火遊びにはくれぐれもご用心!!   H23.12
                                          ひょうご森の倶楽部通信 に寄稿
            
 火遊びにはくれぐれもご用心!!        楊柳寺活動地リーダー 池田幸恵

 息子が幼い頃マッチやライターを隠し持っていた。一大事になる前に、夕食にロウソクを灯したり、七輪を用意して「この中では燃やしてもいいよ」と火への関心を抑え付けないようにした。大人だって炎には魅力を感じる。田舎暮らしを始めた頃の旦那の趣味はたき火。最近は薪ストーブを設置し夫婦が屋内で火遊びをしている。それに、わが家で毎月開催する百姓くらぶメンバーもたき火が大好き。どうも火遊びは遺伝、感染率が高いようだ。

 そんな火遊び体験を活かす機会が森林ボランティア養成講座の交流会。夜、屋外で行うので、森の恵みでもある火を演出。かがり火台、丸太コンロ、時計型ストーブ、七輪などで灯りと暖を取り、調理も。ところが今年は雨の予報。屋内では様にならない企画を、興味深い事例紹介で場を持たせようと、思い出したがロケットストーブ。

 燃える時にロケットのような音を立てるのでこの名がついた。ロケットストーブの特徴(①)は強力な吸い上げ能力を持つ煙突(ヒートライザー)があり、長い薪が使え、焚口は煙がでず、横引きできる煙突。それも、素人が身近にある素材で手作りすることができる。最近は進化させた被災地用簡易版も考え出され興味深い(②)。現代農業7月号や、インターネットでも色々紹介されているので、あなたも森の恵みを楽しんでみませんか。
①    ②
② ペール缶ロケットストーブ



収穫の秋 田舎レストランは大繁盛   H22.10
                                          多可町文芸誌 たかの風 に寄稿
            
 稲刈りをした。草を抜かず手を抜いた田んぼは予想通り。バインダーが草を刈るだけで使い物にならない。ほとんど手刈りとなった。機械に頼らない稲刈りは静かで、毎年手伝ってくれるメンバーと一緒に話をしながら手を動かす。「モミがいっぱい落ちているんやけど誰の仕業?」と聞いてくる。私は「きっとハタネズミよ。鹿や鳥ならモミは残さない。きっとネズミの穴が地面にあるはずよ。」「ホント、ネズミの穴があちこちあるわ。」その後の昼食はわが家で獲れた米や野菜をたっぷり味わった。

 普段はカラスやアオサギが田んぼに来て、カエルを食べている様子。クモが電気柵や電線、いたるところにみごとな巣を張っている。これも田畑に色んな虫が来るから。かかっているのは、近くに巣のあるニホンミツバチが多く、紫蘇や草の花の蜜を集めるのにいつも忙しそう。

 畑では枝豆が食べ頃のはずだが、ちっともふくらんだ実がない。やはりその根元には、アナグマの食べ痕と思われる大豆のさやが山積み。ナスの実に穴をあける幼虫がいて見つけては取っていたが、今度はトマトを食べて大きくなっている。山芋の葉を食べる幼虫はあまりにみごとな大きさで思わず写真を撮った。栗が落ち始めたが電気柵の外にイガから転がり出た栗は誰かが食べている。その食べかけが時々残されているが、ネズミとアナグマのよう。鹿はまるごと口に入れるので、食べ残しはない。今のところ柵やネット内には猪・鹿の出入りはご遠慮願っているのだが。

 土の中でも大繁盛。モグラの穴を利用し地中を行き来するハタネズミはイモ類が大好き。大きくくり抜かれた芋を収穫することもしばしば。ラッカセイも味をしめたようで、種まき時にあっという間に食べられ、たった二株しか育っていない。この収穫も無事ではないだろう。そんなネズミを餌にするフクロウが夜になるとホゥー、ホゥーと鳴いているが、食べ過ぎては後々困ることを知ってか、こちらは捕り過ぎることはない。

 お金を払わない客ばかり。我が家は彼らのために農作業をし、余り物を食べ、豊かなその日暮らしをしている。


いい加減な暮らし            H22.06
                           多可町図書館発行の図書館だよりに寄稿


 八千代に私たちが越してきて18年。息子たちは自立し、今は夫婦でお金をかけないケチな暮らしを続けている。そもそも、こんな暮らしや仕事のきっかけは図書館で借りた、たくさんの本だった。

 年子の息子2人の育児中、絵本は必需品。次男の授乳中、空いた片手で絵本を持ち長男に読み聞かせ。これでよちよち歩きの長男をそばに座らせておくことができた。育児にイライラしても、「絵本の時間!」になると、ひざに一人ずつ座り3人で絵本に感動のひと時。毎日何冊も読む絵本はもちろん図書館で。息子たちがしっかり歩けるようになると、往復8kmの道程をピクニック気分で図書館通い。そのうち、私はお気に入りの絵本作家のエッセーも読破。彼らの優しさは田舎暮らしから生まれる、と思った。

 絵本などを参考に子どもと一緒にできる調理、工作、自然観察などにも挑戦。一緒にパンを作ったり、味噌、納豆も・・頑張れば頑張るほど思い通りには行かない育児。環境を変えるしかないと、絵本作家のような田舎暮らしを模索するようになった。

 紆余曲折の結果八千代に越すことが決まり、準備期間中にある人を訪問。その時の手土産は本を見ながら作った納豆。「なかなかおいしいね。納豆屋になったら?」と、思わぬ展開に「それもおもしろそう」と仕事が決った。

 八千代で暮らし始めるとなぞや知りたいことがいっぱい。それらを解決してくれる人も少なく、結局図書館の本で、田畑の無農薬栽培、農産加工、食べられる野草や薬草、動物や虫の名前など自給自足に必要な知識を得た。

 今では図書館で、自分が困っていることを解決する本を見つけ出す技を見につけた。と言うより、本があると安心できるからだろうか。図書館は暮らしと心の救急箱。本といい加減な旦那と、幸せに恵まれ暮らしている。


  たき火                  H12.12


 11月の夕暮れ時、たき火に人が集まってきた。我が家への訪問者だが、挨拶もそこそこたき火に手をかざしほっとしている。ここまで1~2時間、車やバイクでやってきた。久しぶりの好天でみんな畑仕事や家事に忙しかったに違いない。そんな疲れや緊張をこのたき火はほぐしているよう。

 特にご馳走があるわけでもなく、忙しいなかを遠方でかけて来てくれるのはなんだろう。たき火のおかげかもしれない。みんなたき火が好きで、そこに集まる人が好き、その暖かさを求めてだろうか。集まった人たちはそれぞれの地域、分野で世の流れに翻弄されないよう自分の生き方を、暮らし方をしている。たき火の一本一本が自分で燃えているように。時に世間の冷たい風が吹き消えそうになったり、煙始めたりする。そんな時まだ消えてない木々を寄せ集め、ちょっと風を送ってやると再び燃え始める。いや、今回はもっと勢いよく燃えたいから、勢いをつけるために集まってきたのだろう。

 たき火を囲んでの宴会が始まった。縁台に持ち寄った料理、つまみ、酒が並ぶ。たき火の炭を七厘に入れ焼き芋やするめ、ぎんなん、干物の魚が焼かれる、なべが暖められる。周りは暗く、たき火の明かり暖かい炎が私たちを引きつける。ふと大昔もこんなふうに火のそばに集まり夜を過ごしたのだろうと頭に浮かぶ。昼はお日様の恵みを頂き、夜はたき火に守られる。スイッチ一つで何もかも得られる便利なこの頃のくらしは、私たちにとって本当にいいくらしなのだろうか。

 たき火を見つめながらの話に皆が引き込まれていく。確かに色んな話を聞いたのに、煙とともにこの身体に染み込んでしまったのだろうか。語りたい人が語り、それを聞いてくれる仲間がいる。それだけでいい。風向きが変わって煙たがっている人、火バサミで火の守をする人、ただ炎を飽きずに見ている人。時が止まっているように思うのに、何時の間にか南に大きく光っていた星が西のほうに輝いていた。薪を足すのをやめても炎が小さくなっても身体を寄せ合うように人の輪がそこに集まってくる。ついに目の前の炎は消えた。その後の炭の輝き、暖かさに驚き、上を見上げたら真っ黒な夜空に無数の星が輝いていた。




  「百姓」の種まき   H12.9


 古い種が捨てられません。いい種をまくことが百姓の基本なのはわかっています。けちなのか、まだ芽が出るかもしれない可能性があるので捨てられません。ふられてしまうのはわかっていながら種をまくのです。私はそれを天気や蒔き方のせいにしてまた蒔き直します。種のほうがはっきりしていて「ダメなものはダメ」と言うのです。そして私は自信をなくすばかり。おかげでこの秋の野菜の寂しいこと。

 種の保存が悪かったのです。そんなことぐらいわかっています。でも私を慰めるために一粒ぐらい出てもいいじゃない。紫蘇やツルムラサキ,ミニトマトなんてほっといても勝手に出てくるのに、あなたはそんなにデリケートなの。もう畑に蒔いてあげないわよ。愚痴を言っても相手にしてくれません。

 こんなたよりない私が「百姓くらぶ」なんて集まりを持っています。当然初心者の方ばかり、でないと偉そうなこと言ってられません。彼らには「これは悪い例」とでも言っておきます。いつか彼らが自分で種をまいたとき私みたいに自信をなくすこともないでしょう。「そういや池田さんもよくやっていた」と。

 一人前に種まきもできない私ですが、畑仕事の楽しさ、喜びを知っているつもりです。畑にその思いが表れると誰かが言ってました。私の畑は野菜と草が元気に育ち、今秋の花盛りです。食べられるものはちゃんとめんどうをみてやります。そのために大きくなっているのだから。食べきれないものは誰かに食べていただいたり、佃煮にしておきます。それでも余ったものは種になり、来年あちこちから芽が出てくるでしょう。

 こんな畑と私を見て一緒に畑仕事を始める人があれば、「百姓」の種まきは成功です。





  今日も納豆屋は元気  H12.9

 私はけちである。けちでよかったと思う。ここに越してきたのも、納豆屋になったのもけちだからである

 納豆屋になったのは田舎暮らしの現金収入を得るためで、ある人に「田舎に住んで勤めをするのももったいない、家で納豆を作ったら」と勧められたから。引越しをする前にその人に会いに行ったのだが、けちな私は店で買ったケーキでなく手作りのものを土産にした。それがたまたま納豆だった。うちの子ども達は納豆が大好きでたっぷり食べさせてやりたかった。自分で作るとかなり安くできる。おいしい大豆を使っていたので友人たちにも好評だったが、それを商売にするとは思っていなかった。

 納豆の作業場を作るのも業者を頼むお金がないので、そこらにある物と頭と主人を使って、お金でなく時間をたっぷり費やして完成した。作業工程にも安い台所用品を使い、ラベルも手作り、納豆を作った後の廃棄する汁でさえヤギやニワトリに飲ませる。ほとんどが注文販売なので余りもしない。この無駄のないのがけちな私は気に入っている。

 売り物の納豆は食べられない。納豆を食べないでも頭と体を使うと元気になるようである。何を食べているかといえば自分達で作った無農薬の米や野菜。放し飼いのニワトリの卵、これも餌は糠だけで後は鶏たちが外で自給自足。ヤギもそこらの草。自然が豊かであれば健康でお金をかけない暮らしができると思って田舎に越してきた。だから余分にお金を稼ぐ気はない。子供達にはお金がないから大学にはやらない、で通した。暮らしていければいいのだ。

 8年余りお金をかけず楽しく過ごしてきた。これから夫婦どうなることやらと思っていたら納豆屋をしたいなどといってくる人がぼちぼち現れてきた。納豆を売らず納豆屋が活躍するとは楽しい。いい刺激を頂き、元気に暮らす。お金にならないことだけど私にはうれしい。



  ふるさとを走る   H10.3
 走り始めたのは12・3年ほど前。子どもは年子で二人ともおむつをしていて育児ノイローゼになりそうだった頃。そんな時、夫の「早朝ジョギングをしたら。子どもは寝ているし、僕も一緒に走ってやる」とやさしい言葉(今ではとても聞けない)。かくして夫は一週間も走っただろうか。ともかく目的は達成し、彼はゆっくり眠ることができるようになった。私は走ると一日調子がいいことに気づき、時々思い出しては走っていた。
 
 八千代に来て、冬の寒さには体がついていかなかった。畑仕事もないし運動不足にもなる。朝走ってみると案の定具合がいい。寒い朝食のしたくも苦にならない、暖房費の節約、健康によくお金もかからない。ついでにささゆりミニマラソンにも出た。そこで走友にもめぐり会えた。楽しく走っている友から、タイムや順位でなく、走ることの楽しさを教わった。走友いわく「同じ参加費払うんやったら、ながいこと楽しまにゃ損」と誘われるまま距離が伸びていった。

 はじめは10キロでも走れるか心配だった。申込締切まで悩んで決めた。後は毎日走るだけ。暗いうちから走り始めないと朝食の支度に間に合わない。凍結しているのがわかりにくく滑らないように、積雪の時は足跡をつけるのがおもしろく、明るくなってくると冷凍庫の中を走っているような景色、犬の散歩をしている人との挨拶、結構楽しく続けられた。

 初めてのマラソン大会はお祭りのようだった。いつもは一人道の端を走っているのに、この日は道路の真中をたくさんの仲間と走り、応援の人までいる。うれしくて楽しくて、物珍しくきょろきょろしているうちに終わっていた。それから毎年秋になると走り始め、どこかの大会に一つは参加した。

 ところで、私は京都府夜久野町の生まれ、3歳で西宮に引越し、6年前八千代に来た。震災で思い出深い所はほとんど変わりはてなつかしい人もごくわずかしか残っていない。私にとってふるさとって…むずかしい。そうだ、4・5時間も走るんならその時ゆっくり考えようと思った。この2月、フルマラソンに挑戦。42.195キロいつも車で見慣れた風景を見て走った。知った顔が、知らない人も「頑張れ!」と応援してくれた。ある人に「夜久野の原風景があなたに残っていて八千代に住むことになったんじゃないか」といわれたことを思い出し、謎が解けた。 



  5年目の畑   H8,8

 西宮から八千代に越してきた時、何もかもが珍しくじっとまわりを眺めてるだけで楽しかった。野菜をこんな広い畑に作ったら食べきれないと思っていた。
 
 しかし畑は荒れていて、石や草の根を取り除き耕しても土はカンカン。まるで今までほっておかれた土の気持ちのようだった。おいしい野菜が食べたい一心で、草を集めてきては堆肥にした、これはちょっと味噌作りに似ている。草や鶏糞を組みあとは微生物におまかせ。少々時間がかかるところも同じ。堆肥を畑に入れ、また微生物やミミズにおまかせして数年。サラサラした土は一畝立てる手間も以前とまったく違う。土が私を受け入れてくれたようで、耕していてもうれしい。この土でおいしい野菜が育つだろうと思うが、自然の豊かなこの畑は私たちだけのものではない、

 草に好意を持っている私は野菜も草も一緒にそだてる。その中に今までなかった芽が時々出る。鳥が種を落としていったのかしら。食べられる草はできるだけ残しておく。いざという時に、野草茶に、残りはヤギや鶏も喜ぶだろう。うっかり野菜が草に負けてしまうこともある。でも草の中の野菜は泥んこにならないし虫もつきにくい。夏の日照りも守ってくれる。大きくなりすぎたら刈って根元に敷いてやる。

 野菜を作っていない畝は草が伸び放題。時にそこに獣道ができていたりする。その草を次の野菜の準備に刈ると、モグラの穴だらけ。虫たちも慌てている。彼らにしたら私は自然破壊をする悪者だろうが、私も白菜や大根が食べたい、許して。でも私が食べられるかどうか。猪に鹿、野ウサギに狸、ネズミにモグラ、カラスにヒヨドリ、たくさんの虫たち。

 この頃は食べ方や足跡で誰の仕業か大体わかる。あんたたちに負けないよう私も手を抜きながら楽しむわ。そんなふうになかなか野菜はたっぷり味わえないが、自然の中で暮らす楽しさを味わっている。




  幸せに恵まれた幸恵  H8.5
ヤギが日の当たるところに座って目を細め反芻をしている。その姿は彼女にとって一番幸せなとき、と私には映る。贅沢モノの彼女は、せっかく草刈をしてやっても泥が付いていたりいやな草は食べないし、一度落ちてしまった物や人の食べ残しもだめ。好きなものは奪い取るように口に納め、ろくにかみもしないで飲み込む。もう一度好物を味わい直す反芻は幸せなわけだ。

そんなヤギの姿を見ている私は、いったいどれほど違うのだろうと気づいた。主人や子ども達に自立してもらうためといって、家事や妻・母親役の嫌いなことはできるだけやらない。好きなことは少々忙しくしていても、仕事を都合してでも出かける。こんな勝手なことができるのも、八千代に越してきて家族の心が広くなったからだろうか。

そんな気ままな暮らしの中で、一番大切にしたいことは、日の当たる縁側にちゃぶ台を持ち出し、コーヒーでも飲みながら通信の下書きをしているとき。ここでのくらしを紹介するつもりで書き始めた通信。広告の裏に思いついたことをどんどん書いていく。主人や子どものぐちも書いてみると彼らの良さにも気付く。うれしかったことを書き始めると感動がよみがえりまとめるのが大変だ。編集の時の必ず捨ててしまうつまらないことも文字にするとホッとする。世に出す通信は読んで楽しくなくっちゃ。それに心の持ち方次第で幸せに暮らせる、と通信の名は「そのひぐらし」。文もカットも下手だけど書いていて楽しい。

家事ほったらかしで印刷し終わった「そのひぐらし」は私が楽しみに楽しんだ後のかすなのです。ヤギで言えばコロコロのフン。
私のとってヤギの反芻のような縁側でのひと時が、今一番幸せを感じます。(なんと私は、山羊座でした!)




  田舎の便所  H6.8

 田舎の家は便所が外にある。畑仕事や屋外で過ごすことの多い今のくらしには便利だ。この家のできた頃は、玄関だけでなく台所も土間だったようで、座る間も惜しんで働いていたのだろう。

 「水洗できれいよ」と言っても、街の子は泊まりに来るのをいやがる。実際、2年前引越ししてきた頃は、うちの子ども達も同じだった。夜になると、一人じゃ怖いついてきて、とうるさかった。そのうち何も言わなくなり、薄暗いだけで幽霊もお化けも出てこないことがわかったようだ。それどころか、なかなか帰ってこなくなった。満天の星に気づいて双眼鏡をとりに戻ったり、懐中電灯を手に出ていく。蛍を見つけてきたこともある。暑い夜は外の涼しさに気づいて声をかけてくれる。

 朝も楽しい。一輪挿しの口にアマガエルが座っていて、いつも獲物を待っている。それを同じような格好で誰もが観察していた。眠気覚ましに川のほうまで歩いていこうものなら、パジャマ姿を忘れてしまう。小鳥がさえずり魚が泳ぐ。ヤギと鶏は姿を見つけ餌を催促する… しばらく家の中に入ってこないので大丈夫と思っていくと、新聞を読んでいる人もいてノックは忘れてはならない。

子供達が走って帰ってくる時は、ランドセルを投げ出して直行する。2キロちょっと歩くといい運動だし、家へついた安心感か、給食の食べ過ぎ、ともあれ間に合ってよかった。ある時、私を呼びながらでてきたので、何事かと思い行ってみた。表現は悪いが、大便器に盛り付けられた特大フランクフルトとでも言おうか。大きかった。便秘がちだった子が、よくこんなリッパなのをと感心した。という私も同じようなもので、今の健康をここで確認している。

隣の水洗の音が聞こえ、小さな家の階段の下に作られた空間では、気持ちよく出なくてあたりまえ。自然に恵まれた広々としたここは、健康だけでなく性格も変えてくれるのを実感しながら、毎日お世話になっています。




  「そのひぐらし」 H5,8

 田舎暮らしを始めて1年半になる。半年目に自分が皆から忘れ去られてしまう不安にかられ、通信を書いた。友人達はまだ覚えていてくれ、電話や便りが返ってきた。援助の品や「快挙祝い」も届いた。家族で遊びにきてくれる人もいて、ホッとし元気が出た。

 通信名は「そのひぐらし」 働き盛りの夫婦が職を持たないで毎日ウロついているためか、友人はいい名前考えたね、と誉めてくれる。内容は街に住む友人に、私たちの体験する自然の豊かさや地域の行事など、そのひのくらし。何もかも初めてで興味深く、書きたいことは山ほど。時間はたっぷりあるし、締め切りもない。気楽に書ける。「おもしろいね。次はまだ」を真に受け、以後3部書いた。

 ここで知り合えた人にも、名刺代わりに渡すと、そんな見方もできるのかと、興味を示してくれた。地元の人は自然の豊かさや恵みがあたりまえになり、感動がないようだ。彼らから紹介してもらい、同じ思いの人たちとも出会え、友人が増えた。
 

 何を書こうかと考えている時が楽しい。役場まで用があると、自転車で1時間走る。季節を味わい、体力をつけ、環境を守りながら取材する。いや、もう自転車で走ることを記事にしてしまった。地域に残るお宮さんの行事や葬式も積極的に顔を出す。

 書き始めたら一区切りまで机に向かう。そんな時に限って天気がよくなり、畑仕事がしたくなる。ちょっと我慢して書きつづける。ようやくできる畑仕事はたまた楽しい。調子よく畑仕事をしていると、今度は頭に次々と浮かんできて書きたくなる。
 

 通信の購読料の代わりに [年1回顔を見せに来るか便りを出すこと]とした。郵便配達のバイクの音がすると、畑仕事の手を休める。当分「そのひぐらし」で楽しめそうだ。