ホームスクーリング研究会リポート No.1    久貝登美子

A.S.ニイル著「自由の子ども」(黎明書房)

子どもをどう理解するか

HS(ホームスクーリング)研究会では、毎月1回、第2もしくは第4土曜日にA.S.ニイルの「自由の子ども」を読んでいました。これは、ニイルが70歳になって書いた、彼の16冊目の著作です。ご存知の通り、ニイルは1920年代に創設された「サマーヒル」において長く、子どもを個として尊重し、主体性と自治に基づいた「自由教育」を実践しました。それは、ニイル亡き後も今に受け継がれ、時代を超え、国境を超えて広く影響を与え続けています。ニイルの子ども理解、子ども観は、古びることなく、親として子どもを理解する上でも大きな示唆を与えてくれます。そこで、HS研究会で読んだニイルの言葉やそれに触発されてでてきた私達の体験談や、疑問、理解したことなどをHSNニュースの読者の皆さんともshareしたいと思い、このリポートを書くことにしました。

*引用文は、霜田静志訳「自由の子ども」黎明書房刊によります。

第一章 不自由な子ども

「彼の名はジョンという。彼は世界中のどこにもいる子どもである。・・・彼はどこにもあるバラック式の学校の机に退屈そうに座っている。後になると彼は、会社や商店の机にいっそう退屈そうに座ることになる。彼はよく言うことを聞く子で、権威に対して従順であり、批評をおそれる傾向があり、正常で、因習的で、正確でありたという願いに対しては、ほとんど狂信的である。彼は教えられたことをそのまま受け入れる。そして自分のコンプレックスも、恐怖も、欲求不満も、全てそのまま自分の子どもに伝える。」「最初から彼は、条件づけられた。時間割授乳は、彼に多くの欲求不満を与えた。」「彼のしつけの大部分は親類や近所の思わくで条件づけられる。父や母はジョンが、ちゃんとしたことの出来るようにと、何時もやかましく小言を言う。」「ジョンは存分な遊びにひたることが出来なかった。・・そこで彼は自分の想像力も、空想の力も、発展させる余地が無かった。」

さらにニイルは、このように育ったおとなたちによって構成される社会に対して、洞察を広げていきます。そして、この章の最後を「(不自由の教育は)ほとんど全く生命の感情的方面を無視する。そしてこれらの感情は、力動的なものであり、壊滅させることのできないものであるがために、これが表現の機会を与えられないでいると、安っぽいもの、醜いもの、嫌悪すべきものとなって現れるはずであるし、事実またそうなってくる。頭脳だけが教育されるのであっても、もしも感情が自由であるならば、知性は自分自身を統御するであろう。」と、締めくくっています。

この「不自由な子どもージョン」は、とても身近に覚えのある子どもだと思いませんか。あなたや私もそうだったかも・・・。私達は自分が育てられたように子どもを育てようとします。だから、まず自分の中の抑圧された感情に耳を傾けることからはじめる必要があるでしょう。子どもの問題は、まず自分の問題であったことに気付かされることがよくあります。


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