両子寺 仁王 国東六郷満山修正鬼会
民芸六郷山房 虎熊 佑 作  国東半島では修正鬼会(しゅじょうおにえ)のことを「しゅじょおにお」と呼んでいる。これは国東における天台寺院の年頭行事はじめで、修正会(正月会)のことである。
 修正会は追儺(ついな)ともよばれ、この儀式は約千三百前朝廷で行われ、吉祥天悔過(けか)・鬼やらい・厄払い・厄落し・鬼走りとなり、薬師悔過とならんで古代仏教の重要な行事とされ、自己の罪障を懴悔する法会である。その後これらの儀式は次第に農耕祈願となり、年頭の招福攘災祈念の行事となった。
 国東では仁聞菩薩が寺院を開基したと伝えられる養老二(718)年以来、天台寺院のほとんどで異国降伏・国家安泰・五穀豊穣・無病息災を祈って行われきたが、いまは三ケ寺で古式を伝えて行われている。この修正鬼会鈴は行事につける鬼会面を形どったもので、魔除け・災難除けとされているものである。敬白


    民芸六郷山房 虎熊 佑 作
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吉四六(きっちょむ) 里芋土鈴 深田石仏
  吉四六(きっちょむ)は実在する歴史上の人物。豊後国野津院の生まれ(現在の大分県臼杵市野津町)。本名を廣田吉右衛門といい、名字帯刀を許された地方の庄屋であった。吉四六は一休、彦一と並んで特に知られるとんち者であり、児童文学などで盛んに題材に採り上げられている。
 彼は出世してからも権力を嫌い、弱者や貧しい人に味方をしたことから、義雄扱いもされている。特に地元大分県では、焼酎の銘柄や吉四六漬など、商品名にも採用されていることからも愛着心が窺える。もっとも、吉四六と吉右衛門のつながりは伝承の域を出ず、厳密には不明確であるが、初代廣田吉右衛門(1715年(正徳5年)12月27日死去とされる)であるとの見方が有力である。
   出典: フリー百科事典『ウィキペディア』

   吉田東光 作(出品者の商品説明から) 
 この度は、私の作ります土鈴のご注文を賜りとても嬉しく思っております。
 土鈴一つひとつに愛を込めて作って居ります。皆様にお気に召して頂けるとよいのですが。
 私の作ります土鈴の中に入れています石は祖母山から流れています大野川の清流にもまれできた小石です。大きさ、丸さを見つける楽しさもありますが、探すのに苦労しています。
 これからも楽しい作品づくりをして参ります。また、皆様のお手元に私の作品がお届けできますように願っております。

大分県豊後大野市緒方町原尻524
        楽園工房あのね 吉田ユリ子
 
 日豊本線臼杵駅より徒歩四十分 自動車十五分 深田石仏は千年の謎を秘めて今に残る六十余体の磨崖仏が雨露、風雪に曝され荒廃したとは言へ、其の苔むした慈悲忍辱のかんばせ、荘厳なる姿には、思わず衿を正させるものがある。
 当時の豪族、真名の長者の燃ゆる信仰は祇園精舎の縮図再現の夢を具視し、五個院の伽藍の雄大なる結構、百躯に余る仏像の全容は、長者の一族郎党を初めとして、近郷近在の善男善女が日夜此の法灯の下に集い、東九州の一角に信仰の中心として、大陸文化の曙光を放ったものと思われる。其後千年の星霜を経て、世は戦国の代となり、大友宗麟が臼杵丹生島に築城して、九州を風靡し、切支丹を信ずるに至り、遂に無惨にも法灯も全く消え、爾来数百年の間は誰訪ふ者もなく忘れられ国宝的古代美術日本石仏中の傑作も、大正初期まで深く叢に埋もれていたものである。石仏中の傑作を模し、郷土人形とし石仏人形と名付け広く来訪者にわかつ。
Yahoo! Auctions 神戸土鈴友の会お土産土鈴 別府市小倉町 豊 泉 堂


臼杵石仏・蓮の蕾 地獄焼・おんま 宇佐(八幡)神社授与鈴
  大分県郷土玩具 地獄焼 明治三九年頃別府血ノ池地獄の赫土をもって焼き出されのが地獄焼の始まりである。
 おんま (昭和四十一年工芸みやげ品受賞作品)
  鉄輪温泉蒸湯の開祖一遍上人が、唯今の別府上人ケ浜に上陸されたのは今より七〇〇年前の建治二年の事である。
 御上陸後鳴動する灼熱地獄沈静の為、亀川から鉄輪にのぼられた一遍上人の御徳に深くうたれた兵助と云う若者が、一頭の馬を献じてその御供を申し出で、道中の御安全の為忠勤をはげんだ故事に因んで作り出したものにして、交通安全、魔除けの土鈴として、音色の妙を楽しんでいただきたいと存じます。
                  別府 豊泉堂
小原スミコ 作 Yahoo! Auction


臼杵石仏 禅海和尚 丸土鈴・獅子頭
臼杵石仏会館 青洞門 湯布院


熊野磨崖仏・不動明王 熊野磨崖仏・大日如来 両子寺・仁王
 国東半島の天台寺院や神社は、明治元年の排仏毀釈まで神仏混淆でありました。そのため現在も神社や仏閣の門前には、石造りの仁王象を多く見ることができます。
 仁王のことは、金剛力士または蜜迹金剛ともいわれ、仏法の護持にあたった意味から護法神、守護神とされています。
 仁王像はその形相に見られるように、悪鬼魔神を一歩たりとも門内に近ずけない姿をしております。この形相で、開口したものを阿形・閉口したものをうん形といっていますが両象は本来一体像の分身にすぎません。
 社寺の門前に、仁王像がこれほど多くあるところは全国的にも珍しく、仁王がいかに信仰上重要であったかがわかるでしょう。
 仁王は悪鬼魔神を近ずけずその境域を護るとされていますが、仏者や信仰篤い庶民を守護してくださる意味から、古くから災難避除けまたは開運の仏ともいわれております。その意味からこの仁王(土鈴)が多く用いられています。
熊野磨崖仏 民芸六郷山房 虎熊 祐 作