ホームスクーリングキャンペーンの、映画「コルチャック先生」の後の話し合いで、あるお母さんが話した。小学生の男の子が、学校でいじめられ、叩かれた。お母さんは、「叩き返しなさい」と男の子に言った。でもその子は、「そんな事したら、僕もその子と同じ悪い子になってしまう。」と答えた。その言葉を聞いたとき、子どもってなんてすごいんだろう、と僕は背筋がぞくぞくする思いを味わった。親や教師は、単に励ますつもりなのか、あるいは本音ではいじめによる不登校を恐れるからか、深い考えもなく「やられたらやり返せ」、と言う。だけど、理由のいかんを問わず暴力は暴力であって、決して肯定されるものではない。まして、暴力に対するに暴力を使えと教えるのは、少なくとも大人のやることではないだろう。その子は、ちゃんとそこに気がついている。自分も同じレベルに堕ちてしまう事への嫌悪感をちゃんと表明している。やっぱり、すごいと、思う。学校という仕組みは、社会の仕組みのミニチュア版だ。あるいは、訓練所と言ってもいい。学校で叩かれたら必ず叩き返す子は、社会に出ても学校で訓練されたのと同じ事をするだろう。学校で生き残るのに必要なことは、社会に出てからもそのまま通用するからだ。そして、そういう子どもたちが、やがてこの国の重要な部分の一翼を担う。なんて淋しい、哀しい話なんだろう。一方で、叩かれても叩き返さない子どもたちは、「叩き返せない」のだと思われて、親からも周囲からも「弱い子」だと評価される。子どもたちは、自分が持っている価値観を否定され続け、やがては自分自身をも否定的に見るようになってしまう。暴力へ暴力をふるい返すことへの嫌悪が否定され、心優しい子どもたちが疎外されてゆく。しかしこの国にも、やられたらすぐにやり返すのではなく、一呼吸おいて別の方法を考える、競争社会とは無縁の人たちの、もう一つの仕組みがある。権力を握っている人たちや、そこへ少しでも近づくために汲々としているのでない、自立的な市民社会を形成する人たちの持つ仕組みだ。「社会的成功」や「経済的成功」にはまるで縁のない、しかし心豊かで、自然や人間を愛し、自分の表現や趣味にとことんこだわる。そういう人たちの作る、はっきりとは見えにくいが、社会の伏流水のようにゆるやかに流れる、もう一つの別の仕組み。今はまだ弱くても、やがてはそのネットワークが、本当にこの国や地球を救うだろう。子どもたちにも、そういうもうひとつの仕組みがあってもいいのではないだろうか。いつもひりひりぴりぴりしていて、たえず人の目を気遣い、心休まることのない生活。自分やほかの子どもたちを愛せない、自分自身に誇りを持てない生活。そんなものに自分が合わないと気づいたら、さっさと学校なんかやめてしまおう。新しい生き方を始めてみよう。愛する子が、そんなすばらしい感性に恵まれていることに気づいたら、親は子どもを励まし、もう一つの道へと、子どもを進ませてあげたらどうだろう。きっと、実り豊かな人生がその子を待っている、と僕は思う。 |