006.サヨナラ   

 

 

 


その宿屋の人達は、本当にいい人たちで。


「もう少し泊まっていけばいいのに」
わざわざ玄関まで見送りに来てくれた女将さんが、名残惜しそうにそう言った。
「すみません…でも、先を急がなくちゃいけないんです」
身支度を確認しながら、私もいつもよりちょっとだけ、寂しい顔で返事をした。
「本当に、一泊だけなのに良くしてもらって。ありがとうございました」
「いいんだよ、お礼なんて。
…ほんと言うとね、嫁いでいった娘が、どことなく和穂ちゃんと似てたんだよ。
それでつい、懐かしくなっちゃってねぇ…」
「女将さん…」
「まぁ、そんな湿っぽい話は気にしないで!ほら、彼氏が待ってるよ!」
「いや、あの、だから彼氏じゃないんですってば…」
一応言ってはみるが、おそらく女将さんは聞いていないだろう。昨日から、ずっとそうだったから。
いつまでも手を振ってくれる女将さんを背に、私は殷雷の元へ向かった。
「やっと来たか。礼は済んだか?」
「うん」
殷雷の横を歩きながら、しばらく風の流れだけが聞こえた。
殷雷も私も、何も言わない。
強制されない空間が、心地よい。
「…ねぇ、殷雷」
「なんだ」
「…今まで、どれだけの人に、別れを告げてきたかな?」
「さぁな」
「………」
風がそよいで、草がゆれた。
「…ねぇ殷」
「あーうるせえな」
私の声をさえぎって、殷雷が私の方へ振り向いた。
「誰がいる?」
「へ?」
突然の問いに、私は思わず声を出した。
「間抜けな面をしてんじゃねぇ。
お前の前には、誰がいる?」
そんなこと、考えなくても分かる。
「殷雷」
私の答えを聞くと、気が済んだのか、殷雷は再び前を向いた。
「 ? 」
私が依然わからない顔をしていると、殷雷は眉間にしわを寄せて、不機嫌そうな声でつぶやいた。
「…お前は独りじゃねぇ。とりあえず今は、それで満足しとけ」
ぶっきらぼうだけど、安心する声。
「うん」
私は、いつもと変わらない声で返事をした。

幾千の夜を越えても
幾万の別れを告げても
そう、あなたが隣にいるなら
私は歩き出せるよ。