2000年
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金剛山/葛木岳(1125)湧出岳(1112.2)にスノーハイク

2000.1.23

報告あり

野猿の岩場・アイスクライミング

2000.2.4〜6

金〜日

報告あり

.冬期八ヶ岳・ジョウゴ沢・アイスクライミング

2000.2.13〜15

日〜火

報告あり

比良・武奈ヶ岳

2000.2.26〜27

土〜日

武奈の頂上で雪洞泊

御在所前尾根

2000.4.29〜30

土〜日

報告あり

小川山クライミング

2000.5.3〜6

水〜土

報告あり

御在所中級岩登り講習会

2000.5.13〜14

土〜日

晴夜雨〜晴れ時々雨

報告あり

雪彦地蔵岳東稜及びハイキング

2000.6

報告あり

小豆島拇岳

2000.7.7〜9

金〜日

白山・お池とお花めぐり

2000.7.30〜8.1

日〜火

報告あり

比良口の深谷沢登り醍醐〜高

2000.8.6

報告あり

穂高岩稜漫歩(西穂〜奥穂)+クライミング(前穂北尾根)

2000.8.10〜13

木〜土

報告あり

岳連岩登り講習会の報告

2000.9.9〜10

土〜日

報告あり

.穂高・滝谷

2000.9.14〜17

木〜日

報告あり

.木曽駒・空木

2000.10.6〜9

金〜月

報告あり

御在所岳中尾根・一の壁

2000.10.14〜15

土〜日

涸沢岳西尾尾根

2000.11.24〜26

金〜月

報告あり

八ヶ岳広河原沢アイスクライミング

2000.12.15〜17

金〜日

フリークライミング

ホシダ

 

2000.1.29

2000.2.11/20

2000.3.5/19/20/26

2000.4.2/9/16/23/29

2000.11.3/4/19/23/23

2000.12.24

クラックス(大阪)

2000.10.29

金比羅

 

2000.7.1/2/16

2000.8.26

2000.9.3

2000.10.3/28

2000.12.2/9

烏帽子岩

2000.8.27/9.2

不動岩

2000.10.22

○宇治・志津川クライミング

2000.5.21

  

八ヶ岳・ジョウゴ沢F1        小豆島拇岳でクライミング

金剛山/葛木岳(1125)湧出岳(1112.2)にスノーハイク

【山行名】金剛山/葛木岳(1125)湧出岳(1112.2)にスノーハイク

【期 日】2000年1月22日(土)

【目 的】樹氷を楽しみながら体力つくり

【メンバー】t・iku・MT

【日程/ルート】

京阪樟葉駅(7:50)Mtさんと待ち合わせ→168号線→水越峠のトンネルを越えると千早赤坂村→少し行くと左に金剛山の看板。そこを左に折れると表参道登山口駐車場475m(10:40)(10:55)→千早城あと分岐→千早城らしきところ11:15→転法輪寺1075m(12:20)(12:29)→葛城神社1125m-5℃(12:32)→ブナ林昼食1095m(12:45)(13:15)→湧出岳1225m(13:30)→国見城跡(14:05)→セト峠850m(14:50)→しいたけセンター(15:40)→駐車場(15:55)(16:05)→長野温泉(16:30)(17:25)→24号線→京都駅(21:05)→自宅(20:50)

【概算費用】一人 約 1800 円

【集合場所】京阪樟葉駅

【装備計画】

【個人装備】雨具・タオル・地図・磁石・お茶・昼食・コップ・お金・ヘッドランプ・レスキューセット・防寒具一式・アイゼン他

【共同装備】ガス一式・コッヘル・ツェルト・お茶他

【感 想】

 あまりにも有名な金剛山。しかしまだ行ったことがない。そんな訳で一度は行かなければと前々から思っていたが、どうも奈良・大阪方面は後回しになっていた。今年は暖冬で一週間前の10日ごろに、千早赤坂村役場に問い合わせたがまったく雪がないと言うことだった。今回予定の週末は、さすが大寒(1月20日)から寒波が予定通り日本列島に押し寄せ、念願の雪に見舞われた。21日役場に電話を入れると積雪4センチで樹氷が見られるとのこと、これで金剛山行きが決定。メールでみんなに流したが、急なこともあってか参加者はMTさんのみで私たち(t/iku)と三人での山行となった。

 MTさんには時間節約のため樟葉まで来てもらった。いつも私がクライミングに通っている星田園地の前を生駒にぬける168号線をひたすら走るというルートをとった。自動車免許を取ってからは、道路地図を見るのも私の楽しみの一つに加わった。しかしこの道路は信号も交通量も多くあまりスピードが出せない。ずっと助手席で道路地図とにらめっこしていたためか、車に酔ってしまった。途中で運転させてもらって、やっと酔いから醒めすっきりした。

 表参道付近は車と人でごった返していて、さながら観光地そのものだ。河内長野からはバスが大量に人を運んでくる。やっと着いたと思って停車したとたん、後ろからクラクションを鳴らされあわてて発進したところ、ところてんを突くように有料駐車場に押し入れられてしまった。気がついたときには誘導されてしまっていた。駐車料金は600円だった。道路沿いには土産物屋が並んでいて、軒下にアイゼンをぶら下げていた。あのアイゼンは売っているのか貸しているのかどっちなのだろう。確かめるのをわすれた。

 表参道(千早本道)を登り始めた。階段状に整備されたりっぱな道だ。しばらくいくと、千早城跡という案内が右にでている分岐に出合った。行ってみたがらしくない。見晴しのいいところにコンクリートの休憩場のようなものがあるのみだ。本当に千早城あとであるという確認はできなかった。引き返してまた参道にでて進んだ。

 単調な参道を更に進むと少しずつ雪かつもりはじめた。気温が低いせいで凍っている。結構急な登りが続く。足元に大分雪も積もってきた。ふと見ると上の方の木々が真っ白だ。樹氷だ、きれいなあと思って見渡していると、不思議なことに結構沢山の人が道沿いに木のほうをむいて手を差し出して並んでいる。何やってんだこの人たちは……。手をみるとピーナツが2-3粒乗っかっている。野鳥に餌をやろうとしているのだと納得するまでそう時間がかからなかった。よく見ると木の間に餌台がおいてあり、私のすぐそばにも野鳩が警戒もせずきていた。

 登りきるとそこはかなり広く、家族連れでごったがえしている。雪合戦をしたり、スノーボードを引っ張ってもらっていたり、鍋をかこんで宴会をしていたり……だ。周りには登山回数別に名前をはめ込んだ大きな看板が立っている。五千回以上の人もいた。毎日休まず登っても約十五年。私には考えられない。そこには転法輪寺という立派な寺と少し行くと葛城神社がある。愛宕山に似ていると思ったが、スケールは何倍も大きい。葛城神社からロープーウェイに行く道を少し行くと、葛城岳へ行く道がある。頂上は一等三角点になっているが、大きな鉄塔やアンテナがありげんなりだ。あまり人はこないようで、中年の男性が一人だけ昼食をとっていた。

 下山道は、セト峠をへて黒栂谷道を下った。表参道と違い山道らしい道だ。ここは私有地らしく道標はないが、セト峠のベンチにマジックで書いた落書きのようなような道しるべがあった。

 帰りはおきまりの温泉。河内長野の駅ちかくの府営河内長野温泉によった。綺麗な温泉だったが入浴料金は七百円と高かった。

                              2000.1.25

野猿の岩場・アイスクライミング

【山行名】 野猿の岩場アイスクライミング

【期 日】 2000年2月4日E〜6日@

【天 候】 5日 晴れ 6日 雪   

【目 的】 アイスクライミングの技術習得

【メンバー】 C.L./ko・N・kaku・kasa・nita・iku

【日 程/ルート】

5日/A沢40mの滝

6日/C沢

【概算費用】 約5500円

【装備計画】 【個人装備】登攀具・寝具・行動食・着替え・テント・コッヘル・ガスヘッド/ボンベ・お風呂セット・ヘッドランプ他

【食 料】

13日夕食 親子丼/豚汁

14日朝食 雑炊/味醂干し/漬け物/味噌汁

  夕食 チンジャオロース/野菜スープ

15日朝食 餅入りラーメン

【感想】

 昨年の御在所でのアイスクライミングの講習は、暖冬で氷が張らず流れてしまい、お預けをくったまま一年が過ぎてしまった。生来の好奇心旺盛な私は密かにチャンスが到来するのをまっていた。この一年で私は40代から50代に老け込み、このままでは氷にふれずに命尽き果てるのではという焦りが出始めていた。

 そんな矢先、やっと野猿の岩場というところで講習会をしていただけるということで、早速参加させていただいた。若い世代のなかに混じってのことで、多少のためらいもあったが、はやる気持ちを押さえることはもはや出来なかった。これで冥土の土産にもなる。昨年からお借りしkoyaさんのバイルも、これでやっとの出番に喜んだことだろう。

 講習は、基礎からみっちりと親切に教えて頂いた。まずは、足のみでアイゼンを直角に打ち込んで登る。次に、右手のみバイルをもって登る。次は左手にももって両手のバイルと足を使って登る。その次は右手のバイルを決めたら、その手に体重を移動して足をバランスのいい位置に移動して立ち上がり、左手のバイルにバランスを移すと体重を今度は左手に移動し立ち上がる。このバランスでの体重移動を使うと腕の力がいらなくなり楽に登れるようになった。フリークライミングと一緒で力でバリバリ登っていては疲れるだけだというのが分かった。どちらも、バランスが大切だ。そして、スクリューの使い方。トップロープでスクリューを差し込む。次はフリークリップでリード。そして自分でスクリューを差し込んでの完全なリード、とカリキュラムは進んだ。後は時間一杯まで、バリバリ登った。

 最初は、バイルの打ち込みが決まらずコツがわかるまで手こずったが、何とか刺さるようになるとけっこうしっかり決まり安心して登れる。がっしりと手と足が決まれば安定して登ることが出来、不安はない。バイルを打ち込むと、カチワリ氷を作っているように氷が割れて落ちる。下にいるとあぶない。岩登りの落石どころではない。バンバン落ちてくる。登ってる方はバンバン落としてガンガン登るとけっこう楽しいが、下でビレイしている人は迷惑なことだ。

 初日のA沢の40メートルの滝では、その日一日遊べた。次の日はC沢のF1にすでに他のパーティーが取り付いていたので、私たちはその上のF3(?)にザイルを2本張って始めた。雪がチラチラと舞い始めた。何度も飽きずに登った。そこへ「京都山の会」の人たちが5ー6人やってきた。ひとしきり話し込んで、行ってしまった。もう帰る時間近くになって下が空いたので移った。F2になるのかそこはやや垂壁に近かった。そして、最後にF1を登ったが、ここは途中にハング気味のところがあり、バイルを打ち込んでも体重を掛けるとぬける。そこで断念して降りてきた。時間もせまっていたので、もう一度チャレンジしたかったがあきらめる。腕もかなり疲れていた。

 しかし、目一杯遊んだ楽しかった二日間もあっという間に終わってしまった。帰る頃には、雪がしっかり積もっていた。なのに寒さも疲れも余り感じなかったのは、それほど充実していたからだろう。

 食事は外食になった。そこで食べたロー麺は美味しいか、不味いかがあとでメール上で話題となった。確かに、とても美味しいとは言いにくいが、食べられないこともない。しかし次の日食べた「きらく」のソースカツ丼は確かに美味しかった。

 最後になりましたが、貴重な時間をさいて講習をしてくださったko講師にお礼申し上げます。ありがとうございました。

                               2000.2.21

冬期八ヶ岳・ジョウゴ沢・アイスクライミング

【山行名】 冬期八ヶ岳・ジョウゴ沢・アイスクライミング

【期 日】 2000年2月13日@〜15日B

【天 候】 14日 晴 /15日 雪

【目 的】 氷と遊ぶ

【メンバー】 C.L.M・iku・mizu

【日 程/ルート】

2/13@ 京都駅(7:00)→恵那(10:45)→諏訪(11:30)→茅野駅(12:00)→勝美案で昼食(トン定¥1300)(13:00)→(14:30)美濃戸(15:15)→(16:05)休憩(16:15)→(16:50)休憩(17:00)→(17:30)赤岳鉱泉/夕食(19:30)/就寝(23:00)

2/14A (5:30)起床/(8:00)出発→(9:00)ジョウゴ沢F1/講習→昼食(12:00)→(13:00)ジョウゴ沢F2→(14:30)大滝(15:50)→赤岳鉱泉(17:30)→就寝(21:00)

2/15B (5:00)起床/出発(8:10)→(8:40)休憩(8:50)→(9:15)美濃戸(9:40)→美濃戸口(10:00)→(10:15)樅の湯¥500(11:30)→(12:30)茅野の小海さん(創作工芸みずえ)で豪勢な昼食→茅野地酒ダイヤ酒造の酒倉見学→茅野駅(14:00)→(15:30)恵那(16:30)→(19:;00)京都/夕食(20:30)→自宅

【食料計画】

13日夕食 親子丼/豚汁

14日朝食 雑炊/味醂干し/漬け物/味噌汁

  夕食 チンジャオロース/野菜スープ

15日朝食 餅入りラーメン

【装備計画】

(共同)エスパースマキシム一式/テントマット2/ガスヘッド2/カートリッジ大2小3/ランタン1/ツェルト1/ラジオ1/シーバー1/カメラ/スコップ1/ペグ9/コッヘル/ベニア3/ローペ/医薬品/修理セット/ビニール袋大2

(共同登攀具)ザイル10.5×2本/ハーケン/ザイル0.8×2

(個人登攀具)ハーネス/カラビナ5/シュリンゲ1-2/ヌンチャク5/ATC/エイト環/ピッケル/バイル/ヘルメット/アイゼン

(個人)・寝具・行動食・着替え・コッヘル・お風呂セット・ヘッドランプ・ポリタン他

 

【概念図】

【感想】

 今回の八ヶ岳は、Mさんが出身高校山岳部OB(以下OB)にアイスクライミング講習を行うお手伝いということで参加させていただいた。私でお役にたつのかということが心配だった。野猿の岩場でアイスクライミングの味をしめた私は、せっかくだからジョウゴ沢を登ってみたいという下心もあった。厚かましくも、今の私のクライミングのパートナーである娘もつれて行ってもいいかとおそるおそる尋ねたところ快く承諾していただいた。

 クライミングにはまっている娘は、雪山どころか夏のアルプスも行ったことがなく、アイゼンをつけて歩くのは初めてという問題児だ。それでも、受け入れて下さった心広いMさんに感謝し、多少の不安を抱きつつも「何とかなるさ」と軽い気持ちで参加させていただいた。

 13日は朝7時京都出発。山科で今ではナイスミドルにおなりになっているOBの方々と合流し、2台の車で出発。こちらの3名と併せて、9名での山行である。私たち3人はテント泊だったが、OBの方々は赤岳鉱泉小屋に宿泊された。講習のとき以外は別行動となった。

 美濃戸口あたりはかなりの雪になっていた。そこから美濃戸まで車で入ったが、ちょうど連休明けの帰りの車と鉢合わせして何度かすれ違うのに苦労した。そんなこんなで結構思ったより時間がかかったようで、美濃戸出発は午後3時を過ぎていた。連休の最終日ということもあり、帰りの人はいたがやはり登る人はほとんどいない。テン場についたときはもう薄暗くなっていた。早速、テン場の地ならしをしてテント設営。冬場のテント設営は大変だ。Mさんの重労働のおかげで快適なテント生活となった。

 14日は朝からジョウゴ沢に向かった。F1での講習である。連休明けでさすがに人は少ない。1パーティーが取り付いていたがそのまま上に行ったため貸し切りとなった。しかし氷は連休の名残りで荒らされていて、ボコボコになっていて見るも無惨だ。ザイルを2本張って、替わるがわる登る。みんなけっこう旨く登る。年齢はMさんと同じ人から六十八歳までだ。みんな楽しそうに無邪気に遊んでいる。最高齢の方が一番体力があるということだ。おじいさんという感じは全くしない、皆様個性豊かな方たちだ。私たちもビレーの旁、一緒に登らせてもらった。

 昼までMさんの講習は続き、昼食のあとOBの方々は硫黄岳に登ることになった。私たちは、ジョウゴ沢を行けるところまでということで詰めることになった。F2もかなりの荒れようである。向かって右の方は滝の流れが透き通って見え、ちょっとバイルで穴を開けてもすぐに水が吹き出しそうである。左の方からMさんのトップ、次に私たちが続いた。

 その後、雪の中の沢を詰める。さすがにもう人はいない。しばらく行くと、F3が薄い水色で現れた。ここはザイルなしで登る。そして、ゴルジュがまた美しい水色の姿を見せる。ゴルジュの終わりが本谷と右ルンゼに分岐している。私たちは本谷の方に取り大滝の前に出た。右ルンぜの滝は25mということで、かぶり気味でかなり迫力がある。最初見たときここを行くのならどうしょう、と私とmizuは同時に思っていたことが家に帰ってからわかった。ここじゃないことが分かって二人とも内心ホッとしていたのだ。Mさんも「koさんが見たら喜ぶだろうなあ」とおっしゃっていた。

 大滝は名前のとおり、横に大きな氷柱状の滝だ。やはり、まん中を登ると思った私はここもまた大変だなあ、と思った。そうしたら、向かって右端の方にルートがあった。少しは安心したものの、今までで一番難しそうだ。ここで、どうしようかとMさんに言われ、折角来たのだから登ってみたいと言ったので、Mさんがリードして登って下さった。しかし支点が悪かったらしく、(私たちがテンションを掛けたら危ないので)ボルトを打って下さっていたようでかなり時間を取ってしまった。帰える時間も必要なので、折角だったが私たちは断念して次の機会に登ることにして、戻ることになった。私が登りたいと言ったためMさんには申し訳ないことをしてしまった。少し残念な気持ちもしたが、ここまでこれたことで充分満足していた。また、ここからの眺めが素晴らしい。

 ザイルをかたずけ、もと来たところを下る。下りは登りより緊張する。Mさんは、アイゼンを付けたのが初めてのmizuに、歩き方から何から何まで親切に教えて下さった。お陰さまで、初めてにしては何もかもすんなり受け入れ、怖がりもせず楽しんでいたようだ。特に、F2の巻き道は大変だったようだったが、Mさんの付きっきりのアドバイスで無事おりられた。家に帰ってからは、すっかりMさんのフアンになってしまっていた。またアイスクライミングに行きたいといっている。

 その日の夜は、食事のあと赤岳鉱泉の小屋でOBの方にビールをごちそうになった。炬燵とストーブで暖かな部屋を羨ましいなあ、とチョッピリ思ってしまった。寒い中、冷えたテントに戻った。シュラフに潜り込んだらすぐに寝息が聞こえていたらしい。満足で満たされた眠りにおちいっていたようだ。夜半、雪と風がテントを襲い賑やかだったようだが、私は時々音に目を覚まされたものの、概ね眠っていたようだ。なれないmizuは、もしかしたら雪崩じゃないかと思いなかなか寝つかれなかったらしい。

 朝、雪の降る中かじかむ手に息を吹き掛けながら、テントを撤収した。帰りは1時間ほどで下りた。車は雪の洋服をすっぽり着ていた。お決まりの温泉に入り生き返る。そのあとOBの一人の方のお知り合いのお家に立ち寄り、豪勢な御馳走を戴いた(新鮮な馬刺し/天ぷら/手討ちそば/地酒のダイヤ菊辛口とビール)。お酒があまりに美味しいので、お土産に買おうということになり、ついでに酒倉見学をさせてもらった。

 充分に満足感を味わった私たちは、睡魔と戦いながら(特にMさんは)京都に向かった。名神で関ヶ原の辺りで、かなりの雪になり停滞に巻き込まれたが、大した遅れにもならず京都に帰れた。京都は雪のかけらもなかった。

 ジョウゴ沢のクライミングと今年初めての冬山だった八ヶ岳。とてもいい経験を楽しくさせていただきました。             

                             2000.2.23/iku

 

 今回の山行は参加させてもらえることが急に決まったために、心の準備をする間もなく、初めてのテント泊での本格的な冬山、しかもアイスクライミング(!!)を体験することができました。寒さやザックの重さよりも、初めて見た真っ白な八ヶ岳と透き通るような水色をした氷の光景はとても綺麗で印象的でした。アイスクライミングもみなさんと一緒に楽しくすることができましたが、もう少しでコツをつかめそうなところで帰る日となってしまったのが少し残念でした。いつかもう一度、ジョウゴ沢を最後まで登りたいなと思いました。素敵な体験をする機会を与えて下さったMさんそしてOBの方々、本当にありがとうございました。美味しいお酒まで堪能でき、とっても楽しかったです。(mizu)

雪彦地蔵岳東稜及びハイキング

【山行名】雪彦地蔵岳東稜及びハイキング

【日程】2000年6月24日F〜25日@

【天候】24日曇のち晴れ/25日曇のち雨・霧

【メンバー】 iku・mizu 

【日程】

6/24F出発6:30→吹田JC7:10→福崎北IC→東屋9:10〜9:25→地蔵岳東稜取り付き10:00〜出発10:20→地蔵岳頂上修了12:00〜12:40(昼食)→東屋13:30〜13:45→雪彦温泉14:00〜14:50→キャンプ場15:15→夕食準備15:45→夕食16:20〜17:00→就寝19:40

6/25@起床5:15→朝食5:30〜6:25→出発7:20→行者堂跡7:40〜7:50(休)→ダミーの岩8:05→出雲岩8:15〜8:25(休)→大天井岳8:50〜9:00(休)雪彦山三角点9:40→鉾立山10:00〜10:25(昼食)→キャンプ場着12;00/発12:20→雪彦温泉12:35〜13:20→福崎北IC14:00→吹田JC→帰宅16:00

【概念・ルート図】

【集合場所】自宅

【個人装備】【個人装備】登攀具一式・食料・非常食・ツェルト・テント一式・寝具一式・食器一式

・ヘッドランプ・温泉セット他必要な物

【食料】

24日/昼・行動食:夜・酢豚・卵ワカメスープ・漬け物・アルファく米:デザート・フルーツゼリー

25日/朝・野菜、ベーコン入りラーメン:昼・行動食

【感想】

 うっとうしい空模様が続いている。その憂鬱を払拭したいかのように、雨の中でもホシダに通い詰めている私は、もはや変人の域に入っているのかも知れない、などと思う事もある。

 ここのところ、週末の天気予報は雨ばかりで計画を立てにくい。夫はこの週末は九州に出張で留守。「○○のいぬ間に洗濯」てなわけで、女二人の岩登りを企んでみた。 

 「雪彦の地蔵岳東稜」は昨年の同じ頃にも行っている。その時の簡単で快適だった記憶があり、また取り付きやルートも分かってるので、私たちの力でも余裕を持っていけるだろうと判断した。

 ただ最大の問題点は、私の運転だ。免許を取得して一年、やっと若葉マークが取れたばかりだ。まだ自分だけの運転で高速を使っての山行は初めてだ。不安はつのるばかりだ。このような条件で、ますます引く気持ちも大きくなってきた。しかし誰でも最初はあるものだ。あとは当日の天気に賭けよう、という気持ちになったにも拘わらず、新聞の週間天気予報を見ると週末は雨で気持ちは萎えるばかりである。

 前日まで、天気予報は芳しく無く「行くか行くまいか…」とハムレットなみに迷う。取り敢えず用意だけはして寝た。目覚ましを4時に合せておいたが全く目覚めず、気がついたら5時だった。眠い目を擦りながら、空を見上げると雨は降っていない。「これは神様が与えてくれた試練だ、行かねばならない」という気持ちがしてきた(少々大層であるが)。

 というような訳で、私たちは6時半ごろ一路雪彦に向かって出発した。中国自動車道には吹田JCから入る。やはり今回の山行の一番の核心はここだった。近畿自動車道に入ったとたん、6車線もあり、その車線によって入る道路が違ってくる、右や左とルートに迷い、やっと本来の中国自動車道のルートを取れ、ホッとしたのも束の間、今度は本線に入るのに緊張し、気がついたときには、他の車の流れに溶け込んでいて、やっと一段落した。あとは快適なドライブで、9時過ぎに東屋に到着した。すぐ後ろから車が3台ほどついてきていて、同じように東屋で停車し、若い男女10人程車から下り、準備にかかっていた。聞くと同じ東稜らしい。早速私たちは準備をして取り付き目指して出発した。出合いから取り付きに向かって登り始めた。不行沢の右の方にしっかりしたふみ跡があり、昨年はそこから行ったのだが、今回はチョックストーンにストレートに出ようと目論見、左を沢伝いに登り始めた。しかしこれは、大失敗だった。ズルズルの斜面をすべりながら登ることになってしまい、無駄な労力を使ってしまった。お陰で、取り付きに着いた時には先程会ったグループの3人に先を越されてしまっていた。残りのメンバーは私たちの後に続いて登ってきた。

 このパーティーは、はりま山岳会の人たちだった。リーダーは40歳前後だったが、残りは20歳前半の男女だった。最初リーダーらしい人と女性2人が取り付いた。私たちは、用意をして少し待っていて、2番手で行かせてもらった。全員待っていたらかなり待つなぁとおもっていたので遠慮なくいかせてもらった。1p目は私がリードし、2p目は交代と。すべてつるべでいった。ザイルは10.5@1本。出だしからホールドだらけで簡単だった。3p目はチムニーの下までで、前のパーティは3人で時間がかかり、私たちが待っている状態が続くので、4p目のチムニーでは先に行かせてもらった。ここは核心の「級だったが入り込まないで外のホールドを捜せば簡単にいける。5p目はコンティニュアス、そして6p目は馬の背を遭難碑を右に見ながら行くピッチである。その6p目を登り切ったところの木でピッチをきろうとしたところ、目の前を蛇が動いている。私は蛇が大の苦手で、刺激を与えないようにじっと息を詰めてただひたすらどいてくれるのをまっていた。 蛇のしっぽが消えてからも、それでも用心のためしばらく待ってやっと木にセルフを取り、ホッとした。下ではなかなか「ビレー解除!」の声が聞こえないのでどうしたことかと思っていたらしい。6p目も難なく終え、取り付きから1時間40分で地蔵岳の頂上に到着。ここで、昼食をとっていたら、私のシャツの腰のあたりが血に染まっている。ケガをした覚えもないのでおかしいなと思いシャツをめくってみると、まるまると太った蛭がポトリと落ちた。傷口からは血が滴り落ちている。おそろしい。おまけに、小さな虫が顔の周りにいっぱいとんでいて、目や口、鼻の穴にかまわず入り自殺行為をくりかえす。私たちはうんざりして早々に下りることにした。下山途中の展望岩から見えた正面壁には誰も取り付いてはいなかった。

 東屋に帰るとまだ日は長い。蒸し暑い一日だった。吹き出す汗で気持ちが悪いので、雪彦温泉に向かった。そのあとは、有料のキャンプ場に行った。ここには昨年もいた軽トラのおばさんが、お客さんだと言うこともあってか、昨年に比べると随分愛想よく話し掛けてきた。テントと駐車料金が1000円と1人600円で2200円だった。夕食を終えた頃から雨が降り出した。

 次の日起きたときは、雨は止んでいた。せっかくだから予定通り雪彦山巡りをしようということになり、7時半ごろ出発した。しばらく急登が続き、汗が吹き出す。

 行者堂跡を20分ほど登ると、出雲岩という大きなハングっている岩があった。見るとボルトと終了点がある。フリーで登るとしたらかなり難しそうだなとその時思っていた。帰って調べてみたら、人工の練習場として載っていた。下の岩のくぼみに祠があり、小さな観音像のような石仏が祭ってあった。しかし、その周りが、落書きだらけなのは興醒めだ。その出雲岩の脇から鎖がついていて岩の上に出る。眺めがいいらしいが、視界は全くない。雨が降ってきた。そこからは、やっと一人通れるくらいの背割岩がある。本当に肥満の人だとちょっと無理かなというくらいの隙間しかあいていない(因に私は無理なく通れたが)。

 そこを過ぎると馬の背になっている岩場だ。ここも一般の人にはちょっと大変ではないかと思われた。20分ほどで大天井岳についた。ここには雪彦山というプレートが掛けられていて祠があった。ここからは今までと打って変って、樹林帯の歩きやすい登山道を40分ほどで雪彦山三角点。そして、鉾立山。この頃には雨はかなり降っていた。腹ごしらえもそこそこに、下山へと気持ちは逸る。

 しばらく、行くと谷筋に急な下山道がある。ここからは沢を何度か飛び越えて下山する。緑と水の流れのコンビネーションが美しい。飛び越えているうちに次第に靴の中に水が入り、あきらめて沢に入る。虹の滝の少し手前に素晴らしいナメ滝が何段も続いていて、それに見とれていて滑って尻餅をついてしまった。あとは、東稜への取り付きに行く時に曲がった出合いを通り下山した。

 このコースは、ハイキングコースとしたら変化に富み面白い。アスレチック感覚だ。雨と蛭の恐怖がなければ最高だったことだろう。この日も、私の美味しい添加物のない血を狙って蛭は手にしがみついていた。幸い気がついたのが早くて、払い落とせたので餌食にはならなかった。しかし、どうして若い娘より私を狙うのか、疑問だった。

 あとは、また雪彦温泉にゆっくりつかり、帰路についた。高速道路では、スコールのような雨に遇い緊張した。無事に着いた時は、ホッとした。昨年の雪彦よりはさらに易しく感じ、この一年でかなり成長できたのを実感した。今回の山行では、何かにつけて少し自信がもてた。

それは、この1年半真面目にホシダに通い詰めた成果でもあると思う。

 そして、これからも女二人の岩登り実践を少しずつやっていきたい。     

                            2000.6.27/iku

 

白山・お池とお花めぐり

【山行名】 白山・お池とお花めぐり

【期 日】 2000年7月30日@〜8月1日B

【天 候】 31日/風雨  1日/雨

【目 的】 出来るだけ花をたくさん見つけ、名前を憶える

【メンバー】 iku・N・mizu

【日 程/ルート】

7/30@ 早朝出発7:00→Nさんをひらう7:30→京都南IC7:50→福井北IC10:00→昼食(ログレスト、ポコ・ア・ポコ)10:50〜11:50→市ノ瀬12:40バス13:13→別当出合13:25〜13:40→中飯場14:30〜14:45→甚之助避難小屋16:10〜16:40→南竜ケ馬場17:45着/夕食19:00〜20:00/就寝20:45泊

8/31A 起床5:30→出発お花畑コースエコーライン7:45→室堂9:30〜10:10→御前峰10:45→室堂10:00〜11:20→お池巡り/千蛇ケ池12:50→大汝峰登り口13:00大汝峰頂上13:15〜13:20→分岐13:30→大汝峰登り口13:50→室堂14:25〜14:50→お花畑コースエコーライン→南竜ケ馬場15:50/夕食16:40〜17:50→就寝18:30

8/1B 起床4:00→出発6:00→甚之助避難小屋6:50〜7:15→別当覗き7:40〜8:00→中飯場8:30〜8:45→別当出合9:10→(トラックに乗せてもらう)市ノ瀬9:309:50→白峰温泉(永井温泉)10:30〜11:10→昼食(ログレスト、ポコ・ア・ポコ)11:40〜13:10→栗東16:00→秋田宅→帰宅20:00

【概算費用】一人 10,600  円

【食料計画】

朝 食

夕 食

31日

すき焼き・α米

1日

五目ご飯/みりん干し/きんぴら/味噌汁

カレー/海草サラダ/野菜スープ

2日

モチ野菜入りラーメン

紅茶/お汁粉/りんご/グレープフルーツ/お茶/コーヒ  

【装備計画】

【個人装備】

下着

ナイフ

行動食(2-3)

上着

ゴミ袋大小

飲み物

ズボン

新聞

レスキューセット

靴下(2)

ローぺ

筆記用具

帽子

ポリタン

お金

フリース

コンパス/地図

健康保険証の写し

レインウエア

ヘッドランプ

温泉セット

シュラフ

ザック

洗面用具

シュラフカバー

ザックカバー

ガムテープ

個人マット

スパッツ

日焼け予防クリーム

ライター

軍手

【個人装備】

テント一式

コッヘル中2

カメラ

テントマット

医薬品

食料 夜朝各2

ツェルト

ローぺ

お茶セット

ガスボンベ小3

ランタン

ガスヘッド2

ローソク

ベニア2

携帯電話

【白山で見つけた花の名前】

ニッコウキスゲ/ミヤマキンポウゲ/コイワカガミ/ハクサンコザクラ/コバイケイソウ/シナノキンバイ/ツガザクラ/オヤマリンドウ/ミヤマシシウド/イワオトギリ/ゴゼンタチバナ/ニリンソウ/ミヤマダイコンソウ/チングルマ/アオノツガザクラ/ハクサンシャクナゲ/ハハコヨモギ/イワイチョウ/ミヤマウイキョウ/ダイモンジソウ/クロユリ/クルマユリ/キバナノコマノツメ/イワギキョウ/イワツメグサ/シモツケソウ/オタカラコウ/イブキトラノオ

【感想】

 最近の山行は岩ばかりで、この週末も最初は谷川岳の予定だった。この時期はお花が綺麗だろうなあ、とぼんやり思っていたら昨年の秋にいった白山を思い出した。あそこなら私の運転でもいけるだろうと思ったら矢もたてもたまらず、谷川岳を裏切って白山の方に気持ちが向いてしまった。

 早速雪稜のメーリングリストで流したところ、Nちゃんが参加してくれることになった。運転を替わってもらえると、内心喜んだ。これで、女ばかり三人の楽しい山行となった。

 運転のことも考えて、30日朝出発。長岡でNちゃんを乗せ賑やかに出発した。白山スカイラインに入るまで晴天だった。「これだと頂上での大パノラマとご来光は大丈夫や!」と私はうかつにも太鼓判を押してしまった。ところが、市ノ瀬に近づくにつれ雲行きが怪しくなり、市ノ瀬では、パラパラと降り出した。このあと、天気は下山するまで回復しなかった。

 12時から、別当出合いまで車の乗り入れの規制は解かれていたが、帰りは別山から「チブリ尾根」を下山する予定だったので、市ノ瀬の駐車場に車を入れ、貸し切り状態のバスに飛び乗った。別当出合いは下山してきた人で賑わっていた。

 砂防新道から小雨の中、下山する人をよけながら登り始めた。途中からは、雨あしも少し強くなり南竜山荘に着いた頃は、かなり降っていた。テン場の受付をすると「ここんとこ、こんな天気が続いている。風が強かったら炊事場に避難して下さい」といわれた。テン場は、かなり風が強かった。夜中にテントの撤収ということになってもたいへんだろうと思い、最初から炊事場にテントを張らせてもらうことにした。その時は、外には3張りほどのテントが張ってあり、炊事場は私達のテントだけだったので、少し躊躇した。だが、その日の夜中に2張り増え、つぎの日は6張りになり、満員御礼となった。外には、テントはなかった。私達が呼び水となったようだ。

 今回は、食事にはかなり贅沢をした。外のベンチとテーブルでの団らんを夢見ていたが、結局は最後までテントの中での食事となった。初日の夜はすき焼きだ。肉と野菜に卵までつけ、おいしかった。

 つぎの日の朝、空を見ると雲が流れ、わずかに青空が見えた。今日は晴れると嬉しくなった。しかし、出発してお花畑コース(エコーライン)の中ごろを過ぎたころまた降り出しガックリ。風も出始めて、登るにつれてかなり強くなってきた。しかし、花はたくさんあった。今回の山行の目的に掲げていたこともあり、名前を確認しながらワイワイ楽しく登った。名前が分かっただけでも28種あった。

 出合いから、室堂への登りの左には水屋尻雪渓がみごとだった。室堂の休憩室で、少し休んで、御前峰に向かった。登り出したところで両脇に黒百合の群生がみごとだった。今まで、1-2輪見つけては大騒ぎしていたのに、こんなにもたくさんの黒百合を見たのは初めてで感激した。来て良かったと思えた。

 頂上に近付くにつれて風がかなり強く体が浮くほどだ。頂上では息も出来ない程強く、そこからお池巡りは無理だと判断して早々に下りた。またまた、室堂で休憩して地図とにらめっこ。これからどうしょうかと三人で話したところ、折角来たのだからいけるところまで下からお池巡りをしよう、ということになった。

 千蛇ケ池の手前で、道は雪渓に阻まれた。かなり広い雪渓だ。踏み跡はない。右に少しくぼみがあり池だと想像がつく。その線にそって、少し歩いてみたところ問題なくいけたのでそのまま渡り切ってしまった。そこには、千蛇ケ池の看板が出ていた。そこがどこにいるのか、やっと理解した。二人に来るようにいい、そのまま大汝峰までいくことにした。千蛇ケ池の伝説の、千匹の蛇が雪に封じ込められているという看板を読み、娘二人は大騒ぎだ。しかし、昨年の秋にいった時は、確か万年雪は解けていたはずなのに、御宝庫が崩れた様子もない。開山の師、泰澄もええかげんやなあー。

 大汝峰は、手前が岩場で反対側が這松というかわった山だ。手前のガレ場から登った。稜線に出ると、やはり風が強く緊張した。頂上には、石塀にかこまれてけっこう立派な祠がある。天気も悪いのですぐに下りる。登ってきたガレ場は、降りるには危ないので、反対から降りて回ることにした。そこはなだらかないい道だ。降りて、七倉山への分岐にでる。そこには、見事なお花畑の谷筋があった。コイワカガミやアオノツガザクラなどの小さな可愛いい花で谷一面埋め尽くされている。三人とも、しばらくその場に佇んでしまった。本当に足をのばしてよかった。

 かわいいお花に別れを惜しんで、分岐を室堂に向かった。大汝峰の登り口まで、思ったよりかかった。途中でまた雪渓に阻まれた。少し上に登り雪渓を越え、降りると登山道に出た。残置しておいたザックが待っていた。室堂へと引き返した。途中も雪渓がかなり残っていた。雨も止まない。室堂で3回めの休憩をとった。休憩所はかなりすいていた。この天気でもかなり行動できたことや、お花畑や雪渓、そして千蛇ケ池の伝説に三人とも満足感でいっぱいになり、南竜に帰る足取りも軽かった。

 テン場の炊事場を開けると、テントで満員になっていてびっくりした。この雨で、みんな避難していた。早速、夕食の準備にとりかかった。みんなかなりの食欲だ。食事をしながら、明日も雨だと視界もないので、別山はやめて下山しょうといったところ、Nちゃんもこの日でかなり満足そたようで承諾してくれた。しかし、もしも晴れたらということで、明日の油坂の頭からのご来光を楽しみにして早く寝ようということになり、7時にはシュラフに潜り込んだ。私はすぐに寝たらしいが、Nちゃんは寝られなかったらしい。

 つぎの最終日の朝、3時に起きだして空を見たが雨だった。テントに戻りもう少し寝ようということになったが、なかなか寝付かれず、もう起きようということになった。テントを撤収しているときも雨は降り続け、やっと別山はあきらめがついた。来た道を何度も振り返りながら「下る時は、寂しいね」などといいながら、雨のなかをおり始めた。中ごろで、虹が迎えてくれた。それもちゃんと架け橋になった大きな虹がフィナーレを飾ってくれ感激した。

 帰りの、道のりは早く感じる。別当出合についてバスの時間を見に行くと、市ノ瀬間のバスが走っていない。歩いたら、6キロの道のりだ。一台とまっているバスは金沢行きで、それも出発まで3時間も待つという。どうしようと、悲嘆ににくれているところに、後ろにクレーンのついた大型トラックが下りてきた。思わず手を挙げていた。運転手はいい人で、市ノ瀬まで乗せてくれた。初めて乗ったトラックの助手席は、見晴しもよく快適だった。なによりも助かった。

 白山温泉は今回さけて、白峰温泉にしようということになり早速向かった。ところが、町営の温泉浴場は定休日だった。しかたなく、白山温泉の永井旅館の分館だという旅館の温泉に入った。5階にあるこの温泉は、うち風呂のように狭く今一つだった。こんなことなら、白山温泉にしておけばよかった。

 さっぱりして、のんびり昼食を取っていたところ、谷川にいっていたtさんが帰っていないと娘から携帯に電話が入った。吃驚した。Tさんの携帯につながり事情がわかって少し安心した。今回私が、谷川をキャンセルして白山にしたのも、ムシの知らせだったのか…。しかし、大事に至らず、ほっとした。秋田さんのお宅によりtさんを乗せ帰路についた。

 今回の白山は、お天気には恵まれなかったが、お花の一番美しいときだったので、山行としてはかなり充実していた。また、女ばかりの山行も解放されていいもんだなあ、と思った。今回は、生ものをかなり持っていったので重くなったが、美味しい食事ができた点では重さも苦にならなかった。爽やかに心に残るいい山行だった。

                               2000.8.3/iku

比良口の深谷沢登り

【山行名】 比良口の深谷沢登り

【期 日】 2000年8月6日@

【天 候】 10日 晴れ  /11日 晴れ

【目 的】 沢登りのルートファインディング技術の向上

【メンバー】t、iku、m

【日 程/ルート】

自宅6:50→mさんピックアップ7:20〜7:30→増田宅(ザイル借りる)8:05〜8:15→坊村9:10〜9:26→入谷地10:00〜10:20→最後の滝15:00〜15:05→ワサビ峠への道の出合い15:45〜16:10→ワサビ峠16:20→御殿山16:25〜16:30→明王院17:15→駐車場17:20

【装備計画】

【個人装備】

登攀具一式・ヘッドランプ、レインウエアー、他必要な物

共同装備:30mザイル×1、ツェルト×1、ガスヘッド×1、カートリッジ×1

食料:行動食×1、非常食×1

【ルート図】

【感想】

 いつもながら、tさんの急な企画で比良の口ノ深谷へいった。最初は御在所の岩登りの予定だったのが、この暑さで日和ったのである。何年か前になるが、tさんは口ノ深谷で脱臼して大騒ぎをした。今回口ノ深谷を選んだのは、もう一度その場所を見ておきたかったのでしょうか。 私は、今シーズン初めての沢だったのでかなり期待していた。比良は、1998年に奥ノ深谷はhashiさん・I夫妻・tさんと行っただけでこれで2度めだ。駐車場は坊村から、少し入ったところにありすでに5-6台車がとまっていて、テントも1張り張られていた。そこから30分ほど歩くと入谷場所につく。入谷場所は奥ノ深谷とほぼ同じところにあり、シラクラの壁を左に見て橋を渡ったところの左手に広場がある。そこの奥から谷に入る。奥ノ深谷はもう少し行ったところで、口ノ深谷の右手に位置している。

 ここには、10人ほどの人がいた。しばらくいくと最初の10メートルほどの滝に出くわした。私は右手からさきに巻いてしまったが、tさんとmさんは直登した。もうひと組4-5人のパーティーも直登組だ。さっさと巻いてしまった私は、滝の上で待っていたがなかなかこないので、滝の落ち口までいって覗いてみた。すると、先発のパーティーがリードしていて立ち往生していた。そのあとに、tさんとmさんがザイルなしで続いている。しばらく待ったがその人は抜けられそうに思えないので、上にあったボルトにシュリンゲを通してためらいながらたらした。

 大小さまざまな滝を越えているうちに、例のtさんの脱臼したという滝にであった。tさんはよく憶えていた。左に残置シュリンゲがありそこから登った。本人もどうしてこんな簡単なところで…、と不思議がっていた。最後の、15メートルの滝には、先着が取り付いていたので、下で眺めて待った。ここも左から登るのだが見た目より簡単だった。そこからしばらく歩くと、ワサビ峠への登山道と交差している。そこには先ほどの先着隊がすでに休んでいた。私達も紅茶を沸かして休憩した。

 時間は結構かかった。奥ノ深谷に比べても随分長く、滝も多かったように思えた。後はワサビ峠経由で御殿山まで登ったが、暑くて辛かった。御殿山の頂上はアブのような虫がたくさん飛んでいて、暑さと不快感に耐えられずそうそうに下山した。あとは下る一方で45分。駐車場についたときにはぐったり疲れていた。

 「真夏の沢は快適」、というはずだったが、低山のせいか暑さは水に入っている時のみ逃れることができるというだけで、おおかたは汗びっしょりの山行だった。そして、思ったより長く、最初のころは楽しく溯行していたが、だんだん代わり映えしない風景に飽きてきた。水中に入ると水も濁り、全体に暗い狭い沢というイメージだった。

 一度は行っておいても、とは思うが2度3度いきたいと思う沢ではない。やはり私は沢より岩の方が向いているのかも知れない。「沢にいくなら綺麗と簡単!」そんな沢が近くにないでしょうか?

誰か、教えて下さい。

                          2000.8.22

穂高岩稜漫歩(西穂〜奥穂)+クライミング(前穂北尾根)

   

【山行名】 穂高岩稜漫歩+クライミング

【日 程】2000年8月10日D〜8月13日F

【天候】 17日曇/18日雨/19日晴れ

【目 的】 最後の大物縦走

【メンバー】 t/iku 

 

【日程、ルート】

8/10D 晴れのち雨    早朝出発6:35→荘川10:55(高速¥5200)→昼食/いろりのある食事処「きはち」12:45〜13:00→新穂高駐車場14:10〜14:35→にしほだかぐち駅(2155M)15:22→休憩10分→西穂高山荘(2452M)テン場16:30/就寝19:00

8/11E 霧のち晴れ    起床3:20西穂高山荘(2452M)出発5:10→独標(2640M)6:10〜6:30→西穂高岳(2908M)7:50〜8:10→休憩10分→間ノ岳(2909M)9:45→コル10:20→天狗岳(昼食)10:50〜11:20→天狗のコル11:45〜12:10→ジャンダルムの手前で休憩13:20〜13:30→ジャンダルム頂上(3160M)(t前の休憩地点にカメラを忘れ戻る)13:45〜12:10→奥穂(3190M)15:20〜15:40→奥穂山荘16:10就寝19:00

8/12F 晴れのち霧     起床4:30→出発6:45→涸沢(ハーネス・アイゼン装着)8:00〜8:30→」・、峰のコル9:50〜10:10→」峰頂上10:45→「・」のコル11:00→「峰頂上11:45→。・「のコル(停滞)11:50〜12:35→。峰頂上14:10→14:20→峰頂上14:20→前穂高(3090M)14:45〜15:15→紀美子平15:35→吊尾根最低のコル15:55→休憩10分→奥穂17:05→奥穂山荘17:30就寝7:30

8/13@ 霧のち雨のち晴れ     起床4:30→奥穂山荘6:45→樹林隊に入って休憩10分→大滝(2090M)休憩9:15〜9:25→白出沢出合10:40〜10:55→穂高平避難小屋11:30〜11:50→新穂高駐車場12:40〜13:00→ひがくの湯・食事13:50〜14:30→京都南21:20→帰宅22:00

【費用概算】一人  17500円

 

【概念図】

【装備】

【個人装備】

下着

ナイフ

行動食(3-4)

上着

ゴミ袋大小

飲み物

ズボン

新聞

レスキューセット

靴下(2)

ローぺ

筆記用具

帽子

お金

フリース

コンパス/地図

健康保険証の写し

レインウエア

ヘッドランプ

温泉セット

シュラフ

ザック

洗面用具

個人マット

ザックカバー

ガムテープ

ライター

軍手

日焼け予防クリーム

ハーネス

シュリンゲ

軽アイゼン

フラットソール

カラビナ

【共同装備】

テント一式

コッヘル中2

カメラ1

テントマット2

医薬品

食料 夜朝各3

ツェルト1

ローぺ

お茶セット

ガスボンベ小3

ランタン1

ポリタン5P

ガスヘッド1

ローソク1

ザイル30m×1

ベニア2

携帯電話

【食料】

朝 食

夕 食

10日

酢豚・野菜スープ・牛蒡サラダ・α米

11日

おむすび

カレーライス・サラダ・焼き鳥

12日

野菜・モチ入りうどん

モチ・野菜入りラーメン

13日

卵スープ・フランスパン・ごまジャム

紅茶/お茶/コーヒ/乾燥果物 

【感想】

 今年の夏の山行はどうしようかという話はかなり前からでていた。昨年の涸沢での合宿はずっと雨に祟られ、滝谷の一本すらも登ることができず悲惨な合宿だった。tさんはその影響もあってか、岩を離れ今年は大縦走の構想をひそかに企んでいた。因に、その計画は、室堂→雄山→竜王岳→五色ケ原→越中沢岳→薬師岳→北の俣岳→黒部五郎岳→三俣山荘→双六小屋→槍ヶ岳→南岳→北穂→奥穂→西穂までの大縦走であった。わたしはこの計画を見ただけで正直いって疲れてしまい、気乗りしない日々を過ごしていた。

 雲ノ平あたりは綺麗だろうなぁー、とぼんやりと思っていたが、だからといってここに是非行きたいというところも出てこない。また毎週毎週の連続山行に手がいっぱいで、考えるゆとりもない。そんなこんなで、予定の日の一週間前にせまってしまった。

 迷った挙げ句、前からtさんが行きたがっていた穂高最後の縦走「西穂から奥穂」が出てきた。それに、もうひとつ行きそびれていた、前穂北尾根をくっつけることにして、ゴリ押しに決定した。

 10日早朝にひっそりとしたマンションを出発。快晴。一宮から東海北陸自動車道に入った。地図では白鳥までしか書いていなかったが、荘川まで開通していた。もうすぐ、清見まで開通するらしい。そうすると高山までの時間がかなり短縮されると思う。

 けっこうゆとりをもって出発したのだが、昼食をすませて新穂高についたのは2時をまわっていた。平日のせいか、無料駐車場は空きがあり、ロープウエーも臨時が出ていたものの待たずに乗れた。ロープウエーの終点、にしほだかぐちから西穂高山荘までは1時間ほどの道のりだが、暑さには閉口した。あれほど天気がよかったのに、西穂高山荘に着いた時にはガスが出てきた。すぐにテント設営をし、外で食事をしていたら雨が降り出した。雨はたいしたこともなく通り雨のようだった。明日の行程を考えて、7時眠りについた。

 11日は長い行程を考えて、3時20分と早めに起きる。視界がないので天気はよくわからないが、晴れることを願いつつ5時10分出発。ガスのせいかまだ薄暗い。西穂から奥穂までは岩稜のアップ・ダウンの連続で、しかも700メートルの高度差の登りの縦走である。1時間程で独標についたが、まだガスで視界が無い。時々雲の切れ目から、青空が覗き希望がもてる。ここで、縦走をあきらめて明日に希望を託して帰った人もいた。カメラを向けて、ガスの晴れるのをじっと待っている人もいた。その人は、前日も来ていたらしい。話し込んでいると、オコジョが可愛い姿を現した。初めて実物を見たが予想以上に小さかった。掌に乗るくらいの大きさで、すばしっこく岩の間を見えかくれしてはいってしまった。 私達は20分程休んで、西穂に向かった。西穂では雲の切れ目から、笠ガ岳が見えかくれしだし青空が広がってきた。この日は、一日中こんな天気だった。西穂のガレ場を下ると長いクサリ場である。ホールドはがっしりとしていてクサリに頼る必要はない。ペンキの印もしっかりとついている。

 うわさどおり、間ノ岳の登りと下りは浮き石が多い。うっかり乗るとあぶない。慎重に降りると間ノ沢のコルだ。ここで天狗のコルと勘違いしてしまった。次の天狗岩への登りは、逆層のスラブだ。最初、左の方にあるクサリに気がつかずそのまま登っていった。スメアリングが利いてはいるが、少し緊張した。私達より1時間程西穂を早く出たらしい小屋泊まりの中高年三人組みが、天狗の頭にすでについていた。そのメンバーの一人が携帯電話でとりとめのないことを話している。あまりいい感じがしない。ここでしばらく休んで行動食をとる。

 天狗の頭を下ると、天狗のコルだ。下の方に岳沢ヒュッテの屋根が見える。ヘルメットをかぶった二人ずれが登ってきた。コルからは、うんざりするようなガレ場の登りだ。遠目から見るとかなりきつそうな岩場に見えたが、取り付いてみると踏み跡があって思ったより登りやすい。登りの最後のほうは大きな平べったいスラブ状の岩になっていてスタンスを取りながら登ると途中からクサリが下がっている。ガレ場を登るより岩を登る方がずっと楽だとここで気がついた。

 

登りきったあたりがたぶん畳岩の頭で、そのまままだ簡単な岩の登りが続く。tさんが岩になる度に「これは3級だ。2級だ。」とグレードをつけて遊んでいる。登り切ったところで、平らな岩場に出る。目の前にジャンダルムが聳え立つ。ここがコブ尾根の頭らしい。登ってばかりでかなり疲れてしまった。ジャンダルムを眺めながらひと休み。ジャンダルムにはガスがかかったかと思うと視界から消えてしまい、またガスが流れると威嚇するかのようにごつごつとした黒い岩肌を現わす。休憩しながらそんなジャンダルムを眺めていると、一人ジャンダルムを登り始めたのが、途中から信州側に回っておりていった。その時は、何と不可解な行動する人かと思ったのだが、後で私達が取り付いてみて分かったのだが、その人は最初から登る気がなくジャンダルムを回り込んだのだ。私達は、ジャンダルムを登ることにした。

 雪稜に入る前の1994年に北穂から奥穂・前穂に登り重太郎新道を下った時、目の前に聳え立つジャンダルムやそれに続く岩稜を、その時の私はただ眺めるばかりで、通過できるものであるという考えすら微塵も湧いてこなかった。雪稜に入った年1996年の合宿で、奥穂からジャンダルムまできたときのことを思い出した。4年の間に記憶は定かではないが、その時すでに、ジャンダルムより先に思いを馳せていたことも鮮明に思い出した。あのときは暗く無気味なイメージだったジャンダルムも、なぜか今回は優しく我々を迎えてくれたように思えた。頂上で、tさんが記念写真を取ろうとして、カメラを前の休憩地に忘れたことに気がついた。tさんはザックをなげだし、一目散に下っていった。ガスの切れ間からカメラが見つかったという声と下の方に姿が見え安心した。もう一度登ってきて、記念写真を撮った。後からきた中高年三人組みとヘルメット二人組みは、ジャンダルムに登らず、回って先にいってしまった。

 ジャンダルムへの登りは、飛騨側に少しいきそのまま登る。登らず巻く時も、途中までその飛騨側をいきクサリが取り付けてあるところで、信州側に回ってジャンダルムを巻く。

 私達も、先を急ぐことにした。そのあとロバの耳までは、けっこう厳しい下りだった。あちこちに冬場の懸垂の支点があった。また、中高年組みを追いこした。登り返すと明らかに馬の背とわかる切り立ったやせ尾根の登りだ。ここは高度感はあるがホールドはしっかりしていて大丈夫だ。ここより上にあがったところの方が恐かった。左右が切れ立ったところに立ち上がりしばらく歩く。下を見ると目が眩みそうだ。しかしもう奥穂は目の前だ。奥穂にいる人が大きく見えてきて、やっと達成感と充実した気持ちが湧いてきた。

 西穂からは緊張の連続だった。ザックも重かった。奥穂の人混みに溶け込んだ時、初めてホッとし、やっと終わったんだと思えた。奥穂の祠に無事にこれたことを感謝し、しばらく休んで奥穂山荘のテン場にむかった。小屋の前の風景はいつものように賑わっていた。ビールで祝杯をあげここちよい疲れと満足感で深い眠りについた。夕方少し雨が降ったがその後すぐに晴れ、蝶ケ岳の頂上から大きな虹が出ていた。

 次の日の12日は、前穂北尾根のクライミング。早く起きて涸沢に下る予定だったが、疲れていたのか、ぐずぐずしていて起きられず出発は7時近くになっていた。しかし、嬉しいことに前日までとはちがい、私は空身である。荷物を持たないと、こんなにも足取りが軽いとは。涸沢まで、ザイテングラードからパノラマコースを下る。雪渓は、昨年に比べたら大分残っている。パノラマコースの途中のお花畑からカールを見上げると美しい。パノラマコースの途中も2度ほど雪渓を渡たる。」・、のコルへ突き上げる登りにもかなり上まで雪渓がある。涸沢カールと」・、のコルに突き上げる雪渓との合流点近くまで来ているパーティーが遠目に見えた。このパーティーが、。峰の取り付きから最後の奥穂まで一緒になってしまったのである。

 とりあえず、私達は涸沢ヒュッテにいき水をくむ(奥穂では1P150円だったので)。そして涸沢の雪渓に入る前に、少しでもtさんの荷物を軽くしようとハーネスと軽アイゼンを装着する。軽アイゼンは4本歯の簡単なものだったが」・、のコルの雪渓がかなり急だったが楽に登れて助かった。雪渓の合流地点から」・、のコルに突き上げる雪渓を3分の2ほど登りガレ場から踏み跡にに入った。」・、のコルで、フラットソールに履き替えいよいよ」峰を登る。ここは、涸沢側にしっかりした踏み跡があり問題はない。

 」峰を下ると目の前に大きな岩峰の「峰が目に飛び込んでくる。遠目で見ていると大きな岩の固まりにしか見えず、あんなところどうして登るんだろうと思いながら近づくと、何となくルートらしいところが見えてくる。しかし、先にいったtさんが「奥又白側へを巻ぎみに…」(岩崎元郎著「夏山入門とガイド」)というのを読んで、奥又白側にトラバースしていったとたん、ガレ場に入ってしまい大きな石を下まで落としてしまった。思わずヒヤリとした。ルートは真直ぐ直上か涸沢よりだ。この「峰はルートさえそれなかったら問題はないと思えるが、ちょっとそれても浮き石だらけで恐い。

 「。・「のコルは短い下りだが降り口がハングぎみで少し緊張する。」(前掲書)とあるが、ハングは見当たらず、そのまま涸沢側をいくとなだらかな。峰への降り口だ。私の勘違いでなければこの本のこの解説は役に立たなかった。

 。・「のコルに降りると、目の前の、。峰を1ピッチ登ったところで、先着パーティーがザイルを出していた。女性1人を含む4人パーティーである。しばらくここで待つ。待っているうちに、もう1組み、男性2人のパーティがやってきた。これで、3パーティーになった。40分ほど待って先行パーティーが抜けそうなので1ピッチめを登る。そこで最後のビレーヤーに声を掛けいろいろ話していたら、tさんがホームページで知っていた「岳樺クラブ」のメンバーだとわかった。この会はtさんが詳しいが、メンバーは中高年しか入れない、アルパイン志向の会らしい。のんびり安全をモットーに岩登りをやっているらしい(この会のモットーにtさんは痛く共鳴している)。この日も横尾山荘で一泊してきたらしい。今回は小屋泊まりで、北穂東稜と滝谷のドーム中央稜を予定していたらしいが、台風が来ていて13日から天気が崩れるということで予定を変更して、前穂北尾根一本に絞ったということを話されていた。

 前のパーティーもいったので、私達もここで9ミリ30メートルのザイルを出したが、なくてもいけるような気がした。最後のチムニーが核心らしいがどうということもなくいける。そして少しいって峰。峰は痩せた岩稜で緊張した。峰の下りは真新しい懸垂の支点が岩に残置されていた。ここで、先着パーティーの懸垂が終るのを待つ。クライムダウンできそうだが、私達も懸垂でおりた。そして少し登りかえすと突然頂上らしき所に出て、若い男性二人が目の前に現れた。「前穂ですか?」と思わず聞いてしまった。前穂の頂上がこんなに広かった印象はなかった。少し行くと前穂の道標が確かにあり、前穂の頂上であることが確認できた。道標の近くに先着パーティーが座って休んでいた。

 ときどきはガスが岩肌をおおいながらも、天気には恵まれ緑と雪渓のコントラストが美しい涸沢カールや峰の頂上で見た奥又白の池、そして何よりもスケールの大きな穂高連邦の山容を眺めながらのクライミングは最高だった。奥穂の頂上に達した時の満足感は、このロケーションにあると思う。前日奥穂から涸沢を見下ろしたときは金曜日ということもあってかテントがかなり少なかったが、この日は少し増えてはいたが例年に比べると少ない気がした。奥又白池には、3張りほどのテントが見えていた。

 頂上ではまず二人で、そして岳樺クラブの人たちと一著に記念写真を撮った。帰ってから岳樺クラブのホームページを見ると、このときの私達と写した写真が出ていて感激を新たにした。岳沢ヒュッテで一泊するという岳樺クラブの人たちと別れを告げ、私達は前穂のガレ場をくだった。紀美子平には、4-5人休んでいたが、そのまま吊尾根を奥穂に向かった。吊尾根の最低コルまでは、下りばかりで調子良く歩を進めていたが、最低コルからは登りに入り急に疲れが出てきた。最低コルとは「必ずまん中にあるとはかぎらない」というtさんの説どおり、ここからはずいぶん長く感じられた。奥穂と見間違える程のダミーの大きな岩稜を何度も目の前にする度に、疲れがドッと出て足が重くなる。なのに、岩を登る時は足がだるくない、良く考えれば手のホールドを使うことでバランスよく登るため、足にかかる重力を分散させているのだろう。などと考えながらひたすら登った。後で地図を見ると、このダミーの岩稜は南稜の頭のようだ。まだかまだかと思いながら登っていて、奥穂の祠が見えた時はとてもうれしかった。二日連続の奥穂である。

 吊尾根の途中からはガスで視界もなくなり、台風の影響かかなり風が出てきて寒くなってきた。

時間も5時になっていて遅いので、空身の私は先に降りて、小屋にテン場の手続きにいった。預かってもらっていたテントと荷物を受け取り、テントを張っていたら風が強くなかなかうまくいかない。そこにtさんが帰ってきて近くにいた人にも手伝ってもらい、強風のなかテント設営をした。遅くなったせいかテン場はいっぱいになっていて、ヘリポートに設営した。テントに入ってからもかなり寒い。夕食はメニューを変更して、暖かいラーメンにした。ラーメンがこんなにも美味しいとは…。風はますます強くなりテントを揺るがすが、2日間の充実した満足感と心地よい疲労感で深い眠りに陥った。しかし、何度か風の音で目は醒めた。

 翌朝13日、霧雨でどんよりとした天気に下山へと気持ちが逸る。1998年に白出沢を下山中転んで鼻に怪我をしたときのことを思い出した。ちょうど、こんなどんよりとした日だった。おまけに雨も強く雷が鳴り響き、地震で揺れるなかの下山だった。降り始めた岩場は、その時は、地震でルートも滅茶苦茶になっていたが、ちゃんと整備されていて降りやすくなっているのにも拘わらず、トラウマか足がぎこちなくギクシャクしている。慎重にゆっくり降りる。下の方は、雪渓は残っていて右の方にルートがザイルを張って整備されていた。そして、あのときもそうだったが、樹林帯に入ってなぜかほっとした。奥穂での天気とは打って変わって青空が広がり、錫杖岳や笠ケ岳の向こうに雲海が広がって、その向こうには白山が見えていた。錫杖の岩場は、今度はこっちにおいでよとささやいてくる。

 白出沢に入ったところで休憩。美味しい水に活き返る。その後は沢沿いに、高巻きでクサリ場が続く。樹林帯の登山道の梯子なども、新しくがっちりしたものに取り替えられていて2年前に比べてかなり整備されていた。重太郎橋も新築されていた。この橋を渡ると白出小屋までの間は、森林浴をしながらの快適な登山道である。小屋でしばらく休憩して、新穂高に向かった。

 途中の、新穂高避難小屋に前に寄った時にアイスクリームがあったから見てくる、とtさんが小屋に向かって入っていったかと思うと、私に向かってニコニコとして手招きをする。たかだかアイスクリームに、ずいぶん嬉しそうだなと思いながら行ってみると、tさんの長兄がこれまたニコニコと立っているではないか。たとえ待ち合わせしていても、こんなにぴったりと出会えるとは思えない。長兄は昔は本格的に登山をやっていたのだったが、結婚してから義姉に反対されてアルパインからは遠ざかっていた。今は小屋泊まりの縦走を夏に仲間としている。そこにお互い偶然出くわしたのである。吃驚した。新穂高で温泉旅館を予約していた長兄たちとは別れ、私達は駐車場に向かった。あとはおきまりの温泉と食事をして帰路についた。

 以上、今回の西穂から奥穂の縦走と北尾根は雪稜に入った当初からの希望コースにも拘わらず、なぜかチャンスに恵まれず後回しになっていた。一度は行っておかなければと、いつも心の隅にしこっていた気になるコースである。今年の夏の計画がぐずぐずとなかなか決まらなかったので、思い切って、そのしこりを一気に払拭すべく計画になった。tさんのことは分からないが、私としては重い荷物を持っての縦走に年々不安を持ってきている。それなのに今回は一級の岩稜縦走だ。決心(諦め)するまでに相当の思いきりが必要だ。思ったときに行かなければ、来年になるとまた1年のハンディーを負う。思い立ったが吉日だ。てなわけで、急な計画が実行に移された。結果としてはおおかたお天気にも恵まれ、両方無事達成できたことは本当によかった。これで、穂高への熱い思いはしばらく忘れることができるだろうと思いきや、tさんはもう滝谷や屏風への熱い思いに胸を膨らませているようだ。こうなると、永遠の青年になるしかないでしょう……。

2000.8.20/iku

 

平成12年度指導員研修検定/岩登り講習会

【山行名】 平成12年度指導員研修検定/岩登り講習会

【主催】 京都府山岳連盟指導委員会

【日時】 平成12年9月9日(土)〜10日(日)

【場所】 御在所岳/藤内壁

【天候】 雨

【参加者】 m/iku

 

岳連の岩登り講習会に参加してきました。(mさんと現地御在所藤内小屋で待ち合わせ)午前3時半に真っ暗ななか一人で運転して家をでました。真っ暗な山道(宇治田原あたり)ではオバケに怯え、バックミラーを見ることが出来ませんでした。御在所の駐車場につくとバケツを逆さまにしたような雨。いやだなァーと思いながら藤内小屋へ。雨にもめげず全員集合(30名ほど)しました。各山岳会の熱心なクライマーの参加者で小屋は熱気が漲っていました。

mさんは前夜にきて駐車場で仮眠していたらしく、藤内小屋には私のすぐ後につきました。mさんを含めみんな顔見知りらしく、お互いに声を掛け合っていましたが、私もすぐに何の抵抗も無く打ち解けてしまいました。雨なので、インドア講習になりました。講師は堤信夫氏、松本憲親氏、森中龍一郎氏の三名のプロガイドのかたでした。三人それぞれ個性があり、やり方もスタイルもちがった講師陣で、私自身は何が正しいとは言えませんが、それぞれ試して見る価値はありそうに思いました。そのなかで自分のやりやすいものを取り入れたらいいと思います。内容は、講師三人からはザイルワーク中心に、森中氏はストレッチやフィットネスなどでの有効な体力作りについてもいろいろ教えていただきました。

ザイルワークもkoさんの中級講座のときに私は「ハンマーとボルトの必要な世界はセカンドでいく」などと言っておりましたが、ここであれは失言だったと、せっかく講習を開いて下さったkoさんにお詫びします。岩をやる上では、より高度な技術を自分のものとしておかなければ命にかかわるということを、講習の内容で自覚できました。ロープの結び方から始まって、アンカーの取り方、懸垂の仕方、確保の仕方、自己脱出、ボルトやハーケンの正しい打ち方、などなど全て身についたとはとても思えませんが、自覚してマスターしなくてはという意識にはなりました。

また、年齢もそこそこの女性の参加者(5名)もあり嬉しくもありました。

これからは技術の習得をしながら、より安全なクライミングを心掛けていきたいと思いました。

                           iku/2000.9.11

 

穂高・滝谷

【山行名】穂高・滝谷 /滝谷ドーム北壁右ルート

【日 程】12000年9月14日D夜〜9月17日@

【メンバー】 t・m・iku・pin・mura

【日程、ルート】

9月14日D 晴れ  

自宅22:20→m宅11:30出発(車使用)

  15日E 晴れ

4:15沢渡(仮眠)7:00→7:30上高地7:40→8:30明神8:40→9:30徳沢9:50→10:45横尾11:20→12:20本谷橋12:40→14:30涸沢(iku14:45)→就寝19:30

  16日F 曇のち雨

起床3:00出発4:40→7:35北穂8:20→8:40稜線取り付き→9:10ドーム北壁右ルート1Pmuraスタート9:45m10:17t10:45iku13:10→mura10:12m10:55t12:45iku13:402P取り付き/15:00ikut懸垂下降15:30→15:35稜線4:30→mura/m終了点→稜線合流4:30→涸沢18:10〜30→就寝21:20

  17日@ 雨

起床4:00涸沢6:35→上高地12:15→沢渡→風呂/食事→帰宅21:30

【概念図】

【装備】

【共同】テント1、ツェルト2、コッヘル1、ガスヘッド2、ガスカートリッジ3、ポリタン、ランタン、ベニヤ、ろうそく

【個人】ヘルメット、ハーネス等登攀具、ロープ9@×50m、シュラフ、食器、水筒、防寒具、雨具、ヘッドランプ、行動食3、非常食1、9/15朝食

【食料】

朝食

昼食

夕食

15日

各自

行動食

すき焼き

お茶、

16日

パン/紅茶/スープ

行動食

カレー/海草サラダ

17日

ラーメン

行動食

【感想】

 昨年の夏合宿は、ピークハント組みと登攀組に別れ、多人数の参加者があり、賑やかに涸沢で行われた。私は念願の登攀組に入れていただき、連日滝谷での本チャンの予定だった。ところが、雨、雨、雨……の毎日。結局一本も登れず、ドーム中央稜の取り付きの途中まで行ったのみであった。取り付き途中のテラスで、hashi、turu、mura、tさんとツェルトをかぶり雨の止むのをひたすら待っていた時のことを昨日のことのようでもあり、またずっと昔のことのようでもあったかのように思い出した。

 その時は滝谷がどんなところかという実感も希薄で、リーダに頼り切っていたので不思議と不安感がなかったのを憶えている。ハイカーだった頃に北穂と奥穂の分岐から少し行ったところから恐る恐る滝谷を覗いてみた。その頃は「鳥も通わぬ」といわれている滝谷に、まさか自分が取り付こうとは夢にも思っていなかった。雪稜に入ってから、金毘羅での初級岩登り講習会に参加してから躊躇しながらも岩と戯れ、徐々に岩の感触が楽しくなり、また自分なりに少しずつホールドが見えるようになると恐怖心も和らいでくる。好奇心旺盛な私は、それだけでとうとう滝谷にまで来てしまったのか(!)、というのが正直なところで、何が何でも滝谷に登りたいという気持ちは希薄だった。

 今回最初は、tさんが企画をたてmさんを誘い、三人でドーム中央稜を登る予定だった。このルートをtさんが選んだのは、滝谷のなかでは岩質が硬くて明るく、人気ルートであるということと、私達の力でも何とかいけるグレードであることに加え、昨年の合宿で取り付きの途中までいっているので取り付きまで迷わないでいけるだろうということであったと思う。

 そこに、pinさんとmuraさんが参加してくれることになった。正直いって経験豊富な二人の参加を私は内心喜んだ。こんな成りゆきで、滝谷への登攀は準備されていった。

 14日夜、それぞれm宅に集合して夜中にm号で出発。早朝4時すぎに沢渡の駐車場に到着。テントを出したものの張らず、私とtさんは中に潜り、pinさんはテントの上、mさんは車に、muraさんは駐車場でごろ寝、とめいめい仮眠した。寝る時は暑いぐらいだったのに、冷え込んできて寒くて目が醒めた。

 上高地までタクシーでいき、通い慣れた道を歩く。明神、徳沢、横尾までのんびりおしゃべりを楽しみながら行く。横尾につくと、休憩をしている人たちのいつもながらの風景だ。横尾では橋が新築されて立派になっていた。記念写真をとる。まだトイレなど工事していた。来る途中、梓川沿いに道路がつけられていて車が走っていて吃驚した。

 ここからは、うんざりする登りだ。真夏日のように暑い。途中の岩小屋では、tさんとmさんが屏風の取り付きへの道を見に行った。本谷橋は、涼を求めて沢山の人が休憩していた。団体のツアーが目立つ。涸沢まではここからが苦しい。私は暑さに参ってしまい、みんなの最後からのんびりと登った。ついた頃にはpinさん達が、テントを設営してくれていた。

 時間は充分あったので、小屋のテラスでくつろぎ、生ビールで乾杯。しばらくの歓談の後すき焼きで夕食。明日の登攀のために早めに切り上げ眠りにつく。

 16日3時に起床、4時半ヘッドランプの明かりで北穂に向かう。4侍すぎにもうすでに北尾根と南稜の中腹でヘッドランプが何個か揺れていた。あたりは、ガスに包まれているがまだ雨は降っていない。しかし、途中からポツリポツリときた。レインウエアーを出す。とりあえず、北穂までいこうということで合意した。

 北穂小屋では、降ったり止んだりの状態だった。滝谷に詳しい人を呼んでもらい岩の状態を聞くと、今日ぐらいならドーム中央稜やドーム北壁は問題ないと言われた。コーヒーを飲みながらみんなで相談したところ、muraさんからドーム北壁右ルートは前に登っているし、ルートも解りピッチが少なくて取り付きにも楽にいけるというのでそこにしないかと提案された。とりあえず取り付きまでいって、様子をみてみようということで出発した。雨は小降りになっていた。pinさんは最初から反対していたが取り敢えずということで取り付きに向かった。稜線から取り付きに降りる時、pinさんは、いかないでドームの頭で待っているいう。

 残りのメンバーは、登る時はホイッスルを3回鳴らして頭にいるpinさんに合図を送るということで取り付きに向かった。取り付きにつくと、雨は止んでいて、岩も濡れていない。折角ここまできてしまうと、この状況では登るのが当然のように思えた。とりあえず、取り付いて無理なら降りればいいという思いも私にはあった。岩稜を目の前にしてもはや気持ちは押さえることは出来なかったし、条件的にはいけると私には思えた。それは、日本の岩場の。級下というグレードに、舐めた気持ちが働いたのも正直なところだ。

 ホイッスルをtさんは3回鳴らし登攀の準備にかかる。まずは、mura・mコンビで、muraさんがリードした。1Pはフリーで、muraさんは難なくいく。次のmさんは手こずりながらも登った。けっこう時間がかかっている。mさんがチムニーの出口近くになって、次のtさんがリードで登り始めた。最後の、チムニーまでは難なく行ったが、チムニーから登れない、かなり時間をかけてしまっている。下で、ビレーをしている私は寒さに震えていた。ただ、ひたすら寒さに耐え、見守っていたが内心もう降りてもいいのではと思っていた。そのうちに、上からの助けで何とかよじ登った。

 私が次に登ることになった。様子を見ていたので、不安ではあったが挑戦してみる。どうも、ザックを背負って、チムニーには入り込めないと思い、ルートのまん中でザイルを下ろしてもらいザックを括り付け先に上げてもらった。このときはすでにけっこう雨が降っていて、滑りそうで恐かったがなんとか手足を壁に突っ張って登ることが出来た。tさんは大きなザックを背負っていたので難しかったのだろうと登ってみて思った。

 2P目のテラスでセルフビレーをとってホッとして、上を見るとmuraさんがすでにリードしていた。muraさんは難なくいったようですぐにビレー解除のコールが聞こえてきた。mさんが登り始めてすぐの人工で手こずってしまっていた。tさんは1P目のチムニーで腕がパンプしてしまい吊りそうだという。「じゃぁー、次は私がリードしようかな」などと、いいながらmさんが抜けるのをまっていたが、なかなかだった。時間がすでに3時になっていた。tさんと話しているうちにこれは降りた方がよさそうだということで合意し、懸垂で降りることにした。

 私達はそこから懸垂で降り、稜線のpinさんと合流して腹ごしらえをする。何しろ、私は何も食べずにいたのでどっと空腹感がきた。食べながら見ているとやっと二人は抜けたようだ。ホッとした。

 時間がせまってきたので急いで降りる。muraさんとpinさんは一足早くいって、小屋に終了時間の書き込みにいってくれた。私とtさんmさんは南稜を雨のなか下った。私が、降りた時はまだヘッドランプを出さずにすみ助かった。雨は激しくなってきた。

 17日、やはり雨だった。水を含んだジャンボを撤収して下山した。

 結果としたら、惨澹たるクライミングになってしまった。私達は、懸垂で1P目で降りてしまったが正解だと思う。。級下を舐めてかかったことも反省すべきだが、1P目だけでも登れたことは、昨年のこともあり厖大な喜びだった。

 今回の滝谷は結果としては悪天候の登攀となり、そのなかでの技術不足、実力不足を暴露したかたちになってしまい、時間的にもぎりぎり限界の線になってしまった。要所要所の的確な判断を間違うと危険になるということを身をもって体験できた。そして、本チャンの恐さも充分理解できた。

 滝谷、それは未知なる神秘を秘めていた。そして、厳しく私達を迎え入れてくれた。しかし、その厳しさの中に、行くまでには感じなかった魅力を私は感じ始めている。ガスの晴れ間から顔を出した槍ヶ岳が帰ってからも目に浮かんでくる。結果としては事故もなく無事(?)終えたが、個人個人それぞれの思いを残していると思う。

                     iku/2000.9.1

 

木曽駒・空木

【山行名】 木曽駒・空木/中央アルプス縦走紅葉ハイク

【期 日】 2000年10月6日E夜〜10月9日A 

【目 的】 紅葉を楽しむ

【メンバー】 t・iku・araken

【概念図】

【日 程/ルート】

10月6日E 晴れ

京都駅八条口22:20発(車使用)→名神工事のため栗東23:30

7日F 晴れ

4:30駒ヶ根SA仮眠6:30/7:14→7:40駒ヶ根駐車場8:10発→8:40バスでしらび平駅10:45→10:55ロープウェイで千畳敷駅11:12→11:47休憩11:55→宝剣山荘10:07→中岳12:23→12:34テン場/テント設営13:45→14:00木曾駒頂上→玉ノ窪小屋15:00→木曽駒15:30→テン場15:40/就寝20:15

8日@ 晴れ/曇り/雨

起床4:30/出発6:40→6:55宝剣山荘7:00→7:15宝剣岳7:30→8:00三の沢岳との分岐9:12→9:00休憩9:12→濁沢大峰9:24→10:10休憩10;16→檜尾岳10:39→12:04休憩/昼食12:30→14:15木曾殿山荘14:23→15:30休憩15:40→16:10空木岳16:30→空木岳避難小屋17:15(iku)18:30(t)頃着/就寝21:00

9日A 雨

起床4:45空木岳避難小屋7:00→駒ヶ根駐車場12:50(araken)・登山道の終点の広場113:06(t/iku)→温泉14:00→名古屋空港4:200頃(arakenさん見送り)→tたち帰宅21:00頃

【概算費用】 一人  約11500円

【食料】

朝食

昼食

夕食

7日

各自

行動食

鍋物(ちゃんこ+うどん)

お茶、

8日

なべの残り

行動食

α米/うな丼/チンジャオロース/マーボ春雨

9日

ラーメン+もち+野菜

なし

行動食2食/予備食/朝食

【共同】テント一式、コッヘル1、ガスヘッド2、カートリッジ小3、ポリタン、ランタン、ベニヤ、ろうそく

【個人】食器、寝具、水筒、防寒具、雨具、ヘッドランプ、行動食2、非常食1、10/7朝食分、温泉セット

【感想】

 この時期のアルプスの紅葉は一番美しいということを聞いている。1998年は紅葉を愛でにおでんを担ぎ涸沢に登り、昨年は白山に登った。

 木曾駒は今回と同じルートで1997年に会の山行で同じ時期に登った。一日目は秋晴れだったのが、次の日は雪が30センチほど積もり、コッヘルには氷が張り、一夜にして冬山と化してしまっていた。そのために、極楽平から稜線に出たところで、あまりの突風でこの私が吹き飛ばされてしまった。リーダーの判断でそこから断念して下山した。この時期の3000メートル級の山は、予測しがたいことが起こってしまう。下山するとまるで嘘のような穏やかな初秋の風景に、まるで狐に抓まれたたような気がしたものだ。

 このときの印象が強く残っていて、アイゼンを持っていこうかとか冬装備がいるのではとかいろいろ思い倦ねたが、天気予報も何とか持ちそうなのでアイゼンは持っていかなかった。今回は前回とは打って変わって穏やかな秋晴れで幕を切った。

 京都駅で、長崎からのarakenさんと待ち合わせた。Mさんが見送りにきてくださった。arakenさんとは久々のご対面で話も尽きないが、時間もないので後ろ髪を引かれる思いで出発した。

 この日は、名神で工事のため吹田から京都東インターまで通行止めになっていた。栗東から入った。養老からは私が運転を替わり駒ヶ根までいった。駒ヶ根で、仮眠をとった。駒ヶ根駐車場は、かなりの込みようで、無料駐車場は満杯だった。少し下の有料駐車場に入れた。1日400円だった。

 バスもすし詰め状態だった。ロープウェイ前はすでに人で一杯で、この時に一時間待ちということだった。前回は三時間待ちということで登山道を登りエライ目にあったので、今回はいくら待ってもロープウェイを使うことに決めていた。前回と同じで、前の広場では思い思いにくつろいだ人たちでいっぱいだ。そのなかに、私たちも紛れ込んでくつろいだ。結局二時間ほど待って番号が呼ばれ、乗ることができた。ロープウェイからの眺めはすっかり秋色に染まり、また青い空とのコントラストに映えてとても美しい。前回よりも紅葉はかなり綺麗だった。乗越浄土までの登りは、暑さでまいってしまった。

 テン場につくと時間的に早いようでガラガラだった。テントを張って、早速木曾駒に向かった。頂上にはけっこう人がいた。向こう側の登山道の下の方に小屋が見え、さらに下の方にもう一件見える。tさんが小屋の見学にいこうといいだし、下った。頂上木曽山荘である。小さな小屋だ。また、下の小屋までいこうということになり下る。玉ノ窪小屋だ。ここでのんびりとひとときを過ごし、戻った。夕食はちゃんこ鍋を囲み話に花が咲いた。理屈っぽいお二人の話は尽きない。この後も下山するまでまるで学会の討論の場のようであった。その場に女性一人の私は、かなり不利な状況でもあった。

 次の日は、かなりの行動時間になった。最初はうつくしい紅葉を楽しみながらのんびりと行く。宝剣岳では頂上の岩によじ登り、写真を撮った。稜線の左手は千畳敷きのカールが広がり、右手には三ノ沢岳の下に谷筋が延び、そこがみごとに紅葉していて美しい。秋を満喫といったところだ。のんびり歩いていたせいか、木曾殿小屋についた時にはかなり予定より遅れてしまった。arakenさんは久しぶりの山行で、かなり疲れが出てきたようだ。まだ、空木岳までには一登りしなくてはならない。登り始めると、雨がポツポツ降り出した。レインウエアーを着込み先を急ぐが足取りは重い。

 ここからは雨と疲れで、ほんとうに随分長く感じた。しかし、空木岳に着くと疲れも吹っ飛びうれしかった。雨のせいか寒くなってきた。風も出てきた。下に小屋が見える。最初はそれが避難小屋かと思い喜んだが、ぬか喜びだった。それは駒峰ヒュッテで、そのはるか下の方に避難小屋らしいものとテントらしき赤や青や黄色の点が見える。ガックリした。あんなに小さく見えるということはまだかなりかかるということが推測された。

 とりあえず駒峰ヒュッテにむかい、そこでビールを仕入れる。小屋の中はストーブが赤々とともり、賑やかなくつろいでいる人たちの声が聞こえる。つい、「羨ましいなァー」と心で思ったが言わなかった。tさんもarakenさんもたぶんおんなじ気持ちだろうなぁーと推測がついた。小屋のお姉さんが避難小屋までは三十分程だと言った言葉を信じて出発した。

 下り始めると、arakenさんがかなり疲れていたようでペースが遅い。私が先にいって小屋の場所をとっとくようにとtさんに言われ、先にいった。私はかなり下りたがなかなか小屋に辿り着かず、心配になってくる、道は沢に入ったり出たりでややこしい。ところどころにケルンが積んであり道標になっている。あんまり時間がかかるので、もうすでに通り過ぎたのではと不安になった。休憩して二人を待っていると上のほうで姿が見え、安心してまた下った。そこからしばらく下ったところに、避難小屋があった。小屋の中はもう人がいっぱいで、あふれたテントが外に5張りほど張られていた。あきらめて、テントを張る場所を探し、ザックを置いてしばらく待ったが来ない。そのへんまで迎えにいこうと思い来た道を登った。来る時休憩していたところ近くまでいき大声で呼んだがあたりは静まり帰っている。ヘッドランプを持ってきていないので、一旦引き返しもう一度登ったが、何の反応もない。不安になり、小屋に引き返し小屋の中の人に事情を話したところ、一緒に探しにいってあげるといってくれた人がいて、もう一度向かおうと思ったら山の中腹でヘッドランプの明かりが見えた。きっとあれだと思い、もう一度来た道を登り返すと、先にいった男性の「見つかりました」という声を聞いてホッとした。あたりは真っ暗になっていた。暗くなって道が判らず、もう一度ヒュッテにもどろうとしていたらしい。とんだハプニングだった。やはり行動は明るいうちにしなくては、といういい教訓になった。それにしても、ヒュッテから避難小屋までとても三十分の距離とは思えない。

それは、小屋にいた他の人もいっていたから確かだろう。おかげさまで、無事だったからよかったものの、ヒヤリとした出来ごとだった。小屋の中かの若い女性からの甘くて暖かい紅茶の差し入れにに、気持ちも体も暖まり嬉しかった。遅い夕餉となった。

 次の日は雨のなかの下山となった。少しいったところで、今度はtさんが膝の横の腱を傷めてしまい、またゆっくりの下山になりarakenさんの帰りの時間が迫っていて心配した。今度はarakenさんが先に下り、車を少し上まであげてもらった。けっこう上の方まで林道がついていた。近くのこまくさの湯に直行し、名古屋空港まで急いだ。名古屋空港でarakenさんとは別れ、我々は京都に向かった。

 

                            2000.10.17

御在所前尾根

 

【山行名】 御在所岳・前尾根

【期 日】 2000年4月29日(土)夜〜30日(月)

【天 候】 晴れ

【メンバー】 t・iku・mizu・pin

【日 程/ルート】

4/29 自宅19:50→御在所駐車場23:20→就寝0:50

4/30 起床5:45出発6:40→藤内小屋7:04−7:13→取り付き7:42→登攀開始8:10→ヤグラのコル12:50→ヤグラ頂上13:50

【感想】

 娘のmizuはホシダで私のビレーヤーとして誘ったところ、見事にクライミングにはまってしまった。今回の御在所は初めてのマルチピッチ登攀である。それまでは金比羅で少しザイルワークをしたのみだった。

私とザイルを組んで、つるべでいった。不安を感じなかったのは、やはり1999年の秋からのホシダでの練習が効をなしたようだ。

 

小川山クライミング

【山行名】 小川山クライミング

【期 日】 2000年5月3日(水)〜6日(土)

【天 候】晴れ

【メンバー】 t・iku・mizu

【日 程/ルート】

5/3 起床3:00出発4:23→小淵沢IC9:35→廻り目平11:00→昼食12:00-12:40→父岩(タジアン)→テン場16:30→就寝20:00

5/4 起床5:20出発7:15→父岩7:40(小川山物語・岩壁の父・兄岩下部スラブタジアン)ニ西俣沢で昼食13:30-14:00→テン場14:15→散歩(iku・mizu)セレクション取り付き15:40〜パノラマコース17:00→就寝20:15

5/5 起床4:40出発7:00→セレクション取り付き7:20-8:15→終了11:24→下山開始12:00→テン場13:00昼食13:15→マラ岩・妹岩出発14:50(iku・t)→テン場16:45・就寝19:40

5/6 起床5:00出発7:15→かもしか遊歩道→唐沢の滝8:051715M→テン場9:08出発10:15→延命の湯12:00-13:15→小淵沢IC13:18→恵那15:00-15:15→帰宅19:00

御在所中級岩登り講習会

【山行名】 御在所・中級岩登り

【期 日】 2000年5月13日(土)〜14日(日)

【天 候】晴れ

【メンバー】 ko、t・iku・T

【日 程/ルート】

5/13 晴れ夜雨 自宅6:25→T6:50→ko7:35-8:00→御在所11:00→前壁ルンゼ(6合目より入る)12:00-16:30

○ユマールでの登攀

○スカイフック、ハーケンによる登攀

○リングボルトの打ち方。ジャンピングセットの使い方。

○カラビナでの懸垂下降

○荷揚げ(ユマールで)

5/14 起床6:00出発7:00→前尾根取り付き

○A2あぶみの練習

○空中ユマール 

○自己脱出

○プルージックによる登り返し

○荷揚げシステムの復習

○エイト環でのロックの方法

○懸垂下降時のザイルの処理

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涸沢岳西尾根(プレ冬山)

【山行名】涸沢岳西尾根(プレ冬山)

【期日】 2000.11.24-11.26

【天候】 晴れ

 

【目的】正月合宿を想定(技術、体力、地形などの確認)

【メンバー】ko、K、iku、Y、A

【日程・ルート】

11.24 京都駅22:00→ 11.25 新穂高2:30着 仮眠6:00起床7:30出発 穂高平小屋8:30→白出沢出合い9:30着 水汲み10:30出発→2200m付近15:00着泊夕食17:00〜就寝20:00

11.26 起床3:30→出発5:10→蒲田富士の稜線との出合い6:40→

蒲田富士(2742m)7:40→涸沢岳への下りの分岐7:55〜8:30→蒲田富士の

稜線との出合い8:55→2200mのテン場10:40着11:15発→登山道との出合い

13:10→新穂高14:45→槍見温泉→京都

【概算費用】 約7000円

【装備】 冬山装備一式

アイゼン、ピッケル、スコップなどは使用せず

携帯は蒲田富士まで上がると確実に使えるが、それまでは場所によりけり

【食料】

25日夜 豚汁&ご飯

26日朝 おじや

 

<報告と感想>

 

【主旨】今回の合宿は、「プレ冬山」というとおり、冬山の予行です。冬は、同じルートとはいっても、気象状況によって全く違ったものとなります。だから下見が不要というのではなく、それゆえに下見をしておくことがなおさら重要なのです。エスケープルートの確認、ビバーク地点の有無、体力的に大丈夫か(雪のある方が当然体力が必要となる)、無駄な装備はないか、必要な装備を忘れていないか、久々に使う道具類は大丈夫か、などなどをチェックするものです。

  【コース状況】暖冬のせいで雪が少なかった。泊地での雪が見込めなかったので、水をひとり2g持ってあがった。白出沢に水がなく、沢をさかのぼってとりに行ったが、林道を戻ったほうが圧倒的に早かった。無雪期の西尾根は、笹に覆われ、ルートファインディングが意外と難しい。初日は2400b地点までの予定だったが力及ばず、2200b付近で泊まった。翌朝まだ暗いうちに出発、ちらほらと雪は見えるが積もっているというほどではない。蒲田富士直下はミックスっぽくて冬山らしい感じがしたが、それでもまだアイゼン・ピッケルを使うには及ばなかった。蒲田富士からやや上がったコルまで行く。このあたりは雪が積もっていた。コルから上はアイゼンが必要。ただし今回はここで引き返す。下りもルートファインディングが難しいところがあった(とくに2400bから下)。

   【反省点】準備不足はやはり否めない。プレ冬山の意義がどれほど浸透していたかは疑問。もう少しプラン会でつめるべきだった。アイゼン・ピッケルが使えなかったのは非常に残念。ただし今年の場合は富士山でも行かないことには雪上訓練は無理だったろう。今年の五月にやった軽量化についても強調しておくべきだった。「スペースは軽量化への第一歩」。ただ今回に関しては、正月用の荷物を持っていってデポしておくべきだった。リーダーとしての反省は、全く事前の準備不足につきる(山行中は、K氏がリーダーをしてくれた)。それと装備にいろいろ問題があった(フライを余分に持っていくなど)。食事は質量とも問題なかったと思う。今回のいろいろな経験を活かすには、やはりメンバーの継続性、つまりプレ冬山と冬山の両方に参加することが望ましいと思うが、なかなかそうもいかない。この点は、正月合宿のリーダーとよく考えて、反省をうまく生かせるようにしたい。

 ko記