「はっ!」
裂帛の気合の元、男は目の前の青年に打ちかかった。
そう、青年だ。武具で今ははっきりと見えないが、見たところ二十歳前後の青年だ。こいつに勝って見ろと言われたときは、なめられてるのでは・・・とも思ったが、この若造に、何人もの熟練門下生達が敗れているのも確からしい。
男は、気を引き締めてさらに踏み込む。
パシィ!パン!パン!
ふと、男は口の端ませた。目の前の青年が、自分の速さについて来れていないからだ。
それもそうだろう。自分はこの道を二十年も続けてきたのだから。
男は青年の力量を見切り、一気に勝負に出た。相手の竹刀を打ち払い、空いた頭上に素早く面を叩き込んだ。
いや、叩き込んだつもりだった。
「あまいな」
パアァンッ!
「おぉぉ!!」
青年の竹刀が、男の頭上を捕らえるとともに、歓声とも言える声が稽古場に広がった。
男は、青年の力量を見切れていなかった。男は床に座り込みながら、こちらを見向きもしない青年に言った。
「ぐ・・・。き、貴様。程穫といったか?あの態度は、俺をなめていたのか!」
それに、青年・・・程穫は、愛想もくそも無く答えた。
「ほざけ。あれはれっきとした策だ。相手の力量を読めずに突っ込んできた貴様が悪い」
「ぐぅ・・・・・」
程穫は、男が沈黙したのを見ると、頭の面を取った。それと同時に、横手から声がかかる。
「兄さん!」
その声に、かすかだが、程穫の頬が小さく緩んだ。
「おお、和穂か」
和穂と呼ばれた少女は、とてとてと程穫の側に歩み寄った。見たところ、十五、六の、かわいらしい娘だ。
端正な顔の上には、意思の強そうな瞳と、そしてちょいとばかり太めの眉が乗っている。
「誰と手合わせしてたの?あまり見ない人だったけど・・・」
「駅前の道場から来たんだと。強者ぞろいで有名なこの道場と、ぜひとも手合わせしたいと言ってきてな。
それで、爆燎の命令で、道場最強の俺が出たというわけだ」
「・・・言葉は正しく使え、程穫。『道場最強』ではなく、『道場最強候補』であろうが」
突然後ろから聞こえた声に、和穂は思わず振り返った。だが、すぐに驚きは、安堵の声に変わる。
「あ、爆燎さん。こんにちは」
「はっはっは。和穂殿は、相変わらず礼儀正しい娘さんであるな。うむ。こんにちは」
爆燎はおおらかに笑っているが、口調も正しくなると言うものである。なにせ、爆燎はこの道場の師範なのだから。「して、和穂殿。今日は、程穫の迎えですかな?」
「あ、はい。丁度、買い物の帰りだったんで」
そう言って、和穂は持っていた買い物袋を少し上げる。
それを見て、爆燎は思い出した様に手を打った。
「そうでしたか。おお、そういえば、今日はわし等も買い物に行かなくてはならんのだった」
「師範が買い物・・・?恵潤はどうしたんだ?」
「うむ。それがな・・・・」
と、爆燎が口を開こうとしたそのとき、ガラガラと扉が開いた。
「おう、帰ったぜ」
「あ、殷雷」
この時、程穫の目が鋭くなったのを見逃してはいけない。
「む。『道場最強候補』の片割れが帰ってきおったな」
「・・・なんだよそれは・・・」
爆燎の言葉に、青年・・・殷雷は、訝しげな口調で答えた。
「気にするな。して、戦績はどうであった?」
「あぁ、12勝0敗0分けだ」
とんでもない数字である。
「それから、外でジジイを呼んでたぜ。再戦の申し込みとか何とか・・・」
「うむ。わかった。」
それだけ言い残すと、爆燎はどすどすと玄関へと向かった。
「殷雷、今日他流試合だったの?」
「ああ。何だ?程穫から聞いてなかったのか?」
そう言って、殷雷は和穂の横に立っている程穫に、ちらりと視線を向けた。
「・・・・何だ貴様。家の妹に応援してもらいたかったのか?」
「なんでそうなる!!」
殷雷は、わずかに顔を赤めながら怒鳴った。しかし、この様子を見ると、少しは期待してたらしい。
「ふん。どうだかな。和穂、ちょっと着替えてくるが、こいつには気をつけろ。何をするかわからんぞ」
「だ、大丈夫だって、兄さん;;」
真面目な顔で注意する兄を見送ると、和穂は改めて殷雷に話し掛けた。
「それにしても殷雷、12勝0敗なんて凄いね!個人戦だったんでしょ?」
和穂の屈託無い笑顔と賛辞に、殷雷はそっぽを向いて答えた。
「け。別に凄くねぇよ。今回は、それほど強い奴も居なかったからな」
「またまたー。照れちゃって・・・って、あれ?殷雷、どうしたの?その痣」
和穂の言葉に、殷雷はぎくりとした。殷雷の腕には、目立たないが痣があったのだ。
無意識に内に、殷雷はその腕を後ろへまわした。しかし、それはさらに和穂の気を引く結果となった。
「あ、殷雷。今隠したね?大丈夫?試合で?」
「あぁ、うるせぇな。ちょっと小手を避けそこなっただけだ!おい、腕をつかむんじゃねぇ!このすっとこどっこい!」
殷雷は、完璧に面白がってる和穂を片手で引き離した。襟首を掴むわけにもいかないので、自然と肩を抱く形になる。
・・・・・・・見ようによっては、嫌がる和穂を、殷雷が無理やり抱いているようにも見えなくは無い。
こんな所を程穫に見られたら完璧に誤解されるなと思いつつ、ふと殷雷は自分の背後に立つ影に気がついた。
びくっ!と、殷雷の動きが凍る。
振り返らなければいけない。相手の顔を見定めねばならない。しかし、背後に立つ人物の感情を如実に伝える怒気が、怖いくらいに殷雷の背中に刺さる。未だ気づかない和穂は、呑気に殷雷の腕を追いまわしていた。
殷雷は、恐る恐る振り返った。
そこには、やはり程穫が居た。


「・・・竹刀で殴ることはないだろう、竹刀で」
殷雷は、今しがた程穫に打ち込まれた所をさすりながら言った。幸い、打たれた所が陥没している、などということは無かったが、それに準じる痛さである。
「黙れ。むしろ、家の妹に手を出して、それぐらいですんだ事に感謝しろ」
「だから、出してないって言ってるだろうが!!」
「ふん。聞く耳持たんな。・・・さて和穂、そろそろうちに帰るぞ。さすがに腹が減ってきた」
和穂は、程穫の言葉にうなずいて立ち上がるが、やはり殷雷のことが気にかかるようだった。
「殷雷、大丈夫?」
「け。これくらいの打ち込みなんざ、どうってことねぇ。それより、早く帰れ。俺は、晩飯の準備で忙しいんだ!」
殷雷は邪険に振り払ったが、当の和穂は、ふと別の事が気になった。
「夕飯の準備・・?そういえば、爆燎さんもそんなこと言ってたね。恵潤さんはどうしたの?」
「あ?恵潤は、今日から友達と旅行だ」
立ち上がろうとしていたところだったが、殷雷は律儀に和穂の問いに答えた。
通常、殷雷達の家の家事は、全て長女の恵潤がまかなっている。炊事、洗濯、掃除・・・と、あらゆる事をこなしていたが、逆にそれは、殷雷達以下の家事能力を下げる結果になっていた。
・・・・・つまり、簡単に言ってしまえば、殷雷達はあまり料理が上手くないのだ。
殷雷の言葉に、和穂は妙案を思いついた。よほどいい案らしく、和穂の顔がパァっと明るくなる。
「ねぇ、殷雷。それなら、うちでご飯を食べない?さっきの兄さんのお詫びもあるし・・・」
『え?』
見事に、殷雷と程穫の声が重なった。しかしその声に含まれるものは、互いにまったく別であった。
一方は、驚きながらもわずかに喜色が見えるが、一方は、嫌悪による驚きしか感じられなかった。
・・・・どちらがどちらかは、言うまでも無いだろう。
「待て、和穂。こんな輩をうちに入れたら、お前の身が危険だぞ」
程穫の言葉に、殷雷はうんざりしたような口調で尋ねた。
「・・・・お前、俺のことを痴漢か変質者だと思ってないか?」
「そんなことは思っていない。せいぜい、妹に手を出す誇大妄想狂止まりだ」
「余計タチ悪いぞ!!」
髪を逆立てて起こる殷雷と、ついでに邪険そうな顔の兄を、和穂は苦笑を浮かべながら押さえた。
「まぁまぁ、殷雷。兄さんも、ね?ここは、私に免じて、三人でご飯を食べようよ」
「うーん・・・・;;」
がっくりと、うなだれる様に程穫はうなずいた。やはり、妹には弱いらしい。
殷雷は、もとより食べに行くつもりだったので、軽くうなずいただけだった。
「じゃ、帰ろうか」
にっこりと、和穂はやわらかく微笑んだ。


「・・・ところで和穂。今日の晩飯は何なんだ?」
夕刊から軽く視線を上げて、程穫は台所に立つ和穂に呼びかけた。
殷雷も気になっていたらしく、コントローラーを操作する指を止めた。画面では、蓮華師が巨大食虫蓮華に技を繰り出そうとしている所で止まっている。・・・どうやら格ゲーらしい。
キャベツをきざむ音と共に、和穂の鈴を転がすような声が返ってくる。
「今日はねー、ワカメの味噌汁と、トンカツだよ」
「ほう、豪華だな」
すこし、気恥ずかしそうに和穂が笑った。
「えへへ。兄さん稽古から帰ってきたら、いつもくたくただからね。元気つけてもらおうと思って」
程穫は、妹の気遣いに小さく微笑んだ。
「そうか。・・しかし、確かソースがきれてなかったか?」
「え?そうだっけ?まだあったと思うんだけど・・・」
和穂はそう言って冷蔵庫を開けるが、やはりそこにはソースは無かった。
「しかたないな・・・。おい、なまくら。買ってこい」
程穫の言葉に、殷雷は思わず技を繰り出し損ね、蓮華師は巨大食虫蓮華の餌食となった。結構グロい。
「おい・・・。なんで俺が買い物に行かにゃならんのだ」
恨めしそうな顔で、殷雷は程穫に振り返った。
「お前は、うちで馳走になってる身だろうが。それぐらい、気を利かせて買って来い」
「・・それを言うなら、俺は客人だろうが。客に買い物に行かせるなよ」
「ほざけ。お前は和穂の客であって、俺の客ではない」
「だから、妹の客に買いに行かせるなって!!」
「あ、あの、私が買ってくるよ;;」
二人には、和穂の声は聞こえない。
「客と言っても、客がお前なら話は別だ」
「ほほう?じゃぁ、お前がうちの道場に来たときは、こき使ってもいいんだな?」
「いってきまーす」
玄関の扉の開く音。遠ざかる声。二人はまだ気づかない。徐々にエスカレートしていく言い合い。
「・・・・・・・・!!」
「・・・・・・・・(怒)」
「・・・・・・・・!!!!」
「・・・・・!!!!」
・・・二人が和穂が居ない事に気づいたのは、たっぷり五分後だった。


「・・・貴様のせいで、和穂にいらん苦労をかけてしまっただろうが」
「・・・だから、何で俺のせいなんだよ」
もう何度も繰り返された会話を、二人は再び繰り返す。
程穫は夕刊に向かって。殷雷は、テレビの画面に向かって。・・・・要するに、顔を合わせたくないのである。
ふと、殷雷が新しい言葉を口にした。
「・・・大体、和穂も人が良過ぎるんだよ。面と向かって、誰かに頼めばいいものを・・・」
「まぁ、そこが可愛いんだがな・・・なぁ、殷雷」
「そりゃそうだが・・・・・」
思わず殷雷は相槌を打ったが、自分の言ったことを吟味し、理解するのに数秒・・・。
顔が真っ赤になるのには、さほど時間は要らなかった。
「なっ、違・・・!?」
「相変わらず、迂闊な奴だな」
ちらりと、程穫は殷雷に視線を向ける。しかし、すぐにまた新聞に目を落とした。
「いい機会だ。はっきりとさせとくぞ」
「は、はっきりって、何をだよ」
こちらも、恥ずかしいのか何なのか、以前ゲームに向かっている。多少声は上ずっているが。
「貴様、和穂が好きなのか?」
画面の中の蓮華師は、盛大に技をはずした。
ぶわっ!と、効果音がつきそうな勢いで、殷雷は程穫の方へ振り返った。
「んなっ、す、好きなわけ無いだろうが!!あんな眉毛!!」
「・・・・・・・・」
程穫は、言葉をかみ締めるように間をおくと、、夕刊を折りたたんだ。
「・・・そうか。なら、俺も心置きなく和穂に手が出せるわけだな」
その瞬間。
だんっ!!
殷雷は程穫の首を掴んで、椅子ごと後ろに倒した。
「・・貴様・・・。和穂に何かしてみろ。この首絞め殺すぞ・・・・!!」
「・・・・・・・・・」
互いに、睨み合う事数秒。程穫は無言のまま、ゆっくりと殷雷の手をほどいた。
「・・・まったく、わかりやすい反応をする奴だな。俺が、可愛い和穂に何かするわけ無いだろうが」
「!?」
殷雷は、はっと冷静さを取り戻した。全ては、自分を試すための虚言だったのだ。
冷静に考えれば、いくら和穂を溺愛していても・・・いや、溺愛しているからこそ、程穫が和穂に手を出すわけが無かったのだ。
「『和穂に何かしてみろ』・・・か」
「・・・・・・・・・!!!」
程穫は椅子に座りなおしてボソリとつぶやき、殷雷は今までに増して、顔が赤くなった。
「て、てめぇ、思いっきり首締めちまっただろうが!ふざけるのもいいかげんに・・・」
「おい、まだ言い訳する気か?」
程穫の言葉に、殷雷の言葉が詰まった。
こいつの頑固さは、父親譲りだな・・・と、程穫は心の中で毒づいた。しかも、頑固さが変に屈折してやがる。
・・・まぁ、自分も人のことは言えないのだが、この際棚上げである。
そして、ようやく殷雷は口を開いた。
「・・・お、俺は・・・・・・」
がちゃ。
「ただいまー。ごめんね、遅くなって。通りのコンビニが開いてなくて・・・って、どうしたの?殷雷。机に突っ伏して・・・」
「な、なんでもねぇ・・・・・」
殷雷に変わって、程穫が和穂に説明する。その表情から察すると、楽しんでいるらしい。
「今の顔を、和穂に見られたくないんだとよ」
「??落書きでもされたの?」
「・・・・やかましい」
殷雷は、机に突っ伏したまま唸る。
殷雷は、この時ばかりは、和穂の鈍さに感謝した。
・・・そして再び、台所からは、規則正しい包丁の音が聞こえ始めた・・・・。

  終

**あとがき・・というかむしろ言い訳的文**
・・・えー。宣言通り、いつぞやのチャットを基に書いてみたわけですが・・・。
はっきり言って、最後の方で一から書き直すかどうか、結構迷いました。なんだか無駄に長くなってしまったし、殷雷爆弾発言も失敗しましたし、何よりラストがあんまり殺伐としすぎて・・・;;;;(汗)
兄貴のキャラが、かなり壊れてしまっていると思います。しかも、和穂出番少なし。(死)
あーもう、いらん事言わないうちに去りたいと思います。では;;(逃走)