝、テルモスに入れて貰った甘い紅茶で飲み下す。何とも言えない味だ。躰が温まり元気が出てきた。
また前方の堰堤に向かって進むがここは真ん中を通ればいいのに右岸の方に行ってしまう。途中で気がついて戻ろうとしたが、細い枯れ木の間は胸当たりまで雪が積もっていて、進むのも嫌になり、そのままルートはそれるが右岸から行くことにした。雪を落としては踏み固めることを繰り返し、やっとの事で堰堤の上に立てた。その下はなだらかなスロープで楽に降りられた。左に樹林帯があった。なんでかわからないが樹林帯を見るとホッとした。ここで4個目の堰堤を過ぎたが、そのあと2個の堰堤がちゃんと地図通りにあった。そして自然と林道の方へと入っていった。これで少しは楽になると思ったら、そうは問屋が下ろしてはくれなかった。今度は足が重い。最初は50回数えてストックに体重を預け「ふ〜っ」と一休みし、息を整えるという繰り返しをしていたが、だんだん50回もたなくなり、回数がどんどん減ってくる。とうとうザックを投げ出し、その上に座り込む。時間が結構迫っている。「今頃温泉に浸かっている頃なのに…」と思いながらも、夕方までには着けば問題ないやとのんびり写真を撮り大休止。どうせみんなもなかなかアイスが切り上げられず、遊びほうけて遅くなるに決まっている、なんてぼんやり考えていた。しかし、じっとしていてもしかたないのでおもい腰を上げ、退屈な林道のラッセルにもどる。途中でもう終わりかなと思い、地図を見たらまだゲートまで半分ぐらいのところだ。ガックリして歩き出していたら、後から「いくさ〜ん」の声。一瞬幻聴かとも思ったが、とてもリアルな声に振り向くと、雪稜ご一行様だった。絶対に暗くなるまで遊んでくると確信していた私は、ビックリした。さすがに若者は速い。それより、リーダーがすっぱりと時間通りに切り上げたことに、驚いてしまった。そこからは最後尾に着かせてもらう。一度に足は楽になる。トレースのあると無いとの違いがこんなにも大きかったとは。
しかしながら、最後のあかね荘への登りは辛かった。
私は、予定を大幅に遅れてしまい、こんなことになるならみんなと一緒に行動した方が疲れなかったのではという思いもあったが、一人でのラッセル下山は、私にとってはとても良い経験をさせてもらったと思う。いつもみんなの後を付いて楽をさせて貰っている分、自分の力で歩いたという実感はあまりなかった。今回のように厳冬期のバリエーションの谷筋にトレースを付けて歩くことは初めての経験だし、これからも多分ないことだろう。
あかね荘に遅くとも1時頃には着くと思っていたのが、4時半頃になっていた。
それにしても、だんだん若い人とは一緒に行けなくなるなぁ〜。

大峰・地獄谷ゲレンデでのアイス

【 題名 】 初めての大峰でのアイス
【 期間 】 2005/2/3(木)
【 参加 】 4名
【 山域 】 大峰
【 形態 】 アイスクライミング
【 地図 】 弥山
【 資料 】 アイスクライミング(白山書房)
【 天候 】
【 日程 】 日帰り

駅の道杉の湯8:00→林道駐車9:10→ゲレンデ11:15~4:30→杉の湯6:15→帰宅8:45

【 写真 】 写真にリンク

【 感想 】

今回のメンバーは奈良山岳会のFさんとTさんともう一人はホシダでも前からお馴染みのtnさん(この方は少し若い)のおじさん3名とおばさんである私の4名である。前から大峰のアイスには近場なので行きたいと思っていて、地元でよくご存じのFさんにお願いしていて実現した。

しかし残念なことには今週の寒波で、雪がかなりつもり目的のシェークスピア氷柱群にはラッセルしていったら登る時間が無くなってしまうということで、途中のゲレンデでアイスを楽しむということになった。上部の滝は休み明けの雪の降らない最初の前半が狙い目かも知れない。今季にぜひとも行きたいものだ。

地図を見ていると、この地獄谷は右俣を詰めていくと、大普賢岳に続いているようだ。Fさんの話だと休日は人がいっぱい入っていて踏み固められていて、シェークスピア氷柱群まで1時間半ほどで行けるということだ。

慣れているので、いつもの通り川上村の役場の駐車場で待ち合わせにして貰った。そこからはTさんの車に便乗させていただき林道の入り口まで。道路も雪が凍りついている。この辺で50センチの積雪だということだ。車は通行止めという看板が出ている。

さっそく用意をして歩きはじめる。橋を渡って林道にはいると足がスッポリと潜る。全くトレース無し。しかし今回は最後尾を歩かせていただき助かる。林道を30分ほど歩いて終点の少し手前から山道に入る。最初はわかりやすいが途中から道がわかりにくくなる。わさびの保護のためのような柵がある。柵にはいり少し行ったところで、杉林があり、左手に急騰していくとゲレンデといわれている氷が見える。右の方は垂直の氷柱だが、5メートルほどしかない。ここはルートはいろいろ取れる。左に少し簡単な氷があるが、雪でかくれていたが登れた。両方の滝で交互に登って遊ぶ。今回は4人なので効率よく登れた。4時半近くまで遊んでいたようだ。その間雪は降り続けていた。

帰りは行きのトレースを辿り早く降りられた。道路の向かいのラーメン屋さんのご夫婦らしい人が凍結の防止剤をまいていた。「今年は雪が多いのですか?」と聞いてみると毎年こんなものだという返事だった。私は遊びにやってきて、楽しんで帰るだけだが、日々の生活は大変だなぁーと思う。こんなにも家から簡単に日帰りできるのだから、またぜひ来てみたいと思った。

役場で待たされていた私の車にも、雪が5センチほど積もっていた。

 

御在所・1ルンゼ中叉(敗退)

【 題名 】 御在所・1ルンゼ中叉(個人的な記録)
【 期間 】 2005.2.6(前夜発)
【 参加 】 8名
【 山域 】 御在所
【 形態 】 アイスクライミングのマルチルート
【 地図 】 御在所
【 資料 】 アイスクライミング(白山書房)
【 天候 】
【 日程 】 2/5(土)京都駅21:00時集合→道の駅菰野泊

2/6(日)道の駅菰野→ゲート→1ルンゼ中叉取り付き→1ピッチで敗退→帰路

【 写真 】

【 感想 】

リーダから御在所1ルンゼの計画がメーリングリストに流れた。意図としてはリーダーは自分の相棒を求めて出しているのは理解できた。それは、「今回は会の講習」とはしませんという一文で理解できた。なのに私は「御在所の1ルンゼは前から行きたかったんですが。参加して宜しいのでしょうか?」というメールを出してみた。今までも、こういうときに参加表明して自分の力以上のところに登れたというラッキーなことがあった。中叉は前からトポを見ていたので、リーダーと組ませて貰えば安心して登れるというのは判っていてチャンスだと思った。こんなチャンスに巡り会えるので、私は山岳会はやめられないでいる(リーダー、ごめんなさい)。しかし、驚いたことに参加者は8名になっていた。また私は悩んでしまった。多分、リーダーは経験の浅い人の順で二人組むことは今までの経験上理解できていた。そうすると、私は自力で行かねばならない。またまた、ハムレットだ。「このルートは、私が登れるのか?登れないのか?」私自身は場合によってはミックスになりそうなこのルートを登るには自分は経験不足かなとも思ってはみた。しかし、自分の可能性も少しは試してみる機会も必要だとも思い行くことを決めた。そして、メンバーにあがってるHさんに前もって電話で私の気持を伝え、もしかしたら自分ではどこまでいけるかわからないというルートだけれど、行きたいのでパートナーになって欲しいと話した。それからトポを何度も眺め、2ピッチ目のためにプレートのあぶみも4段から3段に作り替え準備をした。自分では困難でも出来る限りのところまでは、頑張ってみたいと思っていた。そして、いざ出発。

藤内沢と1ルンゼの出合いで、どうするか話し合う。1ルンゼに行きたい人というのは、私も含めて4名だった。しかし、残りの手を挙げなかった人も2ルンゼではリードをする人もいないということで全員で1ルンゼを目指すことになった。

3人1パーティー2組と2人1パーティーの計3パーティーに別れた。私の墜落ということで結果的には敗退となり、完登したリーダのチーム以外のみんなに迷惑を掛けてしまった。こういう結果になったのは、私の力不足を自分でわからず、突入した結果だと思い反省している。私はこの結果、多くのことを学んだ。怪我もなく無事だったことで、神さまが私に下したお仕置きだと捉え、謙虚に自分の力を見つめ直したいと思った。今まで、本ちゃんで墜落した経験が無かったので、かなりのショックも残っている。私は、フリーは別として、アルパインでは墜落は絶対しては行けないと思っていた。そしてこれまでアルパインルートで墜落はしていない。それは岩の場合は墜落しない技術を駆使しているのと自分の力以上のところを登っていないのと、幸運だったからだ。

今回はメンバーが多くリーダーに頼れないと思い、自力で登る覚悟で、こんなにも多人数でそれもパートナーが自分の選択ではなく、ぎりぎりのルートに取り付いたことは大きな問題点だった。いろんなことを考えて失敗の要因を作り上げているのだとおもった。

そして、ルートの選択が安易だった。あんなにもトポを前もって見ていたのに先行パーティーが登っていたところを空いた順に機械的に取り付いてしまった。左から取り付いていたパーティーもあったが、先に右ルートが空いたのと下部の見えているところが、簡単なのだと思いこんでしまった。しかし、それは大きな失敗だった。ルートはしっかり、自分の目で確認して取り付くべきだった。トポのルートは左が正解だった。ルートの取り方のミスが、より登攀の困難さを増した。

右の方に取り付いた私は、ここをリードして行くには私の力ではかなり厳しいことを直ぐに理解した。最初に右の方へ垂直の壁に乗り移るときに、乗った足の氷がばっさりと落ちてしまい、墜落してしまった。この時点で私は氷の質を見抜いて、自分の手に負えないのを自覚して降りるべきだったのかも知れない。しかし、これはたまたま乗ったところが悪かったからだと思い、そのまま登り返して、継続して登ってしまった。このときにかなりのテンションがかかっても、2ピン目のボルトが抜けなかったことで、この氷の質が緩んでいることは全く気が付いていなかった。これはかなりの問題点だと反省している。その次は左にまた乗り移り直上。

そして何とか、リーダーが終了点を作っている右隣の狭いテラスに上がり、リーダーのヌンチャクを借りて自分のセルフをまず取る。そして、落ちついてからザイルを延ばすか否か迷ったあげくに、判断に窮した私は、そこで迷いながらもピッチを切ることにした。

ここでも、ルートが目の前だという思いこみがあったが、実際には左の方に簡単そうなルートがあるのに、私の偏狭な目には見えていなかった。それは狭いテラスに二人立っていたこともあるかも知れない(いいわけかな?)。

1本目のスクリューを入れて、セルフを取り直した。そこで私は一安心して、もう一本スクリューを入れ始めた。「横からリーダーが、もう少し離した方がいいよ」とアドバイス。「どうして?」と聞くと近くだと割れるからという答え。そこで少し離れて右に入れていたが、全く効かない。ここの氷はぐさぐさだと思ったとたんにバランスを失って、1本目のスクリューも抜けて落ちてしまった。

岩にヘルメットの後頭部がぶつかったのが痛みでわかった。その痛みは、登山道で頭の上の灌木に気が付かず激突したときの痛みと同じだった。意外と自分では落ちついていたような気がする。フリーでもそうだが、落ちる落ちると思っているときはとても恐いが、不意打ちで落ちるときは恐さがない。

8メートルほど落ちたようだ。直ぐに頭の痛みも消えて、他に傷も無いことがわかりほっとした。ザックを背負っていたので、クッションにもなったのだろう。私はもう、登攀意欲は萎えてしまっているので、残っている人で行ってほしいと願っていた。しかし、結果としては残っている5名を敗退に導く原因を作ってしまった。これはほんとうに申し訳ないと思った。

私の下手さも理解してくれていた相棒なら、もう少し気持的にも私の負担は少なかったと思う。細かく反省する点は多々あるが、全て経験不足と技術不足だった。

しかしながらいつになるかはわからないが、可能なら正式のルートの左からもう一度挑戦したいという気持もある。しかし、もう少しゲレンでレベルアップしておかないと、ゆとりのある登りは出来ないだろう。もうこん回の二の舞は懲り懲りだ。アイスの目標がまた持てた。近場の岩場でのフリーと冬場のゲレンデにはこれからも通いたいと思う。もっともっと、トレーニングをしてゆかねばならない。

はるかな尾瀬
【 題名 】 楓会 はるかな尾瀬
【 期間 】 5月31日〜6月2日(火〜木)
【 参加 】 iku、T、K、N(友人)
【 山域 】 尾瀬
【 形態 】 ハイキング
【 地図 】 山と高原地図14 尾瀬
【 資料 】 『尾瀬を歩く』るるぶ社・『高山植物』小学館
【 天候 】 31日・曇 1日・晴 2日・曇
【 日程 】 5月31日(火)京都駅6:15集合
乗車時間:3 時間 58 分 総額:18,010 円 距離:660.0 km(所要時間:4時間 32分)京都 のぞみ102号 06:31〜08:46 [135分] 513.6 km 9560 円  指5540 円
東京 Maxとき311号 08:56〜09:54 [58分] 105.0 km     指2910 円
高崎   上越線(水上行) 10:18〜11:03 [45分] 41.4 km
沼田 関越タクシー(0278-24-5151)小型15800円 11:15〜12:30 鳩待峠着
鳩待峠13:00発→山ノ鼻14:30→牛首分岐→龍宮小屋17:00着・泊
6月1日(水)
龍宮小屋5:00起床7:00発→下田代十字路7:55着→温泉小屋(荷物を置く)8:45→平滑ノ滝展望台9:10〜9:15→iku、kで三条ノ滝10:00→平滑ノ滝展望台10:30→温泉小屋→下田代十字路(昼食)11:30〜12:30→沼尻(昼食)15:00着→大江湿原16:00着→長蔵小屋16:30着・泊
6月2日(木)
長蔵小屋起床6:50発→三平下→三平峠7:45→一ノ瀬休憩所(食べられる)9:15→大清水10:15タクシー乗車→わたすげの湯11:20着(風呂・食事)12:30発→吹割の滝→沼田13:30着13:55発→上野(解散)iku東京( 谷塚4:30)・他は京都まで  
【 写真 】 写真にリンク 

【 感想 】

子どもがまだ小さい頃、子ども連れでいろんなところに出かけていた。私は子どもが中学に入ったころ、今のところに引っ越しをした。そのころから、子どもは親と一緒に行動するのをいやがり、付いてこなくなった。それ以来「楓会」と名付け、私たち母親だけの旅行をするようになった。最近は観光旅行に食傷気味になっていた私は、「尾瀬の水芭蕉を見にいかへん?」ということでプランを出してみた。私は観光気分の延長でのプランだったが、他のメンバーにとってはかなりの気合いがいったようだ。ザックをしょって山道を3日も歩くという経験が二人は初めてだった。一人はお遍路歩きをしているので問題は無かった。紆余曲折があったが、最終的には行って来られて、みんなからはとても感謝された。私も水芭蕉の季節に行けてとても嬉しかった。次回3回目はぜひ秋に行って今度は燧ヶ岳に登りたい。

今回は新幹線を使用、小屋泊まりで6万円ほどの費用がかかったが、山にたびたび行きたいと思うともう少し格安計画にしないといけない。車で上手く入山でき、テント泊でのコース設定を考えねばならない。

尾瀬は、閑散としていた。例年よりも山道に雪がたくさん残っていて小屋の予約もキャンセルが出たらしい。尾瀬ヶ原には雪は全くなかったが、鳩待峠への入山と大清水への下山(三平峠まで)、そして三条の滝への登山道にはだいぶ残っていた。水芭蕉は、鳩待峠から山ノ鼻の途中や他にもあるが、なんといっても中田代と下の大堀川の雪の被った至仏山をバックにしたビューポイントが最高に美しかった。これも、至仏に残雪が多かったお陰だ。初日に竜宮小屋に泊まったのは、ゆっくり水芭蕉を堪能できよかったと思う。

小屋は有名な長蔵小屋と2泊だったが、長蔵小屋ではスケッチツアーの中年女性が団体で占拠していた。大きい小屋なので、たくさんの人が宿泊していること自体は問題がないのだが、この女性たちがやかましい。部屋でも食堂でも大声で話し笑う。何という耳障りなことだ。同じおばさんグループの私たちは「人のふりみて我がふり直せ」と大いに反省したしだいである。こういうことに遭遇すると、せっかく歴史のあるいい雰囲気の小屋でも、興ざめしてしまい、いい印象が薄れてしまう。反対に竜宮小屋の小規模な落ち着いた雰囲気が、より一層際立ってよく思える。

私は、今回間際になって東京在住の夫の叔母が危篤状態となり、気になりながらも行ってしまった。やはり、一泊めの竜宮小屋に訃報が入り、日程はこなせたが帰りは上野駅でみんなと別れ、東京に向かった。叔母は99歳、一人暮らしで子供がいない。自分の家で最後を向かえた。そして私が尾瀬のスケジュールを終えるまで頑張って待っていてくれた。この叔母は明治の女性の気丈さを持った人で、私は常日頃見習いたいと思っていた。

話は逸れてしまったが、今回の尾瀬はいろいろあったが行けてよかった。それも気の合う人との、のんびり歩きは気持ち的にも癒される。山に縁遠い友人たちだが、これからもまた行きたいと言っている。

帰ってから、何度も何度も眺めても飽きない尾瀬の写真。夏のにぎやかさとは正反対の閑散とした尾瀬ヶ原。水芭蕉が咲いても、まだまだ夏の花は芽吹いてもいない。こちらのちょうど3月頃だろうか。鳩待ち峠や大清水がちょうど春爛漫の新緑で、尾瀬ヶ原の春はこれからといったところだった。かなり遅い春を迎えようとしていた。これが、6月の半ばになるともうだいぶ様子は違うのだろう。

尾瀬はリピーターが多いというのは、いついっても同じ尾瀬には出会わないからだろう。私もまた行ってみたい。とりあえず、今年の秋に訪れたい。

尾瀬は最高!!

大峰・弥山と八経ヶ岳
【 題名 】 オオヤマレンゲに会いに弥山・八経ヶ岳へ
【 期間 】 2005.7.7(木)
【 参加 】 iku(単独)
【 山域 】 大峰山系
【 形態 】 ハイキング
【 地図 】 山と高原地図56大峰山脈
【 資料 】 関西百名山(山と渓谷社)・ヤマケイアルペンガイド23「大峰・台高・紀伊野山」・新・分県登山ガイド28「奈良の山」
【 天候 】 曇り時々晴れ
【 日程 】 自宅発5:00→杉の湯駅の道7:00〜7:15→行者環トンネル西口駐車場8:05〜5:20→奥駈道出合い9:10〜9:20→弁天の森9:40→聖宝寺あと10:00〜10:15→休憩(15分)弥山小屋11:10国見の覗き11:35→オオヤマレンゲ観賞・八経ヶ岳12:20〜12:40→弥山小屋13:15→弥山頂上13:20→弥山小屋13:35→ショウキラン観賞14:50〜15:05・奥駈道出合い15:10→行者環トンネル西口駐車場15:50→帰宅20:00
【 写真 】 写真にリンク

感想 】

梅雨の季節。毎日うっとうしい。この季節はいつも山からは遠ざかってしまう。なにもわざわざ雨の中は歩きたくない。合間を見ては、ホシダに通うぐらいが関の山だ。しかし弥山から八経ヶ岳にいく途中の奥駈道に、この季節にしか咲かないオオヤマレンゲという花が、フェンスで鹿の害から保護されているのを1998年5月に行ったときに知った。そのときは、人が柵の中に入ってはいけないものと思い、わざわざ柵の外から八経ヶ岳に登った記憶がある。そんなに大切に扱われているオオヤマレンゲとは、いったいどんな花なのか以来気になっていた。もうそれから、7年の歳月が過ぎて、ほとんど忘れかけていた。

しかし、ここ数年前から大峰の山に日帰りで行くことがあり、ガイドブックや地図を見ることが多くなってきた。最近熊野古道が世界遺産に登録されたりと、なにかと大峰も話題に出ることも多くなり、一度奥駈道を通りたいと思うようになった。どうせ行くなら、オオヤマレンゲも見てみたいと。7月のはじめに、大普賢岳から前鬼へ抜ける計画を立てたがやはり雨でお流れ。また今年もいけそうにないなぁーと思っていたら、6日の水曜日はホシダにいったら晴れてきてクライミングをしていても落ちつかない。こんなチャンスを逃す手はない。ホシダの常連から、この時期はショウキランという花も見られると聞いたので、ネットで検索してどんな花かも下調べもした。

次の7日は4時半に起きて、車に乗り込み弥山に向かった。朝は車も空いていて2時間ほどで杉の湯道の駅に着いた。ここからまだ50分ほどかかり、行者環トンネル西口に着いた。こんな日なのに車は5-6台すでに止まっていて、まだあとからも数台入ってきた。団体のツアーはなく、ほとんどが単独か2人ぐらいのパーティーなので静かな登りとなった。話すと私と同じように、天気の回復兆しでいてもたってもいられなくて来たという。登山道にはいると少し行くと沢に可愛い橋が架かっている。そこを過ぎたら急登が1時間ほど続く。シャクナゲの木が多い。まだ緑色が淡く、黄緑色で美しい。登り切ったところが、奥駈道との出合いである。右に取る。しばらくは多少のアップダウンはあるものの、楽な道だ。弁天の森と道標が出ている。苔むした岩が森の深さを物語っているようだ。みどりが優しい。しばらく行くと、右手に修験者の銅像がある。この人は誰だかわからない。ここは聖宝寺跡である。しばらく、休憩する。ここで出会った人が植物に詳しくいろいろ教えてくれるが、その人は腰痛のために下山していった。ここからはまた急登で、最後は木の階段が弥山小屋まで続いている。

ここのベンチには誰もいない。しばらく休んで、国見の覗きを覗きにいくがあいにくガスが掛かっていて展望はあまりない。小屋に飲み物を買いに行くと玄関前で宴会の最中の男性3名。6時頃に登りだし、尾根道はしんどいから橋のところから沢沿いの道を登ってきたという。沢登りではないらしい。地図に載っていないいろんな道がけっこうあるようだ。

奥駈道を八経ヶ岳に向かう。下りきったところにネットのフェンスに囲まれたところがあり、出入り口がついている。これが鹿よけだ。七年前に来たときには一カ所だったが、今回見たら、3カ所に増えていた。入るとオオヤマレンゲが迎えてくれた。みんな下を向いて咲いている。下からのぞき込んで写真を撮る。純白の花びらは、花嫁の綿帽子のよう。花嫁がまるで恥じらってうつむいているようにも見える。中には子房のようなものがある。若いと綺麗なピンク色の模様があるが、色が茶色ぽくなっているのは、咲いてからだいぶ経っているようだ。蕾は蓮の蕾と似ている。可憐な乙女のような花とか別名は天女花と説明(エアリアマップ)されていたが、くるときに見た夏椿と比べるとやはり納得できる。ネットのフェンスを出ると、少し登ってすぐに八経ヶ岳の頂上に出る。少し視界が出てきて、右手に七面山・釈迦岳が見える。反対の左には、一瞬だったが大普賢岳が見えた。八経ヶ岳は別名剣岳と仏経ヶ岳とも言うらしい。標高1914.9m。ここで、昼食を取り戻る。帰り道で、またオオヤマレンゲになかなか別れが告げられず、ぐずぐずしてしまう。弥山小屋に着くと女性に男性一名の集団がいて男性が話しかけてきた。下山の時に分かったのだが、大峰を中心の知り合いのガイドさんの山行だった。世間は狭いと思う。特に、山関係は同じような行動パターンをするのでよく知り合いに会う。

せっかく来たから、弥山小屋から5分ほど行ったところの頂上に行き、しばらくガイドをされているUさんの奥様と世間話をして下山する。帰りはかならずやショウキランを見つけなくてはならないという使命を自分に課しての下山である。

聞いていた辺りからは少し森の奥に入って探してみたりしたが、なかなか見つからない。先に下山していた男性2名に追いつく。行きも抜き抜かれつしていたパーティだ。あまりに見つからないので、花の説明をして見つかったら教えてください、とお願いする。弁天の森を過ぎて、もう出合いに近く半ばあきらめた頃、前を歩いていたこの男性ひとりが落ち葉の中を示して「あれはなんや?」目を向けると、まさしく二株のショウキランだった。半ばあきらめていただけに、感激ひとしおだった。淡いピンクのこの花びらは、落ち葉の中に埋没してしまっていて目立たない。葉っぱがないのでよけいにそうだ。高さは15センチ前後。オオヤマレンゲもそうだが虫が集まってきている。写真をとったあと、別れが惜しくてひとりでしばらく眺めていた。よくよく見ると、さすがに欄。気品に満ちている。もっと上にも咲いていたそうだが、私は見つけることが出来なかった。最後の最後に見られて、私の心も満たされて大満足だった。

他にも、いろんな花に出会えた。そのなかでも沢山あったバイケイソウの花は印象的だった。この花は高山で見かけるコバイケイソウに感じはよく似ているが、よく見るとまったく花が違う。白に緑という花には珍しい色合いで梅の花ような形をした。直径1.5センチぐらいの花を咲かせている。最初見たときはコバイケイソウだと思い込んでたので、変だなぁーと花を見ながら思っていた。よくよく見ると、この花もとても可憐である。そういえば、聖宝寺跡で腰痛だとかで下山してきたお花に詳しい人が「オオヤマレンゲは鹿が食べてしまい絶滅の危機だが、バイケイソウは毒があるので鹿が食べないのでどんどん繁殖していく」と話されていたのを思い出す。

まだまだ知らない花は沢山ある。それらは少しでも分かって身近に思えるのも、山歩きの楽しみのひとつだろう。 

今回の山歩きは収穫も多く、思い切って来てよかった。山に行けてほんとうに幸せだと思う。次の出会いを思うと、またわくわくしてくる。出会いはお花だけではない、人も美しい風景も私にとっては素敵な出会いである。

★バイケイソウ /ユリ科/Veratrum grandiflorum
高さ60〜150cmになる多年草。
花期は6〜8月頃。
平地〜山地の林の中や湿った草地で見られます。
 バイケイソウの「バイ」は「梅」で、花の形が梅に似ていることから、「ケイ」は「ケイラン」という蘭に葉が似ていることからついた名です。根に猛毒の成分があって昔は殺虫薬に用いたそうです。
 野幌森林公園だと、6月上旬から7月あたりが見頃でしょうか。淡緑色または緑白色の直径2cmくらいの6弁の花が、茎にびっしりとつきます。緑系統の花は一般に目立たないのですが、高さ1m以上でニョキニョキと生えているので、咲いている時はかなり目立ちます。花の一つ一つを見ると、緑色ながらかなり可愛い感じなのですが、全体の印象は不気味だと言う人が多いようです。

(検索で引用させていただきました)

http://homepage1.nifty.com/y_misa/sansaku/natu/natu58.html

立山カルデラ体験学習会

【 題名 】 立山温泉跡を見たくて立山カルデラ体験学習会に参加
【 期間 】 2005.7.15(金)
【 参加 】 iku、t
【 山域 】 北アルプス
【 形態 】 勉強会
【 地図 】 山と高原地図36劔・立山
【 資料 】 新田次郎「劔岳・点の記」、小笠原勇八「立山・劔」
【 天候 】 晴れ時々曇り夜雨
【 日程 】 7/14(木)自宅発21:25→立山1:35着(仮眠)

7/15(金)起床7:00→立山カルデラ博物館前集合8:30→出発8:45→跡津川断層10:00〜10:40→六九谷展望台11:00〜10:30→多岐原平11:38〜11:40→立山温泉跡地〜泥鰌池立山温泉跡地・昼食12:20〜13:20→天涯の水13:20〜13:25→白岩ダム・インクライン13:40〜14:10→天涯の湯14:15〜14:30→博物館16:00〜17:00→食事→称名滝駐車場車中泊7:00(雨になる)

【 写真 】 写真にリンク

【感想 】
今回の立山カルデラ体験学習会に参加するに至る最初のきっかけはというと、新田次郎著「劔岳・点の記」を読んでからである。主人公の測量官・柴崎房太郎が明治40年ガイドの宇治長治郎らと立山に三角点を設置するためにあちらこちらを歩き回り、そして苦労の末、柴崎は含まれないがガイドの宇治長治郎と他測量官の4名が劔岳頂上を踏む。しかし、劔に初登を果たしたと思いきや、そこにはすでに千年も前の錫杖と剣があり、火の燃やした形跡があったという話だ。私は、この本で三角点の測量のために辿った登山道などを地図で確認しながら読み進めていた。すると、この時代と今と様変わりしてしまっている立山の様子が気になりだした。彼らが歩き回った道は今の地図(エアリアマップ)に記載されていないところが多い。そこに何度か出てきて、番頭や砂防の工事関係者と一悶着起こす立山温泉とはいったいどんな温泉だったのだろう、どこにあったのだろうと、いろんな疑問も出てきた。地図を見るとなんと常願寺川の湯川谷に「立山温泉跡」とちゃんと載っているではないか。この小説の時代は明治40年代。こんな時代に山奥に温泉宿があったなんて、それも芸者をあげて宴会をしていたなんて、なおさら信じがたいことだった。「跡」と地図に載っているからには何か廃墟か何かの痕跡があるのだろうか、とますます好奇心がわいてきた。
家に夫が古本屋でだいぶ前に買っていた、小笠原勇八著「立山・劔岳」という昭和14年に発行されたガイドブックがあったことを思い出し探し出した。その巻末に当時の登山道が綴じ込まれていた。それを見るとこのころにはすでに立山一帯の登山道は網の目のように張り巡られ、小屋も各所にある。
私は特に温泉に興味があるというわけではなかったが、江戸時代から立山信仰は一般庶民の間で広まり、また娯楽施設としての温泉がこのような山中にあったことに驚いていた。立山自体の開山は9-10世紀ごろだと言うことだが、江戸時代にはすでに、娯楽的な要素が立山信仰に含まれていたようだ。明治から昭和に至るまで、この立山温泉と共に栄えていたことが想像できる。コース設定を見ると、雄山に詣でたあと五色ヶ原経由でザラ峠を下ったあとや、松尾峠から新湯を経て雄山へ詣でる途中この立山温泉に立ち寄ったようだ。登山コース設定には、必ず立山温泉が組み込まれている。また、湯治目的の客も大勢いたようだ。
ちなみにこの本によると立山温泉の宿泊料金は
「泊二圓五〇銭-三圓五〇銭、自炊五〇銭」「温泉は炭酸泉で少量の硫黄を含み、主治効能は胃腸病、脳病、神経衰弱等で、中にも胃腸病の霊泉として有名である。宿舎も数棟あり,優に五六百人を収容し六月より十月まで開湯す。温泉の対岸に鰌池あり、湯治客の遊び場である。尚西南三十町のところに幽遂の景致に富んだ多岐原池、湯川上流二十町の邊りには刈込池があり、樺、モミジ、山毛欅(ブナ)」の鬱々たる風景をみせてゐる。」(小笠原勇八著「立山・劔岳」より引用)と書かれている。

私が子供の頃(昭和30年前後)は関西の田舎町で過ごしたが、祖母の世代の人は何かにつけて、高野山や伊勢参りに温泉をくっつけて気晴らしをしていたのを思い出した。日々、重労働の農家の嫁にとってはそんなことでしか息抜きが出来なかった時代だったのだろう。
これを読んでみても、現在の我々が自然に対して求めるものと何ら変わらなかったことが窺える。自然の中で温泉に浸かり、リフレッシュしていたのだろう。現代人と大きく違うのは、信仰という建前が前面に出ていたことだ。江戸時代から脈々と続いた立山温泉のこうした賑わいは、昭和44年の豪雨で登山道が被害を受けたことと、アルペンルートが開通した(昭和45年)影響もあり昭和48年に長い歴史を閉じた。
現在の立山は宗教的な要素は薄れレジャー化した。室堂にアルペンルートで大勢人が入るのは、昔も今も人が求めるものはそう変わらないということかも知れない。
このような歴史的な立山にますます興味を持ち、立山温泉跡もぜひ見たいという思いは強まってきた。何か手だてはないかとネット検索等でも調べてみた。
すると野湯探検のレポートでザラ峠から下り、真川林道から折立に帰ったと言う記録がみつかった。地図と照らし合わせて読んでみると新湯と書いてあり温泉マークが付いているところが彼らの目的地であったようである。この新湯目的のレポートは、他にもネット上に少しはあった。これも少ないのは、「立ち入り禁止地区」になっているのだからあたりまえといえば当たり前。この新湯は、立山温泉とは別のもので1858年(安政5年)の大地震で冷水の池がお湯になってしまったということである。
有峰真川林道も折立から一般車は通行止めだ。ザラ峠からと真川林道からの入山報告はネットで見つかった。松尾峠から旧登山道を下ったというのも報告にあったが、これは迷って失敗に終わったようだ。どこから入るにしても、20キロ以上の舗装された林道歩きはごめんだ。どこかにいいルートは無いかといろいろ調べていたら、立山カルデラ砂防博物館主催の「立山カルデラ体験学習会」というのが夏の間行われていて、トロッコやバスでカルデラ内に入れるのを知った。
ちょうど、バスコースが7月15日の金曜日なのでそのあとは連休になる。あとの連休は前から興味があった大日岳の縦走をくっけて計画をした。そして、いつも劔や立山入るときに、室堂に向かうバスの車窓から眺めていた風景を、いつかゆっくりと歩いて眺めてみたいとも思っていた。数年前に「歩くアルペンルート」として整備されているらしいことも聞いていた。昔の地図(エアリアマップ)には載っていないのだが、2003年度版には出ている。ついでにここも計画に入れてコースの計画を練った。会で他にも興味を持つ人はいないかと思い、会のMLでも計画を流してみたが誰もいない。ここ十年近くクライミング中心で、長い間縦走や単なる山歩きはしていない夫を誘ってみたらのってきた。
15日は体験学習会参加。16日、称名滝から大日小屋。17日、奥大日から雄山までの縦走。18日、歩くアルペンルートで称名滝に戻るというコース設定にし、楽しみにしていた。

前夜出発して、立山の駐車場で仮眠。平日ということもあってか駐車場は空いていた。ガソリンを途中で入れ損ねて、朝ガソリンを入れに行く。これは正解だった。この辺の店はすべて5時閉店だった。8時半受付を済ませて2台のバスに乗り込む。ボランティアガイドが一台に2名便乗していろいろ詳しく説明してくれる。
バスは折立へ向かう。そこからは一般車両は通行止めの有峰林道真川線に入る。ちゃんと検問があり、不正に入るのを阻止している。今回は噴泉と護天涯は道が崩れているために見られず、代わりに跡津川断層を近くまで歩いて見に行けた。林道の途中の真川沿いにある跡津川断層は天然記念物に指定されていて、これもエアリアマップに載っている。飛騨山地北部を走る活断層で、白いかこう岩と茶色のれき岩が接しているがよく分かる。(写真参照
次はカルデラ内の展望が開ける、六九谷展望台へと向かう。この日は天気が良くて、ザラ峠の方の山々も上部は雲に隠れているがおおむね見渡せた。ここでは主催者側の目的でもある、カルデラ内での自然と災害についての説明を受ける。カルデラ内にある目の前の崩壊した痕跡はだいぶ修復されているとはいえ、痛々しい姿があちらこちらに見える。100年もの間、このカルデラでは砂防工事や、災害跡復興の緑化のための工事などが続けられてきたそうだ。この六九谷は昭和44(1969)年8月の豪雨で崩れた年号から名付けられたそうだが、ここから眺める立山の山々を頂いた谷底には、このような工事現場が広がっているのを見ると複雑な気持ちにさせられた。
大自然は人間にときとして無情の反乱を起こすことも改めて思い知った。富山平野にこの別名「暴れ川」と呼ばれる常願寺川が起こした反乱は、人々に牙をむいてきた。しかし人間と自然は戦わなくては行けないというものでなく、共存への手探りがこのような形で行われるのは仕方がないことだと理解できた。けっして人間が自然を崩壊するようなことになって欲しくはないと願いながら、この六九谷展望台を後にした。
またバスに乗り、いよいよカルデラ内へと見学は進む。着いたところは多岐原平である。「だしわらだいら」と読む。ここは安政5(1858)年4月9日推定M7.1の飛越地震(http://www.sonpo.or.jp/business/library/public/pdf/yj217_09.pdf)が発生し、立山では大鳶山、小鳶山が崩れ落ち(とんび崩れ)、そのときのとんび泥がカルデラを埋めて出来た台地だそうだ。今では樹木が茂り、緑豊かな森に復元さている。この中に地下40メートルからボーリングして湧き出ている美味しい冷たい天涯の水があり、帰りに立ち寄り味わった。この辺りはダケカンバの木が多く、白樺はないということだった。私はこの岳樺と白樺は標高差によって違ってくるだけで、同種の木だと思っていたが今回初めて別のものだとわかった。ダケカンバは、豪雪にも耐えられるように曲がりくねっていて幹が茶色がかり葉っぱはハート形という特徴を教えてもらった。雪に弱いまっすぐに延びる白樺はここでは育たないそうだ。バスの外ではすごい花粉が飛び交っていた。まるで粉雪が舞っているように見える。これは、なんの花粉だろうか? 新田次郎が立山温泉を探し回っていたときに
「風も通わぬような深い森林の中に踏み込んでいくと、雪のようなものが降りかかってきた(略)これは富山大学の吉崎政雄教授に見てもらったところ,『ヤナギ科のドロノキと思われます。これは日本の亜高山地帯にや野生しているもので、たまたま趣旨が舞い舞う時期にめぐりあわれたのでしょう』」(「劔岳・点と記」越中劔岳をみながら/より引用)と書いている。ドロキノだったのだろうか。まるで、樹木の妖精が歓迎のためにダンスをしながら舞っているようにも見える。

そして、いよいよ今回の私の主目的地、立山温泉跡に向かう。バスが止まったところの近くに新しい供養塔が立っていた。ここは薬師堂があったところらしく、安政の災害時ここで30名が生き埋めになり、1984(昭和59)年に建立され碑である。墓標に名字がなく名前だけということは庶民ばかりだったようだ。博物館でもらったパンフレットに昭和初期の立山温泉の建物の図(図参照)が載っていた。これを見ると、先に引用した本による5-600人の宿泊も可能と思える。しかし、今も残っていたタイル張りの浴槽はそれにしても小さかった。痕跡はこの浴槽しか残っていないのだが、やっと実物を見られたと思うと感慨深いものがあった。これだけではとても当時の華やかさは伺い知れない。帰りに寄った、博物館の模型でやっと少し実感ができた。それと朽ち果てた金庫も残っていた。しかし、「点と記」の取材のために新田次郎がここを訪れたとき(1976年9月)は、廃業して3-4年ほど過ぎた時期でまだ焼却される前だったようだ。
「ヤマブドウの藪に覆われた石畳の道を行くと、そこに立山温泉の廃墟があった。松尾峠を越えて、ここに何度か来たことのある文蔵さんは、以前そこがどうなっていたか知っていた。本館と別館は残り、地元の湯治客を泊めていた二棟と大風呂はつぶれていた。
柴崎測量官等が泊まった行燈部屋を見ることは出来なかった。県の役人が泊まっていた別館も別館つき湯殿もほぼその形を残していた。本館はまさに倒壊寸前だった。中に入ってみると、障子、畳、枕、鍋、釜、食器類などそのままだった。電球の芯は切れていなかった。調理場の醤油の大瓶にはまだ三分の一ほど残っていた。戦後急速に人の足が減って、室堂へバスが通ずる同時に立山温泉は百年に近い歴史を閉じたのである。客室番号が二十番まであった。別館には松竹梅の三室があったらしいことが、調理場の黒板に掲げられた木札によって想像された。更に奥に進もうとすると、蝙蝠が数羽飛びだしてきた。危うくぶつかるところだった。警察派出所と書いた札が掲げられた部屋の壁に昭和の初めころの婦人雑誌から切り取ったらしい丸髷姿の美人画があり、破れた襖には昭和八年の京大の滝川教授事件を報じた新聞紙が貼ってあった。
外に出ると頭上を鷹が飛んでいた。庭には当時からあったと思われる植木が数本残っていた。アキノキリンソウの黄色い花とノギクの鮮やかな紫色が廃墟を廃墟らしくなく飾っていた。ヤマブドウの葉はやや赤みを帯びてはいたが、実はまだ色づいてはいなかった。」
(「劔岳・点と記」越中劔岳をみながら/より引用)
この文章が書かれてから、かれこれ30年が過ぎようとしている。そして私の見た、立山温泉跡は浴槽と古びた金庫だけが残され、跡地には休憩所と綺麗な水洗トイレ、そして「立山の砂防ここから発す」と掘られた碑があった。この地に砂防工事の事務所もあったらしい。
私が、この「剣岳・点と記」を読んで以来、気になってしかたのなかった立山温泉は明治、昭和、そして平成と私の空想のなかでも姿をも変えていった。そして、何もかも歴史の中に埋没してしまうのだろう。おもしろい体験だった。
この碑の側から湯川に掛かる「天涯の橋」という立派な吊り橋を渡り、木道を進むと鰌池に辿る。この池は水面が緑の美しい池である。立山温泉の湯治客の遊び場となっていたらしく、放たれたフナ、ドジョウ、ニジマスが今も生息しているらしい。当時は船遊びも行われていたらしいが、いまはその形跡もなく自然に帰った静かな美しい池であった。上を見上げるとすぐ近くに松尾峠が見える。廃道になっていて通れないらしいが、何とか藪こぎで峠にたどり着きそうに思えた。ここも気になる道である。ガイドに聞いたら旧登山道が、復興する話も出ているという。しかし、抜ける道が今は林道ぐらいしか無いので難しいとのことらしい。
立山温泉跡の休憩所で昼食をとり、次の白岩砂防ダムに向かった。ここは主ダムの上に掛かった橋の上から見学した。このダムは1913(大正2)年に富山県が着工し、後に国の直轄事業になって完成し60年が過ぎた。昭和の砂防ダムで初めて登録有形文化財になった。あとは近くのインクラインを見学して最後の見学地である天涯の湯へと向かった。
この天涯の湯は、800メートル上流の泥谷から湧き出ている温泉をホースで引き込んで、工事現場で働く人のために作られた露天風呂だ。足湯を楽しませてもらったがかなり熱く、足は茹で蛸のように真っ赤になっていた。女湯も上に最近出来たというので見てきた。
これでこの日のカルデラでの見学会は終了。バスで立山カルデラ砂防博物館に戻り、館内を見学。博物館にはカルデラの模型で砂防工事の説明が展示されていた。トロッコも実物大の模型が置かれていて、座席に座るとほんとうに乗っているような疑似体験できる。この体験学習会では2時間トロッコに乗車して行くコースもあるが、このコースは例年人気で抽選になるそうだ。
まずは、第一目的の立山カルデラ内の立山温泉跡をこの目で見てこられよかった。それと、カルデラ内の砂防工事と災害との関係も理解できた。しかし立山にはまだまだ私がしらないことが多い。
今度は、立山博物館に立ち寄りもう少し立山信仰のことも知りたくなってきた。昨年も天候で計画がつぶれてしまった北方稜線から裏劔の紅葉と併せて見に行きたいと思っている。

歴史(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 )

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B1%B1%E6%B8%A9%E6%B3%89#.E6.AD.B4.E5.8F.B2

立山温泉の発見は1580年である。深見六郎右衛門が発見した。本格的に温泉地として整備されたのは1770年以降である。その効能ならびに立山信仰の拠点にもなったことから、江戸時代は非常に賑わった。
立山カルデラ内の非常に不安定な土地にあったため、1858年の山津波により温泉街は壊滅した。明治2年になって新たな源泉が発見され、温泉街が復興した。
昭和44年に発生した豪雨により温泉への道が被害を受けたこと、そして昭和45年に立山黒部アルペンルートのバス路線開通を受け、昭和48年に廃湯し、当地の源泉は立山山麓温泉へ供給されるようになった。

大日岳・立山縦走

【 題名 】 称名滝〜大日岳縦走〜立山縦走〜弥陀ヶ原〜称名滝
【 期間 】 2005.7.15(金)
【 参加 】 iku、t
【 山域 】 北アルプス
【 山名】
【 形態 】 縦走
【 地図 】 山と高原地図36劔・立山/1:25000地形図:立山・剣岳/山と高原地図36「剣・立山」
【 資料 】 「アルペンガイド18立山・剣・白馬」(山と渓谷社)/「北アルプスを登る」昭文社
【 天候 】 7/16(曇りにわか雨)7/17(曇り・霧・後晴れ)7/18(晴れ)
【 日程 】 7/14(木)7/15(金)は立山カルデラ体験学習会参照

7/16(土)起床4:30駐車場6:05発→大日岳登山口6:20→休憩(15分)→牛の首7:38→大日平山荘1645m8:40〜9:25→水場で休憩10:25〜10:40→大日小屋12:20→大日岳ピストン13:20〜14:15→大日小屋泊

7/17(日)起床5:00・6:20発→奥大日岳8:10〜8:25→休憩9:55〜10:25→劔御前小屋12:05〜12:25→別山12:50〜真砂岳13:50〜14:00→富士ノ折立頂上14:30〜15:03発→大汝の休憩所(コーヒーを飲む)15:10〜15:30 →大汝山15:40→雄山15:50〜16:07→一ノ越山荘16:45〜16:55→休憩15分→雷鳥平18:30着・テント泊

7/18(月)起床4:30・6:20発→地獄谷分岐6:35→天狗平山荘7:37→休憩15分→獅子鼻岩9:05→休憩15分〜弘法11:20→八郎坂14:50→休憩20分→称名滝13:15→駐車場13:40〜15:00→厚生年金休暇センターで風呂→食事→帰宅9:00

【 写真 】 写真にリンク1.2.3

【感想 】
15日のカルデラ見学のあと、立山駅周辺で唯一の食堂で夕食を取る。この辺の、ほとんどの店は5時に終わってしまうので、ご用心。そのまま称名滝に向かう。称名滝への道はゲートがあって、午後7時から午前6時まで通行止めになっている。天気は夕方から雨模様になってきた。称名滝の駐車場はがら空きだった。称名滝の方まで登山道を確認がてら見に行った。この日の滝と称名川は勢いが強く、濁った泥水がごうごうと音をたてて流れていた。観光客は2組。少し後で、同じ大日岳へ向かう車が一台。3名の中高年男女のパーティーが入ってきて、ルートは少し違うが帰りの称名滝への八郎坂まで抜きつ抜かれつだった。夜は雨足が強くなってきた。さっそく車のシートをフラットにして車でねることにした。
幸いなことに次の日16日は目覚めると雨が上がっていた。簡単に朝食を済ませ登山道に向かう。登山道入り口で写真を撮ってると一人やってきた。先に行ってもらう。昨夜の男女のパーティーも30分ほど先に先行。こちらからは、空いた道である。登山道はいきなりの急登である。ひとしきり登ると「猿ヶ馬場」という少し広くなっているところがあり、そこで休憩は出来るが、それを知らない私たちは少し手前で休憩。樹林帯の急登は辛いが、時々見かけるゴゼンタチバナなどの花が和ませてくれる。少し視界が開けたところに「牛の首」という道標がありそこからが、また急な登りだ。登り切るザクロ谷の上部で行き止まり、右に折れる。そこから尾根伝いにしばらく行くと木道になり視界が開ける。雨がパラパラしてきた。
ここからは快適な木道歩きになり、称名川を挟んで弥陀ヶ原が見え、小さな弥陀ヶ原ホテルと展望立山荘らしい建物が右手前方に見える。左手に目を移すとこれから向かう大日平山荘も見えた。晴れていたら気分も違うのだろうが視界はあるがどんよりとしていて、灰色のベールを被せたようだ。この大日平は左にザクロ谷、右に称名川に挟まれた台地である。
大日平小屋には登山口から2時間20分で着いた。登山口から単独で抜きつ抜かれつだった男性は、この小屋まで毎年京都から差し入れを運んで来ているという年輩のひとだった。しばらく休んでまた京都まで今日帰っていくと言うことだ。ご苦労なことだ。いろんな目的で山に登る人がいるものだ。ここでは、温かいお茶が置かれていてゆっくりさせてもらった。気が付いたら40分も休んでしまった。
小屋を出るとまたしばらくゆるやかな木道をゆく。こう木道が続いていると、尾瀬や雲の平を思い出す。振り返ると小屋が小さく見えてくる。地塘のそばにワタスゲがほんの少し寂しそうに咲いている。コイワカガミやイワイチョウも咲いている。アカモノも水たまりの側に可愛い花を咲かせている。ツマトリソウもびっしょり濡れて咲いている。コバイケイソウも咲いている。先日大峰で見たバイケイソウとはやっぱり花が違う。花はやっぱり小さく、密集して咲いていていつも一塊りで見ていたのだった。名前は後で判ったのだが、マイヅルソウもあった。このマイヅルソウを私は知らなかったが、ゴゼンタチバナと同様ありふれた花だと言うことだ。
そのうちにますますの急登になる。ダケカンバが濡れて瑞々しい。キヌガサソウを久しぶりに見た。もっと大きい花だという印象があったが直径5センチほどで以外と小さい。周りを葉っぱに守られて中央で一輪鎮座するする姿は、きりりとした王女のよう。シラネアオイも見られた。白山でも咲いていたベニバナイチゴの花はコイワカガミとず〜っと、よく見かけた花だ。地図に載っている水場では、美味しい水で一息。そこからこの沢を何度か渡り、登り詰めると大きな鏡岩という岩がある。鏡岩の下部を左から巻いてまた登る。
もうそろそろかな、と思うのだがなかなか着かない。キヌガサソウの群落など写真を撮る。登る上の方はガスで視界は無いのだが、下を見ると弥陀ヶ原を走る曲がりくねった道路を、小さなミニチュアのバスが走っている。帰りにはあそこを歩くのだと思うと、楽しみになってくる。少しずつペースが遅れてきた。写真を撮っては一休みと、ペースはますます遅くなる。まだ昼前、ひとりで歩いているとせかすものは何もない。この道は1500メートル近くの高度差の急登のため、登りに使う人は少なく、下りに使うようにガイドブックでもコース設定されている。いいわけがましいが、やっぱり最後はしんどかった!!
小屋に着いたのは昼過ぎ、時間的にはまだ早い。反対の斜面は雪渓がかなり残っていた。視界は無い。小屋に受付をして濡れたものを干し、大日岳に向かう。登山道の半分はまだ雪渓の中。途中で、雷鳥のカップルにであう。かなり近寄っても逃げない。私は鶏冠の付いた雄は初めてみた。まだ冬毛が残ってるのか、おなかの辺りが白い。赤い鶏冠と同じ色のアイシャドウは雄の方が濃くてはっきりしている。やっぱり、鳥は雄の方が綺麗おしゃれなのか? 帰りにもまだいた。頂上らしきところは、石が積んであるだけであまりにも殺風景。地図に「展望よい、大日如来あり」と書いてあり、ここではないのでないだろうかという疑問が湧く。しかし先は行き止まりで、戻ったところの小ピークも何もないのでここだろうと判断。せめて道標ぐらいは置いて欲しい。小屋に戻って確認のために聞いてみたら、あっていたようだ。大日如来はというと地図を書いた人が知らないで書いたようで、元々無いと小屋の人は言っていた。食事が終わった頃に、一瞬ガスの中から劔と奥大日が現れた。表に出て写真を撮ろうと思ったら、雷が鳴り雨が降り出してきた。この一瞬だけの自然界のサービスにみんな大喜びだった。小屋の人も、この小屋に入ってから初めてみた劔だったそうだ。ず〜っと雨かガスだったそうだ。どうも雷は、梅雨明けの前兆だったようだ。小屋はわりと混んでいた。久しぶりの本格的な小屋泊まりは鼾に悩まされた。
次の朝17日の6時20分、視界がない登山道を奥大日岳目指し出発した。しばらく、木道が続いていた。ミヤマダイコンソウ、コイワカガミ、ハクサンボウフウ、アオノツガザクラなどお花を写しながら進む。途中で、ハクサンイチゲやコバイケイソウのお花畑がガスの中から現れて幻想的な雰囲気を醸し出してくれる。大日岳の頂上は全く何の視界もなかったのだが、道中は他にもショウジョウバカマ、シナノキンバイ、ヨツバシオガマ、エゾシオガマ、イワツメグサ、キヌガサソウと我も我もと咲き誇っていた。
奥大日岳でザックにくくりつけていたストックが無いことに気が付いた。後から来た人が2本落ちていたと言っていたが、だいぶ戻らなくてはならないようなので諦めた。木にザックが引っかかったことを覚えていたがその時だったのだろう。これからは、カラビナなどで固定しておいた方がいいだろう。尾瀬のときに友人のために借りて、車に積みっぱなしの娘のストックだった。娘は私が返した新しい最新の軽量ストックに「落としてくれて有り難う」と感謝されてしまった。こんなんだったら、自分のストックにしておけばよかったと後悔したが、後の祭りである。
奥大日岳からは下りになる。この辺になるとツアーの客が多くなって来て、静けさは無くなる。団体が来たのでよけていたら、「90人ほどき来ますので遠慮なく行ってください。こちらでよけます。」といわれ吃驚仰天。いったいどこまで行くのだろう。観光ツアーのあり方に疑問を持った、ご一行様だった。だいぶ下ると視界が開け、少し青空が見えてきた。灰色のカーテンの下に見える室堂界隈は、雪と山肌のコンビネーションが美しい。今夜のテント場の雷鳥平も小さく色とりどりの点々で見えている。これからの、山行はもう天気間違いなしだ。眼下に広がる立山と室堂を眺めながら、お湯を沸かせてコーヒータイムにした。傍らにはミヤマリンドウが咲いていて和ませてくれる。やっと、爽快な山旅気分が味わえのんびりした。
そこからは室堂乗越へすぐだった。今度は劔御前小屋に向かっての登りで、けっこうかかった。小屋の前では、いつも通り劔に向かってカメラを向けている人や、これから別山や劔へ向かう人たちで賑わっていた。劔はご機嫌よく雄姿を見せていた。これで3回目の別山に向かう。祠の前で記念写真を撮り、先を急ぐ。目を凝らすと、これから行く雄山神社の祠が小さく見える。いったん下ってまた登ると、どこがピークかよく分からない真砂岳を通過する。少し行くとケルンがあり、また下るのだが振り返ってやっとピークらしいところが分かった。富士の折立へは岩場の登りである。登り切ったところに、ザックをデポし頂上へと登る。ここの頂上からは緑の水を蓄えた黒部湖と黒部ダムが、ヨーロッパの城壁のように見える。あの大きな黒部ダムのなんと可愛いこと。それなりに、風景と一体化して美しい。対岸には針ノ木岳から鹿島槍ヶ岳の後ろ立山が一望できる。アイスのような雪を携えた真砂岳と、その右の方には内蔵助小屋が小さく見える。雄大な眺めだ。
名残は尽きないが、降りて大汝山を目指す。青い屋根が見えている辺りだろうが、小屋があるとは地図には書いていない。着いてみたら、休憩所と書かれていた。ここに入って、ドリップコーヒーを飲む。おいしかった。雲上の喫茶店だった。ここを出てすぐが、大汝山だった。大きなケルンといった感じで、岩が積み重なったピークが頂上だった。最後に20分ほどの登りで雄山に出る。もう4時を過ぎているのにまだ人が居る。祠まで行こうとザックを下ろしたら、社務所の方から、声が掛かり200円とられた。以前来たときは、500円で祝詞と御神酒つきだったが、今回はもう時間外だったようだ。一ノ越山荘に一気に下るが、ここが思いもよらずガレていて前に来たときとイメージが違っていたし、時間もかかった。まだ、登っていく人もいた。
あとは雷鳥平まで下るのみ。雪渓の縞模様のはるか下の方に、カラフルなテントが消えそうに小さく見える。遠いなぁ〜。室堂への石畳を下ると、右にほとんど消えかけた字で雷鳥平と石に書いてある。右にトラバースしていく。雪渓に阻まれて、道を失う。かなり下に踏み後を見つける。どんどん、右の方へと進む。この道はあまり一般的ではないようだ。賽の河原に出る。水量が多くて渡れそうにない。石を投げ込み、足場を作る。飛び石で二本の沢を飛び越え進むと見慣れた橋がある。劔御前への道、雷鳥坂との合流点だ。ここも橋の最後もまだ雪が残っていた。やっとテン場である。朝、大日小屋を出てから12時間、長い一日だった。
最後の日の18日。6時半出発。もう帰るだけの行程だが、この日の計画にも趣向がある。それはいつもバスで室堂まで入っていた行程を歩くのである。15年ほど前のエアリアマップは道がなかったが、2003年度版には登山道が引かれている。富山県が歩くアルペンルートとして整備をしたそうだ。前からバスの車窓から、一度歩きたいと思って眺めていた。アルペンルートが出来る前に立山に入った道でもある。とても良く整備されていて、木道がほとんど引かれていた。
雷鳥平を出るといきなり硫黄臭が鼻を突く。あまりいい匂いではない。更に進むと地獄谷である。ここから天狗平へと道は分かれる。右にとり、斜面の雪渓を横断すると向こうの方に、もう天狗平山荘が見える。室堂との分岐を過ぎたら、また雪渓である。直線距離では近いのだが、谷を挟んでいるためにぐるっと遠回りしなくてはならない。天狗平山荘付近は、道路を横断したり平行するが、道路を歩くことはなかった。
天狗平山荘の裏から地図では波線になっているが、弥陀ヶ原方面と手書きの道標が出ていたので、もう通れるようだ。私たちは山荘の前の道路から右にはいる獅子鼻岩コースをとる。ここからは見事なお花畑が続く。主にチングルマだが、他にも沢山咲いている。行くときに通った大日岳・奥大日岳を眺めながらの木道歩きは素晴らしい。下っているのだろうが、緩やかである。寂しそうにワタスゲも地塘の傍に咲いている。やはり尾瀬に似ている。左手には、今日は薬師岳もちゃんと大きく聳えている。気持ちのいい道だ。
獅子岩から一気に谷に下る。この道は鎖場になっている。水場に降りたら今度は急登となる。登り切ったら、弥陀ヶ原である。またお花の中を行く。追分けは松尾峠の分岐になっている。最初の計画では松尾峠からカルデラを見下ろす予定だったが、tが明日仕事なので早く帰るためにここはカットした。少し残念。
追分けから弘法は、小さなピンクの花サワランが沢山咲いていた。そして、ニッコウキスゲの群落。道路に沿って、むりやり木道をひいたようにも思える道だが、最後の最後まで楽しませてくれる。弘法に着いたのは11時すぎだったが、かなり暑くなってきていた。弘法は道路沿いに地蔵が一つ。少し右に行くと道標があり、そこを入っていく。すると前方に大日岳への登りの牛首が見えた。私にはちょうど稜線が牛の背中に見え、ちょうど最後の急登あたりが、牛の首のように見える。右へのトラバースで頭である。大日平に到着という感じだ。しばらく眺めていて、そういう結論に達したが、これは私の勝手な思いこみかも知れない。
いよいよ、右に折れると八郎坂だ。入り口にロープが張られていて危険という赤い三角の旗が付けてある。少し崩れているらしいが、とおれると言うことなのでここからおりる。折りはじめたらやはり、2カ所ぐらい崩れていて巻いて踏み後があった。いつ崩れてもおかしくない状態なので気持ちが悪い。落石した大きな石も転がっている。急いで通過。称名の滝が右手に大きく見えてきたところに展望台があり、休憩所になっていた。暑くてたまらず、大休止をしてしまう。500メートルの急降下である。そこからは特に危ないところもなく降りられた。時折見える称名滝や樹木などに付いている名札などが和ませてくれるが、とにかく暑かった。
下に降りたら、入山日とはうって変わって、観光客で一杯だった。何か放送が流れていたと思ったら、降りたとたんに滝が水道の蛇口を止めたように流れが止まってしまった。どうしたのだろうか? 不思議だ。駐車場にも車がたくさん止まっていた。急いでかたづけて、温泉に向かう。山から世俗(人混み)に戻ると一刻も早く逃げ出したくなる。
これで、ぐるっと周遊が終わった。天気も最初は心配していたが、梅雨も終盤で18日には空けたそうで全行程が支障無く終わったのはラッキーだった。たくさんお花も見られ、なかなか行けなかったルートでの大日岳で、計画通り行けてよかった。今年は残雪も多く、それも綺麗でよかった。
ここのところ、tとはクライミングばかりのおつき合いで、久しぶりの二人での縦走も昔のことをいろいろ懐かしく思いだした山行だった。tはただの山歩きをしなくなって、もう5-6年は経つらしい。今回の山行でまた縦走の良さを見直したようだ。

穂高・屏風岩東壁・雲稜ルート

【 題名 】 穂高・屏風岩・雲稜ルート
【 期間 】 2005.8.10~12(水〜金)
【 参加 】 iku、t
【 山域 】 北アルプス
【 山名】
【 形態 】 アルパインクライミング
【 地図 】 山と高原地図:上高地・槍・穂高
【 資料 】 日本の岩場(白山書房)アルパインクライミング(山と渓谷社)日本のクラシックルート(山と渓谷社)

レストラン十字路  http://www.gurupita.com/clients/0002033919/menu

上高地ホテル  http://www.icon.pref.nagano.jp/usr/kamikoti/

【 天候 】 8/10(雨のち晴れ)8/11(晴れ後雨・雷)8/12(雨・降ったり止んだり)
【 日程 】 8/10(水)  自宅3:20→沢渡8:25(大雨のため待機)ジャンボタクシー一人¥800/9:55→上高地10:35→明神11:45〜11:55→徳沢(昼食・山菜うどん)雨が降る12:45〜13:30→横尾14:30着・夕食カレーレトルト(銀座カリー)17:00〜18:00・就寝18:30

8/11(木)起床3:00〜4:10発→岩小屋4:40→徒渉(水量多く靴を脱いで渡り、時間が掛かる)→T4取り付き5:50〜6:40→1P(iku) 6:40〜7:15終了→2P(t) 7:45終了→コンテで雲稜取り付きまで8:20着1P(iku) スタート8:45→2P(t) 9:45〜10:56(扇テラス)→3P(iku) /雨がポツポツ・人工tヌンチャク落とし回収に降りる11:10〜13:15→4P(t) トラバース14:04終了・少し上のテラスで休憩→5P(t) 難しめのスラブで濡れている→6P(iku) →7P(t) 16:20終了・終了地16:55発→樹林帯17:30ビバーク・雷と雨のなか12時間過ごす

8/12(金)ビバーク地を雨の中撤収5:30→屏風の頭6:30〜6:40→最低コル7:30〜7:45→涸沢(おでんとラーメン、コーヒーで生き返る)9:00〜9:50→大谷橋10:45(15分休憩)→横尾(テント撤収)12:00〜12:45→徳沢(昼食・月見そば¥700)13:55〜14:45 →明神15:50→上高地16:25〜16:45→沢渡(上高地ホテル風呂)17:25〜18:30→十字路(食事)→みどり湖PA20:30着泊


8/13(土)みどり湖PA8:00発小川山へ

【 写真 】 写真にリンク1.2.

【感想・報告 】ピッチの切り方は「日本の岩場」(白山書房)参照

プロローグ
上高地から穂高に向かうときに、横尾を過ぎると大きな岩が左手に見える。ずーっと昔に初めてその岩をぼんやりと意識したのは、たしか義兄と穂高に登った時だったと思う。義兄はその途中の登山道で立ち止まって指さし、「あれが屏風岩と言ってね、昔よく登ったんだよ」と義兄の話をぼんやりと聞いていた。それは1995年のことだった。
その時私たちは表銀座を縦走してきて、東京からやってきた義兄と横尾で待ち合わせ、一緒に穂高に登る予定だった。その義兄は、学生時代「獨標登行会」という山岳会で、先鋭的な山をやっていたと夫から聞いていた。結婚してから山は辞めて、お腹周りがポッチャリしている義兄からは失礼ながらピンと来なかった。そして、「屏風を登った」という言葉にも、当時の私の山に対しての意識の低さも手伝って、しょせん他人事だった。
その後、今所属の山岳会に入ってからは(1996年)屏風岩や滝谷などと聞き慣れぬアルパインクライミングの報告にも「へぇー、すごいことしたはるんやなぁ〜」と思うぐらいで、まだまだ屏風岩は私とは無縁のものだった。
少しクライミングに足を突っ込んでからも、会の若い男性が、屏風岩に熱い思いを抱いて報告を書いていても、ますます無関係な世界のことと思いこみ、遠ざける気持はあっても自分から登るなどとは夢にも思わなかったし、また私と屏風を繋ぐ架け橋には決してならなかった。
しかし、年月が過ぎ去り、いろんなことが分かってきて、いろいろ経験するたびに私の意識も変わってきた。屏風岩に特に愛着があったというわけではなく、クライミングを続けていくうちに、機会があれば「雲稜一本は登ってもいいなぁー」という程度の気持にいつの間にか変化してきた。なぜ雲稜なのかというと、フリー化しているピッチが多いからである。私は基本的には、岩に手足が触れて感触を味わいながら登る方が好きなのだ。
そんな折り、「今年は屏風に行かないか?」と夫のtに誘われた。「私でも行けるノン? 簡単?」と私。「簡単だよ! 大したことないョ。」というtの言葉に「それやったら、雲稜に行きたいわ」ということで、決行することになった。本当に行くとなったら、いろいろ調べてみた。クライミング自体よりも取り付きまでと、終了までの行程をどのように日程配分すればいいかが課題だった。最初に考えたのは、横尾山荘に小屋泊まりにして、次の日に登攀後、徳沢、上高地とその日に抜けてしまうという考えだった。地図とにらめっこしていて、登攀を時間的にはすんなり抜けても一日で抜けるのは大変だということに気が付いた。ならば、横尾をベースに涸沢から回って、また横尾でもう一泊しようということになった。それなら、荷物が多少重くても横尾までなので辛くはないだろう。そして次の日一日で屏風を抜けて横尾へ戻るなら、横尾に生活用品はデポ出来、登攀中の荷物も軽くて済む。ということで今回の計画の、10日横尾まで、11日登攀〜涸沢〜横尾、12日上高地へ下山はまとまった。
しかしながら、それでも決して楽な計画ではなかったということは、終えてみて理解できた。まして、その後に小川山に入ってフリー三昧というよくばり計画も付加され、この小川山の結果は自ずと知れたことになる。
最初の計画では一日早い9日に出発する事になっていたが、tは10日の天気予報が芳しくないことを知って、当初の予定を一日遅らせた。
10日早朝(3時20分)に家を出る。沢渡には8時半に着いた。土砂降りである。車の中で、行こうか行くまいか悩み、ぐだぐだしているうちに雨は小雨になってきた。取り敢えず行くことにして用意をしていたら、ジャンボタクシーの運転手に客引きされた。お陰でバス代の往復料金と同じ800円で上高地に入いれた(ちなみに、タクシーは4500円、バスは片道900円)。前に上高地に来たのはいつだったか定かではないが、建物がとても綺麗になっていた。
いつもどおり、明神、徳沢と休憩を挟み、横尾まで歩を進める。徳沢では昼食をとりのんびり過ごす。雨がぱらつくがそう強くはならない。お花の写真を撮りながら、いつもどおりの、のんびり歩きである。
横尾のテン場はそんなに混んではいなかった。雨は上がり暑くなってきた。早めの夕食を済ませ、早く寝る。
11日3時アラームの音で目覚める。外は満天の星がとても綺麗。手を伸ばせば、届きそうに思えるほど大きく見える。朝食を食べていたら、2人と3人組の2パーティーが先にテン場を出て行った。われわれも、4時10分に後を追うように出かけた。
まだ暗くヘッドランプで足下を照らしながらの出発である。しかし、屏風と一般道の分岐にある岩小屋あたりでは、もう明るくなっていた。ここから登山道を離れ、岩小屋の前を梓川の方によじ登ると、すぐに徒渉である。少し下の方で先行パーティーがズボンをまくり靴を脱いで、最後の女性が渡っていた。靴を脱がずに渡れないか、少し上流の方まで行って探したが駄目だったので諦めて入る。水は冷たい。深いところは膝の辺まである。
対岸に渡って踏み後を辿ると、一ルンゼの入り口だ。以外と狭苦しい。岩がごろごろした涸谷を登って行くと、目の前に屏風岩が見えて来て、近づくにつれて大きくなっていく。途中で左岸に岩小屋がある。ビバークには最適な感じだ。
T4尾根が、目の前に迫ってきたところで、右の草付きの踏み後を辿るとすぐにT4尾根の顕著な取り付きに着く。1ルンゼはまだ雪渓が、頑固に残っていた。とにかく暑い。渡りやすい場所を探して徒渉するのに手間取り、出発して1時間20分掛かった。ルンゼの登りは急で、暑さも手伝い朝早くからしんどい行程だった。しばらく、休憩して気を取り直し予定通り1P目は私からリードさせてもらう。

T4尾根1P目 iku 4級  30m 6:40〜7:15
トポには、左はスラブ状で3級と書いてあるが、岩屑を落としやすいので登らないほうがよいと言うことなので、クラック沿いに行く。ところどこにお花が咲いている。快適に足を上げていく。特に難しいと思う箇所はない。自然と終了点に導かれていく。tも快適に登って来るのが終了点から見下ろせる。

T4尾根2P目 t 5級- 40m  7:15〜7:45
このピッチはtと交代する。私は、セカンドで登る。トポには「かぶったクラックから凹角」と書いてある。セカンドでいくと、よくこんなところをリードで行ったなぁ〜、と思うことがよくある。トップを行っているときは無我夢中で必死に行っているのであれやこれやと考えていないのだが、セカンドの時には結構いろいろ考えながら登っているようだ。このピッチの出だしは、すぐに3mほどのフェイスが立ちはだかり、「これどこからいったんや〜」と一瞬考えてしまったが右の壁を使って登ると楽に登れた。上に乗っ越して少し左に行くと、そのまままっすぐに凹角を直上すると終了である。ここも1P目より少し難しめかなと思う。

T4ルンゼから雲稜の取り付きまで コンテ 100mルンゼ〜40m(3級) 7:45〜8:20
2P終了点でザイルをまとめ、1ルンゼから見上げた時に顕著に見える樹林帯に入り、ルンゼをコンテで登る。T4の手前は簡単なスラブ状の登りになり、そのままコンテでゆくが、少し緊張。登り切ったところが、やっとこさの、雲稜の取り付きである。とにかく暑くて参ってしまう。T4はわりと広いテラスとなっている。またまた、休憩。このたびたびの休憩がのちほどの時間の遅れに繋がったと帰ってから反省。

雲稜ルート1P 5級 50m iku 8:45〜10:00
tは2回目なので、今回私は自分の行きたいピッチをリードさせてもらった。登りたいと思っている一番はこの1ピッチ目である。5級なので自信はあまりないのだが、50mという長い凹角のフェースは見上げると、登りたいという意欲をかき立てる。t曰く「小川山のレモンルートの1ピッチ目と同じようなものだが、少しだけ最後のハングは難しいかな?」という言葉にやる気満々だった。
しかし、登ってみたらだんぜんこちらの方が厳しい。核心のハングではとうとうセルフをとって休憩。「どこからいくんやろ」と思案していたら、下から「早く行き〜」と檄が飛ぶ。「どこから行くか考えてんねんや〜、行けそうやけど、勇気が…」なんて、返事を返していたら、「いい加減行けよ〜」。といわれる。「落ちても知らんでぇ〜」と言うと「落ちてもいいよ!」と返事を頂き、しょうがないから思い切ってフリーで乗っ越した。必死だった。これがゲレンデのフリーだとそう難しく感じないのだろうが、荷物を持っての50メートル上空でのムーブはさすがに怖くて緊張してしまった。そしてやっと登ったと思ったら、最初のピナクルが立ちはだかる。これもやっかいだった。もう、いろいろ考えず、A0で突破。目の前にもう一つピナクルがあって、あとで見上げたらその横がテラスになっていて、終了点が見えた。なのにピナクルの途中の終了点で終了してしまい、不安定な状態でのビレーとなった。混んでいるときのための終了点が各ピッチにあり、惑わされてしまう。やれやれである。今日の屏風は我々の貸し切りのようだ。誰の姿も見かけない。

雲稜ルート2P 5級+ 40m t 10:10〜10:56
そのまま、半端な終了点を追い抜いて、tにいってもらう。ピナクルを右から巻いてからザイルが延びない。どうしたのかなと思って声を掛ける。「ちょっとまって」という声。私がセカンドで行ってやっと理解できた。ピナクルを右に少しいったところで、非常に細かいフェースを直上となるが、上に立ち込むのが怖い。私はA0で抜けたので簡単だったが、リードしてフリーだと私も自信がない。登り切ったところが、扇テラスだ。前にtが来たときには上高地からここまで一日の行程で来て、扇テラスでビバークしたそうだ。テラス自体は狭いが左下にテントを張るスペースがあるそうだ。私がたどり着いた頃には空は灰色に曇り、ポツリポツリと雨が降り出してきた。

雲稜ルート3P A1 35m iku 11:10:10〜13:15
雨が降り出さないうちに抜けてしまいたいと思い、急いでゆく。この雲稜ルート唯一の人工で抜けるピッチでもあり、メインのピッチでもある。フリーだと5.11aだということだが、ここをフリーで抜ける実力は持ち合わせていない。まっすぐの、ボルトダラーである。
前から何かに付け聞いたり報告などで話題となっている話で、リングボルトがすっ飛んで無くなってしまった穴に、3ミリの細引きの輪っかが代わりに通されているというところでもある。靴ひもが通されているなどと、書いてあるものもあったと記憶しているがそれはなかった。ほんの1-2個だと思っていたが、その数はすごく多い。細引きは古いのと新しいのがある。どうしてもアブミに乗るのも慎重にならずにはおられない。掛け替えは最上段に乗れば、私の身長でも楽に出来るボルト間隔ではある。最上段に乗ることは、アブミの内側から踵を入れることで、怖く無くできた。
ちゃんと細引きの新しいのも用意していったが、何とか掛かっているのでこわごわ用が足せた。今回の失敗はボルトダラーでかなりのヌンチャクが必要となり、いつちぎれてもおかしくない細引きの恐怖で、全部とっていっていたら足らなくなったことだ(20数本はあった)。中間ぐらいから足らなくなりそうなのに気が付き、そこからはプロテクションの取り方に工夫がいるようになった。間を一つ抜いたり、カラビナだけでとったりしながら終了点まで何とか足りた。
下から「終了点が右に見えるだろう。それは違って終了は左の方のハングの下だよ」とアドバイスを受ける。登っているときは夢中なので聞き流していたら、右の方に終了点が見えた上部を見ると今までボルトダラーだったのが、そこからすごく遠くにシュリンゲが見えるだけ、あわや右手の終了支点に行きそうになったが、真上を見上げると左の方のハング下の終了点が見え、さっきからtが下でわめいていた意味を理解した。左のリッジ上のところに乗り移らねばならないようだ。乗り移る時の怖さは格別だった。3メートルほどのこのスラブのリッジはぼろぼろで怖い。最後がハング下の狭いテラスで縮こまって終了である。一人腰掛けたら一杯だ。ひやひやしたこのピッチが終了して、ほっとした。ザイルを上げようとしたら、とても重い。だいぶ疲れているようだ。tにコールして上がってきてもらう。だいぶ行ったところで「ヌンチャク、落とした〜」という声。私なら諦めるところだが、tは諦めなかった。そこから下ろして回収に行く。また登り返す。根性があるなぁ〜。登攀しているいと、性格の違いがいろんな場面の対処で違うなぁ〜と実感した。
ここの終了点で、セカンドを引き上げていたら、T3方面からT4に3人やって来た。どこから来たのかは不明だが、そこから懸垂して一端降りていったが、T4尾根の樹林帯の尾根に一人残して、二人で登り返している。東稜にでも取り付いていたのだろうか? 何だか不可解な行動のように思えた。私たちが次のトラバースに入った後のことは判らない。登攀中に見たパーティはこのグループのみである。

雲稜ルート4P 5.10- 40m t 11:10:10〜13:15
終了のテラスが狭いのでトラバースはすぐに行ってもらう。足場はわりとあるが見ているだけでも怖そうなトラバースだ。プロテクションにスリングが掛かっていて足場の方に付いているので、何だか不思議だと思っていたが、このルートはもともとはアブミだったようだ。下の壁にアブミを垂らして、横に掛け替えて渡ったようだ。フリーで行くとこの頭がつっかえそうな不安定なトラバースになるので下のプロテクションは、なんとも怖さを増長させる。しかし、セカンドで行くと見ていたよりも、足場も広くホールドもしっかりとあり、思ったほども怖さがなかった。高度感だけはすごい。トラバースの終わったところでtがビレーをしていた。草の中の不安定なところである。次のピッチをトポで確認。目の前の直上は悪いと書いてある。右にテラスが書いてあるので取り敢えずそこまで行ってもらう。やっと落ち着けるだけのスペースである。かなり疲れてきた。食べ物をとって、また休憩する。

雲稜ルート5P 5級+ 40m t ここから時間の記録無し
私はだいぶ疲れてきたので、5級プラスのリードに自信がもてずtにいってもらう。tもだいぶ疲れが出てきたようで、時間が掛かっている。私もセカンドでいって、ここもかなり嫌らしいと思った。雨は大して降ってはいないが濡れている。t曰く前はもっと快適に登れたスラブだったという。私はA0しまくりで突破。

雲稜ルート6P 4級  30m iku 時間の記録無し
ここは実際上の最終クライミングなので、頑張って最後の力を振り絞りリードした。4級だということなので簡単だろうと思っていたが、意外と嫌らしい。プロテクションもなかなかない。所々草の中などから見つけるが、かなりかなりランナウトしている。もうだいぶ疲れているので余計に厳しく感じるのだろう。やっとの事で、終了点たどり着きやれやれであった。

雲稜ルート7P 3級  25m  t 終了16:20
6P目の終了から大きな岩をのっこすと少し行くと右にも終了点があり、そこから左にぬるぬる草付きを登る。するとこれもぬるぬるの岩場になり、そこを滑らないように慎重に行くと立木でビレーをしているtのもとにたどり着き、やっと本当の終了だった。そのまま駆け上るとかなり広いテラスに出る。ここはかなり広くテントも十分張れそうだ。雨がだいぶ降ってきた。たいした降りになる前に抜けられてホッとした。しかしこれからが、涸沢まで長い道のりである。

終了してから  16:55〜17:30
片付けをして屏風の頭へと向かう。右手の大きな木に古いザイルか巻き付いているその木の根っこをよじ登っていく。雨は本格的に降りそうな気配がする。しばらくは、クライミングの延長のようなところが出てくる。大きな岩をよじ登り、疲れた体が重く感じる。尾根に出ると左眼下に横尾のテントがかすかに見える。今日はあそこのテントには戻れないという予感がその時の私にはした。このまま雨がひどくなると、涸沢に着くのにもかなり遅くなるなぁ〜、とぼんやりと思っていた。途中の道も雨が降って夜ともなれば危険でもある。どこか安定した樹林帯でビバークを持ちかける。tは涸沢まで行ってしまうつもりでいたらしい。しかし私の提案したビバークで、押し切った形となった。
このビバークは、本来ならたいしたことにはならなかったはずだが、いろんな悪条件が重なり最高に辛いビバークとなった。問題点とは、ツェルトがかなり古かったために雨が漏った。そして古いレインウエアを岩登り専用にしていたために、これも雨漏りするレインウエアだった。このことは、ツェルトを木に固定して、座ったとたんに雨足が強くなり、そんなに時間が経たないうちに失敗であることに気が付いた。山道具は一度そろえるとあまり買い換えないが、その間に新しい商品はどんどん出ている。このツェルトはもう15・6年以上も前のものだった。いつも長年山に持っていっているが、こんな状態で使ったのは初めてのことだったと思う。
何の役にも立たなかった。レインウエアも然り。長い間山に入っている間に、なめてしまっていたように思う。この2点は後悔しっぱなしである。おまけに予想以上に雨が強く、雷に悩まされ続けて夜が明けた。こんな状態なので、私たちが全身ずぶ濡れになるには、そう時間は掛からなかった。着られるものはすべて着込んで膝を抱えて、1時間ごとに時計を見ながらの長い夜が始まった。ちょっと横になろうとすると、体が冷える。一番いい姿勢が座って膝を抱え、背中を合わせるという状態のようだ。tはザックカバーを外し、頭からお尻まですっぽりとザックカバーの中に入れ、丸虫のように丸こまっている。雨の中にいるのと少しも状況は変わらない。雷がまるで昼のように明るくツェルトを照らす。そして、大きな音を轟かす。食べ物は夕食も朝食も行動食のロールパンをかじる。この状態は朝まで続いた。時どきはまどろんではいたようだが、寝られるわけはない。
こんな状態が、明け方まで続いた。その間願うのは雨が止んでくれることだけだったが、無情にも明け方明るくなっても雨は止まなかった。こんなところにいても仕方がないので、雨の中出発準備をする。雷だけは遠のいてくれたようだ。
なお一層重くなったザックを肩に、重い足をせいいっぱい上げながら屏風の頭に向かった。13日5時半である。約一時間後の6時半に屏風の頭に着いた。ここからは、山々の谷間から雲が湧き出て山がまるで生きているようにうごめいて見え、幻想的な眺めであった。身の丈ほどのケルンが2個目印に置かれた頂上である。眼下に目指す涸沢ヒュッテやテントが小さく見える。やれやれである。
そこから最低コルまで下り、パノラマコースを辿って涸沢へと向かうが、この道はびっしょりと濡れていると嫌らしい道だ。一睡もせずお腹を空かし疲れた体では、思ったよりも時間がかかった。ここをビバークしないで暗くなってから通ったとしたら、あぶないと思った。9時に涸沢着(ビバーク地点から3時間半かかった)。雨は小降りだが降ったり止んだりしている。涸沢では嬉しいことに、ラーメンとおでんとで食事が出来た。ラーメンがこんなに美味しく感じたことはない。コーヒを飲んで、もう生き返ったように元気が出てきた。9時50分横尾に向かって出発。本谷橋でしばらく休み、登山道を進むと、途中で雄大な屏風岩に出くわす。ここまでの行程を思うとき、屏風岩も改めて大きく見える。名残が惜しくて、しばらくは眺める。ガスで幕を張ったような屏風岩が、「またおいで」と優しく言っているようにも思えた。東壁から見た屏風とはまた違って、中央壁、北壁、右岸壁と見える屏風岩はほんとにでっかい。前日横尾からこの岩をよじ登り裏側からぐるっと周遊してきたと思うと、離れがたい愛着を感じてしまう。
12時頃、横尾に着いた。テントの数は出発したときより少なくなっているようで、またテントも入れ替わってしまっていた。
テント撤収をして上高地に向かうが、まだ行程はこれからも大分ある。まだ雨は降っているが、帰りは黙々と歩くのみ。ザックもなぜか、肩に食い込み辛い。徳沢で帰りも食事をする。行くときに、蕎麦にうるさいtが美味しいと言っていたので月見蕎麦を食べる。まだまだ続く雨の中の行進で、明神、上高地とたどり着く。時間は4時頃を過ぎていた。バスで沢渡の駐車場に戻り、上高地ホテルで風呂に入る。もう乾いてはいたが、やっとずぶ濡れだった服は着替えることが出来、さっぱりした。食事をするところを探していたが、なかなか見つからなかったが、ずっと前に入ったことがある「レストラン十字路」という店が目に入り、ここに入った。ヒレカツとカルビの焼き肉定食をすごいボリュームに少し抵抗を感じながらもぺろりと平らげてしまった。そして高速に入り、一番近いみどり湖PAにて車で仮眠。爆睡して一夜を明かした。起きてみたらかなり、車の音のうるさいPAだったが、疲れ切った体には全く気にならず眠れた。小川山で合流予定だったMは会合宿の北岳バットレスに雨で登れず、一足先に清里のユースで待っていた。雪稜の北岳バットレスは、なぜか例年雨で「来ただけの北岳」という言葉が毎年流行語のようになってしまってる。私たちは、雲稜に登れてよかったと思う。いろいろあったが、ものは考えようで登れたと言うことはラッキーだった。

エピローグ
屏風岩は、自分にとってどういうものだったかというと、「やっぱりアルパインだった」と思い知らされたルートだった。それはアプローチ(入山)と下降路(下山)も合わせると、まさに本ちゃんという厳しさがあった。
ルートグレードが4級上となっていたが、けっこう私にしたら登攀自体も難しめであった。屏風は人工ルートが多い中、この雲稜ルートは扇テラスからの3ピッチ目だけが人工で、あとはフリーで行けるというのも魅力のあるルートとなっているのだと思う。
全体では、思っていた以上に時間がかかった。それは年齢的にも体力が低下してきて、休みを取ることが多くなってきたのと、登るのもゆっくりだったのだろう。各ピッチの前に、テラスがあると、つい長居をしてしまう癖も考えたほうがよさそうだ。
加齢と共に、今回のようなクライミングは何とかさけるようにした方がいいとは思う。天候の悪化も、ビバークに備えて前後の天気も気にした方が良さそうだ。そして最悪ビバークとなっても、対処できる装備と食料も考えておく必要もあるだろう。
山は、あらゆる可能性に備えた装備が必要だと、初心に返って反省した次第である。そして、装備の投資に惜しんではいけないということも学んだ。
最終的には、屏風岩雲稜ルートを登れてよかった。それもクライミング自体、私は満足できるものだったのが、たとえ自己満足だったとしても嬉しいことだった。充実した山行だった。

小川山クライミングツアー

【 題名 】 9回目の小川山
【 目的 】 クライミングを楽しみながら上達する
【 期間 】 2005年8月13日〜8月16日(土〜火)
【 参加 】 iku、mizu、t、Y
【 山域 】 奥秩父
【 山名 】
【 形態 】 フリークライミング
【 地図 】
【 資料 】
【 天候 】 快晴
【 装備 】 クライミング道具一式、生活用具一式
【食料】

【費用】
【集合】
【 日程 】

8/13日 小川山に入る

14日 マラ岩

15日 ソラマメスラブ

16日 雨で朝から帰る

【 写真 】

【感想 】

今年の夏の休暇は、ずいぶん欲張った計画のために疲れが出てしまい、しわ寄せは小川山に出てしまった。「もう歳なんだから無理をしたらあかんよ」と日頃娘には言われっぱなしだが、今回ほど疲れを後に引いてしまったことは珍しい。それは屏風の登攀の後に小川山に計画してしまったためである。屏風は、雨のなかで12時間という長時間ほとんど寝ないでビバークをしてしまい、それが堪えていたと思う。

小川山に着い13日はレストの日にして、洗濯をしたり濡れたものを乾かしたりとのんびり過ごした。私は足の指が水泡になり、親指も爪の下が内出血していたりとで、次の14日も靴すら窮屈で履けない状態だった。親指でたち込むのも、ままならない情けない状態だった。14日には、やっと少しは回復してソラマメスラブの下部のルートが登れた。

室堂から裏劔・欅平

【 題名 】 室堂から裏劔・欅平へ紅葉見物
【 期間 】 2005.9.29夜発~10.3早朝帰宅(木〜火)
【 参加 】 iku
【 山域 】 北アルプス
【 山名】
【 形態 】 縦走
【 地図 】 山と高原地図36「剣・立山」1:25000地形図 劔岳・十字峡
【 資料 】 アルペンガイド18立山・剣・白馬等

日本JRバス http://www.nishinihonjrbus.co.jp/

立山黒部アルペンルート http://www.alpen-route.com/

【 天候 】 9/30(晴れのち曇り)10/1(曇りのち雨)10/2(雨)
【 日程 】 9月29日(木) 自宅〜京都駅JRバス23:20発

9月30日(金) 富山駅6:09着/6:33発→立山駅7:40着/(朝食・きのこうどん700円)8:00発→室堂9:00着/9:10出発→剣山荘15:00着

10月1日(土) 起床4:30剣山荘5:15発→真砂山荘7:30/8:00→二股9:00/9:25→仙人峠11:15→池の平小屋11:50着

10月2日(日) 起床2:40/3:15発→仙人池ヒュッテ4:00/4:15→仙人温泉小屋6:15/6:55→阿曽原温泉小屋8:50/9:00→欅平14:20/15:19発→

宇奈月16:34着(宇奈月温泉会館入浴250円)/宇奈月温泉18:07発→富山19:37着/JRバス21:45発

10月3日〔月) 京都5:00着→自宅

【 装備 】 個人:ヘッドランプ(換え電池)、換え靴下、防寒服、雨具、スパッツ、ストック、ザックカバー、タオル・洗面、帽子、

薄手手袋、新聞紙、カムテープ、細引き、地図・コンパス、、お金、時計、医療品、携帯、カメラ、筆記用具、、保険証、

温泉セット、ゴミ袋、行動・予備食4食、お茶・日焼け止め ・アイゼン ・テルモス

【 費用 】 JRバス京都-富山(7850円)+富山-立山)1170円+立山-室堂2360円+欅平-富山3230円=14610円小屋2泊17000円  約35000円+?
【 写真 】 写真にリンク

【感想 】
裏劔の紅葉を一度は見たいとおもい続けて、もう4-5年は過ぎてしまった。最近、日頃の行いが悪いのか天気に見放されてしまっている。予定を立てたが、どうも天気は崩れそうだ。あぁ、今年もやっぱりダメかと諦めてもみたが、週間天気予報を見ているうちに、一日予定を早めることにして、思い切って出発した。しかし、天は見方にはなってくれなかった。初日のみ快晴とは行かないまでもおおむね晴れてくれたが、2日目からは帰るまで雨の中の行進となってしまった。それはそれで、また雨も乙な物。いろいろ楽しい山行となったのだが、心残りはまた裏劔。特に池の平からの紅葉と裏劔の風景をまた見られなかったのが、返す返す残念だった。せめてもの慰めは、晴れたところで紅葉は例年より遅れていたようで、少し時期的には早かったことだ。山に魅了されるということは、理屈ではないのかも知れない、ただ感動を自分で確かめに行くというだけの行為に過ぎないのかも知れない。その感動は自分の内面にのみ味わい感じるものであり人と必ずしも同じというわけでもない。
しかし人として、いろんなものに感動しながら生きていけるのは幸せなことだと思う。池の平小屋に飾ってあった、見事な写真を思い出すたびに、もう一度行かなくては…、と思ってしまう。
富山行きの夜中発のJR夜行バスで京都を一人で出発すると早朝富山駅に着く。この往復で切符を買うと交通費の節約になる。30分ほど待って立山に向かう。いつも車なので、車窓からの眺めも新鮮だ。暴れ川の常願寺川の鉄橋も通る。この日は穏やかな流れだった。各駅で泊まる駅では、中学や高校生の通学時間帯でもあり賑わうが、都会とは比べられないほど電車は空いている。朝食に立山そばを食べて、8時のケーブルで美女平へ向かう。そして、夏に歩いたルートを高原バスで室堂まで。室堂近くになると、ようやく紅葉が始まっていて、バスの中でもどよめきが聞こえる。道路そばにはリンドウが咲いていてもうすっかり秋色に変わってしまっていた。もうそれだけで私はウキウキしてきた。
室堂で計画書を提出して、いよいよ出発。今日はたっぷり時間がある。ミクリガ池まできていつもは左の地獄谷だが、右の室堂平の方へ向かう。ここには、日本最古の山小屋があると言うことなので寄ることにした。この辺りの紅葉は美しく、立山連峰に彩りを添えている。今年2度も立山を訪れるとは、何と贅沢なことか。もったいないので、ゆっくりゆっくりと歩く。
雷鳥平に近づくと、真っ赤なナナカマドとえんじ色の葉っぱになったチングルマが美しい。雷鳥平のキャンプ場のテントは平日のせいか少ない。
ここからは、雷鳥坂の急登になる。途中のナナカマドはまだ葉っぱは緑色をしていた。時々ふり返って下を見る。高度を上げるたびに、視界が広がってくる。いつもこの風景を見ると綺麗だなぁ〜、と思う。
最後のがれ場になって、しばらくすると上から降りてくる年輩の女性の顔に見覚えがある。すぐに、大阪では有名なKさんであることが分かった。顔を合わせたので、「もしかして、Kさんと違いますか?」と声を掛けてみた。「何で知ったはるのん?」の応え。「70歳で屏風登ったはるという話は、有名ではありませんか…」「屏風は3回登った」などと話が弾む。結局、登山道の脇に座り込んで1時間近く話し込んでしまった。通り過ぎる人がみんな見ていく。何人かは話しかけてくる。そのたびに私が「このかたは80歳を過ぎた大阪のロッククライマーなんですよ」と前から凄い女性だと尊敬していたので、つい自慢してしまう。
Kさんは、山歩きはいつも単独らしい。この日は、ミクリガ池温泉でもう一泊するらしい。私は、Kさんの年齢まで山登りが出来るとは、とても自信がない。分かれてからも、後25年かぁ〜、フゥー、と大きなため息が出てしまった。
すぐに、別山乗越だった。Kさんと話しているときにすれ違った若い女性が、「さっきのかた凄いですね」と話しかけてきた。彼女は劔沢での単独テント泊だという。劔を眺めながらしばらく話をして別れる。
劔沢方面に向かう人が多い中、私は左手剣山荘方面へと進む。歩いていると劔がどんどん近寄ってくる。このまま行ってしまうのには惜しいので、しばらくぼ〜っと眺めている。八ツ峰や源治郎尾根もよく見える。紅葉の中に赤い屋根の、剣山荘も小さく見える。その上に白く登山道が延びているが人影はない。右の方には劔沢キャンプ場だが、やけにテントは少ない。
皺だらけの像の肌のようにごつごつした岩肌の劔を見ているとほんとうに綺麗だと思う。ここからの劔は劔沢キャンプ場からの眺めよりもずっといい。眺めを堪能して、一気に小屋目指して降りる。
嬉しい、小屋泊まりだ。受付で明日の予定を聞かれる。天気がよければ北方稜線で雨だと劔沢から真砂沢ロッジ経由で池の平小屋までというと、明日の朝どちらにするか言ってから出発してください、と言われる。天気が悪くなる一方だということだった。
部屋に行くと、奈良からの私より少し年上の単独の女性がひとりだけだった。お陰でいろいろ話をして、楽しく過ごせた。次の日は、劔沢から仙人温泉小屋で泊まるということだ。布団は普通のサイズでシーツが掛かっている。おまけに、最近改装されたのか、畳も綺麗。山小屋でこんな良い待遇を受けるとは思いも寄らなかった。お陰で、気持ちよく小屋で過ごせた。これでは、小屋泊まりも病みつきになりそう。
朝は4時に一度起きて外に出たが、風が強そうで星も出ていないので、もう一度布団に潜り込んだが、もう寝られなかった。4時半には起きて、朝食の弁当をお茶で流し込むように食べる。そして5時過ぎに外に出る。やっぱり、なま暖かい風が雨の予感がするので、劔沢を下ることにした。早立ちの人は、ほとんどが劔岳山頂を目指している。ヘッドランプをつけて、劔沢への登山道を下る。誰もいない。朝焼けが白馬方面で綺麗だが、劔の稜線はすっぽりガスに覆われている。もう諦めはついた。朝焼けの写真を撮り、どんどん下っていく。すると、劔沢山荘の方からの登山道にヘッドランプが5つ連なって見える。ちょうど、こちらからガレ場を横断して劔沢からの登山道に移った頃に合流した。このパーティーとは、池の平で小屋でも一緒になった。雪渓はかなり下の方になっていて夏のイメージとはだいぶ違う。平蔵谷も長蔵谷もかなり痩せている。雪渓ではアイゼンを履いて歩く。かなり下まで行くとまた夏道が出ていて左岸に移る。すぐに真砂沢ロッジだった。アイゼンを洗わせてもらいしばらく休んでいたら、とうとう雨が降り出してきた。天気が悪いせいか、人も少ない。紅葉もこの辺りはあまりしていない。まだまだといった感じだ。ここからは二股まで劔沢右岸沿いに登山道を行く。北俣の出合いに立派な工事中の橋桁があり、人が入ってる。そばに小さな橋が架かっていた。いずれはここに立派な橋が出来るのだろう。正面には大きな岩がで〜んと行く手を遮っている。近藤岩である。ここで、しばらく休憩をして腹ごしらえをする。
橋を渡ったところを左に折れしばらく行くと左手に雪渓が見える。これが池の平に続く北俣の道だなぁと思って眺めながら進むと、仙人新道との分岐に北俣の雪渓は崩壊のために通行禁止という看板が出ていた。仙人新道への道を登る。かなりの急登で息切れがする。しばらくすると急登をあえぎながら登るとベンチがあり、そこからは尾根上なり傾斜は少し緩やかになる。やれやれである。雨は相変わらず降っている。2時間半の登りというのでまだ少しあると思っていたら、意外と早く仙人峠に着いた。
ここは右に行くと仙人池で左に行くと池の平である。私は雨と遅い紅葉で、もう期待はしていなかったが、予定通り池の平を目指す。立派な木道があり、喜んだのも束の間で、すぐに山道となってしまった。ガスで先は見えない。時間的にはそんなに掛かっていないのだが、一人で先の見えない道を歩いているとずいぶん長く感じてしまう。一瞬ガスが晴れて、下の方に池が見え、曲がりくねった道の先の方に小さな小屋の屋根とテントがふた張り見えホッとした。せっかくのチャンスなので、写真を撮ろうとザックを下ろし天蓋のなかのカメラを出して向けたところ、もう何も見えない。仕方がないので、そのままシャッターを下ろした。帰ってから見てみたら、まっ白で何も見えていなかった。せっかくこんなへんぴなところまで来たのに残念なことだ。雨はかなり降ってきた。小屋にたどり着く。先客が男性3名だけ。そのうち2名はテント泊の人で3人とも写真目当ての滞在組の人だった。何日ぐらいいる予定ですかという質問に、米が無くなるまでと答えていらした。それから続いて、私と同世代の女性3名がやってきて、その後に朝に出会った。5人パーティーが着いた。この日の小屋はこの10名だった。
雨足はますます強く、外は何も見えない。小屋に掛かっていた、池の平の紅葉と裏劔の写真は、それはそれは美しかった。ここを題材にした写真は、たくさん小屋に置いてあり、仕方がないのでそれを眺めて夕食まで過ごした。ここまでの、行程で撮った私のデジカメの写真を見ていろいろ的確なアドバイスもしてくださった。そうのうちお風呂が沸きましたので、到着順番にどうぞといわれ、2番目に入らせて貰う。ここのお風呂は石の五右衛門風呂だ。子ども頃に私は丸い桶状の五右衛門風呂に入っていたので、板を沈めていたときに懐かしさを覚えた。しかし、この石風呂はどうしてここに持ち込まれたのだろう。聞いてくれば良かった。天気が良ければ眺めもいいのだろうが…。何も見えない。しかし熱めのお湯は体の芯まで温まった。夕食はこんな山奥なのに豪華だった。冷や奴が出たのには驚いた。聞くと真空パックだそうだ。
明日帰るのは私と5人パーティーだけ。後の人は晴れるのを待って停滞するということだ。この5人パーティーは、2時起床3時発という。
次の日私は人の気配で目覚めた。2時半頃だった。小屋に着いたときに、欅平までは12時間掛かるという事を聞いていたので、私も早く出ることにした。雨の中、このパーティーの後を追いかけるような形となった。単独の身軽さで追い越してしまい先に一人で歩くことになってしまった。仙人池ヒュッテに着いたときは4時頃だったが真っ黒だった。仙人池ヒュッテからは登山道に水が流れ所々右の谷筋にながれ落ちている。川のようになったところを歩くうちに靴にも水が入ってきた。途中長い梯子を下ると滝状になっている。そこを下るしかないと思い下っていくが、真っ黒なので一人で不安になり梯子のところまで戻る。他に道はないか探してみたが、滝を下るしか無いようだ。後続の5人パーティーを待つことにした。しばらくして、ヘッドランプの明かりが見えた。このパーティーのガイドの方がやはり降りるしかないと言うので、先に降りていく。すると左の岩にマーキングの矢印が見えた。やっぱりこれで良かったのだった。その先また私は暗闇を一人で行くことになったが、足場が恐い思いをした箇所が一カ所あった。そのうちに、空が明るくなり始め辺りの様子が分かるようになってきてほっとした。すっかり明るくなって仙人温泉小屋に6時過ぎについた。朝食をとっていたら、5人組も来られた。そこへ、下の方から剣山荘で同室だったTさんが、現れた。昨日はここに泊まられたのだ。朝風呂に入ってこられたそうだ。私は池の平から3時間雨の中歩いてきた後だけに、こんなにも雨が降るのだったら、ここに泊まれば、良かったと少し後悔した。昨夜は、空いていて二人しか宿泊客はいなかったらしい。私は一足先に7時前に出発した。
阿曽原温泉小屋までは誰にも会わなかった。しばらく、小屋の休憩所で休ませてもらい、重い腰を上げまた先を進める。下に降りるとキャンプ場があるが、テントはなかった。ふり返ると、木の上の巣箱のような阿曽原温泉小屋が小さく見える。河原をのぞき込むと湯煙が見える。
そこからはまたしんどい登りになる。かなり登ってから、道は水平になる。歩くのには楽だが延々と続くとうんざりしてくる。あまりにお腹が減ってきたので、腹ごしらえをしていたら、Tさんともうひとり阿曽原温泉小屋で泊まっていた男性の二人がやってきた。ここからは、欅平まで3人で帰った。
しばらく行くと完全な水平歩道に入る。滝の裏をトンネルが通っていた。ここは短いので見えるが水がかなり溜まっていた。出来るだけ置かれている石に乗ってゆくが、靴の中はもうすでにびしょ濡れだ。雨のために水平歩道の上からも壁を伝ってシャワー状態だ。何回も滝を潜らねばならない。そしてしばらく行くと長いトンネルに入る。ここはヘッドランプが必要だ。足下は綺麗になっていて、溝が掘られていたので水はそちらを流れているので足下は助かるが時々天井に頭をぶつけてしまう。トンネルを出ると。向かい側に大きな壁で水平道がトンネルに続き私たちが入ったところである。逆向きに引き替えしているような錯覚を起こしそうだ。綺麗なので写真をとる。途中で奥鐘山西壁が一瞬目の前に現れてその大きさに感動した。写真を撮ろうとザックを下ろしているうちにもうガスの中に隠れてしまった。そして短いトンネルをもう一つ越え、数々の大小の滝に打たれたり、徒渉をしたりで長い行程の末やっと欅平の分岐に至る。ここからの下りも足には辛かった。
池の平小屋でエアリアマップの時間では無理なので、欅平までは12時間の余裕をみておいた方がいいといわれかなり朝早く出たが、休憩も含めて11時間強はかかった。それも雨の中の行進は辛いものだった。地図に「降雨時には雨水が岸壁を伝わりシャワーとなる」と書いてあるが、シャワーなんて生やさしいしろ物ではない。数え切れないほどの滝の下をへつったが、上から落ちる滝の水の強さは凄かった。この辺りは、雨の日を避けた方が良さそうだ。お陰で、滝に打たれたぶん心身は清められたに違いない。
Tさんは欅平でもう一泊。もう一人の男性は東京まで帰られるということで、駅でお別れをする。待合室でドボドボのレインウェアを片付け、腹ごしらえをしてやっと落ち着いた。ごった返した観光客に紛れ込んでトロッコ電車に乗り込む。登山者は見かけない。走り出したら急に寒くなってきた。沢登りをしてきたのと同じ状態なので無理はない。ダウンジャケットを着込む。うつらうつらしながら宇奈月に着いた。温泉の場所を駅で聞いて行く。その途中に作業服を売っている店があったので飛び込み、スニーカーを購入した。宇奈月温泉会館というこの温泉は銭湯感覚の温泉で280円と入浴代金は格安だが石鹸とシャンプーが無い。番台で石鹸だけは貸してくれた。シャンプーは隣に座っていた女性に気持ちよく貸してもらい助かった。女風呂はこの温泉街で働いている仲居さんたちが常連なのは話の内容でわかった。
さっぱりと、乾いた服に着替え登山靴もザックに押し込み、やっとさっぱりした。身も心も温まり、気持ちよくまた空いた電車で富山駅まで爆睡だった。富山からは、また夜行バスで帰路に就いた。
今回の山旅は、長年の夢を果たすべく意を決して決行したが、当初の目的は全てかなわない結果となった。また、行かねばならなくなってしまった。それにしても、最後の日は良く歩いたものだ。しかし山行としては充実した山歩きとなった。ひとりもいいものだと思った。


池小屋山/奥の出合いまで
【 題名 】 池小屋山/奥の出合いまでの紅葉見物
【 期間 】 2005.11.10
【 参加 】 iku、S
【 山域 】 台高山脈
【 山名】
【 形態 】 ハイキング
【 地図 】 山と高原地図57「大台ケ原/大杉谷/高見山」
【 資料 】 関西百名山(山と渓谷社)
【 天候 】 晴れ
【 日程 】 自宅5:40→近鉄奈良駅7:00→宮の谷林道10:10→高滝11:00→12:20奥の出合い(昼食)13:30→高滝14:30→15:20宮の谷林道15:30→近鉄奈良駅18:30→自宅20:00
【 装備 】 日帰りハイキング用装備
【 費用 】
【 写真 】 写真にリンク

【感想 】
Sさんと知り合ったのは、フリークライミングを始めた5-6年前頃からだ。最近、時々フリークライミングに一緒に行くようになった。紅葉見物に池小屋山へ誘われた。池小屋山と言えば、昨年(2004.4)ガイド山行で、中年女性が高滝の上部でスリップして助けようとしたガイドとともに滑落して死亡したというのを新聞で読んでいた。

早速、帰宅して池小屋山の地図と以前購入していた関西百名山を広げてみた。地図は、どこからも池小屋山へは破線になっていた。ガイドブックには、高滝の上部への高巻きのところに転落注意と書いてある。ここが、昨年転落事故のあった所だろうということはすぐに察しがついた。

下調べをしているうちに、始発電車で来るSさんと我が家の最寄り駅で待ち合わせると7時過ぎになる。そこから車でどんなに急いでも10時は過ぎるだろうと思えた。ネットで経路を調べると近鉄奈良駅で待ち合わせた方が時間短縮になることがわかり、奈良駅7時に集合ということにしてもらった。しかし、結果としてもこの時間でも登山道入り口着は10時を過ぎてしまい、頂上まで行くと帰りは暗くなる可能性が強くなった。この時期、5時だともう真っ暗だ。

出発した頃には、もう奥の出合いで引き返すつもりでいた。これは登山道の厳しい状況から考えたら、当然の選択だと思えた。高滝を過ぎたあたりから道は険しい登りとなり、ザイルがあちこちにフィックスされている。そして落ち葉の積もった登山道は、ルートファインディングを難しくしている。ここをヘッドランプで下山となると、かなり危険だと思えた。

宮ノ谷渓谷の水越谷の出合いまでは、梯子と橋でとてもよく整備されていた。美しい紅葉と清らかな流れを楽しみながら快適な歩きとなっていた。昔は谷筋を歩いたらしい。一部崩れてていて谷におりたが、ほとんどは観光地の渓谷巡りと行った感じだった。

林道終点の駐車場には車がすでに3台止まっていた。奥の出会いでテントが一張りあり、カップルが合わせて3パーティー入山していた。平日ということもあって、静かな山だった。奥の出合いまでだったので、ここでSさんが用意をして来てくださったワンタンをごちそうになり、ゆっくりした。ここでテント泊二人と下山して来た2パーティーと出う。

今回は時間的に頂上は踏めなかったが、紅葉は堪能出来てよかった。今年は大峰か台高の紅葉を見たいと思っていたので、本当にいい機会だった。Sさんに感謝。

来年は春に、頂上を踏んで「高見山まで縦走したいね」とSさん。春の縦走路はアカヤシオが咲いているという。帰ってから早速地図を見てみる。魅力的な縦走路だ。ぜひ行ってみたい。