全日本剣道連盟居合についての私見

撞木足の禁止、振りかぶり時の切っ先は床と並行 は剣道連盟居合道教本の
真剣を扱う刀法としての合理的で近代的な教えと考えます
但し居合は防御であるとの表現が無いことで刀に対する思想が感じられず教本の内容がとても浅薄なものに思える

  
※全剣連居合道教本の「序章」に[入門書としては充分と思うが、居合道はこれに尽きるものではなく、その技および応用は多岐わたり
  多少とも居合道を窮めようとする者は、この形に留まることなく古来の流派も併せて研修することが必要]とある
   
 
 解説の要領で[同一動作は同一用語で表現した]とある。
  踏みかえ・踏み出し・踏み込み
という言葉の定義を認識しその違いを知るべきであるが、この認識は11本目の術技の解説に踏襲されていない
  11本目、12本目が追加された折に曖昧になってしまいましたね
 
※演武の心得に[気、剣、体の一致]とあるが観念や意識ではなく、具体的な体裁きの指標として受け取りたい
  「身体の質量と刀の質量の整合性つまり刀の重さに囚われない軸足の大切さと体裁きを知らしめている」
 
※一本目、二本目の「両つま先を立てる」とは正座した時に両膝と両つま先の四点を意識すること。踵を立てるとは記されていない
 
※一本目[動作 注(1)左足のつま先は左ひざの真後ろとなって両ひざが直角となるようじゅうぶん腰を入れ、
  上体をまっすぐにして「丹田」に力を入れる
] とは脾(軸足)で打つということ、撞木足は禁止ということ、体を正しく
  捌けば
自ずから丹田に力は入るということを教えている。
  
※[振りかぶったとき、切っ先を水平より下げない]とは、正しく振りかぶれば切っ先は下がらないということ。左耳の後ろを突くように振りかぶれ!
  ※教本に表現された術技の(注)を「この通りにしなさい」ではなく、理に叶った体裁きを稽古すれば「このようになりませんか」と読みたいですね。

 「竹刀は刀である」?? 
  全剣居合道部に剣道家の入会はありましたが丸い竹の棒と日本刀には重量や形状において根本的に違いがあることに彼らは戸惑っていました   全剣連は「竹刀は刀である」と精神性を重視するあまり日本刀の属性を無視するような標語を掲げています
  この風潮が剣道家が刀法を身に付けるための時間を余計に費やしているように思います 唱えるべきは「竹刀と刀は別物である」でしょう 


剣道の知識はありませんが剣連居合の指導者が剣道家に雷同(本末転倒)している現状への疑問です
 
  
  ※踏み込みを常に右足の股関節で行うことの不思議。

   
踏み込み足はどちらからであっても、原動力は軸足の膝とひかがみ,勿論踏込み足は膝から下で。
  ※剣道家の送り足はまるでスキップに見えるが。「寄せ足」なんて言う人もいるよ〜。
  
軸足の膝・ひかがみで打突の身体を前に送る足を送り足というのではないのか?また最強の打突を担保する為に詰める脚でもあるよね!
  ※竹刀の振りかぶりを手元と切っ先同時に始める動きの不思議。振りかぶりの切っ先の位置が危うい
  
竹刀の素振りは肩を支点にして腕と竹刀を同時に振り回しているだけ。肘、肩、腰、膝の順に伝わるパワーが認識されていない
  ※常に両肩が正対してから打つ不合理。正対するのは骨盤。打ち終わった瞬間にすべてが正対(近代剣道の発明)
   
左、右の順に肩肘が動き始めるからこそ腰の捻りが生きる 軸足の詰めが生きる

 千利休の言葉とされる修業の過程を表す「守・破・離」に当てはめれば剣道連盟居合の範士八段はどの段階? 
 少なくとも「破」出来れば「離」に在って欲しいものだが連盟内での地位を保全するために剣道家におもねっている居合道の
 範士八段は「守」の域にあって初心者と同じ土俵やねぇ! 


 竹刀で武道が成れりと信じている剣道家に刀の本質を伝える事が剣道連盟居合の本分ではないのか?
 連盟居合を立ち上げた先人に恥ずかしくはないのか!