菖蒲谷村はどんな村 ? (村の概要と歴史)
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〇 村の概要
藩 龍野藩
村の軒数と人口 17軒、 約60人(江戸時代、慶応年間)
田畑 約8町歩
コメの収穫高 31石(江戸時代の初期)
特産物 コメ、木材、薪、キノコ、薬草、炭など
植物 ウラジロ、千両万両、コシダ、サンショ、ガンビ、
アカマツ、ヒノキ、スギ、クヌギ、カシ、シキミ(樒)、ツバキ、アセビ(馬酔木) など
石高 江戸時代
慶長年間 38.250 石
寛永 31,622 石
正保 31.622 石
元禄 31.622 石
天保 44,598 石
村の跡に残る遺構 札場跡(顕彰碑、脇坂公建立の石碑)、廃屋、井戸、荒神社跡
寺屋敷跡、説教場跡、三昧跡、六地蔵、墓地 など
棚田跡(多数あり)
伝説が残る所 巨岩(コケコロ岩、万灯岩、雨乞い岩)
車池
山上のため池 楓池、大成池、新池、西の峠池、車池、地獄谷池など
展望の良い所 屋敷台、イスガタ
〇 村の歴史
村の起源 不明( 少なくとも15世紀以前 )
村の軒数の移り変わり
江戸時代(慶応年間) 17軒(男33、女23人)
明治14年 19軒 (67人)
明治24年 17軒 (68人)
明治 末 13軒
大正 末 12軒
昭和15年 14軒
昭和32年 4軒
昭和35年 2軒
昭和40年 1軒
昭和41年 0軒 (廃村となる)
〇 資料・文献等
「龍野市史」(第1,7巻) 龍野市編
「嘉吉の乱始末記」 八瀬久著
「相生市史」 相生市編
「西栗栖村史」 西栗栖村編
「播磨の伝説」 玉岡松一郎編著
「善定村史」 新宮町善定自治会編
「丸田家文書」 丸田家所蔵
〇 村跡の絵地図 (龍野市史より)
青い道路は現在の道(新道)、赤い道は昔の山道(旧道)