大人モデルのない時代に
もしも今、自分の才能とか、可能性とか、そういったもんを一切無視して、職業もしくは仕事を選ぶとしたら、どんなんがいいかなー。小説家か、歌手か、いやスーパーギタリストがええかも。それとも横文字商売のイラストレーターとか、スタイリストとか、グラフィックデザイナーとか。いかん、なんとなくアート関係にかたよってしまっているなー。もともとあんまり沢山の人に会いたい方やないから、営業関係や教育者なんかぜんぜん向いてないしなー。今さら技術屋さんになるんはもうええわという感じで、そっちの方はパス。そやけど、この場合自分がどういう基準で仕事を選んだんか考えてみると、収入よりも、なんかこう「華やかな世界」みたいなんを基準にしてるような気もする。やっぱり俺はミーハーやな。それにしても、我ながらこのイメージの貧困には恐れ入るなー。「将来何になりたい?」という立身出世の問いかけへの答えは、大昔は「末は博士か大将か」やったし、僕らの子どもの頃なら「東大出て高級官僚」やった。今は何やろ?子供たちのなりたい、あこがれの職業は時代とともに変わるけど、そのバリエーションは、実際に世の中にあまたある職業に比べたら、圧倒的に少ないな。友達の親の職業が実際どんなもんか、知っている子どもはほとんどおらんやろ。自分の親の職業の中身を詳しく知っている子どもかて、ほとんどおらんかもしれん。そんだけ職業あるいは仕事に関する情報は少ないんや。要するに、世の中にどんな仕事があるのかあんまりわかってないわけで、その職業のバリエーションをあんまり知らんから、イメージができんわけやな。「大人モデル」という言葉があるけども、子どもが育っていく過程で、自分はああいう大人になっていくんやなー、となんとなくぼんやりした形でモデルにする大人のことなんや。今の子どもたちが可哀想なんは、身近にああなりたいと思わせるような「大人モデル」がおらへんことやと思う。大人は誰を見ても、不況やリストラやいうて、しょぼくれて自信喪失しとって、そのくせ自分がしがみついてる古くさい価値観を押しつけてくる。大人のいうとおりにしても、結局はあんな大人になるしかないんか、子供たちはそう思ってるんやないやろか。今の時代に、親としてやらなあかんことがあるとしたら、子どもにあれせーこれせーと注文つけたり、自分が育った時代の理想を押しつけたり、「すべて子どもが選ぶことやから、子どもに任せてます」みたいな無責任放任やない、と思う。それは、子どもが将来どんな職業を選ぶにしても、幅広い選択肢の中から選べるように、世の中にはいろんな仕事があるんやなー、いろんな大人になれるんやなー、なってもええんやなー、と思えるように、子どもにいろんなことやいろんなものを見せる、見られるような環境を用意してやることやないやろか。それと、少なくても自分を「大人モデル」として子どもに見せても、恥ずかしくない大人になるように努力のかけらぐらいはする、そんなことやないかな。 |