空

年の功より、亀の甲?

 更新が遅れてしまってごめんなさい。

 前回お話ししたとおり、勤めていた法律事務所を辞めたり、その後再就職した先でいきなり重役のポストを与えられてしまったり、で、早速上層部と折り合いが合わず再び退職したり、何だかんだと忙しくてサイトの更新まで気が回らなかったのだけど、一番の原因としては、やはり季節柄、主役のアルさんが冬眠遊ばされて、それで姿が見えないものだから、気持ちの方も疎遠になってしまった、というと言い方が悪いけれど、何となくその存在が私の中で薄れつつあったのは事実である。

 そもそも、繰り返すようだけどこのサイトはカメの飼育法その他を教授することが目的ではないのだから、冬眠についてあれこれ並べてみたところで果たして当サイトの読者の皆さんがそんな記事を楽しみにしているとは到底思えないし、冬眠と言っても私が何か手を貸したわけでもなく、ドライな見方をすればアルさんが勝手にうちの池にやってきて、冷えてきたら勝手に都合のよい場所を見つけて冬眠に入った、と言うだけだから、仮に当サイトの趣旨を忘れて伝授に集中したところで、やはりその内容に乏しくなってしまうのは致し方あるまいと思う。

 そのあたりを承知の上で敢えてアルさんの現況を報告しておけば、手許の記録によると昨年9月の下旬頃、極端に冷え込んだ日があって、その日くらいを境に急に食欲を失い、その後11月中旬頃には、静かな池の底でじっとするようになり、いよいよ冬眠らしい振舞を見せるようになった。
 やがて12月に珍しいほどの大雪が降ったある日、屋根から落ちた雪に驚いて目を覚ましたのか、水面から顔を覗かせている様子を見たけれど、まもなくまた暗い池の底に姿を隠してしまい、しばらくは一体どこにいるものなのか、皆目見当の付けようがない日が続いたのである。
 そして3月のある暖かい日、再び浅瀬から顔を見せてくれて私を安心させてくれたのだけど、まだまだ本格的に活動を開始する様子は見受けられない。


お久しぶりです。


 ところで。

 話は全く変わるけど、とある著名な学者さんの執筆された宇宙物理学に関する書物を読んでいたところ、その昔、中世ヨーロッパにおいて私たちの住むこの世界は平坦な板のようなもので、その四隅が亀の甲によって支えられていると信じられていた、という記述が目にとまった。
 それじゃあその亀は何に支えられているの?といったらその下にはさらに亀がいて、そうして延々と四隅の亀が柱のように重なっている、というのが当時の宇宙観というか、世界観として通用していたらしい。
 こういう話を聞くと、ややもすると我々は当時の人々の無知を嗤ってしまうものだけど、果たして現代に生きる私たちが彼ら、あるいは彼女たちより宇宙について多くを知っていると断言できる材料は果たしてどのくらいあるのかと考えると複雑な気持ちになるのも事実である。

 このお話が私の注意を引いたのは、亀という存在と、宇宙という概念のあまりにかけ離れた二つを同時に語ってしまっている当時の人々の発想力なのである。
 宇宙の成り立ちや振る舞いを語る上で欠かせないのが光速という概念というか数値であり、これは大雑把には毎秒30万キロメートルというとんでもないスピードなのだけど、それでも我々の住む地球あるいはから一番近いお隣の恒星まで4.4光年もかかってしまうし、銀河系を端から端まで旅しようと思ったら10万年もの歳月が必要となってしまうほど宇宙というのは大きいらしい。
 そのあまりに巨大な宇宙を語る上で、足の遅いことでは筆頭にあげられてしまう亀を用いるというのは、単に甲羅が頑丈でその上にものを乗せたら安定しそうだという安易な発想を超えた、ねじれた必然を感じずにいられない。

 そういえば、こちらはウミガメだけど、浦島太郎を竜宮城へ連れて行ったのも亀であった。
 浦島太郎のお話は今さら説明するまでもないけど、竜宮城で楽しいひとときを過ごした浦島がいざ我が家に帰ってみると、そこでは途方もない時間が過ぎ去っていたという説話で、これは特殊相対性理論において、光速に近い速度で運動する物体では時間がゆっくり進むという現象を語る上でもウラシマ効果と呼ばれ、ここでもまた亀と宇宙の奇妙な通牒が見てとれるのである。

 いずれ近い将来、あるいはもっと先になるかも知れないけど、宇宙の謎というのがすべて解き明かされる日が来ることであろう。
 その時に、いま我々が信じている、147億年の遠い昔にビッグバンから宇宙が始まって、なんて話が、世界が亀の甲に乗っていると信じるくらい滑稽な結論が待っているとも言えなくはないし、やっぱり世界は重なった亀の甲に支えられているのが真実の姿であると判明しないとも限らない。

 そんな議論はどうあれ、すべてを悟ったような顔をして泰然たる姿勢で歳月を重ねてきたアルさんを思うと、亀の甲もまた、バカにならないのだと思うと同時に、徒に年の功ばかり重ねている自分が、情けなくなってしまうのである。


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