染料と染色に関する総合技術サイト
26. 日本染色産業の終焉
私が繊維業界に入って、50年の月日が経ちました。この間、2002・3年には旭化成がレーヨンとアクリル事業から撤退、2004年には鐘紡が倒産、同
2004・14年の帝人ナイロン・ポリエステル原料の供給縮小、
2020年の中堅メーカーオーミケンシのテキスタイル事業撤退へと続き、
昨年には、大手メーカーの一角である、ユニチカまでが繊維事業撤退を発表するまでに至っています。
こうして繊維産業が斜陽化を突き進む中、染色工場の多くも倒産・廃業を免れる事は出来ませんでした。
結果、今の日本には、“染色産業”と呼べるものは存在しません。この流れを戻す術はありませんが、60歳での退職まで、
37年間この業界で禄を食んできた者の責務としてその
“崩壊”
の過程を記しておくことにします。
前章で、Mass Identification
の説明を行ない、それが私達を取り巻く社会の中の一集団、あるいは、それに属する個人を識別する “レッテル”
に当たると述べました。
その流れは、現代のブランドファッションやサラリーマンスーツにも引き継がれています。
近年、当たり前になっているリクルートスーツと言うのも勿論 Mass
Identification です。
そうした、Mass Identification の質を大きく変えたのが、1960年台に始まる世界的な
TV
の普及でした。TVの力で、「なんとか “ルック” 」や「なんとか “ブーム”
」が、あっという間に世の中の広まる様になりました。
この流れに、日本のアパレルも無縁ではありませんでした。既に姿を消したレナウンに象徴される様に、大衆受けしやすい横文字自社ブランドや、
ヨーロッパやアメリカの有名ブランドを獲得し、それをTV広告を利用して日本中に広げたのです。
しかし、こうした手法では、人々の関心は短期間に飽和値に達するため、次々に新しいブランドを投入する事が必要になってきます。
それにも限界が見え始めた頃、やってきたのが、新たなビジネスモデル=SAPを引っ提げて直接この地に乗り込んで来た NIKE
を筆頭とする欧米アパレルです。この動きは、フォーマルウェアからカジュアルウェアへのライフスタイルの変化とも相まって、
旧態依然たるアパレルの多くをあっと言う間に駆逐してしまいました。
フォーマルウェアは、元々 “外衣” に対する概念です。従って素材的には、織物がその中心に据えられます。
これに対して、カジュアルウェアでは、ニットが中心となり、
意識はしなくても “下着”
に近い感覚で接する事となりました。
その結果、衣服を購買する時に、“人から良く見られる” 事にポイントを置くのではなく、
“自分が心地よい物” を選択する事となります。つまり、人々の消費行動が、“みんなと一緒” 型の、Mass
Identification から、“自己表現” を目的とする Self Identification 型へと変化したのです。
この Self Identification を端的に言えば、“ みんなと一緒は厭! 私だけ! ”
となります。この意識変化と、Casual
fashion
への流れは、購買する衣料の単価を大きく引き下げる結果をもたらしました。つまり、ハレの日のためのFormal Fashion
では、“人の目も有るから、少し高い目”
であることが必要だったのですが、
Casual 衣料では、“自分の好みのものを、出来るだけ安く”
で差し支えなくなったのです。 “色” についても同じ事です。
先の章でも述べましたが、合成染料の発展・拡充が行き渡った結果、特定の色が爆発的に流行ると言う事が無くなりました。
こうした流れの中では、当然、物の流れは少量多品種にならざるを得ません。
幸いな事に、これに対応するのに、ICタグや、POS (Point of Sale)
システムが、大きな助けとなりました。
この消費者の消費行動の変化に応じるために、ファッション産業も、
それまでの大量生産・大量販売のあり方を大きく変えて行く事となります。
それが、製品の企画、生産、販売方法をどの様に変えたかを列挙してみます。(赤字
は変化に伴って起こった負の部分。)
1.今までと同じ大量生産は続けるが、販売を、グローバルにより広く行なうことで、結果的に、多品種・小ロットを達成する。
→ 販売網の維持に金がかかる。
2. 実際に、少量、他品種で生産して販売。
→
販売価格が高くなり、販売量を見込めない。
3.デザイン/カラーは定番とし、消費者が欲する機能Function を全面に出し大量生産を続ける。 → “機能”
には賞味期限がある。
4.販売価格を思い切って下げ、生産量を維持する。 →
大量に売らないと利益が出ない。
5.同じデザインで大量に縫製しておき、販売推移を見ながら、染色を小ロットの製品染めで行なう。
→ 無難な定番デザインに偏ってしまう。生産計画が立たない。
次に、こうした状況が、ファッションシーンに与えるインパクトを考えてみましょう。
これまで、衣料が持つ役割を
Function、Distinction、Favor
の三つの要素に分けて説明しましたが、実際には、それが作られた時代の要請や素材性能により要素間の強弱があるものの、
一つの衣服に全ての役割が含まれている事は間違いありません。
現代においては、衣服の主要な Function は、Protector としての役割から Amenity
(快適さ)に代わり、そのために、様々な機能加工が施されています。つまり、“色” による付加価値が低下するにつれ、
“機能加工” が重要性を増した訳です。特に日本では、“機能性” を核にして、個人の Favor
の獲得を前面に押し出す企画が進みました。しかし、それは決して普遍的なものではありません。
当然ながら、それを購買する消費者が属する地域や、経済力や、年齢により、各要素に対する要求度・期待値が変わって来ます。
日本人の消費行動を確認する資料として、下に日本衣料管理協会が2018年12月〜2019年1月に行なった一般消費者
に対するアンケートの結果を示します。 これを見ても、この市場では、Mass Identification
は、既に選択を決定する主要素ではない事が分かります。
私達が着る衣服には、Function、Distinction、Favor
の三つの要素がある事は既に説明しました。
私達が概念として持つ "Fashion"
とは、これら三要素に、その衣服が作られた歴史や文化や風土、更には、それを作る人の思想、心情、そして、愛情。
それら幾多の見えない要素が複雑にからまって作り出されるのです。
インターネット販売の登場
若年層を中心に、過去TV
が担ってきた役割がインターネットへ移行してきました。この事実が顕著に表れているのが、同じ日本衣料管理協会の資料です。
TV は、TV →
一般大衆
と言う一方通行の世界ですが、インターネットは、ネット ⇔ 一般大衆の中の一人
と言う関係になり、利用する側により大きな選択権を与えます。
このインターネットがもたらす可能性を上の企画〜販売方法に沿って考えてみましょう。
1.今までと同じ大量生産は続けるが、販売を、グローバルにより広く行なうことで、結果的に、多品種・小ロットを達成する。
→ 販売網の維持に金がかかる。→ これまでの様な販売網が不要。 ただし、QR
には適切なストックポイントを持つ事が必要。
2.実際に、少量、他品種で生産して販売。
→ 販売価格が高くなり、販売量を見込めない。 →
より多くの購買層を対象とする事で販売量の維持が可能。
3.デザイン/カラーは定番とし、消費者が欲する機能=Function
を全面に出し大量生産を続ける。
→ “機能” には、賞味期限がある。
→ “機能” 要求
は普遍的なものと、
“季節的” “地域的” なものがあり、
ひと工夫加える事により賞味期限は幾らでも伸ばせる。
4.販売価格を思い切って下げ、生産量を維持する。
→ 大量に売らないと利益が出ない。 → より多くの購買層を相手にする事で、大量販売が
可能。
5.同じデザインで大量に縫製するが、染色は、小ロットの製品染めで行なう。
→ 無難な定番デザインに偏ってしまう。
生産計画が立たない。
→ 販売対象のマスを大きく
し、
空き時間があればストック用定番色の染色を行なう。
この受け皿として
“ファストファッション=Fast Fashion”
と言う新たなビジネスモデルが急速に世の中に浸透する事となりました。
日本染色産業の崩壊
それでは、日本染色産業崩壊の推移を幾つかの統計資料を参考に見て
いきます。
左のグラフは、日本の輸出全体における繊維品の比率です。
かつて日本の外貨の三分の一を稼いでいた繊維輸出ですが、60年代の国際競争力の落ち込み、それに続く、
1971年の*ニクソンショック、1973年の**石油危機と一気にその地位を失いました。
この間、繊維以外の品目が伸びるにつれ、今では輸出産業としての地位はありません。
*ニクソンショック
-1971年、財政健全化のため、ドルと金との兌換
制度を廃止した。
日本に対しては、対日赤字の大幅削減を目指し、繊維製品をターゲットに、大幅な関税障壁を設けた。
これを、当時の米国大統領ニクソンが発表したのが、8月15日であり日本の終戦記念日を狙った意図的な行為とも考えられる。
日本では、「繊維ショック」とも呼ばれる。
**石油危機 -1973年に勃発した第4次中東戦争に際し、産油国側
は、原油の生産削減・アメリカ・オランダへの禁輸処置と同時に、原油価格の70%引き上げを一方的に通告。
停戦終了後、生産削減・禁輸は緩和されたが、価格急騰は進み、3ヶ月で、4倍近く高騰、
安い石油に依存していた先進国の経済は混乱し、日本では高度経済成長が終焉した。
日本の染色産業が、こうして国際的地位を失って行った一方で、国内ではどの様な事が起こったでしょうか。
衣料分野での推移を統計的にみると、1991年に50%程度であった輸入品の点数比率は、2003年には90%を超え、
2022年には、98.5%に達しています。
つまり、今日私達が日常的に着る衣服の自給率は、2%
を下回っている訳です。(日頃、日本の食品自給率が「低い」「低い」と騒がれますが、それでも38%(令和5年:カロリーベース)ですので、
この比ではありません。)
こうした状況にあって、
日本における染色整理の加工量が減らない筈がありません。
左のグラフは、1987年を100として、その後25年間の加工量の推移を表わしています。国内衣料品の消費量が増える事はありませんので、輸入品浸透率
が上がれば、当然ながら国内加工数量は落ちて行きます。
ちなみに、これを見れば、「*お持ち帰り貿易」から染色整理が外されている事も分かります。
*お持ち帰り貿易 生地を輸出し縫製して製品の形で輸入する貿易の形。
この間、大手企業の幾つかでは、一般衣料分野から、非衣料分野への転換を計った筈ですが、
このグラフを見る限りにおいては、それによる増加は顕著に表れていません。
あるいは、そのプラス以上の減衰がそれ以外の企業を襲ったのかもしれません。
しかし、こうしたトレンドは、輸入品の影響が比較的及ばないと思われる日本の伝統産業においても現れました。
左
の表は、京友禅協同組合の報告書によるものです。
この表は、平成9年(1997年)から始まっています。
従って、日本人のライフスタイルの変化、和装→洋装は、既に織り込み済みだと考えられます。
(それは、平成9年の生産数量が、昭和43年度の15%にまで低下している事で確認されます。)
この表では、平成9年(1997)から、平成22年(2010)までで、加工量が三分の一以下に落ちています。
この “落ち” は、上のグラフで読み取れる “落ち” の割合と符合しています。
更に、同組合の令和5年分の報告では、総生産量は、25万反を切っており平成22年の半数にも満ちません。
それでは、染色整理業は、なぜこんなにみじめな姿になったのでしょう。次に、それを分析してみます。
左の図は、日本のテキスタイル業界の全体図を、
ヨーロッパで歴史的に行なわれてきた一貫型の体制
(Vertical
Concern)との比較です。
ヨーロッパ、その中でも特に英国で起こった産業革命を引っ張ったのは繊維産業でした。この時莫大な富を得て「資本家」が誕生し、
彼等が投資し作ったのが vertical concern と呼ばれる一貫体制型のテキスタイル企業です。
簡単に言えば、商品企画から原糸製造、染色、縫製に至るまで、一つの企業内で行なわれます。ですから、当然、商品企画では、原糸コスト、染色コスト、
縫製コストから販売コストに至るまで、全てのコストが公正に扱われます。
これまた当然の事ですが、染色堅牢度についても妥当な設定が行なわれます。
さて、日本のテキスタイル産業の体制は、戦後、政府が主導し形作られました。
敗戦後の混乱期でしたから、少ない資本で効率の良い生産を目的とし、徹底的な分業体制としたのです。(と言えば聞こえは良いのですが、
これは典型的な「下請け産業型」の構造に他なりません。)
そして、それぞれが勤勉に働く日本人は、この分業体制を効率良く回し、テキスタイル分野での世界の覇者となり日本が復興する大きな礎となったのです。
こうした、分業体制を長く続ける為には、構成要素となっている各企業が、運命共同体としての意識を維持していなくてはなりません。
それが失われると、それぞれが自社の利益だけを追求し、金の流れに従って弱者と強者の関係が生まれます。
強者は、弱者から一方的に搾取し、それが出来なくなると、自分をより有利にする新たな相手を探します。
つまり、金の流れの一番端にある「縫製」や「染色整理業」の没落の第一の原因は、この分業体制そのものに内在されていたのです。
さて、輸出が好調で、国内消費も伸びている間は、この分業体制もうまく行っていたのですが、それに陰りが見え始めると、
先ず、比較的簡単に技術移転が出来る「縫製」が、海外へはじき出されました。
この時「染色整理業」については、安価な労働力を求めてタイやインドネシアでの海外生産を始めた大手もありますが、
これは国内の空洞化を招いただけで根本的な解決を与える事はありませんでした。
そこで起こったのが、大規模な染色企業内リストラやこの分業体制そのもののリストラです。
いつの時代でもそうですが、リストラの対象となるのは、より弱い立場の人々です。こうして、多くの染色整理業者が破産・廃業に追い込まれました。
これが、没落の第ニの原因です。この時、日本で職を失った染色のプロ達のかなりの数が国外に職を求めました。
その頃、中国では丁度、社会資本主義が大々的に推進されつつありました。
彼等にとって、より少ない資本で有力な輸出品を作り出す繊維産業の確立は急務でした。
そこに、「染色整理」の隅々までを熟知する技術者が放出されたのです。正に、渡りに船でした。つまり、需要と供給がピタリと合ったのです。
彼等が、日本人技術者から必要なノウハウを吸収し、日本市場が求める品質の衣料品を作り出すのに時間はかかりませんでした。
現在でもこの流れは止まることなく、より安い労働力を求め、ユニクロを筆頭に、無節操な商社を引き連れた連中が、ベトナム、ミャンマー、
或いは、バングラデシュ、更には、アフリカの国々へとさまよい続けています。
染色産業の終焉と服飾ファッションの行く末
K.B.Highlander
の書いた文章の中に、"Fashion is intelligence, intelligence is the key for real
value."
と言う一節があります。
かつて、私はこの言葉を、「ファッションは "情報" である。“情報” こそ真の価値を与えるただ一つの鍵である。」
と訳していました。
しかし、年月を経た今、この言葉の本当の意味を知りました。
「ファッションは "哲学" である。"哲学" こそ真の価値を与える唯一の鍵である」 と。
そして、“金儲け” 以外に哲学を持たないアパレルや商社により “ファッション” は人々の手から奪い去られました。
Fast-Fashion
と言う名の、仮想イメージで固めた “安価な” 洋服が世の中を席巻、それまでの “服飾ファッション” は駆逐され、
時を同じく現れた巨大なサイバー空間で、個々のアイデンティティを表すのは、実体として身にまとう服ではなく、
“認証コード” と “パスワード” にしか過ぎません。
貪欲に全てを飲み込むブラックホールの中に、日本の染色産業は消滅したのです。