自分探し?
フリーターが増えているそうだ。一説によれば、現在フリーターと呼ばれる人たちが、150万人とも、300万人とも言われるほど存在しているらしい。フリーターの定義自体も、まだまだあいまいだけど、とりあえず若年労働層で、短期のアルバイト・パートを繰り返している人たち、となるらしい。学校を卒業したけど、就職するのがいやで、あるいは希望する就職口がなくて、始めた。あるいは、就職はしてみたものの、自分のイメージしていた仕事とは違っていたので、会社を辞め、始めた、なんて人が多いみたいだ。フリーター脱出願望組も、そうでない組も含めて、共通していえるのは、フリーターの方が、収入は少ないものの、時間が自由になって、趣味など自分のしたいことができる、自分にあった仕事が見つかるまでの準備期間、ということらしい。ここらの詳しいことは雑誌「Z-KAN」vol.3 増進会出版社 ¥800を参照されたい。さて、ここで思うに、どうもフリーターたちのキーワードになっているのは、「自分探し」みたいだ。趣味にしろ、自分にあった仕事にしろ、「やりたいこと、自分にできることがまだ見つからない」「いろんな世界を見てみたい」なんて言葉が、彼らのインタビューには綴られている。自分がなんなのか、自分にどんなことができるのか、彼らは迷って、一種のモラトリアムにいる、そう考えても間違いはないのだろう。自分探しをしている人は、彼らのような年齢だけじゃなく、あらゆる年代にいる。かくいう僕だって、いまだに迷っているくらいだから。ただ、僕らのようなオジさんになると、世間の垢がつきすぎて、自由度が著しく低くなってしまっている。探そうと思っても、なかなかうまくいかない。何でそうなのかな、とつらつら考えてみるに、どうも俺の世界はあまりにも狭いんじゃないか、などと思い当たる。人間は、自分の身の丈にあったことしか考えつかないし、自分の視野の中にあるものしか見えないんだろう。「自分」なんてものは最初からあるんじゃなくて、自分自身でつくっていくもんだし、最初からないものは探せないんだから、結局「自分探し」っていうのは、どうやって自分をつくっていくのか、になると思う。フリーターの大先輩みたいな人に、カヌーイストという言葉を日本に初めて持ち込んだ、野田知祐がいる。大学は退屈で、ただボート部の練習だけに明け暮れた毎日。(ちなみに彼は早稲田で、あの小渕恵三と同期だそうだ)大学を卒業してもやりたいことが見つからず、「ちゃんと就職してまじめに働け」と彼を責める周囲の人たちを憎悪しながら、いくつかのアルバイトを繰り返して金をため、ヨーロッパを放浪し、そこでカヌーに出会う。1960年代初頭のことだ。何をしたらよいのかわからず、ただ肉体を痛めつけることだけを目的に、世界を放浪していた野田の自伝を読むと、彼の苦悩が伝わってきて僕の胸もキリキリ痛む。だが、彼はカヌーに出会い、美しい川に出会い、自然とそこにすむ人々に出会うことで、ようやく自分を見つけた。田中金脈や近頃では脳死なんかで著名な、辣腕ジャーナリスト立花隆の、母校東大教養部でのゼミを収録したものを読むと、立花も彼なりのスタイルで自分探しをしていたことがわかる。フランス語の詩を原文で読むことにより、美に対する感受性を教えられる。哲学を突きつめて考えることで人間を知る。一月に数十冊の本を読破することによって、幅広い視野を得、多くの知識を得る。フランスの哲学者ヴァレリーを徹底的に読み込むことで、当時権威とされていた小林秀雄を疑い、やがて切り捨てている。立花は大学で、素晴らしい師と、友と、学問に出会うことで、自分のスタイルを確立した。まったくタイプの違う野田知佑と立花隆だけど、どちらも青春を悩み苦しみながら、いろんな出会いによって自分の世界を広げ、自分自身を作っていった。僕も、もう一度探し始めてみよう。 |