菖蒲谷のおもな歴史年譜
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昭和中期の村の様子
平成中期の跡
平成中期の荒神社の跡
[村の誕生] 時代不詳(14世紀以前?)
[1441年]
嘉吉の乱における城山城攻めの時と思われる伝説がある。軍勢が菖蒲谷の村近くに迫ってきた。(龍野市史)
[15世紀末?年]
蓮如上人の供をしていた弟子「釈聞道」が菖蒲谷を訪れ、住み着いた。浄教寺を開基した。(丸田家文書より)
[1601年]
浄教寺が新宮町上莇原村へ移転した。その後毎年、寺から僧を呼び説教場で仏事などを行った。
[戦国時代、江戸時代]
龍野、脇坂藩の所領として、年貢を納めていた。
[慶長年間]
石高帳に菖蒲谷村が出現(西暦1596~1615年、慶長年間)
[正保年間]
正保郷帳の絵図に「菖蒲谷村」が出現(西暦1645~1648年)
[1693年]
脇坂公が碑を建立(元禄六年 癸酉歳)。脇坂安照公と思われる。翌年父が他界した。
[明治時代(末期)]
戸数 13軒
[大正時代(末期)]
戸数 12軒
[昭和39年]
戸数 2軒
[昭和41年]
最後の1軒が離村し、廃村となる。
参考文献 : 龍野市史第2巻、第7巻、丸田家文書