原作:みたかたみと    文:谷江リツ

 

 

 

 

 

 

私もケガをしようか。

そうすれば、彼にも私の気持ちがわかるかな。

 

 

 

コッコッ…

夜もふけ、しんと静まり返る廊下に、一つの足音が響いた。

足音の主は一つの扉の前で立ち止まると、ためらいも無くその扉を開けた。

「――…夜中に私を呼ぶのはよしな、殷雷」

開口一番にそう言い放ったのは、つい先日再会したばかりの旧友――恵潤刀。

「ん…すまん」

そして、殷雷は心なしか重い口調でそれに応えた。

恵潤はそれに構うことなく、備え付けの椅子に腰掛けた。

「…まぁ、どうせわかってるよ、あんたが頼むことは。

和穂のことだろ?」

心のうちを言い当てられても、殷雷の表情はぴくりとも動かなかった。…それを横目で確認し、恵潤はさらに続ける。

「よほど、無謀なことをしたんだね」

「…ずいぶんとおしゃべりじゃないか、恵潤」

「あら、そう?私は思ったことを言ったまでよ」

「……………」

沈黙――いや、少なくとも殷雷の頭の中には、押し殺した泣き声が響いていた。

いつもいつも繰り返し浮かぶ、遠くない未来の自分の姿。そして、その横で傷つき、涙を流す大切な人…

「あいつを…守って、やれねぇかもしれん。…だから恵潤たのむ。俺が破壊された時は、あいつのそばにいて、あいつを守って欲しい」

目をとじるといつでも見える。赫い血をまとい、じっと自分を見つめる……

「やめな」

凛とした恵潤の一言で、殷雷ははっと我に返った。

「何も、そこまで想うコトないよ」

カタリ、と、細く長い指が、立てかけてあった棍に絡む。

「そんなにまでして想うなら…私が、今すぐこの場でたたき壊してあげるよ」

「恵潤?」

「そうすれば、和穂は苦しまないかもね?『私のせいで』というキモチから逃れられるもの。私が、あんたを壊したと言うコトにすれば…」

頬を伝う、一筋の涙。

「私を憎むだけでっ…」

その優しさゆえ、封印されたもう一つの宝貝。

「…もういい、恵潤」

殷雷が、ガタリと席を立った。

「俺も、こうなるとわかっていて地上に降りた。もともと、宝貝を全部集めるのはムリ…」

「そんなコト、知ってるわよ!…だから、にげたのよ。自由を求めて!

…和穂が封印をといた、あの時。あんたが、自由と慈悲、どちらを選ぶかなんてわかってた。だから逃げて…っ」

白くなるまで握られたこぶしが、殷雷の肩に触れた。

「だから逃げて、ヒトに従って…」

何度も、何度も、最大限の優しさで打ち付けられるこぶし。

「勇悟の父親を殺して…っ」

「恵潤…」

「…どれだけ、『大丈夫』だ、なんて嘘をついてもウソはウソ。どんなに優しくしても、やがてひずみができ、血を流す時は来る。

和穂も、それとなく気づいているはず」

「…………」

「やさしすぎる『ウソ』は、安心をくれる代わりに絶望を生むだけよ」

そう言い残すと、恵潤はバタバタと部屋を出て行った。

床には、転がる棍と少しの涙の跡。

「やれやれ…逆に、説教されちまったな」

棍を拾い、椅子を直そうと立ち上がったその時、突然背後に気配が生まれた。

ひゅ…!

反射的に、棍を振るう殷雷。

「!?」

振るった棍が貫くのは、妄想の中で見慣れたあの和穂。瀕死の傷を負い、自分をただ一心に見つめる…

(殷雷…)

血に濡れた唇で薄く笑うと、彼女は虚空へと溶けていった。

 

 

 

 

 

翌朝。

「はあ!?」

「だから、恵潤と和穂姉ちゃんは買い物に行ってたんだよ。さっき帰ってきたけど」

殷雷の声の大きさに耳をふさぎながら、勇悟はもう一度同じ言葉を繰り返した。

場所が宿屋の食堂と言うこともあって、人々の好奇の視線が刺さる。

「俺をほったらかしでかー!!」

(昼まで寝てる方が悪い)

激しく苦悩しながら自分の恩師に悪態をつく殷雷に、勇悟は心の中でそうツッコんだ。

「それに、和穂姉ちゃんが自分で頼んだんだよ。『ちょっと付き合ってください』って」

「――なんで恵潤なんだよ?」

「そんなの知らないよ。…あ、もしかして『ヤキモチ』とか?」

ぴき。

「コトバの意味を理解してから使え!このマセガキ!」

「ぎゃー!和穂姉ちゃんー!」

「…ずいぶんと楽しそうだね」

背後から降ってきた声は、まぎれもなく和穂のものだった。

「ここ食堂なんだから、あばれちゃダメじゃない。殷雷、勇悟くん」

「いいところに来てくれたよ、和穂姉ちゃん」

「…………」

軽く声を返す勇悟に対して、むっつりと口を閉ざす殷雷。それは、和穂に対する罪悪感か、疑いか…。

「同席していい?」

「…ああ。座れよ」

がたりと席につく和穂を見て、勇悟が思い出したように声をかけた。

「そうだ、和穂姉ちゃん。さっきの…」

「あぁ、もう大丈夫だから。ありがと勇悟くん。テマかけさせちゃったね」

「ううん、平気だよ」

「…どうした和穂、何かあったのか?」

一人会話に取り残されていた殷雷が、たまらず声をあげた。

「心配ないよ!ちょっとケガしただけだし。ね?和穂姉ちゃん」

和穂に問い掛けているのに、何故勇悟が答えるのかと、殷雷はだんだんと腹が立ってきた。

「…てめぇじゃなくて、和穂に聞いてんだよこのお子ちゃまが!」

「…おやおや、ずいぶんと子供っぽいんですね、殷雷さん」

はたして殷雷が大人気ないのか、勇悟が大人びているのか…バチバチとにらみ合う2人。

そこへ。

「大人気ないことしてんじゃないよ!!」

スコーン!

恵潤の一喝とともに、見事に湯のみが殷雷の頭にぶちあたった。

たかが湯のみと言っても、刀の宝貝が投げたのである。殷雷が昏倒するには、十分な威力だった。

「い、殷雷!」

「和穂、わるいけど殷雷にかた、かしてやってくれない?すぐ目ぇさめると思うけど、しばらく平衡感覚ないから」

「は、はい…」

「しっかし、たかが湯飲みもよけられないなんて…。やっぱり、殷雷は間抜けだな」

そんな勇悟の何気ない言葉に、恵潤は少し思いつめた表情で応えを返した。

「…自分がよけたら、和穂に当たってたからね」

そして、「おいで」と促しながら、恵潤は勇悟と外へ出て行った。

「――――…」

 

 

 

 

 

ガンガンガンガン。

さながら銅鑼を叩くかのように、殷雷の頭を鈍い痛みが襲っていた。

「っ、おのれ恵潤…」

「もぉ、殷雷が悪いんでしょー?」

よろよろと、和穂に支えられながらも悪態をつくところは、流石と言ったところか。2人分の重さに、廊下がギシギシと音をたてる。

「とりあえず、一日はおとなしくしててね。あとで打ち身の薬でももっていくから」

ふっと。

殷雷に肩を貸した拍子に、和穂の道服のすそから、生々しい包帯がのぞいた。白く細い腕に、幾重にも白い布が巻かれている。

所々に見える赤い染みは、見間違いではないだろう。そうとうに、深い傷のはずだ。

「…………」

「あんまり響くようなら、もう一泊しても…」

するり。

殷雷の腕が、和穂から離れた。

「…殷雷?」

「ケガ人の肩なんざ、借りるわけにはいかんだろう」

「ケガ人って…ちょっと掠っただけで…」

「そんな大層な包帯を巻いて、よくそんな台詞が言えるな。その染みは、紅でもつけたか?」

ぐっ…と、和穂が言葉につまる。

「その傷…恵潤と、買い物に行ったときにつけたのか?」

「…………」

答えないのは、肯定の証。

ギリ…と歯を食いしばり、殷雷は言葉を続けた。

「…俺がいたら、お前に怪我なんぞさせなかった。

…なぜ、俺じゃなく恵潤をつれて行った?もちろん、あいつのコトは信頼してる…が、現にお前に怪我をさせて帰ってきた。

俺は…――」

「恵潤さんのことを、悪く言うのはよして」

自分の声をさえぎる、冷たい声。まるで、自分を否定しているようで。

もう、要らないと言われたようで―――

気が付くと、殷雷は和穂の肩をつかんでいた。そして、そのまま勢いよく壁に叩き付ける。

「痛っ…!」

「…これは意外だな。お前が、そんなにあいつに思い入れを持っていたとはな。

まさか、今朝俺を同行させなかったのは、あいつの安全性を確かめるためか?」

「違う!」

「どうかな?こんなナマクラ刀より…」

ゴッ

「…目が覚めた?このクソ怪我人」

「………ハイ………」

堪らず繰出された和穂の拳に、殷雷はおとなしく沈黙した。

ふぅ、と一呼吸置き、和穂はゆっくりと口を開いた。

「私は…例え殷雷が同行を求めようと、一緒に行くつもりはなかったわ」

「!」

「…絶対に…」

…くり返したくない。

「…あなたは、宝貝集めに唯一、協力してくれる存在なの。安易に、私用につき合わせたくないだけ…」

思い出すのは、私をかばう影。飛び散る破片。

「それを一番よく知ってるのは」

失いたくない。

「殷雷でしょう?」

「…………」

互いに、逡巡するかのような間。

「俺があの時――…お前をかばったことを後悔した覚えはない」

「なっ…」

「今だってそうだ。俺は、自分の体を盾にしてでも、お前を守る」

さも当然のように、淡々と語られる言葉。酷く、胸がいたむ。

「…何を言って…!やめて!それ以上聞きたくない!!」

「…聞け和穂!」

とっさに、強く引っ張られる腕。

「殷雷、離し――…!」

重なる影。唇に、暖かな感触。…口付けられたと自覚したのは、ずいぶん後だった。

「何を恐れる?和穂…―――」

先ほどとは違い、幾分かあやすような声。不器用な彼の、精一杯の優しさなのだろう。

「――宝貝を集めはじめた、あの最初のころ…殷雷は、私をかばった。自分の体を盾にしてね。――…私の目の前で…」

自然と、和穂の拳に力が入る。

「…分かっていたよ、殷雷にも危険が及ぶって。でも、私の前に危険を顧みず飛び込んだ――…あの時みたいな、危険なマネ…」

こらえていた涙が、我慢できずに溢れ出す。

「嫌なの…だから…」

これ以上失わないための旅は。

私から、何かを失わせてゆくばかりで。

「――『守る』だけで満足?命をなげうってでも?どれだけその人が想っていても?」

「…………」

「そっちは「守った」と満足できるけど、それじゃ私の気持ちは入ってナイ」

ずっと、ずっと胸に引っかかっていた言葉。

「ただの『自己満足』」

自然と伸ばした腕は、殷雷を抱きしめていた。

 

ほしかったのは、強い宝貝でも時を戻す宝貝でもなくて

背中を押してくれた手。

隠れて泣いた背をあやした鼓動。

その人まで、私をおいていくのかしら。

それでも私は生きることしかできないのかしら。

それはとても

残酷ね?

 

「――…和穂。言えばいい。俺が必要なら、「必要だ」と。叫べばいい」

体を離し、黒い瞳をまっすぐに見つめながら、一言一言言葉をつむぐ。

「それだけで地に足がつき、影に光がさすから」

そう言って、和穂の頭をくしゃりとなでた。

伝わる、確かな重みと暖かさ。いつでも自分を支えてくれた手。

あぁ、この手だ――…

 

 

 

 

 

 

「うん。だからね、和穂に町外れに呼び出されて、用かと思って行ったのよ。そしたら…」

『もし彼が死んだら…それは、こんな危険な旅にまきこんだ、私の責任。恵潤さんには、私を殺す資格があります。

だから…危険から彼を救いたいと思うなら…

私を、殺してください』

「もちろん断ったわよ。そしたら、「手を下せないのなら」って、自分から森に飛び込んで…出会い頭の賊に切られたの。

…ごめんなさいね、私がいながら…」

「いや、お前じゃなかったら、ケガどころじゃすまなかった。感謝する」

「…そう言ってくれるの?」

「ああ。俺は、お前を信頼してる」

そう言うと、殷雷はがたりと席を立った。

「悪かったな、急に押しかけて」

「気にしないで。…そういえば殷雷、あんた今日いいカオね。和穂となにかいいことあったの?」

「!…さーてな」

「…ウソが下手ね」

扉の方で盛大にこける音がした。

 

 

 

和穂、どうか信じて欲しい。

俺が、本当に心から、生きてここにいたいと祈っていることを。

そして最期まで、俺が守りぬくから。

「…殷雷?」

 

たとえばキリギリのところで、唱えるなら神の名ではなく俺の名を。

それだけで地に足がつき、影に光が差さすのです。

 

 

 

終。

 

 

++ 後期 ++

おおう、やっと打ち終わった…長かったー!みとさん、お待たせしました〜やっと完成ですよ〜。

実はこのお話は、みとさんから頂いた殷和漫画を、ワタシが多少脚色して文章化したものなのです。

かなり素敵なお話だったので、小説化の許可をもらったのですよ。

やはり好きなフレーズは、最後の2行。『唱えるなら神の名でなく俺の名を』くあー!素敵ですね!

みとさん、ありがとうございました!