安浦のコンクリート船
太平洋戦争末期、資材の枯渇した日本は従来からの貨物船よりさらに建造材料を節約する方策として
鉄筋コンクリートによる造船を試みました。そうして生まれたのが第2次戦時標準船E型の設計を基にした
武智丸級と呼ばれる4隻の小型貨物船(総トン数800t)でした。戦後その内の2隻が広島県安芸郡安浦町(現
呉市安浦町)にある安浦漁港の防波堤に転用され、現在でもその姿を見ることが出来ます。
今回呉に行った機会に足を伸ばして見に行ってきました。 撮影 2005-4-30(1年以上前・・・)

防波堤として使われる第二武智丸の船体です。左側には同じく第一武智丸の船尾も見られます。

第一武智丸の船尾楼の拡大です。船体の丸い穴は舷窓の後です。

船尾楼を上部から見ています。中央の四角い穴が船橋の跡だと思われます。

こちらは第二武智丸の船首方向を撮影しています。中央の穴が船倉のハッチ跡です。
舷側の壁ががかなり厚いことがわかります

ハッチ部分の拡大です。水没している為見にくいですが舷側内部の構造がわかります。

船首から船尾方向を見ています。船体は微妙に左舷に傾いています。

船首部分のアップです。船首部分は鋼板で覆われています。
錨の上げ下ろしの際の船体の破損防止のためでしょうか?

船首楼内部の様子です。真ん中の丸い穴は錨の鎖が通る穴です。この穴を通って下の写真の船首楼上部
の穴へと導かれます。

船首楼上部部分のアップです。第2次戦時標準船の特徴である直線的な船体が良くわかります。

さらに船尾方向です。舷側には埋め込み式のフェアリーダーが見られます。

貨物ハッチ間にあるマストの基部跡です。両側はウインチの取り付け台跡です。

船尾楼内部です。右側の囲いの下部が機関室です。

機関室です。水没していますが機器の取り付け台などがそのまま残っています。

船橋跡後部にある四角い穴は煙突の跡だと思われます。
武智丸はディーゼル機関なので実際は排気管の立ち上げでしょうか。

入口近くにある武智丸にある看板です。
※武智丸は防波堤のため基本的に立入禁止です。
実際には釣り人などがいるので撮影は可能ですが危険な行為はやめましょう。

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