なつみかんちゃん ゆうばりくんと学年年子で2人生まれた後 3人目妊娠。でも 判明後数日で出血。流産ということで処置を受けました。でも その次の日 お腹の激痛が。。。即 病院へ。
「子宮外妊娠」かもということだったが 激痛に波があり持続していないからと すぐ手術にはならず とりあえず入院ということに。
エコーだけでは 診断がつかないからと ダグラスか穿刺といって子宮内から腹くう内に針を刺す検査をすることに。
看護婦さんの「ちょっと痛いですよ」の声と同時に 身体の中心を切り裂かれるような激痛。「痛い」って言葉でいえるような生やさしいもんじゃあなかった。いままで生きてきた中で あれ以上の痛みはいまのところ見あたらない。
腹くう内に血液が溜まっていることから やっと「子宮外妊娠」であると診断がついた。
保存的治療が行われ その薬の副作用で高熱がでて 口のなかは口内炎で真っ赤に腫れなにも食べられない。その割に薬の効果はあまりみられない。。。入院期間がどんどん長くなっていく。2人の子は 当時 2歳と3歳。母や父そしてパパのストレスが大きくなり みんなイライラしているのがわかる。そんな状況に耐えきれなくなり 医師に一日でも早く家に帰りたいと訴え 手術が行われることになった。いざ 手術となると自分の命のために子供の命を切り捨てるようで とても辛かった。。。
そんなことがあったので パパも私も口には出さなかったけれど これで もう子供はできないんだろうな。。。と3人目はあきらめていた。
なつみかんちゃん ゆうばりくん 2人とも小学生になり手がはなれ 仕事でちょっと腰を痛めた私は 一旦仕事を辞めてしばらくゆっくりすることにした。前からやってみたかったガーデニングを始め 家の周りが花で華やかになった。そんなのんびりした生活にも慣れてきた頃 な・ん・と 妊娠!えっ まさかあ。。。
その時 上の子達は8歳と9歳。この子が生まれる頃には 9歳と10歳になってしまう。。。あまりにも年が離れ過ぎていることで 今までのように単純に「やったあ〜」とは喜べなかった。まずは「どうしよう。。。」
でも 私の「どうしよう」は生むか否かではなく 出産のための入院中上の子達の面倒をどうしようか。。。ということだった。でも パパは違った。あれだけ子供好きのパパが 言葉を濁した。。。前回の入院の件があったから。
「子供は ほしい。でも。。。あんな思いはもう二度としたくない。」と何度もいうパパ。パパの仕事は家を空けることが多く 融通もきかない。だから 私の身体はもちろんのこと 母も大病をした後で子守は頼めない。上の子達はどうするんだということもひっかかっていたのだろう。でも 私はあきらめきれなかった。ダメにした2つの命が時を経てもどってきてくれたような気がしてならなかったから。。。
悩んでる私たちの会話を聞いていた上の子達が「赤ちゃん生んでほしいなあ。お手伝いするから。」その言葉でパパもおれた。
いざ 生むとなると 家族そろって「たまごクラブ」を読みお勉強。なつみかんちゃんなんて「立ち会い」までしたいと言い出した。名前もみんなで考えて決めた。性別が判明してからはお腹にいる赤ちゃんにむかって名前を呼んだりもした。みんなが待ち望む中 H・11年7月13日 午前1時14分 3506g 49.5cmの男の子誕生 分娩所要時間4時間20分
病院に付き添ってきてくれたパパ。陣痛室から分娩室へ移動するとき 助産婦さんに「おとうさんもご一緒にどうぞ。」とうながされ一緒に分娩室へ。
心の準備もできないまま(なんの覚悟もないまま)立ち会い出産になりました。