【鬼の霍乱】
秀麗は怒っていた。
それはもう、ここ最近ちょっとないほど怒っていた。
たまたま耳にしたその話を聞いてから、
簡易の調理場を借りて、薬をもらい、荷物を抱えて移動する今このときまで、
ずっと怒りっぱなしである。
すれ違った人が何人かいたようだが、誰も声をかけるものは居なかった。
おかげで邪魔されずに最短で部屋の前までたどり着く。
中に居るのは仮にも病人だから、
秀麗は持って行き所のない怒りをひとまず横に置き、
入るわよ、と小さく断ってからゆっくりと部屋の戸を押した。
*
最初は朝の執務室だった。
遅刻だ、と騒ぎながら入室する燕青が今日はいない。
これは完全に遅刻かしら、と思った所で、
見透かされたように悠舜からは「今日丸一日は別の仕事を頼んでいるので、
静かに執務できますよ」と、
彼特有の穏やかな表情で告げられた。
秀麗は、それは貴重ですよね、と笑ってこの日の仕事を始めたのである。
そして日が中天に昇る頃、
たまたますれ違った別の官吏から、
「風邪なんて鬼の霍乱もあるもんですよね」
と言われたのだ。
「はい?」
自分はよっぽど間抜けな顔をしていたのだろう。
話しかけた官吏が逆に驚いたように付け足した。
「え?あ、いや浪官吏、風邪ひいたって・・・」
「は!?・・・彼は今日一日別の仕事についてるはずですけど・・・」
「あ、あれ?そうなんですか。・・・あ、じゃ、じゃぁきっと何かの間違いですよね」
あの浪官吏が風邪なんてひくわけないですもんね。
あはは、とその官吏は頭をかきながら辞する礼をして行ってしまった。
悶々としたまま、執務室へ戻る。
丈夫だけが取り柄のような男にたった噂にしては少々お粗末過ぎるが、
それでも火の無いところに煙はたたない。
朝、燕青の動向を知らせてくれた悠舜だけが、本当のことを知っているに違いない。
「あの、悠舜さん」
「はい?なんでしょう」
「・・・もしかして、もしかしてーなんですけど、」
馬鹿なことを聞くちょっとした後ろめたさから、
前置きが長くなる。
「今日どこかで鬼の霍乱が起こってたりしますか?」
「・・・どちらかで耳に?」
コクリ、と頷くと、悠舜は、知られてしまいましたね、と半分微苦笑をするように溜め息をついた。
「言ってくれれば、と言うお顔をされてますね」
すみません、言い訳ではありませんが当人に口止めされていたので、と続く。
「それでも一応嘘は言わないようにしたので、ご勘弁下さい」
余計な心配をかけないよう、あとはうつしては申し訳ないとあの体力馬鹿なりの考えだったのでしょう。
秀麗はそこで初めて、悠舜が燕青に頼んだ今日丸一日の別仕事が静養だったと知ったのだった。
「私へのお怒りはあとで受けますから、今は諸悪の根源へ矛先をお向けください」
悠舜はそういうと、燕青がいる部屋の場所を教えた。
なんと執務室とは階さえ違うものの、同じ建物内の一室であるという。
表向きはなかなかに物騒な悠舜の台詞も、
裏を返せば様子見に一旦仕事を抜けていい、と分かった。
恐縮しながら秀麗は礼を述べる。
そそくさと執務室を退出した秀麗を見ながら、
怒られるどころか最終的には感謝すらされて終わった悠舜が、
一人微笑んでいた。
働きすぎな小さな少女への有無を言わせぬ休憩(になるかは疑問も残るが)の理由と、
体力馬鹿への上司の落雷によるお灸、
もう一つ言えば、病は気から、
上司の見舞いがあれば、今日の夜にでもたちまち治るに違いない。
一石三鳥。こんな話ばかりならいいのですが、そう苦笑して悠舜は再び書簡へ目を落とした。
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【悪夢】
身体が、底冷えするように熱かった。
徹夜明けだから、多少本調子じゃないとは思ったが、
まさか熱を出すとは・・・
(俺も歳食ったってことかよ)
あーぁ、切ないねぇー、と徹夜明けのまま執務室に顔を出した瞬間、
何がどうばれたのか悠舜に撤収を命じられた。
「あー、全然平気だって、動いてりゃそのうち」
「その体調で、あの州牧たちに『体調管理も仕事のうち』と言うおつもりですか?」
「あ、汚ねぇ」
「事実を言ったまでです」
幸い、今日は私だけでも大丈夫ですから、貴方はとっとと治すもの治してください。
そういうと会話は終了とばかりに悠舜はひらひらと手で追い払う真似までして、
燕青を執務室から追い出した。
早くしないと、愛すべき州牧たちが出仕してくる。
ああなったら悠舜はてこでも動かない。
燕青は、あーあ、と自分の不甲斐無さと重ねた齢を情けなく思いつつも、執務室を出て行った。
「どーっすかな」
出て行けと言われても、家代わりにしている所へ戻るつもりはなかった。
二三刻横になれば回復するだろうと踏んだからである。
傍目からはなんら変わりない様子で執務室から一番近い仮眠室まで行きかけて、
ハタと止まった。
執務室から近すぎるのも、何かの折に秀麗たちに知られては面倒だ。
悠舜がばらすことはないだろうから、
今日一日見つからず治してしまえば何の問題もない。
燕青は別の階の仮眠室を借りることにして、
そしてその部屋に入るときに近くにいた役人に、『丸一日貸しといて』と念のため言い置き、
さらに悠舜に現在地を言付けてくれるよう頼んで、中に入った。
非常時はいつ起こるかわからないからである。
バタンと後ろ手で扉を閉めると、部屋の中が薄暗くなる。
仮眠室はいつだってこのくらいの明るさだ。
そういうように窓が作られている。
人目がなくなると、とたんに眩暈がした。
フラフラと寝台へ近づき、
いつも寝るときのように履物と上着だけを脱ぎ、めんどくさそうに髪紐もほどく。
バサリと一度だけ頭を振って、そして冷えた寝具にもぐりこんだ。
ぶるり、と体の芯から震えが来る。
久しぶりに、嫌な夢を見そうだった。
何を見るかはわかっている。
(わかってても見なくちゃならないって理不尽だよなぁ)
誰に向けるわけでもない愚痴を、
それこそ悟ったような表情で言うと、
燕青は、仕方なく目を閉じた。
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【悪夢の中】
入るわよ、と告げた言葉に返事はなかった。
既に眠っているのだろう。
秀麗は起こさないように注意をしてキィと扉を押すと、
簡単な寝台の上、壁の方を向いた大きな布団の塊が目に入った。
傍に近寄り、様子を窺う。
普段ならのびのびと自由にさせているその体躯を、
掛けた布団を巻き込むようにして縮めていた。
額には薄っすら汗をかき、眉根は寄せられている。
苦しいのかもしれない。
長めの前髪をそっとかきあげて額の熱を測ろうとしたとき、
ものすごい勢いでその手首をつかまれた。
(!?)
悲鳴を上げる間もなく、あっという間に身体を入れ替えられ寝台に押し付けられる。
秀麗の喉笛にはもう片方の燕青の手指が食い込んだ。
その指がかなり、熱い。
仮眠室は普段から雨戸を閉めている。
いつでも寝られるように日の光を遮るためだ。
そんな薄暗い部屋の中、瞬間で身を起こした燕青の目が獣のように光っていた。
普段は黒檀色なのに、それが何故だか知らないが鈍い金色に見える。
「え・・んっ・・・せ!」
ギリギリと食い込んでくる手指を何とか緩めるよう秀麗は懸命に名を呼んだ。
燕青が見下ろしているのは、自分であって自分ではない。
縊り殺そうとしているのは、もうとっくに片がついたはずの何かなんだろう。
はっは、と肩が上下するくらい荒くて熱い燕青の吐息を浴びながら、
秀麗は何とか片手を動かし、燕青の頬へ腕を伸ばす。
「もう、・・・だいじょ・・ぶ・・・」
人を苦しめることを決して好まない燕青がこんな凶行をするくらい今苦しいのだ。
そう思うと秀麗は苦しい息の下、何とか無理をして笑った。
安心させるように。
二回目はもう潰されて声にはならない。それでも秀麗は大丈夫と繰り返した。
ビク、と秀麗の首を掴んでいた手指の力が緩む。
短く切られた吐息が、瞬間ピタリ、と止まり、
殺気しかなかった顔に、みるみる身を切られるような痛みの表情が浮かぶ。
まるで、
泣き出す前の子供みたいな。
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寝台の縁によろりと身体を起こしながら、げほげほと盛大に咽る秀麗の横で、
燕青は、何を言ったらいいのか分からず呆然としていた。
「・・・姫さん、俺」
何かを詰まらせた時ならば、気軽にポンポンと背を叩いてやるものを、
こんな姿にさせた張本人が触っていいものか、
熱に浮かれた頭でも迷った。
燕青は一度伸ばしかけた手を、秀麗の背中に触れるギリギリで迷い、
そして諦めて手のひらを戻した。
秀麗は、まだ軽くけほけほと軽く息をしながら、
ううん、と首を振って笑う。
「やな夢、見てたのね」
熱の時は誰だってそうなるわ、と穏やかに笑い、燕青の前髪を漉く。
ぺたり、と当てられた秀麗の小さな手はひんやりと冷たかった。
「うん、やっぱりまだ相当熱い」
「・・・・」
「薬、飲んだ?」
「・・・・」
「何か食べた?」
「・・・・」
あー答えるのも辛いわよね、と秀麗は苦笑するように呟いて、
手桶に汲んできた水に手ぬぐいを浸そうと寝台の縁から立ち上がりかけた。
その袖が、くい、と引かれる。
ん?と引かれた方を見ると、寝台の上、起きた体とは反対に頭を垂れたようにした燕青が、
搾り出すように言葉を紡いだ。
「姫、さん。酷い目あわ、せて、ごめん。
・・・ほんと、ごめん。でも、」
ちょっと、ここに、いて。
こんな姿を見せることすら大失態なのに、
あまつさえうなされて秀麗を手にかけそうになるなどと、弁解のしようがない。
一番始末に終えないのは、
そこまで理解しているのに、
それでも秀麗に傍にいて欲しいと口走るこの口である。
燕青は自分の失態と口走った台詞を猛省して、
朦朧としながらも、いつもの調子をなんとか手繰り寄せ、
慌てて言い直そうとした。
「・・あー、うそ、今の、うそ。うつるから、かえって―」
「いいわよ」
燕青の台詞の後半を丸ごと遮る形で秀麗は何の躊躇もなく言った。
こんな燕青ほっておけるわけないじゃない。
掛け値なしで言われたその言葉が嬉しかった。
「あと、上着着なさいよね」
ふと我に返ったように秀麗が注意をする。
上着なしで寝ることは、散々の悶着の末やむなく押し切られたが、
今は病人である。通常の理屈は通らないに決まっていた。
「あったかくして、栄養とって、沢山汗かかなきゃダメじゃない」
着替え持ってきたから、はい背中向けて、と秀麗は乾いた手拭いで燕青の広い背中を丁寧に拭った。
「・・・あと自分でやる」
放っておくと首、胸、腹、とそのまま拭きかねない秀麗に一言断り、
燕青は手ぬぐいを受け取った。
素直に従ったあたり、秀麗にも若干の戸惑いがあったのかもしれない。
「はい、着替え」
ぽい、と目の前にその着替えが投げられるかと思いきや、
袖ここね、と秀麗は懇切丁寧に燕青の手の先をもって促した。
「姫さん、さすがに、」
着替えくらいやれるって、と火照った息で苦笑交じりに返すと、
「駄目よ、病人の特権放棄したら」
いわく、病人は病気を理由に多少甘えていいものだ、という。
「それでなくとも燕青は全然甘えたりすることないんだから」
この際どーんと甘えたらいいんだわ!
そう言って、自分の胸をバシンと打っている。
よいしょ、と秀麗は自分と造りから違う骨太い腕を持ち上げて、袖へ通す。
どう控え目に見たって燕青が自分で着た方が早いのだけれど、
燕青はあえてそこを言及しなかった。
嫌な夢を見ても、大丈夫だと言ってくれる人が傍に居る。
甘えればいい、と大の男に言い切る人が傍に居る。
こんな幸せなことを削る道理はない。
熱に浮かされた頭だから、常春なことを考えたとしても仕方ない。
そんな無茶苦茶な理屈をつけて燕青はこの状態を自分に許した。
手ぇ伸ばしたら抱きしめられるなー。
そんなことを考えて、
一瞬迷って、
実際にするのは、やめた。
「ちょっと、笑ってないで今度そっちの手!」
着替えさせるといったものの意外と時間がかかってしまい、
秀麗は少々焦って言った。
頭から乾いた衣服を被らせて、ようやく着替えが終わった時、秀麗は思わず、はぁ、と脱力した。
「梨剥いてきたけど」
「・・・食う」
素直に頷いた燕青を見て、秀麗はホッとしたような顔をした。
食欲さえあればあとは薬と睡眠で良くなる。
秀麗が楊枝の先に刺した梨を差し出すと、しゃく、と素直に齧りつく。
半分ボーっとしたような燕青は、ただ差し出されるまましゃくしゃくと梨を齧り、
秀麗は親鳥にでもなった気分だった。
「はい、じゃぁこれ飲んで」
小さな椀に濃い海老茶色の液体が入っている。
顔の近くまで持っていくと、とたんに燕青が顔をしかめた。
「なんか、すっげー、にがそう」
「薬は苦い方が良く効くの」
ちゃんと飲んだら梨一切れ上げるから、口直しのために残しておいた一つを指してそう宥める秀麗は、
子供みたいに嫌がる燕青がどうしてだか嬉しかった。
「ひめさん、人が苦しんでるのに、笑顔ってひでぇ」
男らしく一気に飲んだあと、燕青はしかめた顔でそう抗議した。
「え?あら、笑ってた?み、見間違いじゃない」
はい、口直し、と出された梨を一刻も早く口の中へと焦った燕青は、汁気滴る梨を手づかみした。
そして普段なら一口で消えるところが、二口になったため喉と手のひらを汚す。
「あーっちょっと!」
汚したことは気付かないのか気にしてないのか、
口の中の違和感に気をとられている燕青はもう一個、と秀麗にねだろうとして手首をつかまれた。
「ああ!動かないの!はい、手開いて、あと上向く」
せっかく着替えたのに、とお小言を言われながら手拭が喉を滑る。
こんなのに慣れたらまずいよなー、と頭の隅でぼんやり思いながらも、
燕青はくすぐったそうに首をすくめた。
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「あとはとっとと布団に戻る!」
薄暗い中でも、汚れた手と喉をあっという間に拭き終えると、
秀麗は身体を起こした燕青に向って言い放った。
その勢いに燕青は、はいせんせー、と返し、久しぶりに上着を着たままで寝台に
ゴソゴソと潜っていく。
秀麗はうっかり、いい子ね、とでもいいそうになる口を押さえ、
上掛けをきちんと肩口まで引っ張り上げて、ポンポンと軽く叩いた。
「薬飲んだから、きっと下がるわ」
「ん・・・」
寝付くまではここにいるわね、とさらりと額の髪を撫でる。
数回撫でて、そしてそっと手をどける。
穏やかに目を閉じているかと思った秀麗の予想ははずれ、
逆に何かに気付いて少し眉根を寄せた燕青の目線とぶつかった。
「まだ、つらい?」
布団に戻れと指示した時とはまるで違う柔らかい声が出る。
目を伏せられて、違うと否定された。
そして何か呟いたようだったが秀麗には聞き取れない。
なぁに?と顔を寄せるように近づけた。
燕青はだるそうにしながらも、上掛けから腕を引っ張り出すと、
秀麗の喉元を示すために指先を近づけて途中で止めた。
そして、折り返して燕青自身の喉元へトン、と指をつく。
「姫さん、の、ここ。ごめん、痕つけちまった」
多分すっげぇ紅い、ごめん、とまた繰り返して目を伏せる燕青を見て、
秀麗は困ったように笑った。
寝転んだ燕青からは、秀麗の喉に浮かんだ指の痕が見えたらしい。
自分ではまったく気付きようがないけれど、
薄暗い中でも見えたのだから、つけた本人にはさぞや断罪の印のように映っただろう。
「痛くないし、そんなの直ぐ消えるから気にしないで・・・って言っても無駄ね」
燕青律儀だから。
一度伏せた目は、もうしばらくこちらを見ることは無いだろう、
このままずっと負い目を持たれても困る。
と、そこで秀麗はひとつ思いつきを試してみることにした。
燕青の腕は、彼自身の喉元を示した後、上掛けの横に放り出されたままだ。
秀麗はそれを布団の中に戻すために持ち上げて、
少しだけ袖をずらして手首を晒す。
そして、
そのまま、
内側をきつく吸った。
「ッ!?」
な、と一言発したまま、その次を告げられずに燕青が身体を起こしかけたのがわかった。
それでも振り払われるようなことはされない。
秀麗はそれを確認して、少し痛いに違いないくらいの強さで続けた。
クッと唇の下で、手首の筋が動いたのがわかる。
手の指を握ったらしい。
ぷはっと何かを一気飲みした後のような声で唇を離すと、
そこには明らかに他の場所とは色の違う痕ができていた。
顔を近づけて、その場所を確認する。
「うん、これでよし」
ひとしきり満足げに頷く秀麗に、燕青は殆ど固まったままで聞いた。
「あの、さ、姫さんいまの、なに」
我ながら情緒も何も無い聞き様だけれど、
(情緒があっては色々困るのだからそこは喜ぶところなのだが)
そうとしか聞けなくて参った。
「えー、だって燕青、私に痕つけた負い目墓場まで延々持って行きそうだし、
そんなのやめてって言っても、【大人な】燕青には通じそうにないし」
だから実力行使。
と素晴らしくにっこりと笑われて、燕青は絶句した。
「あのね、こんな痕の一つや二つで負い目持たれて、
妙に距離とられて、そっちの方が困るのよ」
これでおあいこになったでしょ、と秀麗は燕青の手首の内側をトンと指した。
「あーあ、ちょっとうっかり痕つけちゃったわ、ごめんね燕青。でも反省してるから許してね」
思いっきり棒読みの台詞を淡々と言われて、燕青はもう笑うしかなかった。
ドサッと半分起こしかけた身体を脱力させるようにまた転がる。
「あ、こら笑ってないで、ちゃんと許しなさいよ」
「・・・わかった、いい、姫さんも気にしなくて」
「うん、ありがとう」
そして、驚かせてごめんね、と本心から言っているとわかる声色で秀麗は言うと、
今度こそ本当に上掛けの中に燕青の腕をしまった。
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ああしたら、痕になるって、
何で
知ってた?
とろとろと蜜のように眠りが寄せてきているのを感じていた。
まだ寒気は続いているけれど、眠ることに嫌悪はもうない。
傍に人が、しかも一番居て欲しい人が居るだけで。
何で、と秀麗に問いかけた声は、呆れるくらい小さくなった。
病気で、熱が出て、薬の所為で、眠いから、
だからそんなことを聞いたんだと、
そう、思うことにした。
秀麗は、燕青の出した声の途切れ具合に、
ふ、と安心した吐息を漏らした。
そして、以前腕の内側に切り傷作った時、
血止めで思わずやったら痕ついたことあったから、と静かに答えた。
「変なこと、気にするのね」
それに類似する事例で以外、逆にどうやって知り得るのか、
とでも言いたそうな秀麗の答えに、燕青はまた脱力した。
何を期待して、何にホッとしているというのだろう。
自分以外の誰かを選んでもいいと、
・・・いや、そうじゃなくて、
自分を選んではいけない、と悲しいくらいに理解しているのに。
「燕青?」
眠ろうとしている燕青の表情が少しだけ翳ったのを、
薄暗い中でも秀麗は目敏く見つけた。
また嫌な夢でも見そうなのだろうか。
秀麗はひとつ息をつくと、
子供だましって笑ってもいいわよ、と前置きして、
「おまじない、してあげる」
そう言うと、燕青の瞼の上にそっと手のひらを乗せた。
ふわり、と花のような香りがした。
余分な力が一切かからないように、
そっと置かれた細い指先。
柔い手。
その力加減だけで、
どれだけ大切にされているのかがわかるかのような。
おまじない、だと言ったそれは、
唄のように聴こえた。
― 悪い夢見ても、大丈夫。
大丈夫よ、ってまた言ってあげる。
何回でも、言ってあげる。
守らせてね。
ちゃんと、守るから。
秀麗がゆっくりゆっくり言い聞かせるように話す言葉を子守唄代わりにして、
燕青は長い息を吐いた。
ふわふわとする頭で、声に身を任す。
また、言ってくれるなら、
それならまた見てもいいな、とそんな不埒なことも考えた。
でもそれはきっと、叶わない。
残念ながら、このおまじないの威力は半端なさそうだから。
すぅ、と静かに上下する胸を見て、ゆるゆると秀麗が手のひらをどけると、
多少熱いけれど穏やかそうな顔がある。
秀麗は、ホッと表情を緩ませた。
「また、夕方様子見に来るわね」
そう言って、自分が幼い頃熱を出したときに代わる代わる家族にしてもらったよう、
去り際、額にひとつ口づけた。
家族の元気を分けてもらったようで嬉しかった記憶があるから、
それは病人に対しての実に自然な振る舞いだと思っていたのに、
唇に感じたのは生身の熱さだった。
(あれ?)
反射で急に自分のしたことが恥ずかしくなり、慌てて身を起こす。
ついでに、手首とはいえ結構、いやかなり自分は大胆なことをしたのではないか、
と今更ながら床を転げそうなほど悶えそうになった。
実際転げては折角寝入った燕青を起こしてしまう。
秀麗は、頼むから熱で覚えていませんように、と祈って、
来た時と同じく、なるべくそっと部屋を出た。
パタンと後ろ手で扉を閉めると、
眩しさに一瞬視界が暗くなる。
一気に現実に引き戻された秀麗は、
部屋に入る前に横にどけた怒りの気持ちを、
とりあえず燕青が全快した後にぶつけるために拾いなおして心の隅に保管する。
「あー、以外と長いこと時間かかったかも・・・」
秀麗は、抜けてきた執務室へ全速力で駆け戻っていった。
(ハナノリさんより)------------------------------------------------------
はい、長らくお付き合いありがとうございました。
一番私が楽しませてもらいましたよ。うふふふふふふ
この後、
回復しても、キスマークは残ってて、
そこに燕青は間接チューをしようとしたのか、とか
悠舜が、戻ってきた秀麗の紅い首の痕みて、
『病人が何色気づいてんですか』とか燕青に殺気を飛ばすのかしら、とか、
でも秀麗に「やり返してやりましたから!」とか、
言われてすごい複雑な顔になる悠舜とか、
とにかく色々考えると楽しいです。
では、では。
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まままままままたもらってしまったーー!!!今度はつばめが熱を出しましたよ!
このお話はメ−ル連載みたいな形で送ってもらってたんですが、
その合間でハナノリさんと交わしたやりとりも、すんげー楽しかったー(笑)
2人とも、もーネタが出る出る。さすがE型感染者※。
リンク元になってた絵は、熱だしてあーってなってる燕青と、姫さんをうっかり押し倒した図(←)でした。
ハナノリさん、ありがとうございましたー!
※E型感染とは、燕秀・とくに燕青が好きすぎて残念な感じの病気です。
現在日本で確認できているのは数名。 (他の型はたくさんいたりする。E-S型とか) でもノーマル型、中でもすれ違い仕事がらみうっかり悲恋となると、 患者数は二名。
人から人への感染経路は主に文字。視覚感染する恐ろしい病気だぜ…!
ちなみに↓は、E型感染チェックシート。
□大人で頼れる兄貴分が、好きな子の前だとただの男になっちゃうのが好き
□しかも相手への好意を隠して理性総動員とかしてるとたまらん
□上司と部下・歳の差など、障害はむしろ歓迎
□女の子が健気で頑張る姿はぜひ応援したい
□でもごめん、すれ違いは大好きなんだ……
□幸せになってほしい!幸せになってほしい!でもいざ本当に公式でくっついたら困惑する、ぜ…?
チェック項目が多いひとほど、感染の可能性が高いです。
なおこの病気は感染すると他の同病者を求めさまよう傾向があ り、感染者同士が集まると症状が劇的に悪化します。
積極的重病患者は名乗り出ましょう★