染料の色を小難しく理解したい人達のための特別章

「e = mcであらわされる相対性理論が支配するこの世界に あって、 その相対性を裏打ちするのが絶対的な存在、すなわち “光” です。」
これが、このHP第一章の冒頭の言葉です。私達の中に「光」の存在を疑う人はいません。家の壁で遮られたり、鏡で跳ね返ったりと、 物理的な力の影響を受ける所からしても、物質的に存在している事は間違いありません。 その速さが、秒速30万kmと言う事も実測で分かっています。
一方、この世に存在する物質が全て、相対性理論の根源である e = mc2 の数式で支配される事も事実です。
この式で、e は、エネル ギーm 質 量c速 度 を表わしています。それでは、この数式を 光 = 光子 に当てはめてみましょう。
先ず、e で表わされるエネルギーについてですが、私達は既に “光” が色々なエネルギーを持っている事を知っています。ウルトラマンが使うスペシウム光線は空想上のものですが、 紫外線では細菌が殺せるし、レーザー光線を使えば、鋼鉄を切る事さえ出来ます。
一つ飛んで、c の速度が、秒速30万km と言う事もほとんどの人は知っています。
しかし、問題となるのが、光の質量 m です。光の質量は、0 (ゼロ)とされています。

0 (ゼロ)にどんな大きな数字を掛けても、0 (ゼロ)ですから、
e = mc2 数式は 成り立ちません。
それもその筈、光の質量を 0 (ゼロ)としたのは、この数式を作ったアィンシュタイン本人だからです。つまり、光を “相対” 性理論の基点となる “絶対的な存在” であり、 “相対性理論” に縛られない唯一の存在としたのです。(これを理解すれば、光より早いものがこの世に存在しないと言う事も当然の事として理解出来ます。)

それでは、そうした “絶対的な存在 = 唯一の在り方” が、幾つものエネルギー状態で存在する事をどの様に表わせば良いのでしょう?

アインシュタインの
“相対性理論” が登場する少し前、ドイツの物理学者プランクを中心に、光を “波の動き” として捉え、それをエネルギーに変換する概念を数式化しました。この数式も、e = hv と言う簡単な方程式で表わされます。この中では、e が、エネルギーである事は変わりませんが、h は、Plank定数と言い具体的には、6.62620 x 10-34 と言う決まった数値であり、v一秒当たりの振動数を意味しています。これを、簡単に言うと、 光の持つエネルギーは、その振動数に比例すると言っているのです。(この数式では、光の 質量が、0 (ゼロ) であろうがなかろうか、一切関係なく e = エネルギーは導き出せます。)
ここで、v (光の一秒間の振動数)が、光の一秒間に進む距離(=30万km)÷ 波長(一振動当たりの長さ) で与えられる事は、“数学” まで行かずとも “算数” で理解できる話だと思います。つまり、この数式は、持つエネルギーが小さい程波長が長くなる事を意味しています。

π(パイ)結合について

染料の構造の中には、必ず二重結合( -C=C- や -N=N- )が現れます。これを「パイ結合」と言いますが、パイ結合とは、一体何でしょう?
webで調べると、「パイ結合」とは「分子内の隣り合った原子同士の電子軌道のローブの重なりによってできる化学結合である。 π結合は p軌道を意味するギリシャ文字の"π" から命名された。 π 結合は二つの原子のp軌道の間で直接的に電子が共有されている。」とあります。
これだけでは何のことか良く分かりませんので、染料分子の最重要元素:炭素(C)を例に、これを説明します。
元素記号で、6番目に当たる炭素は、 原子核の周りに6つの電子を持っています。 その内二つの電子は、原子核に近い位置に対として安定しています。この位置をs 軌道と言います。残りの4つは、それより少し遠い位置に、対称形で存在しています。この周回位置がp 軌道です。(右図)
炭素が他の元素と反応(結合)する時、この4つの電子が、対応する形で結合して行きます。右の図はやや古典的な図で、量子論が進んだ今日では、 電子は雲の様な素粒子の塊として描かれます。 そうした、今風の元素図で、炭素の原子核と4つの電子は、テトラポットの様な図で描かれる事が多くなっていますので、 ここからは、それを使って説明します。
左の図の一番上に二つ並んでいるのが、それぞれ炭素原子です。 この二つが結合する時、一つの結合軸が生まれます。 これがσ(シグマ)結合と呼ばれる結合で、二つの原子核を最短距離で結ぶ為、 電子の広がりが少ないしっかりとした結合となります。この時、残る6つの電子のそれぞれに、 (元素記号1番:電子が一つの)水素が結合すると、エタンになります。このいずれもが、σ結合ですので、 エタンの分子は強固です。これ比べて、炭素間に二重結合を持つエチレンでは、4つの原子は水素とσ結合を作っていますが、 残る二つは、構造的に離れて位置するため、σ結合である - CC - 軸を囲んで大きく広がり結合力は弱くなってしまいます。 この、電子が広がり存在している状態が「π結合」です。
このπ結合は、電子(雲)が存在する位置に従って、 持っているエネルギーのポテンシャル(準位) が変化し、二つの電子が並ぶ A の位置で最も安定となり、二つの電子が真逆の位置にある B で最も不安定になります。 つまり、Aの状態のπ結合にエネルギーが加わると、B の準位になったり、B の状態のπ* 結合がエネルギーを失って A に戻ると言う現象が可逆的に起こる訳です。
π結合を理解し易くするために、“ブランコ” を思い浮かべて下さい。ブランコを振らす前、座板は一番下にあります。この状態が「A. 結合性軌道」にあるπ結合です。次に力を入れブランコを振らすと、 その力(エネルギー)に応じてブランコの位置が上がります。この時、 座板が最も上がった位置が「B. 反結合性軌道」π* に当たります。
このπ ⇔ π* の変化に対し、一番下の安定な位置を「基底状態」、エネルギーを加えより高い準位に押し上げる作用を「励起」、 励起(もしくは、エネルギーの消失)により準位を変える事を、「遷移(transition)」と言います。 光が当たっている間、このブランコは揺れ続けます。ブランコでは、座板を高い位置に漕ぎ上げる時には力を使いますが、 低い位置(基底状態)に戻る時には力は要りません。これは、重力が下に引っ張るからです。 π結合の場合、光が持つエネルギーが “上げる” 力となり、 電子が動く中で失われるエネルギーが “下げる” 力となります。つまり、与えられた光は“吸収” され失われる訳です。 ブランコの場合、力のない小さな子供には座板の低いブランコを用意しなければなりません。光の場合にも、少しの力しか持たない低エネルギー (=長波長)の光には、π結合を増やし、 基底状態を低くした分子構造を用意する必要があります。 ちなみに、σ結合は、座板が固定された “ベンチ” の様なもので、少しぐらい力を掛けても動く事はありません。
さて、染料構造の基本となるベンゼンでは、 6つの炭素を結ぶ六角形の中に、三つのπ 結合を持つ事で、エチレンに比べると、π 結合がより広い範囲に広がる為、基底状態が下がり、 より長波長の光で励起されます。(具体的には、エチレンのπ 結合が 74kcal/mol に対し、ベンゼンは、 55kcal/mol と約25%小さい。)
ベンゼンのπ結合が、変化するバリエーションは左の7通りです。 従って、この7つのバリエーションそれぞれに、 励起に必要なエネルギーが変わって来ます。
ここで、実際に、ベンゼンに、200nm-300nm の光(この領域では、可視光ではなく目には見えない紫外光)を当てると、7つのピークを持った吸収カーブが与えられます。
これで、多くの π 結合を持つ染料がより長い波長を持つ可視光を吸収する仕組みが何となく分かって来たのではないでしょうか? (ちなみに、一つのπ 結合を持ち、なお且つ、結合エネルギーが高いエチレンは、より短い波長: 193nmの紫外光を吸収し励起します。)

それでは、400nmより長い、可視光を吸収するのは、どうすれば良いでしょう。
単純に考えると、ベンゼン核をいくつも繋げ、更にπ 結合の領域を広げ、結合エネルギーをより小さくしていけば良い様に思えます。
確かに、ベンゼン核を4つ以上繋げると可視領域の光でも励起する事が可能となります。
しかし、単に長く繋げただけでは、化合物としての剛性が低くなるばかりではなく、 それを染料に使うと、繊維のミセル間隙に入り難くなったり、親和性が大きくなり過ぎ、 均染や洗浄性にも問題が出て来ます。 もちろん、コストや取り扱い易さと言う点でも不利になってしまいます。
もう一つの、大きな問題は、単位重量当たりの吸光度です。分かり易く言えば、“染料”として使うには少しの使用で濃い濃度が出なければなりません。 この吸光度は、先程のブランコの例えで言うと、座板を吊るす “綱” と言う事になります。 つまり、綱が長くないと、高い位置のπ* (反結合性構造)には辿りつけません。ベンゼン核を長く繋いだだけでは、吸収波長の領域は広がっても、吸光度を上げる事は出来ないのです。
又、鮮明性の点では、上の図の様な、多くのピークを持った染料では多成分の混ざった濁った色しか出せません。(こんなに、ガタガタ揺れるブランコでは、 落ちてしまいます。いずれにせよ、可視光は、 380〜750nmですから、“座板” は、まだまだ高過ぎます。)

その他のπ結合

染料構造の中 に、多くのπ結合が必要な理由は上に述べました。炭素以外で、こ うしたπ結合の代表的なものがアゾ基 (-N=N-) です。
このアゾ基のπ結 合エネルギーは、41kcl/molと、ベンゼンより更に25%低くなっており、波長の長い可視光を効率良く吸収する大きな力になっています (最大吸収波長:349nm)。窒素:N の原子量は14、二つ使っても28ですから、分子量78のベンゼンに比べ如何に価値ある存在かが分かります。 これが、多くの染料がアゾ基を有する理由です。ちなみに、アゾ基の両端にベンゼン核を付けたアゾベンゼンの最大吸収波長は、408nmです。

-C=O、や-N=O も同じπ結合を持っていますが、 それ自身の持つ結合エネルギーはそんなに低くありません(例えば、-C=O 単独では88kcal/mol)。 しかし、これにベンゼン核を繋ぐと、ベンゼン核のπ 結合と相互作用を起こし、π結合の領域を広げる作用をします。 この相互作用は “共鳴効果(Resonance Effect)” と呼ばれ、π 結合のエネルギーを下げるのに大きく役立っています。

助色団の役割

染料のBody を成す「発色団」を多くのπ結合の集合体で作る理由は上の説明で 分かったと思います。
それでは、その「発色団」に付ける “助色団” とは何でしょう?
この “助色団” は、 “電子供与基” と “電子吸引基” の二つのグループに分かれています。 “電子供与基” の特徴は、 “非共有電子対” = フリーの状態の二つの電子を持っている事です。 このため、発色団に付ける事で、π 結合の電子分布を更に広げ、その基底状態を下げます。一方、 “電子吸引基” の方は、電子が入る場所を提供する事で、電子分布の形を整え、 吸収の凸凹を少なくする役割を果たします。つまり、より鮮明な色を作るのに役立つ訳です。

これら “電子供与基” や “電子吸引基” を発色団に適切な位置に導入する事により、吸光度を高める事が出来ます。
この点をもう少し詳しく説明しましょう。先に上げた、ナフタレンやアントラセンやアゾベンゼンなどは、左右対称の形をしています。 こうした物質に光を当て励起させると、その対称性の故に元の基底状態に戻り易いのです。 これに対し、“電子供与基” や “電子吸引基” をうまく配置してやると、分子としての対称性が損なわれ、π* から基底状態π に戻り難くなり、 結果として吸光度が増大します。

これを、再び “ブランコ” に例えれば、助色団によって座板の位置が十分に下がるだけでなく、乗り易く、少しの力でも高くまで滑らかに動く様になるのです。 (通常、アゾ染料を作る時、「ジアゾ化 + カップリング」と言う工程を踏みます (「21. 染料の製造」参照) 。 この場合、ジアゾ化するコンポーネントと、カップリングするコンポーネントは違った形のものを使います。 これも、対称性を壊し吸光度を上げる重要なテクニックです。)

助色団のもう一つの役割は、染料の繊維に対する適性の付与です。具体的には、極性の高い置換基を導入する程、親水性繊維への親和性が上がります。 逆に疎水性を高くしていくと疎水性の繊維への親和性が増したり、昇華性が出て来たりします。
(置換基の日光堅牢度に対する影響は、「14. 堅牢度と染料の構造」参照。)

金属元素について

染料の中に “含金染料” と呼ばれる一群があり、主として、銅、クロム、コバルトが使われています。 これらは、染料の中で、複数の発色団をまとめる “配位結合” の形で存在しています。この配位結合は、双方から電子を出し合う σ結合ではなく、上の “非共有電子対” を持つ原子から、二つの電子を貰う形で成立します。その意味でπ 結合とは別な形の “共有” 結合が生じている訳です。当然、この “配位結合” の結合エネルギーもσ結合より小さく、長波長の光を吸収する力になってきます。

含金染料ではありませんが、草木染めなど趣味の染色を行なう時、 染色後堅牢度を上げたり、色を深くするために媒染処理をする事が多くあります。そのほとんどで起こっている事は、 媒染剤に含まれる金属による染料同士の配位結合です。これにより、染料の構造が大きくなり染料の繊維に対する親和性が増します。 下に、代表的な媒染剤とハーブ染めの簡単な処法をAppendixとして加えておきます。

おわりに

この章では、 物理や化学を専門に学んだ事がない人にも染料の発色の仕組みを理解して頂ける様、難しい理論や公式を可能な限り省き、 目で見る図を使用し説明しました。 これらの説明で、青や赤などの可視色を出す為、染料構造の中に何故沢山のベンゼン基やアゾ基があるのか少しでも理解出来たのではないでしょうか? 
“染料理論” を学んで行くと、ボーア理論、Wittの発色団説、Buryの共鳴説、INDO法、HMO法、PPP法・・・と様々な学術用語に出会います。 同時に難しい微分式や積分式に振り回され、途中で理解する事を投げ出した方もいるのではと思います。
幸いな事に、計測機器やコンピューターの性能が増した今日では、理論と実際を比較し、本当の姿に近づける時代となって来ました。 こうした中から、新たなる理論が生まれ、今までになかった新しい染料が創り出される事を期待してこの章の結びとします。

Appendix


金属元素
使用薬剤
適用色
備考

木酢酸鉄、塩化第一鉄
黒、グレー、濃茶
むらになりやすいので多量に使わない。

酢酸銅, 硫酸銅(劇)
赤茶、金茶、若葉色
硫酸銅(劇)は購入にハンコが必要。
アルミニウム
酢酸アルミニウム
硫酸アルミニウム(ミョウバン)
黄色、明るい茶
安全性が高く使い易い。
クロム
酢酸クロム
からし色、金茶
六価の重クロム酸より安全性が高い。
錫(すず)
塩化第一錫(劇)
錫酸ナトリウム
赤、紫
塩化第一錫は劇薬であるため購入にハンコが必要。
カルシウム
石灰
全般
繊維を痛めるので、熱浴で使用しない。 (消石灰を水に溶き、うわずみを使う)

<処法>
<操作手順>
・カモミール  40% 錫媒染  同浴媒染
(錫酸ナトリウム 1g/L  クエン酸 3g/L

・タイム  30% 銅媒染(酢酸銅 1g/L)

・セージ  30% 銅媒染(酢酸銅 1g/L)

・マダ―  30% アルミ媒染(酢酸アルミニウム 2g/L)

・ペパーミント  30% 鉄媒染(木酢酸鉄 2g/L)

 %は染色物に対しての各媒染剤(溶液)の重量比(o.w.f.)
染色物と同じ重さのハーブの量を煮出し染液とする。

1. 抽出は煮沸 30分。(染色・媒染の溶液量は布の重さの40倍(浴比 40;1))

2. 染色(一回目) 80℃×15分  後、水洗

3. 媒染 60℃×20分  後、水洗

4. 染色(二回目) 95℃×20分

 水洗の後脱水乾燥

(使うのは、 劇薬類を除くと比較的安全な化学物質ばかりですが、念のため防護メガネや手袋を着用し、 吸入したり、直接皮膚に付けない注意が必要です。)