始めから、味方など居なかった。 情と言うものも、すでになかった。
闇。そして家畜同然に扱われる赤ん坊達。
それが、鮮明に思い出せるガキの頃の記憶。
現実だが、触れる事の出来ない現実。 夢と言う名の虚像。
信じきるには不確定なものだが、信じずにはいられない自分の痕跡。
その全てが。
全くの虚ろかもしれないのに。
家畜としての自覚が生まれる前に、体は『商品』として渡っていった。
幸い、馬や牛と同類になりはしなかった。
『家畜』 とならなかったことに感謝すべきか。
医者夫婦の 『物』 に成り下がった事を呪うべきか。
未だに答えは見つからない。
見つける必要も無い。
バシャン。
突然背後から押され、隣の『母親』と一緒に水中へ沈んだ。
口から空気の代わりに泥臭い水が入り込み、凍てつく水が手足の自由を奪う。
何が起きたかわからなかったが、俺は必死の思いで岸部をつかんだ。
だが。
手に走る激痛。
笑みを浮かべる『父親』。
俺の足を踏みつける足。
支えを失った体は、再び池の底へ沈んだ。
ただただ。
憎しみだけを抱きながら。
ただただ。
生きたいと思いながら
俺は生き延びた。
必死に水中をもがき、何とか土を握り締めた。
体が震える。
濡れた体に寒さが刺さり、望んでもいないのに日が沈む。
赫い、赫い夕日。
血のように赫い夕日。
突然。 目の前に『槍』と『腕輪』と『砂時計』が現れた。
『槍』は、この世に斬れぬ物は無いと教えた。
『腕輪』は、自在に夢を操れると教えた。
『砂時計』は、時の流れを切り取る力を与えた。
それらは、『宝貝』だった。
自分に『力』を与えた、最も喜ぶべき物。
自分に『虚』を与えた、最も忌むべき物。
地上にばら撒かれた宝貝を回収する者が居ると知った。
欠陥宝貝『殷雷刀』
元仙人。そして、欠陥宝貝をばら撒いた張本人―――『和穂』。
ユ メ
自分に、都合の良い『情報』をくれる、ただの小娘。
始めは。
ただそう思っていた。
モ ノ
それだけの存在だと思っていた。
自分の体が自分の物で無くなり、現実が虚無となり、虚無が現実となる世界。
夢。
自分と相手の記憶が交わる世界。
だから。
始めは、自分の記憶だと思った。
血よりも赤い夕焼けの空。
沈みゆく赤き世界。
物悲しくたゆたう雲。
自分の根底に関わる記憶。
それを。
和 穂
なぜ、この娘が持っている?
答えは一つ。
この娘こそが
俺の片割れ。
唯一血を分けた
双子の・・・妹。
唯一。
いとおしく思える存在。
「和穂よ。わが只一人の肉親よ。共に暮らそうではないか。」
ゆらりと立ち上がった和穂に、俺は言った。
宝貝回収などに何の意味がある?
いずれは殺され、無に帰す事を何故続ける?
俺は。
お前に生きていて欲しい。只一人の肉親よ。
「お願い。おとなしく宝貝を返して。」
j和穂は、俺を見上げて睨みつける。
まぁ、大体は予想していた答えだった。
無駄に他人を気遣う妹君は、この世の摂理がわかっていないらしい。
所詮この世は弱肉強食。
己の思うままに生きればいい。
「あなたの勝ちよ、程穫。」
俺はその言葉を聞き、高笑いを上げた。
ようやくこの日。この瞬間がきたのだ。
殷雷刀に流核晶をくれてやり、娘の顔に赤みが戻る。
全てが上手くいった。
もう二度と壊させない。
二度と。
和穂を奪わせるものか。
「私はあんたの記憶を今までになんども修正しているのよ。」
自分を、流核晶だと名乗る女が言った。
なんだと?
今、何と言った?
どろりと、どすぐろい血のような物が胸に溜まっていくような気がした。
そんな話が信じられるものか。
俺が、俺でないわけが無い。
優しさに触れていた?
そんな記憶は、全く無い。そう、全く・・・・・・。
「俺の人生は全て嘘だと言うのか!」
体の中を、どうしようもない不安が駆け抜けていく。
立っているのが辛い。
ポタポタと、尋常ではない量の汗が床に落ちる。
不安と共に膨れ上がる怒り。 だが、どこか力の抜ける虚脱感。
徐々に、大きくなる無力感。
完全なる矛盾。
『疲れた・・・・・』
林の中を駆けていた。
肉の色が濃く色づく汗を流しながら、ただひたすらに駆けていた。
後方から追って来るのは、おそらく和穂であろう。
殷雷刀は、使用者を操って力を発揮すると聞く。
崩壊が進むこの体では、いずれ追いつかれるのは必至だった。
だが俺は。
それでも走り続けた。
突然周りの景色が変わり、見通しの悪かった林から平地へと変わった。
それと同時に、遠い小さな人影が目に映る。
あれが、剛羅楯。
この嘘で固められた魂に、無をくれてやる道具。
だが。
だがなんだ?
この釈然としない感情は。
いくら考えてもわからなかった。
わからなくても良い事だった。
殷雷刀を携えた和穂との距離が、どんどんと縮まっていく。
だがしかし、俺と剛羅楯との距離も迫っていた。
和穂が俺を止めるには
俺を斬り殺すしかないだろう。
そう考えた瞬間。
なぜかズキリと胸が痛んだ。
ずぶりと。
殷雷刀の刃が体に突き刺さった。
情に脆いと言っても、一応は武器の宝貝なのだ。寸分違わず、心臓を刺し貫くだろう。
『無』という安息を逃してしまったのに、なぜか冷静に分析を続ける自分に
俺自身が少々驚いた。
俺は、無に帰したいのではなかったのか?
この、汚れた人生を終わらせたいのではなかったのか?
体に刺さった刃がゆっくりと突き進み、柄の感触が背中に伝わった。
柄の冷たい無機質な感触と共に、和穂の柔らかな暖かさも同時に伝わった。
だが。
そのすぐ後に伝わる、冷たい感触。
和穂は泣いていた。
そして、俺はやっとわかった。
遅すぎる自答に、多少の憫笑を贈りながら。
俺の安息は。
他でもない、和穂の側にあったのだ。
「兄さんは馬鹿よ!自分の間違いを認めるのが嫌だから、斬像矛の言いなりになっていただけじゃないの!」
和穂が、俺の体を揺さぶりながら怒鳴った。
確かにそうかもしれない。 叱られるのが恐くて、逃げ出したガキと一緒だったかもしれない。
だが今は。
お前が『兄』と呼んでくれた事が
何より一番嬉しい。
お前に『兄』を殺させてしまったことが。
何より一番悲しい。
和穂には、生き延びて欲しかった。
真実から逃げた、弱い兄と一緒の道を辿って欲しくは無かった。
兄殺しという罪を背負っても、それを乗り越えて欲しかった。
それは。
俺の勝手な欺瞞かもしれない。
だが。
お前をいとおしく思う気持ちだけが
俺の唯一の
真実だから。
さらばだ。 わが只一人の肉親よ。
二度と。
会わないことを祈って。
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兄貴と殷雷には、やっぱり共通する物があると思うんですよ。『和穂を護りたい』と言う一点で。